先生で居られない日。
そんな日はあなたと一緒に、外れの小道を散歩しよう。
「あれ」
書類を捲る手が止まる。指先に触れたのがツルツルとした机の表面で、紙の感触がしなかった。
それはつまり、積んであった紙束を全て捌き切った......ということを意味している。
ここしばらくは遅くまで仕事をしていたものだから、奇妙な感覚だ。ちらと時計を確認してみると、時刻は午前十一時を示す。
既に購入済みの生姜焼き弁当を引っ張り出してつまみながら、この後はどうしようかと考えを巡らせてみることにした。
「ええと、午後の来訪予定は無し......」
今日は当番もいない日だった。テレビを点けると、クロノススクールが今日もキヴォトスの日常を映し出している。
『メカワニMk-Ⅱ、セミナー部室に立て篭もり!要求はハイパーバリュー製潤滑油の使用停止』
『粗悪な茶葉の紅茶を販売した会社の取締役が襲撃!被害者は口にロールケーキを突っ込まれた状態で発見された。犯人の手がかりは掴めず』
『ゲヘナで爆発事故。本日は終日晴れ』
いや、案外忙しそうだ。
そんな中で時間が空いたからと行くのもどうだろう。当番もいないから誰かに護衛を頼む必要があるし、返って迷惑をかける可能性がある。
通販のサイトを確認してみるも、この間注文したプラモデルが届くのは明後日だった。そうこうしているうちに弁当は空となり、手持ち無沙汰になる。
窓の外は明るく、嫌になる程の青い空。頭の中に様々な選択肢が浮かんでは消えていく。
私は何の気なしに上着と財布、タブレットを持って、ドアプレートをひっくり返した。
*
電車で二駅。寂れても栄えてもいないD.U.の街並みを、ぼーっと眺めながら歩く。
春に差し掛かろうというこの時期、突き刺さるような冬枯れは過ぎ去って、案外歩きやすい気候になった気がする。
街では住民達がまばらに歩いている。平日の昼間だからか、生徒の姿はほとんどない。
さて、どうしようか。散歩するにしたって何か一つくらいは目標を決めるべきだった。
行く当てがないせいで足は重いけれど、止まりたくはなかった。
「あれ、先生?」
どうにも、思考が定まらない。そうしてただ機械的に足を動かしていると、後ろから聞き馴染みのある声がかかった。
「こんなところで会うなんて、奇遇ね」
「ああ、そうだね......こんにちは、アル」
その声の正体は、便利屋68の社長、陸八魔アル。
驚いた様子の彼女は、小走りで私のそばに来た。
「今日アルは1人?」
「ええ。みんな今日は予定があるらしくて......先生は、この辺りに用事かしら」
彼女はいつものコート——ではなく、それよりは少し大人しめな上着を羽織っていた。仕事という雰囲気ではないし、オフだろうか。
「用事ではないんだ。仕事が思ったより早く終わったんだけど......何か、手持ち無沙汰でね」
「ふぅん......?」
そう言うと、彼女はずいっとこちらの顔を覗いてくる。意図がわからず数度瞬きをする時間が流れた後、彼女はにこりと微笑んだ。
「つまり、時間はあるのよね。なら付き合ってちょうだい」
「良いよ。何か困り事はある?」
なぜか彼女はムッとして、私の手を取る。
「困り事なんてないわ」
小さなその手に連れられてゆっくりと歩き出す。そして彼女は振り返り、よく見せる不敵な笑みを湛えた。
「アウトローのお散歩を、教えてあげる」
*
「見えてきたわ、あそこよ!」
「アンティークショップ?」
連れられて数分歩いた先には、雰囲気満載の雑貨店だった。初見では入店に少し躊躇いを覚えてしまいそうな門構えだけれど、彼女は構うことなく私を連れ込んだ。
「常連なんだね」
「ええ。こっちに越してきてから見つけたのだけど、とても良いセンスをしているのよ!」
奥で渋い顔をした犬の店主が、鼻の下を擦っている。
確かに、店内も外観に負けないほどのアンティークっぷりだ。
それからしばらく、2人で店内を物色する。前時代の機構を搭載した銃や、ヴィンテージのコート、コーヒーミル——どれも部屋に飾れば、大人な雰囲気を醸し出してくれること請け合いだ。
「このカップ、中々良い色をしているわね......うおっ、さんまんえん......」
北欧風の意匠が掘られたブラウンのカップとソーサー。その裏に貼られた値札を見て、彼女は表情をコロコロと変えた。
「プレゼントしようか?」
「いいわ。アウトローグッズは一期一会......ご縁がなかったと言うことで.....」
結局私たちは何も購入することなく店を出る。少し怒られそうな気もしたが、アルと店主は手を振り合っていた。
「また今度、お財布に余裕のある時に来ましょう」
通りを再び歩き出す彼女について行く。あっさりと引き下がった点を見るに、このアンティークショップは、お出かけの主目的ではなかったのだろうか。
今回のように社員が皆不在で、時間が余ってしまった......そんな時。今の私と似通った彼女は、今日という日をどうやって過ごすのだろう。
「ええと......あっ!」
彼女は声をあげて、路地へと駆け出して行く。今目線の先に見えたのは黒く小さな影。
小走りで追いかけてその路地を覗くと、座り込む彼女の側には一匹の黒猫が居た。
「この子ね、カヨコがお世話をしている子なの。いや、お世話というとちょっと違うかもしれないけれど」
彼女が指し示す先。見た感じは......ギリギリ子猫、と言えなくもないくらいの猫だ。
なー。と挨拶でもするかのように鳴いて、顔を擦っている。
「何だか親と逸れちゃったみたいでね。それでカヨコが、ちゃんと餌が獲れているかをたまに見ているのよ」
「へぇ......うん、今回は大丈夫そうだね」
多少ほっそりしているけれど、心配になるほどではない。変な動きも、傷も見当たらない。
アルが端末で一枚写真を撮るとその猫は、顔見せは済んだとばかりに踵を返して闇の中へと消えて行く。
「うん、綺麗に撮れてる」
「後で見せてあげましょう」
安心した風に笑うカヨコを二人で思い描き、二人で笑う。
「次はあっちよ」
猫を見送った私たちは、また別の目的地へ歩いて行く。
入った路地裏をそのまま進み、大通りとは外れた地区、人の姿も見えない場所にそれはポツンと立ちすくんでいた。
「廃屋......?」
「ええ。ハルカが趣味で雑草を集めて、庭園を作っているのは知ってる?」
以前、何度かハルカの庭園にはお邪魔したことがある。ここではない廃墟の一室だったけど、こっちにも彼女の庭園はあったらしい。
「最近あまり来られてなさそうだったから、ついでに様子を見ようと思ってね」
そう言いながら彼女は、傍に置かれたボロボロのじょうろを手に取る。
「アルは......便利屋のみんなのことを、よく知ってるね」
「それは、まあ。長い付き合いだもの」
丁寧に並べられた雑草たちを眺めていると、鉢に一つがひび割れているのが目に入った。
「アル、これは変えたほうがいいかも」
「そうね。空の鉢植えがあったはずだから......手伝ってくれるかしら、先生?」
しばらく、二人で土をいじる。手が汚れることなんて気にもせず、彼女は作業に集中する。
「よし、バッチリね!ハルカに報告は......しないでおくわ」
「それが良いと思うよ」
教えたが最後。アル様のお手を煩わせて——!と言って自決を始めてしまう光景が、ありありと浮かんでくる。
水道で手を洗ってから、私たちはまた歩き出す。彼女はアウトローの散歩だと言っていたけれど、今のところ最初のショップしかその要素がない。
この先にアウトローな何かがあるのか、それともこれが、彼女のアウトローなのか。
「次はここよ......!」
「おお......」
一転して大通りに出た私たちの前に現れたのは、煌びやかな装飾を押し出したお店。
パーティーグッズショップと言うべきか。ボードゲームや風船、クラッカーなど色とりどりの品揃えだ。
「どうして私がこの店に来たか分かるかしら」
「もしかして、ムツキ?」
イタズラ好きの彼女が好きそうなお店だなと、直感的にそう思った。
「そう!あの子ったらいつも私を色んなもので驚かせてくるんだから......ここで予習してやるの、ってうわぁ!?」
彼女が意図せず触れた箱から、可愛いピエロの頭がバネと共に飛び出してくる。びっくり箱だ。
ご丁寧にひっくり返った彼女へ手を貸す。こんなに綺麗に驚いてくれるのなら、驚かす側も楽しいだろう。
「うう......ここ、ちょっと入るのに勇気が要るお店なのよね......」
「そんな、お化け屋敷みたいな」
ドッキリグッズばかりではない。こういったなんでもショップを眺めるのも楽しいけれど、やはりアウトローな感じはないな――
ようやく起き上がれたアルを見ながらそう考えていると、突如。
爆発音。店内にまで聞こえるその大きな音は、外からだった。
*
「なっ......!?」
「先生!」
急いで店を飛び出すと、外では黒煙を登らせる一軒の店。その前で不良生徒が二人、争いを起こしていた。
「たい焼きはこし餡だろ!皮が口に残るじゃねぇか!」
「それが良いんだよ!粒あん一択だっての!」
取っ組み合っていた二人はやがて、その銃に手をかける。
止めなければ——
「先生、行くわよ」
「えっ......?」
背後からアルの声。それと同時に私の手は引かれて、目の前の喧嘩からはどんどんと遠ざかっていってしまう。
「アル。二人を止めなきゃ」
私の主張は通ることなく、ただ連れて行かれること数分。あの喧騒からはずいぶん離れた通りで、ようやく彼女は立ち止まった。
「アル、どうして——
「酷い顔」
小さく、暖かい手が私の頬に触れる。今日出会った時と同じように私の眼を見つめてから、彼女は小さく微笑んだ。
「大丈夫よ。ここはキヴォトスなんだから、日常茶飯事ってやつでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど」
もう一度私の手を握った彼女は、いつの間にか目の前にあったコーヒーショップを指差す。
「休憩しましょ。ここは私のお気に入りなの」
不思議な感覚だ。何だか今のアルには逆らえないような気がして、言われるがままに入店する。
この店は先ほどのアンティークショップとはまた違った趣の、光が差し込む綺麗な喫茶店だった。
「いらっしゃい」
「ブレンド二つ、お願いするわ」
二人、窓辺の席に座る。しばらくすると抽出されたコーヒーの良い香りが鼻腔をくすぐった。
お客さんは多くない。読書をする人、イヤホンで音楽を聴く人、ケーキに舌鼓を打つ人。まるでここだけ時間の流れがゆっくりであるかのような錯覚に陥るほどの空間だった。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
真っ白な、絵柄のないコーヒーカップ。揺れる水面と湯気が私の心を潤す。
頬に手を当ててこちらを見つめる彼女......感想を期待されているようだ。
いざカップのふちに唇を当てるその時。そういえば、眠気覚まし目的以外でコーヒーを飲むのは久しぶりだ、なんてことを考えた。
「どうかしら。コーヒー好きな先生の、お口に合うと良いのだけれど」
「......うん。美味しいよ」
酸味の少ない、深みのあるコーヒー。思ったより外は寒かったのだろうか?染みゆく暖かさが全身へと広がって行く。
もう少し気の利いた感想が言えたら良かったのだけれど、どうにもそれ以上は出てこなかった。
「それは良かったわ。ここはコーヒーの味も好きだけど、雰囲気が最高なの。この席でブレンドを飲んでいるだけで......アウトローっぽいでしょ?」
そう言いながらアルは小瓶に入った角砂糖を三個ほど、小さいトングで摘んで入れて行く。
その姿が何だか可愛らしくて、自然と口角が上がる。
「あ、今アウトローらしくないって思ったでしょう!」
「ふふっ、ごめん」
ぷんぷんと起こりながらスプーンでコーヒーを混ぜる。溶け切ったのを確認した彼女はカップに口を付けると、目を細める。
「良いのよ。いくら砂糖を入れたって、見た目が変わったりなんかしないんだから」
「見た目は一緒、か......」
それでアルは良いのだろうか。本当に。
そんなことを思ってしまう自分が何となくいやに感じて、苦みがそれを流してくれるのを期待する。しばらく流れた沈黙を破って、彼女は困ったように笑いながら呟いた。
「ねえ、今日の私、あんまりアウトローじゃなかったでしょう」
突然のことに、私はまた満足に言葉を返せない。彼女のそんな言葉を聞いたのは初めてだった。
「最初はアンティークショップに行ったけど。そのあとはカヨコの猫を追いかけたり、ハルカの雑草を見にいったり、パーティーグッズを眺めたり。今はこうして、砂糖たっぷりのコーヒーで見せかけのアウトローをしているのよ」
「それは、でも——」
確かにアウトローじゃない。でもそれはアルの大切にして欲しい個性で。
君の描く未来図とはかけ離れているだなんて、口が裂けても言いたくない。
「ねえ。先生は今日、先生できたかしら」
「っ......」
私が、先生をできたか。
その答えは一つしかなかった。シャーレのドアプレートをひっくり返したその時から。
「......出来てなかったかな。今日のニュースは見た?」
「ええ。ミレニアムもトリニティも大変そうじゃない?ゲヘナは——今日は平和だったわね。爆発してるだけだったわ」
そうだ。きっとユウカもナギサも、みんな苦労をしているはずだ。私はどうしてか今日、変な言い訳を付けてどこにも行こうとはしなかった。アロナだって居るのだから、護衛も何とかなるはずなのに。
「ごめん。何だか情けない姿を見せているね」
「違うわ!その、そんなことを言いたいんじゃないの」
彼女は手元のコーヒーに目を落として、絞り出すように話す。
「今日先生に会った時、どうしてここに居るんだろうって思ったわ。ニュースを見ていたから。それで、ここであんまり先生らしくない先生を見つけて。それが私は......その、ちょっと嬉しかったのよ」
嬉しかった。それは、どういう意味なんだろう。
「私はアウトローだけど、一人じゃないわ。社員のみんなが居るから、今日みたいな半端なアウトローになる日だってある。先生は、先生じゃない日はある?」
「私が、先生じゃない日......?」
そんなことは考えたこともなかった。
そりゃ、大学生や高校生だった日はあるけれど、そういった意味ではないはずだ。
「今日は何だか面倒だな、とか。気晴らしにどこか遊びに行きたいな、とか。先生は多分。生徒にはそんな一面見せないでしょう?でも絶対あると思うの、人だもの」
「それは、そうかもしれないけど」
それが今日だと、彼女は言っているのだろうか。しかしそれは、先生が生徒に見せるべき背中なのか?
「先生は責任感が強いから、多分そう思うこと自体が嫌で、こんなに暗い顔をしているのね」
もう一度。彼女に頬を撫でられる。
その手のぬくもりは、カップに触れていたから......それだけではない気がした。
「先生。きっとそんな先生も必要よ。この砂糖が沢山入った、一杯のアウトローだって」
そう言って彼女は、角砂糖を一つ。私の手元にあるコーヒーに落とした。
「どう?」
「......甘いね、でも」
木漏れ日と、飲み慣れないコーヒーと、穏やかに微笑む彼女。不思議な充足感が私を満たしていく。
「たまには悪くない、かもね」
「良かった」
*
喫茶店を出て街路を戻ると、たい焼き屋で立ち昇っていた煙はすっかり消え失せていた。
「粒あんも悪くねぇな」
「こしあんもまあ、いんじゃねーの」
不貞腐れた少女が二人、店前のベンチでたい焼きを頬張っているのが見える。
「あんたら!休憩したらちゃんと壊した分働くんだよ!」
「ひぃ!」「すんません!」
どうやら私たちが喫茶店で過ごしているうちに、一件落着したようだ。
「大概の問題はコーヒーを一杯飲んでいる間に解決するって、なんか誰かが言ってたわ!」
「ちょっと違うけど。まあ、そうだね......」
文句を言いながら店に片付けをする少女たちを横目に、私たちは帰路に着く。そしてあっという間に、私たちが出会った場所まで戻ってきた。
「じゃあ私はあっち。思いがけず楽しかったわ、先生」
「うん。今日はありがとうね、アル」
言葉にするのが難しいけれど、今日は彼女にとっても大切なものを貰った気がする。私は未熟な先生で、生徒に教えて貰ってばっかりだ。
踵を返したアルは立ち止まり、背を向けたまま語る。
「ねえ先生。さっきの二人みたいに、私たちはきっと何とかするわ。ミレニアムもトリニティも」
「そう、だね」
そうだ。私はみんなの可能性を知っている。どんな困難もきっと、手を取り合って乗り越えていけると。
私が今日抱えていた気持ちは、結局はっきりとはしなかった。先生をするのが疲れた?生徒を信じ切れていない?生徒が生徒自身で解決していく姿が、寂しく思えた?
きっとどれも違って、どれも少し合っていて。そんな私が顔を覗かせたのが、どうしようもなく嫌だったのかもしれない。
「もし先生がまた少し先生じゃなくなって、そんな自分が嫌になったら、いつでも私を呼んでちょうだい!」
「アル......」
夕日を背に振り返った彼女は、その光に負けない笑顔を湛えている。
「また、アウトロー散歩に付き合ってもらうわ。先生の道を半歩だけはみ出た、先生のアウトロー!」
私のアウトロー。彼女が必要だと言う、隠れた私。
「そうするよ。次会うときは、頼れる先生でいるけどね」
「ええ、期待しているわ!わたしも次は、パーフェクトなアウトローっぷりを見せてあげる!」
そうして今度こそ去っていく彼女。その姿が見えなくなるまで見送る。
ふと振動を感じてタブレットを取り出すと、メッセージが一つ届いていた。
『先生。来週の社長の誕生日会、忘れずに来て。私たちは今日プレゼントを買ってあるから』
返事をして、今しがた通った道を戻る。前を通った時にまだ店が開いているのは確認済みだ。
何を送るか悩んでいたけど、あれにしよう。
「コーヒーミルを引っ張り出してきて、良い豆も買おう。それから」
昼間とはずいぶん違う足取りで、夕焼けの街を歩く。
生徒と先生。それとは関係なく、私も知らない私を彼女が見つけてくれた。そのことが――
「角砂糖も、ね」
たまらなく嬉しいと、感じたのだった。
アルと先生の、アウトローさんぽ
おわり。