ゾンビパンデミックで世界が終わり始めてから、三日目。
私とそよぎ先輩は、逃げるでもなく、助けを呼ぶでもなく、駅前商店街のケーキ屋に入ろうとしていた。

理由はひとつ。

「春のいちごフェアは、逃すと二度と出会えない可能性がありますわ」

先輩は、期限切れと判断したゾンビを指先ひとつで“廃棄”する、倫理の壊れたお嬢様。
私は、食べ物を口にすると小さな安全地帯を作れ、さらには、空っぽのスイーツ棚から世界のどこかに残った在庫を呼び寄せることもできる。

つまり私たちは、終末世界でだけ成立する最悪のスイーツ巡りコンビだった。

ゾンビがうめく店内で、空のショーケースに現れたのは苺ショートケーキが二つ。
そよぎ先輩はそれを真剣に採点し、私はツッコミを入れながら、結局そのケーキを食べていた。

世界は終わった。
でも、苺ショートはまだ甘かった。

倫理崩壊お嬢様とイートイン結界の後輩が、終末世界でスイーツを食べ歩く、ゆるくて少しおかしい終末スイーツコメディ。

※連載版の先行お試し短編

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第0話 世界の終わりと、苺ショートケーキ

 世界が終わり始めてから、三日目。

 

 駅前商店街のシャッターは、ほとんど閉まっていた。

 

 昨日の昼、学校を出てからここまで、まともな屋根の下で休めた時間は一秒もなかった。住宅街のガレージで、ゾンビのうめき声を聞きながら震えて過ごした最悪の夜に比べれば、この商店街の不気味な静けささえ、まだマシに思える。

 

「モブ子さん」

 

 戦技《そよぎ》先輩が、足を止めた。

 

「はい」

「ケーキ屋ですわ」

「見ればわかります」

 

 白い壁に赤い屋根。

 入口の横には、苺の絵が描かれた看板が立っている。

 

『春いちごフェア開催中!』

 

 もちろん、開催している人はもういない。

 店の前には、割れたケーキ箱が落ちていた。潰れたクリームの上に、苺の赤なのか、別の赤なのか、もうわからない色がこびりついている。

 

「先輩」

 

 私はガラス扉の奥を指差した。

 

「何かしら?」

「元店員さんっぽいゾンビがいます」

 

 暗い店内で、エプロン姿のそれがゆっくり動いていた。

 

「ええ。いますわね」

 

 そよぎ先輩は、まったく動じない。

 

「なら、入らないですよね?」

「モブ子さん。そこに、春のいちごフェアがあるのです」

「そこに山があるから、みたいに言わないでください」

「春のいちごフェアは、逃すと二度と出会えない可能性がありますわ」

「世界が終わってるんだから、だいたい全部そうです」

 

 そよぎ先輩が割れたガラス扉に手をかける。

 

 私は慌ててポケットから飴を取り出し、口に放り込む。

 安いレモン味が舌の上に広がった。

 

 その瞬間、私たちの周りに薄い膜が張る。

 

 私の能力。

 そよぎ先輩は勝手に【イートインの結界】と呼んでいる。

 飲食空間では自然に安定するけれど、そうでない場所では何かを食べたり飲んだりして無理やり結界を張る。発動すれば、しばらくはゾンビに干渉されない。

 

「準備がよろしいですわね」

「先輩が突撃するからです」

「わたくしはただ、入店するだけですのに」

「入店先にゾンビがいる場合は、だいたい突撃って言うんですよ」

 

 エプロン姿のゾンビが、こちらに気づいた。

 腐った腕が伸び、指先が結界に触れる。

 

 パチン。

 

 静電気みたいな音がして、結界に腕が弾かれた。

 

「あら」

 

 先輩が、ゾンビを見下ろす。

 

「何ですか?」

「これはもう、廃棄ですわね」

「せめて元店員さんって認識してください」

「元店員さんなら、なおさらですわ。お店の印象を損なっています」

「そういう問題じゃないです」

「接客期限切れですわ」

 

 パチン。

 

 指を鳴らす音が響いた。

 次の瞬間、エプロン姿のゾンビが崩れた。

 

 倒れたのではない。

 ほどけた。

 

 体の輪郭がぼろぼろと崩れ、灰色の粉になって床に落ちていく。

 最後にエプロンの紐だけが残り、それもほこりみたいに消えた。

 

「……相変わらず、掃除みたいにやりますね」

「掃除ですもの」

「だから言い切らないでください」

「店内に期限切れの野犬を残しておくのは、衛生上よろしくありませんわ」

「野犬じゃなくてゾンビです」

 

 そよぎ先輩は、もう店内を見回していた。

 焼き菓子のカゴ。レジ横の小さな冷蔵ケース。そして、正面の大きなショーケース。

 

「……ありませんわね」

「何がですか?」

「ケーキですわ」

 

 ガラスのショーケースは、ほとんど空だった。

 中には、倒れたプレートがいくつか残っている。

 

『いちごショート』

『チョコ生ケーキ』

『なめらかプリン』

『季節のタルト』

 

 名前だけはある。

 でも、商品はない。

 

「残念ですわ」

 

 先輩は、空のショーケースを見つめたまま呟いた。

 

「そんなにケーキ食べたかったんですか?」

「ええ。無性にケーキが食べたい気分でありましたの」

「まあ、ないなら仕方ないですね」

 

 私は元店員だった灰を見ながら、早く店から出ることを考えていた。

 

「モブ子さん」

「はい」

「空ですわ」

「そうですね」

「完全に空ですわ」

「……そうですね」

 

 嫌な予感がした。

 先輩が、にっこりと笑っている。

 

「試してみませんこと?」

「何をですか?」

「あなたの、あの便利な能力ですわ」

「便利扱いしないでください」

 

 私はショーケースを見る。

 空っぽの棚。

 倒れたプレート。

 何も残っていない銀色のトレー。

 

 そこに甘いものがあったら。

 

 そう思った瞬間、胸の奥が変な感じになった。

 空っぽの場所に、何かを戻したくなる。

 

 私のもう一つの能力。

 先輩は【スイーツ・ガチャ】と呼んでいる。

 

 完全に空になったスイーツ棚に、世界のどこかの在庫を呼び寄せる。出るのは、だいたい二つ。何が出るかは私にもわからない。

 

「……出なかったら、怒らないでくださいよ」

「怒りませんわ。出なかったら、この店に縁がなかっただけです」

「縁で済ませるんですね」

「ええ。甘いものは、だいたい縁ですわ」

 

 私はショーケースに手を近づけた。

 

「……何でもいいです。ケーキを、二つ」

 

 言った瞬間、倒れていた商品プレートの一枚が、かた、と揺れた。

 

『いちごショート』

『チョコ生ケーキ』

『なめらかプリン』

『季節のタルト』

 

 薄暗いショーケースの中で、プレートの文字が順番に白く光る。

 光が、ぐるぐると巡る。

 

「あ、これ……本当にガチャっぽい」

「黙って見届けなさい、モブ子さん」

 

 いちごショート。

 チョコ生ケーキ。

 なめらかプリン。

 季節のタルト。

 

 いちごショート。

 

 そこで、光が止まった。

 

 次の瞬間。

 空っぽだった銀色のトレーの上に、透明なケースが二つ現れた。

 

 白いクリーム。黄色いスポンジ。真っ赤な苺。

 

『春いちごの白いショート』

 

「……素晴らしいですわ」

 

 そよぎ先輩の声が、少し弾んだ。

 

「本当に出た……」

 

 私は透明なケースを見つめる。

 

「空のショーケースに、苺ショートを二つ。実にわかっていますわ」

 

 そよぎ先輩は、満足そうにうなずいた。

 

「これ、私の能力なんですけど」

「ええ。モブ子さんも、たまにはわかっていますわね」

「たまにはって何ですか」

 

 私はショーケースを開けた。

 ケーキは生ぬるかった。

 さらに透明な蓋越しに見る苺は、少しだけつやが足りない気がする。

 

「鮮度はどうでしょうね」

「では、わたくしが見ます」

 

 先輩はケーキをじっと見た。

 スイーツを食べる前のそよぎ先輩は、ゾンビを見る時より真剣だ。

 

「少し落ちていますわね。けれど、戻せます」

 

 先輩はケーキのケースに指を添えた。

 

「賞味期限を、少しだけ巻き戻しますわ」

 

 パチン。

 

 さっきゾンビが消えた時と同じ音。

 なのに、今度は何も消えなかった。

 

 苺の表面がほんの少し光る。

 しおれかけていたクリームの角が、ぴんと立つ。

 たしかにケーキが生き返ったように見えた。

 

「ゾンビには使わないのに、ケーキには使うんですね」

「当然でしょう?」

「当然なんですか?」

「ケーキは戻す価値がありますもの」

「倫理がショートケーキに負けてる」

「むしろ、ショートケーキに勝てる倫理などありますの?」

「ありますよ。たぶん、いっぱい」

 

 先輩は聞いていなかった。

 レジ横に置かれていた個包装のプラスチックスプーンを二本取る。

 

「文明の利器ですわね」

「スプーン一本で文明扱いですか」

「終末において、個包装のスプーンは立派な文明ですわ」

 

 店の端に、小さな丸テーブルがあった。

 椅子は一つ倒れている。

 

「ここ、イートイン扱いでいけますかね」

 

 私は倒れた椅子を起こす。

 

「いけるでしょう。椅子があります。テーブルがあります。ケーキがあります」

「雑ですね」

 

 私が椅子についた瞬間、飴で無理やり張っていた結界が、少しだけ安定した。

 外のうめき声が、一段遠くなる。

 

「では、いただきましょう」

 

 先輩がスプーンの袋を破り、私もケーキの蓋を開けた。

 

 甘い匂いがした。

 苺とクリームの匂い。

 

 煙や血や腐ったものとは違う匂いだった。懐かしい感覚。もう取り戻せない日常の匂い。

 

「モブ子さん」

「はい」

「泣くなら、食べ終えてからにしなさい。クリームに塩気が混ざりますわ」

「泣いてません」

「そういうことにしておきますわ」

「腹立つなぁ……」

 

 私はスプーンを入れた。

 

 一口。

 甘い。

 少しだけ酸っぱい。

 

 すごく特別な味ではない。

 ただ、普通に美味しかった。

 

「……おいしい」

 

 声に出すつもりはなかった。

 でも、出てしまった。

 

「あら」

 

 先輩が嫌な笑みを浮かべる。

 

「何ですか」

「モブ子さんが、自分の感想を言いましたわ」

「言いますよ、それくらい」

「今日は記念日ですわね」

「やめてください」

「モブ子さん自我発芽記念日」

「最悪の記念日を作らないでください」

 

 外ではゾンビが歩き、遠くで車のクラクションが鳴りっぱなしになっている。なのに、この小さなテーブルの周りだけは静かだった。

 

 ここが、私の結界の中だから。世界の終わりを、少しだけ離れて見ていられる席。

 

「七十八点ですわね」

 

 先輩がスプーンを置いた。

 

「意外と高い……」

「見た目は王道。クリームも軽やか。苺の酸味も悪くありません。町のケーキ屋としては十分に合格点ですわ」

「褒めてる」

「ただし、印象に残る一撃がありません。もっと背徳が欲しいです」

「ショートケーキに背徳を求めないでください」

 

 でも、少しだけわかった。

 

 目の前のケーキは、生きるためには必要ない。持ち運びにも向かないし、すぐ悪くなる。

 

 でも、私はもう一口食べた。

 それだけで、胸の奥がゆるんだ。

 

「……私は好きですけどね。この、普通においしい感じ。なんか、安心します」

「では、七十八点改め、八十点にしましょう」

「え? なんで上がるんですか?」

「モブ子さんが好きと言ったので」

「先輩の採点、そんな情で動くんですか?」

「情ではありませんわ。観測値の追加です」

「言い方」

 

 珍しいことを言われた気がした。

 私の感想を、点数に入れた。

 

「春いちごの白いショート、八十点。モブ子さん自我発芽記念補正込みですわ」

「補正名が嫌すぎる」

 

 その時だった。

 

 店の外で、ガラスを叩く音がした。

 

 どん。

 どん。

 どん。

 

 さっき商店街を歩いていたゾンビが、こちらに気づいたらしい。

 さらに、その後ろから二体、三体。

 

「先輩」

「わかっていますわ」

 

 そよぎ先輩は立ち上がる。

 

「結界は安定してますけど、外にあれだけ集まられると落ち着かないです」

「たしかに。せっかくの余韻が台無しですわね」

「そこなんだ」

 

 ガラスにひびが入る。

 私は反射的に、ケーキをもう一口食べた。

 結界の輪郭が、少しだけ濃くなる。

 

「先輩、口元」

 

 私はハンカチを差し出す。

 

「あら。ありがとう」

 

 先輩は白いクリームを拭った。

 その動作だけ見れば、本当に育ちのいいお嬢様みたいだった。

 

「甘いものを食べている時に騒ぐ野犬は、躾が必要ですわ」

「だから、ゾンビですって」

「では、期限切れの迷惑在庫ということで」

「もっとひどい」

 

 ガラスが割れた。

 そよぎ先輩は、目を細める。

 

「あら。全員、賞味どころか消費期限も切れていますわね」

 

 パチン。

 一体目が崩れた。

 

 パチン。

 二体目。

 

 パチン。

 三体目。

 

 戦いではない。

 ただ、邪魔なものが消えていく。

 

 怖いはずなのに、私はもう、そこまで震えなかった。

 たぶん、私は慣れ始めている。このおかしな世界と、このおかしな先輩に。

 

 最後に、私は苺をスプーンに乗せた。

 赤い。

 ちゃんと赤い。

 

「ごちそうさまでした」

 

 小さく言った。

 

「律儀ですわね」

「こういうのは、言った方がいい気がしたので」

「ええ。悪くありませんわ」

 

 先輩も、空になったケースに向かって小さく頭を下げた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 その声は、意外と真面目だった。

 

 その時、先輩がレジ横の棚に目を向けた。

 

「モブ子さん。これをご覧なさい」

 

 先輩が一枚のチラシを拾った。

 

『春の駅前スイーツ案内』

 

 下には、この辺りで買える春限定の甘いものが並んでいた。

 

 このケーキ屋の苺ショート。

 商店街の和菓子屋の桜もち。

 ベーカリーの苺クリームデニッシュ。

 駅前コンビニの濃厚ピスタチオプリン。

 少し離れた場所にあるアイスクリーム店の春限定フレーバー。

 

 地図まで載っている。

 

 私は、それを見た瞬間、嫌な予感がした。

 

「巡礼路ですわ」

「違います。ただのスイーツフェアのチラシです」

「世界が終わった今、これは地図です」

「地図は地図ですけど、避難用じゃないですよ」

「避難?」

 

 先輩は、本気で不思議そうな顔をした。

 

「わたくしたちは、避難しているのではありませんわ」

「じゃあ何してるんですか」

「味わっているのです。世界が終わっても、まだ残っているものを」

 

 私は黙った。

 言っていることは、いつも通り変だ。

 でも、完全には否定できなかった。

 

 だって私は今、苺ショートケーキを食べ終えたばかりだった。

 

「……次、どこに行くんですか?」

「コンビニですわね」

「やっぱり」

「このチラシによれば、春限定のピスタチオプリンがあるそうです」

「命よりプリン優先ですか?」

「命は今のところありますわ」

 

 先輩はチラシを綺麗に畳んで、ポケットに入れた。そしてこう続ける。

 

「けれど、ピスタチオプリンは待ってくれません」

「名言っぽく言ってますけど、だいぶ駄目ですからね」

 

 私はポケットから次の飴を取り出した。

 今度はミルク味だった。

 

 舌の上に、懐かしい甘さが広がる。

 私たちの周りに、薄い結界が張り直された。

 

 これは移動用の、頼りない安全圏だ。食べている間だけではなく、しばらくは持つ。けれど、長くは持たない。

 

「準備できました」

「では、行きましょう」

 

 そよぎ先輩は、割れた扉の外へ足を踏み出した。

 私は、その背中を追いかける。

 

 逃げるためではなく。助けを呼ぶためでもなく、春限定のピスタチオプリンを探すために。

 

 世界が終わった商店街を、私たちは歩いていく。

 誰の誕生日でもない苺ショートケーキの味を、舌の上に少しだけ残したまま。




今回は短編パイロット版として投稿しました。
反応を見つつ、続きとなる連載版は後日投稿する予定。

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