壬氏の指示により、食堂の警備体制は強化された。
食料、食器の管理が厳重になり、調理の過程にも監視の目が行きわたる。
食事にも食器にも簡単に毒は紛れ込めないようになっている。
それでも、まだ懸念が消えたわけではない。しかし、食事をしないわけにはいかない。
そして、あれから一週間何事も起こらなかった。
女官たちの顔にはまだ不安そうな表情は見られたが、食堂はいつもの昼時の喧騒が満ちていた。
猫猫たちもまた、いつものように食事を取っている。
ただし、猫猫は食事を口へ運びながらも、ときおり周囲へ視線を走らせていた。
(何も起こらなければ、それが一番なんだけどね)
一度目、二度目と毒が仕込まれた。
そして猫猫は、あれが何らかの「試し」である可能性を疑っている。
ならば三度目があるかもしれない。
監視は厳重になったが、絶対無い、とは言えない。
だから、しばらく食事時には様子を見ておこうと考えていた。
「猫猫」
「何?」
向かい側のフリーレンが言う。
「さっきから全然食べてないよ」
「食べてるよ」
「遅いです」
フェルンも言う。
「ちゃんと食べないと駄目ですよ」
「……なんで二人に注意されるんだ」
「猫猫、また毒のこと考えてるんでしょう?」
子翠には見抜かれていた。
「まあね」
「でも、ずっと気を張ってても――」
そのときだった。
「きゃあああああああ!」
食堂中に悲鳴が響いた。
猫猫の表情が変わる。
「来た!」
椅子を蹴るように立ち上がった。
「猫猫!」
フリーレンたちも続く。
人だかりの中心には、一人の女官が倒れていた。
身体が痙攣している。
口元には泡。
「どいて!」
猫猫が駆け寄る。
「しっかりしろ!」
返事はない。
呼吸。
脈。
瞳。
そして口元。
「毒だ」
「また!?」
周囲の女官が悲鳴を上げる。
猫猫はすぐに叫んだ。
「水! それから炭!」
「水なら!」
近くにいた女官が水差しを渡した。
だが――
「炭なんて、ここには……!」
「フリーレン!」
猫猫が呼ぶ。
「分かってる」
フリーレンは周囲を見る。
ちょうど卓上に何本かの割り箸があった。
「これでいいか」
何本かまとめて手に取る。
杖を向け――
「ヴォルザンベル」
ぼっ。
一瞬、だが、燃え上がるほどではない。熱と炎を見事に制御し、箸だけを炭化させる。
真っ黒になったそれをフリーレンが差し出した。
「猫猫」
「ありがとう」
猫猫は受け取る。
周囲の者たちは魔法に驚いているが、今はそれどころではない。
猫猫はすぐさま応急処置を始めた。
そして――懐へ手を入れる。
取り出したのは、小さな箱。
以前、フリーレンと一緒に作った薬草を長持ちさせる箱。
猫猫は蓋を開ける。
中には数種類の薬が入っていた。
温度と湿度を一定に保つことで、傷みやすい薬を携帯できるようにしたのだ。
「フリーレン」
「何?」
「これ、作っといて正解だったね」
「うん」
フリーレンも少し嬉しそうだ。
「初めてちゃんと役に立った」
「初めては余計だ」
猫猫は薬を取り出し、状態を確認する。
そして女官へ飲ませた。
「……これで?」
フェルンが心配そうに尋ねる。
「応急だが処置は出来る」
猫猫は女官の脈を取る。
「…………」
しばらくして、痙攣が少しずつ弱くなっていく。
呼吸も先ほどより安定してきた。
「よし……」
猫猫が小さく息を吐く。
ひとまず命を落とす危険は遠のいた。
しかし。
「まだ安心できない」
猫猫は言う。
「ちゃんと医官に診せないと」
その直後。
「薬屋!」
聞き慣れた声が飛んできた。
「壬氏様」
壬氏が駆けつけてきた。
またか、その顔には、はっきりそう書いてある。
「どうなっている!」
「また毒です」
「……三度目か」
壬氏の顔から余裕が消えた。
「女官の容態は?」
「応急処置はしました。解毒薬も飲ませています。ただ、まだ油断できません」
「分かった」
壬氏は即座に周囲へ指示を出した。
「医官のところへ運べ! それから食堂を閉鎖する! ここにある料理、食器には誰も触れるな!」
「はい!」
「食堂にいた者も、確認が終わるまで勝手に立ち去らせるな!」
「はっ!」
人々が動き始める。
壬氏は猫猫を見る。
「薬屋」
「はい」
「調べられるか」
「もちろんです」
そこへフリーレンが声をかけた。
「猫猫」
「何?」
フリーレンは、倒れた女官が食べていた膳を見ている。
「今回は前と違う」
猫猫の目つきが変わった。
「どう違う?」
フリーレンが汁物を解析する。
そして――
「これ」
静かに言った。
「汁に毒が入ってるね」
「……何?」
壬氏が振り返る。
猫猫も慎重に調べる。
「…………」
間違いない。
「本当だ」
猫猫の表情が険しくなる。
「今回は器じゃない」
壬氏が呟く。
「直接、料理に……」
「ああ」
今までとは違う。
一度目。
器。
二度目。
器。
そして三度目。
料理そのもの。
「方法を変えた……」
猫猫は呟いた。
犯人は、ついに、より直接的な方法を使ってきた。
しかし、それなら新たな疑問が生まれる。
「この女官が本当の標的だったのか?」
壬氏が尋ねる。
猫猫は倒れていた女官を見る。
「……分かりません」
「また無差別か?」
「いや」
猫猫は首を振る。
今回は前の二件とは事情が違う。
汁へ直接毒を入れた。
しかも、他の者の汁からは毒が見つからない。
つまり――
「少なくとも今回は、この膳を狙って毒を入れた可能性が高いです」
「では、やはりこの女官が?」
「それが分からないんです」
猫猫は考える。
本当にこの女官が標的だったのか?だが、一女官を標的にこのようなことをするのだろうか?
標的はこの女官ではなく、三件がすべて一つの目的へ向けた準備なのだとすれば。
そして、これほど直接的な方法をとったとすれば、次が本番でも、おかしくない。
猫猫は、空になった隣の席を見つめた。
そこに座っていたという、誰も知らない女官。
彼女は何者なのか。
なぜ被害者と話していたのか。
そして――
どこへ消えたのか。
倒れた女官が意識を取り戻せば、何か分かるかもしれない。
だが、それを待っている間にも犯人が動かない保証はない。
それに、女官たちは疑心暗鬼、後宮はパニック寸前だ。
解決を急がなくてはならない状況になったのだ。