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波長を異にする其の朱は、大気中の塵埃と火成活動による噴出物によって異常な屈折を繰り返し、現世の色彩体系を根底から
轟音を伴にして侵攻を続ける呉爾羅の進路は、揺るがぬまま其の方向を南東へと向け続けていた。
阿蘇外輪・根子岳の北側より槻御輿村へと侵攻を果たした其れの様相は、世態を逸脱した異様な光景となって、世界に翻案されている。
其の歩行は、地殻に対する単純な物理的接触ではなく、質量そのものが時空を圧壊させる、不連続な空間移動の集積に等しい。
「間に合いますか?」
「あたぼうよ、此処まで来たからにゃ健脚競いで負けるかっての」
那が凱に問うと、凱は意気盛んに言葉を返した。
セダン車の排気音が、威勢よく鳴り響く。
伊藤は、オクヤスから譲り受けた双眼鏡で、呉爾羅の周辺に位置する地域の様子を注視している。
「…歪曲、してる…っ」
彼女の瞳に先ず映ったのは、文字通りの『空間の歪みによる副作用』であった。
木々は、中央を起点としてぐにゃりと歪んでいる。
其れは成長の歪みではなく、空間座標の捩れによる強制的な
呉爾羅より数百メートル以内に座する鉄塔や電柱は、内部の分子結合が液状化し、飴細工のように折れ曲がるようにして、其の象を異質に歪ませていた。
物質が、其の本来保持すべき剛性を喪失し、高次の干渉によって形状を再定義されている。
「存在、其のものが…っ、第零次元にっ、一番、近いっ、存在…っ」
伊藤は、呉爾羅に対する畏敬にも近い念を、ふたたび露呈させた。
其の時であった。
呉爾羅の進路より数キロほど離れた、高台に位置する地点から──眩い光が当てられた。
「あっ…!」
サーチライト。
其の巨躯の全容を暴く為に、槻御輿村の村民が──或いは、防災組織が照らしつけたのか。
闇を切り裂く強力な収束光が、呉爾羅のケロイド状の皮膚を白々と浮き上がらせる。
「だ、だめ…っ!」
伊藤は其の光を視認するや否や、其の喉元から咄嗟に、声が、言葉がついて出る。
「…ご、呉爾羅にっ、光を…当てちゃ、だめっ…」
「何故、駄目なのですか」
那が訊くと、伊藤は震える声で呟きを漏らした。
「お、『おもいだす』…から…っ」
瞬時、である。
呉爾羅の眼窩に其の光が当てられた瞬間、呉爾羅は僅かに
「く、苦しんで…?」
オクヤスが其の様子を見て、つぶやく。
其の時であった。
呉爾羅の長大な尾がたなびき、周囲区画の村落へと牙を向かんと、其れを
圧倒的な質量が、のたうつようにその場を切り裂くようにして、破壊、破壊、破壊──
瓦礫、建造物の柱、或いは粉砕された電柱の欠片が、呉爾羅の脚元で飛び散っていく姿が見える。
其れは生物としての反撃というよりは、世界という系のバグを排除しようとする、無機質な
サーチライトを照らしていた高台は、其の衝撃波の奔流を浴び──其の光を、消失させた。
「っ、あ……っ」
伊藤は、再三、喘鳴を漏らした。
自らの手引きした怪物が、此れ以上──人を、殺める姿を見ることは、如何せん彼女の深層心理を、混迷に掻き乱していた。
呉爾羅は、光を浴びた瞬間に激しい怒りを露呈させた。
何故であるか。
那は、其れを思わず思案する。
呉爾羅のルーツ──第零次元で進化を繰り返す前の、元の世界に存在した肉体。
其の中にある潜在的な『光』に対する恐怖が、今なお、彼れの中に根付いているとしたら。
考えられる其の事由は、何か。
かつて、其れの肉体を焼き、世界を灰にした
過去という名の呪縛。
高次へと進化した今なお、其れが其の細胞の記憶に刻印されているのか。
「彼れは……何に怒っている」
那の疑問は、水泡のように場に弾けた。
呉爾羅の侵攻は、もはや止まらない。
破壊の軌跡を槻御輿村の皮膚に刻みながら、巨躯は確実に上色見神宮へと、其の歩を進めていく。
足音のたびに、現世の理は、確実に剥がれ落ちていくのである。
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