生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『ホオヅキ、キミは良かったのかい?』

『んんー……アチキはぁ、あの二人は眩し過ぎるさネ』

『行けば良かっただろ』

『無理さネ。アチキは弱虫だし』

『……はん、ばかばかしい』

『良いさネ。アチキはアチキで後で思う存分、別れの挨拶をするさネ。今は、ヒヅチ達の時間さネ』


『別れの言葉』

 雑多な商品が棚に納められた店内。

 ぼんやりと棚に収められた物品を眺める猫人の少女が尻尾を揺らしながら、ぽつりとつぶやきを零す。

 

「平和だなぁ~」

 

 【恵比寿・ファミリア】の店舗の内の一つ。

 邪神の策略によって輸送船団が悉く破壊されつくし、何も入っていない空っぽの棚が目立っていた商品棚には、いまや溢れんばかりの商品が並んでいる。

 食料品に日用雑貨品。そのほか、オラリオにおける違法品以外ならなんでも手に入る汎用雑貨店。恵比寿商店の一角に腰掛ける灰色の毛並みに虹彩異色(オッドアイ)の少女。焦点は何処かずれており、ふとした瞬間に小首をかしげては店内を見回す。

 店先から覗く大通りを駆け回る神々を見た少女、モール・フェーレースは欠伸をしながら目を擦り、小さく呟いた。

 

「あー、あの狐人の……ヒヅチだったかな。彼女関連がまだ荒れてるんだっけ?」

 

 駆けずり回る神々の目的を察した少女は小さく伸びをし、畳が敷かれた小さな台の上に寝転がって枕代わりに近くに置いてあった紙束に頭を乗せ、紙束の最も上にあった紙面を流し読み、溜息を零した。

 

「そっかぁ、ボクって世間的には死んじゃってるのかぁ。まぁちょっと発狂してたしなぁ」

 

 枕代わりにした紙面に書かれた見出し。【トート・ファミリア】が発行する神様新聞にでかでかと書かれた見出しの一文。

 

『古代の英雄の生き残り。オラリオへ』

『【恵比寿・ファミリア】の招き猫、片割れのモール・フェーレース死亡!?』

『【ロキ・ファミリア】の【生命の唄(ビースト・ロア)】、第一級(レベル5)冒険者に』

 

 記載された複数の見出しを見つめ、モールは静かに目を閉じた。店子兼バイトの少女が気遣う様に覗き込んで来たのを小さく手を振って追い払う。

 

「ボクの事は気にしないで良いよ。お客が来たらたのむよー」

「あっ、はい」

 

 店子の少女がせっせと忙し気に店内の棚に商品を詰め込んでいく。

 つい一週間ほど前、とある邪神の二柱が天界へと送還される事になった。

 彼ら二人は、互いが互いを憎み合いながらも、息の合った行動でオラリオに不利益ばかりを被らせ、つい最近までオラリオを壊滅させかねない被害を出していたのだ。

 その二柱が天界へと送還されて以降、ここオラリオでは平穏な日常が取り戻されつつある。

 彼女、モールもそんな平穏な日常に溺れそうになっている一人であり、つい昨日、正気を取り戻してこうやって店の一角で置物代わりに寝ているのである。

 長らく続いた狂乱騒ぎも終わり、日常を取り戻した【恵比寿・ファミリア】では連日入荷した商品を棚に並べる作業に追われている店子が目立つ。彼女らは騒ぎで家を失ったり、職を失ったりした者達の一部であり、危うく【イシュタル・ファミリア】の娼婦に堕ちる寸前で恵比寿が救った子達である。

 恵比寿曰く『娼婦を悪く言う積りはないけど、望まない娼婦はねぇ』とのこと。彼女らは恵比寿の胡散臭い笑みに何を見出したのか、恵比寿に惚れているらしいという事をモールは知っていた。

 だからといって別に嫉妬したりはしない。むしろ良くあんな恵比寿に惚れたなぁと感心しながらも必死に店の為に働く少女のお尻をぼんやりと眺め、自分の尻尾をちらりと見て溜息。

 

「うわぁ~……誰かのお尻を見るたびに尻尾の事思い出して凹む……」

 

 半ば程で千切れた尻尾。もっと色っぽい鉤尻尾だったはずなのに、肝心の先端が千切れ取れており、色っぽさ半減。顔立ちからして『幼い』等と評される事の多いモールからすれば、せっかくの大人っぽい色気のあった尻尾を失ったのは致命的過ぎる。結果として実年齢より低い扱いをされる事が増え、今年で二十を超えてなお、まだ子ども扱いされる事があるのだ。

 そんな自身の尻尾の先端を摘まんだ彼女が苛立たし気に耳を震わせる中、店子の少女が慌てたように棚を漁っている姿に気付き、モールが身を起こした。

 

「うみゅ……んん? お客さんかな?」

「あ、なんだ居たんだ。って、アンタ死んだって言われてなかったっけ?」

 

 モールよりも色の濃い灰色の髪を揺らした、どこか気の強そうな印象を抱かせるヒューマンの女性が起き上がったモールを見て驚きの表情を浮かべた。

 彼女は笑顔を浮かべつつ、やっぱ自分は死んだことになってるのかぁと内心溜息を零しながら立ち上がり。彼女を出迎えた。

 

「いらっしゃい、ファミリアの遣い? それとも個人かな?」

「個人よ、ちょっと雑貨品をね」

 

 店子が漁ってきた日用雑貨品を確認し、欲しい物を示して袋詰めしてもらっている女性。灰色の短髪を揺らすグレース・クラウトスの姿を見つつも、モールは小首を傾げつつ問いかけた。

 

「ロキの所はどうなの? ウチは結構忙しいけど」

「んー? あー……ヒヅチ・ハバリって居たじゃない? カエデの師匠の、あれを派閥で引き取ったみたいなんだけどどうもねぇ」

 

 【クトゥグア・ファミリア】の眷属として、『神殺し』を掲げた軍団を率いてオラリオに攻め入った罪人として捕らえられたヒヅチ・ハバリ。

 元は古代の英雄の一人であり、数多の禁忌ともいえる技法を収めた狐人の戦士。自らの命すら削り取る様な異常な戦闘方法をとる事で第二級(レベル3)でありながら最強(レベル7)を沈めて見せた偉業を成した人物。

 彼女は現在【ロキ・ファミリア】の派閥に改宗(コンバージョン)して、神ロキのもとで過ごしている。

 様々な派閥からロキのもとへ文句が溢れ返ったが、ロキはそれを一蹴。そも【クトゥグア・ファミリア】の企みを阻むことに成功したのはロキの眷属による功績である。序に言えば邪神ナイアルの方も彼女の眷属によってあぶりだされたおかげで、神ウラノスによる天界への送還が成功したのだ。

 つまりは此度の大騒動の終息は【ロキ・ファミリア】の多大な功績によるものである。

 その功績を理由に、今回の主犯格────ヒヅチを勝ち取ったのだ。

 主犯とはいえ、彼女自身の落ち度は彼らに捕まり、操り人形にされていた以上の事は無い。彼女が数多の村や町、そして【恵比寿・ファミリア】の飛行船を撃墜し続けてきた罪については、操られていただけという理由で無効となっている。

 とはいえ本人自身はその罪は己が身にあると言い張っているモノの、それらは神々によって一蹴されている。

 結果、彼女は最終的に【ロキ・ファミリア】の眷属として神ロキに引き取られる事となった。

 

「ふぅん、それで?」

「あー……カエデがランクアップして第一級冒険者になったでしょ? で、もう冒険する必要ないやーってなってからぐーたらし始めて……」

 

 カエデがオラリオに来た目的は『神の恩恵(ファルナ)を得て、器の昇格(ランクアップ)によって短すぎる寿命を延ばす事』である。

 第一級冒険者になって一週間。今までは休んだ方が良いという忠告を無視する勢いで努力を積み上げていたカエデは、反動からか全く動かなくなってしまった。

 正確にいうなれば、自分から何かしようとはしなくなったというべきか。

 

「……うん? ちょっと話が見えないかも。ヒヅチ・ハバリを引き取って、カエデちゃんが引きこもりになったって事?」

 

 カエデ・ハバリが引きこもりになった。理由はこれ以上の器の昇格(ランクアップ)が必要ないから。

 それとヒヅチ・ハバリに何の因果関係があるというのか。モールのその質問にグレースが溜息を零した。

 

「あの、ヒヅチって人さぁ……カエデに甘いのよ……カエデがやりたくない事は全部自分が肩代わりして……」

「えぇっと……カエデちゃんの引きこもりが加速してると?」

 

 正確に言えば異なるが、ほぼ正解を言い当てたモールにグレースが頷いて深い溜息を零した。

 今まで努力に努力を重ね続けた反動が今この場に出ているだけであり、カエデは悪い事をしている訳ではない。それこそ、カエデはいまだに幼い子供でしかないのだ。ヒヅチが甘やかすのも当然であるが。

 

「んー……問題ないんじゃないかな? カエデちゃんがどういう状態か知らないけど、あの子って自制が効く方でしょ? キミと違って」

「……喧嘩売ってる? まあ、カエデは動かないっていうよりは何したら良いのかわからなくなってるだけみたいなんだけどねぇ」

 

 昨日は日がな一日、庭園の一角の長椅子に腰掛けてぼんやりと日差しを浴びていたし。その前は食堂の一角で一日中野菜スティックを齧り続けていたりと、どこか壊れたというよりは、疲れを癒すにしても極端過ぎる行動が目立つ。それでいてカエデの身の回りの世話はヒヅチがそれとなく焼いているため、彼女のやる事はほぼ無いに等しい。

 

「というか、ヒヅチ・ハバリはもう馴染んでいるのかい? そっちの方が驚きというか、なんというか」

「あぁ……馴染んだ訳じゃないわよ?」

 

 【ロキ・ファミリア】の団員達にとってヒヅチ・ハバリは浮いた人物だ。

 古代の英雄の生き残り。最強を下す強者。超人めいた雰囲気を醸し出す人物。そんな者に親し気に話しかけられる者はほとんどいない。

 唯一というよりは、カエデが親し気に話すのと、空気を読まないペコラが話しかける程度。他には雑務で話しかける以外には特に交友がない。

 

「団長曰くだけど、人と会話するのが苦手らしいわ」

「へぇ……割と口数の多い方だと思ってたんだけどなぁ」

 

 何気ない雑談を繰り広げる中、店子の少女がようやく商品の袋詰めを終えたのかグレースに声をかける。

 それにこたえつつ、代金を支払ったグレースはモールの尻尾を見て呟く。

 

「あんたの尻尾って、そんなに短かったっけ?」

「……聞かないでくれないかな」

 

 狂気を患っているさ中に自分で噛み千切りました。なんて素直に口にする訳もなく、モールは不貞腐れた様に返す。それを見て首を傾げたグレースは小さく店子の少女に礼を言ってから、手を振って店を出て行く。

 

「それじゃ、アタシは帰るわ」

「ん、じゃあねー。またのご来店をお待ちしていますー」

「ありがとうございましたっ」

 

 灰色の短髪を揺らして袋片手に出て行ったグレースを見送り、モールは小さく吐息を零して天井を見上げた。

 

「はぁ、無気力ねぇ」

 

 頑張り過ぎた反動で無気力気味になっているらしいカエデ・ハバリ。

 彼女同様に無気力になってしまった自らの主神を思い浮かべたモールは小さく溜息を零した。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】本拠、カエデ・ハバリはぼんやりとヒヅチと共に談話室のソファーに腰掛けていた。

 時折、団員が通りかかっては驚きの表情を浮かべて足早に去っていく姿を見送っては、ヒヅチが本を捲る音だけが響く談話室でぼんやりとしている。

 余りにも平穏過ぎる日々。つい一週間ほど前にあった血みどろの戦場が嘘の様に、平穏が戻ってきた。

 無論、オラリオから真東に向かえば、未だに残る戦場の爪痕が残っている事だろう。けれどもオラリオの街中はまるで何事もなかったかの様な平穏さを取り戻しつつある。

 本を捲る音が響く中、ヒヅチは特に何か言うでもなく、カエデも何か言葉を放つでもなく寄り添うというよりはぴったりと身を寄せ合って過ごしていた。

 鬱陶しそうに引き剥がすでもなく、傍に居るカエデを邪険に扱う訳でもなく。けれども傍に居る事を一切意識していない様なヒヅチの振る舞い。

 対するカエデもヒヅチに意識されていない事を気にするでもなく、傍に寄り添う様に過ごすのみ。

 その光景は何処か歪で、それでいてパズルの欠片がぴったりと嵌ったかのような調和のとれた光景であった。

 何をするでもない、ただ無為に過ぎ行く時間を眺める。

 きっと、今までの自分なら決してこんな事はしなかっただろう。そう確信しながらもカエデはヒヅチの尻尾に顔を埋めて呟く。

 

「暇です」

「……ふむ、そうじゃな」

 

 暇だ。そんな感情を抱いたのは初めてだった。

 今まではずっと何かに背を追われ続けて焦ってばかりいた気がするのに。第一級(レベル5)に至って十二分とまではいかずとも、普通の人と同じだけの寿命を手にして、その上で母として、師として慕い続けてきたヒヅチと共に過ごせるようになった。

 本来なら、もっと神々との諍いすら想定して身構えていたカエデに対して、ロキは簡単にヒヅチ・ハバリの身柄を奪い取って、なおかつほかの神々を黙らせてみせた。結果としてカエデが身構えていたのは無駄に終わり、こうやって無作為に過ぎていく時間を過ごす事になっている。

 不満がある訳ではない、ただ、何をしたら良いのかわからないのだ。

 寿命を手に入れたら、やりたい事が数え切れないぐらいあった気がするし、夢見ていた事が叶ったのだ。さぁ何をしようかと考えてみたところで、カエデはふと自分が何をしたいのかわからなくなっている事に気付いた。

 

 短すぎる寿命をどうにかしたい。どうにかしたら、やりたい事がいっぱいある。ヒヅチを取り戻したい。会いたい。

 

 短すぎる寿命の問題は解決した。

 何をしたいのかわからなくなってぼんやりする事が増えた。

 ヒヅチを取り戻して、会話を交わして……やりたい事がいっぱい、あったはずだ。

 

「……何をしたら、良いんでしょうか」

「それをワシに聞くのか?」

 

 久々に会えて、話したい事がいっぱい、数え切れないぐらいあったはずだ。そうであるはずなのに、いざヒヅチと時間を共にしてみると、これが何を話していいのかさっぱりわからなくなる。

 いざ有り余る時間を与えられて、やりたい事がわからなくなって、ヒヅチとの会話もろくにできていない。

 グレースが『何か欲しい物ある?』と聞いてきたのはなんとなく覚えてる。今朝の出来事だったはずだと思い浮かべたカエデがふと時計を見れば、すでに二時を過ぎ、もうすぐおやつの時間だと気付いて吐息を零し、ヒヅチの尻尾を抱きしめてぐりぐりと鼻を押し当てる。むず痒い感触にヒヅチが眉を顰め、本の頁を捲る音が乱れる。

 ヒヅチの方から何かを語る事はない。聞かれた事は答えるのに、聞かなければ何も口にしない。

 カエデが求めれば、今のヒヅチは何でも教えてくれる。けれども聞く気になれなかった。

 村での出来事、カエデが産まれた日の事、ツツジ・シャクヤクの事、キキョウ・シャクヤクの事、様々な事を聞きたいと願い。ずっと待ち侘びた機会がやってきて、けれども聞く気になれなくなって何もできなくなった。

 

「ヒヅチ」

「なんじゃ」

「……なんでもない」

「そうか」

 

 ヒヅチが【ロキ・ファミリア】にやってきてから、すでに五日が経過している。

 彼の邪神が企てたオラリオ転覆を狙った恐ろしい一連の出来事。邪神の天界への送還を以てして終わりを迎えた。その一連の流れの中で、様々な経験をしたカエデは、ナイアル送還を見届けた直後に昏倒。

 今までの疲労が蓄積されていたのか、綺麗に気絶して倒れ────三日ほど眠っていた。

 その間に全ての出来事はロキの手によって終息しており、気が付けばヒヅチが眠っていたカエデの傍で本を読んでいた。

 聞きたい事、言いたい事、語り合いたい事、やりたい事。すべてが滅茶苦茶で、混ざり合って、何をすればいいのかわからない。

 

「ヒヅチ」

「なんじゃ?」

「…………」

「どうした?」

 

 名前を呼べば、即座に返事が返ってくる。今までずっと離れていた分、こうやって返事が返ってくる事に若干の違和感を感じとり。ヒヅチの尻尾をぎゅーっと抱き締める。ヒヅチが身を震わせカエデの耳を摘まんで呟く。

 

「あまり強く抱くな、痛い」

「……うん」

 

 力を緩めれば、ヒヅチは摘まんでいたカエデの耳を手放し、本の頁をめくっていく。

 何をしたいのか、グルグルとここ数日頭の中で転がし続けた悩みを再度自身に問いかけながらも、カエデは何気なくヒヅチに質問を投げかけた。

 

「何を読んでるの?」

「ふむ? あぁ、ワシに関する伝承じゃな。とはいえ殆ど情報が無いな。まぁ狐人の都なんぞ辺鄙な所に作られた代物じゃし。それに秘密主義じゃからなぁ」

 

 自分たちの種族について他種族に一切もらす事のない秘密主義。

 最終的に他種族全てを滅ぼして狐人による、狐人の為だけの世界を作り出すと目標を立てていた愚かな種族。

 今では散り散りになり、極わずかな小さな集団(コミュニティ)が残っているか、極東に降り立った神に下り、庇護下に入っているかのいずれかだ。

 大国を築いた狐人達の首都とも呼べる国は、ヒヅチの手によって滅び去っている。その国についても、行き過ぎた隠蔽によってほとんど情報が残っていない。

 ヒヅチの記憶にある国は、豪華絢爛な美しい街並みの姿と、その裏に潜む見るも悍ましい生き残る為に生み出された残虐な人の禁忌に触れる技術についてがある。しかし、すり減った記憶に残っているのは霧がかった様に薄れており、どんな国だったのかが思い出せなくなりつつあった。

 

「故に、故郷を思って本を調べていたのだがなぁ」

 

 ぱたりと本を閉じ、天井をぼんやりと見上げたヒヅチは小さく零した。

 

「随分と、遠くまで来てしまったようじゃなぁ」

 

 どこか遠くを見つめて呟かれた言葉は、きっとここではない何処かを見ている。近くに居るのに、遠くに居る。ヒヅチの心は、どこか遠くを見たまま、カエデを見てはいない。それを見て、カエデはようやく気付いた。

 やっとの思いで目標を達した。ヒヅチと再会した。なのに何かがズレてて思った通りとは違う。ずっと、ここ数日間考え続けていた何かを見つけた。

 出会えたのに、ヒヅチは此処に居ない。こうやって尻尾を抱きしめていても、ヒヅチの心は此処ではない何処かにある。だから語らい合いたいと思っても、出来なかった。

 わかった、ヒヅチをここに連れ戻せば、それで良いのだと。けれども、カエデはどうすれば彼女の心をここに向けられるのかがわからなかった。

 ヒヅチの尻尾を手放し、ソファーから身を起こす。どうしようかと周囲を見回したところで、扉が開け放たれる音が談話室に響き渡った。

 

「カエデたーん」

「ふぅぅうううううっ」

 

 途端に鼻につく酒の香り。カエデが驚きの表情を浮かべる中、顔が真っ赤になったロキとホオヅキが肩を組みあって飛び込んで来た。

 

「遊びにいこうやぁ」

「アチキ達と良い所に行こうさネ!」

 

 真昼間から酒盛りをしていたらしいロキとホオヅキ。【ロキ・ファミリア】に世話になりだしてからホオヅキは毎日の様にロキと酒盛りを繰り返していたのは知っていたが、ここまで酷いとは思わずにカエデも流石に面食らう。

 酒臭い二人がじりじりと距離を詰めてくるのを見て、尻尾を立てて徐々に後退していくカエデ。ヒヅチの事より先に彼女らをどうにかしなくてはと身構え────間にヒヅチが立ちふさがった。

 

「ヒヅチ?」

「ふむ……神ロキ、少し頼みがあるのだが」

 

 静かに、けれど確かに呟かれたヒヅチの言葉にロキが動きを止め。ホオヅキが目を真ん丸に見開いて大袈裟に驚きの表情を浮かべた。

 

「ヒヅチの頼み事さネ!?」

「おぉう、いきなりやな」

 

 【ロキ・ファミリア】に入ってから何をするでもなく過ぎるまま、流されるままだった彼女が初めて自分から動いた。その事に驚きを隠しもしないロキにホオヅキ。

 カエデは元々わがままという程ではないにせよ優先する事の為に色々と無茶をしでかし、ホオヅキは酒ばかり飲んで働きやしない。対してヒヅチは何をするでもない置物状態。

 そんなヒヅチの初めてともいえる頼み。ロキが頬を叩いて酔いを醒ましながらもヒヅチを見据えた。

 

「おう、頼みは何や」

「……墓参りがしたい」

「…………墓参りさネ?」

 

 ヒヅチは遠くを見つめ、微笑みを零すとカエデを見据えた。

 あっていなかった焦点が、しっかりとカエデに合った。どうしようか悩みだした途端に、ヒヅチはカエデをしっかりと見据え、口を開いた。

 

「しっかりと、別れの挨拶をせねばな……あ奴らに悪い。カエデも、出来るならば共に来て欲しい」

「……わかった」

 

 ヒヅチの頼みに、カエデはしっかりと頷きを返す。すでに行く気満々ともいえる二人に対し、ロキは酒臭い吐息を零して笑みを浮かべた。

 

「うっし、んで墓参りってどこまで行くん?」

「あぁ────『セオロの密林』までな」

 

 目的地を聞いた瞬間、ロキが頭を抱えて蹲る。

 ただでさえヒヅチを手に入れるので無茶をしたのだ。その結果としてしばらくの間大人しくしていろとギルドから色々と注文を付けられた。

 その中にはヒヅチ・ハバリをオラリオの外に出す事を禁止するものまであるのだ。頼み事が真っ先にその禁止事項に引っかかった事にロキが頭を抱え────顔を上げて叫んだ。

 

「任せるんやっ、ウチがなんとかしたるっ」

 

 突然の叫びに驚きつつも、カエデは小さくうなずいた。

 

 

 

 

 

 密林の中に密かに存在した『隠れ里』今となっては朽ち果てた家屋だったものが立ち並ぶ、廃村。

 灰色の短髪を揺らすグレースは物珍し気に廃村を眺め、ぽつりとつぶやいた。

 

「ここがカエデの故郷ね……」

「アタシの故郷でもあるな」

 

 自らも過ごした故郷と呼べる村が廃村になっていた経験を持つグレースの気まずげな一言に対し、黒い毛並みを持つ狼人の少女が答える。

 ヒイラギ・シャクヤク、カエデの妹である彼女は【ヘファイストス・ファミリア】へと入団して新米鍛冶師として修業を始めたばかりであった。今回の故郷訪問に積極的に参加を申し出て────ヘファイストスの許可を待たずに勝手に同行してきたのだ。

 ヒイラギの言葉に、真っ白い尻尾を揺らすカエデは事もなさげに頷いた。

 

「そうなりますね」

 

 滅び去った事を一切気にしていないカエデの様子にグレースが眉を顰め、溜息。

 

「それにしても、ロキも唐突よね。いきなりカエデの故郷に行くから人選をーって」

「はい、ヒヅチが行きたいって言ったので」

 

 セオロの密林の内部、滅び去ったカエデの故郷である『黒毛の狼人の隠れ里』。

 既に滅び去ったその里に訪れたのは、ヒヅチ・ハバリとカエデ・ハバリ、そしてグレース・クラウトスの三名のみ。本来ならホオヅキが来る場面であるにも拘わらず、彼女は頑なにこの村に足を踏み入れるのを拒んだ。

 密林の外に張られた【ロキ・ファミリア】の野営地にて、ラウルの首根っこを掴んで酒盛りをし始めたホオヅキを放っておいて、ヒヅチ、カエデ、そしてなぜかグレースの三人でこの村を訪れたのだ。

 グレースが足を運んだ理由は単純な興味だけだが、ヒヅチもカエデもそれを拒まなかった。

 野営地に待機しているベートやティオナ等は遠慮してついてこなかったのだが。

 

「ふぅん……って、ヒヅチさんは何をしてるの?」

「供養です」

「供養な、アタシは親父と母さんだけに挨拶すりゃ十分だと思うけどな」

 

 そこらに何かを投げかけ、小さく呟きを零し。別れの挨拶を零すヒヅチを追いかけながら、三人で言葉を交わす。

 

「極東式って奴かしらね、さっぱりわかんないわ」

「古臭くてわるかったな……と、カエデ、ヒイラギそろそろ行くぞ」

 

 唐突に振り返ったヒヅチは、そのままカエデに声をかけると村の外れに足を向けて歩み出した。

 それを見ていたグレースが首を傾げる中、カエデは小さく息を呑み、そのあとに続く。

 カエデの記憶が正しければ、ヒヅチが足を向けたのは墓地だったはずだからだ。

 ヒイラギは特に何を言うでもなく、荒れ果てた隠れ里をちらりと眺めてからヒヅチを追いかけて行ってしまった。

 

「行かないの?」

「……行きます」

 

 足を止めたカエデにグレースが問いかければ、カエデは小さくうなずいてヒヅチの後を追った。

 

 暫く歩いた先、村はずれとも呼べる墓地。数多くの墓石代わりの石が立ち並ぶ中、グレースは墓地の入口でカエデとヒヅチを見送って墓地に入る事を拒んだ。

 拒んだ、というよりは入り辛かったというのが本音だろう。入口からも見える墓石のいくつかが砕かれ、荒れ果てている。オラリオの共同墓地と違い、管理人の居ないこの場所は、荒れ放題だ。

 その中のいくつかの墓石代わりに名の刻まれた大き目の石の周囲を綺麗に清めているカエデとヒヅチの背中を眺めていたグレースは、小さく溜息を零して目を背けた。

 

 立ち並ぶ墓石の内、キキョウと刻まれた石と、ツツジと刻まれた石。その周囲を清めたヒヅチとヒイラギが手を合わせる中、カエデだけは墓石をぼんやりと見つめたまま、何をするでもなく立ち尽くしていた。

 

「……ん? 姉ちゃんは祈らなくていいのか?」

「良いです」

 

 もっと早く、愛してると言ってくれれば。きっと愛を返す事ができた。それも過ぎた話で、カエデは既にツツジ・シャクヤクに刃を向けた後。だから祈る事はないとカエデが首を横に振れば、ヒヅチが肩を竦めた。

 

「たとえ嫌っていようが、お主の父じゃ。別れの挨拶ぐらいしてやってもバチは当たらんよ」

「────」

 

 ヒヅチに促され、カエデは小さく、墓石に向かってかけるべき言葉を探し、見つけられずに俯いた。

 ヒイラギが盛大に眉を顰め、カエデの代わりに前に出て墓石に向かって話しかけた。

 

「久しぶりだな親父、土の下ってどうなんだ? 寒いのか? アタシは、ヘファイストス様の眷属になったんだよ。親父と同じ鍛冶師志望さ」

 

 ニヤりと鋭い牙を剥き出しにする様な、ヒイラギの笑みにカエデが驚く横で、ヒヅチも明朗な声で語りだす。

 

「久しぶりだな、ツツジ、キキョウ。主らの子は見ての通り、片や破天荒気味に、片や奥床しく育って居る。良かったのう、主らの希望通りに育ったぞ」

「おい、破天荒ってアタシの事かよ」

「そうじゃが? 他に誰がおる? よもは自分が奥ゆかしい性格等とは言うまい?」

 

 ヒヅチの語り口にヒイラギがかみつき、文句を零す横で戸惑いの表情のカエデが二人を見て俯く。

 

「破天荒じゃねぇよ、ちょっとやんちゃなだけだ」

「自分でやんちゃ等と言うな……全く……それで、カエデは語る事はないのか?」

 

 問いかけに困惑の表情を浮かべたカエデに対し、ヒヅチが強引に背を押して墓の前にカエデを押し出した。

 戸惑う彼女の目の前には、簡素な石に名を刻まれたモノが鎮座しているだけの、墓と呼ぶにしては質素に過ぎる代物があった。

 片や、記憶の断片に僅かに存在する程度の、母親のモノ。片や、記憶に新しくとも死後に出会った父親のモノ。

 どちらも両親と呼ぶには縁遠過ぎる、見知らぬ他人にも等しい者達の墓だ。

 

「…………」

 

 もし、母親と会えたら。もし、父親と会えたら。いろいろな話をしてみたいと思った。いろいろな事をしたいとも願った。抱き締めて欲しくて、愛して欲しくて、けれどそれら全ては代わりにヒヅチに与えられた。

 母の愛を知らぬ。父の愛を知らぬ。けれどヒヅチの愛だけは知っている。彼らの愛は、知らない。

 だからかけるべき言葉を、カエデは持ち得ぬはずだ。

 密林の中にある村だからか、若干じっとりとした湿度の高い空気に満ちた墓地の中。いずれ密林に呑まれて消え失せてしまう墓場の一角。カエデは小さく、けれど確かに呟く様に、言葉を零した。

 

「───────」

 

 呟いた、その言葉を皮切りにし、次々に語るべき言葉が脳裏を過る。

 文句を零し、愚痴を呟き、怒りをぶつけ、悲しみを語り、嘆きの言葉をぶつけ。けれども確かな感謝を以て、カエデ・ハバリはもう一度、同じ言葉を繰り返した。

 

「───────」

 

 産んでくれてありがとう。自分は、此処まで成長した。

 これからも、歩むべき道を見つけ出し、手に入れて見せた。

 きっと大丈夫。何をするにしても、何を成すにしても。

 自分はなんにでもなれる。なんだって出来る。

 とても難しい事を成した。それだけの偉業を積み上げる事ができた。だから────

 

「ありがとう、それから……さよならです」

 

 きっと生きていける。




 一応、完結です。

 今まで読んでくれた方々、誠にありがとうございました。

 プロット通りとはいえ、尻すぼみ気味な終わりになってしまった気がします。
 正直申し上げますともっとこうすればよかったという部分は数多ありますが、そこらは今後の作品で活かしていこうかと思います。

 もしよければ、今までの感想等を頂ければなと思います。

 重ねてお礼申し上げます。応援してくれた方、評価をくれた方、感想をくれた方々、誠にありがとうございました。
 もし他作品を書く事になった際には、再度応援をしていただけたら幸いです。

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