「ラーメン?」
遅い朝食をご馳走になりながら、俺はハオリンに国境近くにあるという美味しいラーメン屋の話を訊ねた。麓とも交流があるなら、噂くらい聞いたことがあるのではと思ったのだ。
「まさか、ラーメンを食べるためにはるばるファルシェンからいらしたんですの?」
まだ眠そうなハオリンの赤い目が、ジトッと呆れた様子で俺を見る。
「それだけのためってわけじゃないけど、目的の一つではある」
朝食は、昨晩の月見団子の余りを温かいスープに入れて煮込んだものだった。ほんのりと甘い団子に、とろみのある薄塩味のスープが絡んで美味い。勧められるままにおかわりを貰ってしまった。
「いいわねえ、ラーメン」
当然のようにユエリヤ神も同席し、木のスプーンで団子を口に運んでいるが、里長一族はもちろん使用人も誰一人気にしていなかった。どれだけ里に馴染んでいるのだ、この神は。
「たぶん、前にエンブラちゃんが言っていたところよ。私も食べてみたいと思ってたのよねえ」
「エンブラ神が?」
「そうよ。去年のお酒は私のところで飲んだんだけど、帰りに締めをそこで食べるんだって、ずいぶん楽しみにしていたの」
「へえ……」
人間が知らないだけで、神というのは案外その辺をうろついているようだ。それにしたって庶民派過ぎやしないか。
「私も行こうかしら。ハオリンもどう?」
「え!? も、もちろんユエリヤ様のお誘いとあらば!」
「決まりね。お昼ご飯はラーメンにしましょう」
というわけで、俺の意思に関係なく一人と一柱が付いてくることになってしまった。
「タキさん、ムーさん。本当に、ありがとうございました」
手早く身支度を整えて外に出ると、里長をはじめとした兎族の人々が集まっており、改めて深々と頭を下げられた。
「このご恩は忘れません」
「気にしないでください。こちらこそ、泊めていただいてありがとうございました」
「またいつか、遊びにいらしてください。たくさんご馳走をご用意してお待ちしております」
「わかりました。楽しみにしています」
今度は何の事件も起きていない時に、ゆっくり滞在してみたいものだ。
別れ際に餞別として干し芋を貰い、里に来た時とは違う道から山を下りる。
「あんなに貰って、なんだか悪いな……。しばらく大変なんじゃないか? ユエリヤ様がいるからなんとかなるとは思うけど」
皆明るく振る舞っていたが、靄の影響でしばらく日が差さなかったこともあり、田畑は特にダメージが大きいのではないだろうか。貴重な食料を貰ってしまったことに、少し負い目を感じていた。
しかしハオリンは首を振る。
「いいことを教えて差し上げますわよ。この辺りの古い言葉で、雷のことを『稲妻』と言いますの」
「稲妻?」
「お米の伴侶という意味です。雷がたくさん鳴った年は、お米の出来が良くなるとされていますのよ」
「それって……」
『確かに、お主の雷はなかなかのものだった』
ユエリヤ神を背に乗せたワンシュが、ワフッと笑った。
「だから、ご心配には及びませんの。わたくしたちは、か弱い子ウサギではございませんわよ」
そう言って胸を張るハオリンの姿には、里を背負っていく者の逞しさがあった。
「……それもそうか。じゃあ、次は米が穫れる季節に来よう」
「ぜひ! 里の新米は美味しいですわよ!」
きっと兎族はこれからも、月神と共に末永く続いていくのだろう。
ユエリヤ神の案内で辿り着いたラーメン屋は、本当にエンブリオンとの国境すれすれの、小さな町の中にあった。辿り着く頃には昼になっていたが、ワンシュが俺とハオリンもかわるがわる乗せてくれたので、さほど疲れてはいない。
「本当にここですの?」
店構えもごく小さく、看板は塗料の赤色が退色して薄くなっていた。
「ええ。だって、他にラーメン屋さんはなかったでしょう?」
その古い看板を見上げるユエリヤ神は、人間たちに紛れるべくいつの間にか地味な上着を羽織っていた。それでもきらきらしいのは隠せないが。
「……いらっしゃい」
引き戸をおそるおそる開けると、およそ歓迎していなさそうな無愛想な声に出迎えられた。
長年染み付いた油で光る店内にはカウンター席しかなく、他に客はいなかった。店員も店主と思しき厳めしい顔の中年男性が一人だけ。
まず外食に慣れていないハオリンはそわそわおどおどしていたので一番端、そしてユエリヤ神を挟んで俺の順で座った。
メニューもシンプルなもので、壁に貼られた黄ばんだ紙に『ラーメン』『チャーハン』『ギョウザ』などと書かれているだけだ。
「ラーメンを三つくださいな」
ユエリヤ神は全く臆することなく、にこにこと伝えた。
「俺はチャーハンとギョウザも」
「……はいよ」
なんとなくあまり大きな声で会話してはいけない雰囲気を感じながら、無口な店主の慣れた手さばきをカウンター越しに眺める。一段高くなった受け取り口にラーメンが三つ並べられるまで、さほど時間はかからなかった。
細めの麺が浸かっているスープは透明で、黄金色をしていた。具は香ばしい色が付いた玉子と豚肉。
「いただきます」
ユエリヤ神に倣って手を合わせる。どうやらこの辺りは、月見の里と作法が同じらしい。
まずはこのスープの正体が知りたいと、カウンターに備え付けられた大きなスプーンで一口掬って飲んでみる。
「うっま」
思わず声が漏れた。塩気が強いが、それだけではない複雑な味を感じる。
「まあ、本当に美味しい」
「これは……!」
俺の第一声を聞いて同じようにスープを口にした二人も、目を見開いて驚いていた。
「出汁はお魚……? 貝かしら?」
ユエリヤ神が何やら真剣に考察し始める横で、俺は麺にとりかかる。
「なんだかクセになる味ですの」
あまり肉を食べないハオリンでさえ、スープの美味さに感動して肉まで食べている。
料理の知識が薄い俺にはとにかく美味いということしかわからないが、この辺境と言って差し支えない場所にありながら、ファルシェンまで噂が伝わってくるのも納得の美味さだった。
「ムー」
俺が全部食べてしまいそうなのを見て、忘れられかけていたムーが慌てて一本寄越せと存在を主張した。
麺自体は小麦粉でできているとは言え、普段は動物性の匂いがするものには興味を示さないのに珍しい。俺たちがあまりにも美味い美味いと言うから気になってしまったのか。
「ほら」
麺を箸で一本つまんで近付けると、垂れた下側の先端に食いついた。
「ムー!」
「食べられないワンシュが可哀想ねえ」
さすがに牛サイズの大型犬が町中に現れたら魔物かと騒ぎになるので、ワンシュは麓に降りた時点から姿を見えなくして、今は外で待機している。
そんなこともできるのかと驚いたものの、トカゲにできるくらいだから朝飯前かと思い直した。ムーもできるようになるだろうか。
「ワンシュ様って、食事は?」
「お供えもののご飯を食べるくらいよ。私も昔は食べなかったし……。ムーくんみたいに、積極的にいろいろ食べる子は初めてみたわねえ」
「ムー?」
いつから生きているのかわからない神をもってしても珍しいというお墨付きをもらってしまった毛玉は、よくわかっていなさそうな顔で麺をちゅるんと啜った。
後から出てきたチャーハンとギョウザも絶品で、俺はすっかり満足していた。
「ああ、美味しかった。苦労してここまで来た甲斐があった」
店の外に出て、大きく息を吐く。
「よく全部食べられましたわね。里では遠慮してましたの?」
一人前のラーメンに加えて一人前のチャーハンと大きめのギョウザを食べ、しっかりラーメンのスープまで飲み干す俺を、ハオリンは途中からぽかんと口を開けてみていた。
「まあ、多少は。……それにしても、山のこっち側は、封印の影響をあまり受けてなかったんですね」
「こっち側は、私よりもエンブラちゃんの影響が強いのよ」
「へえ……。それで、エンブラ神がこのラーメン屋を知ってたのか」
改めて町を見渡すと、道行く人々の髪の色や肌の色は様々で、獣人族もちらほら歩いていた。加えて、空気がからりとしている気がする。山を隔てているだけでここまで変わるものなのかと感心した。
ザラモールからエンブリオンまでは歩いて国境を跨げるという話だったので、一人と一柱とはその手前で別れることになった。
「タキ様、お気を付けて」
「うん。ハオリンも元気で」
「エンブラちゃんによろしくね」
「よろしく、できると良いんですが……」
何しろ寵愛を消してくれと言いに行くのが目的だ。穏便に済むとは思えなかった。
「大丈夫よ。一緒にお酒でも飲めば、すぐに仲良くなれるわ」
「善処します」
今はひとまず、ユエリヤ神の言葉を信じるしかない。
「それじゃまたね、タキくん、ムーくんも」
「はい。きっとまた」
「ムー!」
そして最後に手を振って、踵を返した。空は今日も快晴で、絶好の旅行日和だ。