ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第六章 雨の戦場

 

 雨音を切り裂くように、数台の軍用車が急停止した。

 

「中尉!」

 

 真っ先に駆け寄ってきたのはハボックだった。

 

 その姿を見た瞬間、張り詰めていたものが少しだけ緩む。

 

「少尉……。」

 

「よく一人で持ちこたえましたね。」

 

 ハボックは笑いながらも、その表情には安堵が滲んでいた。

 

「安心してください。」

 

「お嬢ちゃんたちは、ちゃんと保護してます。」

 

 その一言で、ヨキはゆっくりと息を吐いた。

 

「……そうか。」

 

「よかった。」

 

 それだけで十分だった。

 

 後は、自分が倒れようが構わない。

 

 そんな気持ちにさえなっていた。

 

 その横を、一人の男が静かに前へ出る。

 

「国家錬金術師。」

 

「ロイ・マスタング大佐だ。」

 

 雨の中でも、その声はよく通った。

 

 スカーも歩みを止める。

 

「焰の錬金術か。」

 

「いかにも。」

 

「国家錬金術師殺しの容疑で貴様を拘束する。」

 

 マスタングは錬成陣が刻まれた発火布の手袋にて指を鳴らした。

 

 通常、発火布の手袋は強く摩擦すると火花を発する。

 

 あとは空気中の酸素濃度を可燃物の周りで調整すれば焰が爆ぜる。

 

 それが、焰の錬金術と称させる由縁だった。

 

 ――しかし、火花は散らない。

 

「……。」

 

 一瞬。

 

 マスタングの表情が固まる。

 

 その瞬間だった。

 

「大佐!!」

 

 リザの鋭い声が響く。

 

「雨です!」

 

 マスタングの目が見開かれる。

 

「しまっ――」

 

 言い終えるより早く。

 

 スカーが地面を蹴った。

 

 一瞬で距離を詰める。

 

 憲兵たちが一斉に発砲。

 

 乾いた銃声が雨空へ響く。

 

 スカーは身体を捻り、弾丸をかわしながらなおも前へ出る。

 

 マスタングに手が届きそうになる、その瞬間。

 

 リザがマスタングの腕を引き、その突進は紙一重で届くことはなかった。

 

 スカーは舌打ちし、再び距離を取る。

 

「大佐!」

 

 リザは拳銃を構えたまま叫ぶ。

 

「発火布が湿っています!」

 

「ああ……。」

 

 マスタングは額へ手を当て、小さくため息をついた。

 

「雨の日は無能なんですから下がってて下さい。」

 

 リザは淡々と指摘する。

 

(そういや。)

 

(そんなこと言ってたな。)

 

 ヨキは思わず心の中で苦笑する。

 

 緊迫した空気の中。

 

 ヨキは口元へ煙草を咥える。

 

 制服の内ポケットからライターを取り出した。

 

 カチッ。

 

 小さな炎が灯る。

 

 ヨキはその炎を一瞬だけ見つめると、煙草へ火を点けず、そのままリザへ差し出した。

 

「ヨキ中尉?」

 

「ホークアイ中尉。」

 

「大佐へ。」

 

 リザは一瞬だけ目を丸くした。

 

 すぐに意図を理解し、ライターを受け取る。

 

 そのままマスタングへ手渡した。

 

 マスタングはライターを見つめ、小さく笑う。

 

「……。」

 

「ふっ。」

 

「よくできた部下じゃないか。」

 

 次の瞬間。

 

 轟音。

 

 爆炎が雨を切り裂いた。

 

 紅蓮の炎が、スカーを飲み込む。

 

 凄まじい熱風が吹き抜ける。

 

 誰もが目を細めた。

 

 煙が晴れる。

 

 そこには大きく抉れた地面だけが残っていた。

 

「いない!」

 

 憲兵の一人が叫ぶ。

 

「地下水道だ!」

 

「逃げたぞ!」

 

 現場が一気に慌ただしくなる。

 

「追え!」

 

「急げ!」

 

 憲兵たちが地下水道へ駆け出していく。

 

 その様子を見送りながら、ハボックが静かに笑った。

 

「まあ、大佐の一撃をまともに食らったんです。」

 

「しばらくは出てこれませんよ。」

 

 ヨキは張り詰めていた糸が切れたように、その場へ腰を下ろした。

 

「はぁ……。」

 

 全身から力が抜ける。

 

 拳銃を握っていた右手は、小さく震えていた。

 

「中尉。」

 

 ハボックが隣へしゃがむ。

 

「本当に無茶しましたね。」

 

 ハボックがヨキの咥えた煙草に火をつける。

 

 ヨキは命を確かめるように煙をゆっくりと吸込み、そして吐き出す。

 

 煙が五臓六腑に染み渡る。

 

「そうだね。」

 

 ヨキは苦笑する。

 

「自分でも、そう思うよ。」

 

「生きているのは、運がよかっただけだ。」

 

「だが。」

 

 マスタングが歩み寄る。

 

「中尉の判断は正しかった。」

 

「信号弾による救援要請。」

 

「住民の避難。」

 

「敵の能力の分析。」

 

「そして。」

 

「単独で時間を稼いだ。」

 

「どれも見事だった。」

 

 ヨキは頭を掻く。

 

「褒められるようなことじゃありません。」

 

「怖くて。」

 

「逃げたくて。」

 

「それでも立つしかなかっただけです。」

 

 マスタングは小さく笑った。

 

「それができる軍人は、多くない。」

 

 ヨキは照れ臭そうに笑う。

 

「あー。」

 

 そしてハボックを見る。

 

「少尉。」

 

「はい?」

 

「悪い。」

 

「今度、銃の扱いを教えてくれ。」

 

 ハボックは吹き出した。

 

「もちろんですよ。」

 

「今度は撃ちながら逃げるんじゃなくて、ちゃんと当てる練習もしましょう。」

 

「それは頼もしい。」

 

 ヨキも笑う。

 

 雨はまだ降り続いていた。

 

 怖かった。

 

 死ぬかと思った。

 

 それでも。

 

 守りたかった命は守れた。

 

 仲間も来てくれた。

 

 今だけは。

 

 この静かな安心感に、身を委ねていたかった。

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