「ほっほォー、これはまたずいぶん立派なモンじゃのう」
博士が感心したように声を上げた。
「しかし、なんでこんなところに洋風の建物が?」
「きっと、海外で買ったのをバラしてこっちで組み立てたんだよ」
すぐさま疑問を口にする彼に、コナン君が自分なりの考えを披露する。
『間宮家』は、まるで西洋のおとぎ話に出てくる城そのものだった。
世俗を避けるようにして、深い森の中にどっしりと鎮座している。厳かで、整然とした佇まいだった。そこらへんの野良犬でさえ塀にションベンを引っ掛けようとは思わないだろう。相対するこちらも自然と背筋が伸びる。ちょうど、規律に口うるさい厳格な教師を相手にしているような感じだった。
子供達はそんなことなどお構いなしにはしゃぎ回っている。
もし彼が――あるいは、彼女か。口が利けたなら、静かにしろ!と一喝していたかもしれない。
三人は一斉に私の下に駆け寄ってきた。
「すっごーい、ステキよね! お姫様や王子様がいたりするのかなぁ?」
「かもね。ちゃんといい子にしてたら、会えるのかもしれないね」
歩美ちゃんが私の手をぐいぐい引っ張りながら、弾んだ声で問い掛けてきた。目がキラキラと輝いている。女の子だから、王子様の方に期待しているのかもしれない。
「なあなあ、探検してみよーぜ、瑠璃の姉ちゃん! お宝が眠ってるかもしれないじゃんかよー」
「まあ、なんにしても、まずは家の人の許可を取らないとね。それに人様のおうちに上がるわけだから、ちゃんとお行儀良くしとかないといけないよー?」
元太君は口の端からよだれがこぼれ落ちていた。
とろんと呆けた顔で、あらぬ方向を見つめている。
聞いてないな、こりゃ。
心ここにあらず、といった感じだった。完全に別の世界に浸り込んでいる。
彼は今、おそらく頭の中の計算機を必死に動かしている。
財宝を売って得たお金でどれほどのうな重が買えるか、想像を膨らませているのが丸分かりだった。
「まるでノイシュヴァンシュタイン城ですね、瑠璃さん! ほら、シンデレラのお城のモデルになった……」
「おおぅ! 光彦君、よく知ってるねぇ。お姉さん、感心しちゃった」
私が頭を撫でると、光彦君は照れ臭そうに頬を赤らめてにへっと笑った。
同じ年頃で私が『ノイシュヴァンシュタイン城』なんて言葉を耳にしたら――どうなるかな。
なんだかわけのわからない早口言葉だと思って、真面目に取り合わなかったかもしれない。
光彦君は本当に勤勉だし、博識だ。思わず唸ってしまうくらい。
この子と話していると、己の浅学さや不勉強さを痛感することが度々ある。
会話が一通り済むと、三人はまた歓声を上げながら辺りを走り回った。
今日のキャンプが
なるほど、博士が助力を請うわけだ。
今や昂り切ったこのパワーを制御するのは難しい。私ですら骨が折れる。家の中ならともかく今は鬱蒼とした森の中でどんな危険が潜んでいるか分からないから、多少のやんちゃは大目に見る、というわけにもいかない。
私は両手をパンパンと叩いて、子供達に力強く呼び掛けた。
「ほらほら! まだ中に入れると決まったわけじゃないんだから、あまり騒がないの。それに、こんなところで迷子になったら大変だよ。調子に乗って遠くに行ったりしないようにね」
「はぁーい!」
思わず苦笑してしまった。
まったく、返事だけは素直なんだから。心許ないっていうのが正直なところだった。
クスクスと静かな笑いが下からせり上がってくる。
灰原さんだった。どうも姿が見当たらないと思ったら、ずっと足元にいたみたい。
「なかなか大変ね、雨谷さんも」
「子供達のこと? まあね。保母さんにでもなった気分だよ」
私の言葉を受けて、なぜだか灰原さんは妙な顔をした。
しばらく納得がいかないようにうーん、と唸って、ゆっくりかぶりを振った。
「保母さんなんて言い方は不適切、とまでは言わないけど、一応避けた方が無難じゃないかしら? 細かいことかもしれないけどね。下手をすると、ひんしゅくを買うことだってあるわよ」
私はしばらく「ん?」と考えて、ようやく察しが付いた。
「ああ、そっか。保育士さんってことね」
「そうよ」
要は、看護師と看護婦みたいなものだ。
不思議だった。なぜあっちでは――看護婦呼びは時代にそぐわないとしっかり理解できているのに、こっちの方では不用意に保母さん、なんて表現を引っ張り出してしまったんだろう。特に意識せず、当たり前のように口にしてしまった。
なんにせよ、これは私の不見識が招いた結果で大いに恥ずべきことだった。
片手を上げて、深々と頭を下げた。
「これは失敬、お見苦しいところを。アタシが蒙昧だったね」
灰原さんはプッと吹き出した。
「もうまい、ね。まったく、難しい言葉ばっかり知ってるんだから。小説だけじゃなくて、もっといろんなジャンルの本に目を通しなさい。偏り過ぎてるのよ、あなたは。もっと見識を広げる必要があるわよ、雨谷探偵」
痛いところを、しかも正確にど真ん中を突かれたような気がして、ぐうの音も出なかった。
実際その通りなんだよね。
そこそこ頭は回ったとしても肝心の知識量については凡人の域を出ず、コナン君を始めとした作中の猛者達には遥かに劣る。化学や医学の知識を用いたトリックが相手だと途端に苦しくなり、見かねたコナン君が助け舟を出す、というケースが頻繁にあった。
灰原さんもそうした私の弱点をしっかり見抜いているみたいで、これから先も事件に立ち向かっていくつもりならそういった面の研鑽もしっかり積んでいかなきゃならないわよ、と暗に主張したいのだろう。
わざわざ『探偵』という呼称を用いたことからも、それが窺える。
なんとなく据わりが悪くなったような気がして、話題を変えることにした。
「お世話が大変そうっていうなら、灰原さんも似たようなものじゃない?」
言い終えると、私は博士の方を顎でしゃくった。
最初は「なんのこと?」と要領を得ない顔で首を傾げていた彼女も、やがて得心したように「ああ」と呟いた。
「そんなに――」
ふとあることに思い至って、私は唐突に言葉を切った。
さっきから私自身はやや膝を曲げて前かがみになっているし、灰原さんは首を後ろに反らして私を見上げている。
あぐらを掻いて、ドカッと地べたに座り込んでみた。
今日はキャンプということで、それらしい格好で今日に臨んでいる。多少の汚れは気にならない。いや、これからこの邸宅に上がるとしたら、思慮の浅い行動と言えるか。もう後の祭りだ。
私の意図を察したのか、多少驚いた様子で目をしばたたかせていた灰原さんはすぐにニヤリとした。
「あら、ありがと。気が利くわね」
「どういたしまして。まあ、お互いのためだしね」
楽な姿勢で、私は続けた。
「で、そんなにひどかったの? 博士の食生活」
「彩りも栄養バランスもまったくダメ。ごった煮の猫まんまよ。考えなしにエサを頬張るだけなら、それこそただの豚にだってできることだわ」
よほど腹に据えかねたのか、忌々しそうに「家畜のエサよ、エサ」とまだ言っている。
そんなわけで、我らが愛しの阿笠博士は厳しい栄養士さんの管理の下で更生の道を歩もうとしている。毎日腹ペコじゃよ、とは本人の弁だ。
彼女の物言いはなかなか辛辣だけど、真に博士を想っているからこそこうして小言を連発するわけで――彼にはぜひ摂生を心掛けていただきたいものだと思う。
「それに、まさか雨谷さんが悪事の片棒を担いでいたとはね。ほんっと、油断もスキもありゃしないんだから」
「あっ――」
横目にじろりと睨まれて、私は思わず硬直した。
そうだ、うっかりしていた。
健康に気を使え、と偉そうに言っているアタシが不摂生を促すようなことをしていたんだった。
どういうことかというと、密かに給餌したのがバレてしまったのだ。
そんなにひもじいのか、子犬みたいな顔できゅーんと鳴きそうになりながら腹を擦っている姿を見ると、なんだか切なくて、不憫で――間食程度なら良いかと軽いおやつを渡してしまった。灰原さんの目を盗んで、ブツを忍ばせる密売人のように、こっそりと。
隠し場所が甘かったのか、わりとすぐに露見したみたい。
「これは一体なに?」と詰められた博士はあっさり入手経路についてゲロってしまい、流通元である私もあえなくお縄になったというわけだ。
あとは二人揃って仲良くお説教コースだった。
怖かったなぁ、あの時の灰原さん――
「あなたがそうやって甘やかすからダメなのよ! 私の許可なしに勝手に餌付けしないでちょうだい!」
「ご、ごめんなさいぃ……!」
「わ、わしゃペットか何かか……」
当然のことながら、それ以来博士との悪い関係は一切断ち切っている。
私もこれまでの行動を悔い改めて、心を鬼にしなければならない。
ダイエット頑張ってね、博士。
あらかた吐き出したことで溜飲を下げたのか、灰原さんはいくらか落ち着きを取り戻した様子だった。
――と思ったら、私の胸元に視線が留まった瞬間、また険を帯びた目付きになった。
ジャケットの下のインナーの布地を指先でつまんで、引っ張ろうとしている。
「ちょっとサイズが小さいんじゃないかしら? ピッチピチじゃない」
たしかにほとんど余裕がない。ぴったりと肌に張り付いている。
インドア派の弊害か、キャンプに適した服装がこれしかなく、当日の今日にぶっつけで袖を通してみたら意外なほど窮屈だったというわけだ。横着せずに、ちゃんとお店で買い揃えておくべきだった。
灰原さんは、まだ陰険な感じで私の胸の辺りを睨んでいる。
やがて腹立たしそうにフンと鼻を鳴らして、何を思ったか、こんもりと隆起した部分を拳の裏側で叩いた。ちょうど、軽くサンドバックを打ち鳴らすような感じだった。肉の毬がボヨンと弾んで、ヤワな細腕をあっさり払い除けた。
灰原さんがまた腕を引いた。
私は彼女の手首を掴んで、第弐撃をすんでのところで止めた。
「こぉら。セクハラだよー、灰原さん。そういうのは異性同性、関係ないんだからね」
「あら、これは失敬。私がモーマイだったわ」
思わず笑ってしまった。
灰原さんは品定めするように頭のてっぺんからつま先まで私を眺め回して、ひとつ息を吐いた。
「けしからん体付き、首から上も良質。それはそれで、色々と苦労が絶えないでしょうね。変な虫がわんさか寄ってきそう。線香でも焚きたいくらいなんじゃない?」
「線香はないけど、強力な殺虫剤ならたまに持ってる時があるよ」
灰原さんは「はあ?」というような顔をした。
「
灰原さんにしては珍しく、軽快なほど声を立てて笑っている。
「なんとなく話には聞いていたけど、とんでもない豪傑なのね」
「腕っぷしが強いだけじゃないよ。心優しいし、勇気がある。アタシにはもったいないくらい、できた友人」
私はふと、しみじみと感慨に耽った。
アタシと灰原さん――最初のうちは互いに手探りで一言二言交わすだけのちょっとした仲だったけど、今ではこうしてファーストフード店でポテトをつまみながらするようなバカな話をするまでに至っている。
どうやら、彼女は早くも変わりつつあるようだ。
立て板に水の勢いでどんどん喋り続けるし、良い意味で全く遠慮がない。簡潔に一言でまとめると、快活だった。わりと今の原作の彼女に近いかも。
さっきみたいにお叱りや苦言を頂戴することはままあるけれど、少しも嫌な感じはしない。
むしろ心地よいとさえ思う。いや別に、アタシがマゾってわけじゃなくてね。純粋に、ハキハキと気炎万丈に振る舞う姿がなんだか嬉しかったんだ。
早めの軟化が今後の展開にどのような影響を及ぼすか、それは全くわからない。
少なくとも良い傾向かな、と私自身はそう思う。
この調子で、これからもどんどん私を好きなように使ってほしい。利用していってほしい。
「なにニヤニヤしてんのよ。気持ち悪い」
「うにに! にゃんれもにゃいれすぅ……」
灰原さんはこめかみに青筋を立てながら、私の頬をつねり上げた。
本当に遠慮がなくなったね、キミ。
さて――
話が落ち着いたところで、私はもう一度気を引き締め直した。
あまり当面の問題から目を逸らすわけにもいかないか。
こうして灰原さんと時を忘れるまで談笑していたのは、会話自体が愉快であること以外に逃れようのない現実から目を背けたかったというのもあるかもしれない。
また件の城に目をやった。
姫や王子に、財宝か――
子供達は年相応のかわいらしい想像に胸を膨らませて湧き立っていたけど、私自身は全く逆のイメージを抱いていた。
魔王か怪物でも潜んでるんじゃない――?
そもそも、当初の予定だったキャンプはどうなったか。
なぜ私達はテントも張らずに、よそのおうちの前でたむろして、こうしていつまでも駄弁っているんだろう。
答えは実に単純明快。
博士がそのテントをうっかり車に積み忘れて、半ば路頭に迷うような形になってしまったのだ。肝心の用具がないわけだから、これはもうキャンプどころではない。
夜もそろそろ更ける頃で、これ以上の走行は大変に危険。
かといって、この人数では車中泊も厳しい。さてどうしたものか。ほとほと困り果てていたら、ひときわ目立つこの城が目に入った。どうか一晩の寝床と食事にありつけないかと、交渉しに参ったというわけだ。
ここまでどんぴしゃりだと、もはや笑うしかなかった。
コナン君がいる、博士のうっかり屋さんが発動。そして最後に、見知らぬ場所へ流れ着く。
全部の地雷を踏み抜いたような気がした。
ここまでお膳立てされて何もなかったら、そっちの方が怖い。
今回はここで
一応、『私』に訊いてみた。
(で、今回は?)
(さっぱりわからんし、思い出せない。以上)
危うく舌打ちしそうになった。そんなことだろうと思ったよ。
ほんっと、役に立たないんだから。
生憎、私の体の中はワンルーム並みの狭い間取りだ。
なのに、この人はある日突然ズカズカと上がり込んできて、私の許可を取ることなく勝手に定住を決めた。まともに働く気はないし、家賃を払うつもりもない。それでいて、どうやっても追い出すことはできない。
どうしろというんだ。とんだ寄生虫じゃないか。
たまにアルコールが恋しいと酒をせびってくることもある。
誰の体だと思ってる。未成年だぞ、アタシは。
私達二人は刑事とタレコミ屋のような関係で成り立っている。
『私』は私の頭脳に期待しているし、私は『私』の中に秘匿された情報や知識を求めている。ただそれだけであって、我々の間に愛や友情などはありはしない。ただ仕方なく手を組んでいて、互いを体よく利用し合うだけの間柄にすぎない。
やっぱり、こんなヤツと一蓮托生なんて死んでもゴメンだ――
とにかく、今回も持てる限りのカードを出し尽くして戦い抜くしかないか。
あの子達にケガをさせないように、そして、私自身がなんとか命を繋げられるように。
存分に肺肝を砕くしかない。
険しい顔で魔城をじっと睨み据えながら様々な思いを巡らせていると、灰原さんがぎゅっと握られた私の拳にそっと手を置いた。なんとなく温かい感じがした。
彼女もいくらか硬い表情になっていて、もっと近くに、と私を手招きする。言われた通りに頭を少し下げて顔を近付けると、灰原さんはまるで子供に言い聞かせるような柔らかい口調で穏やかにこう言った。
「ちょっと
「えっ?」
すると、背後でけたたましい怒号が鳴り響いた。
「コラ、どこの小僧だ!? 勝手に入りやがって!」
ぎょっとして後ろを振り返ると、見知らぬ中年の男性が元太君の首根っこを捕まえて、耳元で怒鳴り散らしていた。なぜだか元太君だけが門の向こう側に降り立っている。
格好からして、この家の庭師さんか警備関係の人かな。
怒気を孕んだ真っ赤な顔付きで、お前らは何者だ、と博士達をしきりに
そこに至るまでの経緯が手に取るように分かった。
あちゃあ、元太君め。あれほど口を酸っぱくして言ったのに。
塀を乗り超えて、無断で敷地内に立ち入ったか。ああいう風体のくせして意外と身軽なんだよね、あの子。
こういう時のためのアタシだから、ここはすぐさま助太刀に入るのが筋なんだろうけど――
私は向こうの光景と灰原さんをパッと見比べた。
すばやく秤にかけて、どちらが重いか見極めようとする。あっさり灰原さんの方に傾いた。
というわけで、博士にはしばらく孤軍奮闘してもらおう。
首と背筋をしゃんと伸ばして、彼女に向き直る。正座まではしなかったけど、あぐらは解いておいた。真面目な話を聞く人間としての体勢だけは最低限整えておいた。
内容については、
興味本位で、一つだけ訊いてみた。
「もしアタシが話なんて聞きたくないって駄々をこねたら、どうするつもりだったの?」
彼女は少し考えてから――
「どうするつもりもなにも、どうもしようがないわよ。あなたがそんなことするはずがないって、わかり切ってるから」
「どうして?」
彼女は何もかも見透かしたような目付きで、刺すようにこう言った。
「断れない。
まいった、完敗だ。
片手を上げて、呆れたように首を横に振るしかなかった。
「そういうところがズルいんだよね、灰原さんって」
私がぷっくりむくれてみせると、灰原さんは「あら、ごめんあそばせ」と余裕たっぷりに笑った。