ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第四部
第一章 新しい居場所


 

 リゼンブール。

 

 列車を降りたヨキを迎えたのは、どこまでも続く緑だった。

 

 視界を遮る高い建物はない。

 

 広い畑。

 

 遠くに見える風車。

 

 穏やかな風に揺れる草原。

 

 イーストシティとは、まるで違う。

 

「……いい町だな。」

 

 思わず、そんな言葉が口から漏れた。

 

 駅のホームには、人の姿もまばらだった。

 

 聞こえるのは、風の音と。

 

 どこか遠くで鳴いている鳥の声くらいだ。

 

 

 しばらく後。

 

「田舎だろ。」

 

 背後から聞き慣れた声がした。

 

 振り返る。

 

 エドワードが、どこか誇らしげに立っていた。

 

 その隣にはアルフォンス。

 

 ニーナ。

 

 そして。

 

「わふっ!」

 

「アレキサンダー!」

 

 再会した大きな白い犬へ、ニーナが勢いよく抱きついている。

 

 アレキサンダーも嬉しそうに尻尾を振り、ニーナの顔を舐め回していた。

 

「きゃはは!」

 

「くすぐったいよぉ!」

 

 その笑い声を聞き。

 

 ヨキは、静かに胸を撫で下ろした。

 

「皆さん。」

 

「無事に着いたんですね。」

 

「ああ。」

 

 エドワードが頷く。

 

「マウロ先生も見つかった。」

 

 ヨキの表情が僅かに変わる。

 

「そうですか。」

 

「詳しい話はあとでする。」

 

 エドワードは周囲へ目を向けた。

 

「ここじゃ、落ち着かねぇしな。」

 

「そうですね。」

 

 アルフォンスも頷く。

 

「まずは、ばっちゃんのところへ行きましょう。」

 

「うん!」

 

 ニーナが元気よく手を上げる。

 

「おばあちゃんに会いに行くの!」

 

「そうだ。」

 

 エドワードは歩き出す。

 

「かなり口が悪いから、覚悟しとけよ。」

 

「兄さん。」

 

「余計なこと言わないの。」

 

「本当のことだろ。」

 

 二人のやり取りに、ニーナが小さく笑う。

 

 ヨキも、つられるように笑った。

 

 

 リゼンブールの道を歩く。

 

 ニーナはアレキサンダーの隣を楽しそうに進んでいた。

 

 時折、道端の草花へ目を向け。

 

 遠くで動く風車を見て、歓声を上げる。

 

「おヒゲのおじちゃん!」

 

「風が、おっきいの回してるよ!」

 

「ああ。」

 

「凄いね。」

 

「イーストシティにはなかった!」

 

「ここには、ああいうものがたくさんあるみたいだね。」

 

「アレキサンダーも走れるね!」

 

「わふっ!」

 

 アレキサンダーは、言葉を理解したかのように大きく鳴いた。

 

 エドワードとアルフォンスも、そんな二人を見ていた。

 

「少し。」

 

 アルフォンスが静かに言う。

 

「元気になったね。」

 

「ああ。」

 

 エドワードも小さく頷く。

 

「ここへ連れてきてよかったのかもしれねぇな。」

 

 ヨキは、二人の言葉を聞きながら前を向く。

 

 まだ何も決まってはいない。

 

 ピナコという女性が、ニーナたちを受け入れてくれる保証もない。

 

 それでも。

 

 ニーナの笑顔を見ていると。

 

 ここならば。

 

 そう思わずにはいられなかった。

 

 

 やがて。

 

 一軒の家が見えてきた。

 

 広い庭。

 

 生活の匂い。

 

 家の近くには、機械鎧の部品らしき物も置かれている。

 

「着いたぞ。」

 

 エドワードが扉を開ける。

 

「ばっちゃーん!」

 

「帰ったぞー!」

 

「やかましい!」

 

 奥から、威勢の良い声が飛んできた。

 

「帰ってきたなら、もう少し静かに入んな!」

 

 小柄な老婆が姿を現す。

 

 髪をまとめ。

 

 鋭い目でエドワードを睨んでいる。

 

「うるせぇな。」

 

「帰ってきたって分かるように言っただけだろ。」

 

「その馬鹿でかい声が迷惑だと言ってるんだよ。」

 

 老婆は持っていた道具で、エドワードの頭を軽く叩いた。

 

「痛ぇ!」

 

「ばっちゃん!」

 

 その後ろから、金髪の少女が顔を出す。

 

「エド!」

 

「アル!」

 

 少女は二人の姿を見るなり、明るい笑顔を浮かべた。

 

「おかえり!」

 

「ただいま、ウィンリィ。」

 

「お邪魔します。」

 

 アルフォンスが丁寧に頭を下げる。

 

 ニーナは、知らない人たちを前にして少しだけヨキの後ろへ隠れた。

 

 アレキサンダーも、その隣へ座る。

 

 老婆の視線が、ヨキたちへ移る。

 

「その子たちは誰だい。」

 

 エドワードは少し言葉を選んだ。

 

「こっちが、ニーナ。」

 

「そっちはアレキサンダー。」

 

「それで。」

 

 ヨキへ視線を向ける。

 

「この人が、ヨキ中尉。」

 

 ヨキは姿勢を正し、深く頭を下げた。

 

「初めまして。」

 

「ヨキと申します。」

 

「突然、大勢で押しかけてしまい、申し訳ありません。」

 

 老婆は、しばらくヨキを見つめていた。

 

「ふん。」

 

「随分と礼儀のいい軍人だね。」

 

「軍人にも、色々おりますので。」

 

「そうかい。」

 

 老婆は次にニーナを見る。

 

 先ほどまでの厳しい表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

 

「お嬢ちゃん。」

 

「名前は?」

 

「ニーナです。」

 

 小さな声だった。

 

「ニーナ・タッカーです。」

 

「そうかい。」

 

「わたしはピナコ・ロックベル。」

 

 老婆は自分の胸を軽く叩く。

 

「こっちは孫のウィンリィだ。」

 

「よろしくね、ニーナ。」

 

 ウィンリィはニーナと同じ目線になるよう、ゆっくりとしゃがんだ。

 

「その子がアレキサンダー?」

 

「うん。」

 

「とっても大きいね。」

 

「でも、やさしいんだよ。」

 

「触ってもいい?」

 

 ニーナは少し迷ったあと。

 

 小さく頷いた。

 

「うん。」

 

 ウィンリィがアレキサンダーの頭へ触れる。

 

 アレキサンダーは嬉しそうに尻尾を振った。

 

「わっ。」

 

「本当に大人しい。」

 

「アレキサンダー、ウィンリィお姉ちゃんのこと好きみたい。」

 

「本当?」

 

 ニーナの表情が、僅かに緩む。

 

 ピナコはその様子を静かに見つめていた。

 

 

 居間。

 

 全員が席へ着く。

 

 エドワードとアルフォンスが、ここまでの事情を説明していた。

 

 ショウ・タッカー。

 

 軍による拘束。

 

 その後の死。

 

 ニーナとアレキサンダーが住む場所を失ったこと。

 

 孤児院を探したものの。

 

 安心して預けられる場所が見つからなかったこと。

 

 ピナコは途中で口を挟まず、最後まで黙って聞いていた。

 

 説明が終わる。

 

 しばらく沈黙が続いた。

 

 ニーナは、ヨキの服の裾を握っている。

 

 ヨキはその小さな手へ目を向け。

 

 やがて、ピナコへ深く頭を下げた。

 

「大変、身勝手なお願いであることは承知しております。」

 

「ですが。」

 

「この子たちを。」

 

「しばらく、こちらで預かっていただけないでしょうか。」

 

 ピナコは答えない。

 

 ヨキは頭を下げたまま続ける。

 

「この子たちは。」

 

「短い間に、多くのものを失いました。」

 

「父親。」

 

「家。」

 

「これまでの日常。」

 

「今は。」

 

「安心して眠ることのできる場所と。」

 

「傍にいてくれる人が必要だと思っています。」

 

 さらに頭を下げる。

 

「お願いいたします。」

 

「ヨキさん……。」

 

 アルフォンスが心配そうに見る。

 

 ピナコは小さく息を吐いた。

 

「顔を上げな。」

 

 ヨキはゆっくりと顔を上げる。

 

「そこまで頭を下げられちゃ。」

 

「断ったら、わたしが悪者みたいじゃないか。」

 

「それでは……。」

 

 ピナコはニーナへ目を向ける。

 

「お嬢ちゃん。」

 

「ここは田舎だ。」

 

「都会みたいに、面白い物は何もない。」

 

「朝は早いし。」

 

「畑仕事を手伝ってもらうこともある。」

 

「それでもいいかい。」

 

 ニーナは不安そうにヨキを見る。

 

 ヨキは何も言わず。

 

 ただ、穏やかに頷いた。

 

 ニーナもピナコへ向き直る。

 

「アレキサンダーも、一緒でいい?」

 

「ああ。」

 

「庭は広い。」

 

「好きなだけ走らせてやればいいさ。」

 

 ニーナはアレキサンダーへ抱きついた。

 

「アレキサンダー。」

 

「一緒だって。」

 

「わふっ!」

 

 ピナコは小さく笑う。

 

「決まりだね。」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 ヨキの身体から、力が抜けた。

 

「ありがとうございます。」

 

 もう一度、深く頭を下げる。

 

「本当に。」

 

「何とお礼を申し上げればよいか。」

 

「礼なんていらないよ。」

 

 ピナコは鼻を鳴らす。

 

「子ども一人と犬一匹くらい。」

 

「どうにでもなる。」

 

「ですが。」

 

 ヨキは姿勢を正した。

 

「お願いが、もう一つあります。」

 

「何だい。」

 

「生活費についてです。」

 

 ピナコの眉が僅かに動く。

 

「毎月。」

 

「私から一定額を送らせてください。」

 

「ニーナちゃんの食事。」

 

「衣服。」

 

「学用品。」

 

「アレキサンダーの食費もあります。」

 

「それらをすべて負担していただくわけにはいきません。」

 

「別に。」

 

 ピナコは肩を竦める。

 

「そんなもの、求めちゃいないよ。」

 

「それでもです。」

 

 ヨキは静かに言い切った。

 

「この子たちを助けると決めたのは、私です。」

 

「こちらへお願いしたことで。」

 

「すべてをピナコさんへ押し付けたくはありません。」

 

「軍人の給料ですから。」

 

「大した額ではないかもしれませんが。」

 

「少しでも、足しにしていただきたいのです。」

 

 ピナコはヨキをじっと見る。

 

 その視線に、ヨキも逸らさず応えた。

 

「……あんたねぇ。」

 

 やがて、ピナコが呆れたように息を吐く。

 

「何でも一人で背負い込もうとするもんじゃないよ。」

 

「すみません。」

 

「謝れって言ってるんじゃないよ。」

 

 杖の先で床を軽く叩く。

 

「その気持ちは。」

 

「ありがたく受け取っておく。」

 

 ヨキは、僅かに目を見開いた。

 

「ありがとうございます。」

 

「ただし。」

 

 ピナコの目が鋭くなる。

 

「無理な額は送るんじゃないよ。」

 

「軍人だって飯は食わなきゃならん。」

 

「承知しました。」

 

「毎月、無理のない範囲で送らせていただきます。」

 

「まったく。」

 

 ピナコは呆れたように笑う。

 

「変なところで真面目な男だね。」

 

 

 話が一段落した頃。

 

 ウィンリィがニーナを庭へ誘った。

 

「アレキサンダーと一緒に、外見てみる?」

 

「うん!」

 

 ニーナは椅子から立ち上がる。

 

 だが。

 

 数歩進んだところで、ヨキを振り返った。

 

「おヒゲのおじちゃんも来る?」

 

「俺は。」

 

 ヨキは少し迷い。

 

 穏やかに笑った。

 

「あとで行くよ。」

 

「ほんと?」

 

「ああ。」

 

「約束。」

 

「約束だ。」

 

 ニーナは、ようやく笑顔を浮かべる。

 

「ウィンリィお姉ちゃん!」

 

「いこ!」

 

「うん。」

 

 二人と一匹が、庭へ駆け出していく。

 

 窓の向こう。

 

 ニーナの笑い声が聞こえた。

 

 ヨキはその姿を、黙って見つめる。

 

「安心したかい。」

 

 ピナコが隣から声を掛けた。

 

「はい。」

 

 ヨキは静かに頷く。

 

「本当に。」

 

「よかった。」

 

「ここでなら。」

 

「あの子は、少しずつ前を向けると思います。」

 

「そうなるかどうかは。」

 

 ピナコは窓の外を見る。

 

「あの子次第さ。」

 

「でも。」

 

「一人にはしない。」

 

 その一言に。

 

 ヨキは、深く頭を下げた。

 

 

 夕方。

 

 空が茜色へ染まり始めていた。

 

 庭では、ニーナとウィンリィがアレキサンダーと遊んでいる。

 

 エドワードは、機械鎧の状態をピナコへ見せていた。

 

「また壊したのかい!」

 

「俺が壊したんじゃねぇ!」

 

「壊れたことに変わりはないだろうが!」

 

「痛っ!」

 

 家の中から、エドワードの悲鳴が響く。

 

 アルフォンスはその様子を見ながら、楽しそうに笑っていた。

 

 ヨキは縁側へ腰を下ろす。

 

 リゼンブールの風が、静かに頬を撫でた。

 

 こんなに穏やかな時間を過ごしたのは。

 

 いつ以来だろう。

 

「おヒゲのおじちゃん!」

 

 ニーナが庭から手を振る。

 

「見てー!」

 

「アレキサンダー、すっごく早いよ!」

 

「ああ。」

 

「ちゃんと見てるよ。」

 

 アレキサンダーが広い庭を駆け回る。

 

 その後ろを、ニーナとウィンリィが笑いながら追い掛けている。

 

 ヨキは胸の奥へ広がる温かさを感じていた。

 

 命を救った。

 

 それだけではない。

 

 生きていく場所も。

 

 傍にいてくれる人も。

 

 ようやく見つかった。

 

(本当に。)

 

(よかった。)

 

 その思いだけで。

 

 胸がいっぱいになった。

 

 

 夜。

 

 ロックベル家の食卓には、料理が所狭しと並んでいた。

 

「いただきます!」

 

 ニーナが元気よく声を上げる。

 

「たくさん食べな。」

 

 ピナコが笑う。

 

「遠慮する必要はないよ。」

 

「うん!」

 

 ニーナは嬉しそうに料理へ手を伸ばす。

 

 アレキサンダーも、用意された食事を勢いよく食べ始めた。

 

「すげぇ食うな。」

 

 エドワードが呆れたように言う。

 

「兄さんに言われたくないと思うよ。」

 

 アルフォンスが静かに返す。

 

「何だと。」

 

「事実でしょ。」

 

 ウィンリィが笑う。

 

 食卓に、明るい声が響く。

 

 ヨキも料理へ箸を伸ばす。

 

「おいしいですね。」

 

「そうかい。」

 

 ピナコが満足そうに頷く。

 

「都会の料理よりは地味だろうが。」

 

「そんなことありません。」

 

「こういう食事は。」

 

「昔を思い出す気がします。」

 

 自分でも。

 

 何を思い出したのかは、よく分からない。

 

 それでも。

 

 懐かしいと思った。

 

 食事が進み。

 

 会話が弾み。

 

 ニーナも何度も笑った。

 

 その笑顔を見るたびに。

 

 ヨキは、ここまで来てよかったと心から思った。

 

 やがて。

 

 窓の外は、完全に暗くなっていた。

 

 ニーナとアレキサンダーの新しい生活は。

 

 この日。

 

 ここから始まった。

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