西部劇×ファンタジー ~長耳の不愛想娘と西へ旅する~ 作:ぬんぬ
クロウ・リッジを発って早くも二日が過ぎた。
赤土の平原を西へ進む主要交易路の先、地平線にまるで二本の指を突き立てたような巨大な赤い砂岩タワーが聳え立っていた。『二股岩』と呼ばれる目印だ。
俺たちはそこで黒鹿毛のソフィの首を北へ向けた。これまで頼りにしてきた車輪の轍や踏み固められた道は完全に途絶え、寒々しい荒野が広がっている。
「……ここ、もっと先、北へ三日。『風走りの里』ある」
ソフィの背で前に乗るウルが、だぼだぼのコートのフード越しに言った。
「風走り、穏やか。……赤砂と違う。火放つ、斧投げる、全部ない。アルカと風走り、昔から、仲良い」
「そいつはありがたい。初対面で挨拶代わりに鉛玉や矢を撃ち込まれたくないからな」
俺が肩をすくめると、ウルは小さく息を吐き出し、膝の上のコートの裾をギチギチと強く握りしめた。
「……お父さん、いるかな」
「……早く会って、安心させてあげないとな」
「うん」
俺はそれ以上言葉を重ねず、ただソフィの手綱を静かに握り直した。
道中、クロウ・リッジで買い込んだトウモロコシのパンや干し肉に加えて、ウルがどこからか素手で捕まえてきた『ヴァラノ』とかいうトカゲもどきも口にした。
赤土色の硬いビーズ状のウロコで覆われた不気味な爬虫類だったが、ナイフでウロコを剥いで焚き火で丸焼きにし、塩を振って噛みつくと、案外身が締まった鶏肉に近い味がした。俺がそれでも引きつった顔で噛みしめている横で、ウルは「贅沢。美味しいのに」と呆れ顔で尾っぽの肉を平らげていた。
そうしてさらに北へ向かって三日、ただひたすら乾いた赤砂とセージブラシの低木が続く地表を進み続けると、なだらかな斜面を持つ山々が近づく。高さはあまりなく、木はほとんど生えていない。そんな荒涼とした山々がいくつも平行に行き交い、まるで大地が波打っているかのようだ。
やがて、ウルが「このへん」とソフィを止めさせた。
だが、眼前には相変わらず見渡す限りの山々と砂地が広がるのみ。建物はおろか、煙の一筋、人の気配すら一切存在しない。
「おい、ウル。本当にこっちであってるのか? なにもねぇぞ。隠れ里どころか、岩穴一つ見当たらねぇ」
「あってる。……ここから先は、目じゃなくて、肌で見る」
「肌で見る、ねぇ」
半信半疑のまま、ウルの指示に従ってソフィをじわじわと歩ませる。
十数ヤードほど進んだ、その時だった。
俺の腕や首筋の産毛が、ゾワリと一斉に逆立った。
視界の先が、まるで巨大な透明のレンズを覗き込んだかのように、陽炎とともにぐにゃりと歪んでいることに気づく。光の屈折が完全におかしくなり、景色が波打って揺れていた。
「……なんだ、ありゃ?」
「風の魔法と、地面の熱。蜃気楼、つくってる」
ウルがソフィの首筋を撫でながら、どこか誇らしげに言った。
「遠くからだと、ただの砂地。場所知ってない、辿り着けない」
「へぇ……大した仕掛けだな。通りで交易路からもそれほど遠くないのに、見つからないわけだ」
俺は納得して頷くと、おっかなびっくりしながらソフィを進めて「歪む空気の壁」へと突っ込んでいった。
パチンッ!
耳元で、静電気の弾けるような甲高い音が響いた。
一瞬、視界が白く明滅し、肌を撫でる風の温度と湿度がガラリと変わる。
次の瞬間、現れた光景に俺は思わず息を呑んだ。
周囲の赤土と同化するように塗られた、無数のティピーと呼ばれる革製テント。外からは何もないただの荒野に見えていた場所に、いく筋もの煙を上げる『風走りの隠れ里』が、当たり前のように存在していた。
視界が開けると同時に、それまで遮断されていた音が奔流となって耳に飛び込んでくる。
肉が焼ける食欲をそそる香り、駆け回る子どもたちの甲高い歓声、革を叩くハンマーの澄んだ音。
まるで静寂の膜を破ったかのように、荒野のど真ん中に「活気ある集落」が突如として立ち現れたのだ。
音や匂いも、風の魔法で外に漏れないよう隠蔽していたらしい。俺がその隠密技術の高さに舌を巻いていた、まさにその瞬間だった。
「
鋭い叫び声とともに、ティピーの影から十数人の男たちが飛び出してきた。
褐色の肌に、緑褐色や黒の髪。手には骨の矢を番えた弓や、鋭い狩猟ナイフ。あっという間に俺たちは先住民の男たちに取り囲まれていた。
向けられた矢先は鋭く、男たちの目は完全に警戒の色に染まっている。誰何の意味と思われる先住民の声が、怒号となって飛び交った。
「おいおい、どこが穏やかなんだ? 歓迎にしちゃ刺激が強すぎるぜ……」
俺が腰のリボルバーに手を伸ばしかけた瞬間、ウルがすっと馬から降り、男たちの前に進み出た。
「
ウルが手を広げ、はっきりとした声で先住民の言葉を紡ぎ出す。
ほとんど何を言っているのかわからない。ウルが自分の首筋の銀藍色の刺青を示し、俺を指差し、手振り身振りを交えて激しく交渉を続けている。男たちの間にも動揺が走り、引き絞られていた弓の弦がわずかに緩んだ。
何度かの激しいやり取りを経て、先頭に立っていた男が深く息を吐き、弓矢を下ろした。他の男たちもそれに倣う。
ウルが振り返り、ほっとした表情で俺を見上げた。
「……説明、できた。里長と話、させてもらえる」
「助かったぜ。言葉の通じねぇ大男どもに囲まれるのは、生きた心地がしねぇ」
里の男たちに厳重に囲まれつつ、俺たちは集落の中央へと促された。
案内されたのは、目につく中でも一番大きなティピーだった。牛革を何枚も縫い合わせた重厚な幕をくぐり、中へと足を踏み入れる。
中央の炉で薪が静かに燃えており、温かい煙が天井の穴へと吸い込まれていく。
その奥、絨毯を敷き詰めた座に、一人の老女が座っていた。
深く刻まれたシワ、白髪の混ざった美しい緑褐色の髪。胸元には風の象徴である鳥の羽と骨で作られた首飾りが揺れている。
老女が、掠れた声で短く言葉を放った。
「……座れと言ってる」
ウルの通訳に従い、俺は炉の手前に胡座をかいた。
そこから、ウルの説明が始まった。
ウルが身を乗り出すようにして状況を語り、老女——里長が静かに耳を傾け、時折深く頷く。短く問い返し、ウルが再び答えるといったやり取りが何度も繰り返される。
完全に置き去りにされた俺は、ただ薪がパチパチと弾ける音を聞きながら、黙って座っているしかなかった。
やがて、里長の目が厳しさを増し、重々しいトーンで長々と語り始めた。ウルの表情が次第に曇り、固くなっていくのが隣で見て取れた。
「おい、ウル。なんて言われたんだ?」
耐えかねて尋ねると、ウルは拳を膝の上で強く握りしめたまま、小さな声で教えてくれた。
「……裏切り者、もういない。わたし攫って、そのままいなくなった。それと……お父さんのこと」
「親父さん、ここにいないのか?」
「うん。わたし、攫われた、知って……お父さん、暴れて……里の周り、ずっと、必死に探した」
ウルの声が途切れ、喉の奥が詰まったようにヒックと小さく鳴った。
「……何日も探して、わたし、いない。……街行くと、アルカの民、捕まる。それでも、行こうとして、止められて……お父さん、アルカの村、帰った。……泣きながら」
ウルの目から、ぽろぽろと大きな涙の粒がこぼれ落ち、膝の上の革コートにシミを作っていった。
ウルの父親は、限られた条件の中で、命を削るように娘を探し回った末、断腸の思いで西部へと引き返すしかなかったのだ。
その事実を噛み締めると同時に、クロウ・リッジを出る際、旅が終わるかもしれないことに少し寂しさを感じていた己を思い出し、吐き気がするほど激しい自己嫌悪が湧き上がってきた。
寂しい? 名残惜しい? 俺は馬鹿だ。ウルはまだ少女と言って良い年齢のガキだぞ。
そんな幼い少女が、実の親と引き裂かれ、こんな血と硝煙に塗れた荒野で泥水をすすっている。それがどれほど不自然で、歪で、狂った状況か。
「……ウル」
俺は鼻をすするウルの白髪の頭に、そっと手を置いた。一度だけ撫で、静かに言葉を紡ぐ。
「泣くな。親父さんは生きてる。だったら、会いに行けばいい。……お前の故郷までな」
ウルは涙で濡れた青銀の瞳を上げ、俺の顔をまっすぐに見つめ返した。
「……うん。わたし、絶対、お父さんに会う」
「ああ。俺が必ず、送り届けてやるさ」
それを見ていた里長が、深く首を頷かせ、俺に向かって静かに言葉をかけた。
「……里長、なんて?」
「……ダスティのこと、『歓迎する』って」
深々と頭を下げる俺を見て、里長は満足そうに頷いた。
それから案内された小ぶりなティピーで、俺たちは旅の荷物が詰まった重い革袋を床に降ろした。
干し草の上にどさりと身を投げ出す。久しぶりの安らぎに、張り詰めていた全身の強張りがじわじわとほぐれていった。
「……ウル」
俺はまだ涙で目を赤くしているウルの前に、ぬるい水の入った水筒を差し出した。
ウルは黙ってそれを受け取り、小さな両手で抱えてちびちびと喉を鳴らす。不器用に鼻をすする音が、静かなティピーの中にぽつりと響いた。
「……ダスティ」
「なんだ」
「わたし、悔しい。……わたしが弱くて、捕まったから、お父さんに悲しい思いさせた」
ウルは水筒を置くと、ぐっと袖で目元を拭い、意を決したように立ち上がった。
「わたし、もっと強く、なりたい。里長、お詫びに魔法、教えてくれる」
「いいじゃないか。ウルが自分の身を守れる手段が増えるのは、俺も大歓迎だ」
「うん! わたし、すぐ行く!」
ウルはだぼだぼのコートの裾を翻し、元気を取り戻した様にさっさとティピーを出ていってしまった。弾むような足音が遠ざかっていく。
「……ウルは、強いな」
一人になった俺は、深く息を吐き出し、天井の穴から見える青空を眺める。
言葉がほとんどわからないため、ここで俺がやれることはあまりない。しっかり休むこと、ソフィの世話をすること……ぐらいか。だが、ウルは更に成長すべく頑張っている。俺は俺で、できることを探すべきだ。
さて、どうしたもんかと思案していると——
サッと、ティピーの入口の革幕が持ち上がった。
差し込む日光を背にして立っていたのは、さきほど俺たちを取り囲んでいた風走りの男たち数人だった。
手には武器ではなく、木製の大きな角杯と、湯気を立てる肉の串焼きが握られている。
「
男たちは、白い歯を見せてニカッと笑うと、陽気な声を上げながら、ぞろぞろとティピーの中へ踏み込んできた。