### 一、東の大国にて
「なあフェル、本当にこっちで合ってるのか? 地図だとそろそろ町が見えてもいい頃なんだけどな」
ムコーダこと向田剛志は、愛用の荷物袋を背負い直しながら、どこまでも続く街道を見渡した。
『ふん、我の鼻を疑うか。この先から人の匂いと、それに混じって血の匂いがするぞ』
答えたのは、巨大な体躯の神獣フェンリルのフェルである。白銀の毛並みが午後の日差しを受けて、さながら流れる銀河のように輝いていた。
「血の匂いって、それ全然よくない話じゃないか!」
「あるじー、スイも行くー! 悪いやつ、ぴゅーってやっつけるよー!」
フェルの背中で、水色のスライムのスイが、ぷるぷると身体を弾ませた。
「おいおい、まだ悪いやつと決まったわけじゃ……いや、血の匂いがするなら十分怪しいか」
ムコーダの肩の上では、ピクシードラゴンのドラちゃんが、あくびをしながら翼をぱたぱたさせている。
『なんだよ、また面倒ごとかよ。それより腹減ったぞ。昼飯はまだか?』
「さっき食ったばかりだろ! ……ったく、お前らの食欲はどうなってんだ」
とはいえ、ムコーダも苦笑しつつ、内心では腹の虫が鳴り始めていた。彼らがこの「東の大国」を訪れたのは、噂に聞く珍しい食材と香辛料を求めてのことだった。西の国々とは異なる文化、異なる味。そして何より、そこでしか手に入らない未知の食材。ムコーダの冒険の理由は、いつだって「メシ」である。
ところが、街道の先で彼らを待っていたのは、食材ではなく、剣戟の音と怒号だった。
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### 二、盗賊と、美しすぎる青年
街道が谷間に差しかかったところで、土煙を上げて走る一台の豪奢な馬車が見えた。それを取り囲むように、十数人の盗賊が馬を駆り、刃を振りかざしている。
護衛らしき男たちは数人。必死に応戦しているが、数の差は歴然だった。
「ちょ、ちょっと待て、あれはまずいだろ!」
『ほう、数で押す下賎な輩か。……ムコーダ、あの馬車の主は何者だ?』
「知らないよ! でも、見捨てるわけにもいかないだろ」
ムコーダの言葉を待つまでもなく、フェルはすでに駆け出していた。
『ならば手早く済ませるぞ』
風が唸る。白銀の閃光が谷間を走り抜けた。盗賊たちの頭上を、巨大な前脚が薙ぎ払う。悲鳴を上げる間もなく、男たちは宙を舞い、谷の斜面に叩きつけられた。
「スイもやるー! えいえいっ!」
スイの酸弾が、逃げようとした盗賊の剣だけを正確に溶かしていく。
『俺様の出番はなさそうだな』
「それでいいんだよドラちゃん……」
ものの数分で、谷間には気絶した盗賊たちが山のように積み上がっていた。ムコーダは、怯えて固まっている護衛たちに、慌てて手を振る。
「あ、あの! 怪しい者じゃないです! 通りすがりの冒険者です! この子たちは、その、俺の従魔でして!」
馬車の扉が、静かに開いた。
降り立ったのは、息を呑むほどに美しい青年だった。艶やかな黒髪、白磁のような肌、そして切れ長の瞳。男性のはずなのに、花の精と見紛うほどの色香をまとっている。
「……助かった。礼を言う」
その声さえも、蜜のように甘い。ムコーダは思わず見とれてしまった。
「は、はあ……どうも……(異世界って、美形のレベルが桁違いなんだな……)」
『ムコーダ、顔が緩んでいるぞ』
「うるさいよ!」
青年の傍らに控えていた、実直そうな壮年の男が一歩進み出た。
「我が主、壬氏様をお救いいただき、感謝の言葉もございません。私は高順と申します。ぜひ、お礼をさせていただきたい」
「壬氏さま……? えーと、そんなたいそうなことは」
「いや、そうはいかない」
壬氏はムコーダの前で、ふっと艶然と微笑んだ。
「そちらの神獣殿を見て、ただの冒険者ではないと分かった。それに、そなたの従魔たちの様子を見るに、よほど大切にされているのだろう。……我々の住まいへ招待したい。後宮という場所だが、来てもらえるか」
「後宮……?」
ムコーダは首をかしげたが、フェルは耳をぴくりと動かした。
『ムコーダ、行け。美味いものが出るかもしれんぞ』
「お前はそれしか考えてないのか!」
こうして、ムコーダ一行は、東の大国の中心、後宮へと足を踏み入れることになったのだった。
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### 三、後宮の薬師
後宮の門をくぐったとき、ムコーダは感嘆の息を漏らした。
朱塗りの柱、金の装飾、手入れの行き届いた庭。西の国の城とは全く違う、荘厳で、どこか張り詰めた美しさがある。
「すごいな……。ここ、女の人ばっかりなのか」
「後宮ゆえ、な。宦官である私と、一部の官吏以外、男子禁制だ」
壬氏はさらりと言ってのけた。
(宦官……? えっと、つまり、そういうことか……)
ムコーダは深くは考えないことにした。
客間に通され、茶を勧められる。フェルは部屋の隅で堂々と寝そべり、スイはその背中でぷるんと丸まり、ドラちゃんは卓上の菓子を狙っていた。
そこへ、小柄な少女が静かに入ってきた。
そばかすの浮いた顔、色気のない地味な侍女の装い。しかし、その目だけは、どこか冷めた光を宿している。
「壬氏様、お呼びとのことで」
「ああ、猫猫。来たか」
猫猫、というのがその少女の名らしい。彼女は部屋を見回し、目を丸くした。
「……あの、壬氏様。その大きな犬は?」
『犬ではない! 我は神獣フェンリルだ!』
「しゃ、しゃべった……!」
猫猫の瞳が、一瞬で変わった。
好奇心。そう、まるで未知の毒草を見つけた薬師のように、爛々と輝いたのである。
「喋る狼……! あの、毛を少しいただけませんか? あと、爪の先と、できれば血液も!」
『なっ、何を言い出すのだこの小娘は!』
「猫猫、落ち着け。彼らは客人だ」
壬氏が額を押さえた。ムコーダは苦笑いする。
「あはは……すごい子ですね」
「薬と毒に目がない娘でな。……ところで、猫猫。実は頼みがあって呼んだのだ」
壬氏は椅子に深く座り、ため息をついた。
「近々、後宮で晩餐会がある。貴族たちを招く大切な席だ。ところが、宮廷料理人たちの献立が、どうにも行き詰まっていてな」
「ええ、存じております。毎年同じような料理ばかりで、貴族の方々も飽きておられるとか」
猫猫が淡々と答える。
「毒見役であるお前の舌を借りたい。新しい味を、何か考えてくれ」
「私は薬師であって、料理人ではないのですが……」
「頼む」
壬氏の、潤んだ瞳での頼み事。猫猫は露骨に嫌そうな顔をしたが、断りきれない。
その様子を見ていたムコーダは、思わず口を開いていた。
「あの……もしよければ、俺が何か作りましょうか?」
全員の視線が、ムコーダに集まった。
「俺、料理が趣味みたいなもんで。それに、実はちょっと特殊なスキルがありまして……。この国にない味を、お出しできるかもしれません」
「ほう……」
壬氏の目が、きらりと光った。
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### 四、ネットスーパーの新展開
その夜、客間にあてがわれた一室で、ムコーダは頭を抱えていた。
「うーん、どうしたものか……。貴族の晩餐会ってなると、普通の料理じゃ足りないよな……」
『ふん、肉だ。肉を出せ。それが最上の馳走だ』
「お前の基準だとそうなるよな……」
ムコーダは意を決し、固有スキル「ネットスーパー」を開いた。異世界にいながら、日本の商品を購入できる、彼の唯一無二の力である。
画面を眺めるうち、ムコーダの手が止まった。
「……あれ? なんだこれ。新しいコーナーが増えてる」
『どうした、ムコーダ』
「カルディ……成城石井……角上魚類、OK、クランド、シャトレーゼ……!?」
目を疑った。確かに、さっきまでなかったはずの店名が、ずらりと並んでいる。
「うおおお! カルディのコーナーがある! しかも輸入食材の宝庫じゃないか! 成城石井まで! おいおい、角上魚類って、あの新潟の鮮魚店だぞ!」
『ムコーダ、何をそんなに興奮している』
「興奮もするだろ! これ、全部、日本の人気店なんだよ! 見ろ、ランプフィッシュキャビアに生ハム、のどぐろに加賀野菜まである! シャトレーゼのケーキまで買えるのか!」
『……ほう。つまり、これは美味いのだな?』
「当たり前だ!」
ムコーダの目に、闘志の炎が灯った。
「よし、決めた。このラインナップなら、後宮の晩餐会でも、貴族たち相手に堂々と勝負できる。……いや、もう『勝負』なんてレベルじゃない。完璧なコース料理を作ってやる」
『メニューは決まったのか?』
「ああ。前菜から締めのデザートまで、全部通しだ」
ムコーダは、ノートにさらさらと書き付けていく。
冒頭は、カルディの生ハムとランプフィッシュキャビア、カマンベールチーズをライムリーフのドレッシングで和えた一品。次に、OKと角上魚類の食材を使った、加賀野菜の海鮮マーラータン。刀削麺入りで、食べ応えを出す。魚料理は、角上魚類ののどぐろを炭火で焼く。サラダは、パンチェッタと京野菜のシーザーサラダ。ドレッシングは成城石井のものを使う。メインディッシュは、ブラッディホーンブルのブリスケットを、ほりにしのスパイスで焼き上げる。続いて、コカトリスのよだれ鶏を、カルディのたれで。〆はオークジェネラルの魯肉飯。そして食後には、クランドのシェリー樽香るコーヒーリキュールと、シャトレーゼのスペシャルいちごショートケーキ。
「どうだ、フェル!」
『……よだれが止まらぬ』
「スイもたべたーい!」
『俺様も、俺様も!』
「その前に、仕込みだ! みんな、手伝ってくれ!」
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### 五、厨房の仕込み
翌朝。後宮の厨房は、前代未聞の騒ぎになっていた。
「な、なんだあの黒い鍋は!」
「あの透明な袋に入った塩漬けの肉は何だ!」
宮廷料理人たちが、遠巻きにムコーダの手元を覗き込んでいる。
ムコーダは、フェルの協力で用意してもらった巨大な牛、ブラッディホーンブルの肩バラ肉の塊に、ほりにしのスパイスをこれでもかと擦り込んでいた。
「いやあ、このスパイスがあれば、どんな肉も絶品になるんだ。ほら、見てくれ」
彼が瓶から振りかけたのは、茶色がかった粉末。ふわりと、複雑で食欲をそそる香りが立ち上る。
その香りに、厨房の入り口で気配が動いた。
「……この匂い」
猫猫である。
彼女は、いつの間にか厨房の入り口に立っていた。鼻をひくひくさせ、目を細めている。
「ニンニク、塩、胡椒……いや、それだけじゃない。コリアンダー? クミン? もっと複雑な、でも毒性はない……」
「あ、猫猫さん。見に来たんですか」
「ムコーダ殿。そのスパイスの調合を、ぜひ」
「え? いや、これは俺が作ったものじゃなくて、『ほりにし』っていう、いわゆる市販品でして……」
「市販品?」
猫猫は首をかしげた。この世界に、そんな概念はない。
「えーと、つまり、俺の故郷で、誰かがこのレシピを完成させて、それが大勢の人に売られてるというか……」
「つまり、秘伝の調合を、大量に流通させている、と」
「まあ、そうなるかな」
猫猫の目が、爛々と光り始めた。
「何と恐ろしい……いや、素晴らしい。ぜひ、その成分を……」
「あ、あとでな! 今は仕込みで忙しいんだ!」
ムコーダは慌てて話を打ち切り、作業に戻った。猫猫は、渋々といった顔で引き下がったが、その視線はスパイス瓶から離れなかった。
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### 六、晩餐会
夕刻。後宮の大広間は、きらびやかな灯籠と絹の垂れ幕で飾られ、着飾った貴族たちが次々と席に着いていた。
上座には壬氏が座し、その傍らに高順が控える。そして、給仕の列の端には、ムコーダたちの姿もあった。
『ふむ、我の席は、あの銀の器の前か』
フェルは堂々と、広間の隅に敷かれた特等の敷物に、でんと座っている。スイとドラちゃんも、その近くにちょこんと並んでいた。
貴族たちはそれを不思議そうに見ていたが、壬氏が「あれは私の命の恩人の従魔たちだ」と一言告げると、誰も口を挟まなくなった。
「さて……始めるか」
ムコーダは深呼吸し、最初の皿を運ばせた。
#### 第一皿 生ハムとランプフィッシュキャビアとカマンベールの和え物
銀の皿に、美しく盛り付けられた前菜が運ばれる。
薄く切った生ハムの薔薇のような盛り付け。その合間に、黒く艶やかなランプフィッシュキャビアが散らされ、角切りにしたカマンベールチーズが、白い宝石のように並ぶ。全体に、ライムリーフの香り高いドレッシングが、軽く和えられていた。
「これは……?」
貴族のひとりが、恐る恐るフォークを伸ばす。
一口。
「……!」
その男の目が、見開かれた。
「な、なんという……塩気と、まろやかさと、爽やかな香りが……」
「この黒い粒は、魚の卵か? 口の中で弾けるぞ!」
「生ハムの熟成された旨味に、チーズの濃厚さが加わって……しかもこの柑橘のような香りが、全てをまとめている!」
ざわめきが広がる。猫猫は、壁際で毒見用の小皿を前に、眉をひそめていた。
「……毒なし。むしろ、非常に品のいい組み合わせ。ライムリーフの精油成分が、脂の重さを消している」
「猫猫、顔が緩んでいるぞ」
隣で、壬氏がくすりと笑った。
「ち、違います。薬学的に分析していただけです」
#### 第二皿 加賀野菜の海鮮マーラータン・刀削麺入り
続いて、湯気を立てる大きな鍋が運ばれてきた。
朱色の辛味がかった透き通るスープの中に、加賀野菜の金時草や源助大根、五郎島金時、そしてぷりぷりの海老と貝、イカが踊っている。そこに、ざくざくと削り落とされた、もちもちの刀削麺が加わっていた。
「ほう、これは見たことのない料理だな」
「花椒の痺れる香りがするぞ」
貴族たちは、ひと口すすって、動きを止めた。
「か、辛い……だが、うまい! 痺れる、でも、止まらない!」
「この海の幸の旨味が、スープに溶け込んでいる! しかも野菜が甘い!」
「この麺は何だ! もちもちで、弾力があって……」
給仕が追加の椀を運ぶ間もなく、鍋が次々と空になっていく。
『ムコーダ、これはうまいぞ! おかわりだ!』
「フェル、さっきから三杯目だぞ!」
『あるじー! スイもおかわりー!』
『俺様はもう四杯目だ!』
「お前ら食い過ぎだ! メインがまだなんだぞ!」
壬氏は、静かにスープをすすり、目を閉じた。
「……辛さの奥に、これほど深い甘みがあるとは。猫猫、お前はどう思う?」
「痺れの正体は、山椒に似た植物の実の成分でしょう。体を温め、血行を促進する効果があります。それに、海産物の旨味成分が、辛みを丸めている……薬膳としても、理にかなった一品です」
「素直に美味いと言えばいいものを」
「……おいしいです」
猫猫は、ぼそりと言った。耳が、わずかに赤かった。
#### 第三皿 のどぐろの炭火焼き
続いて運ばれたのは、香ばしい煙の香りを漂わせる、一尾の魚だった。
「のどぐろ、といってな。俺の故郷では、白身のトロと呼ばれる高級魚だ」
ムコーダの説明に、貴族たちが身を乗り出す。
皮目がぱりっと焼き上がり、その下の身は、ふっくらと真っ白。箸を入れると、じゅわっと脂が溢れ出した。
「うっ……!」
ひと口食べた老貴族が、思わず声を漏らす。
「な、なんという脂の甘さだ! しかし、しつこくない! 口の中で、とろけてしまう……!」
「この皮の香ばしさ! 炭火の香りが、魚の旨味を引き立てている!」
猫猫も、小さく切り分けた身を口に運んだ。
「……」
彼女は無言で、もう一口、さらにもう一口と食べ進めた。
「猫猫、毒見だぞ。一口でいいはずだが」
「あ……いえ、念入りに確認を」
「ほう。それは大変だな」
壬氏が楽しげに目を細める。猫猫は、むっとした顔で、のどぐろの骨についた身をほじり始めた。
#### 第四皿 パンチェッタと京野菜のシーザーサラダ
ここで一息、口直しのサラダが運ばれる。
水菜、壬生菜、紅芯大根、金時人参といった京野菜が、色鮮やかに盛られている。その上に、カリカリに焼いたパンチェッタ、削りたてのチーズ、パンのクルトン。そして仕上げに、成城石井のシーザーサラダドレッシングが、たっぷりと回しかけられた。
「ほう、野菜だけとは思えぬ……」
「このドレッシング! 濃厚で、チーズの風味が……」
「パンチェッタの塩気とカリカリ感が、野菜の瑞々しさと見事に調和している!」
野菜嫌いで知られる若い貴族までが、皿を空にしていた。
「ムコーダ殿」
壬氏が、小声で言う。
「お前の料理は、本当に不思議だ。この国の食材とは、全く違う。だが、どれも見事に調和している」
「いやあ、それほどでも……。でも、実はここからが本番なんですよ」
ムコーダは、にやりと笑った。
#### 第五皿 ブラッディホーンブルのブリスケット
大広間に、ざわめきが走った。
大きな台車に載せられて運ばれてきたのは、まるで岩のような、巨大な肉の塊だった。表面は黒く、スパイスの粒がびっしりと張りついている。ナイフを入れると、中から赤みがかった肉汁が、とろりと溢れ出す。
そして、その香り。
「な、なんだこの香りは……!」
「肉の甘みと、複雑な香辛料が……ああ、腹が鳴る!」
貴族たちが、思わず立ち上がりかけたほどだった。
ムコーダは、薄く切り出した肉を、各席に配っていった。
「ブラッディホーンブルのブリスケットです。ほりにしのスパイスで味付けして、じっくり低温で焼き上げました」
フェルの鼻が、ぴくぴくと動いた。
『ふむ。我はこれを待っていたのだ』
「お前の分は、特別に厚切りだぞ」
『うむ。わかっておるな、ムコーダ』
フェルが、巨大な塊の端を、ばくりとくわえた。
『……!』
その金色の目が、きらりと輝いた。
『……うまい。これは、うまいぞムコーダ! このスパイスの香り、ただの肉が神の食物に変わっておる!』
「そりゃよかった」
一方、貴族席では、誰もが言葉を失っていた。
「……柔らかい。口の中で、ほろほろと崩れる……」
「そして、この味! 肉の旨味を殺さず、しかも噛むたびに、スパイスの香りが……」
「これは、一体、何の香辛料なのだ!?」
その問いに、広間の視線が、ムコーダに集中した。
「あ、えっと……『ほりにし』という、スパイスでして……」
猫猫が、すっと立ち上がった。
「ムコーダ殿、その成分の詳細を、今すぐ」
「えっ、今!?」
「今すぐ!」
猫猫の目は、完全に獲物を狙う猫のそれだった。
「ま、待て猫猫! まだ料理は続くんだ!」
「で、では、後で必ず!」
「わ、わかったわかった!」
ムコーダは冷や汗をかきながら、次の料理の準備に向かった。
#### 第六皿 コカトリスのよだれ鶏
続いて運ばれたのは、艶やかな赤い辛味だれのかかった、冷たい鶏料理だった。
しっとりと茹で上げられたコカトリスの肉に、カルディのよだれ鶏のたれがたっぷりとかかっている。ごま、ラー油、花椒、そして香味野菜の香りが、食欲を刺激した。
「これは、冷たい料理なのか?」
「はい。温かい肉料理のあとの、口直しにもなります」
貴族たちは、恐る恐る口に運んだ。
「……ッ!」
「うまい! 辛い! でも、後を引く!」
「この鶏肉の柔らかさ……しっとりとして、ジューシー!」
「たれが、たまらん! これを白い飯にかけたい!」
そう、実はそれが、次の一手だった。
#### 第七皿 オークジェネラルの魯肉飯
「お待たせしました。〆の一品です」
運ばれてきたのは、小さな丼だった。
白いご飯の上に、とろりと煮込まれた褐色の豚肉がたっぷりとかかり、脇には煮卵と、青菜の漬物が添えられている。
「オークジェネラルの魯肉飯です。八角と醤油で、じっくり煮込みました」
猫猫が、一口食べた。
「……」
彼女の眉が、ぴくりと動いた。
「八角、桂皮、丁香、それに紹興酒……。薬膳の基本でありながら、これほど優しい味に仕上げるとは……」
「猫猫さん、解説が止まらないですね」
「違います。薬効成分を確認しているだけです」
しかし、その手は丼を離そうとしなかった。
オークジェネラルの脂身は、舌の上でとろけるほど柔らかく、赤身の部分は、噛むほどに旨味が溢れ出す。甘辛いたれが、白飯にしっかりと染み込んでいた。
貴族たちは、無言で丼を空にしていく。老貴族のひとりは、うっすらと涙を浮かべていた。
「……生きていて、良かった」
「大袈裟だな」
壬氏が苦笑したが、その箸も止まっていなかった。
#### 第八皿 シェリー樽香るコーヒーリキュール
料理が一段落したところで、小さなグラスが運ばれてきた。
琥珀色の液体が、灯りを受けて静かに揺れている。クランドから取り寄せた、シェリー樽香るコーヒーリキュールだった。
「食後の一杯です。コーヒーという、豆から作る飲み物の風味に、シェリー酒の樽の香りを重ねたものです」
貴族たちは、ゆっくりとグラスを傾けた。
「……ほう。甘く、深く、そして苦い。芳醇な香りが、口いっぱいに広がる」
「樽の香りが、まるで古い書庫のような……いや、もっと華やかだ」
猫猫は、グラスを鼻に近づけ、ゆっくりと香りを確かめた。
「……焙煎した豆の香り、樽由来のバニリン、ほのかな酸味。大人の味ですね」
「お前は酒が好きだったな」
「嫌いではありません」
猫猫は、ちびりとグラスを傾けた。目元が、少し緩んでいる。
#### 第九皿 スペシャルいちごショートケーキ
そして、最後の一皿。
大広間に、女性たちの歓声が上がった。
白く輝く生クリームのケーキ。その上に、真っ赤に熟した大粒の苺が、宝石のように飾られている。
シャトレーゼのスペシャルいちごショートケーキだった。
「なんて、美しい……」
「まるで、雪の山に咲いた花のようだわ……」
給仕たちが、小さく切り分けたケーキを、皿に載せて配っていく。
猫猫の前にも、ひとつ置かれた。
「……これは、何でしょうか」
「ケーキです。俺の故郷の、お祝いのお菓子で」
猫猫は、フォークで一口分を切り取り、口に運んだ。
ふわり。
スポンジの柔らかさ。生クリームの軽やかな甘み。そして、苺の酸味。
猫猫は、完全に動きを止めた。
「……」
「猫猫?」
「……うまい」
小さな声だった。
「うまい……!」
猫猫は、無言で、しかし猛然と、ケーキを平らげていく。壬氏は、そんな彼女を、優しい目で見つめていた。
『ムコーダ、我にもだ!』
「はいはい、お前たちの分は、別にあるからな」
フェル、スイ、ドラちゃんの前には、ホールのケーキがどんと置かれた。
『うまいぞ!』
「あまーい! しあわせー!」
『俺様、これ、毎日食いたい!』
晩餐会は、まさに大成功だった。
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### 七、追跡
宴が終わり、貴族たちが満足げに帰路についた頃。
ムコーダは、厨房の片隅で、ほっと胸をなで下ろしていた。
「ふう……なんとかなったな。みんな、喜んでくれたみたいで」
『うむ。上出来だ、ムコーダ』
「あるじー、すごかったよー!」
『まあ、俺様が食べた量を考えれば、当然だな』
「お前は食べただけだろ……」
ムコーダが苦笑して振り返ったとき。
厨房の入り口に、ひとつの影が立っていた。
「ムコーダ殿」
低い声だった。
猫猫である。
しかし、先ほどまでの猫猫とは違った。目が、完全に据わっている。その手には、いつの間にか、計量用の小さな匙と、竹の筒と、羊皮紙と筆が握られていた。
「ひっ」
「約束、しましたよね」
「や、約束って、何の」
「ほりにしの、スパイスの、秘密を」
猫猫は、一歩、また一歩と、ムコーダに近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ猫猫さん! 俺も、その、レシピは知らなくて!」
「嘘です」
「嘘じゃないって!」
「あの味。あの香り。ニンニクと塩、それにコリアンダー、クミン、恐らく唐辛子、あとは何か、柑橘の皮のような……いえ、違う。もっと複雑な何かが入っている!」
「だから、本当に知らないんだって!」
「ならば、瓶の中身を、分析させていただきます!」
猫猫は、瞬時に動いた。ムコーダの腰の袋に手を伸ばし、ほりにしの瓶を、がしりとつかんだ。
「うわあああ! 返してくれ! それ、まだ在庫が少ないんだ!」
「少しだけです! ほんの一匙だけ!」
「一匙でも貴重なんだよ!」
ムコーダは、慌てて瓶を取り返し、荷物袋に押し込んだ。
「フェル! スイ! ドラちゃん! 逃げるぞ!」
『なぜ我が逃げねばならん』
「いいから!」
『だって、あの娘、目が怖いぞ』
ドラちゃんの一言で、全員が事態を理解した。
「あるじー、あの人、こわいー!」
「みんな、走れ!」
ムコーダは、荷物袋を抱えて、厨房を飛び出した。
「待ってください! ムコーダ殿! せめて、香りの成分だけでも!」
猫猫が、猛然と追いかけてくる。小柄な体からは想像もつかない俊足だった。
「速っ! なんで!?」
廊下を駆け抜け、庭園を横切り、池に架かる橋を渡る。後ろからは、猫猫の声が追いかけてくる。
「その粉末を、私の薬棚に! お願いします!」
「無理だって!」
『ムコーダ、我に乗れ!』
フェルが、ぐんと巨大化し、ムコーダを背に乗せて走り出した。スイとドラちゃんも、必死でしがみつく。
しかし、猫猫は、諦めなかった。
「逃がしません! 薬師の執念、甘く見ないでください!」
「そんなものに執念を燃やすな!」
追いかけっこは、後宮の庭をぐるぐると回り続けた。壬氏は、回廊の柱の陰から、その様子を眺めていた。
「……ふふっ。あんなに生き生きとした猫猫は、久しぶりに見た」
「壬氏様、お止めになりませんので?」
高順が、控えめに尋ねた。
「いや、いい。しばらく、見物させてくれ」
壬氏は、口元を袖で隠し、肩を震わせて笑っていた。
その頃、ムコーダたちは、ついに行き止まりに追い詰められていた。
「くっ、袋小路か……!」
『我が、ここを突破してもよいが』
「やめろ、後宮が壊れる!」
猫猫が、肩で息をしながら、にじり寄る。
「観念して、ください……」
「猫猫さん、ちょっと、話を聞いてくれ!」
ムコーダは、荷物袋を探り、ネットスーパーの画面を開いた。
「ほら、ここ! 『ほりにし』って、日本の……じゃなくて、俺の故郷の店で、普通に売ってるんだ! ほら、見てくれ! 値段も!」
猫猫は、画面をのぞき込んだ。
そこには、瓶入りのスパイスが、ずらりと並んでいた。
「……売っている?」
「そう! つまり、誰かが秘密を守って作ってるんじゃなくて、すでに完成されて、売られてるものなんだ! 成分表は、ここに書いてある!」
画面に表示されたのは、原材料名の一覧だった。食塩、砂糖、香辛料(コリアンダー、ガーリック、オニオン、ブラックペッパー、パプリカ、チリペッパー……)、そして調味料(アミノ酸等)。
猫猫は、じっと画面を見つめた。
「……香辛料、と、ひとまとめに書かれていますね」
「そうなんだ。実は、詳しい配合比率までは、書いてないんだよ」
「つまり、秘密の核心は、ここには」
「ない。ごめん」
猫猫の肩が、がくりと落ちた。
「……そう、ですか」
「でも、ほら! これ、代わりに!」
ムコーダは、荷物袋から、未開封のほりにしを一本、取り出した。
「一本、あげるよ。これを分析して、自分なりに再現してみたらどうかな。猫猫さんなら、きっといいものが作れると思う」
「……よいの、ですか?」
「ああ。また買えるし。その代わり、完成したら、俺にも味見させてくれよな」
猫猫の目が、再び、爛々と輝いた。
「……承知しました。必ずや、ほりにしを超える、至高のスパイスを調合してみせます」
「いや、超えなくていいから」
「いえ。薬師の誇りにかけて」
猫猫は、瓶を両手で大切そうに抱え、ぎゅっと握りしめた。
「ふふっ……ふふふふふ……。これで、新たな毒と薬の研究が……」
「え、毒? 待って、これ食べ物だよね!?」
「もちろんです。ただし、成分を分離し、それぞれの薬効と毒性を試験した上で……」
「怖い怖い怖い!」
回廊の陰から、壬氏がゆっくりと姿を現した。
「猫猫。その辺にしておけ。客人が怯えている」
「壬氏様。これは、薬学の発展のためです」
「それは分かっている。だが、まず、ムコーダ殿に礼を言うべきではないのか」
猫猫は、はっとして、ムコーダに向き直った。そして、ぺこりと頭を下げた。
「……ありがとうございました。素晴らしい料理でした。それに、ケーキも」
「どういたしまして。気に入ってもらえて、よかったよ」
ムコーダは、ようやく安堵の笑みを浮かべた。
フェルは、ふん、と鼻を鳴らし、巨大な体を元の大きさに戻した。
『やれやれ。肉を食わせてもらった礼に、これくらいは我慢してやろう』
「スイもたのしかったよー!」
『まあ、悪くない旅だったな』
その後、壬氏は、ムコーダたちに、後宮に滞在するよう勧めた。もっとも、猫猫が毎日のようにムコーダのもとを訪れ、食材やスパイスの質問攻めにするのは、また別の話である。
そして、ほりにしの瓶を片手に、薬棚の前で怪しく微笑む猫猫の姿が、夜な夜な目撃されるようになったという。
「この配合……恐らく、あと三種類は、隠し味が……。ふふっ、ふふふふふ……」
「猫猫、また夜更かしか」
「壬氏様。研究に没頭しておりますので、お静かに」
「……はあ」
壬氏は、深いため息をついた。
だが、その横顔には、どこか楽しげな色が浮かんでいた。
こうして、東の大国の後宮に、新たな伝説が生まれた。
異世界からやってきた料理人と、その食いしん坊な従魔たち。そして、スパイスの秘密を追い求める、薬師の少女。
彼らの騒がしい日々は、まだまだ続いていくのである。
〜おしまい〜