なり損ねた雷   作:白鳴

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第24話

雷とは、本来、届いた時にはもう遅いものだ。

 

空が鳴る前に兆しはある。

雲は重くなり、空気は粘り、肌の上を走る細い違和感が先に来る。だが、人がそれを雷だと理解する頃には、たいてい全てが終わっている。

 

来たと知った時には、もう避けられない。

 

雷の呼吸が恐れられる理由は、そこにあった。

 

速さではない。

派手さでもない。

気づいた時には、すでに遅い。

そのどうしようもなさこそが、雷の本質だった。

 

その夜、無限城の底で向かい合った二つの刃は、その“遅さ”の意味を別の形へ変えようとしていた。

 

一方は、あまりにも早く届きすぎた剣だった。

積み上げるはずの歳月をとうに通り越し、人の理から外れた場所でなお研がれ続けた古い月の剣。技は磨かれ、肉は捨てられ、理は人の域を越えてなお鋭くなる。そこにあるのはもはや才能ではない。生き残り続けた者だけが持つ、冷え切った蓄積だった。

 

もう一方は、遅れてきた雷だった。

 

もっと早く鳴るはずだったもの。

もっと早く立ち、もっと早く怒り、もっと早く斬るべきだったもの。けれどそれは、怯え、縋り、泣き、失ってなお、ようやくここまで来た。

 

遅かった。

何もかもが、たぶん遅かった。

 

それでも。

 

遅れて届いたものにしか穿てない場所があるのだとしたら。

この一戦は、その証明になるはずだった。

 

黒死牟は静かに立っていた。

 

六つの目が、正面の少年を捉えている。

値踏みではない。侮りでもない。もっと冷たい、測定に近い視線だった。間合い、骨格、重心、呼吸。見るというより、斬る前にすでに切り分けているような眼だった。

 

対する我妻善逸は、俯いていた。

 

震えてはいない。

叫びもしない。

抜き身の恐怖を前にして、なお静かなまま立っている。

 

その静けさだけが異様だった。

 

城が鳴る。

遠くで、どこかの部屋が入れ替わる。

だが、この場だけは不思議なほど動かなかった。

 

雷の前の静電。

月の前の無音。

 

黒死牟の視線が、そこでわずかに落ちる。

 

顔ではない。

善逸が鞘に添えた手。

指の掛かり。

親指の浮き方。

抜く直前の、ほんのわずかな重心の沈み。

 

六つの目が、その一つひとつを測る。

 

「その手の置き方……雷の流れ」

 

静かな声だった。

懐旧ではない。賞賛でもない。

ただ、長く生きた剣鬼が、抜く前の身体だけで流派を切り分けたにすぎない。

 

「されど、まだ浅い」

 

善逸は答えない。

 

言い返す言葉はない。

図星だからではない。

答えたところで、この場の距離は一歩も縮まらないと分かっていた。

 

鞘に添えた手だけが、わずかに強くなる。

 

先に動いたのがどちらだったのか、後で言い当てられる者はいない。

 

ただ、刃が抜かれた時にはもう、開戦の火蓋は切られていた。

 

黒死牟が先に動いた。

 

いや、動いたと善逸が認識した時には、もう刃は半ばまで抜かれていた。

 

月の呼吸、参ノ型 厭忌月・銷り。

 

静かな声だった。

吠えもしない。力みもしない。

ただ、長く研がれ続けた者だけが持つ迷いのなさで振るわれる。

 

斬撃は、一太刀に見えた。

 

だから善逸は、その一太刀だけを外した。

足裏が床を掴む。骨が鳴るほどに身体を沈め、紙一重で軌道の外へ滑る。

 

避けた。

 

そう思った瞬間、死が増えた。

 

黒死牟の刃が通った空間から、遅れて月形の刃が咲く。

一つではない。

二つでもない。

細く、鋭く、しかもどれも本太刀より半拍遅れて、善逸が逃げ込んだ先へ追いついてくる。

 

「……ッ」

 

善逸の身体が跳ねた。

 

前へ出れば首が飛ぶ。

下がれば足首がなくなる。

横へ流れた先にまで、月の刃が生えている。

 

身体が勝手にいちばん狭い場所へねじ込まれる。

 

それでも、遅い。

 

肩口へ白い痛みが走る。

羽織が裂ける。

遅れて、皮膚が開く。

 

床が断たれる。

柱が鳴る。

壁の向こうまで月の傷が伸びていく。

 

一太刀ではなかった。

 

一太刀に見せかけて、その後ろに死を幾重にも垂らしている。

避けた場所が、そのまま処刑台へ変わる。

 

それが、月の剣だった。

 

黒死牟は追わない。

追う必要がないみたいに、静かに刃を収めきる。

 

六つの目だけが、善逸を見ていた。

 

「今のを外すか」

 

賞賛ではない。

確認だった。

 

善逸は答えない。

答える息が惜しい。

肩口の浅い裂傷より、今見たものの方がよほど重い。

 

見て避ける。

その前提では足りない。

 

あれは、振るわれたあとに形を変える。

読み切ったと思った瞬間から、さらに殺し方を増やしてくる。

 

怖い、と思う。

 

今さら否定する気もない。

怖いものは怖い。

足の裏は冷たいし、喉の奥も乾いている。心臓はうるさい。逃げろと喚く声だって、胸のどこかにはまだ残っている。

 

それでも。

 

善逸は鞘を握る手へ、ゆっくり力を込めた。

 

怖くなくなる日は来ない。

強い相手の前で平然と立てるようにもならない。

だったら、怖いまま抜くしかない。

 

黒死牟が、わずかに目を細めた。

 

善逸の気配が変わったのだ。

消えたのではない。

むしろ逆だった。

雷鳴の前に空気が満ちるように、静かなまま張っていく。

 

善逸は、そこで初めて顔を上げた。

 

黄金の瞳が、黒死牟をまっすぐ見る。

 

外へ逃げるんじゃない。

 

その感覚だけが、身体の奥で形を取りかける。

 

あの剣は、避けた先を殺す。

なら、外したと思わせたあとへ潜るしかない。

 

理屈ではない。

まだ言葉にもなっていない。

ただ、身体だけがその一歩を探り始めていた。

 

善逸の足が、わずかに沈む。

 

それは壱ノ型の踏み込みに似ていた。

似ていただけだった。

 

黒死牟の六つの目が、その微細な予備動作を捉える。

来る。

そう判断した瞬間には、善逸はまだ来ていない。

 

半拍。

 

黒死牟が“来る”と見た、その後ろで、まだ雷は鳴っていなかった。

 

だが、善逸の身体はもう沈んでいた。

 

柱稽古で教わったのは、速くなる方法ではなかった。

無駄を削ること。

足裏を置くこと。

斬る前に、もう次の踏み込みへ身体を移しておくこと。

 

肩の力み。

首の傾き。

腕の遊び。

踏み込む前に“来る”と知らせる無駄だけを、一つずつ削いできた。

 

速さは、その結果として遅れて現れる。

 

黒死牟の月刃が、壱ノ型の最短線へ置かれる。

 

その瞬間、善逸はそこにいなかった。

 

避けたのではない。

外したのでもない。

月の刃が置かれた、その内側へ足裏一枚ぶん沈み込んでいる。

 

雷の呼吸。

 

鞘鳴りだけが、遅れて鳴る。

 

壱ノ型。

 

霹靂一閃。

 

だがそれは、黒死牟が見切った最初の踏み込みではなかった。

来ると判断した、その半拍の後ろから、別の一直線が生えている。

 

黒死牟の六つの目が、そこで初めてわずかに揺れた。

 

善逸の刃は首を獲らない。

まだ届かない。

それでも、左肩口を浅く裂く。

 

浅い。

 

だが、黒死牟の月刃を初めて“遅らせた”傷だった。

 

裂けた布が、遅れて落ちる。

 

黒死牟が半歩だけ退く。

退いたというより、斬られた分だけ間合いがずれた。

 

その事実そのものが、静かな異様さを帯びていた。

 

「……ほう」

 

初めてだった。

黒死牟の声に、測定とは少し違う色が混じったのは。

 

善逸は追わない。

 

追えないのではない。

追わない。

 

今の一閃は、まだ試しだ。

届くと信じるには浅く、届かないと諦めるには深い。

 

足の裏に、さっきとは違う感触が残っている。

床を蹴ったのではない。

沈んで、抜けて、置き去ったはずの半拍だけが、まだ身体の奥で鳴っている。

 

黒死牟が、裂かれた肩口へ一瞥を落とす。

 

傷は浅い。

致命には遠い。

だが、それを知ってなお、六つの目は善逸から離れない。

 

「成る程」

 

静かに言う。

 

「遅れて届かせるか」

 

見抜かれた。

そう思うより先に、善逸の背筋が冷える。

 

けれど、今度は逃げたいとは思わなかった。

 

見抜かれたなら、その先へ行くしかない。

 

黒死牟の刀が、もう一度わずかに鳴る。

 

善逸の足も、また沈む。

 

月と雷。

どちらが先に届くのかではない。

 

どちらが、相手の“終わった”の後ろへ死を置けるか。

 

その勝負が、ようやく始まろうとしていた。

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