ウマ娘の傷跡になりたいだけの男の話   作:橘 翔

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折れてる姿が想像できない&1人になると泣いてそうなウマ娘、堂々の1位(自分調べ)



case:キングヘイロー

 

「キングヘイロー。君をスカウトしたい」

「へぇ?私をスカウトするなんて見る目があるじゃっ!?」

 

選抜レースを2位で走りきって、それでも自分の力を出し切ったと胸を張っていると、1人だけ私に声を掛けてくれた。まさか、そのトレーナーが最近噂の新人トレーナーだとは思わなかったけど。曰く、筆記、実技試験共に歴代トップクラスの成績で合格しただとか。面接で理事長相手に啖呵を切っただとか。そもそも、名家出身だったりルックスの良さも相まってココ最近の生徒の噂話は彼のことばかりだった。

 

「どうかしたのか?」

「いいえ、少し驚いただけよ。まさか貴方から声が掛かるとは思わなくって」

「.....噂が独り歩きしているだけさ。そんな大したヤツではないよ」

 

冗談ではない。この私が噂程度で揺らぐわけがない。思わずたじろいだのは、彼の新人とは思えない存在感と気迫に圧されたからだ。

スラッとした線の細さから想像できないほどの、何かを覚悟した者のような気迫。思わず身震いしてしまう。

 

「どうして私を?」

「君なら折れないと思った」

「折れない?」

 

彼は私に着いてくるように言うと、スタスタとターフを後にした。その有無を言わせない態度と、ほんの少しだけ、懇願するような雰囲気を感じ取り、何はともあれついていくことにする。ふと、ターフを振り返ると、レース場中の視線が向いているのに気づいた。なるほど、彼の影響力は想像以上だったらしい。

移動先は校舎裏の人気がない所だった。

 

「すまない、他の人には聞かせたくなくてな」

「いいえ、気にしなくてもいいわ。それで、聞かせてくれるんでしょ?」

「あぁ」

 

彼は大きく深呼吸すると、意を決したようにこちらへ向き直る。その手は固く握り締められていた。

 

「私は、いや、俺は3年でトレーナーをやめる」

「.....何故か聞いても?」

「体が弱い。本来はトレーナー業をするのも反対されるような身だ。認められたのは3年といったところだ」

 

あの気迫を感じた後に信じられないことだが、彼の目は真剣だった。まるで、燃え尽きる寸前に一際輝く流れ星のように、目だけが爛々とこちらを貫いている。

 

「キングヘイロー。俺は、証が欲しい。この世界に生まれた意味、存在したことを証明し、誰かに覚えていてもらえるような証が。その為には君が必要だ、キングヘイロー。利己的だと笑ってくれて構わない。だが、後悔させない。君を最強にする準備がこちらにはある」

「ッッ!!」

 

たまらなかった。全身全霊で私を求められていた。その事を勘違いさせる余地もなく、叩きつけられていた。これがもし、周りから悪評があるような人でも思わず手を取りたくなってしまうような強烈な引力。こちらは呑まれないようにギュッと耐えるので精一杯だ。

 

「これは契約だ。君を強くする代わりに、君は俺を証明し続ける。並大抵のことではない。トレーナーというのは、それだけ重い。3年後に自分は消えて、後はよろしくなどと、正常なトレーナーのすることではない。それでも、俺は.....」

「受けるわ」

 

それでも、その強靭な精神の裏に見えた泣きそうな顔が、多分1番の決め手だったのだろう。まるで自分を見ているようで放って置けなかった。

 

「勘違いしないで欲しいのだけれど、これは貴方のためだけではないわ。私は私を周りに認めさせたい。そのためには、強くなるしかないの。言ったわね?私を最強にすると。その言葉を信じることにしただけよ」

「.....君を選んだ目に、狂いは無かったな。任せてくれ、契約は果たそう」

「えぇ、これからよろしく。トレーナー」

「こちらこそ」

 

未だに早鐘を鳴らし続ける心臓を気合いで隠し、私は彼と同じ舞台に上がった。ここから先は一蓮托生。お互いはお互いの為に、お互いを利用し合うのだと、その時はそんな一線を引いた関係を予想していた。

 

───────────────

 

菊花賞

 

距離適性が無いため苦しいという周りの意見を跳ね除け、私はこのレースに出場していた。

 

長距離のためのトレーニングも、作戦も立ててきたというのに、それでも適正という名の壁は高い。周りはスイスイ加速していく中、ほぼ気合でついて行くような状態だ。最終コーナーを曲がる時、直感でこのままでは届かないことを察する。

苦しい、走るのを辞めたらどんなに楽だろう。あれだけ死ぬような思いで練習して、それでもあと少し届かないなんてっ!

 

──キング、君は君だよ。それだけは忘れないで欲しい。無敗の二冠だとか、あの人の娘だとか、そんなのは気にしないでいいんだ。

 

不意にレース前のトレーナーとのやり取りがフラッシュバックする。そんな気遣うような事を言うらしくない彼を、私は鼻で笑ったのだ。

 

──心配無用よ。私は私、それ以上でもそれ以下でもないわ!貴方の証を刻みつけるところを、目に焼き付けなさい!

 

距離適性が無いと散々言われてきた。あのトレーナーでさえ、毎日遅くまで練習メニューと体調管理を考えていたのを、私は知っている。私の記録に陰で一喜一憂しているのを、知っている。

 

あっ

 

──そうだ、証を

 

彼に、証を。私を選んでくれたことの、正しさを。どんなに周りに言われようと、信じてくれた、あの人を。

 

「負けられッないのよ!!!」

『キングヘイロー!キングヘイローだッ!!並み居る強豪を押しのけ、無敗の三冠を手にしたのは、キングヘイロー!!下馬評を覆す、見事なごぼう抜きだぁーー!!!』

 

見えない手で支えてもらったようだった。そうでなければ、説明できないほどの手応えだった。

 

「キングッッ!!」

 

あぁ、彼が駆け寄ってくる。何か言い返したいけれど、もう何も残ってない。ほんとのほんとに出し切った。当分起き上がれそうにない。

 

「バカヤロウ!無茶しやがって、くそっ!脚は!?痛むところはないか!?」

 

力無く首を振る。せっかく三冠を取ったのに、ずいぶん味気ないのね。

 

彼が医療班に指示し氷嚢を用意したようで、脚がヒンヤリとした感覚に包まれる。ふと気になって彼を見ると、彼は泣いていた。思わずギョッとしてしまう。

 

「なんであなたが泣くのよ」

 

掠れた声しか出なかったが、彼は聞き逃さなかったらしい。恥ずかしそうに涙を拭うとこちらを見る。

 

「君を見ていた。ずっと。そしたら、証をって口元が見えて」

 

思わず飛び上がりそうになった。元気だったら彼を蹴り飛ばしていたかもしれない。え!?口に出てた!?しかもバレてるってどういうことなの!?

 

「俺のために無茶しないでくれ。あの姿勢は、一歩間違えたら転倒して事故になってもおかしくない」

 

ふっ、と頭が冷静になる。なるほど、無我夢中で気づかなかったが、私はどうやら相当な無茶を通したらしい。だが、こちらにも言い分がある。

 

「いいえ、契約よ。私はあなたの証を刻むの。こんな所で立ち止まって居られないわ」

「.....もう十分だよ」

「まだよ。少なくともまだ、私は満足していないわ。もっと上がある。それくらい、あなたならわかっているのではなくて?」

 

彼は言葉に詰まったようだった。しかし、驚いた。あれほど渇望していた願いをもう十分と言うとは。見立てではどこまでも貪欲に勝利を目指していくかと思ったが。

 

「.....気づいたんだよ」

「何にかしら?」

「俺が生きた証、キングヘイロー。この2つのうちどちらかを取るなら、俺は迷わず君を取る。それくらい君に惚れ込んでいる」

「え、ちょ、は!?あなた何言って」

「無事でよかった」

 

彼に抱きしめられ、何も言えなくなってしまう。その所作ひとつひとつに優しさが感じられて、なんだかこそばゆい。

 

と、

 

突然、ここがまだレース場内であることを思い出した。

 

バッと周りを見渡すと、先程まで競い合っていたライバルや観客に生暖かい目で見守られていることに気づく。というか、割と大きめの黄色い悲鳴が上がっていた。

顔が暑い。鏡を見なくても、自分が真っ赤なことが分かる。体を離したいのに、言うことを聞いてくれない。

 

そのまましばらくの間生き地獄を味わったのだった。

 

トレーナーには謝り倒された。

 

─────────────

 

やっぱりあれは相当な無茶を通した結果だったらしく。

 

いざ有馬記念や天皇賞・春に挑んでみたものの、そこそこの順位に沈んでしまった。やはり同期は皆強かった。自分の中で確かな勝算を持って出走しただけに悔しかったが、彼に諭されなんとか結果を受け入れた。母にも何か言われたが、電話の隣で彼が『心配している』やら『よく頑張ったわね』という内容に傍から訳していくから切られてしまった。トレーナー曰く、これが本音らしい。今はいつか母に会わせてみようと画策しているところだ。こってり絞られるといいのよ。

でも、まぁ。以前ほど口出ししてこなくなったのはトレーナーのおかげだとは思う。何やら私の知らないところで連絡を取りあっているらしく、私からしたら不思議でしょうがない。あの人に取り込む上手さというのは、是非とも見習いたいものだ。

 

そして、負けてばかりと言う訳でもない。菊花賞最後の末脚を勿体無いと思ったトレーナーが短距離、マイル路線への進出を提言してきたのだ。

 

──一流はどんな場所でも輝いてこそ一流だよな?

 

乗せられているのは自覚している。だが、トレーナーも褒めてくれた末脚をどこまでやれるのか試してみたくはあった。

 

結果、連勝の嵐。

 

長距離路線も短距離路線も鍛えるトレーナーの超効率メニューによって、それまで意識してこなかったレースも勝ちにいけるようになっていたのだ。無敗の三冠が短距離路線に進出したことで注目が集まり、今まであまり目立ってこなかったレースも盛り上がりをみせるなどし、トレセン側から感謝されたのには驚いたが。

 

思えば、以前の私では考えられぬほど、勝利を収めたものだ。

 

メディアへの露出を求められる機会も増え、その度にトレーナーを必ず引き連れ出席している。これは、ここまで私を強くしてくれた彼への私なりの恩返し。映像というのはいつまでも残り続けるから。

結果として、彼が美形なことと、私がトレーナーの事が好きすぎるということが周知の事実になったのだけは文句を言いたいけど。

 

────────────

 

そんなある日。

次の出走予定を話し合う場で、おもむろに彼は切り出した。

 

「なぁ、キング。有馬に出てみないか?」

「あら、珍しいわね。あなたから長距離レースの話が出るなんて」

 

元々彼は長距離レースに出走するのを嫌がった。どうやら、菊花賞の時のことがトラウマになっているらしいが、少し嬉しいような、心配し過ぎなようなといったところだ。その彼から打診があったのは初めてではなかろうか。

 

「機は熟した、というやつだよ。君はもう誰にも負けない」

「ふーん、あなたが言うならそうなんでしょうね」

「まぁ、最後の締めくくりにもいいかなって思ってさ」

 

ドキッとする。そうだ。彼との契約期限はすぐそこまで迫ってきていた。最初こそ3年も先のことをと思っていたが、いざその時になるとあっという間だった。

 

「ねぇ、そのことなんだけど、トレーナーとしてでなくてもいいから私の活躍をもっと近くで見る気はないかしら?」

「.....ありがたいお言葉だけど、無理だね」

「そう」

 

何かしらの事情があるのだと思う。以前と比べて彼が服用している薬の種類も増えた。おそらく、トレーナー業という過酷な作業で疲弊しているのだ。そんな彼を、契約として縛り付けるのは間違っている気がした。

 

「変なことを言ったわね」

「いや、気持ちはわかるさ。できることならそうしたかった」

「少なくとも、私は強くなった。あなたは約束を果たしたわ。なら、私は輝き続けるだけよ」

「さすが一流、さすいち」

「ねぇちょっとそれ馬鹿にしているのではなくて???」

「いやいや」

 

こんな風に笑い合えるのも、あと数ヶ月。私は、彼との足跡をできるだけ残すことを心に誓う。

 

「いいわ、出ましょう」

「OK、勝つぞ」

「誰に言ってるのよ」

 

そこから、ジャパンカップと有馬記念という大レースを、私たちは接戦の果てに勝ち取ったのだった。

 

────────

 

トレーナーに告げられた担当を離れる日まであと1週間。引き継ぎの資料作りで忙しいらしい彼を、なんとなく眺める。

 

「どうかしたか?」

「いいえ、私達、随分勝ったと思って」

「あぁ、本当によくやってくれたよ、キングは」

 

トレーナー室に飾られているトロフィーの数々は、まるでそこがチームで戦利品を集めたかのような豪華さだった。

 

「俺は、君という証を残せた。君は、君自身の価値を周りに示した。契約は果たされたと言っていい」

「そう、ね」

 

ことある事に契約の話を持ち出した。その方がお互いに辛くないから。恥ずかしい話だが、私はまだまだ彼と共に歩んでいきたかった。だが、それは契約と違うからと、無理やり自分を納得させて。

 

「これからあなたはどうするの?」

「何も」

「はぁ?」

 

ついつい彼のこの先を探ってしまったが、帰ってきたのは気のない返事だった。

 

「なにもって、実家に帰ってウマ娘のことを見るなりできるんじゃないの?」

「そんな予定はないなぁ」

「あなた.....勿体無いわよ。あなたほどトレーナーとして優秀な人、他には居ないわ」

「お?嬉しいことを言ってくれるね。けど、最初に担当した子が最高過ぎてね。しばらくはいいかなって感じてる」

「あ、あなたねぇ!.....賛辞だけは受け取っておくわ」

 

なんだか怪しく感じてきた。あまりにも無気力で無計画だ。彼はトレーナーとして優秀極まりないのだから、引く手数多だろうに。

 

ふと、他のウマ娘の担当をしている彼を想像して、胸が痛くなってしまう。少なくとも、私が現役の間に彼が出てきたら愚痴の一つも零しそうなくらいには。

 

「キングこそ、新しいトレーナーの目処はついたのか?」

「そうねぇ.....」

 

私の方も、順調とは言い難い。大々的に公表こそしていないが、彼から数人の信頼出来るトレーナーを紹介してもらった。なるほど、能力、性格ともに文句無しに優秀で、それぞれの強みもハッキリしている。これだけの人材、集めるのにも苦労しただろう(私が相当勝っているのもあるだろうけど)。その上で、

 

「最初のトレーナーが最高過ぎて、ね?」

「おまえさぁ.....そっちはまだまだ現役だろ?」

 

意趣返しの意味もあるが、ほぼ本音だ。彼を超える人が存在するのかすら疑わしいレベルで。

 

「これからも輝いてもらわないと困るんだが」

「安心して、1人でも問題ないわ」

「出たよ、強がりめ。ったく、どーするかね」

 

困ったように笑う彼を見て心の底から思う。もう少しだけ、一緒にいさせて欲しいと。

 

───────────

 

トレーナーは拍子抜けするほどあっさりとトレセンを去っていった。別れの言葉も「じゃあまた」「えぇ、また」で終わりだ。もう少しなんかこう、なかったのかしら!?

 

私も私だ。着々と時間は過ぎていったのに、彼との居心地のいい空間に甘んじて最後まで食い下がることをしなかった。

 

「なにしているのかしら.....」

 

結果、彼という至宝はこの手からすり抜けてしまった。二度と、あの人みたいな運命の人など出会えないと思っているのに。

 

思わず溜息をつきながら、彼の残した資料を読み込む。彼が考案した練習メニューや効果のほどなどが細かく記してある。さらにはレースにおける戦術のあれこれ。1度、同期のライバルたちに運ぶのを手伝ってもらったのだが、読むのを許可したところこんな価値のあるもの気軽に見せるなと怒られてしまった。なるほど、彼のような優れたトレーナーの練習メニューなど、いくら払ってでも見たい人はいるだろう。

 

──ブーッ、ブーッ

 

「あら?執事さん?」

 

突然連絡を寄越したのは、彼の専属の執事だった。

 

───────────

 

「突然お呼び立てして申し訳ございません」

「いいのよ。で?あなたが呼ぶからにはよっぽどのことだと思うけど」

「坊っちゃまのことでございます」

 

そこにはいかにもなタキシードを着込んだ妙齢の爺がいた。さすがに喫茶店内であろうともその格好は目立つようでちらちら視線を感じるが、それを歯牙にも掛けていない。私も見習って手元のコーヒーに口をつける。

 

「あら、本人は連絡を寄越さないくせして執事はマメなのね」

「ほっほっほっ」

 

鋭く視線が交差する。歳上の相手に対しての態度としてはあんまりだが、この相手に限ればこれが正解だ。徹頭徹尾、お坊ちゃま第一主義。この一文で相手の全てが語れるだろう。

 

「あまり時間をかけても無駄ですので、早速本題に入らせて頂きます。キングヘイロー様はお坊ちゃまの体についてどの程度ご存知でしたかな?」

「.....?体が弱くていつも薬を飲んでたのは知ってるけど」

「かしこまりました。まったく、お坊ちゃまも人がお悪うございますな」

 

すっ、と執事の目が細められる。まるで見定められているかのような重圧を、敢えて無視して逆に睨み返す。こういった時の執事は、どうすれば坊っちゃまの益になるか考えている。そしてその結論は大概、ろくなものでは無い。

 

「これは嘘でも冗談でもございません。お坊ちゃまは今、余命1ヶ月と伝えられております」

「.....え?」

 

───────────────

 

やたら広い屋敷を案内されて、通されたのはいかにもといった豪奢な一室だった。中央に天蓋付きのベットがぽつんと置かれ、部屋の主がペンを走らせる音だけが響く。やがて、パタリと音が止んだ。

 

「どうして来ちゃうかなぁ」

「.....ふん、なんででしょうね?自分の胸に手を当てて良く考えるといいわ」

「こりゃ厳しい」

 

この部屋の主たるトレーナーは、見るからに痩せこけていた。心電図のコードや点滴の管が巻き付くその姿は、なにかに囚われているように見えた。

 

「キングにだけはこんな姿見られたくなかったんだけど」

「.....なんで」

「カッコつけたいだろ。誰だって」

「〜!!おばか!」

 

ベッドに歩み寄る。漂ってくる消毒液の香りは、否応なしに死の気配を感じさせた。

 

「危うく、二度と会えないところだったじゃない」

「うん、ごめん」

 

そのままベットへ仰向けに倒れ込み、彼の腿へ頭を乗せる。

 

「会えて嬉しいよ、キング」

「この、バカトレーナー」

 

どうしても涙を止めることができなくて、それでも嗚咽は我慢して。こんな再会は望んでいなかったと彼に愚痴を言って。

 

「どーするかね」

 

困ったように笑う姿だけはいつもと変わらなくて。それが余計に悲しかった。

なにか話題を変えようと枕元に散乱しているメモを一つ手に取る。何やら横文字が沢山並んでいるが、内容はさっぱりだ。

 

「いやー、頑張って治そうとしてるんだよ。意味無いかもだけどさ」

 

分厚い本を片手に笑う彼ははなんでもないことのように言うが、走り書きされたメモの荒さは鬼気迫るものを感じさせた。時折字が滲んでいるのは涙だろうか。

 

「.....ごめん、なさい。私、貴方に何もしてあげられない」

「いいんだよ。どうせ爺が連れてきたんだろ?なら、きっと君に会うのが俺にとっての最善なんだよ」

 

心底嬉しそうな笑顔に、また涙が溢れそうになる。

 

「こっちこそ、ごめん。こうなると分かっていて、君と歩んで来てしまった。本来、誰も担当するべきではなかったんだろうけど」

「嫌よ、それこそ。貴方と出会えなかった世界なんて、考えたくもないわ」

「そう、か。なら嬉しいな」

 

すこし、むっとした。少しでも私と出会ったことを後悔して欲しくはなかった。

 

「病気なんかに負けちゃダメよ。あなたは私という一流のウマ娘のトレーナーなんだから。ほら、しゃんとなさい!」

「さっきまでべそかいてた君に言われるのは納得いかないなぁ」

「そこ!グダグダ言わない!」

 

ビシッとトレーナーに指を突きつける。彼に支えてもらった恩を、今こそ返す時だ。

 

「これから毎日見舞いに来てあげる。私が支えてあげるんだから、負けたら承知しないわよ!」

「おぉ、それは負けられないな」

 

最初よりはマシになった顔つきを見て、私は鼻息荒く頷いた。なんだか、ウララさんのオーバー気味な表現が移っている気がするわね。

かくして、彼の闘病生活を支えることとなったのだ。

 

───────────────

 

彼は頑張った。あらゆる可能性を試し、私の前で弱音ひとつこぼさなかった。

 

私は頑張った。連日彼の元へ通い、可能な限りのサポートを行った。

 

だけど、まぁ。そうそう奇跡は起こらなくて。

 

『幸せだ』という言葉と、

 

彼が後生大事にしていた万年筆を残して。

 

彼は遠い遠いところへ駆けていってしまった。

 

─────────────────

 

あれから長い時が経って。

 

私も現役から退いて。

 

それこそお母様から結婚をせっつかれるような歳になってしまっていた。

 

「昨日のことみたいに思えるのに、時間ってほんと残酷ね」

 

私は、彼の残した万年筆を持って、海岸へと足を運んでいた。

 

彼が残した万年筆。私が皐月賞で勝利した時に賞金でプレゼントした1品だ。一流には一流の道具、という信念のもととびっきりの物を選んだ。彼は驚いていたけど、死ぬ間際まで手放さなかったのだ。きっと気に入ってくれていたのだろう。

 

深呼吸をする。

 

「私は前に進むわ。だって、ずっと立ち止まったままじゃ、私らしくないもの」

 

万年筆を握った手を振りかぶる。

 

「ごめんなさい」

 

思い切りよく振り抜くつもりだった腕は、頭の真上あたりでガクンと止まってしまった。

 

「.......ッ」

 

腕が震えて、その震えを止めようと反対の腕で掴む。手のひらには爪がくい込んでいた。

 

「.......なんでよッ!私は!わたし、は.......」

 

力なく腕が下がる。それでも万年筆は落とさないようにと握る力は緩まなくて、それが尚のこと情けない。

 

「.......あれー?キングったら、こんなところでどうしたのー?」

 

酷く場違いな、呑気な声が響いた。

 

「スカイさん.......あなた、尾けてきたわね」

「にゃは、なんのことやらー。で、それ、どうするの?」

 

惚けた態度とは裏腹に、スカイさんの目は、どこまでも真剣だった。

 

「どうって、私は.......」

「あー、やっぱ要らない感じ?ならくれないかな?すっごい良い値で売れるよ、それ」

 

わかっていた。彼女が敢えてその役回りをしてくれているのは、わかっていた。彼女はいつも優しいから。

 

「.......私も、どうしたらいいのかわからないのよ」

「キングはさ、難しく考えすぎなんだよ」

 

隣に並んだ彼女は私をその場に座らせる。あくまで海を眺めながら、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。

 

「昔っから頑張りすぎなの、変わらないよね。いつまでも引きずったら申し訳ないとか考えちゃった?」

「.......まぁ」

「私らしくないとか?」

「ちょ、あなたエスパー?」

「キングが分かりやすいだけでーす」

 

一頻り笑った後、彼女はポツリと呟く。

 

「それ捨てて逃げることがキングらしいの?」

 

ガツンと、頭を殴られたような衝撃だった。頭のモヤが晴れていく。

 

「それ、あの家相手に必死に頼み込んで手に入れたんでしょ?」

 

そうだった。両親に頼み込んで、これだけは譲ってもらった。

 

「トレーナーとの思い出の証なんでしょ?」

 

そうだ。これは、証だ。私と彼だけの。

 

「自分に素直になればいいんじゃない?」

 

万年筆を胸に抱え込み、強く抱く。彼との時間が頭をよぎる。

 

「.......今日はいい天気だねぇ。海が眩しくって何にも見えないし、波のさざめきでなーんにも聞こえないや」

 

涙が止まらない。ごめんなさい。私はまだ、あなたを忘れたくはない。もしかしたら、ずっと。あなたを想っていたい。

 

そっと肩に手を回してくれたスカイさんに甘えて、私は泣いた。

 

ごめんなさい。ありがとう。愛してる。

 

最近は考えないようにしていた言葉が胸に溢れる。

 

あぁ、私は、どこまでいってもあの人が好きらしい。見ないふりはもうやめた。

 

もうどこにも無くさないように、万年筆を強く握った。

 

─────────────

 

夕焼けが綺麗な時間帯に、私はスカイさんと海辺を歩いていた。胸ポケットにはもう落とさないように万年筆がしっかり収まっている。

 

「ところでスカイさん?あなた人のことはとやかく言うくせに自分はどうなの?」

「はぇ?」

 

スカイさんとトレーナーさんが両思いなのは同期組全員が知っていたし、お互いにやたらヘタレているのも周知の事実だった。

 

「そう、そうね。やられっぱなしはムカつくわね」

「え?え?え?」

 

手早く電話を掛ける。あの執事、性格はあれだが手腕は本物だ。

 

「えぇ、私よ。どこか夜景の綺麗なレストランの予約を.......そうね、今週末でいいわ。予約はセイウンスカイで取っておいて。えぇ、えぇ。とびきりのを期待しているわ」

「あの、キングさん?なにやら私の名前が」

 

無視。

 

次にスカイさんのトレーナーへと。

 

「あら、ごきげんよう。突然だけど今週末、スカイさんとの最高のディナーを用意したわ。いい加減あなたの惚気に付き合うのにもめんどくさくなってね。え?急?スカイさん悲しんでたわよ。待てども待てども釣果無しって。あの子の性格は知っているでしょう?いい加減腹括りなさい。どうせ指輪も用意してるんでしょ?えぇ、よろしい。じゃ、追って連絡するわ」

 

通話を切る。隣では口をパクパクさせた金魚がいた。

 

「.......ドレスコードくらいは見繕ってあげるわ」

 

私はそう言って、満面の笑みを見せつけてやったのだ。

 





どうも、ライブでぶち上がって書き切りました。

こんないい女いねぇよ。しゅき。

随分と遅くなってしまい申し訳ない。ただ、良いのを書くのに焦りは禁物なのでね、気長に待ってもろて。

次はバッキバキに折れる娘を描きたいんごねぇ。
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