アリーナは熱気に包まれていた。観客席を埋め尽くす数百人の視線が、中央に立つ四人の生徒に注がれている。一夏は深呼吸を一つして、目の前の二人を見据えた。ラウラ・ボーデヴィッヒ。そして篠ノ之箒。幼馴染と、かつてアリーナで刃を交えた相手。それが今、チームを組んで自分たちの前に立ちはだかっている。
「箒。まさか初戦で当たるとは思わなかったな」
「……ああ。私もだ」
箒は静かに答えた。その声には、いつもの凛とした響きがある。だが一夏には、その奥に少しだけ迷いのようなものが見えた気がした。ラウラが、そんな箒の横で口を開いた。
「織斑一夏。この前の借りを返す時が来たな」
「借りって……俺、何かしたか?」
「とぼけるな。お前が私のプライドを傷つけたこと、忘れたとは言わせない」
ラウラの声には、あのアリーナの時と同じ鋭さがあった。だが一夏には、それが以前ほど棘のあるものには感じられなかった。
「ラウラ。俺は、お前と戦えて嬉しいよ」
「……何?」
「お前が強いって分かってるからさ。本気で来てくれよ」
「言われるまでもない」
ラウラはそう言って口元をわずかに歪めた。それが笑みなのか、それとも別の何かなのか、一夏には分からなかった。シャルルが、一夏の隣で小さく息を吸った。
「織斑君。行こう」
「ああ」
一夏は頷いて白鴉の腕輪を掲げた。光が走り、白亜の装甲が全身を包み込む。角張った装甲板の集合体。背部の大型スラスター。ISの流線型とは異なる、戦闘機械としての姿。対するシャルルもまた、自身のISを展開した。ラウラの機体が、そして箒の機体がそれぞれの装甲を纏って展開される。四人のISが、アリーナの中央で向かい合った。一瞬、会場が静まり返った。そして。
『試合開始!』
その声が響いた瞬間ラウラが動いた。爆発的な加速で、まっすぐに一夏へと迫ってくる。その速度は、先日のアリーナでの戦いを凌ぐものだった。一夏は反射的に白鴉を後退させながら、頭の中の声が囁くのを聞いた。
(——ラウラの突進だ。箒は動いていない。連携の初動を崩せ)
(分かってる!)
一夏は右腕のリニアライフルを構えた。狙うはラウラの機体の中心。だが撃つ前に、ラウラの機体が左右に揺れた。単純な直線ではない。不規則な機動で、一夏の照準を撹乱してくる。
(読まれている!)
一夏は即座に射撃モードを切り替えた。単発から連射へ。高速で放たれる徹甲弾がラウラを追う。だがラウラはそれを紙一重でかわし、なおも距離を詰めてくる。
「遅い!」
「まだだ!」
一夏は白鴉の背部スラスターを吹かし、横方向へと跳んだ。ラウラの突進が空を切る。その瞬間、一夏はレーザーキャノンをラウラに向けて放った。収束した光の線が、ラウラの機体を掠める。だが致命打には至らない。ラウラはすぐに体勢を立て直し、再び一夏へと迫ってきた。
「織斑君、後ろ!」
シャルルの声が飛んだ。一夏は振り返る間もなく、白鴉の左腕を掲げた。パルスブレードが展開され、エネルギーシールドが左腕前面に形成される。直後、箒のブレードがそこに叩きつけられた。重い衝撃。だがシールドはそれを防ぎ切る。
「箒!」
「一夏。お前の動き、読ませてもらった」
箒はそう言って素早く距離を取った。その動きには、迷いがない。一夏は歯を食いしばった。ラウラと箒。二人の連携は、すでに完成しつつあった。ラウラが一夏を引きつけ、その隙に箒が斬り込む。単純だが、強力な連携だ。
(どうする?)
一夏は考えた。その瞬間、頭の中の声が静かに、しかし力強く告げた。
(——シャルルを信じろ。お前一人で背負うな)
一夏は、はっとした。そうだ。自分は一人じゃない。シャルルがいる。一夏は大きく息を吸って、叫んだ。
「シャルル! 箒を頼む!」
「任せて!」
シャルルの応答が返る。箒はその動きに一瞬だけ反応が遅れた。その隙を、一夏は見逃さなかった。
「ラウラ! こっちだ!」
一夏はあえて声を上げ、ラウラの注意を自分に向けさせた。ラウラが一夏へと突進してくる。一夏はそれを待っていた。白鴉の背部、六連装垂直ミサイルポットが展開される。
「行け!」
六発のミサイルがそれぞれ異なる軌道でラウラへと襲いかかった。ラウラはそれをかわそうとするが、ミサイルは単純な直線ではない。複雑な軌道を描き、ラウラの機動を封じにかかる。
「くっ……!」
ラウラが小さく声を上げた。その瞬間、一夏はリニアライフルのチャージショットを放った。収束された大口径弾が、ラウラの機体を直撃する。爆発的な運動エネルギーが、ラウラを後方へと吹き飛ばした。
「ラウラ!」
箒の声が響く。だがシャルルはその隙を見逃さなかった。銃弾が、箒の機体を正確に捉える。
「しまった……!」
箒が体勢を崩す。一夏はすかさずラウラへと迫った。距離を詰め、パルスブレードを構える。ラウラはまだ体勢を立て直せていない。一夏の刃が、ラウラの機体に迫る——ふいに(——危ない!)
頭の中の声が警告を発した。一夏は反射的に白鴉を後退させた。直後、箒のブレードが一夏がいた場所を薙いだ。箒は、体勢を崩しながらもラウラを守るために動いていたのだ。
「……っぶねえ」
「一夏。そう簡単には、やらせない」
箒はそう言って再び構えを取った。その目は、まだ戦う意志を失っていない。ラウラもまた、体勢を立て直しつつあった。一夏は、ふと、口元を緩めた。この状況がなぜか心地よかった。強い相手と、本気で戦う。その緊張感が一夏の中の何かを刺激する。
(そうだ。これが戦いだ)
頭の中の声が、静かに囁いた。
(——だが、忘れるな。これはスポーツだ。殺し合いではない。相手を尊重しろ)
(分かってる)
一夏は、白鴉を構え直した。シャルルも、一夏の隣に並ぶ。ラウラと箒も、それぞれの体勢を整えた。四人の視線が、アリーナの中央で交差する。観客の歓声が、より一層大きくなった。試合は、まだ始まったばかりだ。
―――
アリーナの熱気は観客席にも確かに届いていた。だが、その熱気の中に戸惑いにも似たざわめきが混じり始めていた。各国の政府関係者、研究員企業エージェント。それぞれの思惑でこのトーナメントを訪れていた大人たちが、モニターに映る一夏の戦いぶりを見て、一様に眉をひそめていた。
「今の、見たか」
ある国の政府関係者が、隣の研究員に声をかけた。その目は、モニターに映る白鴉の機体に釘付けになっている。
「リニアライフルの連射から、チャージショットへの切り替え。あれだけの短時間で、よくあそこまで正確に」
「それだけじゃない。垂直ミサイルの軌道制御。六発を個別に、しかもあれだけ複雑な軌道で運用するなど、我々のISでは不可能だ」
研究員の一人が、モニターのデータを食い入るように見つめながら言った。その隣で、別の研究員が首を振る。
「いや、そもそもあの機体の設計思想がおかしい。ISの流線型デザインではなく、角張った装甲。物理装甲としての厚みを確保しながら、シールドエネルギーも併用している。あれは、我々が知るISの枠を完全に超えている」
政府関係者の一人が、腕を組んで考え込むように言った。
「白鴉の武装。あれを再現することはできるか」
その問いに、研究員たちは一斉に沈黙した。やがて、最も年配の研究員が重い口を開いた。
「不可能です」
その言葉は、はっきりとしていた。政府関係者が眉を上げる。
「なぜだ。技術的には可能なのだろう? リニアライフルも、レーザーキャノンも垂直ミサイルも。ISの技術体系に応用できないはずがない」
「ええ。個々の技術は、確かに応用可能でしょう。ですが、白鴉の武装は単体で機能しているわけではありません。あの機体のジェネレーター出力、拡張空間の使用を最小限に抑えた固定武装の最適配置、物理装甲とシールドエネルギーの併用。それらすべてが有機的に連携して初めて、あの武装群は真価を発揮する。一つだけを抜き出しても、意味がないのです」
研究員の説明に、別の研究員が付け加えた。
「それに、パルスブレードや特殊兵装の数々。アサルトアーマー、パルスアーマー、パルスプロテクション。これらはISの技術体系とは根本的に異なる系統の技術です。我々のデータベースには、これらに該当する技術が存在しない。一から理論を構築し直す必要がある」
「では、白鴉そのものを解析すれば——」
「それも不可能です。あの機体は、白式の一次移行体として分類されていますが、その実態は完全に別物です。おそらく、何らかの特殊な要因——我々には計り知れない何か——が介在している。機体の設計図を手に入れたところで、同じものを再現することはできないでしょう」
政府関係者はその説明を聞いて、深く息を吐いた。そしてモニターに映る一夏の戦いぶりを、改めて見つめた。
「あの少年は、あの機体を使いこなしている。それも、完璧に近い形で」
「ええ。あの戦術判断の速さ。状況に応じた武装の切り替え。あれは、訓練で身につくものではない。まさに、戦場を知る者の動きです」
「戦場を知る者、か。IS学園の生徒がなぜ」
その問いに、誰も答えられなかった。観客席のざわめきは、まだ続いている。だがそのざわめきの質は、最初とは明らかに変わっていた。戸惑いと、好奇とそして——ある種の畏怖が、そこには混じっていた。企業エージェントの一人が、静かに通信機を手に取った。
「本部。白鴉の件、当初の見立てを変更します。この機体は、我々の想定をはるかに超えている。再現は不可能。ですが、解析の価値はある。データを最優先で収集してください」
その声は、どこか焦りにも似た響きを含んでいた。アリーナでは、まだ試合が続いている。一夏とシャルル、ラウラと箒。四人のISが激しくぶつかり合っていた。観客席の大人たちは、その戦いから目を離すことができなかった。彼らの知るISの常識を、あの白亜の機体とその操縦者は、いとも簡単に覆していく。
(あの少年は、何者なのか)
その問いが、観客席のあちこちで静かに、しかし確実に広がりつつあった。
―――
試合は、当初の予想を超えて拮抗していた。一夏とシャルル、ラウラと箒。四機のISがアリーナの中央で激しくぶつかり合う。リニアライフルの銃撃、レーザーキャノンの光線ミサイルの軌道、そしてブレードの斬撃。その一つ一つが紙一重で交錯し、観客席からは感嘆の声が上がっていた。
だが、その均衡は長くは続かなかった。箒の機体、打鉄に異変が現れた。量産型である打鉄のシールドエネルギーが、限界に近づいていたのだ。
「くっ……!」
箒が短く声を上げた。その機体の動きが明らかに鈍くなっている。一夏はそれを見て、胸の奥がざわつくのを感じた。
(箒のエネルギーが……)
その瞬間、シャルルの銃弾が箒の機体を正確に捉えた。打鉄のシールドエネルギーが、急速に減少していく。箒は歯を食いしばって耐えようとしたが、限界は容赦なく訪れた。
『篠ノ之箒、シールドエネルギー切れ。戦闘不能』
アナウンスが響き、箒の機体が強制的に展開を解除された。箒はアリーナの端へと退避し、悔しそうに唇を噛んでいる。その目には、まだ戦いたいという想いが滲んでいた。
「箒!」
「一夏。気にするな。これが実力の差だ」
箒はそう言って一夏から視線を外した。その横顔は、どこか寂しげだった。だが一夏がそれ以上声をかけることはできなかった。残ったラウラが、まだ戦っているからだ。
「まだだ……! 私は、まだ負けていない!」
ラウラの声がアリーナに響く。その機体はすでに傷だらけだった。一夏とシャルルの連携の前に、防戦一方となっている。それでも、ラウラは諦めなかった。歯を食いしばり、必死に抗い続けている。
「ラウラ。もう、限界だろ」
「うるさい! 私は、こんなところで……!」
ラウラは叫んだ。その声には、ただの負けん気だけではない何かが込められていた。一夏は、ふと、ラウラの機体の動きに違和感を覚えた。その動きは、先ほどまでのラウラのものとは違う。より鋭く、より獰猛に。まるで何かに取り憑かれたかのように。
(何だ……? ラウラの動きが、変わった?)
その時だった。ラウラの脳裏に、過去の記憶がフラッシュバックした。幼い頃、戦場で生きるしかなかった日々。誰も信じられず、誰にも信じられずただ力だけを頼りに生きてきた記憶。そして、千冬への羨望。あの強さへの届かない想い。
(私は……強くなりたかった。誰にも負けない、本当の強さが欲しかった)
ラウラの心の中でその想いが爆発するように膨れ上がった。負けたくない。何としてでも、勝ちたい。その想いがラウラの意識を灼き尽くさんばかりに燃え上がらせる。
——力が欲しいか?
声が聞こえた。ラウラははっとした。誰の声か、分からない。だがその声は確かにラウラの脳裏に直接語りかけてくる。甘く、誘うように。そしてどこか懐かしい響きを伴って。
——力が欲しいか? 誰にも負けない、本当の力を。
ラウラは、一瞬だけ迷った。だがその迷いはすぐに消え去った。この声が何なのか、分からない。だが今の自分に必要なものは、これしかない。ラウラは心の中で強く願った。
(欲しい。力が、欲しい!)
その瞬間だった。ラウラの機体、シュヴァルツェア・レーゲンの内部で、何かが起動する音が響いた。カチリ、という小さな音。それがすべての始まりだった。
『VTシステム、起動』
その声を最後にラウラの意識は、深い深い闇へと沈んでいった。