黒いゴライアスに向けて走り出したベルを見たアレンは、その後ろ姿にはっきりと以前のベルとの違いを見た。
走り方が様になっている。
効率的な身体の動かし方とは鍛錬や経験だけで身に付くものではない。自分がいて、他人がいて、実践があって、その試行錯誤があって初めてほんやりとした形になり、それを研ぎ澄ませて行くことで果てのない完成形へと向かっていく。
どこまで行っても終わりはない。報われるかも分からない苦行にどれだけ心血を注ぐことができるか。それが冒険者としての才能の根幹であるとアレンは思っている。
フレイヤ・ファミリアはその執念が他のファミリアとは一線を画していると自負しているが、その執念にベル・クラネルという男は笑顔で、しかも前向きに食いついてくる。頭のおかしい連中を見慣れていて、事実自身も世間の基準に照らし合わせれば相当にイカれていると認識しているアレンの目から見ても、ベルは頭がおかしかった。
あの男は痛みを恐れない。苦境を遠ざけない。乗り越えるべきものとして捉え、果敢に挑んでいく。あらゆる意味で冒険者らしい男だ。絵物語に出てくる英雄というのは、ああいう善良で朴訥な存在のことを言うのだろう。
そういった英雄的な善性と紙一重の狂気がベルの中には同居している。頭のおかしい善人というのが成立するのだと知れたことは、アレンの猫人生の中でも得難い経験だった。
レベルに勝る冒険者にたった二週間で全身の骨を全て二度は折られたという経験が基準になっているのだとすれば、大抵の鍛錬は温く感じるだろう。
あのバカが気に入る訳だなとアレンは一人ごちた。
ある日とにかく会って話がしたいと呼び出されたから何かと思って行ってみれば『またお歌を歌ってって言われたのにゃ!』と心底嬉しそうに報告された。たかがそれだけとアレンにしてみればその程度の話なのだが、長い付き合いになるあれのあんなに嬉しそうな顔を久しぶりに見た。
それだけの価値があの男にはあるのだろう。軽々しく同意はできないが見ていて退屈はしないのは事実だ。
白髪の少年が、黒い巨人に向かって駆けていく。
その背は、前に見た時よりもずっと大きく見えた。
アテナ・ファミリアの団員たち曰く。
ヒトの形をしているということは、ヒトの理が通じるということ。内臓の有無や配置が違っていても、筋肉の密度が異なっていても、頭の中に脳がなくても、呼吸や血液の循環がなくてもヒトの形をしている以上、押せば倒れる。
そして巨大になればなるほど、その影響は大きくなる。
明確な弱点があったとしても、巨大であれば物理的に遠くなる。攻撃を当てるだけでも一苦労だ。積み重ねた技術のない自分が狙った場所に当てるには相手に隙を作るか――。
先の先を取り、初手で有効打を叩き込むより他はない。
『我が 双脚は 時空を 超える』
まずは最大速度で。常の自分のステイタスが敏捷に偏重していることは複数の冒険者から指摘されている。高速で動いた時には同じく敏捷に特価した冒険者や怪物でなければ補足することは難しいとも言われた。
状況から見て眼前の黒いゴライアスのレベルは5。初撃ならば速度で先手を取れる……可能性は高い。無論ことそれは確実ではない。それで命を落とすことも十分考えられる。
しかし大見得を切った手前、どこかで冒険をしなければならない。最悪アレンが何とかしてくれるという保険もあるが、偉そうなことを言って失敗するというのは死ぬほど恥ずかしいことである。冒険者として何より一人の男として、恥ずかしい真似はできない。
今ここで、死なない程度に命を賭ける必要がある。
(またエイナさんに怒られるかな……)
冒険者は冒険してはいけない。何度も聞かされた彼女の持論である。大いに同意できるところはあるし彼女のことは好きだし信頼もできる。できる限り意には沿いたいと心の底から思っているのだが、エイナ自身はそう思ってはくれていないらしく何かあると口を酸っぱくして持論を展開してくる。
またそうなりそうな気配をひしひしと感じるが、それも必要経費と心中で割りきった。怒られることを覚悟すれば怒られるようなことをしても良いんだ――そう考える兎だと見抜かれているからこそ怒られているのであるが、ベルがそれに気づくことはない。
加速した身体で大地を蹴り、跳躍。足場なんて便利なものはない。顔面に一撃を入れたいのであればそれこそ、相手の身体を駆け上るより他はなかった。
膝を蹴り、腿を蹴り、拳を蹴り、腕に着地して駆けあがる。この巨体の上を人間が走ったとしても、人間にとっての羽虫以下だろうけれども、黒いゴライアスの視線は自分の身体を駆けあがってくるベルのことを確かに捉えていた。
肩の手前で踏み切った直前、視線が交錯する。加速を切り、ベルは拳を握って力を込めた。
『我が 拳は 神の 息吹』
一閃。
渾身の力を込めた拳が振りぬかれ、人間の少年が生み出したとは思えない轟音が響く。黒いゴライアスの巨体が傾ぎ、大きくのけ反る。
(やったか!?)
手ごたえは会心の一撃。実戦で使うのは初めてだった力特化の『必殺技』の冴えにベルの動きはほんの一瞬だけ止まった。それを見てそれまで気楽に観戦していたアレンとアイシャが渋面を作る。観測のために動きを止める必要はない。特にベルのようなタイプは動き続けて当然であるのだが、これが若さと経験の少なさかと小さくため息を吐く。
そして案の定、やってはいなかった。
再び、ベルと黒いゴライアスの視線が交錯する。怪物の腕は拳を受けて仰け反った時点で引かれていた。
怪物が笑ったように見えた。とっさにベルは防御態勢を取る。
『我は 無敵 なり』
耐久を上げた次の瞬間、十分に引き絞られた怪物の拳が炸裂した。ベルが生み出したものより数倍鈍い轟音が響くと、その身体は砲弾のようにすっ飛んでいく。
身体がバラバラになりそうなくらいに痛い。遠のく意識を痛みを理由に必死に繋ぎとめる。バラバラになりそうなくらいということは当然、バラバラにはなっていないということ。痛いならばまだ生きている。動けるならばまだ戦える。
まだ負けていないことを証明する。その一念で空中で無理やり体勢を整える。前傾で、猫のような姿勢で地面に足を着いて急ブレーキ。土煙と共に後退は止まった。
少し離れた所に、アレンが呆れ顔をして立っていた。
「息災かベル」
「まだまだこれからです!」
「そりゃよかった。さっさとぶっ倒してこい」
「行ってきます!」
アイシャが投げてくれたポーションを一気飲みし、駆けだす。身体はまだ痛いがそんなものはいつものことだ。
黒いゴライアスは相変わらずベルにのみ視線を向けていた。差し当たっての脅威はこの白い人間だと認識しているのだ。
正直、縦横無尽に暴れてくれた方が隙はできそうである。ここが普通のダンジョンで周囲に何もなく誰もいないのであればその方が良かったのだが、近くにはリヴィラがありそこには千草がいて、ついでに他の冒険者たちもいる。巻きこみ、死人を出す訳にもいかない。
こちらから視線を切り、街に向かう。黒いゴライアスがその意思を見せた時がタイムリミットだと決める。あれを一人で打倒するというのはベル・クラネルの個人的な目標であって使命でも何でもない。そうなった時点でベルの敗北である。
魔法で牽制をしながら状況を整理する。
まず自分の技術と腕力では、力を限界まで引き上げて殴ってもダメージは期待できない。
アテナ・ファミリアの幹部くらい綺麗に打撃を打ち込めれば違ったのだろうが、実際に殴ってみた感触では一息に五発は撃ち込まなければ有効打とはいかないし、まして後ろに倒すこともできない。
翻って、アレにダメージを与えるのであれば魔法か武器に寄る刺突斬撃の他に方法はない。
牽制のために撃ち込んだファイア・ボルトは黒いゴライアスの肌を何度も焼いているが、特に炎を恐れていたり、炎に弱いという傾向はみられなかった。
直撃した肌には推定二度の火傷が見られる。人間の身体にこれが起これば大事だが黒いゴライアスの巨体からすると大した面積でもない。身体の至るところにその火傷を負っても黒いゴライアスはぴんぴんしていた。むしろ火傷を負ってからの方が動きが良くなっている気さえする。
拳による打撃同様、この威力のままでは同じ場所に執念深く撃ち込まないと成果は期待できない。近づかなくても良い分、拳よりはまだマシなように思えるが、距離がある分威力も減衰しやすい。レフィーヤほど魔法を撃つことに精通していないベルでは、どうにも魔法を絞って撃つという感覚が掴めない。
何より遠くからちまちま撃ち続けるのはカッコ悪いし性に合わない。
加速し、足元を斬りつけ後ろに抜ける。刃の手ごたえは良い。普通の剣よりも大分刀身が短い分傷も微々たるものではあるが、ベルの腕でも肌は裂ける。椿様々、ヘファイストス様々々である。
ならば、と苛立った様子のスタンピングを右に左に避け、また加速する。牽制をやめ、姿を晒し黒いゴライアスが拳を振り上げた段で、また加速し巨体を駆けあがる。物の本では巨人の弱点は項だと聞いたことがあるが、まずは近い所で実験。左腕。筋骨隆々な腕に『果てしなき蒼』を突き立て、走りながら振りぬく。
僅かに血しぶきが上がった。傷は大きいが浅い。巨体には大したダメージではないだろう。その傷に、ベルは迷わず『不滅ノ炎』を突き立てた。傷の中に刃が潜り込んできた。その感触に黒いゴライアスの視線が向く。
「目覚めろ、『不滅ノ炎』!」
呪文と共に、魔剣に込められていた炎の魔法が炸裂する。傷の中で炸裂したそれは、黒いゴライアスの腕の肉をごっそり吹き飛ばす。初めて、痛みに怪物は悲鳴をあげた。血煙と肉片の舞う中、ベルはまた加速して地面に戻る。
魔剣『不滅ノ炎』は無事。欠けもなければヒビもない。怪物に突き立て傷の中で魔法をぶっ放したと正直にヴェルフに言えば彼は怒るだろうけれども、今はそれを考えないようにする。
傷の中で魔法を撃てば、ダメージは通る。威力を増幅していない魔法を腕の傷に使って、腕の肉をごっそり削ることができた。怪物の腕はまだ十分に動くようであるが、痛みは感じているようである。
腕ではなく致命傷を与えられる頭部に、斬撃ではなく刺突で深い傷をつけ、威力を増幅した魔法をぶっ放せば良い。
やることは決まった。後はそれを実行できるかどうかだ。
『我が 双脚は 時空を 超える』
加速する。黒いゴライアスの視線は、しっかりとベルの姿を捉えていた。それでも逃げる、距離を取るということはしない。頭の中にそういう選択肢がないのか、巨大な怪物はその場で足を止め、小さな敵の姿を目視しようと目を凝らし、拳を振り回した。
轟音と共に拳が頭上を通り過ぎていく。風圧で切れた頬から血が流れる。小さな痛みがベルの集中力を研ぎ澄ませる。強化された脚力で黒いゴライアスの身体を上り顔に到達する直前、
巨大な怪物の視界に、白い人間の少年の姿がはっきりと映し出される。冒険者に及ばぬとはいえ黒いゴライアスにも申し訳程度の思考能力はあった。今まで動き続けていた白い人間が、拳を握って振りぬけば直撃させられるちょうど良い位置に姿を現したのだ。何か奥の手がある。警戒すべきだ。
そう思考した怪物の腕は、考えるよりも先に引かれ、そして突き出された。黒く巨大なゴライアスは、本能で好機に飛びついたのだ。
突き出された拳は速く鋭く正確で、何より重い。小癪な魔法を持った小さな人間など粉砕する。そんな邪悪な意思に満ちた拳は、確かに直撃するばベルを粉々に打ち砕くほどの必殺の威力があった。
中空のベルはその拳を瞬きもせずに見つめ返している。
そうしてその拳はベルに直撃する――寸前で止まった。黒いゴライアスの顔に驚愕の色が生まれるのを見て、ベルは口の端を上げて笑った。
目測は、正しかった。道はできた。後はここを走って、勝利を手にするのみ。
『我が 双脚は 時空を 超える』
加速し、伸び切った黒いゴライアスの腕の上を駆ける。息の切れるまで、力強く足を踏みしめ一歩一歩加速していく。走りながら、右の『紅椿』を構える。腕を引き絞り、巨大な目を目掛けて。この一刀、この一撃。必殺に繋げる一撃を――放つ!
椿の鍛えた紅い小太刀は、巨人の眼球を易々と貫いた。大気を震わす怒りと屈辱に満ちた悲鳴が上がる。言い知れない心地よさを感じながら、ベルは必勝の言葉を紡いだ。
『我が 意思は 天蓋を 超える』
持てる力を全て魔力に回す。現状、ベル・クラネルが放てる最大最強の一撃。身体の内側からこれを放つのだ。これで倒せなければ――倒せないはずがない。萎えそうになる気持ちを一瞬で奮い立たせ、ベルは魔法を放った。
巨人の頭が炸裂する。
ベルが貫いたのは右目、その内側で渾身の火炎魔法が放たれた。血しぶきと肉片、脳髄の舞う中。無傷の小太刀とどうにか原型を留めていた右手に安堵しながら、ベルは巨人から距離を取る。
残った左目がベルの姿を捉えた。巨人の戦う意思は、まだ萎えていなかった。頭の半分を失い、後は死を待つばかりでも、今の戦いを放棄する理由にはならない。これが最後ならばせめてもう一撃。最後の力を振り絞り拳を握る巨人に、ベルは親友の打った魔剣を向けた。
炎の魔力を蓄えたそれは、空に舞う血飛沫よりもなお紅く輝いている。
巨人が最後に意地を見せるなら、こちらも意地を見せるまで。
「目覚めろ! 『不滅ノ炎』!」
ベルの声を皮切りに、炎の嵐が巻き起こった。
爆音の後に更に爆音。血と脳髄の赤に炎の深紅。小太刀の刀身、ベルの瞳、力を失って墜落するベルが煤と己の血に塗れていたのもあり、とにかく赤い戦いだったとアレンの印象には残った。
意地の張り合いは当然のようにベルの勝利で幕を閉じた。頭を半分吹っ飛ばした時点で勝利は確定したようなものだが、巨大で強力な怪物というのはある意味そこからが長い。
そこで気を抜いていたら落第も良い所だったが、流石にそこまで愚かではなく。
しかし、力を使い果たした後どうするのかという所までは考えが及んでいなかったのだろう。地面に墜落するに任せて気を失ったベルの身体を回収したアレンは、しまらねえ戦いだなとひっそりため息を吐いた。
自爆に近い状態で火炎魔法を至近距離でぶっ放した結果、ベルの右手はどうにか原型を留めているという有様だった。ほとんどの部分が黒く焦げ、一分骨も露出している。欠損だけはしていないのは神の恩恵による頑丈さの賜物だろう。これならばエリクサーで修復が可能だ。
意識を失いボロボロになったベルが、ほとんど炭となった腕でも手放さなかった『単眼の巨師』の打った小太刀は、無傷で紅く光り輝き己の力を誇示していた。造り手の魂が宿ったかのような自己主張の強さであるが、こちらも不壊属性がかなり摩耗している。無事なのは見た目だけだ。
単独で変異した階層主を討伐したのだ。これまでの快挙に続く、大快挙と言って良いだろう。世の冒険者や大衆はこれでまた『白兎』ベル・クラネルを称えるのだろうが、アレンの心中は近い未来の彼らのように楽観的とはならなかった。
「何とも課題の見える勝利でしたね……」
少し離れた場所で観戦していたアイシャが、苦笑を浮かべてやってくる。カバンの中からエリクサーを取り出し、炭化した腕に惜しみなく振りかける。もうもうと煙をあげて黒くなった腕はみるみる再生していった。
「単独で戦うのであれば最低限の余力は残せるようになるべきですね。撃破に集中するあまり生存が疎かになっている」
「命張るにしてももうちょっと肩の力は抜くべきだな。敵を討つのは手段であって目的じゃねえって理解できればもう少しマシになるとは思うが」
戦うことそのものが好きだと標榜する冒険者もいるが、その末に何を求めているのかと突き詰めれば本当にそうであるのかは疑問が残る。勝った故の名誉であったり報酬であったり戦うことで得られる経験であったりと、結局はほとんどの場合戦うことは過程でしかない。
故に過程も楽しむという考えも良いだろうが、それはそれで神の眷属という立場が疎かになる。眷属にとって神命は絶対である。それを達成するに辺り何が一番重要なのか。その視点がベルには聊かかけているようにアレンは思った。
「その辺りは時間が解決してくれるでしょう。眷属であるという自覚は冒険者であるという自覚とほぼ同義ですが、ファミリアの一員であるという実感は中々し難いものです」
「一人で戦いたがる奴は特にな」
「耳の痛い話では?」
「うるせーよボケ」
けっと小さく吐き捨ててアレンは踵を返した。ベルの無事は確認し脅威は去った。若干のトラブルは発生したが、それはベル本人が解決した。まさかこのレベルのトラブルが立て続けに起こるはずもなし。それ以下のトラブルであれば他人がケツを拭く義理はない。『女傑』が残るのであれば自分まで残るのは過剰戦力である。
そんな判断で会ったのだが、アレンの背にアイシャは苦笑を向けた。
「目が覚めた時、貴方の顔があった方がベルは喜ぶと思いますよ?」
その軽口に応えず、アレンは地を蹴った。その頭で猫の耳はぴこぴこ揺れていた。
アレン・フローメルはベルの勝利に大層喜んでいた。
ベルの看病をしながら、アイシャはそう報告することに決めた。