とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第163話 脳破壊される側視点 パート23

 あたしの名前は羽田朝香。

 やっと、進むべき道を見つけた天才女優だ。

 

 屋上へ続く階段を上りながら、心臓がずっと跳ね回っていた。

 

「ねぇ、屋上って施錠されてるんじゃないの」

「どうやら忍び込めるらしいぞ」

「見つかったら怒られるじゃない」

 

 こんな悪戯めいた提案、翼にしては珍しい。

 だからこそ、内心ワクワクもしていた。

 

 扉が開くと、夕暮れの空が広がっていた。

 オレンジと紫が混ざり合った空の下に、街が広がっている。

 遠くのビルが、夕日を反射して光っていた。

 

「綺麗……」

 

 こんなに綺麗な景色を、落ち着いた気持ちで見たのは久しぶりだった。

 いつもは撮影の合間、忙しなく空を見上げる程度だったのに。

 

「さて、朝香の青春の総仕上げといくか」

「どういうこと?」

「演ろうぜ、ここで。俺たちが主演の演劇をさ」

 

 その提案に、胸の奥が跳ねた。

 芝居はあたしにとって、生きることそのものだ。

 普通の青春を知りたいと願って、ここ最近は頑張ってきた。

 

 だけど、あたしという人間は、結局のところ芝居にしか生きられない。

 それを知っている翼が、この場所で、この提案をしてくれた。

 

「俺たちにセットは必要ない。身ひとつあれば十分だ」

「そうね。台本も頭にまるっと入ってるもの」

 

 抑えきれない笑みが零れる。

 

「えっと……あっ、そうだ! それなら、師匠に成果報告したいから動画で撮ってもいい?」

 

 咄嗟に、そんな言い訳が口から出た。

 本当は、この瞬間を記録に残しておきたかっただけだ。

 師匠への報告は後付けの理由だった。

 

「千三郎さんに、いい報告ができるといいな」

「そ、そうね!」

 

 スマホをセットしながら、あたしは決めていた。

 今日、この場所で翼に想いを伝える。

 

 風が吹いて、髪が揺れた。

 その瞬間、あたしは朝香から累へと切り替わる。

 

「帰還命令がくだったの」

 

 手を夕焼けにかざす。

 

「任務は、もう終わり。ここでの生活も……」

 

 翼が剛志として一歩踏み出してくる。

 その気配だけで、体温が変わったのがわかった。

 

「なあ、累。本当に、それでいいのかよ」

「いいも悪いも、決められたことだから」

 

 感情を殺した声を出しながら、あたしの中では別のことを考えていた。

 このまま台本通りに進めば、累は剛志と恋仲にはならず、千代を交えた友情物語で終わる。

 

 いや、本来はそうであるべきだ。

 だけど、今日は少しだけ台本()を外れてもいいはずだ。

 

「わたしは、任務のために来た。それ以上でも、それ以下でもない」

「じゃあ、聞くけどさ」

 

 翼が目の前に立つ。

 

「お前が本当にここにいたい理由、まだ一回も言ってねぇじゃんか」

 

 心臓が、また跳ねる。

 この人は、いつだって、あたしが一番欲しい言葉をくれる。

 

「……理由なんて、感情の話でしょう。感情は、解析できない」

 

 目を逸らそうとしても、逸らせなかった。

 

「解析できなくてもいいだろ」

 

 翼があたしの手を取った。

 自分の指先が震えているのが、わかってしまった。

 

「わかんないまま、隣にいたいって思うことだって、あるだろ」

 

 沈黙が落ちる。

 風が、二人の間を通り抜けていく。

 

 ここだ。

 あたしは、決めていた台詞の続きを、頭の中でもう一度なぞる。

 

 台本にはなかった言葉を、ここで足す。

 累としてではなく、田中朝香として、伝える。

 

「わたしは……」

 

 声が、自然と揺れた。

 演技のための揺れなのか、本物の揺れなのか、自分でも区別がつかなかった。

 

「わたしは、ずっと、あなたの隣にいたかった」

 

 言葉が堰を切ったように出てくる。

 

「任務のためじゃない。報告のためでもない。ただ、あなたの隣で、あなたが笑うのを見ていたかった。それだけだった」

 

 これは、あたしの本心だ。

 累の台詞を借りて、あたしは今、翼に本物の感情を伝えている。

 

「理解できなくてもいい。感情の名前がわからなくてもいい」

 

 翼の目を、まっすぐ見据えた。

 

「ただ、これだけは、わかる」

 

 風が止んだ。

 夕焼けの色が、二人を橙に染めている。

 

「これが、あたしの気持ちだから」

 

 あたしは背伸びをして翼の唇に、そっと自分の唇を重ねた。

 

 これは、台本にはなかった行動。

 あたしが、今この瞬間に付け足したアレンジ。

 田中朝香としての、精一杯のアドリブだった。

 

 唇を離すと、顔が熱くなっていくのがわかった。

 どんな顔をしていいかわからない。

 

 だけど、これであたしの気持ちは伝わったはずだ。

 

「……さすが、朝香だな」

 

 その声に、心臓が跳ねた。

 翼が、この気持ちを、受け取ってくれた。

 

「演技には妥協しないのは相変わらずだ」

「んん?」

 

 想定外の言葉に、変な声が漏れた。

 

「見てもない初期の台本通り、ちゃんとキスシーンまでやるとは思わなかった。やっぱり、朝香の背中はまだ遠いな」

 

 元の、台本、通り。

 カットされる前の台本には、ラストにキスシーンがあったって……こと?

 

 丸代ぉぉぉぉぉぉ! 何してくれてんのぉぉぉぉぉぉ!

 

 というか、同級生にキスシーンやらせようとするとかイカレてんのか!

 しかも、あの子は翼を好きなはずなのに、自ら脳破壊されに行くとかバカじゃないの!?

 

 とにもかくにも、翼は元の台本を知っていた。

 だから今のキスを、あたしのアドリブではなく、丸ごと台本通りの演技だと思っている。

 

 伝わっていない。

 あたしの気持ちが、まったく伝わっていない。

 

「み゛!?」

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