翌日、後宮に設けられた、とある食堂兼休憩所。
昼時ともなれば、仕事の合間に食事を取る女官たちで賑わう場所である。
猫猫、子翠、小蘭、そしてフリーレンとフェルンの五人も、そこで昼食を取っていた。
「ねえねえ、猫猫」
小蘭が声を潜める。
「何?」
「昨日、女官が殺されそうになったって、本当?」
「……もう広まってるのか」
「だって、みんな噂してるよ。毒を盛られたんでしょ?」
「うん、まあね」
猫猫はそれだけ答えた。
詳しいことは話さない。
倒れた女官の器から毒が見つかったこと。
料理ではなく、器そのものに毒が仕込まれていたこと。
そして、誰が何のためにそんなことをしたのか、まだ何も分かっていないこと。
小蘭には言わない。
猫猫と子翠の間には、いつの間にか暗黙の了解ができていた。
小蘭を、きな臭い事件にはなるべく関わらせない。
小蘭は噂好きだ。
好奇心も強い。
だが、それと危険な事件に首を突っ込むことは別である。
子翠もいつもの調子で笑う。
「小蘭は知らなくていいのよ」
「え~、なんで?」
「知らない方がいいこともあるの」
「子翠まで!」
「はいはい。ご飯食べなさい」
「むう……」
小蘭は不満そうだが、それ以上は聞かなかった。
その隣ではフェルンがフリーレンに尋ねていた。
「フリーレン様」
「何?」
「昨日の事件、どういうことなのでしょう?」
「うーん」
フリーレンも食事をしながら考える。
「今のところ、なんとも言えないよね」
「でも、あの女官を狙ったということですよね?」
器に毒が塗られていた。
それなら、狙った人間だけに毒を飲ませることができる。
「魔法で、誰が毒を塗ったかまでは分からないのですか?」
「無理だね」
「そうですか……」
「解析魔法で分かるのは、その物がどういう状態かってことだから」
猫猫が会話に入る。
「十分助かったよ。あれがなかったら、器に気付くまで、もっと時間がかかったかもしれない」
「そう?」
「ああ」
そして猫猫が汁物の椀を取った。
何気なく口へ運ぶ。
一口。
「…………」
猫猫の動きが止まった。
「猫猫?」
子翠が気付く。
次の瞬間。
猫猫は口にしたものを吐き出した。
「猫猫!?」
小蘭が驚く。
猫猫はすぐに椀を置く。
その表情から、先ほどまでの気の抜けた昼食の空気が完全に消えていた。
「みんな」
低い声。
「食べるのやめて」
「え?」
「どうしたの?」
猫猫は口の中を水ですすぐ。
そして言った。
「毒が入っている」
「…………」
一瞬、誰も反応できなかった。
「毒!?」
小蘭が叫ぶ。
「猫猫!」
子翠が立ち上がる。
フェルンも驚愕する。
「毒って……大丈夫なんですか!?」
「少し口にしただけ。すぐ吐き出した」
「でも!」
「大丈夫」
猫猫は妙に落ち着いている。
むしろ――ほんの少しだけ目が輝いているような。
フェルンはあることに気付いた。
「……子翠」
「何?」
「毒だって、猫猫には分かるのですか?」
「…………」
子翠は何とも言えない顔をした。
そして。
「それが猫猫なんだよ」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味」
「???」
普通、料理を一口食べただけで毒だと分かるものなのだろうか。
フリーレンは猫猫を見ている。
「猫猫、平気?」
「うん」
「本当に?」
「この程度なら」
「この程度って……」
フェルンの顔が引きつる。
この世界に来てから、フェルンは何となく理解し始めていた。
フリーレンは相当変わっている。
だが――猫猫も別方向にかなり変わっている。
当然、食事は即座に止められた。
そして間もなく。
「薬屋!」
またしても壬氏がやって来た。
「壬氏様」
「大丈夫なのか!」
「はい」
猫猫は平然としている。
壬氏は猫猫の顔を見る。
「本当に?」
「少量ですし、すぐ吐き出しました」
「そういう問題では――」
そこで壬氏が止まる。
じっと猫猫を見る。
「……薬屋」
「はい」
「何か恨まれるような覚えはないか?」
「ありません」
即答。
「本当か?」
「…………」
猫猫が黙る。
「なぜ黙る」
「…………多分」
「多分!?」
猫猫は考える。
恨まれる覚え。
ない――と言い切りたい。
しかし、今まで自分が関わった事件を思い返す。
他人の秘密を暴いたこと。
企みを潰したこと。
毒を見抜いたこと。
厄介な人物と関わったこと。
面倒事に首を突っ込んだこと。
その他にも、あんなことやこんなことや‥‥‥
(……あると言えば、山ほどあるな)
ただし、殺されるほどの恨みを買った覚えは――
(多分ない)
多分。
「薬屋」
「何でしょう」
「今、絶対に何か思い当たっただろう」
「いえ」
「俺の目を見ろ」
猫猫はそっと視線を逸らした。
「薬屋!」
だが、猫猫はすぐ真面目な顔に戻った。
「でも、壬氏様」
「何だ」
「私が狙われたとは限りません」
壬氏の表情が変わる。
「どういう意味だ?」
猫猫は周囲を見る。
ここは専用の食事場所ではない。
多くの女官が利用する食堂だ。
料理も器も、特定の人間専用ではない。
「この椀、最初から私が使うと決まっていたものではありません」
「……そうだな」
「では」
フェルンが気付く。
「毒を仕込んだ人には、猫猫がそれを使うかどうか分からなかった?」
「そういうこと」
猫猫が頷く。
子翠も顔を曇らせる。
「じゃあ、猫猫を狙ったんじゃない?」
「今のところは、そう考えた方が自然だね」
「なら誰を?」
「それが分からない」
壬氏が指示を出す。
「食事には誰も触れるな。器も全部そのままにしておけ」
「はい!」
昨日と同じように調査が始まった。
料理。
汁物。
飲み物。
食材。
調味料。
一つずつ調べていく。
そして――
「フリーレン」
猫猫が言う。
「お願い」
「分かった」
フリーレンが杖を向ける。
フェルンも別の器を解析する。
しばらくして。
「料理には変なものはないよ」
フリーレンが言う。
「こちらもです」
フェルンも答える。
猫猫自身も確認する。
「やっぱり……」
そして。
自分が使った椀を調べる。
「…………」
猫猫の表情が険しくなる。
「薬屋?」
壬氏が聞く。
「昨日と同じです」
「何?」
「器に毒が仕込まれています」
「またか……」
壬氏の顔から表情が消える。
昨日、一人の女官が倒れた。
毒は器に仕込まれていた。
そして今日、猫猫が偶然使った器から、また毒が見つかった。
この食堂で――誰が使ってもおかしくない器だった。
「誰でも良かったのか……?」
子翠が呟く。
フェルンの顔が強張る。
「そんな……」
小蘭も、さすがに状況を理解したらしい。
「じゃあ……私が使ってたかもしれないの?」
「小蘭」
子翠がすぐに小蘭の肩へ手を置く。
「今は何とも言えないわ」
だが、否定はできない。
猫猫が考える。
(昨日と今日で、やり方は同じ)
器に毒を塗る。
料理そのものには手を加えない。
しかし。
(昨日は狙い撃ちに見えた)
今日は違う、少なくとも、猫猫を狙ったとは考えにくい。
ならば――昨日も、本当にあの女官が狙われていたのか?
そもそも、二つの事件は同じ犯人なのか?
偶然同じ手口になった?
それとも――
「……分からない」
猫猫が呟いた。
フリーレンが横を見る。
「猫猫でも?」
「分からないものは分からないよ」
猫猫は器を見つめる。
「手掛かりが足りない」
壬氏も腕を組む。
猫猫は昨日の事件を思い返す。
「昨日の事件も、本当に、あの器をあの女官だけが使うと犯人に分かっていたのでしょうか?」
「…………」
壬氏が黙る。
「今日と同じように、たまたま毒のある器を取っただけだったとしたら?」
子翠の顔から笑みが消えた。
「つまり……」
「最初から」
猫猫は静かに言う。
「誰でも良かった可能性があります」
沈黙。
後宮には、大勢の人間が暮らしている。
妃。
女官。
侍女。
宦官。
そして皇族。
もし、特定の誰かを狙ったわけでもなく、何の関係もない器に毒を仕込み誰かが口にすればそれでいい。
誰でも良かった。
しかしそれは――動機がない、という意味ではない。
他の人には理解できなくても、当人には十分理由がある、そういうことはある。
だけど、なぜ誰でも良かったのか、それがまだ見えていない。
一つ目。
そして二つ目。
同じように見える二つの毒。
だが、その向こう側にいる人間の姿は――まだ、まったく見えてこない。
事件は解決へ近づくどころか。
さらに深い謎へと入り込んでいくのであった。