ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第七章 未来へ

 

 スカーが地下水道へ姿を消してから、しばらく後。

 

 ヨキは東方司令部へ戻ってきた。

 

 雨に濡れた制服は重く、身体のあちこちが鈍く痛む。

 

 それでも。

 

 建物へ入った瞬間、ヨキの足は自然と速くなっていた。

 

 ニーナたちが保護されている部屋の前まで辿り着く。

 

 扉を開けるより先に、中から声が聞こえた。

 

「おヒゲのおじちゃん!」

 

 扉が開く。

 

 ニーナが飛び出してきた。

 

「わっ。」

 

 ヨキは慌てて膝を折り、小さな身体を受け止める。

 

 ニーナは胸へ顔を押し付け、服を強く掴んだ。

 

「よかった……。」

 

「おヒゲのおじちゃん、帰ってきた……。」

 

 その声は震えていた。

 

 ヨキは一瞬だけ言葉に詰まり、やがて小さな背中へ腕を回した。

 

「ごめんね。」

 

「怖い思いをさせた。」

 

 ニーナは何度も首を横へ振った。

 

「おじちゃんが、守ってくれたの。」

 

「アルお兄ちゃんが、教えてくれた。」

 

 その後ろから、アレキサンダーが大きな身体を揺らしながら近付いてくる。

 

「わふっ!」

 

「よしよし。」

 

 ヨキが空いた手で頭を撫でると、アレキサンダーは何度も顔を擦り寄せた。

 

 少し離れた場所には、エドワードとアルフォンスが立っている。

 

「無事だったんだな。」

 

 エドワードが安堵したように笑う。

 

「ああ。」

 

「君たちも。」

 

 ヨキはニーナを抱いたまま、深く息を吐いた。

 

「本当によかった。」

 

 

 しばらくして。

 

 ヨキはニーナを床へ下ろし、立ち上がった。

 

「さあ、そろそろお家に帰ろうか。」

 

「タッカー宅へ戻るのか?」

 

 エドワードの問いに、ヨキは頷く。

 

「少なくとも、今夜はね。」

 

「この子たちが落ち着ける場所は、まだあそこしかない。」

 

「でも……。」

 

 アルフォンスが心配そうに口を開く。

 

「二人だけにはしないよ。」

 

 ヨキは小さく笑った。

 

「今夜は俺も一緒にいる。」

 

「司令部には報告しておくさ。」

 

 ニーナが再びヨキの服を掴む。

 

「おヒゲのおじちゃん、帰らない?」

 

「ああ。」

 

「今日は帰らないよ。」

 

 その言葉を聞き、ニーナはようやく僅かに表情を緩めた。

 

 ヨキは一人と一匹を連れ、部屋を出ていく。

 

 その背中を、エドワードとアルフォンスは黙って見送った。

 

「……なあ、アル。」

 

「うん。」

 

「俺たちにも。」

 

「何かできねぇかな。」

 

 アルフォンスは、兄と同じ方向を見つめたまま頷く。

 

「僕も、ずっと考えてた。」

 

「ニーナちゃんたちが、安心して暮らせる場所。」

 

「俺たちが知ってる場所で。」

 

「ちゃんと信じられる大人がいるところ……。」

 

 二人は顔を見合わせる。

 

 しかし、その場ではまだ答えを口にしなかった。

 

 

 翌日。

 

 エドワードとアルフォンスは、東方司令部を訪れていた。

 

「ヨキ中尉なら。」

 

 フュリーが書類を抱えながら答える。

 

「ハボック少尉と喫煙所にいると思いますよ。」

 

「また煙草かよ。」

 

 エドワードが呆れたように呟く。

 

「最近は、よくお二人でいらっしゃいますね。」

 

 フュリーは微笑む。

 

 少し待っていると、廊下の向こうからヨキとハボックが歩いてきた。

 

「おっ。」

 

「エドワード君。」

 

 ヨキが片手を上げる。

 

「昨日ぶりですね。」

 

「どうしました?」

 

「いや。」

 

 エドワードは少し言いにくそうに視線を逸らす。

 

「ニーナが、あれからどうしてたかなと思ってさ。」

 

 ヨキの表情が少し柔らかくなる。

 

「気になりますよね。」

 

 周囲へ目を向ける。

 

「ここでは何ですから、少し出ましょうか。」

 

 三人は人の少ない廊下へ移動した。

 

「ニーナちゃんですが。」

 

 ヨキは壁へ軽く背を預ける。

 

「あれから、帰らないでほしいと頼まれましてね。」

 

「司令部へ報告して、結局タッカー宅で一晩過ごしました。」

 

「やっぱり……。」

 

 アルフォンスが心配そうに俯く。

 

「あの家で、二人だけは無理だよね。」

 

「ええ。」

 

 ヨキは静かに頷く。

 

「ニーナちゃんくらいの子が。」

 

「あの家で、ぽつんと過ごすことを考えると。」

 

「とても放ってはおけませんね。」

 

「今あの子に必要なのは。」

 

「きっと、人との繋がりなんでしょう。」

 

「孤児院探しは続けるのか?」

 

 エドワードが尋ねる。

 

「そのつもりです。」

 

「ただ。」

 

 ヨキは困ったように笑った。

 

「スカーが現れてから、東方司令部も慌ただしくなっていましてね。」

 

「以前のように、自由に回れるかは分かりません。」

 

「その件なんだけどよ。」

 

 エドワードが口を開く。

 

 隣のアルフォンスも頷いた。

 

「ニーナとアレキサンダー。」

 

「俺たちの故郷へ連れていくのは、どうだ?」

 

 ヨキは目を瞬かせた。

 

「故郷へ?」

 

「リゼンブールっていう田舎町だ。」

 

「俺たちの家はもうないけど。」

 

「世話になってるばっちゃんがいる。」

 

「ピナコ・ロックベルさんです。」

 

 アルフォンスが続ける。

 

「ちょっと口は悪いけど。」

 

「とても優しい人なんです。」

 

「医者としての知識もありますし。」

 

「子どもの世話にも慣れています。」

 

「アレキサンダーが走り回れる場所も、たくさんあるよな。」

 

「ああ。」

 

「畑と草原ばっかりだからな。」

 

 エドワードは少し笑った。

 

「孤児院へ預けるより。」

 

「少なくとも、俺たちは信用できる。」

 

 ヨキはしばらく何も言えなかった。

 

 何日も探し続けても見つからなかった場所。

 

 安心して眠ることができて。

 

 アレキサンダーと一緒に暮らせて。

 

 子どもへ目を向けてくれる大人がいる場所。

 

「もし。」

 

 ヨキは静かに息を吐く。

 

「その方が受け入れてくださるのであれば。」

 

「感謝してもしきれません。」

 

「じゃあ、決まりだな。」

 

 エドワードが笑う。

 

「まだ決まってないよ、兄さん。」

 

 アルフォンスが窘める。

 

「ピナコばあちゃんにも、お願いしないと。」

 

「ばっちゃんなら大丈夫だろ。」

 

「そういう問題じゃないよ。」

 

 二人のやり取りを見ながら、ヨキは久しぶりに心から安堵していた。

 

 

 その日の夕方。

 

 ヨキはニーナと向かい合っていた。

 

 エドワードとアルフォンスも、その場にいる。

 

「リゼンブール?」

 

 ニーナは不安そうに繰り返した。

 

「うん。」

 

 ヨキは目線を合わせるため、しゃがみ込んでいる。

 

「エドワード君とアルフォンス君が育った町だよ。」

 

「優しいおばあさんがいるんだって。」

 

「アレキサンダーも、一緒?」

 

「もちろん。」

 

 ニーナは隣のアレキサンダーへ抱きつく。

 

「おヒゲのおじちゃんは?」

 

 ヨキは言葉に詰まった。

 

「俺は……。」

 

 ニーナの顔が、みるみる曇っていく。

 

「行かないの?」

 

「ニーナちゃん。」

 

「やだ。」

 

 小さな手が、ヨキの服を掴んだ。

 

「おヒゲのおじちゃんも一緒がいい。」

 

「もう一人にしないで……。」

 

 ヨキの胸が強く締め付けられる。

 

 父親を失い。

 

 住む場所も失おうとしている。

 

 今のニーナにとって、自分は数少ない縋ることのできる大人なのだ。

 

 アレキサンダーが静かに立ち上がる。

 

 ヨキの隣へ歩み寄り、その膝へ顔を押し付けた。

 

「わふ……。」

 

 ヨキは大きな頭を撫でる。

 

「……分かった。」

 

 ニーナが顔を上げる。

 

「俺も。」

 

「一緒に行けるように、お願いしてみるよ。」

 

「ほんと?」

 

「ああ。」

 

「だから。」

 

 ニーナの頭へ手を置く。

 

「一緒に、新しい場所を見に行こう。」

 

 ニーナは涙を拭い、何度も頷いた。

 

 

 東方司令部の喫煙所。

 

「えっ。」

 

「中尉にも、ついてきてほしい?」

 

 ハボックが煙草を咥えながら聞き返す。

 

「ああ。」

 

 ヨキは小さく頷いた。

 

「もちろん。」

 

「俺も、ピナコさんという方には会っておきたい。」

 

「ニーナちゃんたちをお願いする以上、当然だと思う。」

 

「だったら、お願いすればいいじゃないですか。」

 

「そうなんだけどね。」

 

 ヨキは煙を吐き出す。

 

「今の東方司令部は、かなり忙しい状況だろう。」

 

「スカーは逃走中。」

 

「タッカー事件の後処理も残ってる。」

 

「だから。」

 

「切り出しにくい感じは、すごくあるね。」

 

 ハボックは少し黙って考えていた。

 

 やがて煙草を灰皿へ押し付ける。

 

「いや。」

 

「大丈夫だと思いますよ。」

 

「本当かい?」

 

「大佐は。」

 

 ハボックは少し笑った。

 

「その辺、しっかりしてますから。」

 

 

「何を言っている。」

 

 執務室。

 

 マスタングは書類から顔を上げ、呆れたようにヨキを見ていた。

 

「君が同行するべきだろう。」

 

「……よろしいのですか?」

 

「逆に。」

 

 リザが静かに口を開く。

 

「なぜ許可されないと思われたのですか?」

 

「いや。」

 

 ヨキは困ったように頭を掻く。

 

「スカーの件もありますし。」

 

「司令部も忙しい状況ですから。」

 

「人員が必要なのは事実だ。」

 

 マスタングは書類を机へ置く。

 

「だが。」

 

「ニーナが最も信頼しているのは、現状では君だ。」

 

「見知らぬ土地へ送り出すのなら。」

 

「君が同行するのが最も合理的だろう。」

 

「私も同意見です。」

 

 リザが頷く。

 

「君がいなければ。」

 

「スカーへの対応ができなくなると思うか?」

 

「思いません。」

 

「ならば問題ない。」

 

 マスタングは即答した。

 

「君がいなければ。」

 

「ニーナとアレキサンダーは命を失っていた。」

 

「昨日は、鋼の錬金術師たちも危なかった。」

 

「君は。」

 

「最後まで責任を果たしたいんだろう。」

 

 ヨキは静かに頷く。

 

「はい。」

 

「ならば行ってこい。」

 

「現場の判断は、現場に任せる。」

 

「ありがとうございます。」

 

 ヨキは深く頭を下げた。

 

「ただし。」

 

 マスタングが指を一本立てる。

 

「任務である以上、必ず戻ってこい。」

 

「承知しました。」

 

 

 出発の日。

 

 イーストシティ駅の構内は、多くの旅人で賑わっていた。

 

 ニーナはアレキサンダーの周りを行き来しながら、楽しそうに声を上げている。

 

「アレキサンダー!」

 

「ちゃんといい子にしてるんだよ!」

 

「わふっ!」

 

 大型犬であるアレキサンダーは、乗客用の車両へ入ることができない。

 

 駅員へ預けられ、動物用の貨物車両へ乗ることになっていた。

 

 離れるのを嫌がるニーナへ、エドワードとアルフォンスが必死に説明している。

 

「同じ汽車なんだから大丈夫だって。」

 

「途中で様子も見に行けるよ。」

 

「ほんと?」

 

「うん。」

 

「約束する。」

 

 ニーナはまだ不安そうだったが、以前よりはずっと表情が明るくなっていた。

 

 少しずつ。

 

 ほんの少しずつだが。

 

 前を向き始めている。

 

 ヨキはその姿を見つめ、静かに笑った。

 

 そこへ、聞き慣れた声が飛んでくる。

 

「中尉!」

 

 振り返る。

 

 ハボックを先頭に、東方司令部の面々が立っていた。

 

 リザ。

 

 ブレダ。

 

 ファルマン。

 

 フュリー。

 

 そして、少し離れた場所にはマスタングもいる。

 

「皆さん。」

 

「見送りに来てくださったのですか。」

 

「まあ。」

 

 ハボックは肩を竦める。

 

「しばらく会えないですからね。」

 

「土産、期待してますよ。」

 

 ブレダが笑う。

 

「お気を付けて!」

 

 フュリーが元気よく頭を下げる。

 

 ファルマンは姿勢を正し、静かに敬礼した。

 

 リザはヨキへ小さく頷く。

 

「ニーナさんたちを、お願いいたします。」

 

「はい。」

 

「必ず。」

 

 最後にハボックがヨキへ近付く。

 

「中尉。」

 

「帰ってきたら。」

 

「また奢ってくださいよ。」

 

 ヨキは笑った。

 

「もちろん。」

 

「いい店を探しておいてくれ。」

 

「任せてください。」

 

 発車を知らせるベルが鳴る。

 

「そろそろ行きましょう!」

 

 アルフォンスが呼ぶ。

 

 ヨキは皆へ向き直り、敬礼した。

 

「行ってまいります。」

 

 マスタングは腕を組んだまま、静かに答えた。

 

「必ず戻ってこい。」

 

「はい。」

 

 ヨキは列車へ乗り込んだ。

 

 窓際の席。

 

 ニーナがホームへ向かって大きく手を振る。

 

「ばいばーい!」

 

 ハボックたちも手を振り返す。

 

 列車が、ゆっくりと動き始めた。

 

 見慣れた顔が、少しずつ遠ざかっていく。

 

 ホームを離れ。

 

 駅を抜け。

 

 列車はイーストシティの街並みを後にする。

 

 ヨキは座席へ深く腰を下ろした。

 

「いやぁ。」

 

「ずっとタッカー宅に泊まりっぱなしだったからね。」

 

「少し遠出するのも、悪くないかもしれないな。」

 

「旅行じゃねぇぞ。」

 

 エドワードが呆れたように言う。

 

「分かってるよ。」

 

 ヨキは笑いながら、窓の外へ目を向けた。

 

 ここから。

 

 エドワードたちとの新しい旅が始まる。

 

 

 列車は、幾つもの町と駅を通り過ぎていった。

 

 ヨキは車窓から流れる風景を眺めている。

 

 リゼンブールへの同行が決まってから。

 

 ヨキはイーストシティからリゼンブールまでの沿線を、可能な限り調べていた。

 

 そのどこかに。

 

 ドクター・マルコーがいる。

 

 賢者の石の研究に携わり。

 

 今はマウロと名を変え、町医者として身を隠している男。

 

 自分とマルコーには何の縁もない。

 

 顔も、正確な住所も知らない。

 

 だが。

 

 記憶に残っている風景がある。

 

 駅の形。

 

 町並み。

 

 山の位置。

 

 原作で、アームストロング少佐が偶然彼を見つけた時の風景。

 

 それらを一つずつ照らし合わせ。

 

 ヨキは、マルコーが潜んでいる可能性が高い場所を絞り込んでいた。

 

(エドワード君たちが。)

 

(賢者の石へ近付くためには。)

 

(ドクターマルコーとの接触は必要不可欠だ。)

 

 そして。

 

 もう一つ。

 

 この旅を監視している存在がいる。

 

 ラスト。

 

 原作では、この列車へ乗り込んでいたホムンクルス。

 

 エドワードたちがマルコーと接触すれば。

 

 その存在はラストたちへ露見する。

 

 町を人質に取られ。

 

 マルコーの資料の隠し場所も吐かされる。

 

(なら。)

 

(今回は、そうならないようにする。)

 

 マルコーのいる可能性が高い駅が近付いてくる。

 

 ヨキは懐から、二つ折りにした紙を二枚取り出した。

 

「エドワード君。」

 

「アルフォンス君。」

 

「ん?」

 

 二人へ一枚ずつ差し出す。

 

 ヨキは何も言わない。

 

 エドワードが訝しげに眉を寄せ、紙を開く。

 

 その目が大きく見開かれた。

 

 すぐにヨキを見る。

 

 しかし。

 

 ヨキは車窓へ顔を向けたまま、何も言わなかった。

 

 アルフォンスも紙へ目を通す。

 

 そして、黙って兄を見る。

 

 紙には、短い指示だけが記されていた。

 

 ――何も話さず、黙って従ってほしい。

 

 ――次の駅で、ニーナとアレキサンダーを連れて下車。

 

 ――数駅先の町まで向かえ。

 

 ――「マウロ先生」と名乗る医者を探せ。

 

 ――本名は、ドクター・マルコー。

 

 ――賢者の石の研究に携わっていた人物だ。

 

 ――俺は降りられない。

 

 ――尾行が一人ついている。

 

 ――そいつは俺が引き受ける。

 

 ――ニーナたちを頼む。

 

 しばらくして。

 

 ヨキは無言で手を差し出した。

 

 エドワードとアルフォンスは紙を返す。

 

 ヨキは二枚を重ね、細かく破り。

 

 備え付けの灰皿の中へ落とした。

 

 何事もなかったように、再び窓の外を見る。

 

 エドワードも何も聞かなかった。

 

 ただ。

 

 ニーナへ顔を向ける。

 

「なあ、ニーナ。」

 

「なあに?」

 

「次の駅へ着いたら。」

 

「アレキサンダーの様子を見に行こうぜ。」

 

「いくー!」

 

 ニーナが嬉しそうに笑う。

 

「アルも一緒にな。」

 

「うん。」

 

 アルフォンスも静かに頷いた。

 

 

 次の駅。

 

 列車がホームへ停車する。

 

 エドワードとアルフォンスは、ニーナを連れて席を立った。

 

「アレキサンダーのところ、行ってくる。」

 

 エドワードが何気ない口調で言う。

 

「ああ。」

 

「気を付けて。」

 

 ヨキも普段と変わらない声で答えた。

 

 三人が車両を出ていく。

 

 ヨキは窓の外を見なかった。

 

 見れば。

 

 誰かに気付かれるかもしれない。

 

 ヨキはゆっくりと席を立った。

 

 車両を移動する。

 

 そして。

 

 出入口付近に立つ、一人の女性を見つけた。

 

 目を奪われるほど、美しい女性だった。

 

 艶やかな黒髪。

 

 滑らかな白い肌。

 

 身体の線を優雅に見せる黒い服。

 

 どこか妖艶でありながら。

 

 同時に、人ではない何かを感じさせる佇まい。

 

 大きく開いた胸元には。

 

 蛇が自らの尾を喰らう、ウロボロスの紋章が刻まれていた。

 

(いた。)

 

(ラストだ。)

 

 列車の扉が閉まりかけている。

 

 エドワードたちは、もう別のホームへ移動しているはずだ。

 

 だが。

 

 ラストが今ここで降りれば。

 

 追いつかれる可能性がある。

 

 ヨキは自然な歩調で彼女へ近付いた。

 

「失礼。」

 

 ラストが静かに振り返る。

 

 ヨキは穏やかに微笑んだ。

 

「もしよろしければ。」

 

「向こうの席が空いております。」

 

「立ちっぱなしでは、お疲れになるでしょう。」

 

 一瞬。

 

 ラストの瞳に驚きが浮かんだ。

 

 すぐに。

 

 艶やかな笑みへ変わる。

 

「あら。」

 

「私に声を掛けてくださったの?」

 

「ええ。」

 

「せっかくの旅ですから。」

 

「美しい方には、少しでも快適に過ごしていただきたい。」

 

 ラストは小さく笑う。

 

「とても素敵な紳士さんね。」

 

「喜んで、ご一緒させていただくわ。」

 

 その瞬間。

 

 列車の扉が、完全に閉じた。

 

 汽笛が鳴る。

 

 列車は再び、ゆっくりと走り始める。

 

(よし。)

 

(これで、少しは時間を稼げる。)

 

 ヨキはラストを自分たちが使っていた席へ案内した。

 

 

「あなた。」

 

 ラストは向かいの席へ腰を下ろし、ヨキを見つめる。

 

「軍人さんでしょう?」

 

「分かりますか。」

 

「制服を着ているもの。」

 

「それもそうですね。」

 

 ヨキは苦笑した。

 

「ヨキ中尉と申します。」

 

「お名前を伺っても?」

 

「ラスト。」

 

 彼女はためらうことなく答えた。

 

「ラストと呼んでちょうだい。」

 

「ラストさん。」

 

 ヨキはゆっくり頷いた。

 

「良いお名前ですね。」

 

「あら。」

 

「そう言われたのは初めてかもしれないわ。」

 

「本心ですよ。」

 

 列車は次の駅を通り過ぎていく。

 

 ラストは窓の外へ一瞬だけ目を向けた。

 

 そして、再びヨキを見る。

 

「あなた。」

 

「随分、女性の扱いに慣れていらっしゃるのね。」

 

「まさか。」

 

「ただ。」

 

「女性には、できるだけ失礼のないようにしたいとは思っています。」

 

「ふふ。」

 

「やっぱり、素敵な紳士さん。」

 

 二人は他愛のない会話を続けた。

 

 イーストシティの町。

 

 旅先の食事。

 

 窓の外に見える景色。

 

 ヨキは会話を途切れさせない。

 

 それでいて。

 

 焦っている様子だけは、決して見せなかった。

 

(頼む。)

 

(間に合ってくれ。)

 

 また一つ、駅を通り過ぎる。

 

 さらに一つ。

 

 車窓の景色が、少しずつ変わっていく。

 

 ラストは時折、意味ありげにヨキを見つめていた。

 

 ヨキも気付いている。

 

 疑われている。

 

 当然だ。

 

 彼女は人間を欺き、国の裏側で動いてきた存在なのだから。

 

「不思議な方ね。」

 

 ラストが静かに言う。

 

「そうですか?」

 

「ええ。」

 

「私に声を掛けておきながら。」

 

「口説こうとしているようには見えない。」

 

「それは失礼しました。」

 

 ヨキは笑う。

 

「口説かれたいのですか?」

 

「そういう返しをするところが。」

 

「慣れているように見えるのよ。」

 

「買いかぶりですよ。」

 

 ラストは楽しそうに微笑んだ。

 

 ヨキも笑みを返す。

 

 すべてを話せるはずはない。

 

 彼女が何者なのか。

 

 これから、どのような道を辿るのか。

 

 どんな最期を迎えるのか。

 

 それを知っているなどと悟られれば。

 

 自分は、その瞬間に殺されるかもしれない。

 

 それでも。

 

 ヨキには、どうしても伝えたいことがあった。

 

「ラストさん。」

 

「なにかしら。」

 

「お会いしたばかりの私が言うのも。」

 

「少しおかしいかもしれませんが。」

 

「どうか。」

 

「いつまでも、お元気でいてください。」

 

 ラストが僅かに目を見開いた。

 

「あら。」

 

「ずいぶん変わったことを仰るのね。」

 

「そうかもしれません。」

 

「ただ。」

 

 ヨキは窓の外へ目を向けた。

 

「仕事柄。」

 

「人が無事でいてくれることが、一番嬉しいんです。」

 

 ラストは黙ってヨキを見つめていた。

 

 やがて。

 

 ほんの少しだけ柔らかく笑う。

 

「あなた。」

 

「本当に変わった方ね。」

 

「よく言われます。」

 

 列車は、さらに幾つもの駅を通り過ぎた。

 

 十分かどうかは分からない。

 

 だが。

 

 エドワードたちが目的地へ向かう時間は、少なくとも作れたはずだ。

 

 ラストが静かに席を立つ。

 

「もう行かれるのですか。」

 

「ええ。」

 

 ラストは窓の外を見た。

 

「私にも。」

 

「仕事がありますもの。」

 

(流石にこれ以上は無理のようだな。)

 

 ヨキは表情を変えなかった。

 

 列車が次の駅へ滑り込む。

 

 ラストは出入口へ向かい。

 

 扉の前で一度だけ振り返った。

 

「また。」

 

「どこかでお会いできるかしら。」

 

 ヨキは小さく笑う。

 

「できれば。」

 

「敵ではない場所で。」

 

 ラストは一瞬だけ目を細めた。

 

「それは。」

 

「難しいお願いね。」

 

 扉が開く。

 

 ラストはホームへ降り立った。

 

 列車が再び動き始める。

 

 窓の外。

 

 彼女の姿が少しずつ遠ざかっていく。

 

 ヨキは一人になった席で、静かに息を吐いた。

 

(ありがとう。)

 

(付き合ってくれて。)

 

 

 その頃。

 

 エドワードたちは、ヨキが示した町へ無事に辿り着いていた。

 

 そして。

 

 マウロ先生と呼ばれる町医者の居場所を、見つけていた。

 

 それ以上のことを。

 

 その時のヨキは、まだ知らない。

 

 ただ。

 

 必要な一歩は、確かに踏み出された。

 

 

 列車は、リゼンブールへ向かって走り続ける。

 

 ヨキは車窓から流れていく景色を眺めていた。

 

(平穏に暮らしたかった。)

 

(誰にも目を付けられず。)

 

(原作にも関わらず。)

 

(ただ、生きていければいいと思っていた。)

 

 だが。

 

 ロゼと出会い。

 

 ニーナとアレキサンダーと出会い。

 

 エドワードとアルフォンス。

 

 ハボック。

 

 マスタングたちと出会った。

 

 守りたいものが増えてしまった。

 

 もう。

 

 自分一人だけが平穏に生きられればいいとは、思えなかった。

 

(この人たちの未来のために。)

 

(俺は生きよう。)

 

 原作を知っているからではない。

 

 義務だからでもない。

 

 ただ。

 

 大切になった人たちが。

 

 笑って生きられる未来を守りたい。

 

 それが今の。

 

 ヨキ自身の願いだった。

 

 列車は、止まることなく進んでいく。

 

 ヨキという男の新しい人生もまた。

 

 未来へ向かって。

 

 静かに動き始めていた。

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魔力がない?▼なら、宇宙に満ちているものを使えばいい。▼撃てない旧式主砲?▼なら、砲身そのものを巨大な魔導杖として使えばいい。▼退役寸前の旧式戦艦?▼使えるものは残して、魔法で組み直せばまだ戦える。▼魔力が枯れゆく世界で生涯を終えた大魔道士レオンは、宇宙戦艦が星々を渡る銀河世界へ転生した。▼そこは恒星間航行も艦載AIも当たり前の、高度な科学文明の世界。▼ただ…


総合評価:191/評価:7.25/連載:26話/更新日時:2026年09月09日(水) 20:13 小説情報

死ぬ気で戦ったら宿儺に親友認定された件(作者:雨天)(原作:呪術廻戦)

▼ 呪術廻戦のファンだったオリ主が平安時代に転生し、生まれ持った強さから両面宿儺討伐に参加することになり、仲間達がやられても戦い続けたら宿儺に親友と呼ばれるようになった話。▼ 活動報告はXで行っています。▼ → https://x.com/uten80▼タグは随時追加


総合評価:3181/評価:7.5/連載:6話/更新日時:2026年07月19日(日) 02:00 小説情報

ONE PIECE 救済を求める神父(作者:ヴァンプッシュ)(原作:ONE PIECE)

ただただ、自己満足に描きたい。そんな感じでやって行きます。感想・意見もお待ちしてます


総合評価:927/評価:8.06/連載:16話/更新日時:2026年09月08日(火) 23:49 小説情報


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