翌日。
ヨキは執務室の扉を軽く叩いた。
「失礼します。」
「入りたまえ。」
机に向かっていたマスタングが視線を上げる。
「どうした。」
ヨキは一礼した。
「昨日、巡回中に国家錬金術師のショウ・タッカー氏とお会いしまして。」
「ほう。」
「どのような研究をされている方なのか、少し興味が湧きました。」
「もし差し支えなければ、資料を拝見させていただけないでしょうか。」
マスタングは少しだけ考えた後、小さく頷いた。
「構わん。」
「ホークアイ中尉。」
「はい。」
「資料室の閲覧許可を。」
「承知しました。」
「ありがとうございます。」
ヨキは敬礼し、静かに部屋を後にした。
◇
資料室。
静まり返った部屋で、ヨキは一冊の資料を開いた。
『国家錬金術師 ショウ・タッカー』
静かにページをめくる。
二年前。
人語を理解し、言葉を話す合成獣の錬成に成功。
その功績により、国家錬金術師の資格を取得。
次のページ。
合成獣は、人の言葉を理解し、自らも言葉を発した。
発した言葉は、ただ一言。
『死にたい』
その後、餌を口にしなくなり死亡。
ヨキは静かに目を閉じる。
さらにページをめくる。
同時期。
妻、失踪。
昨年度査定。
評価、芳しくなし。
今年度査定結果によっては、国家錬金術師資格剥奪の可能性あり。
資料を閉じる。
部屋には紙の擦れる音だけが残った。
(……やっぱり。)
(全部、俺の知っている通りだ。)
(ニーナちゃんとアレキサンダーは。)
(このままだと——。)
ヨキは小さく息を吐いた。
◇
その日の夕方。
勤務を終えたヨキは、司令部の廊下を歩いていた。
「中尉。」
後ろから声が掛かる。
ハボックだった。
「飲みに行きません?」
ヨキは苦笑する。
「今日は、そんな気分じゃないんだけどな。」
「だからですよ。」
ハボックと目が合う。
「そういう日は、一人で考え込むもんじゃないですよ。」
「俺が付き合います。」
ヨキは少しだけ考え、笑った。
「……そうだな。」
「付き合ってもらおうかな。」
◇
酒場。
ジョッキが軽くぶつかる。
「乾杯。」
「乾杯。」
最初はいつも通りだった。
二人は煙草を吸い。
酒を飲み。
他愛のない話をする。
しばらくして。
ハボックが煙草を灰皿へ押し付けた。
「で。」
「何を考えてるんです?」
ヨキは苦笑する。
「顔に出てたか。」
「思いっきり。」
ヨキはジョッキを置いた。
「昨日、巡回中に一人の女の子と出会った。」
「ニーナちゃんっていう子なんだけどね。」
そこから昨日の出来事を話した。
アレキサンダー。
タッカー。
資料。
そして、自分が考えていること。
「全部、推測だ。」
「証拠は何一つない。」
「でも。」
「もし俺の考えが正しかったら。」
「ニーナちゃんとアレキサンダーは……。」
言葉が止まる。
ハボックは何も言わない。
一本、新しい煙草へ火を点けた。
しばらく沈黙が続く。
やがて、煙をゆっくり吐きながら口を開いた。
「……可能性は、ゼロじゃないですね。」
「ただ。」
「証拠がありません。」
「今の話だけじゃ、軍は動けない。」
ヨキも静かに頷く。
「そうだよね。」
「もし違っていたら。」
「国家錬金術師を侮辱しただけになります。」
ヨキはジョッキを見つめた。
「……そうか。」
「俺の考えすぎかもしれないな。」
「話を聞いてくれてありがとう。」
「遠慮なく飲んでくれよ。」
そう言って笑ってみせたが。
その笑顔は、どこかぎこちなかった。
◇
数日後。
非番。
ヨキは私服姿で、紙袋を片手に歩いていた。
中には、ニーナへのお菓子。
アレキサンダー用の食べ物。
タッカーへの手土産。
(これでいい。)
(俺は仕事で行くんじゃない。)
(話をしに行くだけだ。)
タッカー宅の前で立ち止まる。
深呼吸。
呼び鈴を鳴らした。
◇
「おヒゲのおじちゃん!」
扉を開けたニーナが満面の笑みを浮かべた。
「こんにちは。」
「遊びに来てくれたの?」
「ああ。」
「今日はお父さんにも少し用事があってね。」
紙袋を差し出す。
「これはニーナちゃん。」
「こっちはアレキサンダー。」
「わぁ!」
「ありがとう!」
「わふっ!」
嬉しそうにはしゃぐ二人を見て。
ヨキは改めて思う。
(この笑顔だけは。)
(絶対に守りたい。)
◇
応接室。
タッカーと向かい合って座る。
「今日は、どのようなご用件でしょう。」
ヨキは深く頭を下げた。
「まず最初に。」
「これから申し上げることは、大変失礼な内容です。」
「先に、お詫びいたします。」
タッカーは穏やかに微笑んだ。
「構いませんよ。」
「どうぞ。」
ヨキは静かに話し始める。
「二年前の合成獣。」
「そして、同時期に失踪した奥様。」
「今年の査定。」
「ニーナちゃん。」
タッカーの表情は変わらない。
「私は。」
「リオールで、一人の男を追い詰めました。」
「特別な力があったわけではありません。」
「違和感を、一つずつ確認しただけです。」
一拍置く。
「あなたにも、同じ違和感を覚えています。」
「もし。」
「ニーナちゃんやアレキサンダーに何かあれば。」
「私は必ず気付きます。」
「そして。」
「決して見逃しません。」
部屋は静まり返った。
タッカーは、ゆっくりと眼鏡を押し上げる。
「……ヨキ中尉。」
「一つ、お聞きしてもよろしいですか。」
「何でしょう。」
「あなたは。」
「どこまでご存知なのです?」
その笑顔は、最初から何一つ変わっていなかった。
だからこそ、不気味だった。
ヨキは静かに立ち上がる。
「私の考えすぎであれば、それが一番です。」
「本日は失礼いたしました。」
頭を下げ、部屋を出る。
玄関へ向かう。
「ヨキ中尉。」
背後から声がした。
「はい?」
振り返ろうとした、その瞬間。
腕が首へ回る。
「なっ——!」
鼻と口へ布が押し当てられた。
強烈な薬品臭。
息を止める。
振り解こうと暴れるが。
(な!? 力が……強い!?)
細身の身体からは想像もできない腕力だった。
抵抗するほど、酸素が足りなくなる。
ついに薬品を吸い込んでしまう。
視界が揺れた。
膝から力が抜ける。
耳元で、タッカーが静かに囁く。
「勘のいい軍人は嫌いだよ。」
ヨキの意識は、ゆっくりと闇へ沈んでいった。