幽霊船の掃除屋さん 作:BWC
洞窟の中の秘密港に、かすかに朝日が差し込む。
煌めく光に照らされた幽霊船は、このような光の下では今にも消えてしまいそうな幽かな存在である事を思い出させる。
埠頭から船を眺めるエリーは、感慨深くため息を吐く。
「あのボロが綺麗になったもんね」
「オウ、3人がかりならこんなモンよ」
「ワタシが思うに、キャプテン君の精神状態に呼応して船が綺麗になったのではないか? 船体なんて殆ど触っていないじゃないか」
「だとしても、綺麗になったんならいいの」
エリーは満足げに笑う。
かつて海賊船、私掠船として海を駆けたそれは、海を彷徨うモノへと変わってしまった。
乗り手と共に彷徨い、波に打たれて朽ちてゆき、何処へ向かうかも分からなくなっていた船。
それに再び、
「オレは幽霊で、コレは幽霊船だ。幽霊船ってのはよ、霧の向こうに消えたりする捉えどころのねェ船だろ?じゃあこの乗ったり掃除出来るのは変じゃねェ?」
「よくは分からないけど、実際の船は何処かに沈んでるらしいの。でもこの船がちゃんと死に向かう事で、海を彷徨っていた元の船が誰かに見つけて貰えるようになるって……母さんから聞いた」
「せっかくピカピカになったのになァ……ま、本物は誰かに見つけて貰うさ」
キャプテンは縄梯子に足を掛け、自身の船へ登ってゆく。
物理法則に縛られない幽霊ではあるのだが、ひとつひとつ自身の手足を使って登っていった。
弾むように軽々登っている途中、不意に止まって振り返る。
「なーんか気分良いんだよな。掃除のせいだろ、コレよォ」
「不安と後悔と寒さに包まれるより、よっぽど良いでしょ」
「そうだけどなァ……変なモンだぜ。この縄梯子は処刑台への階段と、そう変わらねェ筈なのによ」
縄梯子を登り切ったキャプテンは、船の上からエリーを見やる。
手を振ろうとして、途中で止める。
何かを口にしようとして、口籠る。
懐を探って……何も取り出さない。
そんな様子を見て、エリーは思わずクスリと笑い、一礼した。
「それでは、良い航海を」
「……ああ。ここはテメェの地元か?」
「そうよ。ここで産まれて、ここで育った。今回みたいに幽霊船の掃除を続けて、たぶんここで死ぬ」
「つまんねェ人生だな。オレなら嫌気が差すね」
「故郷に帰りたいヤツが言う? 私、外は汚くて嫌いなの」
「離れてこそ良さが分かるモンもあるだろ? だからよ、海はいいぜ」
船は自ずと、ゆっくりと海へ向かって動き出す。
大きく軋む音を立てながら、ボロの帆を形ばかりに張って。
徐々に離れる船を見送るエリーは、ふと思い出してかけだした。
「そういえばアンタの名前聞いてない! 思い出したんでしょ?」
「オウ、思い出したぜ! 教えねェがな」
「なんでよ!」
「勝手に知りやがれ! オレ様の名は自然と耳に入る筈だ! ……出発した港の事は覚えている。一度始めた航海は、ちゃんと終わらせなきゃならねェよな」
それがエリーと交わした最後の言葉となって、幽霊船は港を出て行った。
どんどん登る朝日に照らされ、幽かな姿は急速に朧げに。
一瞬前まで存在した事すら疑うような、掻き消えるような船出だった。
「自惚れ屋め……」
朝日に目を眩ませながら、エリーは小さく毒づく。
一瞬前まで存在しないした筈の、もう二度と会えない死者に向かって。
◆◆◆
灯台内には円形の部屋が、積み重なるように設けられている。
その内のキッチンにて、エリーは湯気の上がるコーヒーとこんがり焼けたトーストを啄んでいた。
限られた空間に所狭しと配置された家具に挟まれ、ラジオからはニュースや音楽。小さなテーブルを挟んで優雅なモーニング……にしては、対面には幽霊が。
「なんで居んのよ、先生」
「何処まで動けるものかと思ってね。安心してくれ、驚かせたい訳ではないから、君以外には姿を見せないとも」
不満げにコーヒーを啜り、エリーは重い瞼を擦る。
明らかに寝不足の様子だった。
「あー、眠い」
「就寝時間が遅いというのは……あまり健康に良くないな。せめて就寝時間が遅くとも、睡眠時間を確保出来れば良いのだが」
「そうするしかないんだから、そうするしかないわよねー」
「まだ脳が起ききっていないな? ほら、コーヒーを飲みたまえ」
言われるがままにコーヒーを飲み干して、頭を振るって眠気を飛ばしたエリーは、口の端を歪ませながら欠伸をした。
「にっがい。起きる為だけに何年も飲んでるけど、こんなのの何が良いのか分かんないわ」
「香り……だろうか。苦味だけに注目するからそうなる」
「へぇ、先生はコーヒー好きなの?」
「どうだろう。今更好きだと思い出しても、もう飲めないのだから意味は無い」
空のマグを名残惜しそうに眺めて、先生は口をへの字に曲げる。
その目は細く、寂しさで泣き出す前の子供のよう。
それを見るなりエリーはマグを片手に立ち上がり、もう一杯のコーヒーを注いで戻ってきた。
そしてマグを先生の前に置き、ぶっきらぼうに言う。
「五感はどの程度残ってるの? 嗅げるならほら、香りが好きならこれで楽しめるでしょ」
エリーの顔とコーヒーを交互に見た後、先生は恐る恐るマグに顔を近付ける。
万が一香りがしなかったらどうしようと、死んだ己の感覚が今までどれ程生前と同じだっただろうかと、不安に耐えながら生前のようにマグの上で手を仰いで……安堵の表情を浮かべた。
「──あぁ、良い香りだ。記憶の中と同じだが、何処でこの香りを記憶したのだろう」
「これが何処の豆かによるわね」
「確かに。大規模流通している品でなければ、辿る事も出来るだろうが」
「今度聞いてみる。……こうして会話してみると、互いの事が分かるわね」
「そうだな、今日は君はコーヒーが嫌いだと分かった。あとは汚いものが嫌いだ」
「後ろ向きな言い方しないで、綺麗好きって言いなさいよ」
「そうだな、君は綺麗好きだ。では今度はこちらが君への理解を深めよう。君が綺麗好きな理由を聞いてもいいかな?」
その質問に、エリーは少しだけ逡巡した。
視線を落とし、落ち着かなさそうに手を揉んで、座り直して、強張った喉で話し始める。
「私が小さい頃、父さんが戦争に行った。正直言って顔も思い出せないくらい小さい頃で、父さんとの思い出だって覚えているものは殆ど無いの」
「だが、それでも家族だ」
「そう、だから死んだら悲しかった。戦場で父さんの遺体は見つからず、ただ戦死を知らせる、汚れた手紙が家に帰って来ただけ」
エリーは寝癖が付いた髪を弄り、記憶と正面から向き合う事を避けながら過去を振り返る。
幼少期、酷く雨の降る日の事。
家の扉を叩かれて、無邪気に扉を開けたものの父の帰りではなかった日。
母が応対して死亡通告書を受け取った日の事を。
「手紙自体は郵送の過程で汚れただけで、父さんの死と関係無いのは分かっている。それでも、汚れている物が悪い出来事を連れて来たように思えて……その日から悪い事が起きないように綺麗にしようって」
「それがいつの間にか、呪いのように君を拘束していったと」
「うん。なんか、いつの間にかやらないと不安になってた。別に良いけどね。掃除自体好きだし、それが仕事にもなるんだから。そこまで困ってない」
言い切って少し息を吐き、エリーは先生の前からコーヒーを手繰り寄せて、マグを揺らして香りを楽しむ。
そして一口。
やはり苦い顔。
「そうか。聞けて嬉しいよ、ありがとう。しかし、どうしてワタシにこうもよく……孤独を紛らわすようなコミュニケーションを?」
「何? 寂しかったの? 別に、アンタは私がひとりで掃除した、最初の幽霊船の幽霊だから。まだ送り出せてないのが気になるし、互いの事を知れば何かの糸口になるかもって」
「すまないね。最初の仕事から面倒を掛けて」
「これでアンタが何か、生前の重要な事を思い出せたら良いんだけどね。飲み物の好みくらいしか分からなくて残念」
「ワタシも残念だ。あの海賊のように、何か思い出せたら良いんだが……」
先生はそこでふと思い出して尋ねる。
「気になるんだが、あの海賊は結局有名だったのか?」
「全然。本人が言う程特別じゃなかった。失明したのに恩赦欲しさで無理して戦って海に沈んだ海賊って」
「無慈悲な記録ではそんなものか」
「でも本人が名を残したがっていたから、誰かが記録を残してくれた。それに余白があるもの。故郷に焦がれた海賊なんて、そんな注釈が加わればきっと、より多くの人の記憶に残るかも」
エリーは再びトーストを啄み始め、先生はマグカップをポルターガイストじみた力で引き寄せる。
生者と死者で違いはあれど、共に静かな朝食を楽しんでいると……ラジオからはニュースが流れ始めた。
『それでは世界のニュースです。海底調査により発見された沈没船ですが、太陽の国の私掠船として戦争に参加した海賊船であると──』
「見つかったみたいね」
「なるほど。ニュースの為に早起きしていたのか」
「気になるでしょ、その後どうなったのか。そこも含めて記憶したいから」
エリーは無名の海賊の記録を見て、とある幽霊の人となりを記憶した。
今日は名無しの幽霊がコーヒーが好きである事を記憶して、自分の綺麗好きの理由を記憶させた。
それら記憶は互いに存在を確かめ合って、自分をひとりにはしてくれない。
死後も残るものを、エリーは受け取ったのだ。
「私はこの世を彷徨う死者を送り出しているけど、同時に記憶もしている。私の仕事は終わらせる事であり、忘れない事だと思うの」
「そうか。それが君の納得か」
「うん。誰かが覚えているって、記憶しているって慰めになる……と良いなって思わないと、港に来た人達を私がもう一度殺しているみたいで、怖い。だから納得感が欲しくて、口に出してる」
「ワタシも含めて、皆既に死んでいる。君の如何なる判断や行動も、それらを害するものではないと思うが」
「理屈じゃないもの。それに、どっちにしろ掃除をするしかない。私に出来る事なんて、そんなもんよ」
「だが続けるのだろう?」
「ええ、死後はせめて綺麗であって欲しいから。あの汚れた手紙が父さんの死を象徴する物じゃ、きっと安らげない気がする。これも弔いなのかもね」
「君の父親も船で? 海兵だったのか?」
「ううん。違うけど、私が知っている死後はこれしかないから。せめて目の届く所は掃除しなきゃ」
エリーはトーストの最後の一欠片を、口に放り込んで立ち上がる。
朝食を終えて、今日もエリーは生きてゆくのだ。
死者と関わり、死を想いながら生きてゆく。
己が今、死への途上にある事を認識しながら。
「自分が死んだ後、そこが汚かったら嫌だからね」
試しに書いてみた物なので、続きが思い付いて書けたら更新します。
上手くいかなかったら完結とします。