機動戦士ガンダム 木星の深淵 シロッコの亡霊とジュドー・アーシタ 王女ベルナデットの木星戦記 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
宇宙世紀0136年。
父、クラックス・ドゥガチという巨大な重力から解放されてなお、木星の鉛色の空が晴れることはなかった。指導者を失った喪失感は、ある者たちの中であまりにも歪んだ「信仰」へと変質していたのである。
「テテニス様、緊急通信です! 第9居住区の動力センターが、武装集団によって占拠されました。彼らは……自らを『真・木星帝国』と名乗っています」
側近の報告を聞きながら、私は冷え切った指先で操縦桿を握り締めた。土も、緑も、本当の太陽光もないこの鉄の揺籃で、人々は狂気に縋ることでしか、自らの存在を証明できないのか。
「神の雷はまだ落ちていない! 総統の意志を継ぐ我々こそが、地球という名の傲慢を焼き払うのだ!」
通信回線から流れ込んでくるのは、父の声に似た、実体のない亡霊の怒号。彼らが崇めるのは、私が殺した独裁者の偶像だ。私が守ろうとしている民が、私が否定した過去を神格化し、再び銃を取る。その皮肉に、胸の奥が焼けるように熱くなった。
「ジュドー、ルー。……私が行きます。これは、私自身の決着です」
「……わかってるよ。だが、あんまり気負いすぎるな。魂を圧搾する万力に、自分から飛び込む必要はねえんだ」
ジュドー……グレイ・ストークの声が、ノイズ混じりに響く。彼は継ぎ接ぎだらけの愛機「ガンプ」で後方に控え、私の背中を見守ってくれている。ルーもまた、居住区の防衛にあたりながら、鋭い視線を戦場へと向けていた。
私は、愛機バタラのブースターを点火した。加速Gが骨を軋ませる中、動力センターの闇で待ち構えていたのは、旧帝国軍の残党機ゾンド・ゲーだった。
「裏切り者の王女め! 貴様さえいなければ、総統の神の雷は地球を焼き払っていたものを!」
通信回線に叩きつけられる憎悪。私はバタラのビーム・サーベルを引き抜き、その攻撃を真っ向から受け止めた。
「お父様はもういない! 彼が愛したのはあなたたちではない。地球を妬み、憎んだ、彼自身の孤独だけだった! 目を覚ましなさい!」
激突する火花の中で、私はかつての戦友たちの顔を思い浮かべる。
シーブック……あなたは今、愛する人の隣でパンを焼いているだろうか。
トビア……君が信じてくれた「人間」の可能性を、私は今、この絶望的な戦場で見せなければならない。
「サイコミュが……重い……っ!」
敵の殺意が、私の精神を圧搾する。父ドゥガチの幻影が闇の中から手招きする。だがその時、空間に圧倒的な温かさと圧力が満ちた。ジュドーの放つ、太陽のようなプレッシャーだ。
「テテニス! 亡霊の言葉に耳を貸すな! あんたが見るべきなのは、死んだ親父の影じゃない、今を生きてる連中の顔だろうが!」
視界がクリアになる。私はリミッターを解除し、自爆を試みようとするリーダー機へ肉薄した。サーベルを振るのではない。マニピュレーターでその機体を抱きしめるように固定し、サイコミュを最大出力で解放した。
「……もう、いいのよ。すべて私が背負います。あなたの絶望も、父の罪も。だから、生きて……! 木星にリンゴが実る日を、私と一緒に見て!」
祈りに近い脳波が、空間を白く染め上げた。
やがて敵機のカウントダウンは止まり、ハッチから一人の震える男が現れた。
戦闘が終わり、薄暗いハンガーに帰還した私を、ルーが待っていた。
「テテニス。あんた、また少し『木星の女』の顔になったわね」
その煤けた顔には、厳しい現実と、それを乗り越えようとする者の誇りが宿っていた。