とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第58話 デートで役作り

 学校も仕事もない、完全オフの土曜日だった。

 朝、スマホを開くと梨夢からメッセージが来ていた。

 

[梨夢:バッサー! 今日暇? 動物園行かない? あーし一人だとさみしいんだよね~]

 

 役作りで頭が埋まり始めていたところだった。

 気分転換にはちょうどいい。

 承諾の返信を送ると、すぐに既読がついてスタンプが飛んできた。

 

 当日。

 待ち合わせ場所の改札を抜けると、梨夢の弾んだ声が聞こえた。

 

「おまたせー! バッサ――」

 

 その声が途中で途切れた。

 人の流れの向こうで、梨夢の足がぴたりと止まる。

 視線がまっすぐこちらに刺さって、そのまま動かない。

 

「誰ぇ……?」

「俺だ」

「バッサー、なの?」

 

 戸惑いを含んだ呼び方だった。

 距離を測りかねているのがわかる。

 視線が上下に往復する。

 肩口、腰、足元までなぞってから、もう一度顔に戻る。

 

「な、なんで、女の子なの?」

「対策だ。中途半端に変装するほうが目立つ」

「いや、理屈はわかるけど……」

 

 言葉が続かないらしい。

 梨夢の視線だけがまだ落ち着かない。

 

「なんかダメだったか?」

「ダメじゃない、けど」

 

 言い切らないまま、唇を引き結ぶ。

 小さく息を吸って、吐いた。

 

「あーしより、かわいい……」

「そうか?」

「そうだよ!」

 

 声が跳ねて、すぐに抑え込まれる。

 周囲に意識を向けて、肩をすくめた。

 

「うぅ……イケメンは女装したら美女確定じゃんか」

「メイクの技術もあるけどな」

 

 梨夢はしばらく黙っていた。

 視線が横に流れて、また戻ってくる。

 それから声のトーンが微妙に落ちた。

 

「……今日、誘ったのは、ほら、最近バッサー忙しいじゃん? 気分転換なればいいなぁって思って、さ」

「だとしたら本当にちょうど良かったぞ。助かった」

 

 少し間があった。

 

「……そっか」

 

 口元がわずかに緩んでいた。

 それから動物園の入口をくぐると、空気が変わった。

 土と飼料の匂いが混じって、都会の匂いが薄まる。

 

「どこ行く?」

「梨夢が行きたいとこに付き合うよ」

「え、いいの?」

「誘ってもらった側だしな」

 

 梨夢はしばらく迷ってから、小さく手を挙げた。

 

「じゃあ……フラミンゴ! なんか映えそうだから!」

「……そんなに映えるか、フラミンゴ?」

 

 フラミンゴのエリアでは、梨夢がスマホを構えてあれこれ角度を試していた。

 何枚か撮っては確認して、また構える。

 

 その間、俺は柵の外から眺めていた。

 フラミンゴは水の中に足を突っ込んで、ほとんど動かない。

 たまに首を曲げて羽の中に顔を埋める。

 見ていると妙に落ち着く動きだ。

 

「撮れた撮れた! めっちゃ映える!」

 

 梨夢が嬉しそうに画面を見せてくる。

 確かにいい角度で撮れていた。

 

 そのまま二人でぶらぶらと園内を歩いた。

 キリンのエリアで梨夢が写真を撮り、売店でソフトクリームを買い、トラの檻の前で立ち止まった。

 

 頭の中は、ほとんど空になっていた。

 役作りのことも、台本のことも、どこかに行っていた。

 梨夢のペースで歩いているだけで、気持ちがリセットされていく。

 園の中央に差し掛かったとき、ふと視界の端に岩場が映った。

 

「猿、か……」

 

 猿山だった。

 柵の向こう、堀で囲まれた空間に岩場が広がっていて、そこに散らばるようにニホンザルがいる。

 自然に足が止まる。

 

「石から生まれた石猿……」

 

 脳裏に、台本の一場面が浮かんだ。

 石の中から生まれて、最初に世界を見たとき、孫悟空はどう動いていたんだろう。

 生まれたばかりの悟空は、今目の前にいる猿たちと同じように動いていたんだろうか。

 

 猿山の中に、立っている個体は少ない。

 大半が四足か、岩に腰を落としている。

 二足になる瞬間はあるが、すぐに前へ傾く。

 背筋で支える立ち方ではなく、重さの置き方が違う。

 

 岩をつかむとき、餌を拾うとき、指が大きく開く。

 握り込むより、面で押さえる感じだ。

 

「なんか、お猿さん見てる顔が怖いよ、バッサー」

 

 梨夢が柵に腕を預けながら言った。

 

「お猿さんって、あーしらと仲良くなる前のバッサーみたいだね」

 

 その一言に、目が止まった。

 

「……その心は?」

「目の感じ。なんていうか、何も映してないみたいな」

 

 梨夢はそれ以上続けなかった。

 

「何も、映していないか……」

 

 もう一度、岩の上の個体を見る。

  動物特有の無機質な目。

 

 人と関わる前の悟空は、きっとこの目をしていた。

 何も映さない目で、ただ世界を見ていた。

 その悟空が、三蔵法師と出会って変わっていく。

 

「助かった」

「え? 何が?」

 

 梨夢が首を傾げる。

 心当たりがなさそうな顔だった。

 

 もう一度だけ、猿山を見た。

 さっきと同じ景色なのに、少し違って見えた。

 

 三蔵法師と出会って、旅が始まる。

 その積み重なりの中で、悟空の目に何かが宿っていく。

 変化を外側から作れれば、三つの輪の重なりに近づけるはずだ。

 

 そこまで考えて、胸の奥で何かがつっかえた。

 わかっている、起点は掴めた。

 外側から作るべき形も、見えてきた気がする。

 

 それだけで孫悟空という役の重さに耐えられるのか。

 主役として、顔合わせまで時間がない。

 その焦りが、せっかく掴みかけた答えを手放させようとしていた。

 

「バッサー、どこ行くの?」

 

 梨夢の声で我に返る。

 いつの間にか、猿山から離れる方向に歩き出していたらしい。

 

「悪い。ぼーっとしてた」

「またお仕事のこと考えてた?」

「まあな」

「オフくらい頭空っぽにしなよー」

 

 梨夢は膨れっ面をしてから、また歩き出した。

 その背中を追いながら、さっきまで頭の中にあったものを取り戻そうとあがいた。

 

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