昼休みの教室は、あちこちで声が重なっていた。
窓際の席に腰を落として、開いたままのノートにペンを走らせる。
頭の中が別のところにあったせいで、文字は半分くらいで止まっていた。
「……猿の動き、リアル寄りだと違うんだよなぁ」
猿の瞳。
三蔵法師と出会う前の悟空の雰囲気を作ることには成功した。
問題は、現在の悟空だ。
三蔵法師に同行してからの悟空は合理的でクールよりの性格だ。
しかし、視聴者層のことを考えると、もっと子供にわかりやすいキャラクターが求められているはず。
監督や脚本家もその辺は承知の上で、新しい西遊記に挑戦したいという意図が見える。
つまり、クールで合理的な新しい悟空でありながら、従来のバカで暴れん坊だけど良い奴でカッコイイという一面も見えなければいけない。
……あの二人はいいものは作るけど、役者の力を信じて丸投げするからこっちの負担もエグイんだよな。
「難しすぎるだろ……」
頭を抱えていると、廊下側の扉が開いて、郁が入ってきた。
何人かに手を振りながら、自分の席には向かわず、そのままこちらへ歩いてくる。
「翼君が考えごとしてるなんて珍しいですね」
机の横に立って、顔を覗き込んでくる。
俺の指導の賜物か、あざとい仕草も自然と馴染んでいた。
「ボーッとしてただけだ」
「ふぅん。私にはそうは見えないですけど」
向かいの椅子を引いて座ると、頬を軽く手で支えた。
「翼君って、ボーッとしてるときはもっとこう、虚無な顔しますよね。今は真剣に悩んでるように見えます」
「大差ないだろ」
「大差ありますよ。考えごとしてる翼君は眉間にシワが寄りますから」
人間観察力が身についたのか、細かいところをよく見ている。
「次の仕事の役作りを考えてた。守秘義務があるから詳しくは言えないんだが、動物的な動きを取り入れる必要がある役でな」
「動物的な、ですか」
「昨日、動物園で猿を観察してきたんだけど、動きをそのまま持ってくるとキャラとして成立しない気がしてる。本物の動きをなぞっても物真似になるだけだし、かといってそのまま人間として動くだけじゃ足りない。記号みたいなものが欲しい」
「記号みたいなもの、ですか」
郁はしばらく黙って、指先で机を軽く叩いた。
一定のリズムを刻んで、途中でぴたりと止める。
「逆にすればいいんじゃないですか。本物に寄せるのをやめる、ということです」
「逆?」
言いながら、郁は姿勢を正した。
それからわざと肩を落として、首を傾ける。
角度がやや過剰で、意図の見える動き方だった。
「翼君も表情や仕草はわざとらしいくらいがちょうどいいって言いましたよね。あれって、見る側が角度とか大きさで判断するから、リアルに寄せすぎると逆に伝わらなくなるってことですよね?」
言われてみると、確かに自分が言ったことだった。
「猿の動きも同じだと思います。本格的な動きをやったって、見る側はそこまで求めてないんじゃないですか。パブリックイメージの猿らしさ、みたいな」
「パブリックイメージの猿ねぇ」
「掛け声がウッキーだったり、とか?」
昨日の猿山で見た動きを頭の中で並べてみる。
着地の処理、前に流れる重心、顔ごと向ける目線。
全部を持ってくる必要はない。
「記号的な猿らしさ。それを表現できれば、もっと……」
ウッキーはさすがに、露骨すぎる。
アッキャーぐらいに叫び声と鳴き声の中間ぐらいのニュアンスに調整する。
頭の中で映像を再生してみれば、如意棒を敵に振るって叫ぶ悟空の姿が浮かぶ。
会話パートのクールさから一転、アクションパートで荒々しさを出す。
そのギャップを自然に演出するなら、一話の脚本は内容的にも暴れん坊の過去が出るから最適だ。
「……これは、いける。いけるかもしれないな……」
「ふふっ、それじゃあ、私は行きますね」
思考の海に沈んでいると、郁はそのまま自分の席に戻っていく。
「郁。ありがとな」
「どういたしまして」
郁は席に戻りながら、軽く手を振る。
さっきの動きをもう一度頭の中でなぞる。
幻影のようにぼんやりとしていた孫悟空が、形を得た気がした。
その手応えが固まりきる前に、別の感覚が追いかけてきた。
頭ではわかっている。
記号的な猿らしさを外側から積み上げて、感情を後から乗せる。
郁の言っていることも、猿山で掴んだものも、全部同じ方向を指している。
だが、孫悟空は主役だ。
プライベート・AIの下村翼とはスケールが違う。
あのときは一話限りの特別出演で、感情と役が地続きだったから成立した。
同じやり方で、全話を通して孫悟空を支えきれるのか。
答えは出ている。
それを信じるだけの根拠が、まだ俺の中にない。