東方素手喧嘩録   作:寄葉22O

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本当なら年末上げる予定でしたがくっそ間が開きました。年末どころか年度始めになりました。だが私は謝らない。





第25話

冷水をぶっかけられた程度で鎮火するような炎ではなかった。

乾きすぎた薪に秘められた熱は、幾ら水をかけたところで消し止めること叶わない。

餓えに餓えた二人の闘う者は、お互いの姿しか見えていない。

 

 

 

 

二人はゆっくりと歩み寄る。

 

そのまま抱き締め合うのではないかと思ってしまうような…そんな歩み寄り。

 

焦れるような歩みでも、間は数メートル。

すぐにお互いの睫毛すら視認できる距離に到る。

 

「………」

 

「………」

 

もう既に、射程圏内。

 

 

美鈴が、ゆっくりと手を出す。

 

 

「何はともあれ…まずは」

 

 

殴るためではない。

 

 

 

握手。

友好の儀式。

 

 

 

男もそれに倣い、その手を握る。

 

 

 

がっしりと手と手が繋がれると同時に、男の体がグルリと宙を舞った。

 

 

手首を固定し、肘を捕り、頭から投げ落とす。

 

 

腕を極め、間違いなく頭から叩きつける殺人技。

 

 

舞った刹那、ガコッと男の肩関節が外れ…いや、自ら関節の軛を外し拘束を解き、足から着地する。

 

 

 

 

「ああ!すみません!ちょっと力が入ってしまいました!」

 

 

 

謝罪。

 

 

 

つい今しがた殺人技を掛けた者の言葉とは思えない。

握手という友好の儀式を卑怯にも、卑劣にも、不意打ちの道具にしておいて。

 

 

しかしその言葉は本心であり、事実必死にペコペコと腰を折っていた。

 

 

「ははは…。いや、俺もちょっと足が出ちゃいましたし…おあいこじゃないですかね」

 

 

投げから脱するその瞬間。

 

勢いそのまま、鋭い健脚が美鈴の頭部目掛けて発射された。

美鈴は咄嗟に首を捻り、脚のミサイルを紙一重で避けた。数本の髪の毛が宙に舞う。

 

 

数瞬の出来事。

 

 

それをちょっと、と。致命的になりえる攻撃を繰り出し合っておいて、ちょっとの事だと二人は言い出した。

 

 

事実そうだった。

避けられる攻撃。追撃もない。

 

二人には、ちょっと、の事だった。

 

男は外した肩に手を添え、押し込む。

それだけでカツッという音と共に関節は元の場所にはまりこむ。

 

 

 

「それでは…」

 

「改めて…」

 

 

再び差し出される友好の手。

 

二人は迷うことなく手を繋ぐ。

 

 

 

「……あっ」

 

 

 

美鈴の短い言葉。

 

男がクッと手首を返すと、ストンと美鈴の脚から力が抜け膝が落ちる。

 

 

 

「おっと…」

 

 

 

なんの気もない呟き。小さな石に躓いたかのようなリアクション。本当にただ、美鈴の頭が蹴りやすい位置に来たから思わず出た蹴り。

跪く形になった美鈴の頸部に吸い込まれる様に男の下段蹴りが放たれる。

 

首を刈り取るが如く放たれた蹴りを美鈴はスッと右手で上方へ弾くと、左手で軸足を払う。

 

その勢いは凄まじく、ビュンビュンと音を立てて空中で何回転もした後に、男はきっちりと再度脚から着地した。

 

 

「はははっ…」

 

「ふふっ…」

 

 

武の応酬。

 

挨拶代わり…というより、完全な挨拶。

お互いが芳醇な武をもって挨拶している。

 

武に武が返ってくる。今までに類を見ない完成度を持ちながら。

 

これほどこの二人の挨拶に相応しいものはないだろう。

 

「驚きました!合気ですか!不思議な技ですね!」

 

「はい。それにしても美鈴さんも凄い。こんなに完成された中国武術は…師父以来だ」

 

「私なんてまだまだですよ!まだ四千年を踏んだばかりです!」

 

「流石ですよ。どうも俺は…移り気で」

 

「人の身で一体幾つの武を修めているのか…ワクワクします」

 

「期待に応えられるように頑張りますよ」

 

和やか。そう、穏やか。

嬉しくて堪らない。

 

自分が好き勝手にやっていい相手。

 

こんなに嬉しいことはない。

 

法外の信頼。撃てば響く無二の相手。

 

 

「それじゃあ…どうしましょう…?」

 

 

握手は済ませた。後は……

 

 

「これしか…ないっすよね……」

 

 

右手を軽く顔の前へ。左手は地に向けられ弛く垂らされている。両の手は開手にて脱力。

右足は前に投げ出され、左足はやや後ろ。腰を落とし爪先立ち。

 

 

美鈴はすぐに気がつく。型は太極拳。

 

 

しかし、その実は……

 

 

「中国武術で比べ合いですか?……負けませんよ?」

 

「分かってます…。だけど、貴女の歴史を……感じてみたい」

 

「……分かりました」

 

美鈴は左手は腰だめに。

右手を前に握り拳。特徴的なのは肘を曲げ、拳は天を向いている。

右足は側足で前に、左足は踵に重心を添える。

 

男はすぐに気がつく。型は八極拳。

 

 

しかし、その実は……

 

 

「……っ!」

 

 

美鈴が大きく踏み出す。

地面が縮むような奇妙な錯覚と共に、その紅い髪は既に目の前。

 

驚異的な瞬発力、体捌き。

妖怪の膂力と、武術の叡知が融合を果たす。

 

深く懐に飛び込んだ美鈴は速度を保ったままに、体ごと肘を出す。

 

 

 

 站ッ !!!

 

 

 

八極拳の最大の武器。肘。

 

 

裡門頂肘(りもんちょうちゅう)

 

 

単なる肘打ちではない。

 

 

卓越した筋肉は強靭な弓柄となり、

連動した肉体はしなやかな弦となり、

打ち出された肘は矢となる。

 

爆発的な速力をもって、相手を射抜く剛弓と合い成った。

 

 

 

二ノ打ち要らず、一つあれば事足りる。

 

 

 

八極拳の真髄がここに具現化していた。

 

 

 

 

 

 

 

だが、相対するは、人類最強。

 

 

肘を肘で受け、その力のベクトルを外にずらす。

 

受けた男の肘の皮膚は抉られたかのように剥け血が迸るが、骨の一本も与える事なく、二ノ打ちを強要した。

 

 

同時に足を踏み出し軸足を絡め取り、ヌルリと間合いを侵しソッと美鈴の喉を第一指間腔で押す。

 

ただの二本の指で気道と頸動脈を極め、相手の勢いが強ければ強いほどその拘束は威力を増す。

絡め取った足が後退を抑制し、そのまま後方に下がろうとすれば地面に叩き付けられるであろう。

 

 

絞め技と投げ技を両立させた妙技。

 

 

太極拳。

 

 

一般的なイメージならばゆったりとした立ち姿、スローな動き、おおよそ闘法とは思えぬようなおおらかさを感じる。

 

 

健康法?舞踊?

 

 

否、それは武術。

 

 

中国武術の歴史において、長い歴史の間に一般化され浸透された太極拳は、本来は敵を効率よく無力化させるための武術の集大成。柔よく剛を制するを体現する。

 

今は健康法であれ何であれ、その起源は武術であった。

 

 

 

 

 

完全に首を極められ、新たな呼吸が望めない。血流を望めない。

足は巧妙に絡め取られ可動域は僅か。

体のバランスは攻撃の為に前傾。

相手との距離はほぼゼロ。

 

 

迂闊な攻め筋を見事に返された。

 

 

相対しているのは間違いなく好敵手。

 

そこで打った下手。

 

ただ単に、瞬きする間に近づいて、人間であれば爆散してもおかしくない()()の攻撃をしただけ。

 

自らの好敵手であろう男には、間違いなく下手を打っている。

 

 

自身の力への傲り?

自身の武への慢心?

自らのステージ(中国武術)に安易に上がり込まれた怒り?

漸く現れた好敵手に無様に負けたいという破滅願望?

 

 

その何れもが違う。

 

 

この()()なら、必ず返してくるという、信頼。

 

 

どう返してくれるのか、見てみたかった。感じてみたかった。受けてみたかった。

 

 

 

 

相も変わらず、二人は信頼関係を築き合っていた。

 

 

 

 

 

男の技は、この場面で出来ることはないと言っても過言ではないくらいに完全に極っていた。

選ぶ事が出来るとすれば、抗い意識を飛ばすか、退いて地面と熱烈な抱擁をするのかを選ぶ位の筈であった。

 

 

 

だが、四千年の歴史は伊達ではない。

 

 

 

美鈴は自らに掛けられた技の本質を見抜き、最適解を肉体でもってして現す。

 

弾かれた肘を引き戻し、男に拳を密着させる。

 

 

打突は勢いがなければ攻撃にはならない。

 

 

正拳突きにしろ、崩拳にしろ、ジャブにしろ、ストレートにしろ。

テイクバック、走り寄る、体重をかける…。

あらゆる技術をもってして、助走をする。

 

 

そんな様々な、助走、があってこそ、打突に攻撃力が生まれる。速度がない打突に意味はない。距離のない打突に威力はないと。

 

 

 

 

 

 

 

そんなふうに考えていた時期が、男にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

己が完全に相手の主要部位を抑え、絞めるも投げるも自由、投げ倒した先には体格差を駆使したマウントポジション、或いはそのまま寝技でも選り取り見取り。

 

生殺与奪を手にしているというのに、この胸に当てられた拳一つに対して、激烈に嫌な予感。

 

まるで胸にS&W M500を突き付けられているような、あと数秒で胸に大穴を空けられるような、そんな予感。

 

 

緊急事態。

 

 

緊急事態…。

 

 

緊急事態……。

 

 

 

緊急事態に………

 

 

 

 

 

「覇ッッッッ!!!」

 

 

 

 

ズンッと美鈴の踏み締めた地面が陥没する。

相手に触れた状態。助走ゼロ。

そんな状態で打突する術が、中国武術の歴史にはあった。

 

 

 

 

寸勁。

 

 

 

 

別名1インチパンチ。日本のサブカルチャー的に言えば、発勁。

 

 

紅美鈴においては事実、気を扱う事が出来るがそれとはまた別。超能力や魔法なんて幻想(ファンタジー)ではない。

 

 

力は骨より発し、勁は筋より発する。

 

 

その言葉が表す様に、身体操作によって起こり得る純然な技術。

 

筋肉の張りと収縮を制御し、重心を操り、更には地の利を活かす。

ゼロ距離から筋肉の躍動と骨の持つ、力。それに加えて地殻を真っ直ぐに踏み締める。

 

身を震わすような僅かな可動を連動させ、地から足、足から腰、腰から胸部、胸部から腕、腕から手、手から相手へ付加に付加を重ねて実る衝撃。

 

 

 

その威力は如何程か。

 

 

 

成人男性より高い身長と、比べるのも烏滸がましいほどの筋密度を誇る男を、数m打ち上げていることでその威力を伺い知れる。

 

 

 

 

会心の一撃。

 

 

 

 

そのはずだ。

 

 

 

いや、そのはずだった。

 

 

 

 

美鈴は、その手応えに思わず笑みを溢した。

 

 

 

まるで宙に浮くティッシュペーパーにカミソリを振り下ろすような心もとなさ。

 

柳の葉を揺らす風のような手応えのなさ。

 

シャボン玉を思い切り振ったバットで捉えるような空虚さ。

 

 

 

消力(シャオリー)……っ!!」

 

 

 

歓喜の声を上げる美鈴。

 

 

中国武術で高級技と呼ばれる超絶技巧、消力(シャオリー)

 

 

闘いの最中、命の取り合いの最中。

己の全てを賭けるやり取りでは、自らの筋肉を総動員させることは酷く自然で、当然。

 

危険が迫ると、人間は硬直する。

 

不意に目の前に物が飛んできた時、一瞬であれ硬直してしまうのはもはや本能的な現象。

 

しかし、その硬直……身の強張りこそが、事態を悪化させる。

 

緊張を、堅さを伴うモノは、壊れ易いという事実。

柔軟な物、しなやかな物こそがあらゆる衝撃を緩和する緩衝材足り得る。

 

極限まで緩和された筋組織はまるでゴムのように衝撃を吸収し、極限まで軟化された関節はまるでアブソーバのように力を空気に受け流していく。

 

極限の脱力は無防備に受けた衝撃から、骨を、臓器を守る盾と成った。

 

 

 

 

緊急事態に……脱力を!

 

 

 

 

ともあれ、言うのは簡単であるが、その技巧の会得には一人間の生涯を賭け、血の滲む…いや、身が裂け血が迸り魂を削る様な鍛練の先にしかない。

 

ほんの一握りの達人、その中でも更に限られた人間にしか辿り着けないであろう領域。

中国武術四千年を踏んだ者にしか到れない極地。

 

美鈴が歓喜するのも、当然だ。

 

自分と同じ領域の武術家。

 

感覚では分かっていたが、事実こうして目の当たりにすると喜びが抑えられない。

 

 

 

「噴ッ  破ッッッッ!!!」

 

 

 

歓喜はそのまま期待へ変わり、宙に打ち上げられた男へ、美鈴が届けるのは追撃。無防備な男への苛烈な追い撃ち。

 

 

空を駈ける様な流麗な翔び蹴り。

残像で腕が増えたように見える程の打突。

 

 

空を飛ぶことの出来ない男にとって、宙は死地。自由に避けることの叶わない枷の無い牢獄。

 

 

 

 

 

 

 

 

男は悲しんだ。

 

 

無力な己に。

 

 

身動きの取れない絶好の機会。

 

 

男は不甲斐なさに頬を噛む。

 

 

其処へ美鈴の絶死の猛攻。

 

 

何故自分は空を飛べないのか。重力に囚われているのかと、心底悔やんだ。

 

 

突っ掛けたのは自分。中国武術勝負を始めたのは自分自身。

 

 

 

恥ずべきだ。

 

 

 

こんなにも最高なシチュエーションに、中国武術で答えられない自分に嫌気が差す。

 

 

己の体が、最適解を導き出すのを止められない。

 

 

 

 

 

 

 

   ッ ッ ッ !!!

 

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

美鈴の猛攻を完全に逸らし、無効化させたのは宙に打ち上げられていた男の両の腕。

 

 

打・掴・斬、如何なる攻撃にも対応する円運動。

 

あらゆる受け技の要素が含まれている。

 

 

 

 

廻し受け。

 

 

 

 

矢でも鉄砲でも……火炎放射器であったとしても、無力化させてしまうような受けの究極形。

 

 

それは空手の基本技にして、極意でもあった。

 

 

 

 

 

宙の牢獄から命からがら抜け出した男は悲しそうに。

 

絶好の機会を技によって阻まれた美鈴は嬉しそうに。

 

 

表情は対照的。

 

 

「……すみません、生意気言いました。貴女の歴史は…やっぱり深くて高い…。対抗できるつもりでいた自分が…恥ずかしい」

 

「中国武術から派生したはずの唐手……いえ、空手。その進化を感じました。四千年をなぞるのではなく……踏襲している。やはり貴方は正しく…格闘家です」

 

悔恨を発露する男に対して、美鈴は穏やかにその在り方を称賛した。

 

 

武術を扱う者同士ではある。

 

 

だが、根本は違う。

 

 

男は厳密に言えばバーリ・トゥード(なんでもあり)の格闘家。

 

対する美鈴は、生粋の武術家。

 

男は空手でも拳闘でも必要であれば噛み付く事すら選択肢であるが、美鈴は何処までいっても武術を選択する。

 

両者共に己の肉体のみで闘う素手喧嘩(ステゴロ)が真髄ではあるが、その根っこは大きく違っていた。

 

 

 

 

「此処からは…全力です」

 

 

 

 

顔のやや下にゆとりをもって握られた両の拳が添えられ、脇は拳一つ分空けられている。

 

両足は大体肩幅前後に開かれ、膝は僅かに曲げられている。重心は爪先寄りだが足底全体で接地面を支える、何があっても即応できる理想的なリラックス。

 

格闘技で言えばボクシングスタイルに近いが、それよりもやや軽やかさに欠ける様な立ち姿。

 

男にとって馴染み深い…それが普通と思えるほどとってきた、戦闘態勢(ファイティングポーズ)

 

 

男が激闘を経て、熱闘を経て、死闘を経て辿り着いた…唯一無二の構え。

 

 

 

 

美鈴は、思わず見惚れてしまう。

 

 

 

 

構えられた両腕からは力を感じる。

 

構えられた両脚からは技を感じる。

 

即応に秀でた重心。

 

俯瞰するような視線は何処からでも自分の姿を捉えられている。

 

そしてその立ち姿は、彼の宮本武蔵の絵画に倣うような理想的な脱力。

 

 

 

 

なんて…美しい。

 

 

 

 

この闘いの場に在って、美鈴は思わず涙した。

 

心奪われるとは、こういうことなのだと。

武術家として研鑽を重ねた美鈴だからこそ理解できる。

 

 

 

 

その姿はありとあらゆる武の化身であった。

 

 

 

 

「こうしては…いられませんね」

 

 

 

 

美鈴はそっと流れ出た涙を拭い、大きく息を吸う。

 

 

スッと足を揃えて直立。

右拳を左掌で包み、腰を折る。

 

 

 

抱拳礼。

 

 

 

この武人と闘えることへの感謝

この武人と闘える技を持つ自分への誇り

何も言わずに見守ってくれる仲間

 

ここでこの人と出会えたという奇跡に、深く頭を垂れた。

 

 

 

「……行きます」

 

 

ゆっくりと美鈴が構えるのを待った後、男は踏み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ…咲夜」

 

「はい…お嬢様」

 

カチャリとティーカップが硬質な音を立てる。

 

「楽しそうね…美鈴」

 

「…はい」

 

頬を赤らめ拳を振るう姿は、まるで恋人との逢い引きのようだ。

にやつきが止められず組み付き投げる姿は、まるで恋人との陸言のようだ。

 

長い付き合いであるレミリア、咲夜をしてあんな表情を見るのは初めてだ。

 

「楽しいわよね…嬉しいわよね…愛しいわよね…やっと出会えた運命の人」

 

ツツッとティーカップの縁をなぞる白磁の指。爪先は鋭利で、紅い。

 

「元はただの木っ端妖怪。幾年も生き延び、吹けば飛ぶような妖力は今や上級妖怪の仲間入り。そして幾年も鍛練に鍛練を重ねて『気を操る程度の能力』を得た。……それでも尚止めぬ鍛練に次ぐ鍛練…人では耐えられぬような、常軌を逸した鍛練」

 

「………」

 

「それはきっと、私達の為。敵ばかりだった私達の守護者…色鮮やかに虹色な門番。酷く優しく…護る為なら己の死をも厭わぬ真の武人」

 

その表情は何処か影が差していた。

 

「だから…此処(幻想郷)に来てからの美鈴は…正直見ていられなかった。死の危険がないという媚薬。それに抗おうとする必死の抵抗。それでも目的意識の喪失は…如何ともし難かった。本人はなんでもない風に馴染んでいる…とは言うけれど、悲しいまでの虚勢」

 

「弾幕ごっこ…。スペルカードルール…ですね」

 

「えぇ、そうよ。管理された世界。律された弱肉強食。バランスの取れた自然淘汰。門番としては気楽なものでしょうが、武人としての美鈴は腐るだけ…」

 

幻想郷で管理されているのは、人間。

人間を管理し、妖怪を統制する。

 

人間は妖怪にとって、糧であると同時に、毒だ。

 

妖怪は人間無しには成立せず、貴重な糧である。

毒の末路は現代社会。人間が妖怪を否定するだけで、妖怪は虚構に沈んだ。

 

 

 

そして、管理されているのは人間だけではなく……闘争もだ。

 

 

 

闘争が自由に行われてしまうことがあれば…

 

強大な力を持つ吸血鬼の一派が殺戮を始めたら?

死を司る亡霊の姫君が死を振り撒いたら?

生死感のない蓬莱人が無限に特攻仕掛けてきたら?

双柱の神と現神人が本気で統治を開始したら?

 

幻想郷のパワーバランスは、全てを受け入れるが故に最初から破綻していた。

 

そこで、パワーバランスを保つためのスペルカードルール。

 

博麗の巫女をバランサーとして据え、危機を異変と称し幻想郷を守る防衛システム。

異変はすべからく鎮められ、元の形に治まる。定められた終結(ハッピーエンド)

 

 

管理された闘争。

 

 

「闘争の管理。それこそが、戦う者を腐らせる。戦う者を孤独にさせる。戦う者を…脅かす。幻想郷の崩壊があるとすれば、外からではなく、内からでしょうね」

 

「彼という異物が幻想郷に紛れ込んだ……偶然ではないのでしょう」

 

「妖怪の賢者様の叡知には頭が下がるわね…。スペルカードルールに囚われない、ただの人。しかし、強さという点でのみ妖怪に匹敵する超規格外。それはそれは…なんとも運命的」

 

「飛べもしないただの人故に、スペルカードルールが適応されない。飛べもしない者に弾幕ごっこは出来ない。自らの敷いたルールに違反しない特大の反則…」

 

咲夜はなんとも言えないような表情で男を見る。

人の身ながら時間を超越した咲夜は、空を飛び、弾幕を扱う。スペルカードルールが適応される。

咲夜にとって、男はあまりにも奇異過ぎた。

 

人間だからこそ、気づいてしまう男の異常性。

 

「ルールの内の反則は、反則ではないわよ」

 

「……そうでしょうか?」

 

「えぇ。彼はただ…強いだけ。強いだけなら…私達だってそうじゃない」

 

クツクツと笑う幼い吸血鬼はゆっくりティーカップを傾ける。

 

そのティーカップの底が見えそうだ。

 

「…お代わりは如何ですか?」

 

完全で瀟洒なメイドは、主の機微を見逃さない。

手元には適温に保たれたティーポット。

 

「えぇ、頂くわ」

 

「ジャムか砂糖は…」

 

「いらないわ、少し濃い目にお願い。あんな光景見ていたら、口の中が甘ったるいのよ」

 

行儀悪くも舌を出すレミリア。それは年相応で、なんとも可愛らしいものでもあった。

砂糖を吐きたいのは咲夜も同じだが。

 

 

二人の闘いは激化していく。

武の共鳴は留まることを知らない。

 

より高く、より深く。

より激しく、より美しく。

 

その打拳は相手を打倒するため。

その脚撃は相手を圧倒するため。

 

血生臭い、血を血で洗うような闘争。

 

その筈なのに。

 

何故か華がある。

何故か美がある。

何故か麗がある。

 

 

人間も人外も等しく魅了される闘争が、そこにはあった。

 

 

闘いは既に常人では目で追えない速度まで加速している。

 

 

打ったのか蹴ったのか、全ては残像を残して、破裂するような音すら置き去りにして加速していく。

 

 

 

吸血鬼であるレミリアと、時を操る咲夜だけが、二人の闘いを見届けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

男と美鈴。

戦局を端的に言うなれば、美鈴は押されている。

 

 

武人の歴史も、妖怪の膂力も、長寿の経験も。

人類最強との素手喧嘩においては分が悪かった。

 

 

地球上現存するありとあらゆる格闘技が、極の錬度をもって襲い掛かってくる。無論、その中には中国武術も含まれている。

 

 

中国四千年は確かに長く、深い歴史を持っているのかもしれない。

 

百年やそこらの歴史では、中国武術が踏破した一年でしかないかもしれない。

 

しかし、それこそ重ねた年数が違う。

 

その四千年に加えて男が積むのはありとあらゆる格闘技の歴史。

 

 

四千年程度では……勝てぬが道理。

 

四千年程度では……勝てぬが定理。

 

 

ありとあらゆる達人の上に立つから、人類最強。

 

ただの()()()()()()()()()では、話にならない。

 

人類最強は、正しく人類最強である。

 

 

 

 

 

 

 

 

タンッと軽やかに前にステップを踏む男。

 

 

それに崩拳を合わせる美鈴。

愚直ではあるが、妖怪の膂力を加えれば必殺の一撃である。

 

 

男は出先の拳を左手で絡めとり、そこを支点にしてクルリと周り左肘を美鈴の延髄に向かって振り抜く。

 

ムエタイにおける、ソーク・クラブ。

 

頭を下げ、辛くも逃れたと思ったら、美鈴の視界に映ったのは地面ではなく青い空だった。

取った腕で下げた頭の勢いを合わせられた。合気による投げ。

 

一瞬上下の感覚が失われかけるが、体を捻り上げ闘気を感じた方向へ旋風脚を放つ。

マトモに当たれば首を刈り取るような蹴りではあったが、その先に男の姿は無く、虚しく空を切る。

 

 

回転する視界で捉えたのは、地に深く伏せ、半身で力を溜める男の姿であった。

 

 

 

  ッッッ!!!

 

 

 

震度を伴うような踏み込み、岩のような側背面が美鈴に激突する。

 

貼山靠。良く聞く名前としては鉄山靠。

 

八極拳の基本。

体当たりと言ってしまえば簡単だが、その実、極めた踏み込みを伴えば、乗用車すらスクラップに変えるほどの威力を秘める。

何しろ使用者の体重がそのまま砲弾として突っ込んでくるのだ。踏み込みが…速度が速ければ速いほど、その威力は指数関数的に跳ね上がる。

 

 

未だかつて無いほどの衝撃を予感しながら、脇を閉め腕を十字に構え、ヒュッと息を吸い丹田に力を込める。

 

ズドンッという衝突音と共に美鈴は水平に吹き飛ばされる。

 

 

「カッはっ……っ!」

 

 

あまりの衝撃に横隔膜せり上がり、肺を押し潰し、呼気を強制させられた。

 

 

一瞬の意識の消失。

 

 

その消失は、致命的なまでの隙となる。

 

美鈴が意識を取り戻した瞬間、感じたのは横への重力。

そして目に映ったのは、その速度に追い付き、今まさに自分の土手っ腹目掛けて踵を振り下ろそうとしている男の姿だった。

 

 

(なんて…なんて強い……人間。

 

なんと芳醇で…濃厚…

 

中国武術では…勝てない…

 

それでも……いいかもしれない

 

こんな美しい者に…出会えたのだから)

 

 

横に飛んでいた筈の美鈴が、今度は垂直に地面に叩きつけられる。

 

 

破滅的な音が、辺りに響いた。

 

 

叩きつけられた地面は放射状にひび割れ、陥没している。

美鈴の腹部は、ベッコリと男の踵の跡を残していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

美鈴はそのまま、起き上がる気配は……ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ……美鈴さん」

 

 

大の字で倒れる美鈴に、男はゆっくりと歩み寄る。

 

 

「俺は…本気だよ」

 

 

俺は美鈴の傍らに立つと、ヒュッと大きく飛び上がり、急降下しつつ美鈴の頭を蹴り穿った。

 

 

更に美鈴の頭ごと数センチ地面を陥没させる。

 

 

美鈴の生死も確認することなく、あまつさえその顔面を踏み台にして男は飛び上がり、再度強烈な蹴りを顔面に叩き込んだ。

 

陥没した地面がひび割れ、美鈴の頭を始点に隆起する。

 

ビクリと美鈴の全身が跳ねるが、また力無く投げ出される。

 

 

「いつまで…そうしているんだ?」

 

 

その苛烈な追い撃ちに、咲夜は思わず駆け出そうとして、レミリアに袖を引かれてハッとした表情を浮かべる。

 

 

 

 

レミリアは……笑っていた。

 

 

 

 

鮮烈でもなんでもない。カリスマ性なんて何処にもない。

ただただ、無邪気にも嬉しくて仕方がないという、満面の笑み。

 

 

 

 

 

「美鈴が……帰ってきたわ」

 

 

 

 

 

あの色鮮やかで、虹色な、門番。

 

紅魔館の守護者。

 

紅 美鈴が。帰ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

「………こんなもんじゃない」

 

 

 

 

 

男は知っている。

 

武術とは、運動能力を競うもの。

如何に自分の体を合理的に使えるか。

如何に物理学を人間の身体に落とし込むのか。

 

そこにはなんの不思議もない。

魔法も霊力も妖術も存在しない。

 

脱力もそう。寸剄もそう。

空手もそう。中国武術もそう。

柔術だってテコンドーだってカポエイラだってそう。

 

 

ありとあらゆる武術は、全ては純然たる力学で説明できる。

 

 

男は現代で幻想(ファンタジー)なんて、ありはしないと、まやかしだと、証明し続けてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、此処(幻想郷)では違う。

 

 

幻想が、幻想ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなもんじゃねぇだろぉ!!!

 

紅 美鈴!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………しょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男の足に踏みつけられながら、か細い声が響く。

 

男はスッと足を引き、後ろに下がる。

 

 

 

 

 

 

顔の至るところから血を滴らせ、口の端からはタラタラと吐血しながら、ぼんやりとしている美鈴。

 

 

 

 

 

「いいんでしょうか……?」

 

 

 

 

 

大の字で倒れたまま、美鈴は問う。

 

自分に?上司に?主に?

 

 

 

「私は…本気で闘って……いいんでしょうか?」

 

 

 

答えたのは…好敵手。愛しい人。

 

 

 

「下手だなぁ…美鈴さん…。下手だよ…本当に。優しすぎる……」

 

 

 

男はゆっくりと美鈴から距離をとる。

 

此処からが、本当の紅美鈴との闘いだと、理解しているから。

 

 

「中国四千年。そんな所で立ち止まっているはずがない……だって貴女は……武術家だから」

 

 

築いてきたはずだ。

男は確信している。

 

だって美鈴の、その身体、その膂力、その体力、その技術、その()()

 

 

 

その全ては、武術の為にあるのだから。

 

 

 

ゆっくりと立ち上がる美鈴。

 

 

 

「そうでした……私は……出会えたんですね……本当に

 

楽しすぎて…嬉しすぎて…愛しすぎて……夢かなにかと思っていました

 

大切にしなきゃと…大事にしなきゃと…守ろうとしていました」

 

 

 

 

垂れた鼻血を親指で拭いとる。

 

 

 

 

「失礼しました…武さん…。やっと追いつきました」

 

 

「はい。闘いは……それでいいんです。それでこそ…いいんです」

 

 

 

美鈴は肩幅に立ち、両手を腰だめに構える。

 

 

 

「すぅぅ……はぁぁ……」

 

 

 

深呼吸。

 

美鈴の雰囲気が変わる。

 

感覚ではない。

 

見てとれる。

 

明らかな変貌。

 

 

 

 

 

 

 

   ッッッッツッッツ!!!

 

 

 

 

 

 

 

吹き出る虹色。

 

超常的な光景。

 

砂埃を巻き上げて、虹色の気が渦を巻き美鈴の体を彩る。

 

 

幻想であるはずの、『気』。

 

 

男は世界各地を周り、闘争に闘争を重ねても、終ぞ本物には巡り会えなかった。

 

 

『気を操る程度の能力』を持つ、武人。

 

 

本物の幻想(ファンタジー)

 

 

武人がその武器を磨かない訳がない。研がない訳がない。

 

 

 

 

 

虹色の気はその猛々しさを徐々に収め、ピタリと美鈴の張り付くように停滞する。力強さはそのままに。

 

 

美鈴は、右掌で左拳を包み、ペコリと頭を下げた。

先程の抱拳礼とは、意味合いが……まるで違う。

 

 

美鈴は重心を落とし、ゆっくりと演舞を始める。

 

 

ユルリユルリと、美鈴を追従する虹色の気。

 

 

その緩やかさの中に、激流が渦巻いている。

 

 

ズンッと左足一歩踏み込むと、地面が砕ける。

 

 

右足は後ろに引き絞る様に深い重心。

 

 

真っ直ぐに突き出した左拳。

 

 

右の拳は腰に添える様に。

 

 

 

虹色が、迸る。

 

虹色が、躍動する。

 

虹色が、辺りを染める。

 

 

これが、紅 美鈴。

 

これぞ、紅 美鈴。

 

 

中国四千年。そこから積み重ねた紅 美鈴だからこそ辿り着いた四千一年目。

 

紅 美鈴という妖怪だからこそ積めたその歴史。

 

『気』という独創性(オリジナリティ)

唯一無二。もう一つの頂点。

 

人類最強の男をして踏めなかったもう一つの極地。

人類最強の男をして到れなかったもう一つの極致。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の、紅 美鈴の歴史が、牙を剥く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「紅魔館門番 紅 美鈴。推して参ります」

 

 

 

 

 




プロットでは美鈴戦はわりとあっさり勝って終わるつもりでした。でも書き上げたのを見直しているうちに…これは違うと思いました。

違う…!
紅 美鈴と闘うってそういうことじゃないだろっ…!
中国拳法と『気』。
そんな簡単な勝負じゃないだろっ…!

そんなこんなで書き直すこと五回。
刃牙を読み直すこと十回。
ケンイチを読み直すこと十回。
積みゲーを崩すこと七回。
NieR Re[in]carnationに狂喜すること一回。

そして至った今日。

ちなみに美鈴の能力会得やら元木っ端妖怪等の設定はオリジナルです。もしかしたらちゃんとした公式設定が追加されているかもしれませんがそこはスルーしてくださると幸いです。最近の東方さわってないので…!

お楽しみ頂けたら幸いです。
嗚呼…プロット崩壊待ったなし(白目)。次回は未定(アヘ顔)。

次回

VS『気』……辺りまで……いけたらいいなぁ!!

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