武門の名家に生まれたある官僚の話 ~ 銀河英雄伝説より   作:五色鍋

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第九章 新帝国の夜明け

帝国暦四九〇年五月二十五日。宇宙の歴史を塗り替えた「神々の黄昏(ラグナロック)」作戦が終結し、銀河帝国と自由惑星同盟との間に「バーラトの和約」が締結された。

 

全銀河の覇権を握ったラインハルト・フォン・ローエングラム公爵は、凱旋の途につき、帝都オーディンに帰還した。彼が皇帝として即位し、銀河帝国ローエングラム朝が成立するのは、もはや時間の問題であった。

 

この巨大な歴史のうねりの陰で、ヨアヒム・フォン・ミュッケンベルガーが心血を注いできた「もう一つの戦い」も、一つの節目を迎えようとしていた。

 

宰相府主導で進められていた「社会経済再建計画」が、ついに正式な策定を終えたのだ。それは、新帝国の成立と同時に、税法、民法、行政法といった各種法律として公布されることが決定していた。かつての貴族特権を根底から覆すこの法体系は、準備のない者たちにとって破産宣告となりかねないが、ヨアヒムの手元の計算表は、辛うじて「生存」の数字を弾き出していた。

 

兄エーリッヒは、すでに予告通り軍を去っていた。

「誇りだけでは飯は食えんからな。お前の言う通りにしてみるよ」

そう言い残して家族とともに義父の領地(まもなく「私有地」と呼ばれることになる惑星)へと旅立った兄は、慣れない手つきで現地の開発事業に携わっているという。人事局で腐っていた頃よりも、送られてくる通信文にはどこか活力が宿っているように見えた。

 

義父のオーケストラの法人化、妹一家の資産管理会社の設立、そして各親族の法的手続き。ヨアヒムは、財務省の激務の合間を縫って、それらすべての帳尻を合わせた。新法の公布を目前に控え、ようやく全てのパズルが埋まったことに、ヨアヒムは深い安堵を覚えていた。

 

「……これで、嵐の第一波は凌げたかな」

 

深夜の書斎、ヨアヒムは窓の外を見上げた。

オーディンの夜空は、かつてないほどに静まり返っている。だが、その静寂の向こう側には、新しい皇帝がもたらすであろう「法の下の平等」という名の、平等で、しかし冷酷なまでの実力主義の世界が広がっている。

 

「ヨアヒム、まだ起きていらしたの?」

 

寝室から出てきたテレーゼが、静かに声をかけた。その腕には、安らかな寝息を立てる生まれたばかりのフリッツが抱かれている。

 

「ああ。法律の最終稿をチェックしていたんだ。これで準備は整った。数日後には、新しい帝国の役人として、また忙しくなるよ」

 

ヨアヒムは立ち上がり、妻と子の元へ歩み寄った。

これからは「ミュッケンベルガー元帥の息子」という看板は、以前のような重みを持たなくなるだろう。官僚としての実力と、家系という名の組織をいかに合理的に運営できるか。それだけが問われる時代が来る。

 

「新しい時代になりますのね」

 

「ああ。だが、恐れることはない。数字は嘘をつかないし、僕たちがやるべきことも変わらない。ただ、家族を守り、誠実に職務を果たすだけだ」

 

新銀河帝国ローエングラム朝。その黎明の光は、古き名家の末裔である彼の上にも、平等に降り注ごうとしていた。

 

 

帝国暦四九〇年六月二十二日。この日、銀河の歴史は五百年にわたるゴールデンバウム朝の支配に終止符を打ち、新皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムによる新たな時代へと足を踏み出した。

 

新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の「黒真珠の間」で行われる即位式。そこに出席を許された文官は一部の高官に限られていた。それ以外の官吏たちにとって、この日は歴史の目撃者となるための、華やかな祝日となった。

 

ヨアヒム・フォン・ミュッケンベルガーは、自宅のリビングでテレーゼと共に、立体テレビジョンの中継映像を見つめていた。傍らではハイディが、空間に浮かび上がる煌びやかな軍服の群れを珍しそうに眺め、テレーゼの膝の上では幼いフリッツが安らかな寝息を立てている。

 

映像の中、若き天才が入場し、全銀河の支配者としての第一歩を踏み出そうとしていた。

(これから、本当に新しい世界が始まるのだな……)

ヨアヒムは、その光景をどこか冷徹な官僚の眼で見つめながらも、胸の奥に湧き上がる言い知れぬ高揚感を否定できなかった。

 

同じ頃、オーディン郊外のミュッケンベルガー退役元帥の屋敷でも、立体テレビジョンが式の始まりを告げるファンファーレを響かせていた。だが、式典が最高潮を迎えようとする直前、ソファに深く腰掛けていた元帥が、唐突に立ち上がった。

 

「あなた、どちらへ?」

夫人が怪訝そうに尋ねた。画面の中では、ラインハルトが入場し、玉座に向かって歩いている。

 

「ちょっとな……。すぐに戻る」

元帥はそれだけ言い残すと、上着を手に取り、静かに家を出た。

 

元帥が向かったのは、屋敷の裏手にある、ミュッケンベルガー家の歴代当主が眠る墓地だった。

木々に囲まれたそこには、ゴールデンバウム朝の五世紀を軍人として支えてきた先祖たちの墓碑が、苔むした姿で整然と並んでいる。

 

元帥は、その墓標たちの前に立ち尽くした。

軍靴の音も、万歳の叫びも、ここでは届かない。ただ、初夏の微風が梢を揺らす音だけが、老将の耳に届いていた。

 

「……父上、先々代、そして歴代のご当主」

元帥は、声に出さずに心の中で語りかけた。

「五百年の月日が、今日、終わりました。我ら一族が盾となって守り続けてきた王朝は、今、その主を失いました」

 

元帥の脳裏には、宇宙艦隊司令長官としてラインハルトと対峙したあの日々や、滅びゆく王朝を見送った自身の決断が、走馬灯のように駆け巡っていた。

ミュッケンベルガーという名は、ゴールデンバウム朝の栄光と密接に結びついていた。その王朝が消滅する今、一族の「存在理由」もまた、ひとつの死を迎えたと言えるのかもしれない。

 

だが、元帥の表情に悲哀はなかった。

「あいつは……ヨアヒムは、新しい時代に適したやり方で、この家を繋ごうとしています。軍服を脱いだエーリッヒもまた、自分の足で土を踏み、明日を見ようとしています。……どうか、許してくだされ」

 

元帥は、腰を折って静かに一礼した。

墓碑の陰から、一羽の鳥が羽ばたいていった。それはまるで、古き重力から解放された魂のようにも見えた。

 

しばらくして、元帥が屋敷に戻ると、立体テレビジョンの中継はすでに終了していた。 「終わりましたわ。新しい皇帝陛下の誕生です。……あなた、少し晴れ晴れとしたお顔になられましたね」

 

夫人の言葉に、元帥はただ短く「そうか」とだけ答え、再び椅子に腰を下ろした。

その手には、どこからか拾ってきたのか、古びた勲章ではなく、庭に咲いた名もなき小さな花が一輪、握りしめられていた。

 

新銀河帝国ローエングラム朝。その最初の日は、こうしてそれぞれの場所で、それぞれの祈りと共に過ぎていった。

 




この物語はとりあえずここまでとなります。
お読みいただき、ありがとうございました。
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