八月十二日、午前九時十八分。
学園都市第七学区。
「……なるほど」
久遠零司は、テーブルに置かれた黒い通信端末を見つめていた。
八月十日。
旧貨物操車場で襲撃してきた武装部隊から回収したものだ。
その内部には暗号化された通信記録が残っていた。
しかし、今回注目しているのは記録そのものではない。
「……これ、電源を入れたらどうなるんだろうね」
「……また動くんじゃない?」
N-13が答えた。
「そうだね」
零司は頷く。
「それだけならいいんだけど」
そのとき。
「……位置情報を送信する可能性がある」
N-12が口を開いた。
右腕には、まだ包帯が巻かれている。
昨夜の救出戦には同行せず、部屋で九九七一号と待機していた少女だ。
「……この端末、外した電源部品に管理番号が書いてある」
「……それで?」
「……管理番号を使って、紛失した機械を探す仕組みかもしれない」
零司は、少しだけ考えた。
確かに、それはあり得る。
襲撃部隊の装備品。
所属を隠しているとはいえ、組織的に運用されている以上、機材の管理は必要になる。
「……じゃあ、便利だね」
零司が笑った。
N-13が首を傾げる。
「……何が?」
「向こうから探しに来てくれるかもしれない」
「…………」
N-13は、嫌な予感がした。
「……零司」
「何?」
「……また、変なこと考えてる?」
「失礼だなぁ」
零司は、端末を手に取った。
「今度は、こっちから仕掛けようと思って」
その言葉に、N-12が顔を上げる。
「……研究者を?」
「そう」
零司は頷いた。
「毎回、実験施設へ行くのは効率が悪いでしょ」
八月十日。
九九七一号の実験へ介入。
八月十一日。
九九七二号の実験へ介入。
その結果、二人の妹達は生存した。
だが、絶対能力進化計画は続いている。
実験場所を変更し、時刻を繰り上げ、観測設備を破棄する。
研究側は、すでに対策を取り始めていた。
「……だったら」
零司は、端末を指先で転がした。
「相手が動く場所を、こっちで決めればいい」
N-13は、しばらく少年を見つめていた。
そして。
「……また戦うの?」
「たぶん」
「……今度は、誰か死ぬ?」
零司の手が止まった。
N-13は、目を逸らさなかった。
旧貨物操車場で死んだ警備員。
あの光景を、まだ忘れていない。
零司は、数秒ほど少女を見つめた。
「相手次第かな」
「……そう」
N-13は頷いた。
納得したわけではない。
それでも、誤魔化されるよりはよかった。
その隣から、別の声がした。
「質問があります」
ミサカ九九七一号だった。
少女は、テーブルに置かれた二本の缶飲料を見つめている。
「今回の行動は、ミサカたちの実験を停止させることが目的でしょうか」
「最終的にはね」
零司が答える。
「でも、今日の目標は別」
「……別?」
「誰が僕たちを観測してるのか、確かめる」
九九七一号が、首を傾げた。
「観測する側を観測する、ということでしょうか」
「そういうこと」
零司は笑った。
「見られっぱなしって、あんまり好きじゃないんだよね」
◇
午前十時四十六分。
第七学区、某ファストフード店。
「……つまり」
御坂美琴は、目の前の少年を睨んでいた。
「敵をわざと呼び寄せるってこと?」
「そう」
「……馬鹿なの?」
「ひどいなぁ」
零司は、平然とポテトを口へ運んだ。
美琴のこめかみに青筋が浮かぶ。
「向こうは武装した連中なのよ!?」
「知ってる」
「爆発物まで使ってくるんでしょ!?」
「使ってきたね」
「だったら、もう少し危機感を持ちなさいよ!」
零司は、少しだけ考えた。
「……でも、昨日のままじゃ相手のこと何も分からないし」
その言葉に、美琴は口を閉じた。
昨日の事件。
研究施設の自爆。
繰り上げられた実験。
そして、零司と一方通行の戦闘。
すべてが、研究者側に利用されていた可能性がある。
それは美琴も理解していた。
「……それで、私に何をしてほしいの?」
「通信端末を調べてほしい」
「……端末?」
零司は、黒い機械を差し出した。
「中の情報を全部読む必要はないよ。電源を入れたら、どんな通信をするかだけ」
美琴は、端末を受け取った。
外装を確認する。
それから、指先を軽く当てた。
パチッ。
微弱な電流。
内部の回路構成が、美琴の感覚へ伝わってくる。
「……ふうん」
小さく呟く。
「送受信機能は生きてるわね」
「そう?」
「ただし、通信内容は暗号化されてる。すぐに全部読めるわけじゃないわよ」
「それでいいよ」
美琴は、さらに回路を調べた。
「……電源が入ると、定期的に管理信号を送信する仕組みみたい」
零司の目が細くなる。
「位置情報は?」
「位置を特定するための情報も含まれてる可能性はある。でも、送信先を特定するには実際の通信を追う必要があるわね」
「なるほど」
零司は頷いた。
「じゃあ、使えそう」
美琴は端末を机へ置いた。
「……一つ聞いていい?」
「何?」
「あんた、敵を捕まえたらどうするつもり?」
「話を聞く」
「……それだけ?」
「答えてくれたらね」
美琴の表情が険しくなった。
「……また、昨日みたいなことする気?」
零司は、すぐには答えなかった。
物流施設で、保安責任者の腕を折ったこと。
そのまま殺す可能性まで口にしたこと。
美琴は、忘れていない。
「……あんたが強いのは分かったわ」
少女は、静かに続けた。
「でも、強いからって何をしてもいいわけじゃない」
零司は、少しだけ笑った。
「君、本当に真面目だね」
「茶化さないで!」
テーブルが、僅かに揺れた。
零司は、美琴を見つめた。
「……じゃあ、こうしようか」
「何?」
「捕まえた相手の扱いは、君に任せる」
美琴が目を瞬かせる。
「……え?」
「君がいるところでは、なるべく殺さない」
「……なるべく!?」
「絶対とは言えないでしょ」
零司は、淡々と答えた。
「君が撃たれそうになっても、相手の命を優先してほしい?」
「…………」
美琴は、言葉に詰まった。
零司の考えを受け入れたわけではない。
だが、危険な相手を前にして、どんな状況でも全員を無傷で捕まえられるとは限らない。
「……それでも」
美琴は、少年を睨んだ。
「私は、できる限り誰も殺さない」
「うん」
零司は頷いた。
「それでいいと思うよ」
美琴は、深く息を吐いた。
「……ほんっと、調子狂うわね」
◇
午後零時二十一分。
第七学区、西部貨物集積場。
かつて民間貨物の一時保管に使用されていた施設。
現在は、再開発の準備期間に入っており、通常の利用は少ない。
そこへ、一台の小型車両が進入した。
運転席には誰もいない。
荷台には、黒い通信端末。
その電源が入っていた。
《通信接続》
《管理信号送信》
端末の小さなランプが点滅する。
そして、一定の間隔で無線信号が発信され始めた。
◇
同時刻。
学園都市某所。
「……反応を確認」
暗い管理室。
男が、端末を見つめていた。
《紛失通信装置》
《識別番号:確認》
《位置情報:第七学区西部》
その隣に立つ研究員が、口を開く。
「……回収しますか?」
「待て」
男は、画面を拡大した。
端末の発信位置。
周囲の道路。
そして、監視カメラの映像。
「……誰もいない?」
「現時点では、人物を確認できていません」
男は、しばらく考えた。
紛失した通信装置。
それが、突然通信を再開した。
しかも、普段はほとんど使用されていない貨物集積場で。
「……罠だな」
短く呟く。
研究員が顔を上げた。
「……では、放置しますか?」
「いや」
男は、静かに笑った。
「こちらの装備を利用している以上、多少は情報を取れる」
そして。
「回収班を出せ」
「……危険では?」
「だから、直接人間を送り込まない」
画面が切り替わる。
《無人回収機》
《遠隔監視装置》
《投入準備》
男は、椅子へ深く腰を下ろした。
「……誘っているなら、付き合ってやればいい」
◇
午後零時二十九分。
西部貨物集積場、南側監視塔。
「……来た」
美琴が、小さく呟いた。
遠くの道路。
そこから、二台の無人車両が進入してきた。
先頭は、箱型の回収機。
後続は、小型の監視車両だった。
人間は乗っていない。
「……やっぱり、警戒してるわね」
美琴が言った。
隣に立つ零司は、車両を眺めていた。
「そうみたいだね」
「……どうする?」
「予定どおり」
零司は、軽く指を動かした。
次の瞬間。
無人回収機の前輪が、突然停止した。
「……っ!?」
車体が大きく傾く。
しかし、転倒する寸前で動きが止まった。
続いて、後続の監視車両も停止する。
美琴が右手を伸ばした。
パチッ!
微弱な電流が、監視車両の通信回路へ干渉する。
ただし、完全には破壊しない。
通信内容を観測できる状態を残す。
「……受信したわ」
美琴が呟いた。
「向こうから、何か命令が来てる」
零司が顔を向ける。
「何て?」
「……待って」
少女は、目を細めた。
通信自体は暗号化されている。
だが、送受信のタイミング。
接続している中継設備。
そして、通信が途切れたときの再接続先。
そうした情報は確認できた。
「……なるほど」
美琴が、小さく笑った。
「こいつら、近くの中継設備を使ってる」
「場所は?」
「第七学区の北西側。少なくとも、そこまでは追える」
零司は頷いた。
「十分だよ」
そのとき。
N-13から連絡が入った。
『……零司』
「何?」
『……北側の道路に、黒い車が三台』
零司の目が細くなる。
「人は?」
『……乗ってる』
N-13は、少しだけ声を落とした。
『……でも、変』
「何が?」
『……先頭の車だけ、監視カメラが多い』
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「……なるほど」
その口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「向こうも、こっちを見に来たんだ」
◇
午後零時三十二分。
西部貨物集積場、北側搬入口。
「……対象を確認」
黒い車両の内部。
戦闘服の男が、通信装置へ呟いた。
「ZEROおよび第三位を確認」
『了解』
通信の向こうから、低い声が返る。
『観測を優先しろ。無理に交戦する必要はない』
「……了解」
男は、端末を操作した。
車両の外壁に取り付けられた複数の監視装置が起動する。
通常の映像。
赤外線。
距離測定。
そして、周囲の電磁的な変化を記録する測定器。
すべてが、零司たちへ向けられていた。
「……あの少年の能力を記録しろ」
男が告げる。
「可能なら、第三位の干渉範囲も測定する」
そのとき。
監視画面の一つに、不自然な乱れが生じた。
「……ん?」
画面を確認する。
誰もいないはずの通路。
そこに、ほんの一瞬だけ人影が映った。
「……何だ?」
すぐに別のカメラへ切り替える。
しかし、何も映っていない。
男は、眉をひそめた。
「……映像を確認しろ」
その瞬間。
車両の側面から、小さな音がした。
カチリ。
「……っ!?」
男が振り返る。
車両の扉。
その鍵が、いつの間にか外されていた。
そして。
「……こんばんは」
そこに、一人の少女が立っていた。
暗い青緑色の長い髪。
赤茶色の瞳。
N-13。
「……貴様!」
男が、咄嗟に銃へ手を伸ばした。
しかし。
その瞬間。
少女の位置が、視界の中で不自然に揺らいだ。
「……っ!?」
目の前にいる。
それは分かる。
だが、どこを見ればいいのか判断が遅れる。
観測干渉。
注意の向け先や、観測情報の一致を乱す能力。
男の反応が、一瞬遅れた。
その隙に。
N-13が、車両の操作盤へ手を伸ばした。
カチリ。
内側の非常解錠装置が作動する。
「……零司!」
少女が叫んだ。
次の瞬間。
車両の扉が、外側へ吹き飛んだ。
◇
ガシャアアアンッ!
「……なっ!?」
戦闘服の男が、目を見開いた。
扉が、地面へ落下する。
その向こうに、久遠零司が立っていた。
「……ご苦労さま」
少年が、軽く手を振る。
「ちょっと話、聞かせてよ」
男は、即座に銃を向けた。
パパパッ!
銃声。
しかし、弾丸は一発も届かない。
零司の目前で、すべてが静止した。
「……またそれか」
少年は、呆れたように呟いた。
次の瞬間。
男の銃が、手から引き剥がされる。
さらに、身体が座席へ押しつけられた。
「……ぐっ!?」
零司は、車両内部を見渡した。
監視装置。
通信設備。
記録媒体。
そして、複数のモニター。
「……へえ」
少しだけ目を細める。
「結構、本格的だね」
男が、歯を食いしばった。
「……貴様、何が目的だ!」
「君たちの上司に会いたい」
「……何?」
「僕を観測してる人」
零司は、笑った。
「そろそろ、直接話してみたくなってさ」
その瞬間。
男の口元が、僅かに歪んだ。
「……馬鹿め」
零司が首を傾げる。
「ん?」
「……ここへ来た時点で」
男は、低く笑った。
「……貴様らは、もう観測対象だ」
その言葉に。
零司の瞳が、僅かに細くなった。
そして。
車両の外から、巨大な音が響いた。
◇
ドォンッ!
「……っ!?」
N-13が、咄嗟に身を伏せた。
車両の横。
そこへ、巨大な金属製の箱が落下した。
違う。
落下したのではない。
隣の貨物車両から、射出されたのだ。
その箱が、地面へ激突した瞬間。
側面が開いた。
ガシャンッ!
内部から、複数の小型兵器が飛び出した。
車輪。
低い車体。
上部には、短い発射管。
「……何、あれ!?」
美琴が、監視塔から叫んだ。
次の瞬間。
発射音が響いた。
パシュッ!
金属弾ではない。
非金属製の硬質弾。
圧縮空気によって射出されたそれが、N-13へ向かって飛ぶ。
「……っ!」
少女が、咄嗟に身体を捻った。
弾丸が、肩のすぐ横を通過する。
背後の壁に、鋭い音を立てて突き刺さった。
「……零司!」
N-13が叫ぶ。
その瞬間。
小型兵器の一台が、横転した。
車輪の軸が、不自然に折れ曲がっている。
零司の能力だった。
だが。
残る兵器は、すでに別の方向へ移動していた。
N-13へ向けられていた発射管が、今度は美琴のいる監視塔へ向く。
「……っ!」
美琴が、顔を上げた。
そして。
「……なるほどね!」
その口元が、僅かに上がった。
「私の電撃を警戒して、絶縁性の弾を使ってるってわけ!」
次の瞬間。
少女が右手を振り上げた。
地面に散らばっていた鉄片が、一斉に浮き上がる。
さらに、周囲のレールから微細な砂鉄が集まり始めた。
黒い粒子。
それらが、美琴の周囲へ集中する。
「……だったら!」
砂鉄が、巨大な帯となって伸びた。
ガギギギッ!
小型兵器の進行方向に、黒い壁が形成される。
射出された硬質弾が、次々と砂鉄へ突き刺さる。
しかし、貫通しない。
そのまま、内部へ飲み込まれていく。
「……金属じゃないなら」
美琴が、歯を見せて笑った。
「弾を受け止めればいいだけでしょ!」
次の瞬間。
砂鉄の帯が、地面を這うように動いた。
小型兵器の車輪へ絡みつく。
ガギンッ!
駆動軸が停止する。
一台。
二台。
三台。
次々と、車体が動きを止めた。
美琴は、そのまま監視塔から飛び降りた。
落下地点へ、砂鉄が集まる。
黒い粒子が衝撃を受け止め、少女の着地を補助した。
「……よし!」
美琴が顔を上げる。
しかし。
その瞬間。
背後から、低い機械音が響いた。
ガコンッ。
「……え?」
振り返る。
そこには、大型の貨物搬送機があった。
古い油圧式の機械。
荷物を持ち上げるための巨大なアーム。
その先端が、ゆっくりと持ち上がっている。
そして。
次の瞬間。
美琴へ向かって振り下ろされた。
◇
「……っ!」
美琴が、目を見開いた。
巨大な鉄製アーム。
その質量は、明らかに人間が受け止められるものではない。
咄嗟に磁力を利用して、アームの動きを変えようとする。
だが。
機械の内部で、油圧がさらに高まった。
金属の軋む音。
アームが、強引に押し込まれてくる。
「……くっ!」
美琴が、歯を食いしばる。
その瞬間。
ガギンッ!
巨大なアームが、空中で停止した。
「……危ないね」
零司だった。
少年は、少し離れた場所から右手を上げていた。
アームに掛かる力。
油圧装置の内部応力。
それらが、強引に組み替えられている。
次の瞬間。
ガシャアッ!
油圧シリンダーが、内部から破裂した。
巨大なアームが、ゆっくりと地面へ落ちる。
ドォンッ!
美琴は、深く息を吐いた。
「……助かった!」
「どういたしまして」
零司は、軽く答えた。
しかし。
その瞬間。
車両の内部から、短い電子音が響いた。
ピッ。
零司の表情が変わる。
「……ん?」
振り返る。
先ほど拘束した男。
その手元。
座席の下に隠された、小さな操作装置。
男の指が、スイッチへ掛かっていた。
「……っ!」
N-13が息を呑む。
零司は、即座に指を動かした。
操作装置が、空中で分解される。
だが。
その直前。
送信ランプが、一度だけ点灯していた。
「……あらら」
零司が、小さく呟いた。
次の瞬間。
車両の内部に設置された記録装置から、白い煙が上がった。
◇
「……何!?」
美琴が、駆け寄った。
記録装置の内部。
複数の記録媒体が、急激に加熱されている。
さらに、装置の奥には物理的な破壊機構が組み込まれていた。
「……自動消去!?」
美琴が叫ぶ。
零司は、内部を見た。
「……そうみたい」
指先が動く。
内部の熱移動が抑えられ、破壊機構の動作が停止する。
しかし。
すでに一部の記録媒体は損傷していた。
「……遅かったか」
零司が呟く。
美琴は、すぐに装置へ手を伸ばした。
「まだ全部壊れたわけじゃない!」
内部の電子回路へ干渉する。
残された記録領域。
外部接続装置。
そして、記録媒体の状態を確認する。
「……こっちは駄目」
美琴が歯を食いしばる。
別の領域を調べる。
「……これも」
さらに。
「……あった!」
少女の表情が変わった。
完全な記録ではない。
だが、一部の運用情報が残っている。
「……搬送記録?」
零司が顔を向ける。
「何?」
「この車両、観測装置だけじゃないみたい」
美琴が画面を指差した。
《車両運用記録》
《観測資料回収》
《関連施設への搬送》
《運用管理番号:記録あり》
零司の目が細くなる。
「……へえ」
そのとき。
N-13が、車両の奥から声を上げた。
「……零司!」
少年が振り返る。
「何?」
「……こっちにも、何かある」
N-13が手にしていたのは、薄い書類ケースだった。
車両内部の収納棚。
電子的な認証装置のない、物理的な保管場所。
そこに収められていたものだった。
「……書類?」
零司が尋ねる。
N-13は頷いた。
「……紙」
美琴が、思わず目を瞬かせた。
「……紙?」
ケースを開く。
中には、複数の搬送伝票が入っていた。
研究資材。
設備番号。
管理区画。
そして、次の搬送予定。
「……これ」
美琴の表情が変わった。
伝票の一つを取り出す。
《観測関連資料》
《移送区分:機密》
《搬送先:第十八学区・統合観測管理区画》
零司が、ゆっくりと笑った。
「……やっと出てきた」
N-13が顔を上げる。
「……何が?」
「向こうの仕事場」
零司は、伝票を指差した。
「少なくとも、観測記録がそこへ送られてるってことだね」
美琴は、書類を見つめていた。
まだ、それが絶対能力進化計画の中枢と断定できるわけではない。
だが。
久遠零司を観測していた組織。
その運用経路の一部は、初めて具体的な形で判明した。
「……これは大きいわね」
美琴が呟いた。
零司は頷いた。
「そうだね」
そして、少しだけ笑った。
「今日は、こっちの勝ちかな」
その瞬間。
背後から、声がした。
「……勝ったつもりか」
◇
振り返る。
先ほど拘束した男が、零司を睨んでいた。
「……貴様らが手に入れたものなど、ほんの一部だ」
零司は、首を傾げた。
「そうだろうね」
「……何?」
「全部手に入るとは思ってないよ」
少年は、笑った。
「でも、君たちが何を運んでるかは分かった」
男の表情が変わった。
「…………」
「それに」
零司は、一歩近づいた。
「君たち、僕の能力を調べたいんでしょ?」
男は、黙っていた。
その沈黙を見て。
零司は、少しだけ目を細めた。
「じゃあ、今度は僕が調べる番だね」
男の顔色が変わる。
「……何を」
「君たちのこと」
零司は、静かに答えた。
そして。
「研究対象になる気分、どう?」
その言葉に。
男の表情が、僅かに強張った。
そのとき。
「――久遠!」
美琴が声を上げた。
零司が振り返る。
「何?」
「……その人は、もう抵抗できないでしょ」
「そうだね」
「だったら、これ以上やらないで」
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「……分かったよ」
あっさりと答えた。
美琴が、目を瞬かせる。
「……え?」
「君に任せるって言ったしね」
零司は肩をすくめた。
「ただし、逃がさないでよ」
「……当然よ!」
美琴は、男へ視線を向けた。
その身体から、青白い火花が散る。
「……あんたたちがやってること、全部話してもらうから」
男は、何も答えなかった。
◇
午後一時二十四分。
第七学区、某所。
「……大丈夫?」
N-12が、ミサカ九九七一号へ尋ねた。
少女は、小さく頷いた。
「はい」
その隣には、ミサカ九九七二号。
二人は、テーブルを挟んで向かい合っていた。
零司たちが動いている間、三人は別の場所で待機していた。
N-12の腕は、まだ完全には治っていない。
そのため、今回は現場へ同行していない。
「……何か分かった?」
N-12が尋ねる。
九九七一号は、少しだけ考えた。
「ミサカネットワークを通じて、他の個体の状況を確認しています」
「……うん」
「現在も、絶対能力進化計画は継続されています」
N-12の表情が曇った。
「……そうだよね」
九九七二号が口を開く。
「ただし、前回の実験結果が無効となったことで、一部の予定に変更が発生しています」
「……変更?」
「はい」
少女は頷いた。
「次の実験対象は、ミサカ九九七三号です」
N-12が、顔を上げた。
「……また、次の子」
「はい」
九九七二号は、静かに答えた。
「実験予定日は、本日です」
その言葉に。
N-12の拳が、ゆっくりと握りしめられた。
「……今日」
「はい」
九九七一号が、続けた。
「予定時刻は二十一時です」
沈黙。
N-12は、窓の外を見た。
学園都市の街並み。
夏の青空。
いつもどおりの、穏やかな午後。
だが。
その裏側では、また一人の少女が死亡する予定になっている。
「……ねえ」
N-12が口を開いた。
九九七一号が顔を向ける。
「何でしょうか」
「……その子と、話せる?」
「ネットワークを通じた情報共有は可能です」
「……じゃあ」
N-12は、二人を見つめた。
「……伝えてほしいことがある」
九九七二号が首を傾げる。
「……何でしょうか」
「……死ななくてもいいって」
短い言葉だった。
九九七一号は、しばらく黙っていた。
そして。
「……了解しました」
静かに頷いた。
◇
午後二時三十九分。
第七学区、帰路。
「……それで」
美琴が、零司を見上げた。
「……あんた、次はどうするつもり?」
「資料を読む」
「……それだけ?」
「まずはね」
零司は、書類ケースを軽く持ち上げた。
戦闘で入手した搬送記録。
通信設備の接続情報。
そして、観測資料の移送先。
どれも完全な情報ではない。
だが、研究者たちを追うための手掛かりにはなる。
「……第十八学区ね」
美琴が呟いた。
「……そう」
零司は頷いた。
「でも、いきなり行っても、また逃げられるかもしれないし」
美琴が目を瞬かせる。
「……あんたが慎重になるなんて珍しいわね」
「失礼だなぁ」
零司は笑った。
「毎回、正面から行ってるわけじゃないよ」
「……昨日までの行動を思い出してから言いなさいよ」
美琴は呆れたように息を吐いた。
そのとき。
零司の携帯端末が振動した。
N-12からの着信。
「……もしもし」
『……零司』
「何?」
『……次の実験、今日だって』
零司の目が細くなる。
「……うん」
『……九九七三号』
「……そっか」
『……それで』
N-12は、少しだけ言葉を詰まらせた。
『……二人が、その子に話しかけてる』
零司は、静かに聞いていた。
『……生きたいって思ってもいいって』
「……なるほど」
少年は、少しだけ笑った。
「いいんじゃない?」
N-12が、小さく息を吐く。
『……うん』
「で、その子は何て?」
『……まだ、返事はない』
「……そっか」
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「返事が来たら、教えて」
『……分かった』
通話が切れる。
美琴が顔を向ける。
「……何かあった?」
「次の妹達の実験が、今日あるんだって」
美琴の表情が変わった。
「……何ですって?」
零司は頷いた。
「二十一時」
少女の拳が、強く握りしめられる。
「……また、あの実験を……!」
零司は、少しだけ目を細めた。
研究側の観測部隊。
絶対能力進化計画。
そして、次の実験対象。
すべてが、同時に動いている。
「……忙しくなりそうだね」
美琴が、少年を睨んだ。
「……他人事みたいに言わないで!」
「他人事じゃないよ」
零司は、静かに答えた。
「だから、今度は別の方法を考えようと思って」
「……別の方法?」
「うん」
少年は、書類ケースを持ち直した。
「一人ずつ助けても、終わらないでしょ」
その言葉に。
美琴は、口を閉じた。
確かに、そうだった。
九九七一号。
九九七二号。
二人を助けた。
だが、次の個体が実験へ送り込まれる。
その次も。
さらに、その次も。
同じことを繰り返すだけでは、いずれ間に合わなくなる。
「……じゃあ」
美琴が、静かに尋ねた。
「……どうするの?」
零司は、少しだけ笑った。
「実験する側が、実験を続けられなくなればいい」
美琴の表情が変わった。
「……それって」
「研究施設を全部壊す、って意味じゃないよ」
零司は、肩をすくめた。
「少なくとも、今はね」
そして。
「予定を出してる人。資金を動かしてる人。実験結果を集めてる人」
少年は、書類ケースを指先で叩いた。
「その人たちの仕事を、止めに行こう」
美琴は、しばらく零司を見つめていた。
そして。
「……分かった」
小さく頷いた。
「そこまでは、私も協力する」
零司は笑った。
「頼りにしてるよ」
「ただし!」
美琴が、人差し指を突きつける。
「人を殺すために協力するわけじゃないからね!」
「知ってる」
零司は頷いた。
その返答に。
美琴は、少しだけ眉をひそめた。
「……本当に分かってる?」
「分かってるよ」
少年は、楽しそうに笑った。
「君は、そういう人でしょ」
◇
午後四時五十二分。
第十八学区、統合観測管理区画。
「……観測車両が制圧された?」
管理室。
白衣姿の男が、報告書を見つめていた。
その表情は、険しかった。
「はい」
研究員が答える。
「一部の記録媒体が回収されました」
「……何を持っていかれた?」
「運用記録の一部、および紙媒体の搬送伝票です」
男は、数秒ほど黙った。
そして。
「……なるほど」
小さく呟く。
久遠零司。
非公式の第零位。
これまで、研究者側が一方的に観測していた存在。
その少年が、今度は研究側の情報を集め始めた。
「……想定より早いな」
男は、端末へ視線を向けた。
《ZERO》
《行動傾向:更新》
《観測部隊への逆介入》
《関連情報の取得を確認》
研究員が、恐る恐る尋ねる。
「……今後、どう対応しますか」
男は、しばらく考えた。
そして。
「……直接的な観測を減らせ」
「……はい?」
「近づきすぎれば、こちらの情報を奪われる」
その声は、静かだった。
「観測する側の安全が確保できないなら、手段を変える」
研究員が頷いた。
男は、別の画面を開く。
《絶対能力進化計画》
《次回実験:第九九七三次》
《予定時刻:二十一時》
《対象個体:ミサカ九九七三号》
そして。
その下に表示された情報へ、視線を移した。
《ミサカネットワーク》
《個体間通信:異常傾向を確認》
《生存希望に関する情報共有》
男の目が細くなる。
「……これは」
研究員が顔を上げた。
「……どうされました?」
「量産個体の行動に、変化が出ている」
その言葉に。
研究員の表情が変わった。
「……まさか」
「九九七一号と九九七二号が、生存した影響だろう」
男は、静かに続けた。
「他の個体へ、予定外の情報が伝わっている」
数秒の沈黙。
そして。
「……厄介だな」
男は、端末を操作した。
《次回実験対象》
《ミサカ九九七三号》
《個体管理:強化》
《外部通信環境:再確認》
研究員が、頷いた。
「……了解しました」
男は、画面を見つめた。
久遠零司。
御坂美琴。
そして、妹達。
それぞれが、研究者たちの想定から外れた行動を取り始めている。
「……実験予定は変更しない」
男が告げた。
「ただし、対象個体の管理を強化する」
その声には、迷いがなかった。
「次の実験は、必ず実施する」
◇
午後五時三十一分。
第七学区。
「……返事が来た」
N-12が、顔を上げた。
その隣に座る九九七一号が、小さく頷く。
「はい」
九九七二号も、静かに口を開いた。
「ミサカ九九七三号から、返信がありました」
N-12は、息を呑んだ。
「……何て?」
九九七一号は、少しだけ目を伏せた。
そして。
「……ミサカは」
静かに答えた。
「……まだ死にたくない、とのことです」
その瞬間。
N-12の表情が変わった。
「……っ!」
九九七二号が、続けた。
「ただし、現在位置については確認できません」
「……どうして?」
「対象個体からの応答が、途中で途絶えました」
N-12が、顔を上げる。
「……途絶えた?」
「はい」
九九七一号は、静かに頷いた。
「通信環境に何らかの制限が加えられた可能性があります」
N-12は、拳を握りしめた。
九九七三号。
次の実験対象。
その少女は、初めて自分の意思を示した。
まだ死にたくない。
たった、それだけのこと。
だが。
その返事を最後に、通信が途絶えた。
「……零司に、連絡しなきゃ」
N-12が、端末を手に取る。
そして。
短いメッセージを送信した。
《九九七三号が、実験への参加を拒否しました》
《現在、通信不能》
《本人は、生存を希望しています》
送信完了。
N-12は、端末を握りしめた。
その隣で、九九七一号が静かに呟く。
「……ミサカは、今回の実験結果を観測したいと考えています」
N-12が顔を向ける。
「……実験結果?」
「いいえ」
九九七一号は、首を横へ振った。
「ミサカ九九七三号が、生存した場合の結果です」
その言葉に。
N-12は、少しだけ笑った。
「……うん」
そして。
「……わたしも、見たい」
窓の外では、夕日が街を赤く染め始めていた。
午後五時三十三分。
次の実験開始まで、三時間二十七分。
今度は、研究側が一方的に実験の条件を決められるとは限らない。
久遠零司は、観測する側の居場所へ手を伸ばした。
御坂美琴は、妹達を生み出した計画の実態を追っている。
そして。
妹達自身もまた、与えられた予定とは異なる未来を選ぼうとしていた。
絶対能力進化計画。
その前提が、少しずつ崩れ始めていた。