故郷の海を出て早くて半年が経っていた。
これまで実に色々とあった。
日本や明の商船を襲ってみたり、他の倭寇と戦って勝ってみたり、負かした倭寇を傘下に入れてみたりとね。
本格的に海賊として名を馳せてきた感はあるのだが、その第一の要因は明国の海軍を勢い余って打ち負かしてしまったせいであろう。
何も難しいことはしていない。接舷して、それから私が切り込んでいった、それを一隻一隻ずつやってみただけである。
この時、初めて石火矢というものを知ったが、あれは驚きだった。
生まれて初めて、この身に受けて痛みを感じたぞ。
かなり強烈な痛みだったので、つい、打ち手のことを素手で縊り殺してしまったが、それも仕方あるまい。
ともかく、明国の正規軍を打ち負かして私の船団の傘下に組み込んだおかげで、石火矢の力も相まっていよいよ誰にも手出しができなくなってきたようだ。
思ったよりも、ここまで来るのが早かったな…とは思う。
だが、ここまでの話は正直なところ些事である。
本題はここから、それはある時に南の方の海で襲った異国の、白人の船を襲った時のことだった。
その船には御多分に漏れず金銀財宝が山積してあったのだが、それとは別に人間も多く載せていてな、所謂、奴隷貿易の帰りだったようなのだ。
日本と奴隷というのは今いち結びつきが薄いイメージもあるが、この時代は日本でも奴隷はメジャーな商品だったのである。
さて、問題と言うのはその奴隷の中に一人の女が混ざっていたということである。
女が奴隷に混ざっていることなんてざらにあることだから、問題は性別ではなかった。
正確にはその女に私は激しく見覚えがあった、という点にである。
そう、初めて見たにもかかわらず、毎週金曜の夜に見かけていたような既視感を覚えたのは偶然ではない。
それは、その女は、どこからどう見ても、後に『エボシ御前』と呼称されるに至るであろう女の姿だったのである。
…なるほど、つまり、こういうわけかな?
エボシ御前を買う倭寇の頭領に転生したっぽい件…。
って、どんな冗談だよ!!!
てか、権左!おまえ、まさか権左じゃなくて『ゴンザ』だったのか?
いや待て待て、しかしだな、確か裏設定ではエボシは「買われた」はずだよな?
なんで今、ここで出くわすのかな?これ、私が買ったことにされるのか?え?どうなんだ?
とにかくだ、とにかく、妻にしようものなら殺されることが分かっているんだから…他の元奴隷たちと同じように、平等に船員として接すれば問題ないはずだ!
平等に男女の違いと個人のプライバシーは十分に考慮したうえで、その上で平等に扱えば…そう、今まで通りでいいはずだ。
そうだ、そうに違いない!
おお、なんだか落ち着いてきたぞ…ふむ…そうだな、うん、彼女の細腕では石火矢でも殺せない私を害することも難しいだろうしな。
よし、そうだな、ふつうに、当たり前に接することにしよう、そうしよう。
当たり前に、当たり前に…そうすれば、今のまま、普通に暮らしていけるはずだ。
私はまだ夢半ばなのだ、まだまだ、こんなところで倒れるわけにはいかないのだ。
前世を想起させるような、快適で文化的な生活環境の整備のためにも、私はこんなところで躓くわけにはいかないのだ…。
私、このオンテギはまだまだ、こんななんちゃって海水シャワーと水洗トイレをポン付けしただけの大型船を終身の一国一城と見定めたわけでは断じてないぞ。
だが…これ以上の海賊団の拡大は、物理的に食わせていけなくなる可能性が高いのも事実だ。
今のまま、海の民フィーバー状態を維持したい欲望もないではないが、それでは最終的な野望が遠のくばかりだろう。
ならば…
「ならば…ここいらで一旦、陸に上がることも悪くないかもしれないな」
「オンテギ様、それは誠ですか?」
夜、甲板上で潮風を浴びながら零した言葉を拾う者がいたとは…私は意外に思いつつも、その若い声との問答を楽しむことにした。
私も若いが、声は恐ろしく低いし、外見だって老成しすぎている。変化がないともいう。
それはさておき、こういう時、いつもならば初期メンバーの倭寇の誰かか、専ら権左が合いの手をくれるんだがなぁ…聞き覚えがあるのに、聞き覚えのない若い声だ。
「ああ、誠も誠だ。陸に大規模な拠点を手に入れて、陸と海とでやり取りができるようになれば今まで以上に経済的にも強くなるし、なにより組織として地に足の着いた安定感が得られるからな。できる内にやらない手はない」
「それは…実に魅力的ですね…ところで、陸の拠点はどなたにお任せになるので?」
私は思わず振り返りそうになった。
なぜならば、確かに言われたとおりだったからである。
俺も権左も経営者って柄じゃないし、部下は多いが荒くれものばかりでこういう統治に向く人材なんて一人も…あれ?
いるなぁ…一人だけ、いる。
「いや、いやいや、それはもうね、決まってますよ、一人しかいないでしょう、ね?」
私はヤケクソ気味になってそう言った。なんとなく、この若い声が、若い女のものであることにも理解が行き届いていた。
ただ、どうして彼女がそこに立っているのか、どうしてこんなことを私に尋ねているのかに関してはまるで理解が届かなかったが。
「はてさて、それは何方様なのでしょうか?」
「エボシに決まっているんだよなぁ…」
くるり、振り向くとそこには確かに夜影に佇むエボシの姿があった。
なぜ、とか、どうして、とかは色々あったが、それは目の前の現実に対処すること以上に重要なことではないと思った。
「…一つ、尋ねても?」
「一つと言わず、納得するまで聞いてくれ」
「どうして権左殿ではなく、私の名を?」
私の視線を真正面から受け止めて、僅かに視線を伏せたエボシが、それでもよく通る声で私に向けて問いを投げた。
「ゴンザには、荒くれものを束ねるのを任せていられるが、それ以上となると難しいからな」
「…それだけで、それだけの理由で御前は、昨日今日拾ったばかりの女の名前を拠点の指揮者に挙げるのか?」
「お前ときたか…だが、まぁ、そうだな…確かに、そう思うのも無理はない」
エボシの存在を認識してから、エボシが私の存在を認識してから、まだ一か月も経ってはいなかった。
確かに、十年近くも付き合いのある権左と私との関係性と比べれば、エボシとの関係性は昨日今日の代物とも大差がないだろう。
だが…事実として、私とエボシとの知り合いは…私の一方的なものながら、権左との付き合いよりも長いのだということを、一体どうすれば彼女に説明して納得させられるだろう。
だって原作での実績を鑑みれば、エボシを後援して任せれば1000%上手くいくに決まっているのだ。
勝てるとわかり切っている勝負では負ける方が難しいだろうな…ただ一つ、下剋上で私が除かれる可能性にさえ目を瞑れば…だが。
「だが、今は…私は理想を達成するためならば、その程度の危険は喜んで呑んでしまえる男なのだ…とだけ」
私が自分で四苦八苦するよりも、エボシに全賭けした方が万倍早くうまくいきそうだしな。
目指せ!あったかいお風呂にホカホカご飯!フカフカのお布団と水で流れるトイレ!あわよくば温水のウォシュレットを!!!
去って行く背中を黙って見送った。
あの男は、オンテギは何かが違う。
この数週間の付き合いだけでも、そのことは痛いほどに理解した。
神懸かり的な戦いの才能だけではない、老若男女も障害や病も関係なく分け隔てなく接する懐の深さにも尋常ならざるものがあった。
まして、幾度となく自分を殺しに掛かってきた明の者どもからも敬われ慕われ、我らの天子様と呼ばれる有様には目を見張る他なかった。
この巨大な船団にはオンテギという法が絶対の威を放ち、全てを統制している。
この秩序は非常に危うく脆いものだろう。
だが、それでも、南蛮人も明人も高麗人も和人も、病人も怪我人も関係がなく平等に清潔な衣服に身を包み、平等にそれぞれの部屋を持ち、公平に充分な食事にありつける場所を、私は他に知り得ない。
おまけに、沸かしたお湯で体を拭くなり、しゃわー?なる道具でくみ上げた水を毎日浴びて清潔を保つという習慣を根付かせていることも尋常なことではないだろう。
極めつけは、ここは海の上だということである。
海の上でさえ可能なのだ、ならば、地に足の着いた陸の上では尚も可能なのではないか。
奴隷として攫われ、或いは売られてきた者たちの中で、今や足枷手枷に縛られている者は一人としていない。
私を含めて、誰一人として、今や誰もが自由であり、この船の中においては平等であると彼、オンテギは言ったのだ。
初めて彼を目の前にして、その言葉を耳にしたとき、私は…不覚にも、涙が出るのを抑えられなかった。
俯いた私を、オンテギも見ていたが、彼が何を考え、何を見ているのかをその時は理解できなかった。
だが、今、ようやく理解できた。
彼は私を視てくれていた。
私が何を望み、何が出来るのか、何を成し遂げたいのかを。
そして、それを任せるに足る意志の力を、行動力を持ち得ているのかを。
私は今、この場に立ち、彼の問いに答えたことで認められたのだ。
彼の意志を陸の上で成し遂げるための代行者として…かくあることを。