八月十二日、午後五時三十七分。
学園都市第七学区。
「……通信が途絶えた?」
御坂美琴の表情が変わった。
久遠零司は、携帯端末を耳に当てたまま頷く。
「そうらしいね」
『……零司』
電話の向こうから、N-12の声が聞こえた。
『……九九七三号、死にたくないって言ったんだよ』
「うん」
『……それなのに、返事が来なくなった』
N-12の声には、焦りが滲んでいた。
零司は、近くのベンチへ腰を下ろした。
「最後に届いた情報は?」
『……生きたいって、それだけ』
「居場所は?」
『……分からない』
「そっか」
零司は、手元の書類ケースを開いた。
昼間、観測部隊から回収した資料。
そこには、研究資材の搬送記録が残されている。
関連施設。
運用番号。
搬送方法。
そして、第十八学区へ向かう専用貨物線。
「……十二号」
『……何?』
「九九七一号と九九七二号に聞いてみて」
『……何を?』
「昨日までの搬送で、共通していたこと」
少しの沈黙。
『……分かった』
「分からなくてもいいよ。無理に思い出させなくていいから」
『……うん』
通話が切れた。
美琴が、零司を見下ろしていた。
「……どうするの?」
「とりあえず、列車を調べようかな」
「列車?」
零司は、書類を差し出した。
《機密研究資材搬送》
《搬送先:第十八学区・統合観測管理区画》
《搬送方式:専用貨物線》
美琴が目を細める。
「……今日の搬送?」
「日付は今日。でも、九九七三号が乗っているとは限らない」
「だったら、調べるしかないわね」
「お願いできる?」
美琴は、書類を受け取った。
「任せなさい」
その返事を聞いて、零司は立ち上がった。
「じゃあ、僕は別のことを調べるよ」
「……別のこと?」
「昨日までの連中が、どうやって僕たちを待ち伏せしたのか」
美琴が眉をひそめる。
「それ、今必要?」
「必要だよ」
零司は、書類ケースを閉じた。
「二回も実験に割り込まれたんだ。向こうだって、三回目は違う方法を考えるでしょ」
その言葉に、美琴は黙った。
確かにそうだった。
昨日の研究施設は、実験を繰り上げたうえに自爆までしている。
研究者たちは、自分たちの行動を予測していた。
零司は、そんな美琴を見て言った。
「今度は、向こうの予定を狂わせよう」
◇
午後六時十二分。
第十八学区、某貨物管理施設。
「……新しい実験対象の搬送準備が完了しました」
研究員の報告に、一人の男が頷いた。
短く刈り込んだ黒髪。
灰色の戦闘服。
落ち着いた物腰。
男の名は早瀬。
絶対能力進化計画に関係する輸送警備部門の現場責任者だった。
「対象個体の状態は?」
「正常です。ただし、実験への参加拒否を繰り返しています」
「……九九七一号と九九七二号の影響か」
「その可能性があります」
早瀬は、監視モニターを見た。
画面には、茶色い髪の少女が映っている。
ミサカ九九七三号。
両手を拘束され、窓のない小部屋に座っていた。
「通信は?」
「ミサカネットワークとの接続を、専用の遮蔽設備で制限しています」
「完全に遮断できているのか?」
「現時点で、外部との通信は確認されていません」
「分かった」
早瀬は、別の画面を開いた。
《第九九七三次実験》
《実施予定:二十一時》
《対象個体:ミサカ九九七三号》
《輸送計画:変更済》
画面の隅には、もう一つの名前が表示されている。
《ZERO》
久遠零司。
非公式の第零位。
第一位と二度交戦し、二度とも妹達を救出した少年。
警備部門にとって、最も厄介な妨害者だった。
「……本当に来るのでしょうか」
研究員が尋ねた。
早瀬は、即答する。
「来る」
「……何故、そう言い切れるのです?」
「今回の対象個体も、生存を希望している」
男は、端末を閉じた。
「これまでの行動を見る限り、ZEROが無視するとは考えにくい」
「……では、迎撃しますか?」
「正面から戦うつもりはない」
早瀬は、首を横へ振った。
「第一位と交戦できる相手だ。通常兵器で勝てるなどとは考えん」
その言葉に、研究員が安堵する。
しかし。
「だから、勝つ必要のない作戦にする」
早瀬は、別の資料を開いた。
《専用貨物列車》
《三両編成》
《発車予定:十九時五十五分》
《第一貨車:輸送管理設備》
《第二貨車:観測機材》
《第三貨車:特殊搬送物》
さらに。
《非常時対応:独立制御》
《車両分離機構:作動可能》
早瀬は、静かに続けた。
「我々の任務は、対象個体と観測資料を指定先へ運ぶことだ」
研究員が頷く。
「……はい」
「しかし、ZEROが来れば輸送は妨害される」
男は、少しだけ目を細めた。
「ならば、輸送そのものを観測に利用すればいい」
◇
午後六時四十一分。
第七学区。
「……見つけた!」
美琴が、携帯端末を掲げた。
画面には、第十八学区の貨物運行情報が表示されている。
「今日、臨時で走る三両編成の貨物列車がある!」
零司が画面を覗き込む。
「時間は?」
「十九時五十五分」
「一時間ちょっとか」
「ただし、何を積んでるかまでは分からない」
「うん」
零司は、書類を確認した。
昼間に入手した管理番号。
美琴が見つけた臨時列車の運用番号。
完全には一致しない。
だが、管理区画と搬送系統が重なっていた。
「……確かめる価値はあるね」
「そうね」
美琴は、端末を閉じた。
そのとき。
零司の携帯端末が振動した。
《N-12》
《九九七一号たちが、搬送時の共通点を思い出した》
続いて、短い情報が届く。
《窓のない車両》
《内部に独立した電源設備》
《搬送中は外部通信に制限あり》
零司は、画面を見つめた。
「……なるほど」
美琴が尋ねる。
「何か分かった?」
「昨日までの搬送方法」
「……それで?」
「今回も同じとは限らないけど、列車の中身を調べる手掛かりにはなる」
美琴は頷いた。
「……分かった」
その隣から、N-13が口を開く。
「……わたしも行く」
美琴が顔を向けた。
「……危ないわよ?」
「……分かってる」
N-13は頷いた。
「……でも、わたしにもできることがある」
零司が少女を見た。
「潜入する?」
「……うん」
迷いのない返事だった。
零司は、少しだけ考えた。
「じゃあ、お願いしようかな」
美琴が目を見開く。
「……ちょっと!?」
「大丈夫」
零司は、N-13へ視線を向けた。
「危なくなったら、すぐに離れて」
「……分かってる」
N-13は、静かに頷いた。
その表情には、以前とは違う強さがあった。
研究施設から逃げ出した少女。
いつも誰かに守られていた少女。
だが、今は違う。
自分の意思で、誰かを助けようとしている。
◇
午後七時五十三分。
第十八学区、南部専用貨物線。
貨物列車が、静かに動き始めた。
三両編成。
先頭には無人牽引車。
後方には、同じ形の貨物コンテナが三つ連なっている。
車体の外装は、いずれも同じ色。
識別番号も、一般の貨物と区別しにくいよう処理されていた。
その第三貨車。
内部の隔離室。
ミサカ九九七三号は、椅子に座らされていた。
両手首には、拘束具。
首元には、生体情報を測定する装置。
壁には、監視カメラが設置されている。
「……質問があります」
少女が口を開いた。
『何だ』
監視室から、男の声が返ってくる。
「ミサカは、実験への参加を拒否しました」
『却下されている』
「……理由を伺ってもよろしいでしょうか」
『お前は実験用の個体だからだ』
九九七三号は、静かに目を伏せた。
その説明は、何度も聞いてきた。
自分は実験のために作られた。
だから、命令に従う。
だから、死ぬ。
それが当然だと教えられていた。
しかし。
今は、その説明に納得できなかった。
「……再度、質問します」
『まだ何かあるのか』
「ミサカが生存を希望することは、規定違反なのでしょうか」
『くだらないことを聞くな』
「……了解しました」
少女は、静かに答えた。
だが。
その視線は、手首の拘束具へ向けられていた。
金属製。
電子認証式。
そして、電気的な監視回路。
完全な絶縁構造ではない。
九九七三号は、自分の能力で何ができるか考え始めた。
◇
午後八時二分。
貨物列車、中央車両。
「……侵入者?」
警備員が、監視モニターを見つめていた。
画面には、狭い通路が映っている。
何もない。
しかし。
先ほどから、映像に違和感があった。
人影らしきものが映る。
だが、次の瞬間には見失う。
別のカメラへ切り替えても、位置が一致しない。
「……どうなってる?」
警備員が呟く。
その隣にいる男が、端末を確認した。
「熱源反応は残ってるぞ」
「……何?」
「中央車両の後方。誰かいる」
その瞬間。
警備員が、通路へ向けて銃を構えた。
「……出てこい!」
返答はない。
だが。
通路の奥から、小さな足音が聞こえた。
「……そこか!」
男が、引き金へ指を掛ける。
その直後。
車体が、僅かに傾いた。
「……っ!?」
姿勢が崩れる。
次の瞬間。
男の足元にあった床が、不自然に軋んだ。
ガギンッ!
床を支える金属材が変形し、男の身体が座席へ押し戻される。
「……何だ!?」
その声と同時に。
車両の側面から、別の声が響いた。
「……こんばんは」
久遠零司だった。
少年は、走行中の貨物列車の横に浮かんでいた。
足元には何もない。
支えるための装置もない。
両手はポケットに入ったまま。
ただ、列車と同じ速度で移動している。
「……ZERO!?」
警備員が叫んだ。
零司は、軽く笑った。
「少し通してもらうね」
次の瞬間。
車両側面の装甲板が、静かに外れ始めた。
固定用のボルト。
接合部の摩擦。
金属内部の応力。
それらが変更され、装甲板そのものが滑るように移動する。
ガコンッ。
車両の内部が露出した。
警備員が、目を見開く。
「……馬鹿な!」
零司は、そのまま車内へ入った。
「N-13」
「……零司!」
通路の奥から、少女が顔を出した。
「……見つけた」
「何を?」
「……第三貨車」
N-13が、奥を指差す。
「……生体反応を監視してる装置があった」
「場所は?」
「……後ろ」
零司は、静かに頷いた。
「分かった」
そのとき。
警備員が、再び銃を構えようとした。
しかし。
身体が動かない。
足元の支持構造が変形し、床と座席の間に身体を固定されていた。
「……ぐっ!?」
男が、歯を食いしばる。
零司は、振り返った。
「ごめんね」
静かな声。
「今、急いでるから」
そのまま、N-13と共に後方へ向かった。
◇
午後八時六分。
先頭制御室。
「……ZEROが侵入しました!」
研究員の叫びに、早瀬は頷いた。
「確認している」
「……どうしますか!?」
「予定どおりだ」
早瀬は、端末を操作した。
《緊急輸送手順》
《第三貨車:独立制御へ移行》
《連結解除準備》
研究員が、目を見開く。
「……貨車を切り離すのですか?」
「そうだ」
「……しかし、第三貨車には対象個体が!」
「分かっている」
早瀬は、監視画面へ視線を向けた。
久遠零司。
その少年は、どんな攻撃も無力化する。
通常の装甲も意味を成さない。
ならば、直接攻撃する理由はない。
「……あの少年は対象個体を助けに来た」
早瀬は、静かに続けた。
「だったら、助けてもらえばいい」
研究員が眉をひそめる。
「……どういう意味です?」
「救出へ意識を向けている間に、我々は観測記録を送信する」
画面が切り替わる。
《観測データ:外部転送準備》
《輸送部門:緊急退避》
早瀬は、淡々と告げた。
「勝つ必要はない」
そして。
「目的を達成してから、戦場を離れればいい」
◇
午後八時八分。
第三貨車。
ガコンッ!
巨大な金属音が響いた。
N-13が、壁へ手をつく。
「……っ!?」
車体が、大きく揺れた。
前方の連結器が解除される。
さらに、線路の分岐器が切り替わった。
第三貨車だけが、別の線路へ誘導される。
「……零司!」
N-13が叫ぶ。
「……切り離された!」
「見えてるよ」
零司は、外の線路を確認した。
貨車の進行方向。
その先。
行き止まりの側線。
しかも、終端には十分な停止設備がない。
「……なるほど」
少年の目が細くなる。
「人質にするつもりか」
第三貨車は、速度を落とさない。
むしろ、下り勾配によって徐々に加速している。
しかし。
零司は、慌てなかった。
車体の内部構造。
車輪の回転。
荷重の伝わり方。
そして、内部の人間に掛かる加速度。
そのすべてを把握し、必要な条件を変更する。
次の瞬間。
貨車の速度が、滑らかに落ち始めた。
急停止ではない。
車内の人間や設備に過大な負荷を掛けないよう、運動量が調整されていく。
数秒後。
ガタン。
第三貨車は、側線の終端手前で静かに停止した。
N-13が、大きく息を吐いた。
「……止まった」
「うん」
零司は頷いた。
「中の子を探そう」
N-13が顔を上げる。
「……でも、前の車両は?」
「御坂さんが追ってる」
「……大丈夫?」
零司は、少しだけ笑った。
「第三位でしょ」
そして。
「任せた方がいいよ」
◇
午後八時十分。
南部専用貨物線。
「――逃がさないわよ!」
御坂美琴が、保守通路を走っていた。
前方には、加速する貨物列車。
残された先頭車両。
その内部に、研究側の責任者がいる。
さらに、観測資料も積まれている可能性が高い。
「……まったく!」
美琴が、歯を食いしばる。
「人間を貨物扱いしておいて、自分たちだけ逃げる気!?」
少女の身体から、青白い電撃が迸った。
パチパチッ!
周囲の金属片が、浮き上がる。
黒い砂鉄が、帯となって伸びた。
磁力を利用した即席の足場。
その上を、美琴が一気に駆け抜ける。
列車との距離が縮まった。
そのとき。
先頭車両の屋根が開いた。
ガシャンッ!
内部から、小型の無人兵器が飛び出す。
円盤状の機体。
下部には、回転翼。
側面には、短い発射管。
「……また、そういうの!?」
美琴が、顔をしかめた。
次の瞬間。
パシュッ!
複数の硬質弾が放たれた。
金属ではない。
電磁操作による直接干渉を避けるための素材だった。
美琴の目が細くなる。
「……対策してるつもり?」
砂鉄が、少女の周囲へ集まった。
黒い粒子が、巨大な盾を形成する。
硬質弾が、次々と砂鉄へ突き刺さる。
ガガガガッ!
しかし、貫通しない。
美琴は、そのまま距離を詰めた。
「……だったら!」
砂鉄の帯が、左右へ広がる。
無人兵器の進行方向を塞ぐ。
さらに、別の帯が機体の下へ回り込んだ。
回転翼へ絡みつく。
ガギンッ!
一台が、動きを止めた。
続いて二台目。
三台目。
次々と、無人兵器が落下していく。
美琴は、着地した機体を踏みつけた。
「……無駄よ!」
そのまま、先頭車両へ跳んだ。
両足が、屋根へ着地する。
ガンッ!
次の瞬間。
少女の身体から、強い電磁波が放たれた。
車両内部の通信設備に、激しい雑音が走る。
《通信異常》
《外部接続不安定》
美琴が、歯を見せて笑った。
「……さあ」
屋根の金属板が、ゆっくりと持ち上がる。
「中身を見せてもらうわよ!」
◇
午後八時十二分。
第三貨車、内部隔離室。
「……質問があります」
九九七三号の声が響いた。
零司が、扉の前で足を止める。
「何?」
「外部の人物は、久遠零司でしょうか」
「そうだよ」
短い沈黙。
そして。
「……ミサカ九九七一号から、情報を受け取っています」
少女は、静かに続けた。
「あなたは、ミサカたちを救出していると」
「まあ、そうだね」
「……今回も?」
零司は、扉を見た。
厚い金属製の隔壁。
その周囲には、複数の配線。
内部には、機械式の連動装置が設置されている。
強制的に扉を開けると、拘束設備が作動する構造だった。
「君が帰りたいならね」
零司は、静かに答えた。
「……帰りたい」
九九七三号が、その言葉を繰り返した。
そして。
「……ミサカは、まだ死にたくありません」
零司の口元が、僅かに上がった。
「じゃあ、決まり」
次の瞬間。
隔壁の隣にある壁が、静かに変形し始めた。
金属の接合部。
内部応力。
固定具の位置。
それらが変更され、壁の一部が外側へ開いていく。
ガコンッ。
扉は閉じたまま。
しかし、その隣に新しい通路ができていた。
N-13が、目を瞬かせた。
「……扉、開けないんだ」
「罠があるからね」
零司は答えた。
「別の入口を作った方が早い」
その向こう。
ミサカ九九七三号が立っていた。
茶色い髪。
白いブラウス。
灰色のプリーツスカート。
自分と同じ顔をした少女たちの情報を受け取りながら、初めて自分の意思で実験を拒否した少女。
その手首には、まだ拘束具が残されている。
「……質問があります」
「何?」
「……ミサカの実験は、どうなったのでしょうか」
零司は、静かに答えた。
「まだ始まってないよ」
「……そうですか」
「うん」
少年は笑った。
「だから、もう帰ろう」
その言葉に。
九九七三号は、しばらく黙っていた。
そして。
「……帰る場所が、ありません」
小さな声。
N-13が、一歩前へ出た。
「……じゃあ」
少女は、九九七三号を見つめた。
「……うちに来る?」
九九七三号が、目を瞬かせる。
「……よろしいのですか」
「……うん」
N-13は頷いた。
「……九九七一号も、九九七二号もいるよ」
数秒の沈黙。
そして。
「……了解しました」
九九七三号が、小さく頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
その様子を見て、零司は少しだけ笑った。
「……さて」
その視線が、外へ向けられる。
「じゃあ、帰ろうか」
◇
午後八時十五分。
先頭制御室。
「……第三貨車、停止!」
研究員が叫んだ。
「対象個体の所在を確認できません!」
早瀬は、静かに端末を見つめた。
久遠零司。
その少年は、やはり第三貨車を止めた。
しかも、対象個体を救出している。
「……想定どおりだ」
早瀬が呟く。
研究員が顔を上げる。
「……では、観測資料の送信を!」
「すでに始めている」
画面には、複数の進行状況が表示されていた。
《観測データ転送》
《進行率:上昇中》
《ZERO行動記録:保存》
しかし。
その直後。
《通信異常》
《外部接続不安定》
警告が表示された。
「……何!?」
研究員が、端末を操作する。
さらに。
天井から、巨大な金属音が響いた。
ガギギギッ!
「……っ!?」
全員が顔を上げる。
屋根の金属板が、外側から持ち上がっていた。
次の瞬間。
ガシャアッ!
天井が開いた。
「――見つけた!」
御坂美琴だった。
その身体から、青白い電撃が迸っている。
「……あんたたち!」
少女が叫んだ。
「もう逃がさないわよ!」
研究員たちが、慌てて後退する。
しかし。
早瀬は、動かなかった。
「……第三位」
静かな声。
「随分と無茶をする」
「そっちに言われたくないわ!」
美琴が、右手を伸ばした。
青白い電撃。
それが、一直線に早瀬へ向かう。
しかし。
その直前。
早瀬が、足元の装置を踏んだ。
ガコンッ!
床下から、金属製の遮蔽板がせり上がる。
電撃が、そちらへ流れた。
「……っ!?」
美琴が、目を見開く。
早瀬は、淡々と告げた。
「第三位への対策も、用意している」
その瞬間。
車両の床が、大きく開いた。
「……え?」
美琴の足元。
そこに、巨大な空間が生まれる。
少女の身体が、落下した。
◇
「……っ!」
美琴は、咄嗟に周囲の金属へ干渉した。
磁力。
足元の鋼材を引き寄せ、落下速度を抑えようとする。
しかし。
床下には、複数の絶縁性素材が配置されていた。
磁力で利用できる部分が少ない。
「……くっ!」
美琴が、歯を食いしばる。
そのとき。
視界の端に、一本の金属製レールが見えた。
車両の支持構造。
その一部。
「……そこ!」
右手を伸ばす。
磁力が働く。
身体が、横へ引き寄せられた。
ガシャンッ!
レールへ手を掛ける。
落下が止まった。
「……はぁっ!」
美琴は、大きく息を吐いた。
その頭上。
早瀬が、静かに顔を覗かせた。
「……やはり、第三位は厄介だな」
「……あんた!」
美琴が睨む。
「……そんな程度で、私を倒せると思ってるの!?」
「倒すつもりはない」
早瀬は、淡々と答えた。
「時間を稼げれば十分だ」
その言葉に。
美琴の表情が変わった。
「……何?」
早瀬は、腕時計を確認した。
午後八時十七分。
「……観測記録の送信が完了した」
短い言葉。
その瞬間。
美琴の瞳が、僅かに見開かれた。
「……まさか!」
「我々の目的は、最初から戦闘ではない」
早瀬は、静かに続けた。
「第零位の能力を観測し、その行動傾向を記録することだ」
美琴が、歯を食いしばった。
だが。
次の瞬間。
背後から、気の抜けた声が響いた。
「……ああ、そういうこと」
早瀬が振り返る。
そこには、久遠零司が立っていた。
「……っ!?」
男の顔が、初めて強張った。
「……ZERO」
零司は、車両内部を見渡した。
監視装置。
通信設備。
そして、複数の記録媒体。
「……なるほどね」
少年は、少しだけ笑った。
「君が責任者?」
早瀬は、答えなかった。
零司は、肩をすくめた。
「まあ、いいや」
そして。
「御坂さん、もう上がってきていいよ」
「……言われなくても!」
美琴が、下から叫んだ。
次の瞬間。
砂鉄が、床下から噴き上がった。
ガギギギッ!
車両内部の金属片が、一斉に動く。
その勢いを利用し、美琴が床の上へ飛び上がった。
「……よし!」
着地。
そして。
「……あんたねぇ!」
零司へ顔を向ける。
「もう少し早く来なさいよ!」
「ごめんごめん」
「……本当に!」
零司は笑った。
その様子を、早瀬は黙って見つめていた。
目の前の二人。
第三位。
そして、非公式の第零位。
普通なら、決して敵に回してはいけない相手。
だが。
作戦の目的は、すでに達成している。
少なくとも、そう思っていた。
「……残念だが」
早瀬が口を開いた。
「記録は、すでに外部へ送信した」
零司が顔を向ける。
「そうみたいだね」
「……何?」
「送信したんでしょ?」
少年は、あっさりと頷いた。
「じゃあ、もう遅いね」
その返答に。
早瀬は、僅かに眉をひそめた。
「……理解しているのか」
「うん」
零司は、笑った。
「でもさ」
その灰紫色の瞳が、細くなる。
「君たち、僕のことを調べるのに夢中だったよね」
早瀬の表情が変わった。
「……何?」
「その間に、君たちの輸送記録を調べる時間もできた」
零司は、携帯端末を取り出した。
画面には、昼間に入手した搬送伝票と、新たに確認した情報が表示されている。
《統合観測管理区画》
《車両運用責任者:早瀬》
《輸送系統:第十八学区》
《観測記録受信先:確認》
早瀬の顔色が変わった。
「……馬鹿な」
零司は、少しだけ笑った。
「観測って、便利だね」
そして。
「でも、見られてるのは僕だけじゃないよ」
◇
午後八時二十二分。
貨物列車、先頭車両。
早瀬は、何も答えなかった。
その代わり。
ゆっくりと右手を動かした。
懐。
小型の拳銃。
その銃口が、零司へ向けられる。
「……動くな」
低い声。
しかし。
零司は、動じなかった。
「……まだやるの?」
「……貴様をここで拘束する」
「無理じゃない?」
「……っ!」
早瀬の指が、引き金へ掛かる。
その瞬間。
銃身が、内側から潰れた。
ガギンッ!
「……なっ!?」
次の瞬間。
早瀬の身体が、床へ押し倒された。
ドンッ!
「……ぐっ!」
四肢が動かない。
呼吸はできる。
しかし、それ以外の自由は失われていた。
零司は、男を見下ろした。
「……ねえ」
静かな声。
「君、誰の命令でやってるの?」
早瀬は、歯を食いしばった。
「……答える義務はない」
「そう」
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「……じゃあ、別にいいや」
あっさりと答えた。
早瀬が、目を見開く。
「……何?」
「君が話したくないなら、記録を調べればいいし」
零司は、美琴へ顔を向けた。
「御坂さん」
「……何よ」
「この人、任せてもいい?」
美琴が眉をひそめる。
「……あんたは?」
「ちょっと調べもの」
零司は、車両の奥を指差した。
「まだ、見てない部屋があるから」
美琴は、少しだけ考えた。
そして。
「……分かった」
強く頷いた。
「この人は、私が見張ってる」
「よろしく」
零司は、軽く手を振った。
そのまま、車両の奥へ向かう。
早瀬は、少年の背中を見つめていた。
その表情には、初めて明確な恐怖が浮かんでいた。
自分たちは、ZEROを観測していた。
その能力を調べていた。
行動傾向を分析していた。
だが。
観測対象として扱っていた少年は、自分たちが想定したようには動かなかった。
そして。
必要と判断すれば、自分たちの計画そのものへ手を伸ばしてくる。
「……化け物め」
早瀬が、小さく呟いた。
その声を聞いて。
美琴が、静かに口を開いた。
「……そうかもね」
男が顔を上げる。
「……何?」
「……でも」
美琴は、零司の背中を見た。
「少なくとも、あんたたちよりは人間らしいところもあるわよ」
早瀬は、何も答えなかった。
◇
午後八時四十四分。
第七学区。
「……帰ってきた」
N-12が、玄関の方を見た。
扉が開く。
そこには、零司とN-13。
そして、ミサカ九九七三号が立っていた。
「……ただいま」
零司が、片手を上げる。
N-12が、目を見開いた。
「……九九七三号!」
その声に、ソファに座っていた二人の少女が顔を上げた。
九九七一号。
九九七二号。
そして、玄関に立つ九九七三号。
三人は、しばらく互いを見つめていた。
「……生存を確認しました」
九九七一号が、静かに口を開いた。
「はい」
九九七三号が頷く。
「ミサカは、現在も生存しています」
九九七二号が、少しだけ首を傾げた。
「……予定された実験は、どうなったのでしょうか」
「中止となりました」
「……そうですか」
数秒の沈黙。
そして。
「……よかった」
N-12が、小さく呟いた。
その言葉に。
九九七三号が、僅かに目を瞬かせた。
「……よかった?」
「……うん」
N-12は頷いた。
「……生きてて、よかった」
九九七三号は、しばらく黙っていた。
そして。
「……ありがとうございます」
小さく頭を下げた。
その様子を見て。
N-13が、嬉しそうに笑った。
「……これで、三人だね」
零司が、部屋を見渡した。
N-12。
N-13。
九九七一号。
九九七二号。
九九七三号。
そして、自分。
「……六人か」
少年は、天井を見上げた。
しばらく考える。
そして。
「……引っ越そうかな」
N-13が、即座に頷いた。
「……うん」
N-12も頷く。
「……絶対、その方がいい」
零司は、少しだけ笑った。
「全会一致だね」
◇
午後九時三分。
第十八学区、統合観測管理区画。
「……第三貨車の回収に失敗しました」
研究員が、端末を見つめていた。
画面には、複数の報告が表示されている。
《第九九七三次実験》
《結果:実施不能》
《対象個体:生存》
《輸送警備部門:機能停止》
《現場責任者:拘束》
その隣で、一人の男が静かに息を吐いた。
「……また、失敗か」
男は、別の画面を開いた。
《ZERO》
《第三位:御坂美琴》
《観測干渉能力者:N-13》
《行動記録:取得済》
必要な戦闘記録は、一部確保されていた。
しかし、それだけではない。
輸送部門の記録。
観測設備の管理情報。
そして、複数の施設を結ぶ運用経路。
それらの一部が、外部へ流出していた。
「……第零位」
男が、小さく呟いた。
自分たちは、あの少年を観測しようとした。
だが、その結果。
観測する側の情報まで奪われてしまった。
「……これ以上、直接的な観測は危険だな」
男は、別の資料を開いた。
《絶対能力進化計画》
《次回実験:第九九七四次》
《実施予定:調整中》
その表示を見て。
男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……計画は継続する」
静かに告げた。
「ただし、従来の運用では駄目だ」
研究員が、顔を上げる。
「……では?」
男は、画面を切り替えた。
そこには、複数の研究機関の一覧が表示されている。
資金。
実験設備。
量産個体の管理。
そして、実施予定の承認。
「……関係機関へ通知を送れ」
「……内容は?」
男は、静かに答えた。
「実験運用方式の変更を検討する」
その声には、迷いがなかった。
「これ以上、個別の実験を妨害されるわけにはいかん」
◇
同日、午後十一時四十七分。
第七学区。
零司は、自室のベッドへ寝転がっていた。
手元には、昼間から集めていた資料。
観測部隊の通信記録。
輸送管理情報。
そして、今回の戦闘で入手した追加資料。
「……なるほどね」
少年は、端末を操作した。
画面には、複数の研究機関が表示されている。
いずれも、絶対能力進化計画へ直接または間接的に関係している組織だった。
だが。
そこには、妙な共通点があった。
「……責任者が、分かれてる」
小さく呟く。
実験計画の作成。
資金の管理。
量産個体の製造。
戦闘実験の実施。
それぞれが別の組織によって管理されている。
つまり。
一つの研究所を潰しても、別の施設が実験を引き継げる。
それが、今回まで計画が継続していた理由の一つだった。
「……じゃあ」
零司は、少しだけ笑った。
「一番上を探せばいいんだ」
その瞬間。
携帯端末が振動した。
御坂美琴からのメッセージ。
《今日の資料、こっちでも調べておくわ》
《明日、分かったことがあったら連絡する》
零司は、短く返信した。
《了解》
そして、端末を置いた。
そのとき。
扉の向こうから、声がした。
「……零司」
「何?」
「……起きてる?」
「起きてるよ」
扉が、ゆっくりと開いた。
N-13だった。
「……あのね」
「うん」
「……今日、怖かった」
零司は、少女を見た。
「そうだね」
「……でも」
N-13は、少しだけ笑った。
「……行ってよかった」
零司が、首を傾げる。
「どうして?」
「……九九七三号を、助けられたから」
短い答えだった。
零司は、しばらく少女を見つめていた。
そして。
「……そっか」
小さく頷いた。
「じゃあ、次も自分で決めればいいよ」
N-13は、少しだけ目を瞬かせた。
そして。
「……うん」
静かに頷いた。
扉が閉まる。
零司は、天井を見上げた。
第一位。
第三位。
妹達。
そして、研究者たち。
それぞれが、自分の意思で動いている。
誰かの計画に従う者。
誰かの計画を壊す者。
そして、初めて自分の意思を持とうとする者。
「……さて」
少年は、ゆっくりと目を閉じた。
「……次は、どうしようかな」
学園都市の第零位。
久遠零司。
その少年は、まだ知らなかった。
自分が手に入れた資料によって、絶対能力進化計画の運用を支える組織の一部が、すでに特定されつつあることを。
そして。
研究者たちも、まだ理解していなかった。
彼らがどれだけ観測を重ねても、久遠零司という少年の次の行動を、完全に予測することなどできないということを。