闇祓いになったハリーが、日本の魔法学校であるマホウトコロへ親善訪問に行く話。


2026.9.5
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第1話

 

 

 暑い。

 

 ナリタ・エアポートの建物から外へ一歩踏み出した瞬間、不快な蒸し暑さが頬を撫でる。まだ、朝も早いというのに。イギリスの夏よりも暑いだけではなく、湿度が高いのだろう。

 

 忌々しい太陽を恨めし気に見つめながら、日本の夏は湿気で酷いことになっている、と友人が忠告してくれていたことを今更ながら思い出す。空調が効いた建物から出る前に、対策をしておくべきだった。

 

(でも、しょうがないじゃないか……前の国が強烈過ぎたんだ)

 

 ハリー・ポッターは誰に対するでもない言い訳を胸中に浮かべた。左右を見て、なるべく人気がない方向に進み出す。荷物を入れたキャリーケースを引きずりながら。

 

 アフリカの魔法学校――ワガドゥーでは散々だった、というほど酷い目にあったわけではないが、非常に気疲れしたのは確かだ。

 

 まあ「とりあえずこれだけは覚えておけ」と言われた作法が、"絶対に相手よりも先に握手を求める手を差し出してはならない"というものだった時点で予想は出来たかもしれない。ちなみにこれを破ると殺し合いになる。

 

 別にアフリカの魔法使い達が野蛮であるというわけではないのだが、彼らは身振り手振りだけで魔法を使うのが常であり、突発的な動きをされると反射的に反撃してしまうという習性を持っている者が"極稀"にいるらしい。有名なところでは、争っていた魔法使い一族の2派が和平を結ぼうとした時、片方の族長が欠伸を隠そうと手を口元に当てたのが原因で両一族がその場で呪いをかけまくったとかいう話があった。

 

(いや、やっぱり野蛮なのかな?)

 

 少なくとも、自分の知っている魔法学校――ホグワーツの日常とはかけ離れたモノではあった。

 

 ワガドゥー出身者には動物もどきが非常に多いことで知られる。イギリス魔法省に登録されているアニメーガスは10人にも満たないが、ワガドゥーでは現在在籍している生徒だけでも100人以上の未成年魔法使いが、自在に動物の姿に変じることが出来た。ただ、インパラに変身して野生のライオンの群れの間を駆け抜けていくとかいう度胸試しはイカレているとしか思えなかったし、動物に変身した生徒だと思って話しかけていたら、普通に校舎に迷い込んできていた野良ライオンだったということもあった。

 

 無警戒にライオンの隣に座り込んで話しかけるハリーを見た向こうの人間が「さすがはヴォルデモートを倒した英雄だ」と、勝手に株を上げてくれていたのは、この視察行脚の目的に沿うものではあったが。

 

(流石に日本はあそこまで物騒じゃないよね……礼儀正しいお国柄だってよく聞くし)

 

 そう考えている内に、ハリーは空港の建物前にある一般車用の乗降所、その一番端まで歩いていた。周囲に人気がないことを確認すると、ハリーはポケットから杖を取り出し、湿気避けと簡単な凍結呪文を無言で唱える。

 

 そうしてようやく不快な熱気から解放されて一息ついたハリーだったが、その背後――先ほどまでは確かに人がいなかった――から、ぱちぱちぱちと拍手の音が聞こえてきた。

 

「いやいや、流石はポッター殿。素晴らしい杖捌きと無言呪文で」

 

 振り返ると、待合所のベンチに1人の老人が座っていた。混じりけの無い尊敬の視線をハリーに向けている。黒いスラックスに、紺のネクタイを締めた白いワイシャツ。この日差しの中で汗のひとつも掻いていないのは、ハリーと同じように暑気払いの魔法を使っているのだろう。

 

 どうやらマグルでは無さそうだったので、ハリーは頭の中で思い浮かべていた忘却術の呪文を霧散させた。相手の正体も何となく察する。

 

「どうも。貴方がマホウトコロの?」

 

「エズモンド・ブリットです。マホウトコロで教職を務めていますが、今日は貴殿の案内役です」

 

 立ち上がった老人――エズモンドはにこやかな笑みと共に、皺だらけの手を差し出してくる。握手を求められて、ハリーは一瞬だけ固まった。ワガドゥーで気をつけていた作法が頭をよぎったのだ。

 

 だが、ここは平和な日本だ、と思い直して、ハリーはエズモンドが不思議に思う前にその手を取った。同時に、老人の顔を一目見た時から胸中に生じていた疑問を口にする。

 

「てっきり日本人の方が来るかと」

 

「最初は同郷の者が付いた方が緊張もほぐれるかと。余計な気遣いだったかもしれませんが」

 

「いえ、ありがとうございます――同郷?」

 

 言われてみれば、確かにエズモンド老人の顔つきはブリティッシュらしい特徴があった。にこにこと笑みを絶やさないのは、この国で培われた習慣だろうか。

 

「私もホグワーツの出身でして。マホウトコロに赴任してからは杖の魔法を教えております」

 

「ああ、そういえばマホウトコロも独特の魔法があるんでしたね」

 

 杖はヨーロッパを起源とする道具である。近代までほとんど他の魔法界と接触がなかった日本魔法界において、独自の魔法が発達するのはむしろ必然のことではあった――と、これもまたハーマイオニーからの受け売りだったが。

 

「確か変身術と占い学が盛んだとか」

 

「我々風に言えば、そういうことになるでしょうな……なに、向こうで実際に御覧に入れますよ。ささ、お手を拝借」

 

 エズモンドは断りを入れてからハリーの手を掴むと、即座に"付き添い姿くらまし"した。マグルの街のど真ん中だが、ハリーが最初、老人の存在に気付かなかったことを考えれば、目くらまし術のようなものが掛かっているのだろう。服装から見ても、エズモンドがマグルの文化に対する深い理解を備えていることは明らかだった。

 

(緊張してたのが馬鹿らしくなるくらいスムーズだな……残りも全部こうだったらいいんだけど)

 

 "姿くらまし"特有の引き延ばされるような感覚の中で、ハリーの頭に浮かんできたのは、この視察旅行を押し付けてきたキングズリーの顔だった。

 

◇◇◇

 

「魔法学校への親善訪問……ですか?」

 

 半月ほど前。イギリス魔法省の魔法大臣執務室で。

 

 自分を呼び出した魔法省大臣キングズリー・シャックボルトの言葉を、ハリーはおうむ返しにした。

 

「そうだ。国際魔法使い連盟の認める11の伝統ある魔法学校――その視察に行ってもらう」

 

 机上の書類、4枚へ同時に――1枚は自分の手で、3枚は魔法で操る羽ペンで――サインしながら、キングズリーはこともなげに言った。

 

 あまりにもこともなげ過ぎて、何も言わなければそのまま会話が終わってしまいそうなほどだ。ハリーは3日前、闇の魔法使いの潜む廃屋に踏み込んだ時よりも慎重に、言葉を舌に乗せた。

 

「誰が行くんですか?」

 

「君だ。当然だろう」

 

 その時だけキングズリーは顔を上げ、薄く笑った。すぐにまた書類と向き合ってしまったが。

 

 放っておけばそれで会話は終わってしまっただろうが、そういうわけにはいかない。目の前の禿頭にもう一度前を向かせるために、ハリーは無理やり言葉を継がせる。

 

「ここに就職したばかりの、20そこそこの若造が行くのが当然?」

 

「そうだ」

 

「壁に落書きでもしてくるんですか? イギリス魔法省夜露死苦みたいな」

 

「違う。だが本質的には変わらないかもな」

 

「……ええと、頭から話してくれませんか?」

 

 シャッ、と手に持ったペンを滑らせて署名をすると、キングズリーはハリーの方をちらとも見ず、次の書類に取り掛かった。その状態のまま、逆に尋ね返してくる。

 

「率直に言ってくれていい。ハリー、君は現在のイギリス魔法省に対して、どんな印象を受ける?」

 

「目下、再建中です。でも、みんな頑張ってますし、いい方向に向かっていると思いますよ」

 

「つまり、ちょっと前までは最悪だったということだな?」

 

「えーと、まあ、最高ではなかったですよね」

 

 言い淀んだハリーに、キングズリーは薄く微笑んだ。顔は相変わらず書類に向けられていたが。

 

「ふむ、君の言う通りかもな。実質的に、イギリス魔法界の中枢がヴォルデモートの手中にあったというのは、最悪というほどでもないか」

 

「分かりました……認めますよ。確かにちょっと前までは最低最悪でした。で、それがこの視察と何の関係が?」

 

「言ってしまえば、示威行為だ。イギリス魔法省が健全に立ち直ったという事実を世界に示す必要がある」

 

「ありますか?」

 

「ああ、あるとも。分かりやすく例えるなら――そうだな、闇の魔法使いに支配されていたマグルの家があったとしよう。その闇の魔法使いを逮捕した後、その家の戸棚に仕舞われていたコーヒーを勧められたとして、君は飲もうと思うかね?」

 

「まず、飲みませんね。礼儀作法云々の前に、妙な魔法薬が仕込まれてないともか分かりませんし」

 

「そうだろう? 原因を排除しても、どんな影響が残っているかは分からないと普通は考えるものだ。この視察は、そう考える者達へのアピールだよ。実際、ヴォルデモートの支配から解放されても、訪英する魔法使いは減ったままだし、輸出入にも大きな影響が出ている」

 

 ぴっ、とキングズリーが新たにサインを終えた書類を指で弾くと、その羊皮紙がハリーの顔の前まで飛んできた。読んでみると、『自分が魔法薬作りを失敗して額からキノコが生えるようになったのは、イギリス製の大鍋にヴォルデモートの呪いが掛かっていたからだ』という海外からの訴えについてだった。ハリーが払うようにどかすと、処理済みの箱の中に自ら飛んでいく。

 

 さておき、キングズリーのその言葉には、ハリーも納得するしかなかった。ハリーが闇祓いとして働きだして数年。ようやく一人前と言えるような経験を積んではいたが、その経験の中に、ヴォルデモートの信奉者が引き起こした事件というのは数多くあったのだ。

 

「必要性については分かりました。でも、それで派遣されるのがなんで僕なんです?」

 

「ヴォルデモートの影響から脱した、とアピールするには最適な人材だからだ。君がその手の英雄視を嫌っていることは知っているが、なにぶん猫の手も借りたい忙しさでね」

 

「友人から借りてきましょうか。賢い猫ですよ。死喰い人を見つけ出した実績もあります」

 

 クルックシャンクスは猫としてはかなりの高齢になる筈だが、ニーズルの血が混ざっているせいか、未だに元気だ。この前、ジニーと一緒に友人夫婦の家に行った時も、猫好きのジニーが操る魔法の猫じゃらしに何度もパンチを食らわしていた。

 

 ハリーの皮肉に、くっくっくとキングズリーは喉を鳴らしながら頭を振った。

 

「ありがたい話だが、流石に猫を送りだしたら『イギリス魔法大臣は、ヴォルデモートに掛けられた錯乱呪文の影響が抜けていない』などと言われかねん。それに正式な外交官が行くと、どうしても政治的なメッセージが出てしまうからね。そういう意味でも君が適任なんだ。なに、ほんの3ヶ月程度だ」

 

「3ヶ月……」

 

 短く呻く。キングズリーのことだ。おそらくはもう関係各機関とのすり合わせは全て終わっていて、退路など残されていないのだろう。

 

 それでもなお、悪あがきだとは自覚していたが、ハリーは努めて哀れっぽい声を出して懇願してみた。

 

「ボス……新婚なんです。結婚式にも来てくれましたよね」

 

「ああ、顔を出せたのは5分だけだったがね。それについては申し訳なく思っているよ」

 

「申し訳ないついでに、あるひとつの幸せな家庭が長期出張のせいで破綻したらどう思います?」

 

「とても残念に思うよ、ハリー。ところで、ある闇祓いが任務拒否したせいでイギリス魔法界が破綻したらどう思う?」

 

「……卑怯ですよ、それ」

 

「自覚はしている。だから出立前の二日間は、大臣命令で休暇が取れるようにしたよ。闇祓い局の仕事を何割か肩代わりしてね」

 

 机の上に、いくらか見覚えのある書式があったのはそのせいだったらしい。

 

 キングズリーの並外れた有能振りを改めて実感しながら、ハリーは降参するように小さく両手を掲げた。

 

「お気遣いどうも……その間にジニーの機嫌を取れってことですね?」

 

「ああ。難易度的には、闇の魔法使いと戦うよりも楽なものだろう?」

 

 それはどうかな……と胸中で首を捻りながらも、ハリーは曖昧に笑いながら頷いたのだった。

 

◇◇◇

 

 ハリーは巨大なウミツバメに乗って海の上を飛んでいた。凄まじい速さで風が頬を撫でていくが、寒さや風圧はほとんど感じない。手綱と鞍に保護呪文が掛かっているのだという。

 

 乗り心地については、かつて乗ったことがあるヒッポグリフよりも格段に安定している。マホウトコロの生徒は、これを通学に使っているのだとエズモンドから説明を受けたが、なるほど。確かにこれなら子供にも乗りこなせるだろう。

 

 エズモンドが"姿現し"したのは、このウミツバメの牧場兼乗り合い場所だった。やはりマホウトコロには直接"姿現し"できないらしい。これはホグワーツやワガドゥーも同じだったので、驚くほどのことでもないだろう。どの国も、不審者対策には力を入れているということだ。

 

(まあ、ホグワーツにはトロールやらシリウスやらいろいろ入り込んでたけど)

 

 気になったのは、マホウトコロがある南硫黄島までは、距離にして800マイル以上もあるというのに、このウミツバメがそんなに長い距離を飛べるのかということだった。

 

 だがその擬音も、ハリーの乗ったツバメが飛び立って1分もしないうちに解決した。トップスピードに乗ったツバメが、スクリューするようにスピンをして――

 

 パン! という破裂音と共に、視界が一瞬だけ明滅する。

 

 海上を飛んでいるので分かりにくかったが、どうやら一瞬で別の場所にまで移動したようだった。振り返っても陸地は影も形も見えず、そして前方の眼下には、豊かな緑に覆われた島が見える。先ほどまで、あんな島は確かに存在しなかったはずだ。

 

「驚かれましたかな? このカラワタリウミツバメは、屋敷しもべ妖精のような"姿現し"に似た魔法が使えるのです。いや、私も最初に乗った時は感心しました!」

 

 同じくツバメに乗ってハリーの隣を飛ぶエズモンドが、風音に負けないような大声で解説してくれる。

 

 ツバメは手綱でコントロールする必要も無く、ほとんど自動で前方の島を目指した。単純にこの手綱は、落下防止の為なのだろう。あるいはヤンチャな生徒がこの島から脱走するのを阻むためかも知れない。

 

 緑の島がみるみる内に大きくなる。ツバメが目指しているのは島の中央にある、巨大な山のようだった。山頂の辺りに着陸しようとしているらしい。大した面積があるようにも見えないが。

 

 ハリーはポケットの中の杖を掴んで「ソノーラス」と小さく呟くと、隣を飛ぶエズモンドに叫び返した。

 

「マホウトコロはあの山に!?」

 

「ええ! もうすぐ目眩ましの結界を抜けますぞ――それ、いまです!」

 

 ツバメがある一線を越えると、再びハリーの視界が大きく変じた。今度は"姿現し"で別の場所に飛んだのではなく、単に目に見える物が変わったのだ。

 

 目指していた山は、その高さが3分の1ほどにまで減じていた。

 

 まるで真上から巨人が殴りつけでもしたかのように、山頂は深く抉れ、クレーターのようになっている。

 

「マグルは知りませんが、大昔に一度、大噴火をしておりましてな。噴火後がカルデラになったので、そこに校舎が築かれたのです」

 

 エズモンドの言うとおりだった。木々で覆われるクレーターの中央に、見事な造りの宮殿がそびえ立っている。白く透き通るような石で出来たそれは、大きさこそホグワーツより小さかったが、エキゾチックな美しさでハリーを圧倒した。おそらくここに通うことになった子供達も、この光景を見て胸を躍らせるのだろう。

 

 変化したのはそれだけではなかった。カルデラの縁に、ハリーにとってはとても馴染みのある輪っか付きのポールが複数立っている。

 

「クィディッチのゴールポスト!」

 

 闇祓いの仕事が忙しくて、やる方はすっかりご無沙汰になってしまったが、それでもハリーのクィディッチ熱は冷めていない。世界リーグの情報などにも詳しくなっていた。

 

 日本のトヨハシ・テングは、世界的に見てもかなりの強豪チームとして有名だ。当然、彼らは全員マホウトコロの卒業生であり、学生の時分からクィディッチに明け暮れていたというコメントをハリーも見たことがあったが――

 

「あそこで練習していたんだな……」

 

 その呟きを、エズモンドは聞き逃さなかったらしい。ハリーの視線を追って、何を見ているのか見て取ると、ああ、とひとつ頷いて、

 

「クィディッチですか。ええ、かなり盛んですよ。そういえば、ポッター殿も名プレーヤーだったとか。グリフィンドールの最年少シーカーだったのでしょう?」

 

「よくご存じで。最近はとんとご無沙汰ですけどね」

 

「ふむ……如何でしょう? 視察の後、生徒達に少しばかり飛び方を指導して頂くというのは?」

 

「本当に? いや、でもトレーナーなんてやったことはないですから……」

 

「なあに、そう大事に考えずとも、一緒に試合をして頂くだけでも、生徒達にとっては良い思い出になるでしょう。ちょっとした遊びですよ」

 

「うーん、そういうことであれば、是非」

 

 内心ではガッツポーズをしながら、ハリーはエズモンドの申し出を受ける。なんだ、この仕事も悪くないじゃないか、などと楽観的な考えも浮かんだ。

 

 この後、そんな風に考えていた自分自身を殴りたくなるなんて、この時のハリーは露とも思っていなかった。

 

◇◇◇

 

 ツバメは宮殿の前にある、木々を切り開いて作られたらしい広い敷地に着陸した。

 

 ハリーとエズモンドがツバメの背から降りて、鞍のポケットに入れていた荷物を取り出すと、二羽はそのまま近くの建物に飛んでいく。どうやらそこが彼らの住処らしかった。同じようなウミツバメが生徒の人数分いるとしたら、とても入りきるような大きさには見えないが、鞍のポケットと同じように、おそらく拡大呪文か何かで中を広げているのだろう。

 

 ツバメが着陸の態勢に入った頃から見て取れていたが、敷地には黒を基調とした制服に身を包んだ大勢のマホウトコロ生と、教師らしき大人達が、行儀良く整列してハリーのことを待ち構えていた。

 

 マホウトコロは、ハリーが視察する予定の11の学校の中では、もっとも小規模な学校だ。生徒の数はホグワーツの半分ほどだろうか。

 

 だが生徒の年齢層に関しては、むしろホグワーツよりも幅広い。6、7歳くらいにしか見えない子供が居るのを見て、ハリーは内心、目を丸くしていた。

 

 逆に、おそらく最高学年と思しき生徒数人が、最前列で白い横断幕を広げている。そこには黒い文字で『Welcome Harry Potter』と書かれてあった。どうやらお手製の巨大ウェルカムボードらしい。

 

 「諸君!」 ハリーの横手に並んだエズモンドが、日本語で叫んだ。

 

「ハリー・ポッターさんです!」

 

 それを合図に、横断幕がぐにゃりぐにゃりと揺れた。風が吹いたのでも、それを広げている生徒達がへまをしたのでもない。横断幕が自ら動き出したのだ。

 

 生徒達が手を放すと、横断幕はまるで水中を泳ぐ蛇のように、その身をくねらせながら空に舞い上がった。同時に、その形を変じさせていく。まるで空気でも入ったかのように厚みを持ち、書かれていた黒文字はその胴体に細かな模様――ウロコを書き入れていった。

 

 あっという間に横断幕が白い龍に変じ、優雅に生徒達の頭上を飛び回った。龍は低い男の声で「ようこそ、ミスター・ポッター」と歓迎のメッセージを繰り返し、その度に牙の並んだ口の中から、色とりどりの紙吹雪が吐き出される。それを合図に、生徒達が割れんばかりに拍手を始めた。

 

 素晴らしい段取りだった。たぶん、事前に予行練習をしていたのだろう。

 

 にこやかな笑顔を浮かべて迎えてくれる彼らを前に、ハリーはどこか居心地が悪かった――本当に、僕はこんな大歓迎を受けるような人物じゃないんだよ、と言いたい気持ちがわき上がってくる。ここに来るのもだいぶ渋ったし、ジニーの機嫌を取るために、親友でもある義兄をスケープゴートに捧げたんだよ、と。

 

 とはいえ、それを本当に口に出すほど、もう子供でもなかった。ハリーはにこやかに微笑み返して大きく手を振り、日本語で『アリガトウ!』と返す。もちろん、ハーマイオニーに教えて貰っていたのだ。各国の言葉で『Hello』と『Thank』だけは覚えておきなさいと言われて。

 

 実際、その効果はあったらしい。ハリーが日本語を話したことに、マホウトコロの生徒、とりわけ純真な低学年の子供達はわあ、と盛り上がった。

 

 教師陣も、外国からゲストを迎えると言うことで多少の緊張はあったのだろう。それが多少ほぐれたようで、その後の進行もスムーズだった。

 

 マホウトコロの校長、ミナモト・ノ・アケトモが正式にハリーを紹介し、ハリーもまた簡単な挨拶をする。既に数校回っているので、この手のスピーチにも慣れ始めていた。エズモンドが的確に翻訳し、時には手助けしてくれるので、困ることもない。

 

 そうして式典が終わると、ハリーは校長室に案内され、今日のスケジュールを摺り合わせることになった。

 

 マホウトコロの校舎は5階建てになっている。3階までは生徒達の教室で、4階と5階は特別な授業を行うための教室らしい。その中で、校長室は最上階にあった。

 

 宮殿のテンシュカクという位置にあるらしい校長室で、ハリーとエズモンド、アケトモ校長は籐で編まれた椅子に座って向き合っていた。高い山の上にあるせいか、石造りの宮殿内は涼しく、風通しも良い。室内の素材には木と紙が多く使われており、それがまた柔らかい印象を醸し出している。

 

「いやはや、彼の有名なハリー・ポッター殿に我が学び舎をお見せできるとは光栄なことでありますな」

 

 そんなつまらないやりとりも、エズモンドが逐一翻訳してハリーに伝えていた。

 

 アケトモ校長は今年で80歳になるということだったが、それよりも格段に若く見えるのは、彼が異様なまでの威容を誇っていたからだ。有り体に言えば、彼は年齢に不釣り合いなほどの筋肉を備えていた。ボディビルダーほどではないにしても、何かのアスリートかと見紛うほどには。

 

 実際、彼はクィディッチの名プレイヤーだったらしい。トヨハシ・テングにも所属しており、ビーターを務めていたそうだ。その時に使っていたという箒が、壁際に飾ってあった。

 

「現役時代は坂東武者の二つ名で持て囃されたものですが、いや、寄る年波には敵いませんな」

 

 エズモンドによって通訳されたアケトモの言葉に、ハリーは疑問を覚えた。

 

「サムライ? ブラッジャーを真っ二つにでもしたんですか?」

 

「ああ、彼の祖先は有名な武将なのですよ。ハッソウトビという伝説が、マグル――こちらでいうところの"ツネビト"の間で未だに語られているそうでして」

 

 エズモンドが解説してくれる。校長室の壁際には、箒の他にもサムライの鎧や剣などが飾られていたが、どうやらイミテーションという訳でもないらしい。

 

 祖先の偉業はアケトモにとっても自慢の種だったらしく、彼は慣れた調子でその伝説とやらを補強した。

 

「まあ"ツネビト"の間では船から船へ連続で八艘も飛び回った、ということになっていますが、実際のところは船八艘分の距離を飛び越えたのですがね」

 

「それは凄い。マグルの間にも伝わっているんですか」

 

 正直、ダンノウラを知らないハリーにとっては、どういう状況だったのかも分からないし、何が凄いのかも見当がつかなかったが、社会人としての処世術で深く感銘を受けたというように頷いておいた。僕だったら船8隻分移動する必要があるなら、ためらわず"姿くらまし"するけど、などと胸中でつぶやきつつ。

 

 幸い、アケトモは読心術の類は持ち合わせていなかったらしい。ハリーのお追従に、機嫌よく笑って見せた。

 

「はっはっは。いやいや、我が国では魔法界と非魔法界――"マレビト"と"ツネビト"との垣根は、近代までほとんどなかったようなものでしてな」

 

 マレビト――日本で言うところの魔法族をさす言葉だが、語源には"客人"という意味もあるらしい。

 

 何故そんな言葉を自分たちを意味する名称にしたのかと言えば、自制・自戒の意味を込めてとのことだった。少数の持つ絶大な力を常としてしまえば、必ず破綻が訪れる。日本人的な奥ゆかしさから成立した名称だというわけだ。

 

 実際、この国における魔法使い達は、国の成り立ちそのものに大きく関わっていた。古くはヒミコという占いのスペシャリストから始まり、ツチミカドの陰陽寮は国家機関として江戸幕府開闢まで存在した。その後継機関も1800年代半ば過ぎほどまでは国政に携わっていたという。

 

 彼らの蜜月が終わった理由は、国際魔法使い機密保持法が成立したからだ。日本魔法界は、同法に調印することを最後まで拒んだ国だが、最終的には諸外国の圧力に屈した。このことが原因で、大幅に遅れた調印からさらに約100年後、アメリカ魔法界とかなり険悪な状態に陥ったらしい。

 

「まあ実際の所、我が国の魔法使いは総人口に対して数が少ないので、現代においては"ツネビト"の暮らしに介入できるほど余裕がないというのが実情ですな。国際化に伴って、仕事も増えましたから」

 

「人手が足りないのはどこも同じですか」

 

「いや、全く。ポッター殿は、確かイギリスで闇祓い(アケトモは捕手と呼んだが、エズモンドが上手く翻訳した)をしているのでしたな。実際、この国でも治安維持は問題になっているのですよ――おっと、客人に聞かせる話ではありませんでしたな」

 

 失敬失敬、と繰り返して、アケトモは机上の汗を掻いたグラスを取り上げた。氷を浮かべた冷茶を一口飲み、ハリーにも勧めてくる。よく冷えたグリーン・ティーは、すぅっと喉を通っていく爽やかさだ。この島の気候にも合っている。

 

「いただきます――ああ、美味しいですね」

 

「お口に合ったのなら何より。英国の方は、やはりお茶には一家言あるでしょうからな――さて、長々と付き合わせてしまって申し訳ない。英語が出来れば、私自らご案内したいところなのですが、情けないことに発音が全く駄目でしてな。ブリット先生、あとはお願いしますよ」

 

「ええ、万事抜かりなく」

 

 そうしてエズモンドと共に校長室を出ると、ハリーは腕時計をちらと確認した。時刻は既にこちらのものに合わせてある。今は午前9時過ぎ。視察は今日いっぱいを使って行う予定だ。

 

「まずは授業を見せてくれる予定でしたね。何の科目を?」

 

「恥ずかしながら、私の科目を。杖の授業になります」

 

 案内された教室では、生徒達が杖と教科書を机上に置いて、行儀良く座って待っていた。先ほど校庭に整列していた時は、黒を基調としていた制服を着ていたが、今の彼らは白いワイシャツ、ブラウス姿だ。

 

 そりゃあ夏のこの島であんなの着てられないよね、とハリーは納得した。むしろ、自分を出迎える為に着衣を強制されていたのだろうと思い、申し訳ない気持ちになる。

 

 気になったのは、彼らのシャツの襟や袖、胸元に施されている見事な刺繍が、生徒それぞれで微妙に色が異なっていることだ。

 

(ああ、確かマホウトコロの制服って、成績で色が変わるんだっけ)

 

 飛行機の中で居眠りしながら読んでいたハーマイオニーお手製資料の内容が、頭の片隅に残っていた。エズモンドが教壇に立って準備をしている間に、頑張ってその内容を思い出す。

 

 ホグワーツとは違い、マホウトコロは寮こそあれど、生徒達の帰属意識は『学年』あるいは『クラス』に根ざしているらしい。マホウトコロは1学年1学級なので、12のクラスがあるわけだ。さらにその12のクラスは初等部、中等部、高等部の3つに区分がされており、彼らは高等部の1年生に当たるらしい。

 

 そして入学した初等部の生徒にはピンク色の制服が渡され、成績や魔法の腕前が上達するに従って、その色は金色に変わっていく。逆に、重大な違反行為をした場合は白く変じ、退学、裁判という重い処罰が成されるということだった。

 

(でも、さっきみんなが着てた制服は全部黒じゃなかった?)

 

 そんな風にハリーが思考を巡らせている内に、授業の準備が終わったらしい。エズモンドのよく通る教師としての声に、ハリーの意識は現実へ引き戻された。

 

「さて、諸君。本日はポッター殿が見学にいらしているが、緊張はしないでいつも通りにやりましょう。なんなら、ポッター殿に助言を頂いてもいいですね。もう知っているでしょうが、この方はイギリスを数十年に渡って荒らし回った悪い魔法使い――通商"闇の帝王"を倒した、非常に卓越した魔法使いです」

 

 生徒達が、教室の後ろに立つハリーにちらちらと視線を送ってくる。

 

 背が痒くなるような紹介に、ハリーは苦笑を浮かべながら首を振ったが――しかし授業風景を見ていると、確かに自分でも教えられるかも知れない、と思い直した。

 

 彼らはホグワーツで言えば5年生――もっともホグワーツは9月始まりだが、マホウトコロは4月始まりらしい――になるが、練習しているのはごく初歩的な呪文だった。ホグワーツでは1年生が習うようなものだ。

 

「杖の魔法は高等部からの選択授業でしてな」

 

 そんなハリーの考えを見抜いたのか、練習をする生徒達を見回りながら近づいてきたエズモンドがそう英語で囁いてくる。

 

「彼らが杖を握ってから3ヶ月足らず。まあ、この時期はこんなものですよ。魔法を使う基礎は出来ているので、伸びるのも早い」

 

 実際、今日初めて試す呪文だというのに、次々と成功する者が現れていた。もっとも、要領が良い者がいれば、そうでない者もいるのが世の常だ。周囲の成功に焦りながら杖を振り回しているひとりを見つけて、ハリーはエズモンドに目配せをしてからその生徒を手伝うことにした。

 

「――杖の動きは大丈夫。発音の問題だね。正しくは"レヴィオーサ"だ。君のだと"レヴィオサー"になってる」

 

 間違った発音の指摘を他の生徒に聞かれるのは嫌だろうと配慮して(『僕だったら嫌だもの』とハリーは昔の自分の気持ちになった)、小声で囁くように教える。他の生徒から注目を受けているのは気配で分かっていたので、ことさら小さく。ほとんどはエズモンドの翻訳だが、呪文の発音だけはハリーが教えてあげられた。

 

 生徒は緊張で顔を真っ赤にしていたが、しかしハリーの発音を真似する内、1分とかからない内に成功するようになった。彼女はぱっと顔を明るくして、ハリーに「ありがとうございます」と日本語でお礼を言ってくる。幸い、ありがとうは聞き取れたので、ハリーは気にしないで、と手を振って応じた。

 

 エズモンドの授業は、呪文を習得した者は、次の呪文に進むという形で進行していった。ホグワーツの呪文学の授業では、基本的に1回の授業で1つの呪文を習うという形だったので、確かにかなりの早さだ。

 

 ハリーの教え方も、生徒達の側が理解し始めたようで(ハリーが呪文を繰り返せば発音の問題、杖を振ってみせれば杖捌きの問題)、ハリーとエズモンドはそれぞれ個別に生徒を教えて回ることが出来た。

 

「いや、素晴らしい。今日はかなり授業が進みましたな。ポッター殿のお陰です」

 

 授業が終わると、エズモンドはハリーを食堂に連れてきた。昼にはまだ早いが、いつでも飲み放題のポットに入ったお茶が常設されており、生徒にも開放されている。特に初等部の生徒たちは今が休み時間らしく、めいめいテーブルに着きながら、遠巻きにハリー達を観察しているようだった。

 

 努めて気にしないようにしながら、ハリーは紙製のカップを受け取りつつ、エズモンドのお世辞に応じた。

 

「いえ、生徒達のお陰ですよ。ところで、彼らは最終的にどの程度の呪文を習得するんですか?」

 

「概ね、我々で言うところのO.W.L試験レベルまで、というところですかな。伸ばせる者はとことん伸ばしますが、そうでない者はそこで終わりですね。"姿現し"くらい高度なものは、数年に一度、習得者が出るか出ないかというところです」

 

 イギリスの魔法使いにも"姿現し"の免許を取得していない者はいる。だが、有能な魔法使いならまず間違いなく取得している移動手段でもあった。実際、利便性は高いのだ。

 

「そうすると、この国の魔法使いはどうやって移動しているんです? あのツバメで?」

 

「あのツバメは決まった2カ所を往復することしか出来ないので……私は使ったことがありませんが、我々の"煙突飛行"のような移動手段があるようですな。確か、"天狗の抜け道"とかなんとか……」

 

「ブリットせんせー」

 

 と、会話に割り込んできたのは初等部の1年生か2年生と思われる、小さな男の子だった。泣きそうな顔で、何か手のひらサイズの板のような物体を抱えている。

 

 日本の生徒は引っ込み思案が多いようだったが、そうでない子もいるらしい。あるいは、幼くて怖い物知らずというだけで、成長するにつれてこの子も同じようになるのかもしれないが。

 

 とまれ、エズモンドは言葉を遮られて怒ると言うこともなく、にこやかに対応した。

 

「どうしたんですか、ショータロー?」

 

「アドバンス、こわれちゃったの」

 

 と、男の子が持っていた紫色の板を差し出してくる。

 

 エズモンドと一緒になって、ハリーもそれを覗き込んだ。板の左右には押し込むボタンがいくつか付いており、中央にはかなり小さいが、テレビのような画面が組み込まれている。壊れているというのは、その画面のことだろう。大きな亀裂が走っていた。

 

 あまり見たことがないデザインだったので、ハリーは思わずエズモンドに尋ねる。

 

「これは? こっちの魔法に使うんですか?」

 

「いえ、マグルのゲーム機ですよ。校長も言っていましたが、こっちではマグル文化に対する敷居は無いも同然なんです」

 

「こんなに薄くて小さいのが?」

 

 知らないうちに、電化製品の進化に置いていかれたらしい。といっても、ハリーが知っているゲーム機は、ダドリーが持っていたプレイステーションくらいのものだったが。

 

 それも仕方ないことだろう。ハリーが住んでいる家にはコンセントがないし、そもそも魔法界に電化製品を持ち込んでも大抵はすぐに狂ってしまう。たまに"隠れ穴"に行った時、義父――アーサー・ウィーズリーがハリーを連れ出して"気電屋"に行こうとすることはあったが、毎回ジニーやモリーに阻止されており、実現したことはなかった。

 

「こっちでも動くんですか?」

 

「ええ、魔法の力が強い場所でも動くようになるシールが出回っていて――液晶が割れてますね。どうしたんですか?」

 

「おとしちゃったの」

 

「気をつけなきゃ駄目ですよ」

 

「ごめんなさい。なおしてください」

 

「構いませんが――せっかくです。ポッター殿、お願いできますか?」

 

 どうやらこういうお願いはよくあるらしい。エズモンドは男の子から受け取ったゲーム機を、右から左にハリーに渡してきた。男の子が眼を丸くしている。大切な宝物が、信頼している優しい先生から、よく分からないお客さんに渡ってしまえばそんな顔にもなるだろう。

 

 ハリーはそんな男の子の反応に苦笑しながら、杖を取り出した。杖先で液晶を軽くノックし、「レパロ」と唱える。すると割れていた液晶から、その他の細かい傷まで、すべてが一瞬で修復され、新品同様になった。

 

 その変化は男の子にも分かったようで、わあ、と歓声を上げる。遠巻きにハリーの様子を見守っていた生徒達も少しだけざわめいているようだった。

 

「はい、もう落とさないようにね」

 

 ハリーのそんな言葉をエズモンドが翻訳すると、男の子は「ありがとうございます」と、大仰にぺこりと頭を下げて去って行った。その背中に、エズモンドが「授業中は出しちゃ駄目ですよ」と声を掛ける。

 

「ところで、良いんですか? 学校にゲーム機なんか持ち込んで」

 

「まあ、子供同士のコミュニケーションに有用であれば――という方針らしいですな。ほら、あそこでやってるのもマグルのカードゲームですよ」

 

 食堂のテーブルにカードを並べ「デュエル!」と叫んでいる子供達を指さしながら、エズモンドは「それに」とニヤリと笑って続けた。

 

「ホグワーツのように、糞爆弾を持ち込まれるよりはマシでしょう?」

 

「それはまあ……確かに」

 

 同意しつつ、ハリーは改めて周囲を見回した。ホグワーツの生徒達に比べれば、マホウトコロの生徒達はかなりお行儀がいい。お茶を飲んだコップも、自分たちできちんと片付けている。ここにジョージ・ウィーズリーがいれば『糞退屈な場所』と断じて、新作の悪戯グッズを大量に散蒔き、その効果的な使い方を自ら教えて回るだろう。

 

 そんなハリーの様子を退屈していると勘違いしたのか、エズモンドは空になった紙コップを魔法で屑籠に放り込むと、率先して立ち上がった。

 

「さて、そろそろ次の授業ですな。残りは占い学と変身術です。両方とも、なかなかな面白いですよ」

 

◇◇◇

 

 昼になって、ハリーはエズモンドと共に、再び食堂に戻ってきていた。

 

 あの後、中等部の占い学と、初等部の変身術を見学したのだが、どちらもホグワーツの授業とは別物だった。

 

 とりわけ、驚かされたのはセンジ(占い学)の授業だ。正直、ハリーはシビル・トレローニーという経験から、占い学に対しては偏見があった。だがマホウトコロの占い学は、ふやけた葉っぱから曖昧な未来をどうにかしてでっち上げるというようなものではなく、確かに体系的かつ実践的な学問だったのだ。

 

 何しろ、ハリーが教室に隠したコインの場所を、生徒達はテンチバンという道具を使った占いで、教室を見もせずに百発百中で的中させた。一番成績が良いという生徒は、ハリーがコインを挟んだ本のページ数まで当てて見せたほどだ。

 

 キドウ(変身術)にしても、ホグワーツの入学年齢にも達していないであろう子供達が、折り紙で作った動物に、杖も使わず命を吹き込んで、巨大な紙製の動物園を作り上げていた。一年生の頃のハリーが杖を使って同じことをしようとしても、動物たちに火を付けて皆殺しにしてしまうのが関の山だっただろう。

 

「いや、確かに凄いですね。同じ魔法学校でも、ここまで違いがあるとは思わなかったですよ」

 

「然り。汎用性や利便性は、我らの杖の魔法も負けていないと自負していますが、特化した部分となると――特に占い学については敵いませんな」

 

「同感です。あと、この料理も」

 

 この日の献立は、ハリーの来日に合わせてイギリス料理になったらしい。どうせなら日本食を食べてみたかったとこっそり思いながら、ハリーはフィッシュアンドチップスに手を出したのだが――これまで食べたフライの中で、間違いなく一番美味しかった。別の料理かと思ったほどだ。油で揚げてあるはずなのにまったくくどさを感じず、衣と魚の身はふんわり仕上げられている。掛かっているビネガー・ソースも爽やかで、ハリーはこれが既製品なら、どうにか1瓶持って帰れないものかと思案した。良いお土産になるだろう。空港に売っていればいいのだが。

 

「確かにここの料理は美味です……しかしですね、ポッター殿。この料理にはある重大な問題があるのですよ」

 

「問題?」

 

「イギリスに帰った時、故郷の味を楽しめなくなります。私はこちらに骨を埋める覚悟ですが、ポッター殿は……いやはや、ご愁傷様です」

 

 エズモンドのジョークに、ハリーは屈託なく笑い声を上げた。確かに、マホウトコロは居心地が良い。長期に渡って勤務するとなれば、また色々な問題も目に付いてくるのかも知れないが、少なくとも今のところは素晴らしいの一言だった。

 

 デザートのサマープディング(本来は食パンをベリーの煮汁に浸して作るものだが、ここのは絶対に食パンではない、何かもっとふわふわの生地を使っていた)にハリーが舌鼓を打っていると、エズモンドが少しだけわざとらしく、こほん、と咳ばらいをした。

 

「ところで、ポッター殿……午後の視察についてですが、ちょっとしたレクリエーションを行いたいのです。訪問が決まった時から、一部の生徒にせがまれておりまして……」

 

「レクリエーション? ああ、いいですよ。ゲーム大会でもやるんですか?」

 

「いえ、決闘です」

 

◇◇◇

 

 つまるところ、日本の魔法界が近代にいたるまでマグルの政と親しくしていたというのなら、当然、争いに携わることも多かったというわけだ。

 

 日本の魔法のすべてが争いに特化しているというわけではないが、彼らの祖先は確かにそれを研鑽してきた。現代に至ってもなお、決闘は神聖なものとみなされ、その腕前はある種のバロメーターとなっている。

 

 そもそも妙に学校全体から歓迎されていたのも、どうやらハリーが『ヴォルデモートという空前絶後の強大な闇の魔法使いを単身打倒したから』というわけだったらしい。力こそ正義――とまではいかないが、強者を尊ぶ風潮は間違いなく存在していた。イギリスにもそういった思想がなかったわけではないが、日本のそれは明らかに常軌を逸している。

 

(アフリカの魔法使いより、よっぽど野蛮じゃないか)

 

 内容も聞かずに承諾してしまったことを後悔しながら、ハリーは校庭の真ん中に作られた舞台の上で所在なく立ち尽くしていた。日本式の決闘に使われる土俵というものらしい。土で作った舞台の上に、細長い藁の土嚢で巨大な円が象られている。直径にして、22ヤード弱というところか。この円から外に出たら負けということだった。

 

 午後の授業は一部中止にされ、全生徒が校庭に出て、この土俵をわいわいと囲んでいた。

 

 断ろうとしたのだが、場所が悪かった。ハリーが適当に承諾した瞬間、食堂中に生徒たちの歓声が響き渡ったのだ。どうやら英語を話せる者が偶然近くの席に座っており、ハリーとエズモンドの話に聞き耳を立てていたらしい。

 

 『ハリー・ポッターが決闘を受けた』という話は伝言ゲームで食堂中を駆け巡り、完全に断れる雰囲気ではなくなってしまった。そうしてあれよあれよと話は進み、現在に至るというわけだ。

 

 教師陣が止めてくれるのでは、と期待したが、彼らも日本の魔法使いだった。自分たちの魔法が、生徒が、イギリスの魔法使いにどの程度通じるか知りたいということだろう。それぞれが興奮した様子で、何事か話し合っている。それが賭けのオッズではないことをハリーは祈った。

 

 例外は同郷のエズモンドだけだった。教師陣の中から、唯一心配そうな、そして申し訳なさそうな目でハリーを見ている。事故のようなものだったとはいえ、出来ればもう少し上手くやって欲しかったし、もっというなら生徒から打診された時点で断っておいて欲しかった。

 

 ハリーとて、学生の頃に決闘クラブが開催されると聞いてわくわくしたことはあったから、盛り上がる彼らの気持ちもまあ、分からないではないのだ。だが親善訪問でやってきた外国政府からのゲストに、模擬とはいえ決闘を挑むというのは、控えめに言っても頭がおかしいとしか言いようがなかった。エズモンドはあくまで模擬戦で、命のやりとりにはならないと言っていたが、それにしても――

 

(いや……止そう。たぶんハーマイオニーが用意してくれた資料には書いてあったんだろうし)

 

 次の学校を視察する前には、入念にチェックしようと誓いを立てる。

 

 その時、土俵の反対側から決闘相手である生徒が登場した。やはり正装なのだろう。朝に見た黒を基調とした詰襟の制服を再び身に纏い、さらに今度はマントまで羽織っている。

 

 そして、この距離で相手を観察して、ようやくハリーは色変わりするという彼らの制服が、どうしてみんな黒っぽかったのか気付いた。まあ、大した秘密ではなかった。彼らのシャツと同じだ。制服やマントに刺繍が施されており、おそらく色が変わるのはその部分だけなのだろう。考えてみれば、ピンクはまだいいとしても、全身金色というのは流石に派手過ぎる。ダンブルドアのお気に入りだったスパンコール付きバイオレットローブの方がまだましだ。

 

 そして舞台に上がったその生徒の刺繍は、見事な金色に染まっていた。

 

(マホウトコロは4月始まりで、今は7月……最高学年だったとしても、ほとんど飛び級レベルで優秀だってことか)

 

 線の細い、年の頃は18ほどと思われる男子生徒だった。ぎらぎらと照り付ける太陽の下、マントの前をぴっちり閉じているくせに、汗ひとつかいていない。

 

 ギョウジ(審判役)として、アケトモ校長も土俵に上がってくる。見物している生徒たちに、何事か話しているらしい。

 

「さて、諸君! 今日は闇の帝王ヴォルデモート卿を倒したポッター殿が胸を貸して下さるそうです! ヨーロッパといえば、決闘の本場! ポッター殿が学んだホグワーツ魔法魔術学校、その設立者のひとりであるゴドリック・グリフィンドールも決闘の達人だったとか! そんな彼がどのように戦われるのか、校長先生もとても楽しみにしています! そしてポッター殿と戦うのは、高等部3年生の――」

 

(ゴドリックが何だって?)

 

 日本語が分からないハリーが聞き取れたのはその名前だけだったが、アケトモが何か言う度、生徒がどよめき、そして盛り上がることから、ハリーにとっては碌でもないことを言っているのだろう。

 

 やがてアケトモが一度言葉を切り、ごほんと咳ばらいをひとつした。生徒たちの熱狂も、一時的に収まる――あるいは文字通り、見えないように隠しただけか。いくつもの爛々とした視線が自分に向けられているのをハリーは感じていた。

 

「東ぃいいいいいいい! ポッタァァアア・ハリィ!」

 

 アケトモ校長が、手にしていた立派な扇子のような物体をハリーへ向ける。事前に『フルネームを呼ばれたら杖を抜いてください』とエズモンドから作法を聞いていたので、ハリーはローブのポケットから杖を抜いた。決闘ということなので、マグルのスーツから着替えたのだ。

 

「西ぃいいいいいいい! ツチミカドぉぉおお・アキラぁ!」

 

 同じく名前を呼ばれた決闘相手――ツチミカドとだけ聞き取れた――が、マントは閉じたまま、器用に手先だけを外に出す。

 

 だが、彼が持っていたのは杖ではなかった。その人差し指と中指で挟むようにして、一枚の紙が保持されている。髪は人型に切られており、さらに黒い塗料で何事か書き込まれているようだった。

 

 あれ? とハリーは訝しむが、その違和感を口にするよりも、アケトモが扇子を振り下ろす方が早かった。大声で試合開始が告げられる。

 

「見合って――発気揚々!」

 

 先に動いたのはツチミカドだった。というより、ハリーが二つの理由で先手を譲った。ひとつは本当にこれが開始の合図でよかったのか、微妙に自信が無かったこと。そしてもうひとつは、ハリーが本職の闇祓いで、相手が学生だったからだ。初手で武装解除呪文なり失神呪文なりをかけて、相手に何もさせずに勝利してしまったら、それは大人げないんじゃないか――

 

 そしてハリーは、すぐにそんな風に考えていたことを後悔した。

 

「キシンショウライ!」

 

 ツチミカドの呪文と共に投じられた小さな紙切れが、空中でむくむくと膨らんでいく。ただ大きくなるだけではない。色と厚みを発現させ、明らかに紙人形とは別の物に変わりつつあった。

 

(日本の変身術!)

 

 午前に見学した授業を思い出す。あの時見たのは、初等部の学生によるいわば初歩の初歩の術だった。紙で作った動物に、仮初の命を吹き込む術。それでもホグワーツの1年生に、同じことが出来る者はそういないであろうというレベルのものだったが――それがマホウトコロで最も優秀な、最高学年の生徒によって行われるとどうなるか。

 

 変じる紙のなれの果ては、頭に二本の角を生やした巨大な怪物だった。血のように赤い表皮。凶悪な顔つきに、口から乱杭歯の先が覗いている。大きさに関しては、ハリーが一年生の頃、校舎に入り込んできたトロールよりも頭一つ分ほど小さいが、脂肪をため込んだトロールとは違い、はちきれんばかりの筋肉をあらわにしていた。

 

「君、絶対に人とか食べるだろ」

 

 ハリーが思わずつぶやくと、それに反応したのか、怪物は身の毛もよだつような恐ろしい咆哮をあげた。ギャラリー、特に低学年の子の中には泣き出す者もいる始末だ。

 

 即座に先ほどまでの考えを改め、ハリーは怪物に対して次々に呪文を繰り出した。麻痺呪文、全身金縛り、縮小呪文――杖先から色とりどりの閃光が飛び出すが、その全てが怪物の表皮に散らされていく。

 

 どうやらこの怪物は凄まじく頑丈で、呪文にも耐性があるらしい。ドラゴン並みというわけではないだろうが、ハグリッドとならいい勝負になりそうだった。

 

 盛り上がるように、生徒達が悲鳴とも歓声とも取れない声を上げる。これだけの杖の魔法が一度に使われるのを見たのは初めてだったのか、自分たちの仲間がイギリスの魔法使いと互角に戦っているという興奮のせいか――あるいは単に、怪物に弾き返された呪文のいくらかが、自分たちの方へ飛んできたからか。

 

 最後の理由に関してだけは、心配する必要もなかった。この土俵には保護呪文がかけられており、土俵上で発生した呪文は、土俵の外に出るとその力を失うのだ。自分たちの元に飛んできた閃光が無害だと分かると、小さな生徒たちは光を掴もうとして無邪気に飛び跳ね始める。

 

(そう、つまり――危険なのは僕だけってことだ)

 

 うんざりしながら、ハリー。

 

 決闘の舞台を構成する円は直径22ヤード。ハリーとツチミカドは11ヤードほど距離を空けて対峙していたのだが、その更に中間に巨大な怪物が現れた形だ。ハリーにとってはほとんど目の前である。怪物は呪文を弾きながらたった一歩で距離を詰めると、敵に向かって容赦なく巨大な拳を振り下ろした。

 

「プロテゴ! 護れ!」

 

 とっさに唱えた"盾の呪文"で、その一撃をやり過ごす。的確に攻撃を防いだハリーの杖捌きに、特に杖の魔法を選択している上級生が感嘆の声を上げた。

 

 だが、当然ながら防御だけでは勝てない。放たれた呪文を防いだのならともかく、相手が変身術で作り出した怪物は未だ健在なのだ。それを誇示するように、怪物はハリーの造り出した不可視の盾に連打を浴びせ始めた。凄まじい勢いだ。ぴきり、と罅が入るような音が響く。

 

 "完全な盾を造り出して引き分けを宣言させる"というプランは望み薄らしい。ハリーは即座に次の手に移った。盾が壊れる前に、新たな呪文を唱える。杖先から飛び出した光条が怪物の腕に直撃し――次の瞬間、怪物の腕が急速にしぼみだした。

 

 ハリーが唱えたのは、フィニートの呪文――おおよその魔法効果を終了させる魔法だ。その効果で、怪物が元の大きさの紙切れに戻ろうとしている。血のような色の肌を持つ怪物の腕が、紙の白さを取り戻しながら肩ほどまで縮み、

 

「……これも駄目か」

 

 一瞬後、縮み掛けた腕は、再び怪物としての色と巨大さを取り戻した。どうやらフィニートの呪文では、この変身術を完全に解除することは出来ないらしい。

 

(かなり強い呪文だ。体系も違うし、当然と言えば当然か)

 

 日本独自の魔法だ。当然、ハリーはこの呪文に対する完全な反対呪文を知らない。つまり、この怪物を紙きれへ戻すのは無理だということだった。

 

 勝ち誇るように、凶悪な笑みを怪物が浮かべる。それを前にして、ハリーは「仕方ないな」と肩を竦めて見せた。

 

 そして杖先を怪物の足先に向けて、素早くフィニートを二度、続けて唱えた。怪物が目を丸くする。一瞬だけ足が紙に戻ったことで、立っていられなくなった為だ。

 

「デパルソ! 除けよ!」

 

 ぐらりと体勢を崩した怪物に向けてハリーが更に呪文を加える。衝撃で相手を吹き飛ばす魔法だ。本来ならあの巨体と魔法耐性を前に、大した効果もなかっただろうが、踏ん張る為の足がなければ抜群に効いた。その巨体が軽々と宙を舞い、土俵の外に弾き飛ばされる。

 

 次の呪文でツチミカドも飛ばしてしまいたかったが、さすがに相手のほうが早かった。マントの下からさらに2枚の紙きれを取り出すと、再び呪文と共に投じてくる。

 

「ブシンショウライ! カサネ!」

 

 次に現れたのは、鎧に身を包んだ大柄なサムライだった。それも、同時に2体。

 

 先ほどの怪物のような巨大さはないが、数の差と具足、さらに抜刀した日本刀の鈍い輝きは脅威以外の何物でもない。

 

「命のやり取りにはならないんじゃなかったの?」

 

 そんなハリーのぼやきを、サムライの後ろに控えているツチミカドが聞き取ったらしい。おそらくマホウトコロの首席であろう彼は、初めて言葉らしい言葉を紡いだ。

 

「ご安心を。刃引きはしてあります故」

 

 やや古くて格式ばってはいたが、ツチミカドが喋ったのは英語だった。それも、十分実用に足るレベルの。初めて英語を話す日本人に出会ったことで、ハリーは何となく嬉しくなった。笑みを浮かべて言い返す。

 

「それはありがたいよ――英語、分かるんだね」

 

「国際化の時代ですからね。ブリット先生にも教えて頂いたので」

 

「……もしかして、杖を使う魔法使いとの戦い方も?」

 

「さて、どうでしょう」

 

 ああ、とハリーは頷いた。胸中にあったいくつかの疑問が氷解したのだ。

 

 その間に、ツチミカドは一歩、マントを前で閉じたまま器用に後ろに退いた。同時、刀を顔の横で立てるように構えた二人のサムライがじりじりと前に出る。

 

「そろそろ決着と行きましょうか」

 

「そうだね、クィディッチをやる時間がなくなっちゃうし」

 

 相手が必殺の陣形を整えたことを悟って、ハリーもまた杖を握る手に力を込めた。

 

 サムライの陰に隠れたツチミカドを直接狙うことは難しい。だがあのサムライも怪物同様、呪文に対する耐性を持っていると考えた方が無難だ。おまけに今度は2体。先ほどと同じ戦法で片方を吹き飛ばそうとしても、その隙にもう片方が襲ってくる。それが目的で数を増やしたのだろうが。

 

(でもその代わり、1体あたりは小さくなった)

 

 2体のサムライがタイミングを合わせ、猿のような雄たけびを上げて斬りかかってくる。

 

 同時に、ハリーも動いていた。

 

「ボンバーダ! 砕けよ!」

 

 杖から閃光が飛び出し、着弾地点で凄まじい爆発が生じる。

 

 ハリーが狙ったのは、サムライの足場だった。2体のちょうど中間。その地面を呪文で爆破したのだ。

 

 サムライそのものを狙ったところで、大した損傷にはならなかっただろう。だが足場は違う。小さなクレーターに足を捕られたサムライ達が体勢を崩し、動きを止める。先ほどの怪物と同じサイズだったら、足止めにもならなかっただろうが。

 

 その2体の間に、ヘッドスライディングでもするような心地で、ハリーは飛び込んだ。サムライが態勢を整える前に、ツチミカドを捉える必要がある。

 

 地面を転がりながら、爆発による土煙を抜けて。

 

 そこでハリーが見たのは、勝ち誇った表情で杖を構えるツチミカドの姿だった。閉じていたマントを跳ね上げて、そこに隠していたのであろう杖先をハリーに突き付けている。

 

 ツチミカドが呪文を唱えた。

 

「エクスペリアームス!」

 

 杖先から赤い光が飛び出す。武装解除呪文だ。躱せる距離ではない。光は何の障害もなく直撃し、相手から杖を奪い取った。

 

 決着だ。武装解除された杖がくるくると宙を舞い――ヘッドスライディングの状態から立ち上がった、()()()()手に収まる。

 

 しん、と舞台が静まりかえった。観客達は、ハリーとツチミカドを交互に見ながら、何がどうなったのか必死に理解しようとしていた。

 

 ツチミカドは場外にまで吹き飛んでいる。ツチミカドの呪文が完成するよりも早く、ハリーが無言呪文で武装解除術を放ち、それが直撃したからだ。土俵下まで落ちることは無かったようだが、円の外に足を着いた。服の下に仕込んでいたらしい、残りの紙切れが杖と同じように武装解除され、あちこちに散らばっている。

 

 背後を見れば、2体のサムライもまた、紙に戻っている。一瞬だけ不思議に思ったが、すぐにハリーは論理を組み立てた。これも武装解除呪文の効果なのだろう。あれはツチミカドの"武器"という扱いなのだ。

 

 なにはともあれ――ハリーは勝利した。緊張から、無意識に止めていた息を吐き出す。

 

「勝負あり!」

 

 土俵端にいたアケトモが、ハリーに向かって扇子を掲げる。一拍遅れて、わぁっ、とこれまでで最大級にギャラリーが湧いた。

 

 割れんばかりの拍手と歓声の中、ハリーはツチミカドに歩み寄った。奪い取った杖を差し出す。桜で作られた杖だ。強力だが、持ち手を選ぶ性質がある。この才気あふれる少年にはピッタリだろう。

 

 それを受け取ったツチミカドは、呪文の衝撃からは立ち直ったようだった。しかし、その表情にはまだ驚愕の欠片を残している。

 

 彼が用意していた戦略は、ハリーが予想していないであろう、杖の魔法を切り札にすることだった。武神に対処している隙に、意識外から呪文を撃ち込むつもりだったのだ。

 

 実際、途中までそれは上手くいっていた。ツチミカドにとって予想外だったのは、ハリーがどう考えてもツチミカドの作戦を先読みして、無言呪文を用意していたことだ。でなければ、あの不意打ちをやり返せる筈はない。

 

「拙が杖を使うことを予想されていたのですか? いつから? どうやって?」

 

「いつから怪しんでいたかと言えば、最初からかな。君、暑気払いの魔法を使っていただろう?」

 

 マントまで纏ったツチミカドが、一筋の汗も流していないのを見て取った時。その姿に、最初に会った時のエズモンドが重なり、もしかしたら、とその可能性が脳裏をよぎったのだ。

 

「エズモンドさんの授業も受けているみたいだったし、杖の魔法も使えるだろうなとは思っていたよ」

 

「けど、使えるからといって、使ってくるとは限らないでしょう?」

 

「そうだね。ただ、僕は向こうで隠してる杖で魔法を使おうとする奴をよく相手にしてるからさ」

 

 杖を隠し持っている人間には、どうしても不自然さが生まれる。それはすぐに杖を取り出せるようにする動きだったり、逆に杖を持っていることがばれないようにする動きから生じるものだ。

 

 熟練の魔法使いならその不自然さも小さくすることが出来るが、ツチミカドはそうではない。

 

 彼が頑なにマントを閉じているのを見て、ハリーの疑いはほぼ核心に変わった。闇祓いとしての経験が活きたというわけだ。

 

「……同じ武装解除呪文で返したのは、拙の不意打ちに対する意趣返しですか」

 

「うーん、まあ、そんなところかな」

 

 曖昧に誤魔化しながら、ハリーは土俵の端をちらりとみやった。そこにはツチミカドがマントの下に隠し持っていた武器の一つである、日本刀が転がっている。

 

 彼がマントを開いた時、それを腰にぶら下げているのを見て、びっくりして咄嗟に選択したのが武装解除呪文だったのだ。

 

 そんなハリーの態度を見て、ツチミカドはようやく得心がいったようだった。驚愕と不審の表情を、全てを受容した笑顔に変えて、ハリーに握手を求める。

 

「……完敗です。それなりに鍛錬は積んできたつもりでしたが、さすがは英雄殿」

 

「英雄なんて柄じゃないし、学生の頃、君ほど成績は良くなかったと思う。もしも君がイギリスで闇祓いをやりたいって言うなら、喜んで推薦状を書くよ」

 

 そうしてがっしりと握手を躱すと、周囲の歓声が更に大きくなる。まるで悲鳴みたいだ――いや、これは本当に悲鳴じゃないか?

 

 ようやく状況の変化に気付いたハリーが杖を構えるのと、最初に場外まで吹き飛ばしたはずの怪物が、主である筈のツチミカド諸共にハリーを叩き潰そうとするのはほとんど同時だった。

 

「プロテゴ!」

 

 咄嗟に詠唱したのは"盾の呪文"だ。先ほどと同じ、透明の盾が怪物の拳を防ぐ。一度は防いだ攻撃だ。もう一度同じことをやるだけ。造作もない――

 

 ――そんな楽観的な、あるいは必死の祈りは、怪物の拳が一撃の下に"盾"を叩き割ったことで破れた。

 

 ほとんど反射的に、ハリーはツチミカドを引きずり倒し、地面に転がり込んだ。そのまま立っていれば、怪物の振り下ろしでぺちゃんこになっていただろう。大きく体勢を崩すことにはなったが、正しい選択だったわけだ。

 

 これで3秒は寿命が延びた――怪物が再び拳を振り上げるのを見ながら、ハリーは次に唱えるべき呪文を模索する。

 

 敵は先ほどよりも強くなっている。大概の呪文は通じない。強大な闇の魔術なら貫通するかもしれないが、未知の魔法に対して一か八かの賭けをする気にはなれなかった。

 

「オパグノ! 襲え!」

 

 ハリーが呪文を掛けたのは、土俵の円を構成している藁製の土嚢だった。半ば埋まったそれらが、次々に土の中から飛び出し、怪物に体当たりを仕掛ける。それで倒せる相手ではないだろうが、重量のある土嚢が連続で顔面に直撃し、必要な時間を稼いでくれる。

 

 獲物を見失った怪物が怒りの咆哮をあげる中、ハリーはどうにか立ち上がった。足首に痛みが走る。どうやら先ほどの一撃が掠めていたらしい。走って逃げるのは無理そうだった。隣で転がっていたツチミカドに手を貸し、起き上がらせる。

 

「どういうこと? あれ、君が操ってるの?」

 

「い……いいえ。拙の制御を離れて勝手に動いています……解除もできない? そもそも、土俵の外に出た時点で鬼神は人形(ヒトガタ)に戻る筈……」

 

 嘘を言っている様子はない。では、何が起きているというのか。

 

「……暴走?」

 

 未熟な魔法使いが魔法をしくじることはよくあることだ。何も起こらないこともあれば、妙な風に効果が出ることもある。

 

 だがツチミカドほど優秀な学生が、このような大失敗をやらかすだろうか。むしろ可能性としては――

 

(いや、いま考えていても仕方ない)

 

 怪物――鬼神を攻撃する土嚢の数が減ってきている。土俵の外に転がり落ちると、確かに魔法の効果は切れるらしい。怪物が腕をでたらめに振るう度、弾き飛ばされた土嚢が場外に飛び出ているのだ。時間的な余裕はほとんどなかった。

 

 どうする? とハリーが思考を巡らしていると、聞き覚えのある声が響く。

 

「先生方は生徒を避難させてください! ポッター殿とアキラは私が!」

 

 エズモンドだ。マホウトコロの教師たちは、この非常事態を前に硬直していたようだが、すぐ的確に動き始めた。分散して、生徒たちを校舎の中へ避難させていく。

 

 その流れに逆らって、ひとり飛び出したエズモンドは土俵際まで来ると、その杖先で土俵を構成する土くれを3度、叩いた。

 

 次の瞬間、土俵から浮上するように現れたのは、土を固めて生み出された甲冑姿の騎士だ。手にしているロングソードを、具合でも確かめるかのように、ピュオウ! と振って見せる。凄まじい剣速によって生まれたその風切り音を背負うようにして、一直線に鬼神へと疾駆。エズモンドの変身術の腕前は、ミネルバ・マクゴナガルに勝るとも劣るまい。

 

 魔法が碌に効かない相手に対してということなら、的確な戦法だろう。ハリーよりも日本の魔法のことを知っているのだろうから、当然と言えば当然か。

 

 だが問題は、山火事をコップ一杯の水では消し止められないように、方針は正しくとも相手が規格外ならそれも通じないということだった。

 

 素晴らしい剣術の冴えを披露した騎士は、しかし鬼神の一撃で容易く場外に叩き返された。おまけに、その先には遅れて土俵をよじ登ろうとしていたエズモンドがいたのだ。転がってきた騎士に巻き込まれた老人は、悲鳴を上げながら土俵下に姿を消した。

 

「ブリット先生! ええい、誰ぞ、我が薄緑を持ってこい!」

 

 まだ避難していなかったらしいアケトモ校長が何やら喚いているのを見つけたハリーは、ツチミカドを押し付けた。身振り手振りで、どうにか下がるように伝える。

 

「アケトモ校長、彼をお願いします! 行って!」

 

「ポッター殿!? 拙の失態です! 挽回の機会を!」

 

 ツチミカドが抗戦を謳うが、ハリーは有無を言わさず首を振った。

 

「確かに足止め役は必要だけど、君の持ってた紙は、全部武装解除されちゃってるだろう? 杖の魔法なら、僕の方が使い慣れてる」

 

 指摘されて、ツチミカドは悔しそうに唇を噛み締めた。ハリーも内心、別の呪文にしておけばよかったかな、と一瞬後悔しかけたが、麻痺呪文だったらもっと厄介な状況になっていたと思い直す。

 

 後で聞いたところによると、彼らが変身術に使う紙は、事前に色々な加工が必要で、武装解除呪文はその加工を台無しにしてしまうらしい。散らばっている紙を拾って戦うわけにもいかないというわけだ。

 

 押し出されたツチミカドを受け止めたアケトモは、言葉は分からずとも、ハリーが何を頼んだのかは理解したらしい。一瞬だけ悩んだ後、ツチミカドをしっかりと抱え込む。

 

「すぐに応援に駆け付けます故! どうかご無事で! ――八艘跳び!」

 

 何やら叫ぶと、アケトモはツチミカドを抱えたまま、もの凄い大跳躍を見せた。数十メートルは離れている校舎の屋根の上まで、一息に到達する。

 

「……凄いな、ハッソウトビ」

 

 "姿くらまし"できないこの島のような場所では、もしかしたらとても便利なのかもしれない。ハリーは話を聞いた時に抱いた評価を改めた。

 

 さて、とハリーは改めて鬼神と対峙する。ちょうど、最後まで残っていた土嚢が引き裂かれるところだった。ぼたぼたと地面に落ちる土が、数秒か、あるいは十数秒後には、自身の内臓になっているかもしれないと考えると、かなりげんなりする。

 

(実際、どうしたものかな)

 

 生半可な魔法は通じない。貫通する可能性のあるいくつかの魔法を渾身の力で唱えれば倒せるかもしれないが、問題はそれで倒しきれなかったり、躱されてしまった時だ。そうなった場合、反撃でほぼ確実にハリーは粉々にされてしまうだろう。

 

 鬼神はハリーが答えを出す時間をくれはしなかった。引き裂いた土嚢を放り捨てると、組み合わせた両手をハンマーのように振り下ろしてくる。

 

 だが、今度は余裕をもって呪文を唱えることが出来た。ハリーは精神を集中させ、より強力な盾の呪文を詠唱する。

 

「プロテゴ――マキシマ!」

 

 鬼神の拳が、改めて展開された不可視の壁に弾かれる。

 

 プロテゴ・マキシマ。

 

 最上級の盾の呪文だ。いかにこの怪物が強大無比とはいえ、そう簡単には突破できない。

 

(……30秒くらいは持つかな)

 

 見えない盾がぎしぎしと軋む音を立てている。凄まじい勢いの連打を繰り出し始めた怪物を前に、ハリーは冷や汗をかきながら、この窮地を脱する為の思考を開始した。

 

 マホウトコロの学生たちは、その3分の1ほどが避難を終えているようだった。教師たちの指示で、次々と校舎の中に逃げ込んでいる。避難完了くらいまでなら盾の呪文は持つだろうが、その後にマホウトコロの教師たちの救援が間に合うかは微妙なところだろう。

 

 その光景を見て、そういえば、とハリーはある事実に気づく。

 

 あの鬼神という怪物は、ハリーによって一度、土俵下まで吹き飛ばされている。同じように決闘の参加者が転げ落ちてくる可能性があった為、観戦している人たちは土俵から数ヤードほど距離を取っていた。

 

(それでも、暴走を始めた怪物に一番近かったのは見物していた学生や教師だった筈……僕を優先して狙っている?)

 

 もともと、ツチミカドはハリーを倒すために魔法を使ったのだ。不具合が出てもなお、当初の標的を狙い続ける。そんな暴走の仕方もあるのかも知れないが。

 

 だがハリーの中には、いくらかあの鬼神の暴走に対する不信感が芽生えていた。

 

(動きがおかしくなってからアレが攻撃したのは、僕を除けば、妨害した土嚢とエズモンドが呪文で作り出した騎士……ツチミカドが巻き込まれたのは、僕の傍にいたからか?)

 

 事実、アケトモ校長は同じ土俵上にいたにも関わらず、鬼神の攻撃対象になっていない。

 

 そこまで考えるに至ったところで、盾の呪文に限界が来た。びしびしと亀裂が入る音が伝わってくる。

 

 ハリーは頭の中で、手早くプランを纏めた。まずは手にしている杖の先を、自分自身に向ける。気は進まなかったが、仕方ない。目を瞑って、口早に呪文を唱えた。

 

「エヴァーテ・スタティム! 宙を舞え!」

 

 至近距離から炸裂した呪文が、ハリーをたっぷり20フィートは吹き飛ばした。

 

 空中でめちゃくちゃに回転しながら宙を舞う。とはいえ、見た目が派手なだけで、重篤なダメージは出ない魔法だ。さらに土俵の外に出た瞬間、その勢いさえガクン、と大きく減じる――保護呪文の効果だ。結果として、ハリーは土俵台の外に、何とか足から着地することに成功した。

 

 再び足首を痛みが襲うが、そんなものに構っている暇はない。わざわざ吹っ飛んだのは、土俵の中では使えない呪文を使うためだ。

 

「アクシオ!」

 

 ハリーが呼び寄せ呪文を唱えるのと、鬼神が土俵の中から飛び出してくるのはほぼ同時だった。やはり、あの鬼神に対してだけは保護呪文が効いていない。紙に戻る様子はなく、飛び出した勢いそのままに、ハリーの方へ突っ込んでくる。

 

(不味い。間に合わない)

 

 鬼神の全速力が思ったよりも早く、さらに保護呪文によって、ハリーは思ったよりも距離を稼ぐことが出来なかった。

 

 みるみる内に鬼神が距離を詰めてくる。新たな呪文を唱える余裕はもうない。無茶をやるしかなかった。相手が拳を振り下ろすタイミングを見切って、どうにか躱すしかない。

 

 ハリーはじっと相手の動きに集中した。鬼神が再び、その巨岩のような拳を振り上げて――その動きが、びたりと静止する。

 

「……蛇?」

 

 鬼神の動きを止めたのは、素早く地面を這ってきた巨大な蛇だった。大きさはバジリスクほどではないが、ヴォルデモートが連れていた蛇と同じか、やや上回ると言ったところだろうか。それが鬼神の腕や足に巻き付き、動きを制限している。

 

 その蛇が、明らかにハリーの方へ視線を向けた。僕はもう蛇語は分からないぞ、とハリーは焦ったが、その心配は無用だった。蛇が口にしたのは古めかしい英語で、しかも聞き覚えのある声だったのだ。

 

『ポッター殿! 今の内にお逃げください! もう持ちません!』

 

「ツチミカド? 君、アニメーガスだったの?」

 

『まさか。校長室で形代を補充できました。先の武神と同じです。ポッター殿が土俵の外に出てくれたので、援護が可能に』

 

 言われて、ハリーが校舎のテンシュカクを見やると、いつの間にかそこに移動していたツチミカドが紙切れを投じた体勢のまま、ハリーの方を祈るように見つめていた。どうやらこの蛇は、彼が変身術で作り出してくれたものらしい。

 

『さあ、お早く!』

 

「いや、大丈夫だよ――君のお陰で間に合った」

 

 ツチミカドのすぐ横から、何かが素早く飛び出すのが見えた。それは一直線にハリーに向かって飛んでいき、ハリーの目の前で停止する。

 

 アマツマラ社製、イダテンシリーズ8号。ハリーが校長室に飾ってあるのを見た、アケトモが現役時代に使っていたという箒だ。呼び寄せ呪文がようやく効いたらしい。

 

 ハリーが箒を掴むのと、鬼神がクチナワを力任せに引き裂いたのはほぼ同時だった。大蛇は瞬時に無数の紙片へと還り、その紙が地面に舞い落ちるよりも早く、鬼神がハリーへ拳を叩き付けようとするが――箒を得たハリーを捉えるには、少しばかり遅すぎた。

 

 ハリーは片手と片足をフックにして身体を吊すような曲芸飛行で、地面すれすれに飛び出していた。いきなり高く飛び上がろうとしていれば、鬼神の攻撃を躱すことはできなかっただろう。その勢いのまま、敵の横をすり抜け、一気に急上昇する。イダテンは数十年前の箒だが、十分に手入れがされており、ハリーの意思によく追従した。

 

「良い箒だね――やっぱり、あいつは僕を狙ってるな」

 

 鬼神の攻撃が届かない高度まで上昇したのに、鬼神はその凶相を相も変わらずハリーに向けたままだった。避難中の生徒などには見向きもしない。

 

 土俵外に落ちていた土嚢などを拾い、ハリーに投げてくる。だがその程度なら、ブラッジャーを避ける方がよほど難しい。ハリーは箒の操作だけで投擲を回避しながら、杖を眼下の鬼神に向けた。もはや反撃は気にせずとも良い。強力な呪いをありったけ叩き付ければ、どれだけ頑丈でも粉々になるだろう。

 

 だが、ハリーはそれを躊躇った。ここまで間に得た情報や考えが、ある可能性を示唆している。

 

 結局、ハリーは杖先を自分の喉に向けた。ソノーラスの呪文で、校舎にいるマホウトコロの教師達に聞こえるよう、声を響き渡らせる。エズモンドやツチミカドの他に英語を聞き取れる者がいることを期待して。

 

「聞こえますか、ハリー・ポッターです! 下手に攻撃を加えると標的がそちらに移るかもしれないので、安全策を取ります!」

 

 散発的に投じられる土嚢を避けながら、ハリーはゆっくりと校舎の反対側へ移動する。すると、鬼神も威嚇するように叫びながらそれを追ってきた。やはり、狙いはハリーひとりらしい。

 

 その事実を確認できたハリーは、少しずつスピードを上げていく。校庭から、それを囲む森へ。森からクレーターの壁面を登り、頂上からは山を下る。鬼神は物を投げたり飛び上がったりしてハリーを捉えようとしたが、全て無駄に終わった。

 

 やがて、ハリーは鬼神を連れたまま、島の外縁――海に出た。

 

 この島に砂浜などはないが、それでも比較的、海への傾斜が緩い部分はある。ハリーはそこへ鬼神を誘導した。胸まで海水に浸かった鬼神は、それでもハリー目掛けて拳を振り回している。

 

 ハリーは空中から鬼神に向けて杖を振るった。

 

 杖先から飛び出した青い光は、鬼神には当たらずに海面へと落ちる。狙いを外したのではない。そもそも直撃させたとて、ろくに通じないのだから意味はない。ハリーの目論見は別の所にあった。呪文が直撃した地点が、びきりと音を立てて白く濁る。

 

 凍結呪文だ。周囲の海水を、鬼神の身体を包むように凍り付かせた。その上から、さらに繰り返し繰り返し、何度も同じ呪文を唱える。覆い被さるように打ち寄せる波すらも凍てつき、結果として、氷はちょっとやそっとでは溶けないような万年氷へと変じた。その厚い層が、鬼神の全身を隙間なく、完全に覆っている。

 

 その時点でハリーは既にくたくただったが、これが最後だ、と気力を振り絞った。最後の最後に、残りの力を振り絞って呪文をかける。

 

「ディセンド! 落ちよ!」

 

 波間に漂っていた氷の塊が、勢いよく水面下に沈んだ。それだけでは済まない。数ヤードほど水中を落下し、やがて海底に辿り着いた氷は、それでもなお呪文の影響で沈み続けた。砂と土を押し分け、半ば以上、海底に突き刺さるような形になってようやく停止する。

 

 浮かび上がってきたり、中の鬼神が氷を割って出てきたりしないことを確認すると、「上手くいくと良いけど」とハリーは胸の内で小さく呟き、箒の進路をマホウトコロへ向けた。

 

 山を越えて再び校舎前に戻ると、生徒の避難は完了し、さらに防衛体制も完璧に整えられていた。ツチミカドが作り上げたような変身術による怪物が、校舎の前に何体も並んでいる。さらには、ハリーを救出に行くところだったのだろう。アケトモと他数名の教師達が、めいめい刀や槍といった武器を手に隊列を組んでいた。

 

「ポッター殿!」

 

 飛んでくるハリーを最初に見つけたのはエズモンドだった。全身土まみれで頭に包帯を巻いているものの、どうやら無事だったらしい。

 

 彼らの前に着陸すると、教師達は武器を放り出して駆け寄ってきた。見れば、校舎の窓からも生徒達がこわごわと様子を伺っている。

 

 武者鎧姿のアケトモが興奮しながら日本語で何事か言いかけたが、言葉が通じないのを思い出したらしい。助けを求められたエズモンドが前に出た。

 

「ポッター殿、よくぞご無事で……暴走した鬼神は?」

 

「安心してください。氷漬けにして、海の底に固定してきました。数日は動けないはずです」

 

「氷漬け? 倒さなかったので?」

 

「ええ、安全策を取りました……ちなみに、あの変身術はどのくらい持つんですか?」

 

「出力を重視したので、本来なら30分もすれば術は解けます」

 

 会話に割り入ってきたのはツチミカドだった。勝手に校舎から出てきたせいか、あるいは暴走そのものの責か、教師達から咎められるような視線を向けられながらも、物怖じせずに進み出てくる。

 

「拙が術をしくじったことを考慮しても、半日は持たないでしょう。形代に込められる力にも限界がありますから」

 

 そこまで言ってから、ツチミカドは地べたに座り込んだ。額を地面に付けるように上半身を倒す。ジャパニーズ・ドゲザの姿勢だった。

 

「申し訳ございませぬ! 拙の未熟が、このような……どのような処罰でも受ける覚悟です。さあ、如何様にも打擲を」

 

「ツチミカド君! 君がそこまですることはない! 安全な管理態勢を敷けなかった我々にこそ責任がある!」

 

 エズモンドやアケトモがツチミカドを引き起こそうとするが、ハリーはそれを押し留めた。自らの手で、ツチミカドの腕を取り、優しく引き起こす。

 

「君が助けてくれなかったら、僕は死んでいたよ。それでチャラってことにしよう」

 

「しかし、そもそも拙が術を……」

 

「学生は失敗するものだよ。僕だって、在学中は色んな人に迷惑を掛けた。だから、僕もそういった失敗を受け止めてあげられるような大人になりたいと思ってる。さあ、立って」

 

「ポッター殿……かたじけなく思います」

 

 頭の中のフィルチが中指を立ててきたが、ハリーは無視した。ツチミカドと並ぶように立つと、校舎側からよく見えるように握手を交わす。まるで政治家みたいだな、と思いながらも、ハリーはそれをことさらアピールするように、校舎に手を振った。

 

 その様子で、事態が収束したことを悟ったのだろう。校舎の中の生徒達が、再び爆発したように歓声を上げた。教師達も深く感じ入ったというように頷きながら、横手を打ち鳴らす。

 万雷の喝采を受けながら、しかし、ハリーには思うところがあった。

 

 本当にツチミカドは術をしくじったのだろうか?

 

◇◇◇

 

 その日の夜のこと。

 

 鬼神が沈められた海岸に、ひとつの人影があった。波が打ち寄せる際まで来ると、その場に屈み込み、持っていた杖の先を水面に突き入れる。

 

「……アクシオ」

 

 唱えられた呼び寄せ呪文は、すぐさま効果を発揮した。水の中を"何か"が素早く、一直線に動き、人影の手の中に飛び込んでくる。

 

 それは形代だった。昼間、ツチミカドが鬼神に変身させたものだ。効果を失い、紙切れに戻ったそれが、氷の中から飛び出してきたのだった。

 

 人影は安堵のため息を漏らすと、その人型の紙を拾い上げ――

 

「動かないでください」

 

 ――背後からの声と、投じられた光に身を竦ませた。

 

 ハリーは借り受けた懐中電灯と杖を向けながら、その人影に呼びかけた。

 

「やっぱり、貴方がこの一連の騒動を仕組んだんですね――エズモンドさん」

 

 光の中で、企みを暴かれた老人が驚愕に眼を見開いていた。

 

◇◇◇

 

「私が仕組んだ? ポッター殿、いったい何の――」

 

「何をなさっていたんですか?」

 

 エズモンドの言葉を遮り、ハリーは杖先を揺らした。むぐ、とエズモンドは言葉を飲み込み、問いに答えてくる。

 

「心配で、様子を見に来たのですよ」

 

「こんな真夜中に、誰にも秘密で? 校舎の守りは万全で、この近くにはマグルの船も通らないのに?」

 

 ハリーの追求に、エズモンドはしかるべき答えを返せなかった。誤魔化すように話題を逸らしてくる。

 

「そもそも、昼間の件はツチミカドの失敗でしょう? 貴方もそれで納得していたはずだ」

 

「確かに。でも、それ以外の可能性を、全く考えなかったわけじゃないですよ。何しろ、仕事が仕事です。一見、ただの事故のように見えることでも、事件である可能性は常に考慮します」

 

 闇祓いの仕事というのはその繰り返しだ。何しろ相手は魔法使いなので、常人には(あるいは魔法使いにも)想像も付かないような犯行手口が用いられることは珍しくないのだ。

 

「最初に妙に思ったのは、決闘を開始する時、ツチミカドがその紙を出した時でした」

 

 エズモンドが手にしている濡れそぼった紙片を注視しながら、ハリーは続ける。

 

「妙な気配を感じました。僕が仕事の現場でよく感じる気配――呪いの気配です」

 

 だからハリーはあの時、一瞬だけ妙に思ったのだが、物言いを付ける前に試合は始まってしまった。

 

「最初は初めて見る日本の魔法だから、そういうものなのかもしれないと思いました。しかし、その後のことを考えれば、あの紙に呪いが仕込まれていた可能性は大いにあると思いますね」

 

「その呪いを仕込んだのが私だと?」

 

「仕込まれていたのは、おそらく非常に高度な呪いです。日本の魔法による呪いなら、同じ魔法を使う彼らも勘付くでしょう。しかし、杖の魔法なら話は別かも知れません。そして、この学校でそんな高度な呪いを使えるのは貴方だけでしょう」

 

 あの変身術に用いる紙には、事前に様々な仕込みをする必要がある。その中には、特殊な薬液に漬け込むなど、長時間放置しておくような工程があるらしい。呪いを仕込む隙はあったということだ。

 

「状況証拠でしかありませんな」

 

「ええ。けれど杖の呪いかどうかは、その紙を調べれば分かりますよ?」

 

 一瞬だけ自らの手の中にある紙片にちらりと紙片を落とすと、エズモンドは再びハリーに視線を向けた。その表情は困惑に歪んでいたが、全体の印象としては昼間の好々爺としたものと変わりない。その事実が、ハリーにとっては逆に恐ろしかった。

 

「仮に杖の呪いが検出されたとして、やはり私の仕業だと断定するには証拠が足りないのでは? 闇の魔法使いが忍び込んだかも知れません」

 

「あのウミツバメでしかこれないような場所に、ね。可能性は低いと思いますけど、なるほど、確かに言われてみればその通りですね」

 

 ハリーは納得がいったという風に頷いて見せた。もちろん、見せかけだけだ。油断せずにエズモンドの動きに注視しながら、言葉を続ける。

 

「確かに、貴方が僕を殺そうとしていたなら、機会はいくらでもありました。ツバメの鞍に呪いを仕込むとか、お茶のカップに毒を入れるとかね。決闘の道具に呪いを掛けて、事故に見せかけるなんていうのは、かなり間接的な方法です。確実性だってありませんしね」

 

「疑いは晴れましたか?」

 

「いいえ。僕はこう考えます。どうしても事故に見せかける必要があったんです。何故なら、この国の占いはかなり確実で、事件として捜査されれば、容易く犯人の名前が分かってしまう」

 

 ハリーはここに来る前、この国の占い学についてツチミカドに尋ねてみた。彼によれば、日本魔法界では立派な捜査の一手法として、占いが用いられるらしい。

 

「さらに犯人の遺留物があれば確実らしいですね。ああ、つまり、犯人が呪いを仕込んだその紙があれば。――もう一度お尋ねしますが、どうして誰にも見られないようにして、その紙を回収しに来たんですか?」

 

 ハリーの最後の詰めに――

 

 エズモンドは観念したようだった。疲れたようにため息を吐くと、持っていた紙と杖をハリーの足下に放ってくる。

 

「……さすがは英雄、ハリー・ポッター殿。見事な手際です」

 

「闇祓いなら、これくらいは誰でもやりますよ」

 

「ご謙遜を。しかし……ひとつだけ誤解があります。私は別に、貴方を殺したかった訳ではないのです」

 

「あんな怪物をけしかけておいて? 僕がそんなに健康に見えましたか?」

 

 ハリーの皮肉に、エズモンドは両手を挙げて降参のポーズをとった。真摯な熱を宿した瞳を向けてくる。

 

「全てお話ししましょう。私はただ、このマホウトコロを守りたかっただけなのです」

 

「どういうことですか?」

 

「キングズリー・シャックボルトは、イギリスによる魔法界の統一を企んでいるのですよ。貴方には知らされていないでしょうが、この視察もその恐るべき計画の一環なのです?」

 

「……何ですって?」

 

「証拠があります。あの波間に、船が見えますか?」

 

 エズモンドの言葉に、ハリーは思わずその方向に目を向けて。

 

 同時に、出鱈目を言い募っていたエズモンドは本性を現した。罠に掛かった獲物を前に、邪悪な笑みを浮かべると、袖口から飛び出した予備の杖を握り、呪文を唱える。

 

「アバダケダブラ!」

 

 許されざる呪いのひとつ、死の呪い――緑色の閃光が、エズモンドの杖先から迸った。

 

 反対呪文の存在しない、抗えぬ死。至近距離から不意を突かれては、これを回避する術はない。

 

 閃光はハリーを包み込み、その命を奪った。ハリーはこの死の呪いを受けて二度、逃げ延びたことがあるが、愛の守りも、杖の忠誠心に基づく反逆も、今のハリーには存在しない。

 

 生命を失い、地面に倒れ伏すハリーの傍に膝を突いて、確実に死んでいることを確かめると、エズモンドは狂ったように哄笑を上げた。天にいる何かに訴えかけるように両手を掲げ、絶叫する。

 

「やりました! 御身の仇は討ちましたぞ、我が君……!」

 

 滂沱と涙を流しながら、感極まるエズモンド。

 

 その背後で、音もなく透明マントを脱ぎ捨てたハリーは、杖先を老人の首筋に押しつけた。相手が反応する前に、素早く麻痺呪文を打ち込む。

 

 赤い閃光が一瞬だけ闇夜を切り裂き、老人は悲鳴を上げることもなく、濡れた地面に倒れ込んだ。

 

「油断大敵。現職の闇祓いが、容疑者から視線を逸らすわけないでしょう」

 

 呟きながら、ハリーはエズモンドの杖を取り上げた。直前呪文対策に、本命の杖とは別に予備を持っているという闇の魔法使いは珍しくない。相手が杖を捨てても、ハリーは全く警戒を解いていなかったのだ。

 

 さて、とハリーはエズモンドの隣で倒れている自分の姿を見やった。不気味な光景だ。死の呪いを受けた自分はこうなるのか、と顔をしかめる。

 

「もういいよ」

 

 ハリーが声を掛けると、死んでいる方のハリーが、まるでジグソーパズルを崩すように、無数の紙片へと変じた。

 

 日本の変身術による身代わりだ。物陰から、協力を頼んでいたツチミカドが恐る恐ると言った様子で歩み出てくる。

 

「保険を打っておいて助かった。本当に僕そっくりだったね」

 

「魂写しの術は、古来より影武者を作り出すために珍重されてきた術ですから……しかし、本当にブリット先生が犯人だったなんて。とてもそんな方には見えませんでした」

 

 気絶している恩師を見て、ツチミカドは不気味そうにそう呟いた。先ほどの豹変を、彼もまた見ていたのだ。

 

「何故、先生はポッター殿を、その、殺そうと?」

 

「動機か。それについては、さっき分かった」

 

 ハリーはエズモンドの服の袖をまくり上げた。なんということもない。年相応の、皺と染みだらけの肌。そこに杖を突きつけて、ハリーは渾身の力で呪文をかけた。

 

「レベリオ 現れよ」

 

 暴露呪文により、エズモンドが仕掛けていた目くらまし術が解ける。そこに現れたのは入れ墨だった。ドクロの口から蛇が這い出す、不吉なデザイン。

 

「死喰い人、ヴォルデモートの信奉者の印だ」

 

「それは、ポッター殿が打ち倒した……つまり、このエズモンド先生は偽物?」

 

「ショックかも知れないけど……たぶん、本物だ。死喰い人が教師としてマホウトコロに潜入していたんだろう。ヴォルデモートが滅びる前から、ずっと」

 

 ヴォルデモートは一時的にイギリス魔法界を支配したが、それで終わりにするつもりもなかっただろう。他の国に降伏勧告などを送ることはなかったが、むしろそれは油断を誘うためで、最終的に全ての魔法界を支配下に置くつもりだった可能性は高い。

 

 特に日本は、魔法族とマグルの垣根が低い国だ。マグルを憎むヴォルデモートにしてみれば、憤懣やるかたないというところだろう。その為に、腹心を送り込んでおいたというのは有り得る話だ。

 

「しかし、エズモンド先生は本当に良い人で……」

 

「僕にも覚えがあるよ。死喰い人が教師に化けてホグワーツに潜り込んでいたことがあったけど、その人も教育者としては一流だった」

 

 ムーディに化けていたクラウチ・ジュニアは、未だにハリーの中で最も恐るべき死喰い人だ。ベラトリックス・レストレンジのような、楽しみながら強力な呪いを振りまけるのとは別種の怖さ。だが静かに潜行し、致命的な計画を進められるという貴重な性質は、非常に厄介だ。

 

 おそらくこのエズモンド・ブリットも、ヴォルデモートの腹心のひとりだったのだろう。どういう命令を受けていたのかは分からないが、ツチミカドの様子を見る限り、大勢の生徒の心を掴んでいたようだ。彼の教えを受けた卒業生の中には、要職についている者もいるだろう。仮にヴォルデモートが日本の魔法界へ侵攻を始めていたら、いくらかは呼応したり、密かに服従の呪文を掛けられていたりしたかも知れない。

 

 そしてこういった可能性を、キングズリーが考えていなかったとも思えない。

 

「つまり、僕は寄せ餌か……」

 

「ポッター殿?」

 

「いや、何でもない。ところで君、百味ビーンズ食べたことある? あれの酷い味みたいな、食べたことを後悔するような味のお土産って日本にあるかな?」

 

◇◇◇

 

『それじゃあ君、まだ日本にいるわけ?』

 

 電話口から、驚いたようなロンの声が聞こえる。

 

 マホウトコロの事務室で、ハリーはイギリスに電話を掛けていた。マホウトコロにはマグルの電話が引いてあったのだ。流石に電話工事の業者もここにはこれないだろうから、別の回線を経由しているのだろうが。

 

「まあね。エズモンドがイギリスの魔法使いってことで、イギリスと日本魔法省との間で話が紛糾してるみたい。僕もいつ解放されるんだか……」

 

 日本魔法界の誇る最高の教育機関に、イギリスの死喰い人が長期間潜んでいたこと。現職の闇祓い相手に許されざる呪文を使用したこと。どちらで身柄を引き取り裁判を行うかという点において、この二つが争点となっているらしい。

 

 11校を巡るのに3ヶ月、というのはかなり余裕のあるスケジュールだと思っていた。スムーズに行けば半分くらいで片付くのではないかと。だがここまでスムーズに終わった学校はひとつもないという有様だった。

 

『まあその辺はどうでもいいよ。それよりも、連絡するならまずジニーにしろよな』

 

「暖炉もフクロウ便も圏外なんだよ。だいたい、危うく死ぬところだった友達にその言い草は、友達甲斐ってものがないんじゃない?」

 

 あれからエズモンドを連行し、アケトモに事情を説明。日本魔法界の役人が飛んできて現場検証。キングズリー宛に大量のくさやとジンギスカンキャラメルを送る手配を済ませ、今は翌日の夕方だ。ようやく時間が出来たので、ロンかハーマイオニーに連絡をとることが出来たのである。(マグルの両親を持つハーマイオニーの為に、ロンは電話を引くことを承諾した。ただ、オレオレ詐欺に引っかかり掛けてから、電話の最初にホグワーツ思い出クイズを出すようになってしまったが)

 

 ハリーの皮肉を、ロンは鼻で笑った。

 

『友達? 冗談だろ。君が出張に行く前、ジニーを説得するからってんで僕らに援護を頼んだよな? あの時、君は僕を見捨てたろ?』

 

「あれはロンが悪いよ。ジニーには夫に対する理解が足りないなんて言うから」

 

『でも、奴さんの怒りが全部僕に向いてこれ幸いだって思っただろ?』

 

「……まさかぁ」

 

 鋭い、とハリーは思った。

 

 その思考を読んだというわけではないだろうが、ロンは刺々しさを隠しもせずに断じてくる。

 

『とにかく、伝言はしないからな。ちゃんと自分で伝えろよ。それが愛情ってもんだろ?』

 

「友情は?」

 

『目下、絶交も視野に入ってる』

 

「そっか……残念だ。君に凄いお土産を用意してたのに」

 

『なんだよ。カエルチョコの詰め合わせくらいじゃ納得しないぞ』

 

「トヨハシ・テング、往年の名プレイヤー"バンドームシャ"が最後の試合まで使った箒」

 

『マジで?』

 

 すぐさま食いついてきた親友の声に、ハリーはにこりと笑った。ロンのクィディッチ熱も相変わらずだ。キャノンズを贔屓にしているが、特定のチームにしか興味がないというわけではなく、クィディッチそのものが好きなタイプなのである。さらにトヨハシ・テングの箒、特に長期間使われていたものは、コレクターズアイテムとしての価値が高くて有名だった。負けるとその場で箒を燃やすという奇行のせいで。

 

「でもよく考えたら、これは僕がこっちの校長先生に"良い飛びっぷりでしたから"って貰ったものなんだった。でも僕は帰ったらまた仕事で忙しくて手入れもろくに出来ないだろうし、親友に預けるくらいなら許して貰えると思うんだけど……」

 

『おいおい、ハリー! 冗談きついぜ! この電話に出てるのは君の一番の親友じゃないか!』

 

「絶交を視野にいれてるんじゃなかったっけ?」

 

『そうだっけ? 忘れた。とにかく、その箒は丁重に梱包して、無事にイギリスまで届けるんだぞ』

 

「じゃ、ジニーにはちょっと連絡するのが遅れるって伝えてくれるかい?」

 

『え? あー、ああ、そうだね……』

 

 何故か言い淀むロンの声に被さるように、カリカリと受話器を引っ掻く音が聞こえてくる。

 

 ハリーは即座に背筋を伸ばした。昔、ロンとの間で密かに取り決めた"話を合わせろ"のサインだ。

 

 改めて耳を澄ませば、どうにもロンの背後の音が聞こえすぎるような気がした。衣擦れ、囁き声――おそらくスピーカーホンになっている。誰かがこの会話を聞いているのだ。一体、誰が?

 

『ところでハリー、いま一番、君が会いたいのは――』

 

「そんなのジニーに決まってるじゃないか! 最愛の僕の妻だよ!」

 

 全力で叫ぶ。ここでの声量が、帰国後の命運を決めるのだと言わんばかりに。

 

 背後で女性二人の含み笑いが聞こえた後、電話を替わる気配がした。くすくすと機嫌よさげに笑う、聞き覚えのある声――ずっと聞きたかった声。

 

『ハイ、ハリー。最愛の妻だけど』

 

「ええ!? ジニー! 嘘だろ、どうして!? うわあ、最高のサプライズだよ!」

 

『最初から私がいるって分かってなかった?』

 

「そんな訳ないだろ。君の兄貴は僕と絶交するとかなんとか、そんなことしか言わなかったよ」

 

「ふーん?」

 

 間一髪だった。ハリーは額の汗を拭いながら、キングズリーとの会話を思い出す。彼は死喰い人を相手にするより楽勝だなんて言っていたが。

 

(キングズリーも、そこだけは間違ってたな)

 

 愛と勇気は、常に悪を倒す。つまり悪を倒すよりも、愛を維持する方がよっぽど大変なのだ。

 

 そんなことを思いながら、ハリーは久しぶりのジニーとの会話を楽しんだのだった。

 

 

 


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