こんな隙だらけの時期なら話数縛りから解放された俺でも
しのぶさんと文寿郎が恋人の秋デートの話をよ。
昼下がりのカフェテラスは談笑の賑わいで満ちている。大学ともなれば同じ年頃や先輩後輩らが講義や課題、それとは関係のない趣味の話で花を咲かせていた。
カウンター席に隣り合って座る二人も講義の話をしながらも同時に違う話題も出していた。
「
「
蝶の髪飾りを付けた女性が口元を緩めながら微笑む。大人びた彼女がふとした瞬間に幼く笑う姿を見られるのはごく一部の人間のみ。
にこやかにしている男は携帯の電源を落とした。
「そうだね……。熊に出くわさないことを願って運転するよ」
「その時はちゃんと止まってくださいよ。事故も起こしたら許しませんからね」
「大丈夫。
けらりと冗談を交えて胡蝶しのぶと仏塚文寿郎はそれぞれの講義室へと向かっていった。
所詮幼馴染の関係だが、彼らは大学生活を経て付き合うことになった。先程までは周囲にバレないよう違う話題を口にしながら旅行デートプランの調整をしていた。
別れてから何でもない普通の顔をしながら、それでも彼女は少しだけ上機嫌に口元を緩ませていた。
可愛い彼女からのお願いにより朝早くに出立することになった文寿郎。動けば消える程度の眠気を持ちながらもしのぶの借りているマンションへとやってきた。
インターホンを押せば。『す、少し待っててください』と上ずった声が聞こえる。
マンションバルコニーに軽く背を凭れさせながら目を閉じて待つこと数分。扉の開く音で間歩らを開いた。
「ごめんなさい。少し時間掛かりましたね……」
いつもは纏めている髪を肩口で揺らし、しのぶは照れ臭そうに目を逸らした。
白いニットカーディガンを羽織り、ブラウンチェックのワンピースは秋らしく大人びた雰囲気を感じさせる。全体が落ち着いた空気を纏わせているからか、胸元のリボンがより愛らしさを引き立ててもいた。
動きやすいようにショートブーツを履いており、彼女の活発さと共にカジュアルさも出ている。
この姿は、彼女がただ一人の恋人の為に装ってきたのだと思うと胸が温かくなる心地がする。文寿郎は眦を緩めた。
「すごくかわいいね。似合ってる」
「良かった。ちょっと遅れてきた甲斐がありました!」
「おかげで眠気も飛んじゃった」
「でしたら」と彼女は手持ちのバッグから小包を取り出し、それを文寿郎の口元へ否応無く入れた。
パリ、と一口噛んだ後に舌に爽やかな刺激が走る。
「ジンジャークッキーです。朝ご飯の前ですから少しだけ、ですよ」
「……うん。おかげで運転は大丈夫そうかな」
文寿郎が彼女のキャリーバッグを運び、二人はほわほわした空気のまま出発した。
都心の中でも田舎の方へ。そこから伸びる国道沿いへと車を走らせると目的地には約三時間の道のりだった。
彼女の予想通り、山深い道を進むこの道路から見える木々は黄や橙、赤へと染まり、ただ車を走らせるだけでも秋の空気を感じられる。
お互い、医学部に法学部。講義もぎっしりと詰まったスケジュールの中、ようやく取れた二日間の旅行デート。
――元々は夏休みに動く予定だったが両者のタイミング悪く流れてしまった。これはその埋め合わせだ。
「はぁ……。大学で二重に話すと疲れますから。ようやく素直に話せます」
「別に言ってもいいんじゃないかなぁ。しのぶちゃんに手を出す虫はいなくなるし」
「私だって貴方に粉掛ける女性たちを快くは思っていませんよ? ですが、公表したらしたで……」
今まで中・高と続いて最愛の姉のいる学校へと進学していたしのぶは、文寿郎の目指す大学を希望した。
そこは、姉のカナエのいない場所。彼女は「まぁまぁ!」とより美しい顔を綻ばせてしのぶを撫で撫でした――のは置いて。
女子校でも『あの二人だけ眩しい』『胡蝶姉妹……。お美しいですわ』と評判であった美貌はそこでも遺憾なく発揮され、あれよあれよと一年生の身ながら大学のマドンナへと持て囃されていた。
胡蝶しのぶを狙っている男は多い。先輩の学部生からも告白された、と彼女から愚痴を零された。
(もし私と付き合っていると知られたら、この人に迷惑も掛かってしまいますし……)
横目で覗いた彼女の恋人。彼の人間関係に支障が出るようなことは、あまりしたくなかった。
でも、そう思っていても――いつか知らない誰かが彼の隣に座る。
居ても立ってもいられなかったからしのぶは彼に告白した。
「いいよー」と軽く承諾され、そして付き合うことになった。
(別に、仮に、私以外と付き合っても長続きするとも思いませんけどね。でもやっぱり、お互い清い身のままでありたいですから)
「しのぶちゃん見て見てイノシシ飛び出てきた!」
「何呑気に言ってるんですか! 避けましたか!?」
「そりゃ避けたよ。茂みが動いてるの見えたからね」
思わぬハプニングが起きそうになったところで胸を撫でおろす。
仏塚文寿郎。髪のつむじに霜が降りたような白い部分を持つ髪の男で、体格も良くて目立つし、人当たりも良い。
ただ、その人当たりの良さは彼の処世術。実際は周囲が思う程の聖人君主でもなく、普通の人間の尺度で測れば火傷する。
しのぶは小学校の頃からの付き合いだからよく知っている。
それで「うがー!」「むかー!」を繰り返した結果、……将来を共にしたい人間へとなっていた。なんでだろう。
「そろそろ中腹辺りかなぁ」
川の上の橋を渡る所でようやく他県に入ったことを知らせる看板が見えた。
川沿いを走る道路からは、深みのあるプルシャンブルーの水面に木々の紅葉を鏡の様に映し出していた。
「窓開けていいですかっ」
「いいよ」との応答を聞くまでもなくしのぶは車窓を開けた。風を切る爽やかな風と共に見える深秋の眺望。
「とっても綺麗ですよっ。目的地に着くのがより楽しみになりました!」
「それ、は……良かった、ね」
「……どうしました?」
少し言うのを躊躇う素振りを見せ……た瞬間、しのぶから太腿を抓られた。
「さっき道路沿いに首なし地蔵みたいなのが見えたけど、気のせいだと思う」
「みたいなの、って何ですか。首なし地蔵さんはこれから先見る予定ですけど」
「頭の位置に頭らしい部分は無くて、でも切断した首の上に帽子が乗っている形……っていう、不思議な形」
「そういう形のお地蔵さんもあるんですかね? ……無いみたいです。地元の人だけが知ってるお地蔵さんかしら」
手元の携帯で素早く調べたがそのような情報はざっとは見当たらない。
「きっとこの地元だけに伝わっている伝承かもしれません! 運がいいですね、文寿郎さん!」
「うん。しのぶちゃんが楽しそうでなにより」
蛇の様に曲がりくねった道路を走り抜けてとうとう目的の場所へと辿り着いた。
基本好悪の無い文寿郎はしのぶが好きなもののプランを考えたが、そこに彼女が「貴方の好きなことも入れなさい」というので旅行先でしか食べられないあんぱんを売るベーカリーに寄る道を追加したり。
あそこにも寄ろう、ここも行けるんじゃない。そう予定を立てるだけでも楽しかったが……。
(やっぱり行った時だって楽しいわ!)
満喫する為に練りに練ったこの日の天候は晴れ。ふんすと気合いを入れる彼女の背をほけほけと文寿郎は(なんだか楽しそうなこと考えてる)と眺めた。
「見てください首無し地蔵ですよ!」
「頸が無くなっても崇められるんだねー」
「美味しいですねこのあんぱん」
「栗が入ってるなんて。秋を感じる」
「それは景色で感じなさいよ……」
「意外とこの公園広かったですね。動きやすい靴で着て良かった」
「あっちにベンチあるから少し休もう。俺の方が疲れちゃった」
(……全然疲れた顔してないのにっ。気を遣われた……!)
「すごい立派な銅像ですね」
「俺も偉業か何かすれば銅像立てて貰えるかな……」
「貴方の銅像が立ったら毎日からかいに行きますよ?」
「それは勘弁してほしいかな。思わず銅像の俺が動いちゃいそうだからね!」
あちこちを巡った彼らは落ち着いた雰囲気の温泉宿へと入った。
温泉を楽しみ、食事を楽しんだところで畳の上の座卓でしのぶは伸びをした。
美人の湯と謳われるだけあって温泉の湯はしっとりと彼女に馴染み、いつもより潤いのある艶やかな肌へとなっていた。
(……ようやくここまで来たのよ! 天候も可能な限り予測して、お互いの都合も考えて……今! 全てのイベント事が終わって、旅館で、誰も来ない、部屋の中……!)
――夏休みにどこか行こうか。
珍しく文寿郎の方から声を掛けられて、しのぶが慌てて自分の予定を確認して予定を立てたのだ。
だがしのぶは夏風邪になり、文寿郎はアルバイト先でやっかみを受けて色々とトラブルが起きており、到底行ける空気ではなかった。
なし崩しに潰れてしまったが、再び蘇らせたこの旅行プラン(縮小版)をまた頓挫させてなるものか。
固い決意を秘めながら日常を過ごし、待ち侘びたその日は無事にやってきた。
姉のカナエと妹のカナヲ、そして母からの助言も受けてこの旅行で確実に決める。
(手を繋ぐこと以外してなかった、この関係から一歩踏み出すのよしのぶ!)
最初は別室だった宿もかなりの無理を言って同室にした。何回もファッション誌やトレンドを確認して自分が可愛くなれる服を探し、メイクの方法だっていつもより大人びたものにした。
今日のデートだって空いたその手を繋いで、出来る限り体を近付けて時間を過ごした。
――それでも一歩踏み出せなかったら私がアイツの頸を斬るから安心してね。なんだか物騒な妹の声が聞こえた気がするが、しのぶは顔を横に振った。
(広縁の方に座っている、今が好機……)
「しのぶちゃん、星が綺麗だからこっち来ない?」
「あ、み、見ますー!」
(先手を打たれた!?)
動揺を椅子に座るまでに鎮めて、落ち着いた心地で窓の向こうを眺めた。
この宿を囲む山々は鮮やかに葉を紅く染め、見事なまでに美しい錦模様を見せていた。夜という暗さの中では落ち着いた色味になり、点々と星が冷たい空の中に浮かんでいる。
いつも囲まれている都会の喧噪では見ない絶景と、日常から離れた今という空間もあって、しのぶの唇は「綺麗ですね」と自然に紡いだ。
「なんででしょうね。夜になるといつも動かなきゃって気になるんです。だから、ちょっと落ち着かないというか……」
「俺は藤の花が見たくなるなぁ。夜の藤はいつまでも綺麗だろうし」
「藤って……。もう時期は過ぎてるじゃないですか」
「うん。だから一人で見に行ったりしたけど……、今度はしのぶちゃんも連れていっていいかな。一枚くらい写真でも撮らせてよ」
「いいですよ。一枚だけじゃなくて何枚でも撮ったらいいじゃないですか。その、恋人……、なんです、から」
(自分で言っておいて恥ずかしがるなんて……。どうしたのよ私! 何度も練習したでしょう!?)
藤の話は初めて聞いたし、さり気なく次のデートも組んでもらえるんだとか、ここが攻め時とか。
様々な思考が混ざってしのぶの頭をパンクさせていたが、言われた当人はぽかんとした顔を見せた後破顔した。
「あはは! 確かに! じゃあいろんな場所に付き合ってもらおっかなー」
(良かった。上手く誤魔化せた!)
「ふふ……」
文寿郎が立ち上がり、静かにしのぶの元へとやって来る。
「しのぶちゃんは俺とは違うんだから、ちゃんと体は大事にしなよ?」
「えっ」
振り向いた彼女の唇に柔らかな感触がした。
しばし動揺と、状況を把握した頭が呼吸を止めて少し冷ややかな唇が離れていく。
間近でしのぶの紫を反射する瞳が、確かに彼女を見つめて、丸く映るしのぶを目に入れている。
「今はこれと共寝ぐらいでね?」
「……!?」
「明日も早いから」と電気を消され、布団へと寝かされたしのぶは侵入してきた文寿郎の腕の中で一晩抱き込まれて、寝た。
彼女が一連の出来事を整理し、理解するまでに一晩以上の時間を掛けた。
いつもの習慣で目が早くに醒めた彼女は体を包む温かな感覚と、眠ってる間に整えた記憶を顧みて、顔を真っ赤にして布団から飛び起きた。
(え、ちょっと、な、何。何が起こったの。いや分かっているわ。あ、あああ、あの文寿郎から手を、というかく、くくく口? とにかく、彼の方から
緩やかに寝ぐせの付いた髪を揺らしながらしのぶは広縁へと行き、取り合えずの行動で窓を開けた。
「さ、さむっ」
ここが山だからだろうか、酷く冷え込んだ冷気が少しはだけた浴衣から入り込み、窓を即座に閉じた。
「氷柱が出来るぐらい冷え込むのね……。っくし」
浴衣を直しながらしのぶが目をやる。軒先に氷柱が出来ており、よくよく見れば窓の端は薄く霜づいて雪の結晶柄の磨りガラスのようになっていた。
「おはよ……。ここ大分冷え込むんだね……」
「……おはようございます。寒いですし、どこかの誰かがあったかくしてくれないから温泉に行ってきますね」
「……あはは。しのぶちゃん、今の時間って混浴らしいよ。俺も行こうかな」
「!?」
――望むところだと意気込むが、結論から述べるとしのぶは顔を赤くさせて縮こまる結果に終わった。
だってほら足ないないルートだと悲恋っぽくなっちゃったし、俺はあの時からいちゃこら?回の挽回をしようと頑張っていたんだ。
ぼく、満足!