個性『何もない』 作:I love you
「イーエエエエイ! 障害物競争の激闘を終え、間髪入れずに第2種目へ突入だあぁぁ!!」
プレゼント・マイクの爆音実況が、大歓声の渦巻く超大型スタジアム全体を振動させる。
超満員の観客席から上がる地鳴りのような歓声は、熱気を孕んだ夏風とともにグラウンドへとなだれ込み、生徒たちの肌をじりじりと灼いていた。プロヒーローたちのスカウトの眼光、一般観客の興奮、TVカメラのレンズ群――そのすべてが、中央にそびえ立つ巨大なメインモニターへと集中していた。
モニターに映し出されたのは、第1種目を命からがら、しかし奇策をもって1位で突破した緑谷出久の顔写真。
そして――その横に燦然と輝く、狂気の数字。
『1000万ポイント』
「ひ……1000万……!?」
緑谷の悲鳴が、グラウンドの喧噪にかき消される。
審判を務めるR指定ヒーロー・ミッドナイトが、黒革の鞭を「パチン!」と空気中で爆音とともに鳴らし、妖艶な笑みを浮かべてルールを読み上げた。
「第2種目は……『騎馬戦』!! 予選を勝ち抜いた42名が、2人から4人のチームを組み、騎馬を作る! 基本ルールは通常の騎馬戦と同じだけど……大きく異なる点がひとつ! それぞれが予選の順位に応じたポイントを持ち、それが騎馬の総ポイントとなるのよ!」
ミッドナイトの解説が進むにつれ、参加した生徒たちの顔色が次第に変わっていく。
最下位の42位は5ポイント。そこから順に5ポイントずつ加算されていくが、ただひとり――第1位の緑谷出久だけには、前代未聞の『1000万』という桁外れのポイントが与えられている。
「つまり……! 1位のハチマキを奪ったチームが、一発でトップに躍り出る下剋上サバイバルってことだあぁぁ!!」
実況の言葉が落とされた瞬間、グラウンドに充満していた空気が一変した。
41人の視線が、一斉に緑谷出久という1000万ポイントへと注がれる。それは飢えた肉食獣が死肉を見つめるかのような、生々しくギラついた欲望の群れだった。誰かを地道に倒してポイントを稼ぐ必要などない。あの少年からハチマキ一本を毟り取れば、それだけで本戦進出が確定するのだ。
「人皮さん……!」
青ざめた緑谷が、すがるような視線で私の方へと駆け寄ってこようとした。USJで規格外の頑丈さを見せ、第1種目でも地雷原を無傷で歩破した私を、防御の要としてチームに引き入れようと考えたのだろう。
私は首を傾げ、困ったような、しかしどこか優しい笑みを浮かべて見せた。
だが、その瞬間――私の横合いから、ひとりの少年が滑り込むように歩み寄ってきた。
「――君、すごい個性だね」
低く、どこか抑揚のない、眠たげな声だった。
振り返ると、そこに立っていたのは、ボサボサの紫髪を無造作に逆立て、目の下に深い隈を刻んだ少年だった。体操服の胸元に縫い付けられた名札には『普通科1年C組・心操人使』と記されている。
「USJの噂も伊達じゃないみたいだ。あんな巨体ロボに押しつぶされて無傷なんて……一体どんな個性してるんだ?」
心操の瞳は、静かな冷たさを湛えていた。ヒーロー科の生徒たちに対する強い劣等感と、それを覆い隠すような冷酷な自信。彼の眼光が、まっすぐに私の瞳の奥を射抜いてくる。
「ふふ、よく鍛えているだけですよ」
私が小さく首を傾げ、鈴を転がすような声で可憐に答えた――その、瞬間のことだ。
(……あら?)
頭蓋の内部へ、まるで極細の粘着糸のような何かが滑り込んできた。
それは私に干渉し、脳の伝達信号を力ずくで書き換えようとする異質な精神エネルギーの奔流だった。相手の言葉に反応して口を開いた瞬間、その人間の意識の主導権を完全に奪い取る――それこそが、心操人使の持つ個性:洗脳だと確信した。
心操の薄い唇が、勝利を確信したように僅かに歪む。
彼の洗脳の粘着糸は、私の精神の深層へと到達しようとしていた。
しかし――。
(……ふむ。なるほど、こうなるのか)
私の中に存在するものは、人間の脳でも、正常な神経回路でもない。
その上、この怪物の体は肉体的な物理干渉だけでなく、精神的な侵襲に対しても、かなりの
心操が放った強力な精神攻撃の糸は、私のアブノーマリティとしての深層核に触れた瞬間、摩擦を失った氷のようにズルリと滑り、その威力の大部分が霧散してしまったのだ。
しかし、残った糸は私の精神を確かに絡め取った。いつもより体を動かすのが難しい。
私の意識は、どこまでも冷徹で、透明で、クリアなままだった。
心操の洗脳は、私に対して、正常に機能していない。30秒もしないうちに支配は解けるだろう。
(精神を掌握し、操る個性……。普通の人間なら、これで完全に意志を奪われ、傀儡と化すのね)
別に、このまま彼の個性を無効化し、彼の元から去ることもできる。
だが、私は、この一瞬の出来事から即座に一つの価値を導き出していた。
(相手の会話ひとつで、人間の意識を完全に制御し、意のままに操る力……)
それは、これから私が人として社会に潜伏し、ヒーローとしての立場を固めていく上で、極めて利用価値の高い能力だった。
もし将来、私の正体や内部の異質さに気づきかけた人間が現れた時。あるいは、世間の目を背けさせるための情報操作が必要になった時。彼のこの洗脳という個性は、私にとって非常に強力で、使い勝手の良い手段となり得る。
(この少年と、ここで切っても切れない繋がりと貸しを作っておくのは……将来的に、大きな利益を生むかもしれない)
私はほんのコンマ数秒の沈黙の後、私は彼の支配に身を任せ、あえて洗脳にかかった人間の振りをして見せた。
「……はい。仰せの……ままに……」
焦点の定まらない、虚ろな声で呟く。
その光景を目にして、心操は深々と安堵の息を吐き、自慢げに鼻を鳴らした。
「……来い、俺の騎馬になってもらう」
心操は私に加え、同じく洗脳によって意識を奪われたB組の生徒や普通科の生徒数人を集め、素早く騎馬を組み上げた。私は彼の足元を支える前足の位置につく。
遠くから緑谷が悲鳴のような声を上げていたが、私は虚ろな瞳のまま、完璧に操られた哀れな人形を演じ続けた。
◇
「さあさあ! チームを結成する15分間が経過したぜ! 運動場に咲き誇るは、男と女の血煙の華! 騎馬戦……スタートォォォ!!」
プレゼント・マイクのシャウトとともに、爆音のホーンが鳴り響く。
次の瞬間、グラウンド全体が怒号と地面を揺らす足音、そして炸裂する個性の暴風によって泥沼の戦場へと変貌した。
「死ねえええデク!! 1000万寄こせぇぇ!!」
爆豪勝己が掌から大爆破を巻き起こし、空中で身を躍らせて緑谷チームへと襲いかかる。
「守れ! 常闇くん!」と叫ぶ緑谷の頭上で、常闇踏陰の『黒影』が巨大な爪を振るい、爆豪の襲撃を間一髪で弾き返す。
同時に、轟焦凍率いるチームが冷気の壁を突如として出現させ、周囲の敵チームの足を氷漬けにしながら、着実にハチマキを奪い取っていく。各所で悲鳴と歓声が交錯し、ポイントがめまぐるしく移動していく狂乱の宴。
だが――その大混戦の中心において、我が心操チームの周りだけは、不自然なほど静かであった。
「俺たちに近づくな。俺たちの存在を意識から外せ」
騎馬の上に立つ心操が、近づいてくる他チームの生徒に向けて冷ややかに問いかけを投げる。
不用意に言葉を返した生徒たちは、その瞬間に意識を乗っ取られ、心操の命令に従って「まるでそこに何もないかのように」視線を逸らし、私たちの騎馬を通り過ぎていった。
(なるほど……洗脳された人間に『無視しろ』と命じることで、戦場の中で不可視の存在になるというわけね。巧妙な戦術だわ)
私は心操の足元をがっしりと支えながら、心の中で彼の智謀に感心していた。
彼の指示通り、私たちは激しい争いの輪から一歩引き、安全な位置から戦況全体を静観していた。
私の体躯は、どれほど激しい爆風が近くで吹き荒れようと、他チームの生徒が不意にぶつかってこようと、1ミリすら揺らぐことはない。心操にとっては、これ以上なく安定した城塞のような騎馬だっただろう。
私は、息を乱しながら必死に1000万ポイントを守り続ける緑谷や、頭に血を昇らせて暴れ回る爆豪、冷徹に獲物を狩る轟たちの姿を観察していた。
彼ら人間の、生の感情の奔流。
必死さ、悔しさ、執着、栄光への欲望。
それらの生々しい生命の輝きを、私は人皮被という少女の皮膜の裏側で、どこまでも冷ややかに、客観的なデータとして蓄積していく。
胸の奥で、異形の核が静かに脈動する。
私はただ、洗脳された人形として「虚ろな表情」を貼りつけたままでいた。
「残り時間、あと1分!!」
実況の声が響く。
戦場は佳境を迎えていた。轟チームが緑谷チームを隅へと追い詰め、激しい攻防を繰り広げている。緑谷のハチマキが轟の手によって奪われ、しかしそれは1000万ではなく別のポイントで――という目まぐるしい展開。
「よし……このまま逃げ切るぞ」
心操が騎馬の上で、満足げに呟いた。
彼の手元には、これまでに無警戒な相手から奪い取った数本のハチマキが握られている。このポイントを維持すれば、心操チームは確実に上位4チームに入り、本戦への進出を果たすことができる。普通科の生徒としては、歴史的な快挙と言える結果だ。
だが――。
(それじゃあ、甘いわね。心操くん)
私は土台の中で、密かに思考を巡らせる。
ただ彼を本戦に上がらせるだけでは、便利な仲間止まりだ。
彼に私の存在を深く刻み込み、私に対する恩を植え付けるためには――もっと劇的で、圧倒的な成果を彼の手に握らせなければならない。
(1000万ポイント……それをあなたにプレゼントしてあげるわ)
「残り時間……10秒! 9! 8……!」
カウントダウンが始まる。
緑谷、轟、爆豪の3大チームが、限界を超えたエゴと個性を激突させ、グラウンドの片隅で猛烈な火花を散らしていた。轟の左腕から炎が吹き出し、爆豪が空中で大爆発を起こし、緑谷が絶叫しながら手を伸ばす。
誰もが、その3人の頂上決戦に目を奪われていた。
スタジアムの数万の観客も、プロヒーローたちも、TVカメラも、全員がその瞬間の決着を固唾をのんで見守っていた。
誰も――一番後ろで静かに佇む、私たちの騎馬など見てはいなかった。
「残り5秒――」
「心操くん」
その時。
洗脳され、虚ろな人形になっているはずの私の口から、鈴を転がすような美しく滑らかな声が響いた。
「え……?」
心操が驚愕し、思わず足元を見下ろした。
その瞬間――。
私の体操服の右袖の下で、恐ろしい変異が起こっていた。
美少女の皮膚を模倣していた皮膜がドロリと解け、内部に蠢く赤黒い肉の繊維が一瞬で組み換わる。それは高密度に収縮し、細く、極めてしなやかな触腕へと変形した。
シュルルルッ!!
目にも留まらぬ音速の刺突。
私の右腕から解き放たれた触腕は、空中を滑るように伸び、爆炎と冷気が交錯する激戦の死角を完璧に縫った。
緑谷、轟、爆豪の3人が空中と地上で入り乱れ、互いのハチマキに手を伸ばす、まさにその1分の1秒の隙。
触腕の尖端は、緑谷出久の首元に固く結ばれていた『1000万ポイント』のハチマキの結び目へ、針の穴を通すような精密さで滑り込んだ。
「な……っ!?」
緑谷が違和感を覚えた時には、すでに遅かった。
パチン、と結び目が弾けて解け、1000万の文字が書かれた白い布が宙に舞う。
(もらったわ)
触腕がハチマキを優雅に絡め取り、高速で手元へと引き戻される。
「ハ……ハチマキが!? 嘘だろ、どこから――!?」
緑谷が絶望に顔を歪めて叫ぶ。
「奪ってんじゃねぇえええ! 何しやがったクソ女ぁぁぁぁぁッ!!!!」
その異次元の強奪に、野生的な勘で一瞬で気づいた爆豪勝己が、般若のような相貌で空を蹴った。
手のひらを、一直線に私の伸ばした触腕と、私の顔面へ向け、持てる最大級の爆破を叩きつけようと肉薄してくる。
「死ねぇぇぇ!!」
ドッガァァァァァンッ!!!!!
至近距離で炸裂する、スタジアム全体を揺らすほどの巨大な爆風と火柱。
爆豪の全力が込められた熱量と強力な衝撃波が、私の触腕を完全に飲み込んだ。強烈な閃光が周囲を視界不良に陥れ、激しい土煙が舞い上がる。観客席から悲鳴が上がった。
しかし――。
シュルッ。
猛烈な爆炎と爆風を何事もなかったかのように切り裂き、焦げ目ひとつついていない赤黒い触腕が、ぬるりと火柱の中から戻ってきた。
物理攻撃無効。
爆豪がプライドを賭けて放った最大威力の爆破すら、私の肉体を1ミリすら傷つけることはできなかった。熱エネルギーも、膨張する空気の圧力も、私の皮膜を通過した瞬間に無へと還元されていたのだ。
「な……っ!? 効いて……ねぇ……!?」
空中で目を見開く爆豪。その瞳に宿っていたのは、激怒を超えた――未知の怪物に対する戦慄だった。
触腕は奪い取った1000万のハチマキを滑らかに回収すると、そのまま心操人使の首元へと優しく巻き付け、ちょうちょ結びで結んで見せた。
ピピーーーーーーッ!!!!!
「そこまでえええええええッ!!! タイムアップ!!」
審判のミッドナイトの笛が、スタジアムに甲高く響き渡った。
「終~了~!! さあ、激闘の騎馬戦! 最後に笑ったのは……なんと!! なんと最後の最後で大波乱だあぁぁ!!」
メインモニターの順位が一瞬で書き換わる。
『1位:心操チーム(1000万190ポイント)』
「う……嘘だろ……!?」
緑谷がその場に膝から崩れ落ち、爆豪は着地と同時に激しい悔しさから地面を拳で殴りつけた。
「クソがぁぁぁぁ!! あの……クソ女ぁぁぁ!!」
スタジアム全体が、予想だにしなかった普通科の生徒による1位奪取という大番狂わせに、割れんばかりの大歓声を上げた。拍手と歓声が落雷のように降り注ぐ。
「……あ……え……?」
騎馬が解け、グラウンドに足をついた心操人使は、自分の首元に巻かれた1000万のハチマキと、モニターに表示された『1位』の文字を交互に見つめ、呆然と立ち尽くしていた。
指先が震えている。
自分の個性が生み出した成果だとは到底思えない、あまりにも不条理で、あまりにも圧倒的な結末。
「俺が……1位……? 1000万を……僕が奪った……?」
彼は震える手でハチマキの布地に触れ、ゆっくりと、恐る恐る私の方へと振り返った。
そこには――右腕を何事もなかったかのように綺麗な腕へと戻し、体操服のシワを丁寧に整えている私の姿があった。
爆豪の至近距離での爆破を受けたはずの肌にも、服にも、黒い煤すら一筋もついていない。髪の毛一本すら乱れていなかった。
「……お前……」
心操の声が、掠れていた。喉がカラカラに乾き、息が上手く吸えていない。
「お前……おれの洗脳に……最初から、かかっていなかったな……?」
彼の震える問いかけに、私はふふっ、と鈴を転がすような声で小さく笑った。
そっと心操へと一歩歩み寄り、彼だけに聞こえるような可憐で、そして凍りつくほど冷ややかな小声で耳元に囁く。
「洗脳だなんて、滅相もありません。私はただ……心操くんの素晴らしい個性に感動して、ぜひお手伝いさせていただけたらと思っただけですよ?」
「……っ……!」
心操の背筋に、氷の刃を直接突きつけられたかのような猛烈な寒気が走った。
相手の意識を奪う自分の洗脳が、一切通用していなかったという絶望。
爆豪の最大火力の爆破を零距離で受けても傷一つ負わない異常性。
そして何より――。
彼は悟った。
自分が洗脳で彼女を操っていたのではない。
最初から最後まで、自分がこの少女の掌の上で、踊らされていたのだと。
「1位通過、おめでとうございます、心操くん」
私はどこまでも完璧な微笑みを浮かべ、彼の固まった肩を優しくポンと叩いた。
「本戦でも……仲良くしてくださいね?」
大歓声が降り注ぐスタジアムの真ん中で、私は可憐に髪をなびかせ、歓喜に湧く数万の観客席へと向かって、優しく手を振り続けた。