翌日、壬氏は香琳妃からの招待を受け、その宮へ向かっていた。
もちろん、一人ではない。
フリーレン。
フェルン。
そして――
「…………」
見慣れぬ美女。
「ねえ」
フリーレンがじっと見る。
フェルンも見る。
「ねえ」
「……ひょっとして」
フリーレンが首を傾げる。
フェルンも同じように首を傾げた。
「ひょっとして」
二人同時に言う。
「「猫猫?」」
「そうだけど」
「…………」
二人は改めて猫猫を見る。
いつものそばかすがない。
髪も整えられ、化粧もばっちり。
普段の地味な侍女姿とはまるで違う。
フリーレンが目を瞬く。
「猫猫って……」
「何?」
「綺麗だったんだね」
「どういう意味だ」
「い、いや」
壬氏は横で何とも言えない顔をしている。
知っていた。
知っていたが――やはり、きちんと化粧をした猫猫を見ると目を奪われる。
猫猫がそんな壬氏を見る。
「壬氏様」
「な、何だ」
「見過ぎです」
「見ていない」
「見てました」
「……行くぞ」
壬氏は誤魔化すように前を向いた。
ちなみに高順をはじめとした宦官たちは、あえて少し離れた所で待機させている。
油断を誘うためである。
そして、何かあれば、すぐ踏み込めるような手はずにしている。
あくまで表向きは――香琳妃からの茶会への招待。
しかし実際には、犯人を動かすための罠。
壬氏自身を囮にした、危険な賭けだ。
猫猫は毒見役。
フリーレンとフェルンは‥‥‥「実力行使に出た場合任せてほしい」ということで同行している。
香琳妃の宮。
「ようこそおいでくださいました、壬氏様」
香琳妃はにこやかな笑みを浮かべた。
「お招きありがとうございます」
壬氏も優雅に返す。
「今日は、せっかくですので異国から来た客人もお連れしました」
「まあ」
香琳妃がフリーレンとフェルンを見る。
「噂の方々ですね」
「フリーレンです」
「フェルンと申します」
二人は丁寧に頭を下げる。
「ようこそ我が宮へ。遠い西方のお話、ぜひ聞かせていただきたいものですわ」
「喜んで」
フェルンが答える。
壬氏は席へ着いた。
右にフリーレン。
左にフェルン。
猫猫は後ろに控える。
何も知らなければ、ごく普通の茶会に見える。
しばらくは穏やかな会話が続いた。
西方の話。
旅の話。
異国の衣服。
香琳妃も表面上は落ち着いている。
だが――猫猫はずっと周囲を見ていた。
侍女たち。
茶器。
香琳妃。
そして。
運ばれてきた茶。
(来た)
一人の侍女が壬氏の前へ茶を置く。
「どうぞ」
「ありがとう」
壬氏が茶碗へ手を伸ばそうとした。
その瞬間、ひょいと後ろから手が伸び壬氏の茶を奪った。
猫猫だ。
「失礼します」
猫猫は茶を口へ含む。
一口。
舌の上で転がす。
香り。
苦味。
痺れ。
わずかな刺激。
「…………」
猫猫の目が細くなる。
そして――ほんのり恍惚とした表情を浮かべた。
猫猫は懐から紙を取り出した。
ぺっ、茶をそこへ吐き出す。
そして、非常に平然とした声で言った。
「壬氏様」
「何だ」
「これ、毒です」
空気が止まった。
「…………」
香琳妃の顔から笑みが消える。
「な……」
猫猫は紙へ吐き出した茶を見る。
「しかもかなり強いですね」
「な、何をたわけたことを!」
香琳妃が立ち上がる。
「侍女風情が勝手に主人の茶を飲み、挙句の果てにそのような暴言を!」
猫猫は平然としている。
壬氏も慌てない。
むしろ、にこやかな笑みを浮かべた。
「香琳妃」
「な、何でしょう」
「この茶は証拠として預からせていただきます」
「そ、そんな!」
香琳妃の表情が崩れる。
「私は……私は何も!」
「調べれば分かることです」
「何かの誤解です!」
「ならば、なおさら問題ありませんね」
壬氏の笑顔は柔らかい。
しかし、目は笑っていない。
香琳妃は一歩下がる。
「私は……私は……」
その視線が猫猫へ向く。
じっと見る。
そして、突然。
「あ……」
何かに気付いた。
「お前……!」
猫猫は首を傾げる。
「何でしょう」
「お前は……」
香琳妃の顔が引きつる。
「あの醜女の毒見役!」
「…………」
猫猫が無言になる。
壬氏の眉が動いた。
フェルンの表情も変わった。
「醜女……?」
香琳妃は完全に取り乱していた。
「こうなっては――」
叫ぶ。
「お前たち!」
その瞬間、周囲に控えていた侍女たちが動いた。
衣の中。
袖。
物陰。
そこから――
刃物。
短刀。
鉈。
次々と武器が現れる。
「やっておしまい!」
香琳妃が叫んだ。
侍女たちが一斉に襲いかかる。
壬氏は身構えた。
外見は優美だが壬氏は武人として十分鍛えられている。
高順たちが来るまで、自分一人でも何とかできる。
フリーレンとフェルンに頼ることもない、そう考えていたが――
フリーレンとフェルンは目くばせするや否や杖を構えた。
ほんの一振り。
次の瞬間、侍女たちの手にあった刃物が――
ふわっ。
「え?」
手を離れた。
短刀。
鉈。
刃物。
すべてが宙へ浮き。
そのまま部屋の隅へ飛んでいく。
がしゃん!
「なっ!?」
侍女たちが呆然とする。
壬氏も呆然。
猫猫も呆然。
フリーレンもフェルンも平然としている。
フリーレンとフェルンは、「服が透けて見える魔法」で侍女たちが武器を隠し持っていることを見抜いていたのだ。
だから、侍女たちが襲い掛かってきても平然としていられたのだ。
「お、おのれ!」
香琳妃が叫ぶ。
「奇妙な技を使いやがって!」
妃らしい上品な口調は完全に消えている。
「私が!」
懐へ手を入れる。
短刀。
そして――
「壬氏様ぁぁぁ!」
一気に駆け出した。
「!」
壬氏が身構える。
しかし、その前にフェルンの目が鋭くなった。
「させません」
杖を振る。
どんっ!
目に見えない力が香琳妃を捉えた。
「きゃあああ!」
香琳妃の身体が吹き飛んだ。
「…………」
壬氏。
「…………」
猫猫。
「…………」
フリーレン。
どさっ、香琳妃が床へ転がる。
その瞬間。
「壬氏様!」
高順達が飛び込んできた。
高順は部屋を見る。
倒れている香琳妃。
武器を失った侍女たち。
床の隅にまとめて転がっている刃物。
そして杖を持ったフリーレンとフェルン。
「…………」
高順は一瞬混乱する。
だが、すぐに切り替える。
「全員取り押さえろ!」
「はい!」
宦官たちが侍女を拘束する。
香琳妃も起こされ、両腕を押さえられた。
「離せ!私は妃よ!こんなことをしてただで済むと思っているの!」
なおも暴れる。
しかし、毒入りの茶、武装した侍女、そして壬氏への直接の襲撃。
もう言い逃れできる状況ではない。
一人、また一人、侍女たちが縛られ、連れ出されていく。
香琳妃も最後まで喚きながら引き立てられた。
そして、静けさが戻った。
「…………」
壬氏はしばらく黙っていた。
自分が囮になる。
危険は承知していた。
もし何か起きれば、高順たちが突入する。
それまで自分で時間を稼ぐ。
そのつもりだった。
だが、出る幕がなかった。
本当に、まったくなかった。
壬氏がフリーレンとフェルンを見る。
「お前達……」
「何?」
フリーレンが聞く。
「こういうこともできるのか」
「できますよ」
「普通です」
フェルンまで言う。
「…………」
壬氏は思う。
(異世界の魔法使い、恐ろしいな……)
フリーレンとフェルンが「任せてほしい」と言ったのが良く分かった。
猫猫も同じようなことを考えていた。
二人が戦えるとは聞いていた。
フリーレンに至っては魔王を倒した勇者一行の魔法使い。
フェルンも優れた魔法使い。
分かってはいた。
だが。
「……強いんだな」
猫猫が呟く。
「今さら?」
フリーレンが聞く。
「実際に見るのは初めてだからね」
「これくらいどうってことありませんよ」
フェルンが言う。
「…………」
猫猫は少し考え――
(この二人を怒らせないようにしよう)
と、割と真剣に思った。
そのとき、フリーレンがフェルンを見た。
「フェルン」
「はい?」
「最後の、ちょっとやりすぎじゃない?」
「何がですか?」
「香琳妃、かなり飛んでたよ」
「やりすぎなものですか」
フェルンは怒っている。
「猫猫を醜女だなんて!」
「…………」
猫猫がフェルンを見る。
フェルンは本気で憤慨していた。
「こんなに可愛いのに!」
猫猫は少しだけ目を瞬く。
「フェルン、ありがと」
「当然です」
猫猫は自分の顔を触った。
「まあ、普段はそばかす描いてるからね」
「…………」
フェルンが固まる。
「え?描いてる?」
「うん」
「そばかすを?」
「そう」
「わざと?」
「そうだけど」
フェルンが猫猫の顔を見る。
今日の猫猫には、そばかすがない。
「……あれ、本物じゃなかったんですか?」
「うん」
「どうしてそんなことを……」
「色々面倒だから」
「…………」
フェルンには、やっぱりよく分からない。
猫猫は言う。
「それに」
「はい?」
「私、絶壁だから」
猫猫の視線は――ほんの少し下。
フェルンの、ある一点へ。
「…………」
フェルンも自分を見る。
「?」
猫猫を見る。
「??」
フリーレンが横で何となく察した顔をする。
フェルンは自分を見る。
猫猫を見る。
もう一度自分を見る。
「…………え?」
「え? え?」
何かが分かりそうな感じがしたが、しかし――
「え? 何のことです???」
やはり、フェルンには分からなかった。
猫猫が思う。
(ここまで来て分からないのか)
フリーレンも思う。
(フェルンって、こういうところ妙に鈍いよね)
壬氏は天井を見た。
(なぜ犯人を捕まえた直後にこんな話をしているんだ、俺達は……)
こうして、三度にわたって後宮を騒がせた毒殺未遂事件。
その犯人と思われる香琳妃と侍女達は、ついに捕らえられた。
毒の原料。
配合。
三度の実験。
そして壬氏を狙った理由。
まだ調べなければならないことは残っている。
だが、少なくとも毒による恐怖は去ったのである。
そしてフェルンだけは、事件解決とはまったく関係のない謎を抱えたまま――最後まで首を傾げ続けていた。