名探偵コナン:星の維持者(プレザーバー)と明日への事件録   作:凜々

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第12話:恩讐の彼方に、暁光(ぎょうこう)を待つ

信州の山々が夕闇に溶け、冷たい風が街を吹き抜ける頃。楠木紬と諸伏高明の距離が少しずつ縮まりを見せる一方で、その裏側では歴史の分岐点となる、もう一つの「死」の運命が動き出していた。

 

長野の事件からしばらくして、誠のもとに高明から一本の電話が入った。

「……誠殿。私情を挟む無礼を承知で、一つ、貴殿の耳に貸していただきたい。……警察庁に務める私の弟と、数年前から音信が途絶えているのです。最初は公務の多忙ゆえかと思いましたが……最近、どうにも嫌な予感が、信濃の冷たい風と共に私の胸をざわつかせる」

 

高明のその予感は、論理を超えた兄弟の共鳴だった。誠は即座に、自分たちにしか触れられない「影」のルートを辿り始めた。

 

 

深夜、横浜の大黒埠頭。波の音だけが響く静寂の中、楠木誠は一人、コンテナが並ぶ暗がりに立っていた。

 背後で、空間が爆ぜるような鋭い気配が動く。

 

「……遅かったな、楠木」

 

掠れた、だが刃物のように鋭い声。現れたのは、黒いマントを翻し、冷徹な殺気を纏った男――エドモン・ダンテスであった。彼は現在、ある巨大な「黒の組織」の中に身を置き、その最深部を監視する「復讐者(アヴェンジャー)」としての役割を演じている。

 

「エドモン。君の方から接触してくるとはな」

「笑わせるな。恩讐の果てに待つのは、いつだって救い難い絶望だ。……楠木、貴様が探っている『鼠』……スコッチのことだがな。もう猶予はない」

 

エドモンは手にした煙草の火を、闇の中に投げ捨てた。

「組織の中で、スパイの炙り出しが始まった。奇妙だとは思わんか? 奴の正体が割れたのは、公安内部からの漏洩……内通者の影がある。奴は今夜、廃ビルで始末される。ライ(赤井秀一)の手によってな」

 

誠の瞳に鋭い光が宿る。

「内通者、か。……高明さんの弟さんを、ここで失わせるわけにはいかない」

「フン、ならば走れ。俺が稼げる時間は砂時計の一粒にも満たん。……楠木、貴様が何を成そうと俺は知らんが、あの男を救うなら、世界の理を騙してみせろ」

 

エドモンは黒い雷光を残して闇へと消えた。彼が残した座標は、都内の古い廃ビルを示していた。

 

 

廃ビルの屋上。冷たい月光が、追い詰められた一人の男を照らしていた。

 諸伏景光。組織でのコードネームは「スコッチ」。彼は今、組織のもう一人のスパイである赤井秀一の前で、自らの心臓に銃口を向けていた。

 

「……悪いな赤井。俺には、こうするしかないんだ」

「待て、スコッチ。死ぬ必要はない、君は……」

 

赤井が手を伸ばした瞬間、景光が引き金を引こうとした。

 だが、その弾丸が放たれるコンマ一秒前。

 

――ッシャアッ!

 

目にも止まらぬ速さで、何かが景光の視界を横切った。

「……悪いね。ここは、お前の舞台じゃない」

 

飄々とした声と共に、燕誠也(燕青)が景光の腕を払い、銃弾は虚空へと逸れた。同時に、屋上全体を楠木誠が展開した「幻術の結界」が覆う。

 赤井秀一の目には、景光が自ら心臓を撃ち抜き、鮮血と共に崩れ落ちた光景が「真実」として映し出されていた。

 

「スコッチ……!」

 赤井が倒れ伏した(ように見える)景光に駆け寄る。その背後で、誠也が気絶させた景光を素早く抱き上げた。

 

結界の外。誠は、組織のメンバーに扮して周囲を警戒していた森久保峻(ロビンフッド)に合図を送る。

「死体(ダミー)の配置を。……これで、諸伏景光は表舞台から消えた」

 

 

数時間後。横浜にあるカルデアの「隠れ家」にて。

 柔らかなベッドの上で、景光はゆっくりと目を開けた。肺に残る火薬の匂いと、死を覚悟した瞬間の冷たさが、まだ肌に張り付いている。

 

「……ここは……冥府、か」

「いいえ。死後の世界にしては、少しお茶の味が良すぎるかもしれませんね」

 

傍らで温かい紅茶を淹れていたのは、エプロン姿の守(エミヤ)だった。

 景光は跳ね起きようとしたが、体中の激痛に呻き、再び沈んだ。

 

「動かない方がいい。……お前を救うために、我々の仲間が少しばかり無理をさせたからね」

「……君たちは、誰だ。赤井はどうした。俺は、死んだはずだ……」

 

奥の扉が開き、楠木誠が入ってきた。景光は、その穏やかでありながら底知れぬ威厳を持つ男を見て、直感的に悟った。この男が、自分の運命を曲げた張本人なのだと。

 

「諸伏景光さん。……君の兄上、高明さんから依頼を受けました。君を、連れ戻してほしいと」

「……兄さん、が?」

 

景光の瞳が揺れた。強固な意志で隠していた感情が、家族の名を聞いた瞬間に溢れ出す。

「だが、俺が生きていちゃいけない……。俺のせいで、組織に情報が漏れれば、兄さんや零まで……」

 

「だから、君は『死んだ』ことにしました。組織にとっても、そして君の親友である降谷零さんにとってもね。……今の君は、この世界のどこにも存在しない、亡霊だ」

 

誠は景光の枕元に、高明から預かっていた古いお守りを置いた。

「……皮肉なものだな。君を助けるために、組織の内部にいる『協力者』が命を懸けた。君が死ぬことで救われる命など、この場所には一つもない」

 

景光は震える手でお守りを握りしめた。溢れ出した涙が、真っ白なシーツに染み込んでいく。

「……ありがとう、ございます。……生きて、いいんですね。俺は……」

 

「ああ。これからは、我々と共に戦ってもらう。……君を売った、公安内部の内通者を炙り出すために」

 

 

景光の生存を、唯一知らせなければならない男がいた。

 数日後の深夜。安室透こと降谷零は、指定された都内の高架下で、正体不明の男と対峙していた。

 

「……何の用だ。わざわざこの場所を指定するなんて、よっぽどの用件らしいな」

 降谷の目は、敵意と警戒に満ちている。親友を失った直後の彼は、狂気すら孕んだ鋭さを放っていた。

 

暗闇から現れたのは、誠也だった。

「おい、そう睨むなよ、バーボン。……お前に、一つだけ『届け物』がある」

 

誠也が投げ渡したのは、小さなSDカード。そして、景光が肌身離さず持っていた、血の付いていない(・・・・・・・・・)ギターのピックだった。

 

「な……っ!?」

 降谷の顔色が劇的に変わる。そのピックは、あの日、屋上で血に染まったはずのものだった。

 

「……スコッチは生きている。だが、場所は教えられない。……いいか、よく聞け。奴の正体がバレたのは、お前たちの身内……公安内部に、組織と繋がっている『黒い鼠』がいるからだ」

 

降谷はピックを握りつぶさんばかりの力で握り、誠也を睨みつけた。

「……お前、何者だ。何故それを……」

 

「俺たちは、カルデア。……お前の味方でも、組織の味方でもない。ただ、『あるべき歴史』を守る者だ。……それから、安心しろ。組織の内部にも、俺たちの仲間がいる。名前は言えないが……奴は、お前が思っている以上に、孤独に恩讐と戦っている男だ」

 

誠也はそれだけを言い残し、霧が晴れるように姿を消した。

 

 

カルデア横浜支部。

 景光は「ヒロ」という偽名を与えられ、表向きは誠の探偵助手を務めることになった。

 紬は、お父さんが連れてきた新しい「家族」を温かく迎え入れつつ、高明への手紙にこう書き記した。

 

『お父さんが、探し物を見つけてくれました。……今はまだ、それをお返しすることはできませんが、とても大切に、この横浜で預かっています。いつか、信濃の風が温かくなる頃に、きっと。』

 

リビングでは、景光と誠也が、エドモンから送られてきた公安内部の不自然な資金の流れを分析していた。

「……公安内部の内通者。必ず、俺の手で捕まえてみせる。二度と、仲間を犠牲にさせないために」

 

景光の瞳には、かつての「スコッチ」としての冷徹なプロの目と、諸伏景光としての穏やかだが強い正義の火が、同時に宿っていた。

 

エドモン・ダンテス。赤井秀一。降谷零。そして楠木誠。

 バラバラだった歯車が、一つの巨大な「黒」を打ち砕くために、少しずつ、だが確実に噛み合い始めていた。恩讐の彼方に待つ暁光を、誰もがその手で掴み取るために。

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