部屋に残された箒、鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラの五人。千冬を前にして、誰も口を開こうとしない。さっきまでの騒がしさが嘘のように、部屋の中は静まり返っていた。千冬はそんな五人の様子をしばらく眺めていたが、やがて呆れたように口を開いた。
「いつものバカ騒ぎはどうした」
その言葉に、五人は互いに顔を見合わせた。
「いや……その……」
「千冬先生を前にして、バカ騒ぎも何も……」
「そもそも、何を話せばいいのか……」
歯切れの悪い返事に、千冬は小さく息を吐いた。
「そう身構えるな。……まあいい。飲み物でも飲め」
千冬はそう言って立ち上がると、部屋の隅にある冷蔵庫へと歩いていった。扉を開け、中を物色する。
「ラムネにオレンジジュース、スポーツドリンク。それにコーヒーと紅茶。どれでも好きなものを取れ」
千冬はそう言って、五人の前にそれぞれ飲み物を並べていった。箒にはラムネ。鈴音にはスポーツドリンク。セシリアには紅茶。シャルロットにはオレンジジュース。ラウラにはコーヒー。五人はそれぞれに手に取って、小さく「いただきます」と言った。ラムネの蓋を開ける音が、部屋に響く。鈴音がスポーツドリンクを一口含み、セシリアが紅茶の香りを確かめるように傾ける。シャルロットはオレンジジュースを、ラウラはコーヒーを口にした。
「ふむ。美味いな」
「ああ。冷えてる」
「紅茶も、なかなか良い香りですわ」
「うん。オレンジジュース、甘くて美味しい」
「コーヒーも悪くない」
五人がそれぞれに感想を述べたところで、千冬はにやりと笑った。そして冷蔵庫から、今度は一本の缶ビールを取り出した。
「さて、と」
そう言って、プルタブを起こす。シュッという音が部屋に響いた。そして、そのままゴクゴクと喉を鳴らして飲み始めた。五人は唖然として、その光景を見つめていた。
「せ、先生……?」
「何だ」
「お酒……」
「ああ。私だって人間だからな。酒は飲む」
千冬はそう言って、上機嫌に椅子に座った。その顔には、いつもの厳しさではなくどこか楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「でも、お仕事中では……」
「堅いことを言うな。今は休暇中だ」
「そ、それはそうですけど……」
五人は戸惑いながらも千冬の様子がいつもと違うことに気づき始めていた。その口調はどこか柔らかく、目の表情も穏やかだ。酒が入ったからだろうか。それとも、元々こういう人なのだろうか。
千冬は缶ビールを一口飲んで、五人の手元を順番に見ていった。
「箒のラムネ。鈴音のスポーツドリンク。セシリアの紅茶。シャルロットのオレンジジュース。ラウラのコーヒー」
それぞれの飲み物を指差すようにしながら、千冬は言った。
「これで口止め料は払った。……分かっているな?」
五人は一瞬、意味が分からずに固まった。だが、すぐにその言葉の意味を理解する。さっき、自分たちが盗み聞きをしていたこと。そのことを、千冬は飲み物で黙っていろと言っているのだ。
「あ……」
「そういうことか」
「なるほど……」
五人はそれぞれに納得したような表情を浮かべた。
「分かりました。このことは……」
「口外しません」
「わたくしたち、何も見ていませんし聞いていませんわ」
「うん。僕たち、何も知らない」
「ふむ。最初から何もなかった、ということで」
五人の言葉に、千冬は満足そうに頷いた。
「よし。それでいい」
千冬はそう言って再び缶ビールを口に運んだ。その横顔は、どこか満ち足りたものに見えた。五人は、そんな千冬の姿を見ながらそれぞれに飲み物を口にした。部屋の中に、静かな時間が流れていく。外からは、波の音が聞こえていた。
「そういえば、先生」
やがて、シャルロットが口を開いた。
「ん?」
「一夏は、いつまでお風呂に入っているんでしょうね」
「さあな。まあ、しばらくは戻らんだろう」
千冬はそう言って、少しだけ悪戯っぽく笑った。その表情を見て、五人は何となく自分たちがこの場に残されている理由を悟ったような気がした。千冬は、彼女たちに何かを話すつもりなのだ。一夏がいない間に。五人はそれぞれに姿勢を正した。千冬は缶ビールを机の上に置くと、静かに口を開いた。
「さて。お前たちに話というのはな……」
千冬は缶ビールを机の上に置くと、五人の顔を順番に見渡した。その目は、さっきまでの柔らかなものではなく、どこか真剣な光を宿している。
「単刀直入に聞く。お前たちは、一夏のことをどう思っている」
その言葉に、部屋の空気がぴんと張り詰めた。箒が少しだけ身じろぎする。鈴音はスポーツドリンクのボトルを握る手に力を込めた。セシリアは紅茶を置いて、背筋を伸ばす。シャルロットは静かに微笑み、ラウラはコーヒーを一口含んでからカップを下ろした。
しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのは箒だった。
「私は……一夏のことを、幼い頃から知っています。剣道に打ち込む私にとって、一夏はいつも隣にいる存在でした。馬鹿で、お人好しで女心に鈍感で。でも、困っている人を放っておけない奴で。……気づいたら、目で追っていました」
箒はそう言って、少しだけ俯いた。その頬はほんのりと赤い。
「アイツの中に、時々別の誰かが見えることがあります。戦場のような冷たい目。あれを見るたびに、怖いと思う自分がいます。でも、それ以上に……もっと知りたいとも思うんです。一夏のことを。一夏の中の、知らない一夏のことを」
箒の言葉に、千冬は何も言わずに頷いた。次に口を開いたのはセシリアだった。
「わたくしは……織斑さんに、最初はただの男だと思っていました。IS学園に男が入ってくるなんて、信じられなかったですし。でも、彼のISに対する理解は本物で。装備の換装もエネルギー管理も、わたくしよりよほど詳しい。悔しいですけど、認めざるを得ませんわ」
セシリアはそう言って、少しだけ口元を緩めた。
「それに……彼は、わたくしがどれだけ気張っていても、それを気にしないんです。お嬢様だからとか、代表候補生だからとかそういうことを抜きにして接してくれる。それが、少しだけ……嬉しいんですわ」
セシリアの声はだんだんと小さくなっていった。その耳は赤く染まっている。鈴音が、そんなセシリアを見て小さく笑った。
「あたしは、あいつのこと最初は嫌いだったわ。あたしがどれだけ努力してここまで来たか、知らないくせにって」
鈴音はそう言って、スポーツドリンクを一口飲んだ。
「でも、あいつってさ。あたしがどんなに怒っても、嫌味を言ってもへらへらしてるのよ。腹が立つくらい。でも……いつだったか、あたしが落ち込んでた時何も言わずにそばにいてくれたことがあって。あの時、ああ、この人はこういう人なんだって、なんとなく分かった気がした。……まあ、鈍感なのは変わんないけど」
鈴音はそう言って、少しだけ照れくさそうに顔を背けた。シャルロットが穏やかな声で続く。
「僕は……一夏と出会って、まだそんなに時間は経っていないけど。彼は、僕が誰であっても同じように接してくれる。シャルロットとしても、シャルロット・デュノアとしても。それって、当たり前のようで実はすごく難しいことなんだ」
シャルロットはそう言って、オレンジジュースを一口含んだ。
「彼と話していると、安心する。一緒にいると自然と笑顔になれる。僕にとって、一夏はそういう存在なんだ」
シャルロットの言葉には、嘘偽りがなかった。その笑顔は、どこまでも穏やかで温かい。最後に口を開いたのはラウラだった。
「私は……最初、一夏を敵と見做していました。IS学園に男が入るなど、あってはならないことだと思っていた。だが、模擬戦で敗れ彼の強さを知った。そして……彼の、戦い方を見た」
ラウラはそう言って、コーヒーカップを両手で包み込むように持った。
「彼は強い。だが、その強さはただの力ではない。状況を見極め、最善の手を選ぶ。まるで幾度も戦場を生き抜いてきた兵士のような……そんな戦い方だった。私は、そこに惹かれたのかもしれない。軍人として、そして一人の人間として」
ラウラはそう言ってコーヒーを一口飲んだ。その横顔は、どこか誇らしげでもあり、ほんの少しだけ照れているようにも見えた。
五人の言葉を聞き終えると千冬は静かに目を閉じた。しばらくの間、部屋には波の音だけが響いていた。
やがて、千冬が目を開く。
「……そうか。よく分かった」
千冬はそう言って缶ビールを一口飲んだ。その口元には、ほんのわずかに笑みが浮かんでいる。
「お前たちの気持ちは、よく分かった。だが一つだけ言っておく」
千冬の声は、静かだが、力があった。
「一夏は、お前たちが思っているよりずっと複雑な人間だ。そして、お前たちが思っているよりずっと危うい場所にいる。……それを、忘れるな」
五人は、その言葉の意味を噛みしめるように、静かに頷いた。部屋の外から波の音が聞こえてくる。静かな夜だった。