空座町の一角。
とうに夜の帳が降りた住宅街の上空で、二つの影が対峙していた。
一方は護廷十三隊十一番隊唯一の文官、
実に対照的な二人である。
絵島が漆黒の死覇装に身を包んだ小柄な少女であるのに対し、エル・プルポは純白の洋服を纏った二メートルを越す長身で、互いの得物もまた、違いが著しい。
絵島の斬魄刀は掌に収まるほど小さな柄と鞘で出来ており、刃がない。かたやエル・プルポのそれは絵島の背丈ほどもあり、鋸のように鋭く尖った刀身を光らせている。
二合ほど撃ち合った末、二人は距離を取り、じっと敵を見定めていた。
「…………驚いたよ。まさかそちらさんも斬魄刀を持ってるとはね」
エル・プルポの、陰陽太極図に似た面にさざ波が走る。顔のない破面の、これが笑い方らしい。
「我らは数多の魂を喰らって強くなった。死神の魂もな」
「────なるほど」
絵島はすっと両目を細めた。
死神の持つ斬魄刀は、浅打と呼ばれる刀に己の魂を写し取ることで能力が開花した武器だ。死神の魂を喰らうとはつまり、斬魄刀そのものを取り込むのと同じこと。
であれば、藍染によって強化された虚たちが斬魄刀を手にしていても、おかしなことではないのだろう。
絵島は不意討ちを仕掛けてみた。なんの予備動作もないまま、いきなり斬りつけたのである。
不可視の刃を鞭のようにしならせ、敵の手首を狙う。────ところが。
ギィン、と耳障りな金属音を響かせただけで、皮膚一枚削ることもできなかった。
「…………!」
目を見開く絵島に、エル・プルポはひらりと手を振った。
「驚くことじゃない。
「……そのようだね」
苦々しい思いを笑顔の下に隠し、絵島はこっそり溜息をついた。
今の一撃、別に手を抜いたつもりはない。並の虚なら両断できるぐらいの霊圧を篭めてある。それが無傷とは。
口の中で呟いた。
「天挺空羅」
鬼道のひとつで、霊圧を通して死神に伝心する技である。詠唱も呪印も破棄した簡略版だが、現世に来ている六人の隊士に伝えるだけならばこれで充分だ。
〈絵島接敵。破面は鋼皮なる丈夫な皮膚で守りが固い。各々警戒されたし〉
それだけ告げて空羅を終える。
間髪入れず霊圧を上昇させた。
「それじゃ」
鞭様の刃を斧に変形させる。威力を高めてなお、鋼皮とやらが通用するか。
「続きだ」
瞬歩で一息に距離を詰め、背後から脳天に振り下ろした。
〇〇〇
絵島もエル・プルポも霊体のため、並の人間には姿も見えず声も聞こえない。
ただし攻撃の余波は別だ。電柱やアスファルトや生垣は、斬られたぶんだけ生々しい痕を残す。もし今が草木も眠る丑三つ時でなかったら、通りすがる住民に甚大な被害が及んでいただろう。
絵島は舌打ちし、死角から襲い来る凶刃を空に向かって弾いた。
「あまり道路だなんだを壊すでないよ。直すのも大変なんだから」
「知ったことか」
当然と言えば当然の答えを吐き捨てながら、破面が更に攻めてくる。鋸刀を持った方の手がふっと霞んだ。目の前に迫る刃を、絵島は首を反らせて躱す。反応がわずかに遅れ、首筋に赤い線が走った。
エル・プルポの
腹立たしいことに、最初は随分手を抜かれていたようだ。いまではもう、比べ物にならないほど速くなっている。
視界の端にほんの一瞬だけ映る鋼の煌めきを、あるいは弾き、あるいはいなして叩き落とすので精一杯だった。
「く……っ!」
刹那の油断が命取りとなる攻防は、重ねれば重ねるだけ、着実に絵島の集中力を奪っていく。
────月が僅かに傾く頃。
気が付けば、絵島は躰のいたるところに深傷を負っていた。
鋸刃は肉を抉り、筋を引き裂き、骨を砕く。機動だけは失うまいと手足の負傷だけは避けているものの、このままいけば血を流しすぎて動けなくなるのも時間の問題だった。
対して、エル・プルポに目立つ傷はない。
斧にしようが大剣にしようが、掠り傷をつけるのが関の山だった。
「……やれやれ……生意気を……言うだけの、ことは……あるねえ」
頬に流れる血を手の甲で拭い、肩で息をしつつ絵島が笑う。敵からすれば虚勢以外の何物でもなかろうが、戦闘中に笑うのは十一番隊隊士の習性のようなものだ。
“追い詰められた時こそ笑え”
“危機こそ愛せ”
“そして勝て”
代々教え継がれてきた心構えを内心で唱えながら、ふーっと息を吐く。
「流石に、
絵島の霊圧が更に高まる気配に、破面は敏感に反応した。
いまにも斬りつけたそうに伸ばしていた腕をわざわざ引っ込め、白黒の顔をぐうっとせり出してくる。
「出すのか? 卍解とやらを」
「出してほしいのかえ?」
「ああ。見たい」
生憎、
「始解なら、見せてやろうじゃないか」
不敵な笑みと共に、絵島は自身の斬魄刀をぱちりと閉じた。
〇〇〇
絵島の斬魄刀は常時解放型で、匕首ほどの大きさしかない。その名も、
「──時に、胡蝶の夢って知ってるかえ?」
「コチョウ?」
ぐにん、と破面が首を傾げる。首がもげそうなほど曲げているのを見るに、関節が柔軟なのは腕だけではないようだ。
絵島は白鞘の斬魄刀に霊圧を篭め続けながら、静かに教えてやった。
「昔々のお話さ」
川辺で
詩人は夢の中で、蝶になって飛んでいた。
目覚めた詩人が、ふと考える。
果たしていまのは夢なのだろうか。
蝶こそがほんとうの自分で、こうして寝転がっている人間の方こそ夢なのではないか……?
話を黙って聞いていた破面が、さきほどとは反対の方向に首を傾げる。
「つまり?」
絵島は答えた。
「アタシらみんな、夢と現の狭間に生きているということだよ」
言うや、再び鞘を抜く。今度は刀身が具象化していた。刃渡りわずか十センチ足らずだが、エル・プルポの斬魄刀同様、刃が鋸のように尖っている。
それを、おもむろに己の腕に突き立てた。
「
途端に、エル・プルポの全身から真っ赤な血が噴き出した。
「なっ!?」
驚き絶句する破面に、絵島が淡々と説明する。うって変わって彼女の血は消え、傷も癒えていた。
「アタシの斬魄刀・胡蝶宴はね。夢幻の宴を開くのさ。アタシをたんまり斬ったと思ったろう? でもよォく思い返してごらん。それはほんとうに、
「なん……だと……っ!?」
「あんたがアタシを斬ったのか……アタシがあんたを斬ったのか……知るは神様ばかりなり、ってね」
「…………っ! 傷を、転移させたのか……っ!」
絵島は笑って答えなかった。
転移というより因果律を書き換えたというほうが近いのだが、馬鹿正直に教えてやる義理も義務もない。
瞬歩を使って破面の右手に回る。咄嗟にエル・プルポが反撃してきたが、動揺しすぎて隙だらけだ。難なく躱しながら、峰に指を走らせ、鬼道を唱えた。
「破道の三十二
本来は雷火の光線を放つ破道である。しかしこの時ばかりは違う。斬魄刀を芯に据え、刃のように変形させたのだ。
絵島は鬼道衆に所属していた際、鬼道を斬魄刀に乗せる術を編み出していた。
浦原と共通の知り合いである四楓院夜一の瞬閧に着想を得た秘術である。
名を、
雷火の刃と化した黄火閃は、火花を散らしながら、目にも止まらぬ迅さで破面の首を断ち切った。
〇〇〇
浦原商店に戻ると、店の外で浦原喜助が待っていた。
「お帰りなさい、十兵衛サン」
「ただいま、喜助。他の連中も……勝ったようだね」
戦闘中、日番谷たちが限定解除する気配がした。その後も霊圧は消えていないから、全員勝利を収めたのだろう。
その割に浦原の顔色が優れない。絵島が無言で促すと、端的な返事が返ってきた。
「斑目一角サンが意識不明の重体です」
「一角が……」
絵島は眉根を寄せた。
斑目一角は決して弱くない。密かに卍解を会得していることも知っている。
それでも重傷を免れなかった。
「あちらさん、こっちの想定を遥かに超える戦力をお持ちのようですねえ。なにが最悪といって、今回の戦闘でこれっぽっちも削れていないところかなと」
浦原の言葉に、絵島も頷く。
今回の敵襲、人数と力量からして斥候だろう。死神たちの力を測るためのいわば捨て駒に、絵島はあそこまで苦戦を強いられた。
「…………」
もう一度、仲間たちの霊圧を探る。日番谷冬獅郎と阿散井恋次の消耗が激しいのが分かった。
「……一度瀞霊廷に戻って編成を見直した方が良さそうだねえ」
今回得られた情報は多い。防衛するにしても進撃するにしても、もっと最適な人員を用いるべきだ。
至極まっとうな意見はしかし、背後から却下された。
「その必要はねえよ」
絵島が弾かれたように振り向く。真後ろに立っていたのは、隊舎に居るはずの更木剣八だった。
「どうして」
剣八は瞠目する絵島の肩を掴むと、有無を言わさず抱き寄せた。眉のない目が浦原を射抜く。
「返してもらうぜ。もう用はねえだろ?」
「ええ。お返しします」
「ちょいと! 人を猫の子みたいに!」
抗議の声を丸っきり無視して、剣八は尸魂界と現世を繋ぐ穿界門の中に絵島を突き飛ばした。
「俺の部屋で待ってろ」
それだけ言って、門が閉じられた。
〇〇〇
────仕方なく剣八の部屋で待っていると、副隊長の草鹿やちるがひょこりと顔をのぞかせた。嬉しそうに絵島の胸に飛び込んでくる。
「綱ちゃんおかえりー!」
「……ただいま、やちる」
桜色の髪を撫でてやりながら、絵島はふわりと微笑んだ。
他の隊士が居ない時、二人は仲睦まじい姉妹のように過ごす。普段は序列が乱れないよう絵島のほうから距離を置くが、剣八の私室に勝手に入ってくる命知らずはやちるだけだから問題あるまい。
やちるが、汚れひとつない死覇装をまじまじと見つめた。
「綱ちゃん流石! 無傷だね」
「ん? ふふ、そうだろう」
〈胡蝶宴・序〉で敵と自分の因果を書き換えたおかげだ。それはつまり、始解しなければ傷一つ与えられなかったことも意味するので、あまり胸を張ることは出来ないのだけれど。
剣八は案外すぐに帰ってきた。
絵島の胸からやちるをひっぺがすと、先遣隊の現状について手短に説明した。
曰く。
一角の勝利はかなり危ういものであったらしい。観戦していた綾瀬川弓親が隊葬の用意を要請するほどだったそうだ。
その報せを受けて、総隊長の山本元柳斎重國が剣八と朽木白哉に迎えに行くよう指示。二人は即座に現世へと向かい、先遣隊を回収した──ということらしい。
他の隊士は命に別状ないと聞いて、ひとまず胸を撫で下ろした。
「……それは分かりましたけどね。なんだってアタシだけ個別に帰らせたんです」
本来なら、絵島も他の隊士と同時に帰還したはず。隠れて帰らねばならないような怪我も事情もないつもりだが。
すると剣八は呆れたように片目を開いた。
「ああ? お前そんな霊圧ダダ漏れの状態であいつらと帰るつもりだったのか?」
「…………あ」
絵島は己の迂闊さに、額をぴしゃりと叩いた。
絵島の霊圧は特殊で、長く触れた人を狂わせる性質がある。普段は周囲に影響を及ぼさないよう特別な煙草を吸って打ち消しているのだが、戦闘中に
「あー……そうか、そうだね。お前さんの言う通りだ」
「ふん」
「あはは! 綱ちゃんドジっ子〜」
やちるがケラケラ笑う。
なぜだかやちるは絵島の近くにいても狂わない。出会った時からそうなので、つい煙管を使うのを忘れていた。
懐から取り出そうとする絵島を剣八が制する。そのまま無言で布団に押し倒された。
「ごゆっくりー」
やちるが軽快な足取りで部屋を出ていく。
ごつごつした指が、絵島の首をそっとなぞった。
そこはちょうど、敵に斬られた場所だ。霊圧の残滓でも感じ取ったか。
「強かったか」
「まあまあ、かね。始解を使わされたよ」
「そうか」
剣八が首元に唇を寄せる。
「は…………っ!」
鮮烈な痛みの奥に快楽の炎が灯る。
流れる血を舐め取り、剣八は傲岸不遜に命じた。
「他にもやられたろ。言え」
死覇装が乱暴に剥ぎ取られていく。あっという間に素裸にされ、絵島は羞恥に身を捩った。
剣八の瞳は情欲に爛々と光り、獣のようだ。
斬りつけられた箇所を全て上書きせねば気が済まないらしい。
支配欲とおうか、独占欲といおうか。
病的な執着を向けられて、悦びを感じているあたり、絵島もつくづく毒されている。
細い腕を伸ばし、愛しい男を
「あちこちやられっちまった……全部塗り替えておくれな」
「当たり前だ」
剣八の巨体が、覆い被さった。
斬魄刀の能力はふわっと読んでください。
次を空座町決戦編にするか一気に千年血戦篇に跳ぶか悩み中。
アヨンと十兵衛ちゃん戦わせてみたいんだよなー。