自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
戦後型双発ジェット爆撃機。
1957年
夕暮れが近づく空軍基地で、一機の双発ジェット機が出撃準備を進めていた。
後退翼を備えた機体は、戦闘機と比べれば一回り大きい。しかし、大型爆撃機のような巨体というわけでもない。機首から胴体、そして主翼へと続く形状には、高速で飛行することを強く意識した設計が見て取れた。
『天河一一型』
略符号、P2Y1。
戦後日本が開発した、国産の高速戦術攻撃機だった。
「航法装置、確認終了。機関も問題ありません」
搭乗員からの報告を受け、機長は飛行計画書へ目を通した。
今日の任務は、国防海軍との合同演習である。
海上の指定区域へ進出し、艦艇を模した訓練目標を発見して、模擬攻撃を実施する。目標の位置は事前に知らされているものの、演習中も同じ場所に留まっているとは限らない。
さらに、今回は日没後の行動が含まれていた。
「……夜の海ですか」
若い航法担当者が呟いた。
「嫌か?」
「嫌というより、難しそうだと思いまして」
「そうだろうな。俺もそう思う」
機長が平然と答えたため、若者は思わず振り返った。
「……機長でもですか?」
「当たり前だ。昼間でも難しい仕事を、暗くなってからやるんだぞ」
そして、計画書を指した。
「だから、できることとできないことを確かめる。無理な時は無理だと判断する。それも訓練のうちだ」
若者は頷いた。
天河は、高速で敵地へ侵攻し、爆撃を行うために作られた航空機である。
だが、速く飛べるというだけで、攻撃任務が成立するわけではない。
必要な場所へ到達し、目標を見つけ、攻撃し、帰還する。
その一連の仕事を遂行できて初めて、攻撃機として意味を持つ。
そして、その考え方は、戦後になって突然生まれたものではなかった。
「……機長は、昔の銀河をご存じなんですよね」
若い搭乗員が尋ねた。
「ああ。乗っていたこともある」
「では、天河とは随分違いますか?」
機長は、窓の向こうにある機体を見た。
「違うな。何もかもと言っていいくらいだ」
少し間を置き、続ける。
「ただ、何をしに飛ぶのかは、あまり変わらんよ」
天河の整備員が、機体の下で最後の点検を続けていた。
その姿を見ながら、機長は昔のことを思い出していた。
まだ日本の航空機が、プロペラを回して飛んでいた時代のことである。
1940年代末。
終戦から数年が経ち、日本の航空機産業は少しずつ息を吹き返し始めていた。
戦争末期に開発されていた機体を、戦後の材料と製造環境で改めて完成させる。
その過程で、各機の性能と限界が確認され、継続して発展させるものと、役目を終えるものの選別が進んでいた。
銀河も、その一機だった。
旧日本海軍の陸上爆撃機、P1Y。
高速の双発機として開発され、雷撃や爆撃などの任務に投入された機体である。
しかし、戦時中の銀河は、設計上の性能を十分に発揮できる環境に恵まれていたとは言い難かった。
発動機の信頼性や整備性、生産時の品質のばらつき。それらは、機体本来の能力を評価する上でも大きな障害となっていた。
だからこそ、戦後の航空技術者たちは銀河をもう一度完成させた。
結果は、悪くなかった。
戦争中には揃えられなかった条件で製造され、十分に整備された銀河は、当初期待されていた性能を確かに示した。
だが、その評価を終えた時、開発を継続するという判断は下されなかった。
銀河は、レシプロ攻撃機として役目を終えたのである。
それからしばらく経った、ある日の設計室。
机の上には、銀河の最終的な評価資料と、新しい航空機の要求書が並べられていた。
「……本当に、銀河の改良はもう行わないんですね」
若い技師が尋ねた。
その向かいにいたのは、かつて銀河の戦後評価を担当した古参の設計者だった。
「ああ。少なくとも、次の主力を銀河の改良で済ませるつもりはない」
「でも、あれだけ良い結果が出たんですから、まだ発展させられるのでは?」
「発展はできるだろうな。だが、何を目指して発展させる?」
古参の設計者は、要求書を指した。
そこには、高速侵攻、戦術爆撃、夜間行動、対艦攻撃などの項目が並んでいた。
「銀河を改良して、もっと速く飛ばす。もっと遠くまで飛ばす。もっと多くの爆弾を積む。どれも不可能とは言わんよ」
しかし、問題はその先にあった。
速度を高めようとすれば、レシプロ機の限界が近づいてくる。
搭載量を増やせば機体は重くなり、航続力を伸ばそうとすれば燃料が必要になる。
要求を満たすために機体を大型化し続ければ、銀河が本来持っていた高速中型攻撃機としての性格まで失われかねない。
「それなら、最初から新しい機体を作った方がいい。今は、ジェットエンジンという選択肢もあるからな」
若い技師は、要求書へ目を戻した。
「……でも、ここに書いてある任務は、銀河と同じですね」
「そうだ」
古参の設計者は頷いた。
「銀河という機体は終わった。だが、銀河がやろうとしていた仕事は終わっていない」
敵の拠点へ高速で侵攻する。
必要な兵装を搭載し、目標を攻撃する。
夜間や悪天候でも、可能な限り任務を継続できるようにする。
そして、攻撃後は帰還する。
戦争中、銀河はそうした任務を担うために作られていた。
それらの仕事が、戦後になって不要になったわけではない。
「……つまり、機体の後継ではなく、仕事の後継を作るんですね」
若い技師の言葉に、古参の設計者は少し笑った。
「そういうことだ」
机の上には、新しい機体の概略図が置かれていた。
双発のエンジンに、高速飛行に適した主翼。
兵装と燃料を収容するための胴体。
そして、そこに描かれている発動機は、既にレシプロエンジンではなかった。
新しい攻撃機の開発は、旧海軍の技術者だけで進められたわけではなかった。
1948年に創設された日本国防空軍には、旧陸軍航空部隊と旧海軍航空部隊の双方から人員と技術が集められている。
そのため、航空機の開発においても、戦前とは異なる環境が生まれていた。
「……やはり、爆撃機を新しく作るんですか」
ある日の会議で、旧陸軍航空系の技術者が尋ねた。
「戦術攻撃機と言った方が近いでしょうね」
旧海軍系の担当者が答えた。
「大型爆撃機のように大量の爆弾を遠くまで運ぶことだけが目的ではありません。もう少し機動的に使える航空機が必要なんです」
「それなら、戦闘機に爆弾を積む方法もあるでしょう」
「もちろん、それも必要です。ただ、何でも戦闘機へ任せるわけにはいきませんから」
当時の国防空軍では、アメリカからのジェット戦闘機導入と並行して、国産の橘花や震電の開発が進んでいた。
橘花は、戦後の改良を通じて対地攻撃能力も重視するようになっている。
だが、戦闘機へ爆弾を積むことと、最初から戦術爆撃を主目的に設計することは違う。
「目標へ到達するまでの距離もありますし、航法や爆撃に必要な装備もあります。ある程度まとまった兵装を搭載して、それでも高速で侵攻できる機体が欲しいんです」
旧陸軍系の技術者は、しばらく資料を見ていた。
「……なるほど。確かに、戦闘機だけでは難しい仕事ですね」
また、国防空軍が新型攻撃機を必要とした背景には、日本の地理的条件もあった。
国土は海に囲まれ、長い海岸線を持つ。周辺海域の航行を守る必要性も高い。
敵の飛行場や補給施設だけでなく、海上の艦艇や輸送船団も、攻撃目標として想定しなければならなかった。
「……対艦攻撃まで考えるとなると、海軍との協力も必要でしょうね」
「ええ。もちろん、そのつもりです」
国防海軍は、まだ戦前のような外洋艦隊を取り戻していなかった。
しかし、沿岸警備や哨戒、護衛、掃海などの任務は既に行われている。
また、陸戦隊を中心とした航空支援や、陸海空の共同作戦も研究されていた。
海上の情報を海軍が集め、必要に応じて空軍が攻撃を行う。
そうした連携も、新しい攻撃機には求められる。
「……それにしても、何とも欲張りな機体ですね」
旧陸軍系の技術者が呟くと、旧海軍系の担当者は苦笑した。
「銀河の時代から、そういう仕事でしたから」
「なるほど。そこは変わらないんですね」
二人は顔を見合わせ、少し笑った。
もっとも、要求された仕事が同じでも、機体の設計まで同じにする必要はなかった。
新しい時代の攻撃機には、新しい答えが必要だったのである。
開発が進むにつれて、新型攻撃機の設計は具体的なものになっていった。
双発ジェットエンジン。
高速飛行を重視した機体形状。
兵装や航法装置を収容するための機内空間。
そして、必要な作戦行動を支える燃料搭載能力。
しかし、それらを実際の航空機としてまとめることは簡単ではなかった。
「……燃料が足りませんね」
ある日の設計会議で、若い技師が呟いた。
主任は、机の上に広げられた図面を見た。
「そうだな。今の案では、要求された任務に対して余裕が少ない」
新しいジェットエンジンは、レシプロ機にはなかった高速性能を実現できる。
その一方で、初期のジェットエンジンでは燃料消費が大きな問題だった。
速度を出せるようになったからといって、同じ燃料でいくらでも遠くへ飛べるわけではない。
「燃料を増やせば重量が増える。そうすると、また推力が必要になります」
「だからといって、機体を際限なく大きくするわけにもいかん」
主任は、機体の断面図を指した。
発動機を搭載する空間、燃料タンク、兵装用の区画、航法・爆撃装置。
それらは限られた機体内部の空間を取り合っていた。
「……連山みたいに大型化すれば、解決しませんか?」
若い技師が尋ねると、主任は首を振った。
「それは連山の仕事だ」
四発大型爆撃機である連山は、戦後も独自の発展を続けていた。
長い航続距離と大きな搭載量を持つ機体には、それに適した任務がある。
だが、今回求められているのは、高速で侵攻する中型攻撃機だった。
「大きな機体が必要なら、最初からそういう航空機を作ればいい。だが、何でも大きくすればいいわけじゃない」
主任は言った。
「必要なものを積んで、必要な場所まで行って帰ってくる。その仕事ができる大きさにまとめるんだ」
そして、機体と発動機の双方で設計を調整することになった。
発動機側では、推力だけでなく、燃料消費や信頼性も重要になる。
機体側では、空気抵抗を抑えながら必要な容積を確保しなければならない。
吸気口の形状や配置も、発動機の性能に影響する。
これらは、同じ頃に進められていた景雲や連山のジェット化とも、技術的に繋がる問題だった。
「……発動機の研究成果は、こちらでも使えるんですね」
若い技師の言葉に、主任は頷いた。
「使えるものは使う。ただし、同じ発動機をそのまま積めば済むとは限らんぞ」
高高度を高速で飛ぶ偵察機と、爆弾を積んで侵攻する攻撃機では、必要な性能が違う。
大型機なら、長時間の運転や整備性を重視する場面も増える。
同じ技術的基盤を持っていても、各機の要求に合わせた調整が必要だった。
その研究を支えていたのが、戦後に再編された国産ネ式エンジンの開発体系である。
旧海軍時代のネ20やネ330から得た知識を受け継ぎながら、欧米の技術も吸収し、新しい基本設計を積み重ねる。
新型機開発も、その成果を利用するものだった。
ただし、発動機の性能だけで航空機が完成するわけではない。
ジェットエンジンの性能を活かすには、機体側の設計もまた、新しい時代に対応しなければならなかったのである。
やがて、新型攻撃機には正式な名称が与えられた。
『天河』
銀河と同じく、天の川に由来する名前だった。
ただし、旧海軍の銀河をそのまま改良した機体ではない。
新しい基本設計として、独立した系列が与えられている。
───P2Y。
P1Y銀河から続く、陸上攻撃・爆撃機の設計系譜を意識した略符号であった。
「……P2Yですか」
資料を見た若い技師が、少し嬉しそうに言った。
「銀河の次、ということですね」
「そうだな。ただし、名前以外は何もかも新しくするつもりだぞ」
主任の言葉に、若者は笑った。
「それでも、銀河の後継機には違いありませんよね」
「ああ。仕事の上ではな」
そして、試製天河の設計がまとめられていった。
P2Y1。
戦後日本が、銀河の担っていた任務を新しい技術で実現するために作り上げた、最初の天河だった。
もちろん、設計図が完成したからといって、すぐに実用機になるわけではない。
試作機を製造し、地上で発動機を動かし、各種装置を確認する。
そして、飛行試験を重ねながら、性能と信頼性を確かめなければならなかった。
若い技師は、完成へ近づく試作機を見上げた。
銀河のようなプロペラはない。
発動機の配置も、主翼の形状も、機体内部の構造も違う。
しかし、その機体が目指している仕事は、確かに銀河から続いていた。
「……飛ばすのが楽しみですね」
若い技師が言うと、主任は少し笑った。
「飛ばすだけで終わりなら、楽な仕事なんだがな」
本当の試験は、そこから始まるのである。
1950年代半ば。
試製天河の試験が進むにつれて、設計者たちは新たな問題に直面していた。
飛ぶことと、攻撃することは違う。
最初の飛行試験では、まず機体の基本的な飛行特性を確かめる必要があった。
離陸から上昇、旋回、降下、そして着陸。
速度や高度を変化させながら、機体がどのように反応するのかを調べていく。
天河は、戦闘機よりも大きな機体だった。
しかも、燃料や兵装の搭載状態によって、重量や重心が変化する。
その影響も確かめなければならなかった。
ある日の飛行試験後。
試験操縦士は、記録を確認していた技師へ声を掛けた。
「……軽い状態なら、かなり良い。だが、搭載状態を変えた時の扱いには、もう少し余裕が欲しいな」
「着陸進入ですか?」
「それもある。機体の反応が少し変わるんだ」
技師は頷き、試験記録へ目を落とした。
高速性能を追求した航空機でも、離陸や着陸には低速での安定性が必要になる。
また、攻撃機は任務によって搭載する兵装や燃料の量が変わる。
一つの条件で問題なく飛べたからといって、すべての条件で同じように扱えるとは限らなかった。
「……戦闘機なら、もう少し単純なんでしょうか」
若い技師が尋ねると、試験操縦士は首を振った。
「戦闘機だって、燃料や増槽、兵装の影響は受けるさ。ただ、こいつは最初から、色々なものを積んで飛ぶことが仕事だからな」
そして、機体を振り返った。
「飛ぶだけなら、もう十分に面白い飛行機だよ」
「……それは、喜んでいいんでしょうか」
「半分くらいはな」
試験操縦士は笑った。
「残りの半分は、これから攻撃機として仕上げる仕事だ」
その後、天河の試験には模擬兵装を搭載した飛行が加わった。
まず、搭載状態によって飛行特性がどのように変化するのかを確かめる。
次に、実際の攻撃を想定した飛行を行い、兵装の投下手順や機体の安定性を調べる。
そして、目標へ正確に到達するための航法試験も進められた。
しかし、ここで別の難しさが現れた。
天河は速かったのである。
「……速すぎて、目標を確認する時間が短いですね」
模擬爆撃の結果を見ていた航法担当者が呟いた。
高速で飛行できることは、敵の迎撃を受ける時間を短くするうえで有利になる。
だが、攻撃側の搭乗員にとっても、判断に使える時間が短くなるという問題があった。
目標を確認する。
必要な情報を照合する。
攻撃に適した状態へ機体を合わせる。
その間にも、航空機は前進し続ける。
「……速ければ速いほど、攻撃が簡単になるわけではないんですね」
若い技師が言った。
「そういうことだ」
試験操縦士は頷いた。
「空戦なら速さが役に立つ場面も多い。だが、爆撃では狙った場所へ落とせなければ意味がない」
さらに、爆撃の精度には機体の速度や高度、風などの条件も影響する。
高速飛行によって生まれる利点を活かしつつ、正確に攻撃できるようにしなければならなかった。
天河の開発では、機体そのものの改良と並行して、航法・爆撃装置の調整や運用手順の研究も進められた。
その仕事には、かつて銀河を使っていた者たちの経験も役立っていた。
もちろん、レシプロ機の時代と同じ方法が、そのまま通用するわけではない。
しかし、どの段階で何を確認し、搭乗員同士でどのように仕事を分担するのか。
そうした考え方には、受け継げるものがあった。
「……銀河を飛ばした経験が、今でも役に立つんですね」
若い技師が呟くと、年配の試験担当者は頷いた。
「何でも役に立つわけじゃない。だが、全部捨てる必要もないさ」
戦争中の経験をそのまま正解とするのではなく、必要なものを選び、新しい技術へ合わせて改める。
それも、戦後の航空機開発に求められていたことだった。
天河の開発では、夜間飛行も重要な課題だった。
夜に飛ぶこと自体は、決して新しい技術ではない。
戦争中にも、夜間爆撃や夜間雷撃は行われていた。
しかし、天河では飛行速度が大きく変わっている。
地上や海上の目標を探す時間は短くなり、目印を見失った場合の影響も大きくなった。
また、夜間には視界が限られるため、航法装置や通信機器の重要性が増す。
「……昔は、あれでよく目的地まで飛べたものですね」
ある日の訓練後、若い航法担当者が古い記録を見ながら呟いた。
隣にいた古参の搭乗員は、少し笑った。
「飛べなかったこともあるぞ」
「……そうなんですか?」
「当たり前だろう。天気が悪ければ、星も地上の目印も見えん。海の上なら、なおさらだ」
当時の航法は、地形や天測、無線など、利用できる手段を組み合わせるものだった。
しかし、それらにも限界がある。
夜間や悪天候での飛行は、常に大きな負担を伴っていた。
「……今は、随分と良くなりましたよね」
「良くなったな。ただ、それでも全部機械任せにできるわけじゃない」
古参の搭乗員は、天河の計器盤を指した。
「表示されているものが正しいのか、他の情報と合っているのか。最後は自分たちで判断しなきゃならん」
天河では、飛行速度が高くなった分だけ、航法と攻撃の連携も重要になっていた。
目的地へ到達するための計算。
現在位置の確認。
攻撃に必要な情報の整理。
そして、帰還するための判断。
それらを、搭乗員が限られた時間の中で処理しなければならなかった。
「……機体が速くなった分、頭も速く動かさなければならないんですね」
航法担当が苦笑した。
「まあ、そういうことだ」
古参の搭乗員は笑った。
「だから、急いで全部やろうとするんじゃない。準備できることは、飛ぶ前に準備しておくんだ」
そうした経験を積み重ねながら、天河は単なる試作機から、実際の部隊で使用する攻撃機へ近づいていった。
1957年
制式化された天河一一型は、既に国防空軍の攻撃機として運用されていた。
ただし、配備されたからといって、開発が終わったわけではない。
試験飛行では分からなかった問題が、部隊で使用して初めて見つかることもある。
整備に掛かる時間。
飛行前後の点検。
装備の使いやすさ。
そして、実際の訓練で搭乗員が感じる負担。
そうした情報は、設計部門へ戻され、必要な改善の検討へ繋げられていた。
この日、出撃を控えた天河の周囲でも、整備員たちが忙しく動いていた。
「……どうですか、こいつは」
若い整備員が尋ねた。
相手は、戦争中から航空機の整備に携わってきた古参の整備員だった。
「何がだ?」
「天河ですよ。昔の銀河と比べて」
古参の整備員は、少し考えた。
「違いすぎて、比べるのも難しいな」
「……そんなに違いますか」
「ああ。発動機からして別物だ。昔の工具と経験だけで、どうにかなるような機械じゃない」
レシプロ機では、ピストンや弁、点火装置などの整備が重要だった。
一方、ジェットエンジンでは、圧縮機やタービン、燃焼器など、別の技術が必要になる。
高温や高回転に耐える部品の検査も重要だった。
「……昔のやり方じゃ、駄目なんですね」
若い整備員が言うと、古参の整備員は首を振った。
「全部駄目というわけじゃない。整備記録を残すことも、異常があれば原因を調べることも、昔から同じだ」
そう言って、機体を見上げた。
「ただし、知らない機械を知っているつもりで扱うのが、一番危ない」
若者は頷いた。
新しい技術には、新しい知識が必要になる。
その一方で、実際の整備において大切な考え方まで変わるわけではない。
異常を見逃さない。
決められた手順を守る。
そして、次に同じ問題が起きないように記録を残す。
天河を安全に飛ばし続けるためには、そうした積み重ねが欠かせなかった。
やがて点検が終わり、古参の整備員が合図を送った。
「……よし。こっちは問題ない」
若い整備員も、最後の確認を終える。
二人が機体から離れると、天河は出撃へ向けた準備を再開した。
日没後。
天河は、予定された訓練空域へ向かっていた。
眼下には暗い海が広がり、遠くに見える陸地の灯火も、次第に小さくなっていく。
「……予定海域まで、もう少しです」
航法担当が報告した。
機長は計器を確認し、頷いた。
「了解。海軍からの情報は?」
「先ほどの報告では、目標艦艇は指定区域内を航行中です。ただし、報告時刻から少し経っています」
「そうだな」
機長は、予定された捜索範囲を確認した。
今回の演習では、国防海軍の艦艇が訓練目標となっている。
天河は、その艦艇を発見し、模擬攻撃を実施することになっていた。
しかし、海上の目標は移動する。
数十分前に得られた位置情報が、今も正確とは限らない。
そのため、天河側では目標の位置を推定し、必要な範囲を捜索することになっていた。
「……目標が見つからなかったら、どうします?」
航法担当が尋ねた。
「状況によるな。捜索を続けられる余裕があるなら続ける。なければ帰る」
機長は答えた。
「攻撃することだけが仕事じゃない。帰って報告するところまでが仕事だ」
やがて、天河は指定海域へ到達した。
周囲には暗い海が広がっている。
雲の切れ間から月明かりが差し込むものの、海面の様子を十分に把握できるほどではない。
搭乗員たちは、利用できる情報を照合しながら捜索を続けた。
「……目標らしき反応があります」
しばらくして、航法担当者が報告した。
機長は、その情報を確認した。
「位置は?」
「予定区域の端に近い場所です」
「……目標の針路とは合うか?」
「可能性はあります。ただ、まだ断定できません」
機長は少し考えた。
海上には、軍艦だけが存在するわけではない。
商船もいれば、漁船もいる。
目標らしい反応があったからといって、それが指定された艦艇だとは限らないのである。
「……海軍へ照会しよう」
通信が行われた。
しかし、すぐに確実な識別情報が得られたわけではなかった。
その間にも、天河は前進し続ける。
「……時間がありません」
航法担当が言った。
機長は、計器と現在位置を確認した。
「そうだな」
そして、判断を下した。
「今回は攻撃を見送る」
航法担当が顔を上げた。
「……よろしいんですか?」
「ああ。目標かどうか分からない相手を攻撃するわけにはいかん」
訓練であっても、実戦を想定した判断が求められる。
目的の艦艇を発見できなかったからといって、別の船を攻撃目標にしてよいわけではない。
まして、現実の戦闘であれば、識別の誤りは取り返しのつかない結果へ繋がる可能性がある。
「……それに、もう帰投の余裕を考える時間だ」
機長は続けた。
「一度戻ろう。今回の結果は、次へ使えばいい」
天河は進路を変え、基地へ向かった。
演習の模擬攻撃は成立しなかった。
しかし、それで訓練の意味がなくなったわけではなかった。
翌日。
航空基地の会議室では、前夜の演習結果について検討が行われていた。
机の上には、天河側の飛行記録と、国防海軍から提出された情報が並べられている。
「……目標艦艇は、こちらの海域を航行していたそうです」
航法担当が地図を指した。
天河が捜索していた範囲から、大きく外れていたわけではない。
しかし、飛行中に得られた情報だけでは、目標を確実に識別することができなかった。
「……惜しかったですね」
若い搭乗員が呟いた。
すると、教官が首を振った。
「惜しいかどうかは、少し違うな」
若者が顔を上げる。
「結果として、近くにはいた。だが、飛行中のお前たちには、それを確かめる手段が足りなかったんだろう?」
「……はい」
「なら、目標へ近づけたことと、攻撃できることは別だ」
教官は、海軍側から届いた記録へ目を向けた。
今回の演習では、目標の移動情報とその伝達に改善できる部分があった。
また、天河側の航法と捜索の手順についても、見直すべき点が見つかっている。
「……海軍からの情報が、もう少し早く届いていれば違ったかもしれません」
航法担当者が言った。
「そうかもしれん。ただ、相手のせいにする前に、こちらでできたことも調べておこう」
教官は答えた。
「海軍にも事情がある。こちらにも事情がある。だから、一緒に訓練しているんだ」
戦前の陸海軍とは違い、現在の国防軍には陸海空を統括する共通の組織がある。
だが、その制度があるだけで、現場の情報共有が完全になるわけではなかった。
艦艇と航空機では、行動する環境が違う。
使用する通信設備や、必要な情報の形も異なる。
情報を伝える側は、どの程度の精度で位置を把握できているのかを明らかにしなければならない。
受け取る側は、その情報がいつの時点のものなのかを理解し、自分たちの行動へ反映させる必要がある。
「……同じ国防軍でも、仕事のやり方を揃えるのは簡単じゃないんですね」
若い搭乗員が呟いた。
「ああ。だが、揃えられないわけでもない」
教官は頷いた。
「そのために、何度も試しているんだからな」
今回の演習で得られた問題点は、国防空軍と国防海軍の双方で検討されることになった。
機体の性能だけでは解決できない問題である。
しかし、だからこそ重要だった。
天河は、単独で空を飛ぶための機体ではない。
必要な情報を得て、他の部隊と協力しながら攻撃任務を遂行する航空機だったのである。
数日後。
同じ海域で、再び合同演習が行われた。
前回の結果を踏まえ、情報の伝達や捜索手順が見直されている。
もちろん、何もかもが簡単になったわけではない。
天候も、目標の位置も、前回と同じではなかった。
それでも、天河側の搭乗員には、以前より明確な判断の基準があった。
「……目標情報、受領」
航法担当が報告した。
機長は頷いた。
「確認しよう」
得られた情報を、現在位置や周囲の状況と照合する。
機体は予定された捜索区域へ進み、搭乗員たちは目標の確認を続けた。
やがて、指定された条件に合う艦影が確認された。
「……目標、確認」
航法担当の声には、少し緊張が混じっていた。
「識別は?」
「確認できています。指定目標で間違いありません」
機長は頷いた。
「よし。模擬攻撃を実施する」
天河は訓練手順に従って進路を調整した。
機内では、攻撃に必要な情報が確認される。
搭乗員は、それぞれの役割を果たしながら、模擬攻撃の手順を進めていった。
「……攻撃終了」
報告を受けた機長は、機体を離脱させた。
訓練目標となった艦艇は、そのまま予定された航行を続けている。
模擬攻撃の成否は、後に演習記録と照合して評価される。
しかし、少なくとも今回は、目標を確実に識別した上で所定の攻撃手順を実施できた。
「……今度は、できましたね」
航法担当が言った。
「ああ」
機長は頷いた。
「だが、まだ訓練だ。実戦なら、相手も黙っていない」
敵艦には防空火器がある。
護衛の戦闘機がいるかもしれない。
こちらの接近を妨げるために、様々な手段を使ってくる可能性もある。
訓練で攻撃手順を実施できたからといって、実戦でも必ず成功するとは限らなかった。
「……まだ、覚えることが多いですね」
航法担当が呟いた。
「そうだな」
機長は少し笑った。
「まあ、そういう飛行機なんだよ。こいつは」
その後、天河は基地へ帰還した。
演習を終えた天河が、滑走路へ降り立った。
着陸後、機体は誘導路を通って格納庫の前へ戻り、機関を停止した。
整備員たちは飛行後の点検を始め、搭乗員は演習記録を提出するために機体から降りた。
「……お疲れさまでした」
航法担当が言うと、機長は頷いた。
「ああ。よくやった」
「ありがとうございます」
その後、若者は少し離れた場所で天河を振り返った。
「……機長」
「何だ?」
「やっぱり、銀河とは随分違う機体ですよね」
機長は、格納庫の前に置かれた天河を眺めた。
「そうだな」
「でも、やっている仕事は同じなんですね」
「ああ。少なくとも、根っこの部分は変わらん」
銀河は、戦争中に高速攻撃機として開発された。
双発の発動機を搭載し、爆弾などの兵装を運び、目標を攻撃して帰還する。
戦後には、良好な製造環境で改めて完成させられ、その能力と限界が確認された。
そして、レシプロ攻撃機としての開発は終わった。
だが、銀河が担っていた仕事は終わっていない。
高速で侵攻する。
必要な場所へ正確に到達する。
地上や海上の目標を攻撃する。
そして、帰還する。
天河は、その任務を戦後の技術で引き継いだ航空機だった。
「……銀河の方が良かったところも、あるんですか?」
航法担当が尋ねた。
機長は少し考えた。
「そりゃあ、あるだろうな。機械が新しくなれば、何もかも便利になるというわけじゃない」
ジェット機には、レシプロ機とは異なる難しさがあった。
速度が高くなれば、搭乗員が判断に使える時間は短くなる。
燃料管理や機関の取り扱いも違う。
整備に必要な設備や技術も変わっていた。
「だが、今の任務を昔の銀河でやれと言われたら、そっちの方がもっと困るだろうな」
機長は笑った。
「だから、こいつが作られたんだろう」
若者は頷いた。
天河は、銀河を保存するための機体ではない。
銀河が担っていた任務を、これからも続けるための機体だった。
同じ日の夕方。
天河の整備が続く格納庫の近くで、一人の年配の技術者が機体を見上げていた。
かつて、戦後の銀河を完成させ、その評価に携わった人物だった。
隣には、以前からその開発を手伝ってきた技師がいる。
「……どうですか」
若い技師が尋ねた。
「何がだ?」
「天河ですよ。銀河の後継機として」
年配の技術者は、しばらく黙っていた。
目の前の天河は、かつての銀河とは似ても似つかない姿をしている。
プロペラはない。
主翼の形も違う。
発動機も、機体内部の構造も、使用する装備も異なっていた。
「……銀河とは、もう別物だな」
年配の技術者が言うと、若い技師は頷いた。
「ええ。名前以外は、ほとんど残っていません」
「それでいいんだよ」
若者は顔を上げた。
年配の技術者は、少し懐かしそうに笑った。
「銀河を最後に評価した時、あれで終わりにすると決めた。だが、銀河がやろうとしていた仕事まで、終わらせるつもりはなかったからな」
戦争中、銀河は高性能な攻撃機を目指して開発された。
しかし、当時の製造環境や発動機の問題によって、その能力を十分に引き出すことは難しかった。
戦後、改めて完成させることができたのは、技術者たちにとって大きな意味があった。
だからこそ、そこできちんと区切りを付けられた。
それ以上、銀河という機体そのものへ執着する必要はなかったのである。
「……次の機体へ仕事を渡したわけですね」
若い技師が言った。
「ああ」
年配の技術者は頷いた。
「もっとも、あの頃に考えていたより、随分と立派なものになったようだがな」
二人は少し笑った。
格納庫では、整備員たちが天河の点検を続けている。
明日になれば、また別の任務へ向けた準備が始まるだろう。
天河は、まだ新しい航空機だった。
運用経験は十分とは言えず、改善すべき部分も残っている。
高速飛行の技術も、航法や爆撃の技術も、これからさらに発達していくはずだった。
しかし、少なくとも一つのことは明らかになっていた。
銀河の仕事は、途切れていなかった。
かつて銀河が担おうとした任務を、今は天河が引き受けている。
そして、戦後の日本は、そのための航空機を自分たちで作り、使い、改良できるようになりつつあった。
「……あれでよかったんですね」
若い技師が呟いた。
「何がだ?」
「銀河を、あそこで終わりにしたことです」
年配の技術者は、少し考えてから頷いた。
「ああ。よかったと思うよ」
その視線の先には、新しい時代の攻撃機があった。
昔の銀河をそのまま残したわけではない。
しかし、受け継がれたものは確かに存在している。
機体ではなく、その任務。
形ではなく、その思想。
銀河から、天河へ。
高速で侵攻し、必要な目標を攻撃し、そして帰還する。
その仕事を引き継ぐ者は、既に空を飛んでいたのである。
続く
あ と が き
双発爆撃機は、まだ戦える。
次回 では、四発の方はどうか