フレーゲル男爵転生   作:大同亭鎮北斎

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ヨアヒム・フォン・ブラウンシュバイク伝

ヨアヒム・フォン・ブラウンシュバイク

 

 ヨアヒム・フォン・ブラウンシュバイク(帝国歴四六一年一二月八日~五三八年一月二三日)はブラウンシュバイク朝銀河帝国初代女帝エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクの配偶者、初代皇配、二代宰相である。軍籍を有し、ゴールデンバウム朝ではブラウンシュバイク元帥府参謀長、ブラウンシュバイク朝では無任所の国家大元帥であった。

 

 帝国歴四六一年一二月八日、帝都オーディン中央病院にて生を受ける。出生時の名はヨアヒム・フォン・フレーゲルである。父は当時のブラウンシュバイク公爵オットーの弟、惑星ミュンヘンの領主ハインリヒ・フォン・フレーゲルであった。兄弟の仲は当時の門閥貴族としては異例なほど良好であった。伯父オットー・フォン・ブラウンシュバイクは息子がなく、実の息子のようにかわいがられていたと、と後に語っている。父は彼が一二歳のころ宇宙船事故で死去。以降はブラウンシュバイク一門衆の中で最若手の当主として伯父たちより薫陶を受ける。

 幼年学校を卒後、准尉に任官し軍務省で勤務。事務官としての彼は人並みの有能さであったとされる。情報部に転属しフェザーン駐在武官を経て二〇才で准将として軍務省星兵総局参事官に登用。少将として予備役編入され以降はしばし領地経営に努めた。

 

 人生に一度目の転機が訪れるのは帝国暦四八六年三月二一日、ブラウンシュバイク公爵オーディン邸で発生したテロ事件「クロプシュトック事件」である。継承権問題で帝都を追われたクロプシュトック侯爵が皇帝臨席予定の夜会で手荷物爆弾を起爆。高位貴族の死者四〇人以上を出す惨事となった。爆心地近くにいたヨアヒムは友人達に庇われ幸いにも軽症で難を逃れたが、この日を境に精力的に政治・軍事活動を開始する。

 伯父にして寄り親のブラウンシュバイク公爵上級大将が指揮するクロプシュトック討伐軍に参加したヨアヒムは、それまでの貴族や一門への甘さを改め、軍紀を徹底。のちにブラウンシュバイクの双璧と呼ばれるにいたるミッターマイヤー少将・ロイエンタール少将の指導の下参謀長として討伐を成功裏におさめる。

 直後に発生した北門門外の変ではかねてより対立関係にあったミューゼル大将・キルヒアイス大佐の応援に元帥府警備部隊を率いて駆けつけ、以降はミューゼル大将の姉グリューネワルト伯爵夫人の館をたびたび訪れてラインハルト一家と親交を持ったとされる。

 その後もゴールデンバウム王朝が行ったサジタリウス遠征に参謀長として参加。その功で大将へ昇進しており、元帥の甥という立場はあったものの、同様の血縁者が数十人いたことを考えると、やはり同輩のなかでも優秀であったことがうかがえる。

 彼が軍人として最も活躍したのは一〇月一〇日事件である。サジタリウス遠征からほぼ一年後になる出来事で、当時国務尚書の地位にあったクラウス・フォン・リヒテンラーデと皇帝顧問官ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世、そして彼らに利用された統帥本部総長ヨハネス・フォン・シュタインホフ元帥による皇帝弑逆とクーデターであった。元帥府は皇帝から直々に捜査を託され暗殺計画を探るも、一歩及ばず前者は成功させてしまった。しかし、後者たるクーデターはブラウンシュバイク元帥府の危機管理計画マニュアルを適用して部隊を動員、クーデター部隊が本格的に動き出す前に制圧に成功する。

 甲斐あって、無事エリザベートはブラウンシュバイク王朝の初代女帝に即位。その父ブラウンシュバイク公爵オットーを宰相とした臨時政府を始動させる。従兄のヨアヒムは元帥杖を授かり、空位となった統帥本部総長の席に座った。

 事件後はリヒテンラーデ侯爵一門の処刑に関与。リッテンハイム侯爵一家を西苑に幽閉するなどの後始末を差配した。吹き荒れた粛清の嵐は当時の貴族家の過半に及び、のちに内務尚書に起用されたその担当者の名から「オーベルシュタインの草刈り」と呼ばれている。相応の抵抗はあったが、それらは一〇月一〇日事件に関与した(と、捜査協力により罪一等を減じられたシュタインホフ元帥が証言した)宗教団体「地球教」との戦いを経て陸戦畑出身者として初の軍務尚書の座を占めたオフレッサー元帥直属の装甲擲弾兵によってねじ伏せられていく。

 また、同時期沈黙を保ったイゼルローン方面軍司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム上級大将に対しては、その姉グリューネワルト伯爵夫人と親友ジークフリード・キルヒアイス大佐を使者として送った。ローエングラム上級大将は一時辺境の独立勢力となる野心と勤王家としての忠誠心の板挟みになり逡巡していたが、両者の説得により帰順を誓い、西苑の一角で仲睦まじく暮らしたという。この時宮廷内に彼らの居場所を置いたことをしかし、ヨアヒムはのちに後悔することとなった。

 

 第二の転機が訪れたのは、女帝エリザベートからの求婚である。自分を「にいさま」と呼び、妹扱いをしていた従妹からの求愛により、爆破テロ以降浮世離れしていると見られていた彼が初めて慌てた姿を公でさらしたとされている。これを受け入れ、彼はブラウンシュバイクに婿入りする形で皇配ヨアヒム・フォン・ブラウンシュバイクとなる。

 「殿下」と呼ばれ伯父の宰相職をゆずりうけて以降の彼は政治改革に力を入れ、旧弊を廃し貴族への国税の課税を行い、貴族家私財持ち出しの多い辺境への交付金の設立するなど中央集権化と全土の標準化へ力を入れた。以て帝国臣民を「誰誰家の臣民」ではなく「皇帝陛下の臣民」へと意識変革させることに成功し、帝国第二の黄金期を築いたとされる。軍は縮小されつつも元帥府提督らのもと星系探査に力を入れ、同様にロストコロニー探索を百年ぶりに再開した自由惑星同盟の深宇宙探索艦隊、通称ヤン艦隊などとともに人類領域の拡大に努めた。

 宗教関連では「地球は人類のゆりかごでありその歴史は保存されねばならない」として地球教残党のうち融和派と交渉。彼らを「地球流刑」とし地球そのものは「帝国歴史保護区」の名目で発掘研究調査の場とした。予算は多額に投じられ、十字教など多くの宗教団体が各々の定めるところの聖地の発掘に参加する。元締めとなった地球教融和派はのちに地球教過激派ともっとも強く対立する団体となる。

 彼は愛妻家であり、後宮を持たずしてその子沢山でも知られたが、子の一人である第三皇女エミーリアはやがてローエングラム元帥と恋慕する。娘が恋する相手として彼を紹介した際は悲嘆に暮れ、彼を宮廷内へ出入りさせていたことを後悔したと史書は伝える。しかしながら、彼はその多子を最大限に利用しブラウンシュバイク一門の縁や高官との血縁関係を結び、帝国を安定させ現在へ続く土台を形成した。

 彼の治世の始まりこそが、動乱と英雄の伝説の時代の終わり、歴史の始まりであった。


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