Fate/Grand Order 第三部 Script of the Palimpsest   作:白瀬 綴

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第15話 膜界激突

 γ(ガンマ)の右手で、雷のマーレリングが一度だけ白く濁った。遅れて、左の路地を塞ぐ膜が内側へ僅かに撓む。

 

 ユニが顔を上げた時には緑色の光へ戻っていたが、胸元のおしゃぶりには細い震えが残っていた。指を添えると、冷たさが肋骨の内側まで染み込んでくる。

 

 白い膜に切り取られた住宅街は、並盛の景色を保っていた。低い塀、電柱、閉じた門扉、玄関脇の植木鉢。倒れた自転車の車輪だけが緩く回り、乾いた金属音を一定の間隔で落としている。道は正面で右へ曲がり、左には一人が通れる細い路地があった。どちらの先にも白い膜が重なり、遠景を薄く押し潰している。

 

 両腕のウォッチでは赤い表示が減り続けていた。誰も攻撃を仕掛けない数秒のあいだに、左右の膜が電柱一本分だけ近づき、民家の塀を白く呑み込む。戦いを止めても、閉じ込められた側へ休息は与えられない。

 

 ユニは瞼を閉じた。大空のおしゃぶりを受け継いだ直後、この町へ転写されてから、かつて不意に訪れていた未来の光景は一度も浮かんでいない。目を開けば、見えるのは白い道路と、その前に立つγの背中だけだった。

 

「姫。どこか痛むか」

 

 低い声がすぐ前から届く。γはユニへ背を向け、ビリヤードキューを右手に構えていた。左足を塀側へ置き、道路の中央へ右足を残している。正面から攻撃を受けても、ユニが左の路地へ退ける幅は塞がない。その立ち方を、ユニは幼い頃から知っていた。

 

「大丈夫です。γは?」

 

「俺のことはいい」

 

「よくありません」

 

 γの肩が僅かに強張った。振り返りはせず、左足だけを外へ開く。

 

「……動ける。姫は俺の左から離れるな。下がる時は、そのまま路地へ入れ」

 

「はい」

 

 ユニが応じると、背後から場違いなほど軽い声が近づいてきた。

 

「γクンってば、僕にはずいぶん冷たいよねぇ♪」

 

 白蘭は膜の際を歩き、二人の横へ並んだ。白い髪も衣服も乱れていない。いつもと同じ笑みを浮かべているのに、左手の大空のマーレリングへ触れた指だけが止まっていた。

 

「ほら。γクンの指にも妙なものが嵌まってる。少しくらい話を聞いてくれてもいいんじゃない?」

 

「お前と話すことはねぇ」

 

「残念だなぁ」

 

 γは吐き捨てながら右手へ視線を落とし、雷のマーレリングへ雷の死ぬ気の炎を通した。緑色の光が溝を巡り、熱は指先で跳ね返らずに手首から肘へ抜けていく。未来の記憶にある模造品なら、注いだ炎を粗く膨らませ、腕へ噛みつくような反発を返した。今のリングはγの炎を乱さず、細い雷へ整えていた。

 

「……違う。あの偽物みてぇに、流した炎が暴れねぇ」

 

 γは中指を曲げ、肌へ食い込むリングを睨んだ。自分の力でありながら、自分より先に扱い方を知っているような馴染み方が気に入らない。

 

「これが、本物かよ」

 

 白蘭の笑みが一瞬だけ薄くなった。自分の指へ嵌まる大空のマーレリングを親指でなぞり、すぐにいつもの軽さへ戻る。

 

「僕も知らないなあ。今の僕の指にこれが嵌まるなんて、どの未来でも見た覚えがないよ」

 

「白蘭様」

 

 桔梗が一歩前へ出た。恭しく頭を下げる所作は崩さず、視線だけを白蘭のリングから周囲の膜へ移している。

 

「ハハン。私の雲のマーレリングも、未来の記憶で使っていた本物と同じ反応を返しています」

 

「だからといって姫へ近づくな」

 

「承知しています。少なくとも、貴方より先にユニ様へ触れるつもりはありませんよ」

 

 γの眉間に深い皺が寄った。未来の記憶では、桔梗も白蘭もユニを追い詰めた側にいた。桔梗が一歩詰めただけで、キューの先がすぐに持ち上がる。

 

 ユニはγの袖を小さく掴んだ。

 

「γ。信じてほしいとは言いません」

 

 γの視線が袖を掴む指へ落ちる。ユニは手を離さなかった。

 

「でも、私だけで決めません。二人が今何をするのか、一緒に見てください」

 

 沈黙の間にもウォッチの表示は減り、道路の右端で白い膜がじりじりと近づいた。

 

「……俺の前から出るな。それなら見ててやる」

 

 γはキューの先を白蘭から外し、道路の奥へ向けた。白蘭もリングから指を離し、桔梗はユニとγの間へ踏み込まない。

 

 三叉槍の石突が、道路を強く叩いた。

 

 紫の霧の死ぬ気の炎がアスファルトの亀裂へ潜り、白い膜の内側で道路を二重に揺らす。六道骸(ろくどうむくろ)が境界を越え、その後ろからフラン、柿本千種、ヴェルデが続いた。

 

 骸の耳元では霧のボンゴレギアが紫に灯り、三叉槍を握る両手には薄い手袋型の有幻覚グローブが嵌まっていた。フランの手にも同じ装置があり、指を動かすたび甲の継ぎ目へ霧の死ぬ気の炎が走る。骸が道路へ霧を流すと、弟子はその揺れへ別の景色を重ね、千種は二人の間でヨーヨーの糸を張った。ヴェルデだけは武器を持たず、小型観測器に四つの反応を並べ、戦場の反応を同時に追っている。

 

 膜の外側から鈍い打撃音が響き、黒い影が境界へ押しつけられて消えた。観測器の端には、戦闘領域へ入れず外周に残った城島犬の反応が走り、影炎体の一つが路地の奥へ弾き返されている。

 

「犬兄、まだ外で暴れてますねー」

 

「放っておけ。今は内部の数値を取る」

 

「クフフ。再会を喜ぶには、少々騒がしいところですね」

 

「やあ、骸クン。君もこっちなんだ♪」

 

「貴方に会いに来たつもりはありませんよ。ですが、目の前にいる以上、槍を下ろす理由も消えました」

 

 三叉槍の穂先が白蘭の喉へ向く。桔梗が踏み込もうとしたが、白蘭の左手がそれを止めた。白蘭はユニとγへ背を向け、骸との間へ立つ。

 

「骸クンは僕が相手するよ。桔梗ちゃんはユニちゃんの方へ」

 

「しかし――」

 

「大丈夫。彼、僕のこと嫌いだからね♪」

 

「嫌悪を向けられるだけの振る舞いを、貴方が積み重ねた結果でしょう」

 

 骸の槍が動くより先に、ヴェルデは小型観測器を起動した。ガラス面の針がユニのおしゃぶり、三つのマーレリング、白い膜へ別々に振れる。

 

「骸、白蘭を動かせ。フランはユニをγの守りから一度だけ外せ。千種は糸を一本入れろ。手を止めれば膜が縮む」

 

「科学者さん、相変わらず人使いが雑ですねー」

 

「結果を出せば文句は聞いてやる」

 

「じゃあ一生聞く気ないやつですー」

 

 フランが右手を振ると、住宅の壁が波打ち、右へ曲がる道路が急に近づいた。白い膜まで十数メートルあった道が三歩で届く距離に縮み、左の路地は奥へ細長く伸びる。

 

 近づいた道路の縁が植木鉢の破片を押し、乾いた音を立てた。視界だけを騙す幻なら、陶器は動かない。手袋の継ぎ目へ通した霧の死ぬ気の炎が、偽の道路へ一時的な重さを与えている。幻を物として触れさせる有幻覚――ヴェルデの装置は、その実体化を手指の操作で切り替えていた。

 

 伸ばした道路は、奥へ行くほど破片を押す力が弱まり、塀際の霧も風に揺れていた。広く作るほど、一か所へ与えられる重量と維持時間が落ちる。フランは密度の薄い場所を隠すため、実物の壁と影を幻の境へ重ねていた。

 

 同時に、骸の三叉槍が白蘭の左脇から突き上がった。白蘭が身を反らした軌道へ、窓ガラスに映ったもう一本の穂先が追う。白蘭は大空のマーレリングへ大空の死ぬ気の炎を集めたが、背後ではフランの霧がユニが立つ路面まで伸びている。広く撃てば、ユニたちを巻き込む。

 

 白蘭は人差し指の先へ大空の死ぬ気の炎を絞り、窓へ重なった一点だけに狙いを定めた。

 

白指(しろゆび)

 

 白い閃光が窓ガラスだけを貫き、虚像の槍を砕く。破片が道路へ降り、そこへ千種のヨーヨーが滑り込んだ。

 

 大空の死ぬ気の炎を人差し指へ圧し縮め、狙った一点だけを高速で撃ち抜く。それが白指だった。通り全体を薙がずにユニたちへの余波を抑えられる一方、重なった幻は一つずつ撃ち抜くしかない。撃ち抜いた窓の外側では、まだ別の反射が紫に揺れている。

 

 白指の閃光が消えるより早く、骸は砕けた窓の反射へ霧を滑り込ませた。白蘭の背後に映った道路が左右へ裂け、どちらからも同じ三叉槍が伸びる。白指へ通した大空の死ぬ気の炎がリングの溝を巡るなか、白い膜の奥で低い振動が返り、大空のマーレリングへ薄い白濁が走った。同時に、穂先へ未来の記憶が重なる。白蘭は右へ避けたが、記憶にある骸の間合いより穂先が僅かに長い。上着の肩が裂け、皮膚へ浅い赤い線が走った。

 

 白蘭は傷口へ目を落とさず、左手だけを振る。大空の死ぬ気の炎が弧を描き、骸の靴先を薙いだ。骸が槍を路面へ突き立てて跳ぶと、その衝撃が塀を伝い、ユニの側の植木鉢を倒す。割れた陶器の音へフランの霧が重なり、道路の幅がまた揺れた。

 

 γは落ちてきた破片をキューで払った。視界の端では白蘭と骸が攻防を続け、正面では千種の糸が低く走る。どちらかだけを見れば、もう一方がユニへ届く。γは舌打ちし、キューの石突で路面へ小さな雷球を一つ残した。緑色の火花が亀裂へ潜り、左右どちらから攻撃が来ても電磁の壁へ繋げられる。

 

 γの球は、強く撞けば雷を帯びた弾丸となり、路面へ残せば探知と防御の支点になる。二つ以上を離して置けば、その間へ電磁の壁も張れる。攻撃へ使い切れば火力は上がるが、ユニの周囲に残る防壁が減る。γは最初の一球を敵へ撃たず、自分の視界が届きにくい側へ置いた。

 

 ユニの足は、近く見える右の道路へ向きかけた。γは振り返らない。それでも左足は塀から離れず、ユニ一人が通れる幅を残している。幻の道路には、その足が落とす影だけがなかった。

 

 ユニは左へ踏み出した。

 

 千種の円盤が右の幻を抜け、γのキューと路面の間へ糸を入れる。フランが作った誤認へ合わせ、γの防御を道路の外側へ引き出す狙いだった。

 

 γのキューが円盤を弾く。糸へ雷が食いつく直前、千種は指を開いて一本目を捨てた。切れた糸が路面へ落ちる前に、別の円盤が塀の角を回る。

 

 桔梗の匣が開いた。雲の死ぬ気の炎から、細い尾と鋭い爪を持つ(ヌーヴォラ)ヴェロキラプトルが飛び出し、二つ目のヨーヨーへ横から爪を当てる。

 

 円盤の表面に傷が走ると、爪へ灯った雲の死ぬ気の炎が増殖した。一頭は着地と同時に二頭へ分かれ、右の曲がり角と左の路地へ走る。身体は小さくなったが、千種の糸を追う速さは落ちていない。

 

 雲の死ぬ気の炎が担うのは増殖だった。傷を起点に数を増やせば、二つの退路を同時に塞げる。ただし炎を分けた分だけ、一頭ごとの身体と爪へ集まる力は小さくなる。桔梗は包囲を選び、正面から千種を押し潰す出力を捨てていた。

 

 右へ回った一頭がフランへ牙を向けた。千種は二本目の糸を引き、円盤を獣の前脚へ巻きつける。止められる力はない。それでも爪が路面へ落ちる一拍を奪い、フランの肩を塀の陰へ押し込んだ。

 

 獣が糸を噛み切る。張力を失ったヨーヨーが千種の手の甲へ跳ね返り、金属の縁が皮膚を裂いた。千種は血の滲む指を見て、二本目の糸も切る。次を正面へ投げれば、雷が手首まで駆け上がる。

 

「柿ピー、正面は無理そうですねー」

 

「分かってる。早く」

 

 フランの靴の周囲で霧が膨らみ、道路中央へ三人のγが現れた。呼吸も雷の明滅も揃い、ユニへ差し出した左腕まで、幼い頃から知る癖をなぞっている。靴底は植木鉢の欠片を押し、物質化した肩とキューが道路を三つへ分けた。

 

 ユニは三人を見比べなかった。どの腕を選んでもγの守りを開かせるための誘いになる。右側で実際に爪を立てているヴェロキラプトルと、その奥の桔梗へ顔を向けた。

 

「桔梗さん。そばへ下がらせてください」

 

「ハハン。承知しました」

 

 γのキューが一度止まり、すぐに千種へ戻った。視線は三体の有幻覚から外さない。

 

「痛みが出たら呼べ」

 

 ユニは頷き、戻ってきたヴェロキラプトルの背へ手を添えた。

 

 γが雷球を撞く。中央の有幻覚は胸を貫かれ、奥に張られた千種の糸まで焼けた。フランは穴を塞がず、崩れた一体へ与えていた重量と霧を自分の身体へ引き寄せる。緑の髪とリンゴ帽子が紫へ沈み、小さな肩と長い髪が浮かび上がった。三体分を保ったまま新しい幻を足す余力はない。壊れた一体を捨て、その密度を偽装へ移していた。

 

 残る二体が肩を並べ、γからユニへの視界を塞ぐ。同時に右の道路が傾き、ユニの靴底が滑った。ヴェロキラプトルが肩を差し入れ、その身体を桔梗の側へ押し戻す。

 

 フランがユニ側へ重量を寄せた瞬間、白蘭が踏む路面に重ねた道路が薄く透けた。白蘭は露出したアスファルトへ爪先を戻し、追ってきた三叉槍を塀の外へ流す。

 

 二体の間から、もう一人のユニがよろめき出た。胸元には大空のおしゃぶりまで揺れているが、大空の死ぬ気の炎も、γが知る温度もない。それでも、倒れかけた幼い身体へ伸びた指は、考えるより早く守護者の肩を引いた。

 

「γ……」

 

 声へγの肩が動き、キューの先が落ちる。千種の円盤はすでに低く走り、物質化したキューを支点に軌道を折って、開いた手首のバトラーウォッチへ回り込んだ。

 

「γ。ここです」

 

 γは振り返らず、手首を返した。円盤の刃が掌を裂き、その内側でバトラーウォッチの外縁を浅く削る。γは刃ごと糸を握り、雷を逆流させた。偽のキューが縦に裂け、フランの手袋から火花が散り、千種の指も焼けた。

 

 桔梗は本物のユニから視線を外さず、左手だけを返した。ヴェロキラプトルの爪が偽ユニの肩を裂く。幼い輪郭が紫の霧へ割れ、へこんだリンゴ帽子とフランの顔が現れた。

 

「あと少しだったんですけどねー」

 

 フランは爪を手袋で受け流して塀の陰へ転がった。残る二体のγも肩から薄く透ける。

 

 鮮血がγの掌からキューへ広がり、バトラーウォッチの文字盤には浅い傷が一本走った。裂けた掌のまま雷の死ぬ気の炎を通し続けると、右手の雷のマーレリングへ白い濁りが広がり、道路の外縁を覆う膜が低く震えた。

 

 桔梗のヴェロキラプトルが傾いた路面へ爪を食い込ませ、ユニが立つ路面を押し戻した。もう一頭は千種へ跳んだが、フランの霧が着地点を横へずらし、爪はアスファルトを抉った。

 

「γ、その手を」

 

「後だ。今、雷を切れば道路が落ちる」

 

 γは裂けた掌を握り込み、キューを道路へ押しつけた。声は荒く、血が柄へ流れる。雷を切れば、フランが傾けた路面がユニと桔梗が立つ路面へ戻る。傷口を閉じる余裕はなかった。

 

「……黙って決めないでください」

 

 γは怒鳴り返しかけ、ユニが自分の足でヴェロキラプトルの背後へ下がるのを見た。

 

「……姫も同じだろうが」

 

 ユニは返事を重ねず、ヴェロキラプトルの背後まで自分の足で下がった。γは彼女が踏んだ路面をキューで叩き、亀裂がないことを確かめて正面へ戻る。

 

 γはキューの根元で路面を叩き、雷球を三つ弾いた。一球目が沈んだアスファルトを砕き、二球目が塀へ当たって残った糸の支点を焼く。三球目は道路中央の亀裂へ嵌まり、ユニの前へ電磁の壁を立てた。

 

 裂けた掌からリングへ炎が流れ込む。緑色の雷は球へ送った量を越え、手首から肩へ突き上がった。γはキューを路面へ押しつけ、余った出力をアスファルトへ逃がす。道路中央の球から左右へ細い雷が走り、亀裂の縁を焦がした。傷に応じて弱まるはずの出力が、逆に一段膨らんでいる。

 

 ユニが一歩出かけると、γはキューを横へ振り、近づくなと示した。

 

 ヴェルデの観測器が短く鳴る。

 

「同じ出力をもう一度通せ」

 

「自分の身体でやれ」

 

 ヴェルデは返さず、三球を放った直後の上昇と、道路を支える出力へ絞った後の低下を別々の記録線へ残した。雷のマーレリングが変化するたび、白い膜へ向けた針も一拍遅れて揺れる。ユニのおしゃぶりを拾う針だけが、その二本から僅かに外れた。観測器に比較線が一本増えた。

 

 γのこめかみに青筋が浮き、キューの先がヴェルデへ僅かに動く。塀際でフランの霧が膨らむと、舌打ちして正面へ戻した。握り直した掌から、また血が柄へ流れた。

 

 γがキューを上げる。桔梗は二頭のヴェロキラプトルを呼び戻し、一頭をユニの右で低く構えさせ、もう一頭をフランと千種の前へ進めた。

 

「右は任せる」

 

「ハハン。承知しました」

 

 ユニの右手首でウォッチが震えた。表示の縁が赤く明滅し、膜がまた近づく。右の民家では玄関の庇が白へ沈み、屋根の端が音もなく消えた。

 

 ヴェルデは膜へ観測器を向け、骸へ視線を送った。骸が笑い、白蘭へ槍を向け直す。フランはリンゴ帽子の陰で目を細め、千種は血に濡れた指で最後の糸を確かめた。白い膜は玄関柱の上部まで達し、門扉の蝶番を白へ消した。

 

 γが正面へキューを戻した瞬間、骸の三叉槍が白蘭の脇腹へ走った。

 

 霧のボンゴレギアへ霧の死ぬ気の炎が通り、骸の三叉槍の柄へ嘴を思わせる刃が幾重にも開いた。三本の穂先を持つ槍は錫杖めいた武装へ変わり、刃の一つ一つから別の霧が道路、窓、塀へ伸びる。耳元の紫と白蘭の大空のマーレリングが同時に強まった。二つの至宝から溢れた死ぬ気の炎が白い膜へ触れ、境界が低く鳴る。ボンゴレリングの力を継いだギアも、同じ世界の礎へ届いている。

 

形態変化(カンビオ・フォルマ)

 

 骸が錫杖を返すたび、伸びた刃が実物の塀へ触れ、別の刃は有幻覚の道路へ沈んだ。どれが白蘭の身体へ届く刃か、接触するまで判別できない。白蘭は最初の一本を外したが、二本目の重さが途中で変わり、脇腹へ石突を受けた。

 

 白蘭の身体は塀を越えて飛び、槍の石突が着地先を斜めに叩く。紫の霧の死ぬ気の炎がアスファルトへ染み込み、実際の道路より低い路面を重ねた。白蘭が足を置けば、崩れた姿勢へ次の穂先が届く。

 

 白蘭の視界には着地できる道路が三つ映った。中央は霧が作った窪み、右は塀へ肩をぶつける近さ、左だけが本物に見える。白蘭が左へ爪先を伸ばすと、窓ガラスに映った骸が笑った。

 

 触れる寸前、白蘭は足を引いた。左の道路にも薄い霧が流れている。見破ったと思わせるところまで、骸の罠だった。

 

 骸はフランの有幻覚と接点を重ね、白蘭が選んだ場所へ錫杖から霧を足して重量を増している。二人の手袋へ紫の光が往復し、同じ偽りを別々の術者が支えた。白蘭が一つを壊せば、残った側が重さを引き継ぐ。

 

 白蘭の人差し指へ白い炎が集まる。骸の幻術は通り全体へ広がっている。まとめて崩せば、ユニたちの側まで余波が走る。

 

白指(しろゆび)

 

 白い閃光は着地先に重ねられた道路の継ぎ目だけを撃ち抜いた。奥のアスファルトが露出し、白蘭はそこへ足を置く。追ってきた槍を袖の外へ流したが、骸は柄を回し、石突を白蘭の脇腹へ叩き込んだ。

 

 白蘭の背が塀へぶつかり、表面に亀裂が走る。衝撃で道路脇の看板が傾き、その脚がγの雷球を嵌めた中央の亀裂へ倒れかけた。

 

「継ぎ目だけを抜く。相変わらず、無駄を嫌いますね」

 

「全部消したら、骸クンが何を作ったか分からなくなるからね♪」

 

「人の内側を覗く趣味は、まだ治っていないようで」

 

 骸の右眼に浮かぶ数字が一から四へ変わる。霧で増えていた残像が消え、踏み込みの音が一つへ絞られた。錫杖の穂先が白蘭の右肩を狙い、避けた首筋へ柄が返る。白蘭が手首で受けたところへ、骸の膝が腹へ入った。

 

 第四の道、修羅道。骸は幻術の奥へ隠れるのをやめ、身体の出力を押し上げて至近距離へ食い込む。未来の記憶にある骸なら、もっと早く霧を重ね、距離を奪うはずだった。目の前の骸はその読みを嘲るように、槍、肘、膝を繋いで白蘭の頬から笑みを削る。

 

「まだ、未来の僕を見ていますか」

 

 錫杖の穂先が白蘭の頬を掠めた。

 

「もうやめたよ。今の君だけ見てる」

 

 次の突きでは、錫杖を持つ右手が囮になった。白蘭が穂先へ意識を寄せた瞬間、骸は肩から体当たりし、白蘭の背を塀へ押しつける。左胸へ滑り込んだ錫杖の刃を、大空の死ぬ気の炎が寸前で弾いた。

 

 白い上着が裂け、左胸の脇に浅い赤い線が走った。骸は足を止めず、そこへ石突を返す。

 

「クフフ。未来の記憶よりは、よく動きますね」

 

「骸クンこそ。自分の身体だと、ずいぶん遠慮がないね」

 

「貴方へ遠慮する理由がありません」

 

 白蘭は穂先の内側へ入り、左手で柄を押さえた。右の人差し指を骸の眼前へ向ける。白指が放たれる寸前、骸の靴の周囲から霧が噴き上がり、二人の姿を塀の内側へ重ねた。

 

 白蘭の閃光が壁を撃ち抜く。砕けた破片の陰から錫杖の刃が伸び、右肩を貫く代わりに大空の死ぬ気の炎を削った。白蘭の右腕が落ち、マーレリングの光も弱まる。

 

 白蘭は壁から離れ、骸の右眼だけを見た。数字の変化、槍の傾き、軸足へ移る重さ。未来の骸を重ねるのを止め、目の前の三つだけを追う。いったん大空のマーレリングへ通す炎を絞ると、表面を覆う白い濁りも僅かに薄れた。

 

 次に白蘭の視界へ入ったのは、骸の右手と有幻覚グローブの甲だった。骸の指が握り込まれる直前、紫の線が一本だけ濃くなる。耳元のボンゴレギアから錫杖へ霧の死ぬ気の炎が渡ると、重量を持つ刃だけが石突へ僅かな震えを返す。フラン側から補われる道路では、弟子の二本の指が先に閉じていた。

 

 白蘭は錫杖へ白指を撃たなかった。窓の内側で、霧が重さを得る直前の一点を射抜く。白い閃光が紫の接続を断ち、塀の上に並んだ槍の半数が実物へ触れる前に透けた。残った道路も植木鉢の欠片を支えきれず、陶器を落として揺らぐ。

 

 骸は錫杖を振り抜き、薄れた有幻覚を捨てた。有幻覚へ流していた霧の死ぬ気の炎を靴の周囲へ集め、第四の道へ移る。白蘭が捉えたのは、幻へ物質性を与える一拍だけだった。

 

 骸は右眼の数字を四から一へ戻し、道路、塀、割れた窓へ霧を流す。窓の一枚一枚に別の道路が映り、塀の上へ同じ錫杖が並ぶ。虚像のどれにも僅かな重さがあり、白指で一つを撃てば、残った槍が射線の外から触れてくる。

 

 だが、先ほどまでと同じ数には戻らない。骸が広げた槍は窓ごとに一本、道路は白蘭の周囲だけへ狭められていた。数を捨てた代わりに、一つ一つの穂先は塀へ傷を残すほど重い。右手のグローブへ掛かる負荷も増し、錫杖を返すたび指の付け根が僅かに遅れた。

 

 白蘭はその遅れへ踏み込んだ。大空のマーレリングから噴いた炎を背へ回し、石突が戻る前に距離を消す。骸が修羅道の膝を上げるより早く、左の掌が胸元へ触れ、大空の死ぬ気の炎が一気に膨らんだ。

 

 骸は錫杖を横へ入れて直撃を外したが、圧力までは殺せない。靴底が二歩分アスファルトを削り、背中が傾いた看板の支柱へ当たった。唇の端へ血が滲む。白蘭は追撃へ白指を向け、骸は右手のグローブを庇うため錫杖の柄を立てた。

 

「ようやく、君の一拍が見えたよ♪」

 

「クフフ。ようやく、現在の僕へ追いついただけですよ」

 

 骸が錫杖を返すより先に、白蘭の左人差し指が胸元へ向いた。骸は踏み込まず、錫杖を斜めに立てて射線を塞ぐ。白蘭の右肩から血が落ちても、骸の足はその場へ縫い止められていた。

 

 白蘭は右腕を上げようとして、肩口から滲んだ血が袖の内側を濡らしているのを感じた。白指を連ねれば傷が開き、指先の照準までぶれる。広い一撃ならユニたちまで呑み込む。骸はその二つを承知し、幻術を白蘭の周囲だけへ狭めていた。

 

 白蘭は痛む右腕を下げ、左手を胸の前へ運んだ。両掌の間へ大空の死ぬ気の炎が集まり、周囲の窓へ映った槍を白く照らす。

 

「今の君を退かせるなら、こっちで十分かな♪」

 

 骸の幻術が閉じる。窓の反射、塀の影、路面から伸びる槍が同時に中心へ迫る。白蘭は、ユニの右へ桔梗の獣が戻ったのを視界の端で確かめてから、両手を合わせた。

 

白拍手(しろはくしゅ)

 

 乾いた一打と同時に大空の死ぬ気の炎が膨張し、白蘭を囲んでいた幻術を中心から押し開いた。窓ガラスが割れ、塀の上の槍が紫の粒へ崩れる。道路へ重なっていた偽りの亀裂も消えたが、衝撃は白蘭の両腕へ返り、右肩の傷をさらに開いた。

 

 広がった圧力は重なった有幻覚をまとめて剥がしたが、桔梗の獣もユニたちの足場も選ばない。反動は白蘭の掌から肩へ突き返し、右腕の照準をさらに鈍らせた。次の白指を撃つには、左手だけで狙いを作るしかない。

 

 骸の手袋型装置も無傷では済まなかった。右手の甲を覆う継ぎ目が熱を帯び、指を開いた後も紫の光がすぐ消えない。装置は炎を生み出さない。実体を失った幻へ注いだ霧の死ぬ気の炎は戻らず、骸の呼吸だけが一段深くなった。

 

 骸は錫杖を路面へ刺し、押し戻される身体を止める。靴底がアスファルトを削り、柄を握る右手に痺れが残った。

 

 白拍手の圧力は、戦場の境を無視して全員へ襲いかかった。ヴェロキラプトルの一頭が塀へ叩きつけられ、増殖した身体の片側が裂けて紫の霧へ崩れた。フランは看板の陰へ潜ったが、リンゴ帽子の葉が衝撃で折れ曲がった。

 

「白蘭さん、ミーのリンゴまで傷物になったんですけどー」

 

「中身まで割れてないんだから、加減はしたよ♪」

 

 返した白蘭の声は軽いままだったが、両手は震えていた。骸はその震えを見て錫杖を引き抜き、休ませる暇を与えず一歩詰める。

 

 余波は道路を横切り、傾いていた看板をγたちの側へ倒した。千種は最後のヨーヨーを投げ、看板の脚へ糸を掛ける。自分の側へ引けば、フランとユニの間に壁を作れる。

 

 手の甲の傷が開き、血が糸を濡らした。千種は歯を食いしばって引く。看板は道路中央の亀裂へ落ち、γが嵌めていた雷球を押し出した。球は骸の錫杖が削った溝へ沿って、白蘭と骸の側へゆっくり転がり始める。

 

 同じ余波がおしゃぶりを強く震わせ、ユニの膝が落ちた。γの肩がこちらへ動く。振り返れば正面の電磁防壁が薄くなる。その瞬間をフランは見逃さず、霧をγの靴の下へ滑り込ませ、千種の短い糸もキューを握る手首へ走らせた。

 

 ユニはおしゃぶりを押さえて膝を伸ばした。

 

「γ。私はここにいます。何も言わずに、いなくなったりもしません」

 

 γは奥歯を噛み、身体を正面へ戻した。

 

「今の約束、忘れんなよ。姫」

 

 キューの先端が路面を叩く。電磁防壁が厚みを取り戻し、短い糸を雷が焼き切った。γの右腕には新しい痺れが走ったが、ユニへ向けていた肩はもう動かない。

 

 ユニは塀際へ立ち直り、壁へ背をつけずに自分の足で立った。前を向くγの背後へ、整えた呼吸を届かせる。裂けた掌から血は止まっていない。それでもγは退路を狭めず、ユニが自分で選んだ桔梗の守りも取り上げなかった。

 

 桔梗のヴェロキラプトルがユニの右へ並び、倒れた看板の陰からフランを追う。数を増やした獣は小さくなっていたが、牙にはまだ糸を噛み切る力が残っている。ユニが横顔を見ても、桔梗は礼も信頼も求めず、任された側から獣を引かなかった。

 

「白蘭様、こちらはお任せを」

 

 白蘭は返事をせず、視界の端でγの電磁防壁が戻ったことだけを確かめた。骸から目を離さず、右腕を下げたまま左手へ大空の死ぬ気の炎を集める。

 

 骸が錫杖を振ると、割れた窓の破片が霧の死ぬ気の炎を帯びて浮いた。白拍手で散らされた幻術は消えていない。破片、倒れた看板、塀の亀裂へ霧が入り込み、先ほどより狭く深く、白蘭との間を埋めていく。

 

 町全体を偽る余力を捨て、骸は白蘭の左足、傷んだ右肩、マーレリングから人差し指へ大空の死ぬ気の炎が通る短い経路だけを狙った。数は少ない。代わりに浮いた破片の一枚一枚が、皮膚を裂ける重量を持つ。白蘭の左指が僅かに遅れれば、次の白指より先に錫杖の穂先が胸へ届く。

 

 白蘭は右腕を上げず、左手だけで射線を作った。骸は痺れる右手で錫杖の柄を握り込み、実体化させる対象を三つまで削る。白蘭の大空の死ぬ気の炎は左の人差し指へ、骸の霧の死ぬ気の炎は三枚の破片へ集まった。

 

 白蘭の右肩から流れた血が上着を染め、両掌は白拍手の反動で赤く腫れていた。同じ圧力を出せば、次は腕が上がらない。骸の右手にも痺れがあり、町全体へ霧を広げる余力はない。

 

 二人は同時に踏み込んだ。

 

 白蘭の左人差し指へ白い炎が細く集まり、骸は錫杖を脇へ引いて穂先を白蘭の胸へ合わせる。その間へ、道路中央から転がってきた雷球が入った。球の表面にはγの炎がまだ残り、看板の脚に押された傷から小さな火花を散らしている。

 

 白蘭は球を避けず、骸も錫杖を止めない。白指が雷球の表面を掠め、白い閃光と緑の雷が弾ける。錫杖の穂先はその光を突き抜け、白蘭の左手へ迫った。

 

 大空の死ぬ気の炎、霧の死ぬ気の炎、雷の死ぬ気の炎が触れた瞬間、白い膜が深く軋んだ。

 

 左右から狭まりかけていた境界が止まり、各ウォッチの表示が一斉に明滅する。膜の表面へ細い亀裂が走り、その奥で銀色の面が動いた。ユニのおしゃぶりが今までで最も強く震え、胸の内側へ触れてこちらの熱を確かめるような冷たさが差し込んだ。銀色の面を被り、黒い外套を纏った何かが、白い境界の向こうからこちらへ顔を向けている。

 

 γのキューがユニの前へ入った。裂けた掌と痺れた右腕のせいで先端は僅かに下がっている。それでも左の路地は塞がない。ユニが塀際へ一歩進むと、キューの先が持ち上がった。桔梗のヴェロキラプトルも一斉に首を上げ、フランは霧を引き寄せる。千種の指が残った糸へ触れ、ヴェルデの観測器では針が振り切れたまま震えていた。

 

 白蘭の笑みが消え、骸の右眼も膜の奥を捉える。遅れて、細く硬いものを引きずる響きが届いた。

 

 鎖の音が、聞こえた。

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