ホグワーツは今日も非合理であるーー日本から来たスリザリン生の七年間 作:汐川
十月三十一日は、木曜日だった。
ホグワーツでも、ハロウィーンだからといって授業が休みになるわけではなかった。魔法学校でもその辺は変わらないんだな、と真司は思った。
朝食を終えて大広間を出ると、玄関広間には昨日より南瓜が増えている。
窓辺に三つ。扉の脇に五つ。大階段の下には、両腕でも抱えきれそうにない大きなものまで積まれている。
「また増えてる」
隣を歩いていたマルコムがそちらを見た。
「ハロウィーンだよ」
真司は横を向いた。
「もしかしてだけど、僕のこと馬鹿にしてる?」
「まさか! ただ、もしかしてだけど、君がハロウィーンを知らないのかと思って」
マルコムがにやっとした。
「そう。南瓜を見るまで気づかなかったよ」
「それは教えた甲斐があった」
二人とも笑った。
他愛のないおしゃべりをしながら、二人は飛行訓練のために肌寒い校庭へ向かった。
*
数週間前なら、着地のたびに二、三歩走っていた真司も、今日は一歩で済んだ。
マルコムは相変わらず、狙った場所へきちんと降りた。
「今、一歩だった」
「見てたよ」
「次こそはゼロ」
飛行訓練を終えた二人は箒を返し、薬草学の温室へ向かった。
十月末の風は、空を飛んでいるときには気持ちがよかったが、地面へ降りると急に冷たく感じられた。真司がローブの前を合わせながら温室への道を歩いていると、前方から大きな橙色のものがやってきた。
正しくは、巨大な南瓜を抱えたハグリッドがやってきた。
朝、玄関広間にあったものより、さらに大きい。
ハグリッドの胸から顎のあたりまで、すっかり隠している。
「おはよう、ハグリッド」
「おう。飛んできたとこか?」
ハグリッドは南瓜の横から髭だらけの顔を出した。
「うん」
真司は立ち止まり、南瓜を見上げた。
「それも飾るの?」
「ああ。今夜使うんだ」
「食べるんじゃなくて?」
ハグリッドは少し妙な顔をした。
「食うために作ったやつじゃねぇからな。食えんことはねぇが、味はそりゃひでぇもんだ」
「どんな味ですか?」
「気になるのか?」
ハグリッドが笑った。
「おまえさんがどうしても味を知りてぇってんなら、終わったあとでカボチャパイにでもするとええ。俺の畑にたんまりある。友達の分もたんとあるぞ」
真司は巨大な南瓜をもう一度見上げた。
友達三人どころの話ではなさそうだった。
「遠慮しておくよ」
マルコムが先に答えた。
「君に聞いてないだろ」
「君は聞かれたら食べそうだから」
「まだ食べるとは言ってない」
「まだね」
温室の方から生徒たちの声が聞こえた。
「あ」
真司は時計を見た。授業開始の時間が迫っていた。
「じゃあ、また!」
「おう。遅れるんじゃねぇぞ!」
二人は駆け出した。
背後では、巨大な南瓜がゆっくり城の方へ運ばれていった
*
薬草学を終え、昼食のときには、スリザリンの上級生が、先週末にホグズミードで買ったという南瓜型の砂糖菓子を一年生へ配ってくれた。
真司も一つもらった。
南瓜の形をしていたが、南瓜の味はしなかった。
「飾るわりに普通だね」
「何を期待してたの?」
「もっとこう……」
真司は大広間を見回した。
「分からないけど、何か」
「便利な期待だな」
マルコムは自分の菓子を口へ放り込んだ。
*
フリットウィック教授は教卓の上に立ち、小さな羽根を一枚持ち上げた。
「今日は、物を浮かせます」
教室のあちこちで椅子が鳴った。フリットウィック教授に視線が集まる。
空中に物を浮かせるとなれば、一年生の注意を集めるには十分だった。
「呪文は《ウィンガーディアム・レヴィオーサ》」
教授は、一語ずつはっきり発音した。
「発音には十分注意してください。《レヴィオーサ》ですよ。発音を誤って、バッファローの下敷きにはなりたくないでしょう?」
何人かが口の中で繰り返した。
「杖は――びゅーん、ひょい」
小さな杖が滑らかに動いた。
羽根が机からふわりと浮かび上がる。
「びゅーん、ひょい。大きく振り回す必要はありません」
真司は手帳の端に、
びゅーん、ひょい。
と書いた。
そこだけ見れば、魔法学校の授業とはあまり思えなかった。
練習が始まった。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
真司の羽根は最初、机の上を震えただけだった。
二度目には少し浮いた。
三度目には指一本分ほど上がった。
「今の、ちょっと速い」
隣からマルコムが言った。
「分かってる」
そのマルコムの隣で、エイダが声を上げた。
「あ」
マルコムが顔を上げた。
「変なことを思いついた顔だ」
「顔で決めないで」
エイダは自分の羽根を見つめた。
「最後の『ひょい』を、こう変えたらもっと上がるんじゃない?」
「変えるなよ」
「いいじゃん、ちょっとくらい」
「やめておけって」
エイダが杖を振った。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」
びゅーん。
ひょい。
それから、もう一度ひょい。
ボンッ!
羽根が爆ぜた。
「わっ!」
爆風で周囲の生徒のーーもちろん真司やマルコムも含むーー白い羽が一斉に舞い、エイダの袖口から小さな火が上がった。
フリットウィック教授の杖がすぐに動いた。
火は消えた。
エイダは椅子から立ち上がり、赤くなった手首を押さえた。
「熱っ……」
教授は教卓から降りてくると、手首を確認した。
「医務室へ行きなさい。ミスタ・グラント、ミスタ・ミズキ、一緒に」
「はい」
それから教授は、教室中に散った羽を見た。
エイダを見る。
「ミス・ラブレス」
「はい」
「今夜はもう一つ、お仕事があります」
エイダの顔が曇った。
「『私は今後、杖をふりまわして教室を爆破しません』。その一文を書き取ってください。羊皮紙ひと巻き」
教室のどこかで吹き出す音がした。
「……はい」
「次からは、私が教えた『ひょい』を勝手に増やさないこと」
「……はい」
今度はずいぶん小さな返事だった。
マルコムは爆発した羽根の跡を見た。
「新しい羽根が必要だな」
エイダが涙目で睨んだ。
「見れば分かる」
*
「ーーだから言っただろ」
医務室へ向かう廊下で、マルコムは言った。
「何回も聞いた」
「君には何回言っても足りないくらいだ」
「でも羽根は浮いた」
「爆風でね」
エイダは黙った。
そこで、前からベアトリスがやってきた。
「あれ?」
三人を見て、すぐにエイダの焦げた袖へ目をやる。
「どうしたの?」
「浮遊術」
「爆発」
エイダとマルコムがほとんど同時に答えた。
ベアトリスは少し考えた。
「私たちも今日やったよ。爆発はしなかったけど」
「そこは授業じゃない」
マルコムが言った。
「私も行く」
「授業は?」
「今日はもうおしまい」
それだけ言って、ベアトリスは四人目に収まった。
医務室での処置はすぐに済んだ。
薬を塗られ、手首を軽く巻かれ、今日はあまり触らないようにと言われる。
処置が終わると、エイダは包帯を巻かれた手を曲げ伸ばしした。
「羽根ペンは持てる」
「そこを心配するんだ」
真司が言った。
「書き取りがあるから」
マルコムは何も言わなかった。
*
医務室を出たころには、窓の外は暗くなり始めていた。それにしてもホグワーツの医務室はなんて不便なところにあるのだろう。まさか時計塔のてっぺんだなんて。
なるべく怪我をしないようにしよう。真司はそう決意した。
そうして、四人は宴へ向かって大階段を降りた。
そこで、頭上から笑い声が降ってきた。
「おやおやおや! 爆弾ラブレスとその御一行のおかえりだ!」
エイダが顔をしかめた。
「最悪」
ピーブズが手すりの上を滑るように降りてきた。
頭には南瓜のへたを帽子のように載せている。
「包帯! 包帯! レイブンクローが包帯!」
「無視しよう」
マルコムが言った。
四人はそのまま階段を下りた。
ピーブズもついてきた。
「遊ばないのか? 今日はハロウィーンだぞ!」
「遊ばない。あなたの相手をしたくないだけ」
「なんということだ! ピーブズは傷ついた! あぁ、なーんにもわかっていない一年生! 今日はハロウィーンなのに!」
まったく傷ついていない顔だった。
ピーブズは天井近くへ飛んでいった。
「行った?」
ベアトリスが振り返った。
「たぶん」
半分期待が籠ったエイダの返事。その期待はすぐに裏切られることになる。
ーーどん。
何かが落下した音がした。
四人とも止まった。
もう一度。
どん。
真司が階段の上を見る。
橙色の丸いものが見えた。
大きい。
そして、見覚えがあった。
「……あれ」
朝、ハグリッドが運んでいた南瓜だった。
「嘘だろ」
マルコムが言った。
南瓜が一段落ちた。
どん。
また一段。
どん。
次の瞬間、転がり始めた。
「走って!」
四人は階段を駆け下りた。
背後で南瓜が跳ねるたびに、石床へ重い音が響いた。
「ピーブズ!」
エイダが振り返る。
遥か後ろで、ポルターガイストが腹を抱えて笑っていた。
「やりすぎだ、ピーブズ!」
マルコムが叫んだ。
返事は笑い声だけだった。
「角!」
真司が言った。
四人は廊下の角を曲がった。
これなら、まっすぐ転がってくる南瓜からは逃げられる。
はずだった。
音が止まらない。
真司が振り返る。
「え?」
巨大な南瓜が、こちらへ曲がってきた。
「曲がった!」
「見れば分かる!」
「なんで?!」
「今それ考える?!」
エイダが叫んだ。
後ろから南瓜が迫る。
前にはまた階段があった。
四人は駆け下りた。
「とめなきゃ!」
ベアトリスが言った。
「どうやって?!」
真司は叫び返した。
「あんなおっきいのじゃ、僕らなぺしゃんこだ!」
「シンジ!」
マルコムの声が飛んできた。
「僕らは魔法使いだ!」
真司は一瞬だけ黙った。
「あ」
「『あ』じゃない!」
今日習ったばかりだった。
物を浮かせる魔法。
教室では羽根だった。
後ろにいるのは、巨大な南瓜。ハグリッドがようやく抱えられる巨大な南瓜。羽根よりは当然重い。
「一人じゃ無理だよ!」
「四人いる!」
マルコムは走りながら振り返った。
「一、二の三で振り向く! 全員で浮遊術だ!」
「失敗したら?」
エイダが聞いた。
「その時は――」
マルコムは一瞬だけ考え、にやりと笑った。
「もう一回、みんなで医務室にお世話になろう」
「縁起悪いよ!」
前には壁が迫っていた。
真司は杖を抜いた。
ベアトリスも。
エイダも包帯の巻かれた手首をかばいながら杖を構える。
「一!」
背後の音が大きくなる。
「二!」
真司は息を吸った。
「三!」
四人が振り向いた。
巨大な南瓜が目の前まで来ていた。
「「「「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」」」」
四本の杖が同時に動いた。
びゅーん。
ひょい。
南瓜が跳ねた。
真司は杖を握りしめた。
衝撃は来なかった。
転がる音だけが、ふっと消えた。
巨大な南瓜が浮いている。
床から一フィートほど。
四人のすぐ前で。
「……浮いた」
エイダが言った。
「集中!」
マルコムの額には汗が浮いていた。
南瓜がぐらりと傾く。
「右!」
「右ってどっちだっけ?!」
「私の方!」
「それは左!」
四本の杖が少しずつ動く。
巨大な南瓜も横へずれた。
壁際へ。
「下ろすよ」
ベアトリスが言った。
南瓜がゆっくり下がる。
どん。
床へ着いた。
今度は転がらなかった。
四人はしばらく杖を構えたまま動かなかった。
「止まった?」
真司が聞いた。
「たぶん」
「たぶんじゃ困る」
マルコムはまだ南瓜を睨んでいた。
頭上から拍手が聞こえた。
「見事、見事! 一年坊主の南瓜曲芸!」
ピーブズだった。
エイダが杖を持ち上げる。
「こいつ――!」
「ラブレス!」
鋭い声が廊下へ響いた。
エイダの杖がぴたりと止まる。
ピーブズも止まった。
廊下の向こうに、マクゴナガル校長が立っていた。
「ピーブズ」
「校長先生!」
ピーブズは急に愛想のよい顔をした。
「これはこれは、楽しいハロウィーンを――」
「一年生をあの南瓜で追い回すことが、あなたの言う『楽しいハロウィーン』ですか?」
「ほんのちょっとした――」
「ピーブズ」
今度は名前だけだった。
ピーブズは口を閉じた。
そのまま天井へ逃げようとする。
「戻りなさい!」
一瞬だけ足が止まった。
それでも消えた。
マクゴナガルは天井を睨んだ。
「あとで必ず話をします」
それから四人へ向き直った。
「怪我は?」
「ありません」
マルコムが答えた。
マクゴナガルは南瓜を見て、それから四人を見た。
「心配せずとも、あなた方にお咎めなど、ありません。むしろ、習ったばかりの魔法をよく使いました。フィリウスも喜ぶでしょう」
エイダの顔が少しほころんだ。
「グラント。皆で術を合わせると判断したのは、あなたですね」
「はい」
「冷静な判断でした。スリザリンに五点」
マルコムが目を輝かせた。
「それから、協力して危険を止めたことに。スリザリン、レイブンクロー、ハッフルパフへ三点ずつ」
スリザリンは八点増えたことになる!
今日は南瓜に追いかけられたわりには、悪くない。
「大広間へ行きなさい。夕食が始まります」
「はい」
四人は揃って答えた。
*
大広間には、朝よりずっと多くの南瓜が浮かんでいた。
真司は入口で一瞬立ち止まった。
今日だけで、南瓜を見るのはもう十分だった。
でも料理の方は別だ。
四人はそれぞれの寮卓へ分かれた。
スリザリン卓へ座ると、マルコムはまず水を一杯飲み干した。
「疲れた」
「僕も」
料理を取りながら、マルコムがこちらを見た。
「君、途中で『なんで曲がった』って考えてただろ」
「考えたけど」
「走りながら?」
「ちょっとだけ」
「次は走ることだけ考えて」
「次はもうないことを祈るよ」
マルコムは答えず、自分の皿へ料理を取った。
向こうのレイブンクロー卓では、エイダが包帯を見せながら友人たちに何かを説明していた。
身振りだけ見ると、実際よりずいぶん格好いい事件になっている。
ハッフルパフ卓では、ベアトリスが友人たちと笑っていた。真司と目があったベアトリスは微笑んで手を振ってきた。
真司も手を振り返して、自分の皿へ料理を運んだ。
*
宴を終えて地下へ戻るころには、マルコムは何度か欠伸をしていた。
「眠い?」
「少し」
「明日も授業だよ」
「知ってる」
明日は金曜日だった。
ハロウィーンの翌日だからといっても、やっぱり休みにはならない。
「今日は早く寝よう」
当然のように二人の意見は完全に一致した。
寝室へ向かう階段を上りながら、マルコムがもう一度大きく欠伸をした。
真司は明日の朝を想像した。
ぼさぼさの髪で、まだ半分しか開いていない目のまま着替えをするマルコム。
「何?」
眠そうな声がした。
「いや」
真司は笑った。
「明日の朝がちょっと楽しみになっただけ」
「嫌な予感しかしないな」