雨音を切り裂くように、数台の軍用車が急停止した。
「中尉!」
真っ先に駆け寄ってきたのはハボックだった。
その姿を見た瞬間、張り詰めていたものが少しだけ緩む。
「少尉……。」
「よく一人で持ちこたえましたね。」
ハボックは笑いながらも、その表情には安堵が滲んでいた。
「安心してください。」
「お嬢ちゃんたちは、ちゃんと保護してます。」
その一言で、ヨキはゆっくりと息を吐いた。
「……そうか。」
「よかった。」
それだけで十分だった。
後は、自分が倒れようが構わない。
そんな気持ちにさえなっていた。
その横を、一人の男が静かに前へ出る。
「国家錬金術師。」
「ロイ・マスタング大佐だ。」
雨の中でも、その声はよく通った。
スカーも歩みを止める。
「焰の錬金術か。」
「いかにも。」
「国家錬金術師殺しの容疑で貴様を拘束する。」
マスタングは錬成陣が刻まれた発火布の手袋にて指を鳴らした。
通常、発火布の手袋は強く摩擦すると火花を発する。
あとは空気中の酸素濃度を可燃物の周りで調整すれば焰が爆ぜる。
それが、焰の錬金術と称させる由縁だった。
――しかし、火花は散らない。
「……。」
一瞬。
マスタングの表情が固まる。
その瞬間だった。
「大佐!!」
リザの鋭い声が響く。
「雨です!」
マスタングの目が見開かれる。
「しまっ――」
言い終えるより早く。
スカーが地面を蹴った。
一瞬で距離を詰める。
憲兵たちが一斉に発砲。
乾いた銃声が雨空へ響く。
スカーは身体を捻り、弾丸をかわしながらなおも前へ出る。
マスタングに手が届きそうになる、その瞬間。
リザがマスタングの腕を引き、その突進は紙一重で届くことはなかった。
スカーは舌打ちし、再び距離を取る。
「大佐!」
リザは拳銃を構えたまま叫ぶ。
「発火布が湿っています!」
「ああ……。」
マスタングは額へ手を当て、小さくため息をついた。
「雨の日は無能なんですから下がってて下さい。」
リザは淡々と指摘する。
(そういや。)
(そんなこと言ってたな。)
ヨキは思わず心の中で苦笑する。
緊迫した空気の中。
ヨキは口元へ煙草を咥える。
制服の内ポケットからライターを取り出した。
カチッ。
小さな炎が灯る。
ヨキはその炎を一瞬だけ見つめると、煙草へ火を点けず、そのままリザへ差し出した。
「ヨキ中尉?」
「ホークアイ中尉。」
「大佐へ。」
リザは一瞬だけ目を丸くした。
すぐに意図を理解し、ライターを受け取る。
そのままマスタングへ手渡した。
マスタングはライターを見つめ、小さく笑う。
「……。」
「ふっ。」
「よくできた部下じゃないか。」
次の瞬間。
轟音。
爆炎が雨を切り裂いた。
紅蓮の炎が、スカーを飲み込む。
凄まじい熱風が吹き抜ける。
誰もが目を細めた。
煙が晴れる。
そこには大きく抉れた地面だけが残っていた。
「いない!」
憲兵の一人が叫ぶ。
「地下水道だ!」
「逃げたぞ!」
現場が一気に慌ただしくなる。
「追え!」
「急げ!」
憲兵たちが地下水道へ駆け出していく。
その様子を見送りながら、ハボックが静かに笑った。
「まあ、大佐の一撃をまともに食らったんです。」
「しばらくは出てこれませんよ。」
ヨキは張り詰めていた糸が切れたように、その場へ腰を下ろした。
「はぁ……。」
全身から力が抜ける。
拳銃を握っていた右手は、小さく震えていた。
「中尉。」
ハボックが隣へしゃがむ。
「本当に無茶しましたね。」
ハボックがヨキの咥えた煙草に火をつける。
ヨキは命を確かめるように煙をゆっくりと吸込み、そして吐き出す。
煙が五臓六腑に染み渡る。
「そうだね。」
ヨキは苦笑する。
「自分でも、そう思うよ。」
「生きているのは、運がよかっただけだ。」
「だが。」
マスタングが歩み寄る。
「中尉の判断は正しかった。」
「信号弾による救援要請。」
「住民の避難。」
「敵の能力の分析。」
「そして。」
「単独で時間を稼いだ。」
「どれも見事だった。」
ヨキは頭を掻く。
「褒められるようなことじゃありません。」
「怖くて。」
「逃げたくて。」
「それでも立つしかなかっただけです。」
マスタングは小さく笑った。
「それができる軍人は、多くない。」
ヨキは照れ臭そうに笑う。
「あー。」
そしてハボックを見る。
「少尉。」
「はい?」
「悪い。」
「今度、銃の扱いを教えてくれ。」
ハボックは吹き出した。
「もちろんですよ。」
「今度は撃ちながら逃げるんじゃなくて、ちゃんと当てる練習もしましょう。」
「それは頼もしい。」
ヨキも笑う。
雨はまだ降り続いていた。
怖かった。
死ぬかと思った。
それでも。
守りたかった命は守れた。
仲間も来てくれた。
今だけは。
この静かな安心感に、身を委ねていたかった。