葬式に葬列したカールは一人の男の視線を見た。
その瞳に果たして何が映っていたのか。
これはある傷の物語である。
▼本小説は樽見京一郎先生の著作『オルクセン王国史 ~野蛮なオークの国は、如何にして平和なエルフの国を焼き払うに至ったか~』の二次創作作品です。
▼原作は3巻、漫画は6巻まで読了を推奨。また、戦後の話なので戦争の結末が分かってしまいます。気になる方はweb版を読みましょう。物語の主要メンバーは出ませんのでweb版未読でも大丈夫です。
検視の結果、ローターは自死であると判断された。
生きた彼を最後に見たのは行きつけの酒屋の店主だった。彼はローターがいつも頼む火酒をいつもの席でいつものように呑み、日付も変わる頃合いに彼が店を出て行ったのを見届けた。そこでは誰かに絡まれることもなかった。
警察の調べでも誰かと喧嘩したという目撃はなく、彼の体は高所からの打撲以外に怪我はなかった。
代わりに彼の服からは何個もの石が出てきていた。
魔族が自殺することは少ない。
けれど彼は自殺した。
その事実は村人の中でもタブーとなり、カールにとっては抜け難い棘となった。
葬儀には村の誰も彼もが訪れた。
戦場帰りのローターは人付き合いを避けるようになったが、もともとは明るく社交的な性格だった。その頃の彼を惜しみ最近の塞ぎ込んでしまった彼を残念がり、村人たちは彼を偲んだ。その様子からローターがどれだけ愛されていたのか、そんな彼が戦争でこんなにも変わってしまったのかとカールは痛感した。
雨が降る。黒い傘に当たって音を立てている。誰もが息を呑むように、土に埋められるローターの棺を見守った。
居た堪れなくなり、カールは視線を周りの人へと移した。
泣いている婦人。
それに寄り添う彼の両親。
何も分からずに見つめているローターの息子。
静かに面を伏せている参加者たち。
その中の一人がカールの目を引いた。
ハーマンだった。シワが伸ばしきれていない喪服を着ている彼は、いつもの項垂れた姿ではなかった。張り詰めたように背筋を伸ばし、埋められていく彼を、ローターを凝視していた。
その目は見開いているようだった。一心に、一心にその様を刻むように。
カールは思わず戦場を思い出した。あの戦争でハーマンに会ったわけではない。それでも、あのような目をする兵士を何人も見てきた。
今、彼には何が見えているのだろうか。友の埋葬に見えるのか。それとも、塹壕に撃ち倒れた戦友なのか。
ローターの葬儀から数日が経った。その間は喪に服すように静かであったのだが、それは唐突に破られた。
まず朝早くにハーマンの妻が診療所を訪れた。次回の診察はまだ先なのだがと思いながら呼び入れると、思わずカールは叫んでしまった。
「何があったのかね!?」
彼女は幼い我が子を連れてやってきた。いつもと違うのは服は寝巻きのまま、それも乱れに乱れていること。そして目は青く腫れ上がり、ところどころ擦過傷もあるのだ。
最初黙り込んでいたフランシスカは、次第に肩を揺らし、堰を切ったように喋り始めた。
「この数日、彼の調子が悪いようだったのです。夜遅くまで酒を飲み、うわ言を呟いてました。時折叫ぶこともあったのですが、それは前にもあったのです。
ですが今日、私が起きてソファで寝ている彼に声をかけたら」
一度、フランシスカは息を呑む。そして躊躇いながらつづけた。
「……飛び起きて、いきなり殴りつけてきたのです」
「……」
フランシスカは声を詰まらせる。
「何度も何度も。やめて、と言っても彼はやめませんでした。なんとか逃げて、今、ここに来たのです」
カールは絶句した。確かに素行は悪いが、ハーマンは妻を大事にしていると思っていた。そんなことを彼がするとは思えず、しかし、涙を湛えるフランシスカを見てしまえば彼女の言うことが事実であったと証明されるのであった。
背後の看護師が言葉を失う。彼女から動揺が感じ取れた。それは自分の動揺でもあった。
やがて涙は滝のように流れて、嗚咽が混じる。
「もう、あの人とはやっていけません。お酒だけなら我慢できますが、暴力を振るわれては……もし、この子にまで手を挙げられでもしたら……」
我が子を抱きしめるフランシスカに、カールは言葉を失った。
「……まずは、手当てをしましょう」
苦し紛れの一言で、後ろの看護師が処置道具を持ってきた。
フランシスカの傷は見た目ほどの大事さはなく、おそらく数週もすれば消えてなくなるものと思われた。
しかしそれ以上にフランシスカ夫人の傷は深く、処置を終え改めて今後を訪ねると「実家に戻り、離婚します」と言い切った。彼女の実家は隣村でこのまま向かうのだという。
カールはいったんそうするのがいい、けれど離婚は待つべきでは、と声をかけたが彼女には響いてはいない様子だった。
沈鬱な一件目の診察を終え、どうにか気持ちを立て直して仕事を続ける。それでも今日は、仕事の進みが悪いように思われた。心なしかため息の数も多い。
それはなんとか仕事をこなし、ようやく最後の診察を終えて店仕舞いをしようとしたところだった。
「先生!」
慌てた様子で現れたのはハーマンだった。部屋着を着たまま息を上げる彼からはほんのりとアルコールの匂いが漂っていた。
「中へ」
診察室に案内すると、看護師に目配せをした。頷いた彼女は部屋を出た。この先はカール一人の方が良いと判断したからだった。
落ち着かない様子のハーマンに何があったかを訊ねる。
わなわなと、震えながら彼は語り始めた。
「き、今日、起きたら嫁が、置き手紙をして出て行っちまったんだ。もう一緒にいられない、別れるってよう」
「何があったのですか」
そう問うとハーマンは言い淀むように俯き組んだ手をしきりに揉みながら、観念したように言った。
「嫁を、殴っちまったんでさぁ……」
カールはそのまま頷いて聞いた。ゆっくりとだが、ハーマンは続ける。
「ここんところ、ろくに寝付けなくてさ。ちょっとした物音でビクビクしちまうんだ。まるで塹壕みたいに。そこじゃないって頭ではわかっても、体はそうじゃない。少し風が吹いて窓が揺れただけでも「敵か!」って飛び起きちまう。酒瓶を持って威嚇するけど、周りにゃ誰もいねえさ。ようやくここが自分の家だってわかって、また寝ようとしても体が緊張して眠れやしねえ。また酒を飲んで、なんとかうつらうつらするのさ」
ハーマンの瞳には自嘲が、文字通り自ら嘲笑う色があった。勇猛果敢な彼からは考えられない色だった。
「それでさ、今朝、嫁に起こされたのよ。でもその時は嫁だと分からなかった。恐ろしい敵にみえたのさ。ああ、奴らがやってきた!エルフの奴らだ!ガッと酒瓶を担いで、あとはもうしゃにむにだった。ようやく、俺が殴ってたのが嫁だってわかった頃には……」
その先をカールは知っている。ハーマンはへへ、と媚びて笑った。それは彼の持つなけなしの何かを守るようでもあった。
「もうさ、どうすりゃいいか分かんなくてよ。嫁さんが出て行って、後は酒を飲むしかやることがなかったってことよ。
そしたら、こんな手紙があったわけさ」
精一杯、彼は笑った。それでも声は震え、弓のようにしなる目尻に涙が溜まっていた。あまりにも痛々しく、これがオルクセンの屈強な兵士なのかと思うとカールは居た堪れなくなった。
「……なんでさぁ」
面を伏せ、握り拳にぼたぼたと大粒の涙を溢しながら、ハーマンは啜り泣いていた。
「なんで、こんなふうになっちまったんだよう。俺は、オルクセンの兵士で、戦争が終わって、普通の生活ができると思って……」
「……」
統計的に言えば、五体満足で終戦を迎える兵士の方が大多数だろう。しかしなんらかの欠損や不具を抱える兵士がいるのも確かなのだ。そんな彼らに待っているのは残酷で過酷な次の人生だ。それでもその障害は目に見える。その傷がはっきりと映り、痛みを抱えた人なのだと分かる。
ではもし、その傷が肉体ではなく精神や魂に及んでいるとしたら?不具の
ハーマンの啜り泣く横でカールはその肩に手を置いた。鳴き声は強まり、屈強なはずの肩はあまりにも小さかった。
「あなた、もう遅いですよ」
カールの妻、アンナリーゼは書斎に引き篭もる夫にそう声をかけた。
「ああ」
彼は生返事で返し書物から目を離さない。
小さなため息を漏らしてアンナリーゼは引き返した。熱心に勉強するのは学生の頃からの彼の美徳ではあるが、体に障ることも多々あった。そんなほっとけないところも彼女にとっては愛おしいのだが、一児の父になったのだから自制してほしいとも思うのだ。
あとで夜食とビールを持ってこよう。そう決めてアンナリーゼは戦略的撤退を行なった。
この数日、特にローターの死とハーマンの一件以来、カールは深夜に渡って調べ物を続けていた。首都からいくつもの論文と書物を購入して読み耽った。
しかしカールの望む情報はろくに出てこなかった。
戦時中、シェルショックと呼ばれる急性の行動障害が兵士に診られることはすでに知られていた。しかしあくまでそれが一時的なものといわれ、一部が慢性化することはあるけれど、それは元あった症状の慢性化だ。ハーマンもローターも戦時中にシェルショックがあったとは言われていない。一介の兵士として戦い抜いた猛者たちだ。
なによりカールを戸惑わせたのは、ハーマンやカールのような兵士を何人も知っているが、彼らの症状を来しているのは、この二人だけであった。なにか、他の兵士たちと違う原因があったのか。要因があったのか。素因があったのか。
そしてそれは、自分と何が違うのだろうか。
あの恐ろしい戦場を自分も渡り歩いた。彼らほどではないが、何度も命の危機を感じることすらあった。夜、夢に見ることもある。けれど彼らのように酒に溺れることはない。僅かな物音で震え上がることもない。少なくとも自分はごく普通の生活を送れている。
一体、彼らと私とで何が違ったのだろうか。
ページを手繰る手が止まる。この疑問は薄氷の上に成り立っていることをカールは自覚した。
もしかしたら、自分がハーマンのように酒に溺れ、ローターのように怯えて暮らしていたのかもしれない。それは決して妄想などではなく、ガラス窓を通して見た現実のように思えるのだ。
カールは読んでいた論文雑誌から顔を上げてふう、と肩を回した。キャメロットの有力雑誌の一つだったが彼の期待するものは載っていなかった。これで何冊目だろうか。残るページは索引や広告、書籍批評のみだったから、サラサラと流し読みすることとした。
その一ページにカールは目を奪われた。今思えばたまさかなものであり、後年彼は運命だったと語った。
そこに書かれていたのは一冊の書籍の紹介であった。それは珍しい、エルフが書いた医学書である。批評文にも「エルフ族の類まれなる知見」と書かれていた。
何故だかカールにはそれが重要に思えてならなかった。エルフということとその書籍名は、ある意味で一つの記号となっていたからだ。
書籍の名をカールはゆっくり噛み締めた。
「夜と森」
無事、「夜と森 上」を書き上げることができました。
ご覧と通り、これは戦争という災禍が引き起こす、心の障害を中心とする物語です。
オルクセン王国史の素晴らしいところは、それがマクロとミクロの融合であること。しかし、心を見るときはミクロのその先にまで迫らねばならないと思います。
本小説を書くにあたり、多くの先人たちの知見、そして私の臨床で多くの言葉を教えていただいた方々に感謝を捧げます。
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