蛇寮の獅子   作:捨独楽

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この二次創作において最も酷い扱いを受けているキャラクターがいます。
ペチュニア・ダーズリーです。


愛と憎悪の物語

 

 

***

 

 ハリーはプリベット通り四番地のダーズリー家最後の夏で、庭の世話をしていた。ゴム手袋を着け伸び盛りの雑草を引き抜き、庭の隅に置くと、前の日に乾燥させていた雑草を、ポリ袋の中に放り込む。

 

「精が出るわね、ポッターくん」

 

 と声をかけてきた隣人のマーク婦人に対して、ハリーは

 

「いい天気ですから。ここのところ、こんなにいい天気はありませんでしたし。気が紛れます」

 

 と言葉を返した。

 

 気が紛れるという言葉は本心だった。魔法界の新聞、デイリー・プロフィットがハリーへと伝える記事は、ハリーにとってあまり好ましいものではなかった。

 

 ここ数日で様々な記事が載った。リタ・スキータによる、アルバス・ダンブルドアの『真実』。ファーレイ家失踪事件。そして、ホグワーツマグル学教授、チャリティー・バーベッジ教授の寄稿があった。

 

 ダンブルドアに関する記事に対して、ハリーは思うところはなかった。ハリーはアルバス・ダンブルドアという恩人のことを聖人のように考えていたわけではない。

 

 ただ、ハリーはダンブルドアのプライベートな事情や、抱えている問題に対して興味はなく、いつもダンブルドアに対して何かしてもらうことばかりを考えていたことを思い出した。

 

 

 ファーレイ家の4人家族が失踪したという記事は、ハリーにとっては気持ちのよいものではなかった。ファーレイは、スリザリン寮にも馴染みのある家だった。

 ハリーがスリザリン寮に入寮を決めた日、スリザリンはけして悪の寮ではないと新入生へ伝えたスリザリン寮の監督生はジェマ・ファーレイだった。

 

 魔法界を取り巻く状況など露知らず、いつもと同じ日常を過ごしている筈のマーク婦人は、好奇心にまみれた顔でハリーへと尋ねる。

 

「そうねぇ。このところ霧が多かったものねぇ。洗濯物が乾かなくて大変だったわ。ねぇ、奥さんはお元気なの?近頃あまり体調が優れないようだけど……」

 

 ディメンターはプリベット通りの周囲を下げるように英国中を飛び回っており、英国が夏場とは思えぬ冷気と曇天に覆われる中で、プリベット通りはここ数日晴天の恵みを享受していた。ディメンターが遠くを通り過ぎるだけでも、体調の悪いマグルにとっては毒になる。

 

「さぁ、僕には何とも。帰ってきたばかりですから。ですが、問題はありませんよ。叔母が病院の厄介になっているという話は聞きません。……お気遣いありがとうございます、マダム」

 

 ハリーは、ダーズリー家の隣人のことを、ハリーはあまり好きになれなかった。ダーズリー家にいる間は世界のすべてが敵に思えたし、隣人である彼らはハリーに何かしてくれるわけでもなかった。

 

 今のように勝手に隣人の事情を詮索し、ハリーが孤児であることをこそこそと噂話はするというのに、だ。プリベット通りにまつわるほとんど全てのものが、ハリーにとっては呪いのようなものであった。

 

 とはいえ、今ならばハリーは隣人達の気持ちを考えて表面を取り繕う事ができた。

 

 仕方のないことだったのだ。ハリーの魔法によって引き起こされる不気味な騒動に、隣人たちが一度も気が付かなかったとは思えない。ハリー・ポッターが『変人(オブラートに包んで言えばだが)』であることは明らかだった。そしてダーズリー家が『変人』のハリーをどうにかしようとして繰り返した虐待に気付いたとして、彼らには何もできなかった。

 

 ハリーが一定期間をダーズリー家で過ごすことこそが、ハリー自身の身の安全のために定められていたことなのだ。

 

 

 ダーズリー家はハリーが十七歳になり魔法界の成人を迎えると同時に、リリー・ポッターの死によって成立し、ダンブルドアが拡張した愛の護りの加護を失う。ダーズリー家もハリーと同様に、このプリベット通りの住み慣れた家を離れ、隣人との人間関係を棄てて避難することが決まっている。

 

 

 ハリーにとってのダーズリー家に対する復讐は、ハリーが直接的に手を下さずとも行われているのだ。

 

 

「おばさん。庭の手入れが終わりました」

 

 ペチュニア・ダーズリーはハリーの存在を無視し、いないものとして扱った。

 

(……まぁそうだろうな。無視されるのはいつものことだ)

 

「では失礼します」

 

 ハリーには驚きはなかった。ペチュニアもバーノンも、ハリーと会話しようという気力は消え失せていた。

 

 ハリーは常にない違和感に気付いた。テーブルの上に、ペチュニアのものでもバーノンのものでもないコップ置かれている。コップにはなみなみと水が注がれ、一つだけ溶け残った氷がその存在を主張していた。

 

 ハリーはそれが、自分に対して与えられたものだと信じられなかった。ハリーは迷った末、どうしても、それに手を付けることができなかった。

 

(結局この家で僕は邪魔者でしかなかった)

 

 ダーズリー家においてはハリーは異物であり、部外者であり、居なくてもよい存在だ。その事実が、マグルと魔法使いとの、決定的な差異を示しているように思えてならなかった。

 

(この家と、僕の関係に限ればだけど)

 

 しかし、ハリーとダーズリー家にはおよそ好ましい関係がなかったとしても。それが、マグルと魔法族が友好的な関係を構築できないという証明にはならない。

 

 マグル差別というのは、ハリーの体験に基づく歪んだバイアスに過ぎない、とハリーは結論を出している。

 

 魔法界でも現在は混乱の最中にあった。魔法族というものはマグルを根本から舐め腐っていて、何をしても構わない存在と考えている輩も(極少数だが)いる。

 

 そんな輩に対抗するために、デイリー・プロフィットにチャリティー教授は持論を寄稿した。その一節は、こうである。

 

『マグルと魔法族との差は、育つ環境と生まれ持った魔法による能力的な差異に過ぎない。マグルは魔法族と何ら変わりない感性を持ち、我々と変わりない人格を持つ、尊重すべき隣人であるということを忘れてはならない』

 

 チャリティー教授の寄稿はこの内戦の中にあって勇敢な言葉であった。ハリーは、教授が教師として公平で正確な伝え方を心がけてくれていたことを知った。教授の主張は、普段からハリー達に伝えてきた言葉と一言一句違わなかった。

 

 チャリティー教授は、マグルは魔法使いより優れているとか劣っているとかいう話をしているのではない。マグルと魔法族が互いに違う価値観を持っているとしても、尊重すべき、或いは尊重してはならない価値観を持つ人間だということを忘れるな、と伝えている。それは理想論ではなく当たり前の現実的な話で、マグルと必ず分かり合えるというような無責任な押し付けではなかった。

 

 

 ダーズリー家が魔法族を尊重する気が欠片もないとしても。だとしても、だ。ハリーと関わったせいで今まで親しくしていた人間関係を捨て去るをえなくなるなど、理不尽極まりないことだ。

 

 そう、ハリーは(不愉快だが)ダーズリー家の視点に立って考えてみたのだ。

 心のなかで距離を取り、意図的に考えることを避けていただけで、時間があれば思いをめぐらせることはできる。考えること自体が苦痛であったとしても苦しみから逃げるわけにはいかない時もある。少なくとも、ハリーは彼らと二度と会うことはないのだから。

 

 バーノンなど最悪の極みだってことは疑いようがない。どこの世界に、面倒を見た親戚の子供のせいで会社を捨てざるを得なくなる社長がいるというのか。ハリーに対して向ける敵意の中には、意味不明の存在に対する恐怖心も含まれていた。

 

 ダドリーはハリーがいたという事実だけでディメンターに襲われ、危うく、ディメンター仲間に入りかけた。ダドリーが元々ディメンターと変わらないほど邪悪であったとしても、死後すら厄災を振りまく存在になる謂れはないだろう、とハリーは内心で思う。

 大勢の人間を直接的間接的を問わず手にかけたハリーに残った、なけなしの善性だった。そんなものは放り投げてしまえばいいのだが、それをハリーは許さなかった。

 

(この家に僕はいらない。それは運命や預言とは無関係に僕の個人的な問題だ。……僕は)

 

 

 ハリーのなかにダーズリー家に対する愛情はない。しかし、問題はそこではない。

 ダーズリー家での関係を引き摺り、すべてをそれに責任転嫁して自分の過ちから目を背けること。それがハリーが最も恐れていることだった。

 

 

(ダーズリー家が恐ろしい)

 

 ダーズリー家はハリーが始めて出会う家族であり、暴力と恐怖と屈辱の対象であり、飢えの恐怖を教えた場所であり、力による支配と従属という関係をハリーに教え込んだ存在だった。ハリーはダーズリー家の中で勇気を持つことはできず、必死に見返りを求めて足掻く子供でしかなかった。

 

(ここを出て死ぬまでの間で、僕はダーズリー家と同じことを繰り返さないと……言えるだろうか。ダーズリー家より酷いことを、ハーマイオニーを含めた皆に対してしてきたんじゃあないのか?)

 

 ハリーのなかにあるのは、自分が皆からどう思われているかという恐怖心であった。自分の過去の過ちや行動が、ハーマイオニーを筆頭とした仲間たちを傷つけてきたことは疑いようがない。

 そして、ハリーがよかれと思って非難を覚悟の上で行った復讐行為。アントニン・ドロホフの殺害が、どれだけ仲間たちに恐怖を植え付けただろうかとハリーは我が身を振り返った。魔法から遠く離れた生活と、死を迎えるための度に向かうという意識は否が応でも己の至らなさに対して思考を回してしまう。

 

(この家で僕はまともな関係ってやつをできなかった。まっとうな関係なんて構築できなかった。……でも、ダーズリー家でだけなのか。本当にそうか?よくよく思い返してみようか、僕自身のこれまでの行いを)

 

 ハリーの中には自分を責める声がかすかにではあったが、常にあった。自己批判的な声は、ハリーの中で鳴り止むことなく大きくなっていた。一度振り返ると、その声は鳴りやまずに自分自身を蝕む毒になる。

 

(ダフネと別れもせず自分に付き合わせて、結局彼女を放り出す気なんだぞ)

 

(ザビニの母親を死なせておいて、まだ自分の我儘に付き合わせようとしているんだ)

 

(ファルカスを死なせて。この先アズラエルまで死なせるかもしれないんだ)

 

(もっと上手くやれていたら。ハーマイオニーやダンブルドアの忠告に従っていたらどうなった?)

 

 ハリーの頭の中で意地の悪い悪魔の囁きがあった。それもまた、ハリーの本音だった。綺麗事だけで人が救えるならファルカスは死なずに済んだはずだ、とハリーの中の怒りが、ハリー自身を責め立てる。

 

(誰かがデスイーターの緑の閃光に貫かれていたかもしれない。コリンが片足を喪ったように。僕は……あれで充分だったなんて本当に言えるのか?むしろ温すぎたんじゃないのか?その甘さがダンブルドアの死を招いたんじゃないのか?皆に死の呪文を教えなかったことが正解だったと言えるのか?)

 

(もっと強くなれていれば。妥協せず、魔法でも情報でも必要な武器を持てばよかったんだ。たとえハーマイオニーとの関係を犠牲にしたとしても。それすらせずに今更……)

 

 ハリーはそこまで考えて、到底無理な話だと思った。ハリーには、ハーマイオニーを傷つけたと分かっていても彼女との関係、友人関係を終わらせる勇気がなかった。ロンとの関係まで切れてしまい、それによって連鎖的に、裏の集会というコミュニティまで空中分解してしまうことを恐れたからだ。

 

(……やめよう。……僕は、自分にできることをやっただけだ。問題はこれからだ)

 

 ハリーはそこで、更にネガティブな方向に舵をきりかける前にハリーは自ら思考を打ち切った。大きな溜息は自分に対しての呆れであった。

 

 居間にいたペチュニアは何を思ったのか、一瞬ハリーに対して視線を向けた。

 

 

 

「……食事の支度ができるように、日が暮れる前には戻ります」

 

 そう言葉を付け足して、ハリーはダーズリー家を出た。

 

***

 

 陽光が肌を焼くようにアスファルトを照らす通りを歩き、ひび割れを丁寧に避けながら、ハリーは通りを歩いた。

 

 プリベット通りでの生活はあと数日で終わる。ひび割れたアスファルトも、振り注ぐ日差しにより熱を帯びた道路とも、何ら変わらない街並みとも別れる。そう思うとハリーの足どりは軽くなる。

 

 しかし一瞬、違和感を覚えてハリーは足を止めた。

 

 プリベット通りの街並みは変わっていた。

 

(ん……)

 

 昔、ダドリーたちが友人とともに訪れていた街のアイスクリーム屋が潰れていたことを知った。どこかひなびたアイスクリーム屋があったはずの店は、今では小洒落たレストランに変わっていた。自分も一緒に食べたいとペチュニアに言い出そうとして、ダドリーに友達の輪に混ぜて欲しいと言おうとして、拒絶されることが恐ろしくて結局言い出せなかったことを思い出した。

 

「ち……」

 

 ハリーは己の胸中に湧き上がる何とも言えない戸惑いに驚きを隠せなかった。

 

 感傷に浸る気持ちを拭い去るように、ハリーの足はその場を離れた。

 

***

 

 ハリーは自分に監視の目があることを分かったうえで、アラベラ・フィッグのもとを訪れた。

 

 オーダーの一員でありながらスクイブである彼女には、いざという時、魔法使いの集団から身を守るすべがない。にも関わらずハリーの監視という名の任務をしてくれたこと。そしてそのおかげで、ディメンターから生き延びることができたことに対して、ハリーは謝意を述べた。

 

「……よしとくれ。礼なんて言われる筋合いはないよ。……むしろ恨んでいるだろう?」

 

 

「いいえ。貴女のもとに預けられている間は、僕は狭い空間に閉じ込められることはなくなりましたから」

 

 

 それは練習であった。リーマス・ルーピンとニンファドーラ・トンクスの結婚式の前に、ハリーはプリベット通りを去る。そのとき、後腐れなくダーズリー家と別れるための練習であり、ハリーにとっては待ちわびた日への予行演習であった。

 

(……実際……ここに来るときは、僕も他所の家だという意識が働いていたからか、不思議なことを起こす頻度は少なかった気がする)

 

 フィッグがダンブルドアと通じていて、見て見ぬふりができる人間だった、というのも一因だろう。ハリー自身が思っていたよりも、ハリーは色々な人間から護られていたということだ。

 

 そんなことにすら意識が向かなかった己の視点の矮小さに呆れつつ、ハリーはもう一度頭を下げた。

 

 フィッグはハリーに対して複雑な顔を見せた。気まずそうな、或いは、むず痒そうな表情であった。

 

 ハリーは最後に、彼女に対して尋ねた。

 

「最後にひとつよろしいですか、ミセス・フィッグ」

 

「……この通りの出来事は、どこからどこまでがダンブルドアによって仕組まれていたんですか?貴女は……ダンブルドアの指示だったからここに越してこられたんですか?」

 

 ハリーは自分の境遇が、ダンブルドアによって仕組まれていた安全なゆりかごの中であったことをすでに知っている。この問いはほとんど意味もないものだったが、最後に改めて確認しておくべきことでもあった。

 

「偶然だよ。だって」

 

 

「ダンブルドアの指示で……見ず知らずのあんたのために引っ越すなんて意味がどこにある?あたしはそこまで裕福じゃないんだ。人を買いかぶるのはよしなさい」

 

「……ダンブルドアのこどもそうだ。あの人はとても忙しかった。あんたがダーズリー家に寄越されて色々あったのも知っているが、あの人もあの人で……色々あった。世間で言われているようなど悪党なら、頼まれたってこんなバカなことやるものか」

 

 フィッグはダンブルドアとは古い知人であったのかもしれない、とハリーは思った。

 

「戦争の後処理に、裁判に……ファッジの馬鹿のケツ持ちにと、あの人は仕事を抱えすぎていた。あんたに構う暇は欠片もなかったんだ。」

 

 ミセス・フィッグは猫を撫でながら、ダンブルドアを疑うなどとんでもないことだと言った。撫でられている猫は彼女の膝の上で気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしていた。

 

「あたしは……自分の周囲にあんたが寄越されてきたとき、たまたまそこにいた。それだけのことなんだ」

 

(……そういうことに、しておこう。その方がいい。僕の心の安寧のためにも)

 

「そう、ですか。そうですね。……でも、それでも、ありがとうございました」

 

 そう話すフィッグの言葉を、ハリーは信じることにした。ダーズリー家の環境にハリーがどれだけ不満があったとしても、行動の結果。つまりは選択による結果の責任はハリーに帰結する。答え合わせをしたかったのは、単にハリー自身が何かに怒りをぶつけたいという弱さに過ぎない。

 

 ハリーは大勢の善意によって生かされていた。それはダンブルドアによって整えられた箱庭のような息苦しさをハリーに与えていたが、ハリーが今日までその命を繋ぐことができたのもまた、ダンブルドアの庇護によるものだった。

 

 プリベット通りを歩いても答えは出なかった。両親から引き離され、ハリー自身の身の安全のために誂えられた居場所は、ハリーにとっては薄気味悪いものにしか思えなかったのだ。

 

 優しさや善意というものを素直に信じるには、あまりにもハリーの周囲は整えられすぎていた。ハリーはやはり、プリベット通りを、そのすべてを心の底から愛することはできなかった。

 

 それでも、ダーズリー家との別れ際に、上っ面だけであったとしても感謝の言葉を述べられるようにとハリーは練習をしていた。

 

***

 

 その日、プリベット通りの周囲には折悪く霧が立ち込めていた。外に出る気にもなれず、ペチュニアはアルバムを見ていた。ダドリーは地元の仲間とボウリングへ出かけ、遊びから帰ってきた後、普段は固く閉じられていた棚から引き出された形跡があることに気付いた。

 

(珍しいな。誰が開けたんだ?ママか?まさかパパじゃあないしな)

 

 いつもなら放置するのだが、この日ダドリーは珍しく、元の位置に戻そうと思った。地元を離れるとわかっていたが、ピアースをはじめとして仲間たちは就職を決めたり、自分の進路のために必要な資格を取ったりと忙しくも、仲間と集まる数少ない時間を楽しんでいたからだ。

 

 

 ダドリーは手に取ったものが本ではなく、頑丈なファイルに綴られたアルバムであることに気付いた。

 

「……」

 

 ダドリーはアルバムを観て顔をしかめた。パラパラと中身を観察するだけで過去の自分の姿が見えた。

 

(……これは……)

 

 ダドリーは、自分がいかに愚かなことをしてきたのかを思い出して表情を歪めた。軽いはずのアルバムが重く感じた。

 ダドリーは自分のことがあまり好きではなくなっていた。2年前のある霧の夜に、わけのわからない怪物に襲われたときダドリーの脳裏に湧き上がった自分の姿は、自分がいかに愚かで恥ずべき存在であることをはっきりとダドリーに自覚させたからだ。気に入らない人間を殴り、あまつさえ仲間にまで悪事に加担させたという行為は誇れるものではない。そしてその罪に対する償いを試みても、ダドリーが傷つけた人間に対しては恐怖を与えるだけだった。

 

 視界の端にチャンピオンになった自分の姿が映り、ダドリーは無言でページをめくった。

 

 ダドリーは恥を自覚しなければならなかった。自分の努力と節制によって勝ち取ったボクシングの拳を使って人を殴ったことだった。自分を何の取り柄もなかった存在から、そうではない何者かにしてくれたボクシングすら貶めてしまったのだ。

 

 ダドリーの指は震えた。しかし、ダドリーはアルバムをめくる手を止められなかった。

 

 過去を振り返る。それは、心が抉られる行為に他ならなかった。己と向き合う行為に他ならなかった。

 

 

 ダドリーにとって忌まわしき怪物に襲われたその日から、ダドリーはなるべく、それまでの自分の行動を改めた(もちろん全てが全てうまくいったわけでもなかったが)。ピアースも含めたダドリーの友人たちはダドリーの変化を概ね歓迎してくれた。皆就職や進学に向けて本腰を入れ始めなければならない時期で、悪い遊びにかまけている暇などなかったというのもある。

 

 というか、ダドリーが怖くて付き合っていただけだったのだ。

 

 アルバムの中には過去の自分や、家族の姿がありありと映し出されていた。ダドリーは無言で、1枚1枚を舐めるように見返した。

 

 父親の会社の人間から頂いた最新のゲームと共に映る自分の写真があった。。ダドリーは、そのゲームをクリアできずにソフトごと壊したことを思い出して自分の愚かさにいたたまれなくなった。

 

 昔仲の良かった友人たちとキャンプに行った時の写真があった。しかし、ダドリーが『ハリー殴り』を始めてから疎遠になった。

 

 家族の皆で海水浴に行った。山辺にドライブした。釣りに出かけた。父親の会社のイベント。スメルディングズの入学式、ボクシングの初試合。

 

(うわっ……今と変わってねぇじゃん俺。……どれだけやらかしてんだ俺。ふざけんなよ……)

 

 ダドリーにとって忘れてしまい記憶から抜け落ちた思い出。輝かしい思い出も確かにあった。

 

 しかしそれ以上に、恥ずべきことも多くダドリーは思い出した。その恥ずべきことの大半にハリーが関わってはいたが、写真に写る自分の姿は今の自分とそう変わらなく思えた。あまりにも重ねた罪が多過ぎて、覚えていなかったことにすら腹が立った。

 

 若く今より覇気のある父親(父親の覇気が目に見えて小さくなったのはハリーが魔法の学校に通いだしてからだった)と、皺の数が少ない母親の写真も多くあった。

 

 しかしその中にも、ひとつとして、そこに居るべき一人が写った写真がない。それに気づいてダドリーは戦慄した。

 

 

「……これって」

 

 

 ダーズリー家には家族写真がある。自分とペチュニアとバーノン、家族3人で旅行に行った時の仲睦まじい、これこそ、どこからどう見ても普通の、幸せな家族の肖像。

 

「嘘だろ。いや……そんなことが」

 

 あっていいはずがない。いくらなんでもそれはない。そんな思いに突き動かされてダドリーはアルバムをめくり続けた。

 

(そりゃないだろ。それは。あの時も……そうだ。この写真を撮ったときは、ハリーのやつだっていた。確か……この写真はハリーに撮らせてたけど。その後、ピアースのママが気を利かせてハリーを含めて全員で撮った写真だって、あったはずで……)

 

 しかし、家族の肖像や楽しい思い出の証である写真の中にハリー・ポッターというダドリーの従弟はいない。写真の大きさはよく見ると不揃いで、不自然に切り取られた跡があった。

 

(そう言えばいつもハリーは端っこにいた)

 

 バーノンか。或いはペチュニアのどちらかが、ハリーを要らないと投げ棄てたのだ。わざわざ撮影した写真を切り取って、ハリーの存在だけなかったものにしていた。

 

 ダドリーは、今更ながらに、自分が、自分たちがしてきたことが何なのかを思い出した。

 ダドリーは謝るつもりだった。自分が、衝動に任せてハリーを殴ったことを謝り、過去の罪を恥じていることをハリーに伝えるつもりだった。しかし、その考えはあまりにも虫が良すぎた。

 

「……?今更何……何を言えばいいってんだよ」

 

 ダドリーの心の中に湧き上がったのは、苦しみであった。その苦しみは重荷となって、ダドリーの心に深くのしかかっていたが、この時ダドリーはそれを改めて自覚した。

 

 別れの言葉を、過去の自分のやったことは最悪だったと言おうと、ダドリーはずっと考えていた。許されるわけもないし、許しを期待してもいない。しかし言ったところでハリーに不快な思いをさせるだけではないのか。そんな思いが、ダドリーの中でますます強くなっていた。

 

 アルバムをもう一度見返して、ダドリーはハリーの写真を探した。しかし、ハリーの写真はどこにもなかった。ダドリーは癇癪を起こしかけた。

 

 何もない。自分達とハリーとの間には、絆と呼べるようなものは何も。ダドリー自身、一度だってハリーに手を差し伸べた記憶がない。

 

 そんな自分に対してて癇癪を起こしかけて、ダドリーはだが、堪えた。

 

「……お……俺……そんなつもりじゃ。……ん……?」

 

 

 いたたまれない気持ちでアルバムを閉じようと思ったダドリーは、自分がスメルディングズへと入学したときの写真が綴じられたページを再び見た。

 

 癇癪のままに床へとアルバムを叩きつける寸前だったことで、スメルディングズへの入学写真が少しだけ浮き上がっていた。そして、浮き上がった写真の下に、あるものが入っていた。

 

 それは写真ではなく、羊皮紙であった。ダドリーは慎重に写真を傷つけないように自分の写真を取り除くと、羊皮紙を取り出した。

 

 その羊皮紙を見て、ダドリーの中に悪夢のような思い手が湧き上がった。

 

 それは昔、バーノンが発狂し、ダドリー達を小屋へと連れ回す原因になった手紙。

 

 ハリーのホグワーツ魔法魔術学校への入学を告げる、手紙であった。

 

***

 

 ついにその時が来た。ハリーがダーズリー家を離れ、ダーズリー家が、十六年近くもの長きにわたって煩わされてきた厄介者から解放される日が。

 

 迎えに来たのは三人であった。

 

 魔法のローブに身を包み、黒髪の上に魔法使いらしい三角帽を被った魔法使い、ディーダラス・ディグル。ハリーが愛想笑いをして会釈すると、彼はハリーを見て興奮したように笑った。

 

 ディーダラスと違い、まだぎりぎりでマグルらしいガウンに身を包んだ黒髪の魔女、ヘスチア・ジョーンズ。彼女もまた歴戦のオーダーであり、威厳をもってダーズリー家へと足を踏み入れた。

 

 そして、シリウス・ブラック。サングラスを外し、穏やかな眼差しでハリーを見るハリーの後見人が、ダーズリー家の玄関先に立っていた。シリウスは最後にダーズリー家に入ると、魔法ではなく手でドアを閉めた。

 

 

 しかし、バーノン・ダーズリーがこの日を喜ばしいと考えていないことは明らかだった。

 

 家を棄てて逃亡生活を送る。それも、自分が散々嫌悪した魔法族に身を委ねて。

 

 それはバーノンにとって耐え難い恐怖と屈辱であったのだろう。

 

 ストレスに耐えかねヒステリーを起こした家長は、その日に至るまで夜逃げの準備を整えては気が変わって荷物を家へと入れ直すという愚行を繰り返していたのだが、シリウスの顔を一目見るや、ついに『逃げない』と言い出した。オーダーの面々が到着した目の前で、である。

 バーノンの行動はついに、ハリーに皮肉を言わせるに至った。

 

「おじさん。そんなことをして家に残っても何にもなりませんよ」

 

 と、ハリーは3回目になる説明をした。

 

「僕の同類がかけた護りの効果がなくなれば、僕の同類の犯罪者がこの家に押し寄せてきます。家財が身を守る助けになるっておっしゃるなら止めませんけど」

 

 このように挑発的な皮肉はバーノンを怒らせるだけだと分かっていたが、一度怒らせてストレスを発散させて冷静にさせたほうが良いとも思った。

 

 ハリーにしてみれば、今日で関係が切れる自分のことを憎むのはもはや構わない。問題は逃亡先でオーダーの指示に従ってくれないことである。

 

 オーダーの面々に対して余計な負担をかけてほしくないために煽ったハリーに対して、バーノンは怒りと恐怖で顔を赤くしながら呻いた。

 

「しかし……私たちが家を離れればお前は……お前は……」

 

「僕が、何ですか?」

 

「この家の所有権を奪おうとするのではあるまいな!」

 

「……お、おお……」

 

 バーノンはひとしきり怒った後、ハリーが魔法で家の所有権を奪おうとするのではないかと疑った。シリウスはそういう人間だとバーノンのことを把握していたが、ディーダラスは面食らったかのようにバーノンとハリーを見て、ヘスティア・ジョーンズは明らかに怒りのボルテージを高めていた。

 

 ハリーは思わず笑みが湧き上がった。

 

(馬鹿馬鹿しい)

 

「僕が、ですか?いったいどうしてですか?今にも生命が危ういというときにこの家を乗っ取って、何のメリットがあるっていうんですか。この家は貴方のものです。僕は今日この場を離れた後は、指先一本たりとも干渉しないと誓います」

 

 ハリーは笑わずにはいられなかった。愛とやらがかけらも見当たらないダーズリー家に僅かでも執着していた自分自身に対する愚かさを嗤わずにはいられなかった。

 

 バーノン・ダーズリーにはどうやら、ハリーがこれまでの感謝の印としてダーズリー家の財産すべてを奪おうとする、という結論に至ったらしい。

 

 幾ら親戚の子供、孤児とはいえ。幼い頃から真っ当に養育したという自覚があれば出てこない発想だ。

 

 バーノンは公衆の面前で、復讐されるに値することをしていた、と自白したに等しかった。

 

 ハリーが何かせずとも、自らが撒いた種でバーノン・ダーズリーという人間は疑心暗鬼に陥り、狂っていた。

 滑稽極まりなく、つまらない話である。これを笑わずにいられるだろうか、とハリーは思った。

 

(……いや。でも……これは。こんな馬鹿馬鹿しい話は皆には死んでも言えないな。我ながら最低だけど……ざまぁみろ。)

 

 ハリーはこのとき、バーノンに対する復讐の喜びを確かに満たした。そして、そんな自分のことを少しだけ恥じた。

 

 バーノンの言動は、バーノンがハリーに与えた躾とやらがハリーに対する愛によるものではなく、バーノンから見ても恥ずべき行為であったことをバーノン自身が認めた。

 

 ハリーに対する教育は愛ではなく、もっと別の何かであった、ということである。

 ハリーにとっては、ハグリッドが小屋を訪れた時からわかっていたことであった。それを再確認したに過ぎない。

 

 しかし、やはりハリーはその事を恥じた。自分が、親戚とすらまともな関係を構築できていないことをオーダーの2人にまで見られるというのは辛いものだった。

 

「あ……貴方がたは……!」

 

「……済まない、ヘスティア、ディーダラス。席を外して貰えるか?我々は邪魔になる。最後の別れは、ハリーとダーズリー家の皆様の間でだけでさせてほしい」

 

 ヘスティアが耐えかねたかのように何か言おうとしたのに機先を制して、シリウスが言った。

 

「……そうだね。シリウス、ディグルさん、ジョーンズさん。少しだけ待っていてください。長くはかかりません」

 

 ハリーはシリウスたちが一時的にリビングの外に退散したのを見ると、バーノン達に向き直った。ハリーは深呼吸をして息を整えた。

 

 

***

 

「マフリアート(防音)」

 

 シリウスはこちら側の声と、ハリーたちの声がそれぞれ届かないように防音魔法を施した。ヘスティアが非難するかのようにシリウスへと言った。

 

「良かったのですか?彼は、この家ではあまり好意的には受け取られていなかったようですが」

 

「……問題ない」

 

 と、シリウスは言って腕を組んだ。左手で右肘を強く握る姿からは言葉以上の感情が感じられた。シリウスは内心の葛藤を自制して外に出さないように努めているようであった。

 

「ダーズリー家の問題は過去に魔法界側から干渉して、決着をつけている。……我々の側に落ち度があったことも含めてだ。しかし、ハリーにとってここが家であったことは確かで……」

 

 シリウスは苛立ちを滲ませながら言葉を続けた。虐待加害者と被害者が同じ空間にいるというのは本来あってはならないことである。シリウス自身がブラック家とのそりが合わなかったこともあり、ハリーが一刻も早くダーズリー家と別れたがっていることも、シリウスは理解していた。

 

「……自分を育て、教育した彼らに対してハリーは向き合う義務がある……とハリー自身が考えている。ならば、俺がこれ以上の介入することでその行動を妨げてはならない。それはハリーの成長を阻害する行為だ」

 

(……うむ……)

 

 シリウス・ブラックの成長を、かつてのシリウスを知るディーダラスはその姿から見て取った。

 

 行動から考えて精神的な脆さが見えるハリー・ポッターではあるが、その行動の全てをお膳立てし道を塗装するというのはただ人形を作り上げる行為に他ならない。

 

「……彼の後見人である貴方がそう言うなら、私から言うことはありませんが。あまり愉快な旅になりそうもありませんね」

 

「何、ディメンターなりデスイーターなり、闇陣営の一人でも現れれば彼らもすぐにわかる。あまり気にすることはないと思いますよ、ヘスティア」

 

「だといいがな。あの石頭のバーノンには貴方でも苦労するだろうよ、ディーダラス」

 

 ディーダラスの楽天的な声にシリウスは吠えるように笑った。バーノン・ダーズリーが恐怖にかられていることは明らかであり、護衛対象としては最悪の人間であることは疑いようもなかった。ディーダラスとヘスティアは、任務のなかでも難易度の高い仕事を割り振られた者たちであった。

 

***

 

 ハリーにとって、ダーズリー家を通してマグル全体を恨んだことは覆しようもない恥であった。

 

 そして魔法界の都合で半ば強制的に巻き込まれたダーズリー家を恨むことも、世間一般的な感性で言えば、曲がりなりにも育ててくれた人間を悪しざまに罵るのは良くないという負い目はあった。

 

「……それで、わかっていただけますか、おじさん。これ以上ここにとどまる意味はないと」

 

 ハリーが切り出すと、バーノンは血管が浮き出るほどに怒った。

 

「いつから私にそんな生意気な口をきくようになった?」

 

「人は生意気になるべき瞬間がありまして。僕にとってはそれは今だと思っています。少なくとも、これから死ぬ人を見殺しにするのは気が引けますから」

 

 ハリーとバーノンが不毛な舌戦を繰り広げるかと思われたとき、ダドリーがうんざりした声で言った。

 

「親父。……俺はオーダーってのと一緒に行きたいよ。あれ……俺が襲われた怪物から、俺たちのことを護ってもらいたい」

 

「む……むぅ……」

 

 

 バーノンは息子の言葉に、ぐっと開きかけた口を閉じた。ハリーは瞬きしてダドリーを見た。

 

(ほ、本当に本物のダドリーか?)

 

 シリウスによってコンファンドをかけられたのではないかと思うほどに、ダドリーの言葉はまともで冷静であった。

 

「……今日を逃すと、護衛なんてつけられないんだろ?」

 

 ダドリーは恐る恐るといったふうにハリーに視線を向けた。ハリーは笑った。何という的確な判断であろうか。

 

「……君、生まれてはじめてまともなことを言ったね。驚いたよ」

 

 ハリーは心の底からダドリーを賞賛した。人生の中でダドリーがいてくれて良かったと思ったのは、これがはじめてだった。

 

 バーノン・ダーズリーは、ハリーを恐れてごねていただけではない。バーノンは、魔法という存在を認めず、それに庇護されないという姿勢を取ってきた。そんな男が魔法族に自らの身を委ねるということは、敗北を認めるということに他ならない。

 

 主張を変えて頭を下げ、何なら守ってくださいと魔法族にお願いすべき場面。しかし男のつまらないプライドがそれを許さない。

 

 その意見を撤回し、己の主張を曲げて護衛を頼むには、家族からの嘆願がなくてはならない。家長として家族の進言を容れるという体裁を整えた上でしか、バーノンは己を曲げられないのだ。

 

 ペチュニアがそっとバーノンの手を握った。バーノンは深いしわの刻まれた妻の顔をみて、呻きながら肩を落とした。

 

 それはバーノン・ダーズリーが、魔法に対する敗北を認めた瞬間であった。

 

 

 ハリーはずっと考えてきた言葉を、今こそ言うことにした。

 

「……バーノンおじさん。ペチュニアおばさん。そして親愛なるダドリー。皆は僕達魔法使いとは無関係なのに、この家に置いて……今日まで育てていただきました。……本当に、ありがとうございました」

 

 ハリーは心の底から、薄っぺらい社交辞令で別れを告げることにした。

 

 罵倒はある。恨みつらみは山程ある。

 

 しかしその罪の行く先、ハリーが全ての憎しみを向けるべき矛先はダーズリー家ではなく、ヴォルデモートと名乗る魔法使い、トム・リドルなのだ。

 

 であれば、本心を明かす意味もない。せめて最後くらいは無難に幕を引くのが、何もかも取りこぼしてきたハリーができる唯一の恩返しだった。

 

 十秒が経過してから、ハリーは体を起こした。ダーズリー家の面々は、ハリーに対して複雑そうな顔をしていた。

 

 バーノンは、何を言うべきかわからないという顔を見せていた。ハリーはバーノンに昔、表情を作るなと言われたことを思い出した。

 

 

 ペチュニア・ダーズリーの顔に浮かんでいたのは、憎悪としか言えないものだった。少なくとも、ハリーは彼女から愛を感じることはできなかった。

 

 そして、ダドリーは何かを決意したような顔をしていた。

 

 沈黙が場を支配したので、ハリーがお開きにしようと思ったとき口を開いたのは、ダドリーであった。

 

「……ハリー、お前。あの時」

 

「うん?」

 

 ダドリーが少しの沈黙のあと言葉を紡ぐのをハリーは待った。

 

「俺が……2年前、怪物に襲われたとき。ハリー、お前が助けてくれたのか?」

 

 ダドリーはどうやら、答え合わせをしたがっているようであった。かつて自分に屈辱を与えたのがハリーではないことを、どうやらダドリーは自覚したらしい。

 

(一体どうしたんだ)

 

 ハリーは戸惑っていた。ダドリー・ダーズリーという存在を誰より軽蔑し、無意識に下に見て軽んじ、侮っていたからかもしれない。

 

「……いいや。正直に言うけど、魔法界にはあれを撃退する術はある。でも僕は、できなかった。僕は役に立たなかった。君を連れて逃げただけだ。どうやら僕は、肝心なときに人を護れない人間らしい」

 

 ハリーはダドリーに対して正直に答えることにした。この場をつつがなく終えるには(トンクスやフィッグには悪いが)ハリーが追い払ったことにするのが都合が良いのだが、ハリーはダドリーが誠意を見せた上で嘘をつくのは耐えられなかった。

 

 誠実に対応してきた相手に対しては誠意をもって返すべきという思いと、ダドリーにだけは侮られたくはない、という対抗心。それが、ハリーの仮面を剥いでいた。

 

「……それなら俺は………ハリー、お前もこっちに来て、逃げるべきだと思う」

 

「………俺はお前がいてもいい。お前は邪魔者じゃないと思う」

 

 ペチュニアは息子の成長に対して感激したように鼻水をすすっていた。そしてハリーは。

 

「……えっ」

 

 ダドリーの言葉は、ハリーにとって箒から落ちるほどの衝撃であった。ハリーはその言葉をまともに受け止められなかった。

 

(……いや……)

 

 ハリーは、そう言えば、庭掃除をした後で自分に対して飲み物が用意されていたことを思い出した。あれはペチュニアが用意したものではなかった。

 

 六年生の夏期休暇の際に、ダドリーは夜遊びを繰り返しているわけではなかった。誰かを殴ったということもなく、夏期休暇の間ダドリーは借りてきたスクリュートのように大人しかった。

 

 ダドリーは変わっていたのである。ハリーは、良い方向に変われない自分よりも、ダドリーの方がある意味で大人になっているように見えた。

 

 ダーズリー家に対する恨みつらみは忘れていない。というか忘れようにも忘れられない。ダーズリー家の三人がコース料理を楽しんでいる時、パンとチーズ二切れを渡されたクリスマスのことは忘れようにも忘れられない。

 

 しかしそれを今持ち出しても意味がないことなのだ。

 

 

 それからハリーはダドリーにだけ、軽い会釈をした。

 

 

「ダドリー。……さよなら。君の健康を祈ってる」

 

 ハリーとダドリーは、握手を交わしもしなかった。ただハリーは一言だけ、ダドリーに対してだけは、言葉を付け加えた。ペチュニアは息子、ダドリーの成長に対して感激したように鼻水をすすっていた。

 

 ハリーは二度とダドリーとは会わないとわかっていた。

 或いは生き延びることがあっても、会うべきではないとわかっていた。

 

 それほどまでに、ダドリーの更生はハリーにとって衝撃的であった。

 

(人は変わる……か。僕はどうだ?)

 

 ハリーは自問していた。今のダドリーと比べて、自分は薄汚れた存在に他ならなかった。

 

 ハリーが恥じている悪とは、デスイーターに対して悪辣な手段を用いること、ではない。それも悪には違いないが、味方を死なせないための行動だったと自己弁護できる。

 

 恥じているのは、命より大切な筈の仲間を信用しなかったこと。ハーマイオニーやザビニ達にも黙っていたことだ。

 

 この先も、重要なことを黙ったまま、騙すような形で皆を死地に導くことだ。それがハリーの犯す大罪であった。

 

(……迷うな)

 

 ハリーは別れ際に、ダドリーに感激してなみだを流すペチュニアが何かを伝えようと口を動かしたのを確認した。しかし、ペチュニアの言葉は小さく、ハリーはその言葉を聞き取ることはできなかった。

 

***

 

「……いってらっしゃい」

 

 ペチュニアの長い首から出かけた言葉は、声にはならなかった。

 

 

 ペチュニア・ダーズリーにとって、魔法使いは悪である。少なくとも悪でなければならなかった。

 

 ペチュニア・ダーズリーは、エヴァンスという姓だった頃。幼い頃は、身の回りでおかしな出来事を引き起こすリリーとも仲の良い姉妹だった。

 

 姉のペチュニアと妹のリリー。リリーがどこか奔放で浮世離れしているから、自分が姉としてしっかりしなくては。そう、ペチュニアは思っていた。

 

 少なくとも、スラム街育ちの魔法使いの少年によって、リリーが魔女だと明かされるまでは。

 

 魔女。リリーは魔女。

 

 ……しかし、自分は違う。

 

 長じた今であれば、両親がリリーのことを気遣って褒めそやしていたのもわかる。しかし、ペチュニアにはリリーのような『不思議なこと』はできやしないのだ。

 

 ホグワーツのダンブルドア校長に手紙を書いた。幼いペチュニアの書いた手紙に対して、アルバス・ダンブルドアという魔法使いは真摯に、丁寧な文面で、子供にとっては残酷な事実を伝えた。

 

 ペチュニアの魔法に対する憧れが嫉妬に変わるのに時間はかからなかった。

 

 なぜ自分だけが、だめだったのか。リリーができて、どうして自分には魔法が使えないのか。

 

 それは遺伝では説明がつかない。

 魔法。そう、魔法という奇跡は自分には微笑まなかった。それだけのことであった。十歳を超え、リリーの姉として、自分にはその才能がなかったことをページは受け入れなくてはならなかった。

 

 受け入れたふりをしても、心に傷は残った。

 

 仲睦まじい姉妹……否、リリーにとって好ましいしっかり者の姉をペチュニアが演じることは、次第に難しくなっていった。いつしか意地の悪い姉と、皮肉で返す妹に変わっていた。魔法への憧れは、嫉妬に。嫉妬はやがて増悪に変わって、リリーとも次第に疎遠になっていった。

 

***

 

 大学に入ったペチュニアにとって、魔法というものの存在、つまりリリーという妹の存在は触れてはならないものから、触れなくてはならない忌まわしいものに変化した。

 

 少なくとも大真面目に『妹は魔女なのです』と打ち明けて受け入れてくれるような人間は稀だ。

 

 10代を終え、友人以上の関係を作ろうと思い立ち、実際に相応の関係を作っていけばリリーのことを嫌ってばかりもいられない。自分の妹に、世間ではあり得ないような人間が存在すると話さなくてはならない。そうでなければ、誠実な付き合いとは言えない。

 

 少なくとも、ペチュニアはリリーという妹の存在をなかったものにしたくはなかった。自分でも憎しみと愛情との区別がつかなくなっていたペチュニアにとって譲れない一線がそこにあった。

 

 バーノン・ダーズリーは、ペチュニアの話を信じた。そして、『おかしなこと』が出来る妹だとしても気にしないと言った。ペチュニアとバーノンは、まさしく理想のカップルであった。魔法が使えないという劣等感を抱えていたペチュニアにとって、ありのままの自分を……魔法が使えない自分を受け入れてくれるような存在が必要だったのだ。

 

***

 

 

 ペチュニアがバーノンと結婚し、リリーもまた、魔法使いの男と結婚すると聞いた。

 

 

 その頃ペチュニアは、リリーとはほとんど話もしないほど疎遠になっていたが、ペチュニアの中にリリーと和解したい、という思いが生じた。

 

(自分もリリーも大人になり、子供の頃とは違う。昔は(主にペチュニアが)意地の悪いことを言ったりもしたのだが、水に流して会食でもできないだろうか)

 

 とペチュニアは思った。ペチュニアにとって幸運なことに、リリーも同じことを考えていた。

 

 そして顔合わせとなったとき、リリーもペチュニアも男を紹介したことを後悔した。

 

 客観的に見たとき、姉妹の男の好みはどこか似ていた。

 

 自信家で、少なくとも自分の得意とする分野においては高い才能があった。そして、それを鼻にかける傲慢さを、配偶者である自分の前でだけは収めるという部分も、自分たちの前でつまらない見栄を張りたがる男のプライドの高さも。

 

 極めつけに、相手が無礼だと感じたときに無礼で返すという姿勢まで同じであった。

 

 最初に非礼を働いたのはバーノンであった。いや、ジェームズであったかもしれない。会食に一分だけ遅れたのは、ジェームズとリリーの夫妻であった。

 

 読者諸兄に対して予め説明しておくと、携帯電話の普及は1990年代からである。

 

 当時は携帯電話などはない。そのため、真っ当な社会人のマグルであったとしても、不測の事態があったときレストランに対して遅れるという連絡を入れることは難しい。しかし、バーノンは初対面でジェームズに不快な印象を抱いたことは確かであった。

 

 バーノンは非魔法族の話でマウントを取りたがった。英国車の名前やブランド物の時計や靴の話をし、ジェームズに対して恥をかかせようという魂胆が見え隠れしていた。

 

 意趣返しに、ジェームズは箒の話をした。空を飛ぶ箒の話である。バーノンがその話に答えられるわけもない。それどころか、レストランのウェイター達が怪訝な顔でこちらを見てくる。バーノンとジェームズとの間を取り持つことは、ペチュニアにもリリーにも到底不可能であった。

 

 あまりにも散々な結果に終わった会食のあと、ペチュニアはリリーと一言も口をきかなかった。

 

 お互いの男の悪口でも言い合えば(勿論悪い意味で)姉妹は盛り上がったかもしれない。しかしその瞬間に姉妹の絆は完全に断ち切れるということはわかっていた。

 

 そしてその日の最悪の会食が、妹と顔を合わせた最後の記憶になった。

 

 そのことを、ペチュニアは心のどこか悔やんでいた。……それを、思い出した。

 

***

 

 

 ペチュニア・ダーズリーには確かに憎悪があった。自分を選ばなかった、いつも自分だけを除け者にした。自分から大切な家族を奪った魔法に対する憎悪が。

 

 バーノンとの出会いで、ペチュニアは憧れではなくあれは憎悪だったのだと自らに言い聞かせ、そう思い込むことにした。その憎悪は、ダーズリー家というコミュニティにおいて確固たるものとなり。

 

 ハリーはその環境における異物でしかなかった。ハリーの引き起こす魔法は福音をもたらすものではなく、ダーズリー家を荒らす災害だった。子育てに従事するペチュニアの負担は尋常ではなく、ペチュニアはどうしても厄介者の甥を愛せなかった。

 

 そしてそれだけではなかった。

 

 ペチュニアには、彼女の奥底には妹に対する……そして、僅かにではあるがリリーに対しての、魔法に対しての愛があった。

 

 自分も、魔法に対して関わっていたいという憧れが。

 

 互いを傷つけるだけの愛。憎悪を込めた愛。それをハリーは受け入れられず、ハリーもまた、ペチュニアを含めたダーズリー家を拒絶した。

 

「関係ないのに」

 

 という言葉で。

 

 それでこの話はおしまいである。それこそが、ペチュニア・ダーズリーに与えられた報酬であった。

 

 ペチュニア・ダーズリーが受け取ったものは魔法からの解放であり、素直になれなかった己に対する罰であった。罰されることによって、ペチュニアの心に残った罪悪感は洗われたのか、それとも、より深まったのか。それはペチュニアにすらわからない。

 

 憎悪は愛を踏み躙り、人を怪物へと落とし破滅に導くものであった。しかし、ペチュニアを救ったのもまた愛であった。

 

 

***

 

 深夜。

 

 避難先にダーズリー家を移送し、彼らが眠りについたのを確認するや、ディーダラスはヘスティアのマグカップにコーヒーを注ぎ、彼女へと差し出した。

 

 ディーダラスはこれから眠りにつき、ヘスティアがオーダーの現場指揮官であるムーディへ報告を行う。ヘスティアはコーヒーを一飲みすると、顔をしかめた。

 

「いや、苦かったかな?これは済まない。ブラジル産の豆を挽いてみたのだが、中々うまくいかなくてね……」

 

「いいえ、ディーダラス。コーヒーはいい味よ。ただ私は……ハリー・ポッターの育ての親が、あのような連中だとは思わなくて」

 

 ヘスティアはディーダラスの言葉に首を横に振り、コーヒーの味を賞賛した。

 

「……スリザリン寮に入ってなお、『例のあの人』に立ち向かう。よほど教育を受けていないとそんなことは不可能だわ。ポッターくんには悪い噂もあったけれど……」

 

「純血主義やマグル差別に傾倒せずに闇陣営に対抗する道を選んだのは、きっとダーズリー夫妻が、優秀で立派な親なのだろうと思っていたから」

 

「私もそう思ったよ。あのジェームズとリリーの息子だ。リリーの親族なのだからきっと魔法にも理解があるのだろうと思い込んでいた」

 

 ディーダラスは、第一次英国魔法内戦においてオーダーに所属していた生き残りである。対してヘスティアは、今回の第二次からオーダーに加入した新戦力であった。

 

 オーダーの無茶な任務に従事してダンブルドアの良い面も悪い面もその身で味わっているディーダラスは、興奮しやすい性であり、魔法使いとしてそこまで優秀でもない。それでも、経験だけはあった。

 

 その分だけ、ハリーやダーズリー家の置かれている状況を理解することができた。

 

「彼らが魔法に対してあまり友好的では無さそうだったのは、我々にとっては……」

 

 ディーダラスはそこで思わず、『幸運だった』と言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

 ヘスティアもそしてディーダラスも、ハリーが預言によって自動的にヴォルデモートから狙われる運命にあることは知らない。しかしハリーに対してかけられている警護は、他のオーダーの親族達が受けているものに比べても破格である。

 

 だからディーダラスは、ダンブルドアが意図的に、ハリーの周囲の環境をコントロールしていたのではないかという可能性に思い至った。

 

 魔法に対して無理解で、教育熱心が昂じて虐待へと至った(とディーダラスは解釈した)マグル。彼らのなかで育ったハリーにとって、マグルの世界はあまり魅力的ではなかっただろう。

 

 そんなハリーの前に魔法の世界を見せ、理解のある後見人であるシリウスを用意する。するとどうであろうか。

 

 ハリーは魔法の世界にのめり込み、魔法族を、そして英国の魔法界を護ろうとするだろう。

 

 そう、ディーダラスは思い至った。だからこそ、ダーズリー家を非難できなかった。

 

 そもそもディーダラスにも仕事はあった。先の内戦が終わった時、ディーダラスはオーダーを辞めて日常に戻り自分の人生を歩んで、ハリー・ポッターのことを気にする余裕などなかった。

 

 そんな自分が、親戚とはいえほとんど面識も無かったであろう子供を受け入れたダーズリー家の労苦を上から目線で踏み躙る資格はないという思いが、ディーダラスにはあった。

 

 

 そもそもの話。

 

 ヴォルデモートに対して喧嘩を売るということは、死ぬことと同義である。

 

 英国魔法界においてヴォルデモートを上回る個人戦闘力はなく、狙われれば死を意味する。死の飛翔という名前を成人済みの魔法族が恐れたのは、けしてその異名が伊達ではなかったからだ。

 

 『我々は貴方がたが育てた息子をこれから勝ちの見えない内戦に投入して、これから使い潰す予定です』。

 

 という立場の人間が、曲がりなりにも子供を育ててきた人間に対して言えることなど何もない。それがディーダラスの考えであった。

 

 対してヘスティアは高潔で善良な魔女である。冷静に考えればそういう考えに到れるだけの思慮と分別を彼女だって持っている。

 

 しかし、ヘスティアにも余裕などないのである。現在進行系で命の危機にあるというプレッシャーは、大きい。

 

 曲がりなりにも魔法界を救った英雄達の息子が、高圧的な育ての親のもとであまり幸福ではない生活を送っていた、という事実に憤りを隠せず、任務に対しての意義を見失いかけるのも無理はなかった。

 

「いや……ポッターくんにとっては不幸だった。しかし、マグルの誰もが魔法族に対して友好的であれるわけではない。ポッターくんは、運が悪かった。……それだけのことなのだ」

 

 

「……シリウス・ブラックが居てくれたことは、彼にとって救いだったのかしら」

 

「……」

 

 昔のシリウスを知るディーダラスは思わず言葉に詰まりそっと目をそらした。

 

 シリウスとジェームズがデスイーターとの逃走中にカーチェイスを繰り広げ、オーダーと魔法省職員が総出で記憶消去と物損の修復に駆り出された日のことは忘れられないのである。

 

「ちょっと、ディーダラス?ねぇ?そこで黙るのは洒落になっでないわよ?」

 

「いや……まぁ。黙った理由は平和になった後でそのうち話しますよ。ええ、シリウスは立派な男です。今のシリウスはね」

 

 ディーダラスはそっと視線を細めた。人間の弱さや欠点といった本質はそう容易く変えられないとしても、シリウスはそれを出来る限り制御しているし、頭も回る男だった。ハリー・ポッターの後見人として、護衛役として何の不足があるというのか。

 

 オーダー・オブ・フェニックスの夜はこうして更けていった。眠たい目をこすりながらヘスティアが報告を終えたとき、ムーディは彼女たちの労苦を労い、ダーズリー家の護衛任務を続けるように頼んだ。

 

***

 

 

 セドリック・ディゴリーは大臣とスタッフ達の前で、自らの杖から轟々と迸る炎の奔流を解き放った。

 

「サペレ・アウデ(思い知れ)」

 

 セドリックがこの魔法を完全に習得するまでに、相当のの日数を必要としていた。

 

 パトロナス・チャームや様々な戦闘用、探索用の魔法を習得していたセドリックではあるが、サペレ・アウデはそれらの体系を複合させた高度な魔法である。

 

 そもそも魔法を習得するにあたり、理論だけで習得する魔法使いは稀なのだ。

 

 ハリーによる実際の使用例を見ずに、杖の振り方や理論だけ教わってそれを再現するのは容易ではない。

 

 セドリックの十分な訓練と、これから行う検証を経て、始めてサペレ・アウデは有効な魔法であることが証明されるのだ。

 

 セドリックがサペレ・アウデという魔法を行使し、成功させるために使用した感情の燃料は、ハリーのような憎悪ではなかった。セドリックの心を燃やしたのは、確かな正義であった。彼の心に浮かんだのは、魔法省職員として潜んでいたワルデン・マクネアの姿である。

 

 交流が、あった。別段悪人には見えなかった。父の友人であった。ライデン・マクネアにとっては良き父親『だった』。

 

 そんな人間が、人を殺し。誰かの大切な存在の尊厳を破壊し、その家族を絶望へとたたき落とす存在だった。

 

 そんなことが許されていいはずがない。そんな存在がのさばることを、これ以上許容していいはずがない。

 

(これ以上闇陣営の手によって人々が苦しみ、逃れられない憎悪が英語に広がるその前に。たとえ殺してでも、デスイーターの悪事を止めなくてはならない)

 

 デスイーターもまた人間である。だからこそ、個人的な憎悪や遺恨がないからこそ、セドリックは正義によって、彼らがこれ以上の罪を犯す前に殺すという選択をひた。

 

 闇陣営という英国魔法世界に蔓延する病巣を切除するという、断固たる決意。ハッフルパフ生の誇りであり、ホグワーツのヘッドボーイとして卒業した青年は、確かな手応えを感じていた。

 

「な、何という火力だ。悪霊の炎クラスの火力……」

 

(これは……おそらくは悪霊の火クラスはある。その炎が、ディゴリーによって完璧にコントロールされている。……熟練のオーラーでも、悪霊の火のコントロールは複数人で行うというのに)

 

 ステファンは絶句する。

 

 オーラーたちも必要に応じて生き延びるために(例えば危険度XXXXXの魔法生物の群れに囲まれたときのために)悪霊の火などの闇の魔術を習得することはある。しかし、危険すぎる魔法であるために、出力する際は制御担当の仲間によって指向性や燃焼時間を調整することになっている。

 

 サペレ・アウデという魔法は、セドリックの手で放射されながらその勢いは弱まらず、しかし、部屋を燃やしたり燃焼によって酸素を消費し尽くすことはない。実に奇怪な魔法であった。

 

(……これは……どうする?悪霊の火クラスの魔法……これを敵が使ってきたとして、僕は一人で対応できるか?)

 

 パーシーはサペレ・アウデの火力より、ステファンの言葉におののいた。英国における闇陣営は主にアバダケダブラを多用するため、NEWT課程における闇の魔術対策も主にその3つの魔法の対策である『敵の射線に立たない』ことが肝要となる。

 

 しかし、悪霊の火クラスの大規模攻撃魔法を敵も使ってきた場合一人でルーファスを護衛し務めを果たせるのか?そんな疑問がパーシーの中に湧き上がった。

 

「か……かわ……いえ。その魔法は触れても本当に問題ないの、ディゴリー?」

 

 オードリーは杖から放射される犬の姿に驚いていた。白く輝く炎はインセンディオなど比較にもならない火力を持っていることは明らかだが、炎の犬は実に表情豊かに見えた。ゴールデンレトリバー、ドーベルマン、シベリアンハスキーの群れとなってセドリックの周囲に形成され、オードリーやパーシーに尻尾を振っているのだ。合計3体となったセドリックの忠実な使い魔は、主に撫でられて喜ぶような素振りすら見せた。

 

「……問題はその性能だな。前評判通り、デスイーターでさえなければ触れても問題はないようだが……」

 

 一方、ルーファスは値踏みするかのように炎の犬を見ていた。

 

「はい、閣下。ご覧のように、この炎は私を傷付けることはありませんでした」

 

 セドリックは手を振って大臣の問いに答えた。離れていても伝わってくる熱気は、セドリックの身を焦がすことはなかった。

 

「閣下、まずは私が」

 

「……よし。ならばその犬をステファンへと差し向けろ、ディゴリー」

 

「な……?しかし閣下。それは危険ではありませんか?あまりに火力が強力過ぎます」

 

 説明を聞き害はないと聞いていても思わず危ぶみ、パーシーが進言してしまう。ステファンは問題ない、というふうに肩をすくめた。

 

「ポッターの話と数式に従うなら、その炎はデスイーターと『例のあの人』を認識し自動追尾し……それ以外のものを傷付けることはない。構わん、やれ」

 

「もしも仮に……仮にですが、私が死んだとして。デスイーターということになると遺族年金は出ませんよね?」

 

 ステファンの軽口に笑う人間はいなかった。冗談でも笑えない話である。

 

 大臣付き秘書官チーム4名と、英国魔大臣ルーファスの顔に緊張が走る。

 

「……行け」

 

 ゴールデンレトリバーは、主の命令に対して忠実であった。まるでセドリックそのものであるかのように、ゴールデンレトリバーがステファンに飛びつく。まだ仔犬サイズのゴールデンレトリバーは、すりすりとステファンに身体を擦り付けた。ステファンは犬が嫌いなのか、ややたじろぎながらゴールデンレトリバーを抱きかかえた。

 

「お、落ち着け、落ち着くんだ。おいセドリック?これは止まらないのか?」

 

 はっ、はっとステファンの顔を舐めようとする炎犬はまるで生きているかのようであった。パーシーは眼鏡をかけ直してステファンと犬の様子を観察した。

 

(持続性能に問題はないようだ。それに、速い……!火炎凍結魔法が間に合ったと仮定しても、耐えきれるだろうか?)

 

 悪霊の火もそうであるならば、パーシーは自分単独で止めるのは厳しいかもしれない、と考えた。リーマス・ルーピン教授がかつて教えてくれた対応策、火炎凍結魔法でも、間に合うか怪しい、と思った。

 

 

 NEWT課程においてのOはゴールではなく、その分野におけるその時点の最新技術を知っているということに過ぎない。誰かの手で新しい魔法生物や闇の魔術が産み出されたり、環境が変化すれば求められる対応策も変わるのだ。パーシー・ウィーズリーもまた、研鑽を積み直す必要を感じた。大臣補佐官として、魔法使いとして己の技量を腕を衰えないように努めていたが、ソレとは別の新規知識のインプットの必要生を強く感じたのだ。

 

「ええ、どうやらステファンのことが気に入ったようですね」

 

(ステファンにこんな弱点があったとはな……)

 

 ルーファスは部下の一面を知り目を細めた。長い間共に仕事をこなしていたが、ステファンに以外な一面があったことは知らなかった。オードリーはうずうずとしていた。

 

「私にも使ってみなさい。デスイーターではないと証明するいい機会だから」

 

「……どうやら、オードリーは犬との触れ合いをご所望らしい。やってみたまえ、セドリック」

 

「では……行け、アーニー。オードリーの顔を舐めておいで」

 

「……待ちたまえ、セドリック。君は出てきた炎に名前をつけたのか?どうしてそんなことを……?」

 

「ええ。何となくですが、その方が命令を聞きやすい気がしまして」

 

「わっ!可愛いっ!!これ良いわね、ディゴリー!!」

 

 オードリーは燃え盛るシベリアンハスキーを抱き抱えると、ペロペロと顔をなめてくる犬に顔を綻ばせた。そんなオードリーの姿を見て、パーシーの胸が高鳴った。

 

「おい、セドリック。犬をコントロールできるなら止めてみたまえ」

 

 威厳高に後輩へと命令するパーシーの姿に、ルーファスとステファンは穏やかに顔を見合わせた。

 

 大小様々な犬との戯れは、英国魔法大臣とスタッフたちに何ヶ月かぶりの癒しをもたらした。ほとんど休暇らしい休暇などなかったオードリーは、燃え盛る炎が自分に対して熱さを伝えてこないのに、滑らかな毛皮と毛皮の下の骨の触感を再現していることに驚き、喜んだ。

 

***

 

 サペレ・アウデを習得したセドリックの存在によって、この魔法が味方に対して害がないことは明らかとなった。

 これによって、魔法省のデスイーター対策は第二段階に移行することになった。つまりは省内部に潜むデスイーターの殲滅である。

 

 

「……ではこの魔法をすぐにオーラーに通達し、戦争での使用を許可するように執行部へと通達しましょう」

 

 執行部上がりのオードリーがそう息巻くが、ステファンはぬるい、と言った。オードリーは何を言っているのだこいつはという目でステファンを見た(今までオードリーが目上の人間にそんな態度を取ることはなかった)。

 

「いや、その前に。省内に潜むデスイーターを文字通りこの魔法で駆逐するべきだ」

 

 

「客観的に見て怪しい行動を取っている人間。特定の時間帯にアリバイがないが、さりとて証拠も見当たらない人間。抜き打ちで彼らを呼び出し、この魔法でテストする。彼らがデスイーターでなければ、この魔法を受けても死ぬことはない」

 

(……そ……それは……しかし。デスイーターであれば殺すということになる)

 

 ステファンはそう言った。オーラー出身とは思えないほど過激な言葉にパーシーは驚く。

 

「確かにその方法ならばデスイーターを判別することはできますが……」

 

 パーシーは驚きでずれかけた眼鏡をかけ直し、口をつぐんだ。パーシーに代わり、オードリーが反論する。

 

「インペリオによって操られた人間は見分けられません。それに……我々は合意の上であったから良かったようなものの、デスイーターであると疑われると見なされるのは職員たちの間で不和を招きます」

 

「不和はもう起きている。誰が敵で誰が味方なのかと皆怪しんでいるさ。サペレ・アウデはそれを払拭し、足場を固めるための手段だ。やらない理由がない」

 

 ステファンは冷静にオードリーへと返した。

 

「過去の前例から、インペリオは術者が死ねばその効力を失う性質があると知られている。この手段で操ったデスイーターのすべてを駆逐できるとは思わないが、操られた職員のうち、一人でも多くの人間を解放できるはずだ」

 

「……しかしその手法では、デスイーターにことが露見するのも早くなるのではありませんか?」

 

 パーシーは問題点を冷静になって指摘した。セドリックがパーシーに尋ねる。

 

「どういうことですか?」

 

「セドリック。サペレ・アウデが焼くのはデスイーターだけなのだろう。操られた人間を燃やしても操られた人間がが燃えることはないのなら、彼らを通して我々がデスイーターたちを炙り出そうとしていることはすぐに漏れてしまうだろう」

 

「しかし、箝口令を敷けばいいのでは……?」

 

(いや……無理があるか)

 

 言っていてセドリックは内心無理だろうと思った。内戦中に呼び出され、いきなり燃やされかけて口を閉ざすお人好しがどこにいるというのか。

 

「人の口に戸を立てることは出来ないわ。魔法省の経験が短い貴方には分からないでしょうけど」

 

 オードリーの発言には、組織というものの恐ろしさが滲んでいる。セドリックは押し黙るしかない。

 

「一人のデスイーターを焼却した後、ことが露見するのは仕方ない。……権力の濫用と取られようとも、デスイーターであったという事実の前には無意味に出来る。私が実績でもって議会を黙らせる」

 

 ここで、ルーファスは口を開いた。その発言の重さに誰もがおし黙る。

 

(……あ……ああーっ!!)

 

 オードリーの転機はここだった。法執行部出身としてそんな横暴は辞めるべきだと言うべきだと、職業意識が告げている。

 

(でも……内部にデスイーターがいることは確実……!どのみちデスイーターを駆除しないことには私にもパーシーにも魔法界にも未来はないし……!)

 

 しかし、彼女のスリザリンらしい保身的な部分が、大臣に対する意見を言わせなかった。

 

「しかし、操られた職員を燃やすことはできず、操られた職員にこの魔法が知れた場合。最悪一人のデスイーターも燃やすことは出来ずに、操られたままの職員だけが魔法省に残される可能性もあります。何か対策を講じる必要がある、のですが……」

 

 

 パーシーの歯切れは悪い。セドリックはその歯切れの悪さに違和感を感じた。何かに対して遠慮を感じた。

 

 その時、セドリックはルーファスの視線が一点に集中していることに気付いた。

 

「……一人適任がいる。やるべきことは理解しているな、オードリー」

 

「……は、私……でございますか、閣下……?」

 

「そうだ。オブリビエイトによる記憶の修復は何分までなら可能だ?」

 

 ルーファスは冷酷に言った。冷酷でなくてはならなかった。

 

「っ……記憶の内容にもよりますが、最長で三十分程度なら別の記憶と組み合わせての修正が可能です」

 

「それだけあれば充分だ。ディゴリーと共に、魔法省内のデスイーターを燻り出せ」

 

「……承知いたしました。必ずや大臣閣下のご期待に応えてみせます」

 

 

 オードリーは元々執行部の人間であり、不幸にも魔法を目撃したマグルにたいして、魔法界にとって不都合な事実を隠蔽するオブリビエイトのプロであった。

 

 思わぬところで転がり込んできた大役に、オードリーは決然として頷いた。同時に、ちら、とディゴリーを見た。

 

***

 

(ディゴリー。貴方は納得しているの?人を殺すことになるわよ)

 

 喉元から出かけた言葉を、オードリーは飲み込んだ。

 

 魔法省大臣を補佐する立場として、闇陣営に対する内戦に職員やオーラーを送り込んできた。

 

 直接手を汚したことこそなかったが、自らの行動がより大勢の生命を左右する立場であったことは確かなのだ。ルーファスがその責任を負っていたとはいえ、官僚としてルーファスを補佐してきた以上はこのような仕事が回ってくることは覚悟していた。

 

 オードリーが心配していたのは、セドリック・ディゴリーの精神状態である。パーシーが推薦し官僚になったディゴリーは、オードリーの目には汚れなき白磁の陶器のように見えた。美しく、眩しくすらあるが、傷付いた時どうなるかは分からない。

 

 オードリーのような人間から見れば見ていたら心配になるほどの白。似たような印象を、ステファンもオードリーに話していた。

 

「……ディゴリー、決行は明日よ。もしも貴方が無理なのであれば、例の魔法を私に教えなさい。手を汚すのが嫌ならば、今からでも閣下に掛け合ってみるわ。ステファンや、私が代わってあげることも今ならばできるのよ」

 

 オードリーが心配していたのは、セドリックがことが終わったときどう変わるのか予測がつかなかったからだ。パーシーとは別の意味で真面目過ぎるのではないか、と思った。

 

 精神状態に不調をきたしたスタッフを抱えられる余裕は今はない。セドリックが心身に異常をきたして戦線離脱すれば、ステファンもオードリーも、恐らくはパーシーも大臣を支えきれなくなる。それを懸念していたからこそ、オードリーは最後の確認をした。

 

 ここから先はお前の責任だぞ、という社会人の牽制である。

 

「それは結構です、オードリー」

 

「これは僕が与えられた役割なんです。……閣下は、僕を信頼してこの役目を与えてくれました。僕はその信頼に応えたいんです」

 

 セドリックの内心をオードリーは推し量ることはできない。しかし、しかし、セドリックの目は死んではいない。これから殺人を犯すことになったとしても、それが正義の為であると信じている目だった。

 

 セドリックもまた、必死であった。

 

(……ここで止まれば、何十何百という無実の人々が犠牲になる……)

 

 セドリックの父の同僚のワルデン・マクネアがデスイーターであった。魔法省の内部に潜むデスイーターが誰で、何人いるのかすら定かではない。

 

 セドリックにとっても顔見知りがデスイーターかもしれないという恐れ。しかしそれは、信じていたセドリックに対する裏切りに他ならなかった。

 

 セドリックは、信頼を踏み躙られることに怒りを覚える。

 

 他人を騙し、他人を魔法で操り、他人の尊厳を破壊するデスイーターを嫌悪する。

 

 そうでなければ『正義』などなすことはできない。悪しきものを悪と断じ、排除しなければこの闘いはいつまでも終わらないいたちごっこを繰り返すことになると、セドリックは考えていた。

 

「……献身的ね。……貴方のような部下を持てたことは、閣下にとっては幸運なことよ」

 

(私にとってもね。……なるべく手を汚さずに済むのはありがたいわ。……言質、取ったからね、ディゴリー)

 

 セドリック・ディゴリーの顔には、確かな覇気が宿っていた。オードリーにとっては頼もしい限りである。

 

 魔法省内部に潜むデスイーターを文字通り炙り出す。文字にすれば簡単だが、この作戦は法治国家としては最悪であった。

 

 サペレ・アウデという魔法を用いて、権力者の意向によって、特定の集団を排除する。

 

 相手がデスイーターであるからまだいい。しかし、このような『前例』を作ってしまうと、組織というものは『前例』に倣って、より悪質な行動を繰り返してしまう。執行部であるオードリーはそのリスクも知っていた。

 

 この作戦は、デスイーターと思わしき人物を呼び出してサペレ・アウデを撃ち込む。デスイーターであれば当然、死ぬ。

 これはデスイーターとの戦闘において『結果的に』殺害する、というわけではない。

 

 デスイーターを強制的に殺害する魔法を、先制行使する。いわば国家による人権の剥奪である。

 

 通常テロリスト相手に対しては、闇の魔術の行使は違法にならない。しかし、今回のケースのように『テロリストであることが確実視できるので殺害する』という魔法の行使は、まがり間違えば、『国家が特定の宗教・団体が気に入らないので殺害する』という超解釈にも繋げることができかねない。

 

 それこそドロレス・アンブリッジのような存在ならば、嬉々としてこの前例を悪用しようとするだろう。

 

 法治国家としてはあるまじき越権行為。ダンブルドア死亡というかつてない事態でも許されない暴挙。

 

 しかし、魔法省はそれほどまでに切羽詰まっているのだ。でなければ、まだ二十歳そこらのパーシーやオードリーが大臣の補佐に抜擢されたりはしない。

 

 悪事……否、国家による正義の片棒を担ぐとはいえ、直接的に手を下すのは自分ではないというのはオードリーにとってもありがたい話である。

 

 オードリーは上手く後輩を使える人間であった。魔法省という組織で生きていけるスリザリン出身者は、己の魔法力や出自を鼻にかけるような人間ではない。彼女のように、時には人を褒め、時には牽制し、適切な距離というものを見極めることができる社会人なのだ。

 

「僕も、先輩たちに恵まれたことを誇りに思っています」

 

 そう返すセドリックに、オードリーはウインクした。

 

 スリザリン出身者にとって最も相性が良い存在は、或いはハッフルパフ出身の人間であったかもしれなかった。ハッフルパフ出身の人間は、こちらが誠実に対応すれば、誠実にそれを返す。人として真っ当なセドリックという存在のありがたさを噛み締めながら、オードリーは汚れ仕事に挑んだ。

 

***

 




な……なんでこんな救いのない話に……?
原作では救いがあったのになぜ……?
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