仮面ライダージオウ ~もののけプリンセス1480~
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うわああ面白いい‼️
ジブリ大好きなんだけど、特にもののけ姫が一番大好きです✨(アシタカめっちゃかっこ良くない?(///∇///))
その上仮面ライダーも好きなので最高です。続き期待しています‼️
返信:コッコリリン 2021年01月29日(金) 21:54
コメントありがとうございます。
今ちょっと休息中につき続きはもうしばしお待ちしていただけると幸いです。
わっっっっが魔王!!!!こんなところにいたとは!!今日ナウシカ見たからジブリのクロスないかと探したが…まさかあるとは…次回もウルトラ楽しみにしてます!ご唱和ください!!我の名をウルトラm(殴
返信:コッコリリン 2021年01月29日(金) 21:53
コメントありがとうございます。
今ちょっと休憩中ですが、いずれは更新するのでそれまでお待ちいただけると幸いです。その時はご唱和ください! 我の名をって節子それライダーちゃう! ウルトラマンや!
次回もウルトラ楽しみしてます‼️
返信:コッコリリン 2020年11月18日(水) 10:52
コメントありがとうございます。ウルトラ楽しみにしていただいてすみません、もう少しお時間ください! ノツコツ執筆中です!
☆石火矢
石火矢とは実在した世界最古の金属製銃器「手把鋼銃(ハンドカノン)」の和名です。元々火槍と呼ばれる武器が原型でした。
唐の時代(618年 - 907年)の中国で火薬が発明され、850年頃に書かれた『真元妙道要路』には硝石・硫黄・炭を混ぜると燃焼や爆発を起こしやすいことが記述されており、既にこの頃には原始的な黒色火薬が発明されていた可能性があります。1040年頃に、曾公亮(そう こうりょう)は黒色火薬の製法を公表しました。
1132年に金との戦争中に起きた内乱に対して火槍を宋が投入したのが最初の実戦での使用例とされていましす。
1250年代、モンゴル帝国がイラン侵攻した際、中国人技術者が操作する投石機で、火薬弾が投げられており、1280年には、地中海東部のマルクス・グラエクスとシリアのハッサン・アッ・ラムマが中国の火器、火槍について記述しています。また、イスラム文明圏のシリア、マムルーク朝でも火薬情報は豊富でした。1300年頃に書かれたとされる『シェムス・エディン・モハメネッド文書』(Schems Eddin Mohamened)でマドファと呼ばれるものが描かれ、これは火槍に当たります。
(15行省略されています)
1288年当時の青銅製の銃身が中国で発掘されたことで、モンゴル支配下の中国が火槍から銃へ装備を変えたことが明らかになり、さらにこれまで銃は西欧発明と考えられてきましたが、銃はモンゴル帝国を通じて、ヨーロッパへ伝わったとされています。
1326年のスウェーデンにおける壷型の銃も発見されていますがこれはモンゴル帝国に支配されていた南ロシアから伝わった銃が変形したものと考えられており、火薬を鉄や青銅で包むような構造にして弾丸が前方にのみ飛ぶよう改良されパムディとなったともいわれています。フィレンツェで大砲が開発され、以後ヨーロッパでは大砲が発達し、イベリア半島では1330年代までには銃だけでなく大砲も使用されていました。
1368年にモンゴル勢力を北へおしやり成立した明王朝の時代には筒を青銅で作るなど多少の改良を加えられた火竜槍が開発されました。北元や新たに勃興してきた女真の勢力に対して同様に使用されました。
応仁の乱の頃火槍が日本に輸入されたが威力不足により使われなくなってしまいました。
15世紀の神聖ローマ帝国ではフス戦争などで一般市民や農民がハンドカノンという対騎士用の火槍を開発して使っていました。もののけ姫の石火矢もこれに該当します。銃のように小脇に抱えると点火が出来ないため、肩に載せるか、Y字の支柱に乗せて撃っていましたが、点火から発射までの時間が非常に長く命中率も低く、銃身が破裂して使用者も死ぬ事が多く、敵がまとまってきた時の威嚇にしか使えないという欠陥を抱えていました。
大航海時代(15世紀半ばから17世紀半ば)のヨーロッパでもファイアランスという名の火槍と殆ど同じ火器が考案、使用されたがこれも攻撃と言うよりは、目くらましや威嚇に用いていました。多重に火薬を仕込んでおけば続けざまに炸裂させることも可能で、暴発から身を守るために鎧を着て使用されました。
作中の旧式石火矢は、中国で十四世紀頃、朝鮮では十五世紀頃から実用化され残されている最古の青銅製ハンドカノンを真似ています。着火装置は「指火式」と呼ばれ、小枝や棒で直に薬室に点火するスタイルです。何故か種子島の火縄銃伝来以前に日本に輸入された痕跡がなく、幻の銃とされています。
日本では戦国時代に新式石火矢が開発され、「国崩」「佛郎機」などの名で呼ばれました。これが、エボシ御前や女たちが使う薬室カートリッジ型銃(「子母式銃」と言う)に当たります。中国、ヨーロッパのハンドカノンをエボシが改良した石火矢は少し火縄銃のようになっていますが、まだ付け火のような棒で火を付けており、火縄銃のようにはいきません。火縄は硝酸を木綿の組み紐に染み込ませてあるもので、火を点けると灯っていき、ゆっくり燃え、それを瞬間的に吹くと、また少し火勢が強くなります。よって火縄銃を撃つ時は、構えてから息を急に吹き掛け、火縄を挟み込み、火蓋を開けて引き金を引くと火縄挟みが落ち、弾が発射されます。その段階に到達していないため、後装式になっているのです。弾と火薬が入っているものをそのまま入れて撃つことにより、先から弾を込めなくて済むようになっています。後装は古い大砲にあったものです。弾丸が入った部品に火薬を入れ、砲身に入れ、そして木の楔を打ち込み、点火して撃ち、楔を抜いてこれを引き出し、次弾を装填します。
しかし、この新型も、上記のような威力不足(作中での石火矢、火薬の威力は、実際のものと比べ甚だしい誇張表現がされている節があります。)や事故が起こりやい欠陥を抱えていたため、後にヨーロッパで開発された燧石式(フリントロック式)や火縄式(マッチロック式)のマスケット銃に取って代わられることとなるのです。
ちなみに、火薬の原料には硝石=硝酸カリウムが必要ですが、天然の硝酸カリウムは、土壌中の有機物や、動物の排泄物に含まれる尿素、またそれが分解することによって生じたアンモニアなどの窒素化合物を、自然環境下に存在するバクテリアの亜硝酸菌や硝酸菌が分解する過程で、アミノ酸態やアンモニウム態の窒素化合物が硝酸イオンに酸化され、カリウムイオンと塩を形成することによって得られます。日本のような湿潤多雨な地域では天然では得がたく、おもに人畜の屎尿、果ては戦で出た無縁仏を原料にして、バクテリアによる酸化による生成を人工的に導く生産方法や、何十年かたった古民家の床下の土を集め、温湯と混ぜた上澄みに炭酸カリウムを含む草木灰を加えて硝酸カリウム塩溶液を作り、これを煮詰めて放冷すれば結晶ができ、この結晶をもう一度溶解して再結晶化すると精製された硝石とする「古土法」といったが工夫されました。また、鉄砲伝来以降、天然硝石の採石量=火薬の生産量=戦における鉄砲の戦力となるため、天然の硝石が取れた美濃の国では、硝石の鉱脈の存在は国の最重要機密とされました。
☆エボシ御前とサン
エボシのタタラ場の構成員に対する態度は大きく2つに分かれます。戦争で人狩りにあって売られた女たちと、社会から差別を受けてきた癩者(ハンセン病患者)とみられる病者に対しては温かい手を差し伸べているのに対し、病者以外の男たちに対しては猪神やその配下の猪たちに対するおとりとして利用されて猪ともども吹き飛ばされて命を失うことを承知の上でシシ神退治に動員し、その最後の様子を眺めているなど、極めて冷淡な態度を取っています。しかし、エボシは女たちに対しても重大な事実を隠しています。歴史学者の藤木久志氏は、それは、売られた鉄が武器に加工されて侍の手に渡り、戦争に用いられ、その結果、「奴隷狩り」と称した現象が引き起こされるのであるとしています。つまり、女たちはエボシが作らせた鉄で作られた武器によって、奴隷として売られてエボシの下にやってきたということです。当然、エボシもこうした矛盾がいつかたたら場を崩壊させかねないことを認識しており、歴史学者の市沢哲氏はエボシがアシタカに告げた「私の秘密」の正体を社会的弱者である病者たちに新しい石火矢を作らせて同じ弱者である女性たちに持たせて侍の鎧を打ち抜かせていくことで侍の力を奪い、鉄が侍のために使われるシステムを打破することで矛盾を解消し、更に労働によって得られた果実の分配のあり方を変えていくという「国崩し」の実現を図ることとして捉え、森(=シシ神)との戦いはこの目的の中においては局所的なことに過ぎない」としています。また、アシタカが「曇りなき眼(まなこ)で物事を見定め、決める」と言い放った時、エボシに大いに笑われていたシーンがあります。それは、エボシが現実主義者(リアリスト)であり、タタラ場を守るために山のもののけたちを脅かさなくてはいけないという、事情が単純ではないことを理解しており、そんな彼女にしてみれば、単純な正義心で物事を見定めようとするアシタカなど、滑稽な存在そのものだったからです。
その一方で、エボシの出現はサンの位置づけを根本的に変えました。元々サンは山の神(この場合はモロの君)へ生贄として捧げられたものです。その原因は、おそらく人間による森林破壊かもしれません。モロは、破壊の許可を求めるために赤子をよこした人間のエゴを蔑んだことでしょう。しかし、にも関わらず、モロはサンに二足歩行と人語を教え、衣服・靴・装飾品を与え(作らせ)、入れ墨まで施しています。これは何故でしょうか。
モロはサンを人間として育てたとしか思えません。ただし、憎き敵の現世の人間文化を与えず、自然との共生関係を保っていた縄文人の太古の文化を与えたのです。サンの呪術的な土面や装束、食物・習俗などは、全て縄文文化めいているのはそのためです。これはかつて神は縄文人との".共生"を認めていた証なのです。つまりサンとアシタカの出会いは、北方と南方の縄文人の末裔同士の出会いでもあったです。しかし一方でエボシが現れ人々が山の神に対抗しうる力を持ったことで、人々は神の力の前にただひれ伏す存在ではなくなりました。それによりサンは宙ぶらりんの立場に追い込まれ、人でも神でもない、「もののけ」として生きざるをえなくなったのです。
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人間がライダーに勝てないケースを改めて認識しましたね。
人智を超越した力を人に振るうとここまで恐怖を感じるのですね〜
それを我が魔王が平然とやるから余計に怖さがw
そしてゲイツたちがもののけ姫や山犬に接触!
戦力としては歴然かと思いますがどうなるやら...
返信:コッコリリン 2020年08月16日(日) 11:15
コメントありがとうございます。
そりゃー室町時代の人からしたらライダーなんて化け物ですよ化け物。けど我が魔王のことだから、命を奪おうとしてる相手に誰かを守るためなら変身するんじゃないかな、そんな印象。やっぱヤベーわ我が魔王。
山犬めっちゃ怖いけど動物虐待反対!
誠に勝手ながら、この小説に使えそうなもののけ姫の考察をまとめてきましたが、こちらに記載させて頂いても宜しいでしょうか?
返信:コッコリリン 2020年08月16日(日) 11:20
コメントもといご提案ありがとうございます。
全てを使うかどうかはまだ未定ですが、メッセージで送っていただけたらありがたいです。
マジすか、一気の読んだけどすごく楽しみですね!
そして一言待ってましたよーーー!!!
返信:コッコリリン 2020年07月24日(金) 00:58
コメントありがとうございます。
お待たせしました。今後ものんびりと、とりあえず期待に添えるような感じで頑張っていってけっ躓かないように気を付けたりしていきます。よろしくお願いします。
☆シシ神
生命の授与と奪取を行う山の神。夜そのもので、神の中では下級に位置します(だとしたら日本神話の神々はとてつも無い存在でしょう)。新月の時に生まれ、月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返しており、逆に言えば「光満る満月に死ぬ」という意味か。とすれば、闇多き森(つまり原生林)にしか生まれない神とも解釈出来ます。その首に不老不死の力があると信じられています。
シシ神は人間との抗争には超然たる傍観者です。自ら攻撃に出ることはなく、首を狙ったエボシの銃に芽を吹かせる程度です。しかし、首を刈られた後のディダラボッチは、天を覆う巨大な闇となってドロドロの塊を振りまき、森を破壊しながら首を求めてタタラ場に迫ります。
アシタカとサンの活躍によって、首を返還されたディダラボッチは、朝陽を浴びて倒壊し、一陣の風と共に、砕けた破片が地下に浸透して一帯に緑が再生しますが、同じドロドロがシシ神の意志次第で、破壊も再生も生み出すのです。
しかし、もし人の手でシシ神に首を返還出来ず、自力で復活したとしたら、憎悪による破壊を続れて朝陽に果てたのか、あるいはタタラ場も原生林に覆われて、人間はこの地から追いやられてしまったかも知れません。アシタカとサンが命がけで尽くした礼儀が、シシ神の憎悪を消しタタラ場を救ったのです。アシタカの呪いが解けたことも、同様に解釈出来、シシ神は、共生の意志ある人間の行動を認めたのです。
(18行省略されています)
しかし一方では、朝陽を浴びて去勢されてしまったシシ神には、そもそも本来の力がなく原生林を蘇生するまでには至らなかった、という絶望的解釈も成り立ちます。タタラ場と禿山を覆った緑は、言わば牙を抜かれた自然であり、穏やかで明るい「里山」でしかないのです。
神を殺して得た里山を「人間と自然の共生の象徴」と理解するのは簡単であるが、事はそんなに単純ではありません。構造的には人間側に森の主導権が移ってしまったのですから。原住生物たちにとっては「シシ神の死んだ」森で、君臨する神としてでなく、狩られる獣=もののけとして暮らさねばならないのです。しかし、アシタカは、それでも「共に生きよう」と訴えます。それは、互いに礼を尽くし、生かし生かされる構造を保つという生命平等主義の立場であり、それは余りにも厳しく困難な共生への道なのです。
☆山犬一族
古来、山犬または狼を土地神として祀る風習は日本各地にありました。田畑を荒らす害獣を退治する智恵ある獣として慕われた反面、人間を襲う凶暴な獣として恐れられてもいました。西欧童話の狼が間抜けな悪役であるのに比して、日本では狼を高貴な神とする伝承が多くあります。アイヌ民族では、「狩する神(ホロケウカムイ)」、「吠える神(ウォセカムイ)」、「鹿を獲る神(ユクコイキカムイ)」と呼ばれ崇められており、また、イオマンテ(ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す儀式)の対象にされました。
猪や鹿を獲物として来た山犬が、作中のように猪一族とは天敵どうしなので険悪な関係なのは当然なのですが、モロの君とは旧知の間柄で良い仲でした。しかし、それでも百年ほど前に袂を分かちましたが。モロいわく、「少しは話の分かるやつ」。
☆猪一族・タタリ神
猪神の信仰は、鎮西(九州)で盛んです。
乙事主が、エボシ・ジコ連合に対し、出雲・鎮西連合の猪族を率いて「猪突猛進」の特攻を敢行するが、この特攻に際し、猪たちの群は泥水に浸かって体をくねらせ、互いの体に泥の白丸を描いています。これは、沖縄・宮古島の島尻部落に伝わる祭を原典としたものと思われ、ここでは神聖な泥水に浸かった男が、里に降りて幸福をもたらすと言われています。その泥水を「ニタ(ニッジャ)」と呼ぶ。ニタとは、古来、猪が虱を取るために浸かる(「ニタをうつ」と言う)場所を指す言葉である。つまり、あの白丸は、神がかりの特攻のための隈取り化粧なのです。
ナゴの守や乙事主のタタリ神化とは、神が卑しい人間によって強制的に殺される立場に転落したことに対して抱く、やり場のない憎悪と恐怖が生み出す現象と解釈できます。これは、人間が神をも殺戮出来る兵器を開発し、神の支配を覆す時代となったことに対する神の逆襲ですが、高貴な心を捨てて凶悪かつ醜悪な破壊神と化したその姿はあまりに悲惨です。
☆ 猩々
かつては森の賢者と呼ばれていましたが、森を奪った人間を怨んでいます。猿神は、日吉神などの太陽神の使者とされるサルの化身で、猿神には太陽神としての側面もありますが、「日吉」の表記が太陽に通じ、サルが日の出とともに騒ぎ出す性質があるために、サルと太陽が関連づけられたとする説が唱えられ、サルに太陽を抑える役目が与えられたものといわれています。しかし人々の多くが農耕生活から離れ、日の出と日の入りを生活基盤とする習慣も少なくなるにつれ、太陽神としての猿神の性格は薄れていったようで、動物神としての性格を失った後の猿神は、人間から軽侮される傾向にあり、いつしか、人間に悪さをする妖怪としての側面ができていきました。それでも中世から近世にかけて流行した山王信仰においてもサルは神の使いとしての役割を担っており、山の神としても尊ばれました。このように天界と地上を媒介する猿神の性質は、外部からの侵入を排除して村内を守る村落の神仏の信仰、特に庚申信仰、塞の神、地蔵信仰とも結びつきました。中でも庚申信仰では庚申待の習俗が始まって以降、「申」がサルに通じることから、庚申塔に「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が掘られることが広く行われるようになりました。また、『絵本太閤記』によれば、豊臣秀吉の母が男子を授かるよう日吉神に願ったところ、懐中に太陽が入る夢を見て秀吉を身ごもったとあり、秀吉がサルとあだ名されたことは近江の日吉信仰や猿神信仰に関係しているとの説もあります。
元々猩々とは、古代中国の伝説上の怪物で、大型の類人猿であり、学術的にはオラン・ウータンを示します。日本にも古くから猩々の伝説があり、それによれば「全身赤毛で、人語を解し、酒が大好き」とのこと。能にも「猩々」という演題があり、酒酔いを示す赤い面をつけて踊り、また、猩々の血で染めた「猩々緋」と呼ばれる赤い染物もありました。
ちなみに、「ショウジョウバエ」の語源は、「猩々のように酒に群がる蝿」の意味です。
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☆天朝
天朝とは(天皇)の大和朝廷を指します。南北朝の戦乱を経た室町時代において、朝廷の権威は衰退していたものの、職人たちの特権(自由通行権・免田給付など)を認めた「供御人制度」は健在でした。額面通りには、天朝の威光を借りることは、他者の侵略を退けることにもなるのです。
天朝はジコ坊を通じてエボシ御前に密書を届けるますが、直接登場はせず、書面の内容も不明です。察するに密書は「シシ神の首を刈ったならば、タタラ場の自治的経営権を認める」という類のものではないでしょうか。シシ神退治の計画は、単に「不老不死の力を得る」というまじない的意味だけでなく、台頭しつつあった戦国大名たちに朝廷の権威を知らしめるため、あるいは新兵器「石火矢」の威力誇示のためにも必要であったと考えられる。朝廷にとっては死活を賭けた一大計画であったのかも知れません。因みに、当時の天皇はおそらく、第103代後土御門天皇です。
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☆師匠連・唐傘衆・地走り
朝廷と主従関係にある事以外、謎に包まれている組織「師匠連」。ジコ坊はこの一員でありますが、僧侶らしい布教活動や修行とは無縁の術策士といった風貌です。配下に「唐傘」と呼ばれる戦闘指揮官、砲術士「石火矢衆」などの特殊部隊を従え、狩人や「ジバシリ」と呼ばれる山の民なども動員出来るネットワークを持ち、「シシ神退治」に於けるタタラ場の指揮を任されています。
唐傘連は、ジコ坊と同じ赤白の着物及び頭巾の僧体といういでたちで、常に巨大な唐傘をたずさえ、暗器や煙玉など忍者のような技を使います。唐傘は柄と笠を分離する事ができ、柄は長い吹き矢となって毒針を撃ち込みます。ジコ坊の指揮下で、シシ神の首を狙って暗躍し、目的のためには手段を選びません。
地走りは、ジコ坊に雇われた通常の狩人よりも山野の知識に長けた者達で、もののけに人と見破られないよう獣の生皮を被ったり、その血を顔に塗るなど、特殊な術を使います。その異相ぶりからタタラ場の人間達にも気味悪がられていましたが、シシ神への偵察中にシシ神の姿を見ると目がくらむなどと怯えジコ坊にたしなめられた者がいるなど山の民として神を恐れる傾向が強いです。
その実体を単純に推察すれば、忍者の様な傭兵組織(史実の忍者の実態は傭兵で、伊賀や甲賀の人々もかつてはそれで生計を立てていました。)か、「石火矢」を日本に持ち込んだ中国(明)か朝鮮の渡来人と思われます。深読みすれば、古代日本に製鉄技術を持ち込んだ渡来人(「韓鍛冶」)の末裔とも、朝廷に新型兵器の売り込みをアピールする「死の商人」とも、さらには朝廷をも闇で支配しようと画策していた陰謀集団とも考えられます。彼らの当面の目的も、「シシ神退治」の見返りとして、朝廷からエボシタタラの独占経営―兵器工場としての機能確保を任されることにあったのではないでしょうか。
☆地侍・アサノ公方
アサノ公方は、おそらく下克上の成り上がり大名か、悪党の親玉侍であり、統率の取れない地侍たちを集めて仮の勢力を築いていると思われます。地侍はアサノ軍とは直接関係はないが、アサノに唆されてタタラ場の鉄を狙い攻撃を仕掛ける噛ませ犬にされ、エボシ率いる石火矢衆に大敗します。武器の源たるエボシタタラの経営権と鉄の貢納を狙っており、度々侵攻を試みているが、石火矢の威力の前に撃退されています。・アサノ公方配下の武者達が完全武装で統率の取れた攻撃を仕掛けるのに対し、地侍は鎧のみを身につけた軽装備の雑兵などがほとんどを占めています。その新兵器強奪への渇望もあってか、使者を追い返された事に激怒し、エボシ御前と男衆の留守を狙って一斉攻撃を仕掛け報復と金になる鉄を奪取します。
しかし、これは「シシ神退治」の情報漏洩抜きには考えられないタイミングの攻撃であり、タタラ場の徹底した監視体制を敷いていたか、アサノと大和朝廷、乃至は師匠連が密通していた可能性が考えられるのです。つまり両者共謀の上、シシ神退治とエボシタタラ強奪を同時進行させる作戦だったのではないでしょうか。そう考えると、アサノ軍がシシ神退治に無関心であることも納得できます。
各勢力が各々の野望に燃えて一時的な共闘・共謀を行うものの、やがて「昨日の味方が今日の敵」という泥沼的抗争へと至る。まさに血で血を購う戦国時代であります。
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