フリーレンとフェルンは、猫猫と変なものを作ったり、子翠や小蘭とお茶を飲んだり、かき氷を食べたりと後宮での生活を十分満喫しているが、ちゃんと元の世界へ帰る方法も調べていた。
女神の石碑。
刻まれていた文字。
光。
その時に感じた魔力の流れ。
こちらの世界へ来た瞬間の感覚。
フリーレンとフェルンは魔法使いとしての知識を総動員し、構造解析を試し、後宮の中や周辺に転移と関係しそうな魔力の痕跡等がないか探した。
しかし。
「フェルン、どう?」
「……やっぱり分かりません」
フェルンが首を横に振る。
「フリーレン様は?」
「分からないね」
「そうですか……」
二人して、ため息。
今回の現象は、どうも通常の魔法とは違うようだ。
「やっぱり石碑がないと駄目かな」
「でも、その石碑がこちらの世界にあるとは思えません」
「そうなんだよね」
フリーレンは空を見る。
異世界へ来た。
そう分かった当初は、帰る方法を探すことばかり考えていた。
だが、いつの間にか猫猫と研究することが日常になり、フェルンも子翠や小蘭と親しくなり、帰る方法は探し続けているものの、焦りだけで毎日を過ごすことはなくなっていた。
それでも、帰りたいかと聞かれれば、答えはもちろん帰りたい。
自分たちの世界には、待っている人がいる。
旅の途中でもある。
「シュタルク様、大丈夫でしょうか」
フェルンがぽつりと呟く。
「多分」
フリーレンが答える。
「……本当に?」
「多分」
「フリーレン様の『多分』は不安です」
「ひどいな」
そう言いながらフリーレンも、少しだけ遠くを見るような目をしていた。
一方、猫猫、子翠、小蘭の三人も、時々そのことを話していた。
ある日のこと、三人は後宮の道を歩いていた。
「ねえ、猫猫」
小蘭が言う。
「何?」
「フェルン達って、元の世界に帰るのかなあ」
猫猫は少し考える。
「う~ん……どうだろう」
「帰る方法、探してるんでしょう?」
「そうみたいだね」
「見つかりそう?」
「少なくとも」
猫猫は肩をすくめる。
「私達の技術じゃ、とても無理だね」
異世界、そんなものが存在することすら、フリーレン達に会うまで知らなかった。
その世界へ移動する方法など、さすがの猫猫でも分かるはずがない。
子翠が少し寂しそうに言う。
「帰っちゃったら、もう会えないのかな」
「多分ね」
「そっかあ……」
小蘭が言った。
「ずっと一緒にいられるのは嬉しいけど……でも、元の世界に戻れないのは可哀想だよね」
猫猫と子翠が小蘭を見る。
小蘭は少し寂しそうに笑う。
「私がそうなったら……多分、毎日泣いて暮らすよ」
「小蘭なら三日くらいしたら友達作ってそうだけど」
子翠が言う。
「そんなことないよ!」
「でも、すぐ仲良くなるでしょう?」
「それとこれとは別!」
「まあ、それはそうだね」
猫猫も言う。
帰ってほしくない。
でも、帰れないままでいてほしいわけでもない。
三人ともそういう複雑な気持ちなのだろう。
その時だった。
前方が騒がしい。
「……ん?」
猫猫が顔を上げる。
何人もの女官がこちらへ走ってくる。
「逃げて!」
「化け物がいる!」
「化け物?」
子翠が訝しげに聞く。
「な、何が起こっているの?」
次の瞬間だった。
前方の曲がり角から何かが現れた。
「…………」
三人とも固まった。
人間ではない。
獣でもない。
見たこともない異様に大きな身体。
ねじ曲がった角。
巨大な口。
鋭い爪。
生物としてどこか歪んだ姿。
一体。
二体。
さらに、ぞろぞろと現れる。
十体ほど。
「…………」
猫猫の頭が止まりかけた。
(何だ、あれ)
知っている動物ではない。
奇形?
いや、そんな範囲ではない。
あれは――
「きゃああああああああああああああ!」
小蘭の絶叫。
腰が抜けた。
「小蘭!」
子翠が支えようとする。
だが、子翠も動けない。
本能が告げる。
あれは危険だ。
猫猫は何とか頭を動かす。
(逃げなきゃ)
だが、小蘭が立てない。
「小蘭!」
「足が……動かない……!」
涙を浮かべている。
「子翠、小蘭を――」
「分かってる!」
二人で引っ張る。
しかし、遅い。
怪物の一体がこちらを見た。
そして駆け出してくる。
「!」
猫猫が息を呑む。
(間に合わない)
逃げる?
小蘭を置いて?
できるわけがない。
ならどうする?考えがまとまらない。
怪物の一体が跳びかかってくる。
その瞬間。
「ゾルトラーク」
声。
光。
猫猫達の目の前を、一条の閃光が走った。
怪物の身体を貫く。
次の瞬間、その身体が崩れ消滅した。
「…………」
猫猫が目を見開く。
「え……?」
小蘭が涙を浮かべたまま顔を上げる。
そこに立っていたのはフリーレン。
杖を前へ向けている。
「フリーレン!」
「遅くなってごめん」
その横へ、フェルンも降り立つ。
「まだいます!」
残りの魔物が向かってくる。
フェルンが杖を構える。
「ゾルトラーク」
光。
一体消える。
フリーレンも。
「ゾルトラーク」
また一体。
次々と、光が走る。
猫猫達には、何が起きているのかほとんど分からない。
分かるのは、あれほど恐ろしかった怪物が、フリーレンとフェルンの魔法を受けるたびに、一体、また一体と消えていくことだけ。
魔物が大きく跳ぶ。
フェルンが一歩前へ出る。
「危ない!」
子翠が叫ぶ。
だが、フェルンは動じない。
杖をわずかに向け――
「ゾルトラーク」
閃光。
魔物はフェルンへ届く前に消滅した。
最後の一体。
フリーレンが杖を向ける。
「これで終わり」
光。
そして――静かになった。
「…………」
しばらく、誰も何も言えなかった。
フリーレンが杖を下ろす。
「もう大丈夫だよ」
その声で猫猫はようやく息を吐いた。
「……ありがとう」
いつの間にか、額にも背中にも、びっしりと汗をかいていた。
「助かったよ」
「こちらこそ」
フェルンが申し訳なさそうに言う。
「遅れてごめんなさい」
「そんなこと――」
小蘭の声が震える。
「フェルン……」
「小蘭?」
フェルンが近づく。
小蘭の目には涙がいっぱいに溜まっていた。
「ありがとう……」
「…………」
「フェルン、ありがとう」
震えながら。
「命の恩人だよ……」
その言葉を聞いて。
フェルンの顔が少し曇った。
「ごめんね」
「え?」
「遅くなって」
フェルンはしゃがみ、小蘭をそっと抱き寄せた。
「あなた達に、怖い思いをさせて……」
「う……」
緊張が切れたのだろう、小蘭はフェルンへしがみついた。
「うわあああ……!」
泣き出す。
フェルンは何も言わず、その背を撫でる。
「大丈夫ですよ」
「怖かったぁ……!」
「はい」
「本当に怖かった……!」
「もう大丈夫です」
小蘭はしばらく、フェルンの胸に顔を埋めたまま、嗚咽を続けた。
子翠もようやく力が抜けたらしい。
地面へ座り込む。
「……私も腰抜けそう」
猫猫は返事をしながらも、魔物が消えた場所を見ていた。
「フリーレン」
「何?」
「それにしても」
猫猫は静かに聞く。
「あれが……魔物なのか?」
「そうだよ」
フリーレンが答える。
「あれが魔物」
以前、二人から話を聞いた。
人を襲う、人間より遥かに強いものもいる。
そんな存在。
だが、話で聞くのと目の前で見るのとはまるで違う。
「……あんなのが普通にいるのか」
「場所によってはね」
フリーレンはさらっと答える。
猫猫はフリーレンを見る。
改めて実感する。
この小柄なエルフは、普段は朝も起きられず、髪もフェルンに整えてもらい、猫猫と一緒に変な発明をしたりしているが、本当にこういう怪物と戦い魔王を倒した勇者一行の魔法使いなのだ。
そしてフェルンも、小蘭を抱きしめている優しい少女だが、あの魔物たちをほとんど恐れる様子もなく倒した。
(住んでいた世界が違う)
猫猫は、そのことを今さらながら強く実感した。
「フリーレン様」
小蘭を落ち着かせたフェルンが顔を上げる。
「これは一体……」
その声で、猫猫も気付く。
そうだ。
なぜ魔物がここにいる?
この世界には、当たり前だが今まで魔物などいなかった。
フリーレンも周囲を見回す。
表情が変わっていた。
いつもの気の抜けた顔ではない。
魔法使いの顔。
「そうだね」
「まさか……」
フェルンが言う。
「魔物までこちらへ転移してきたのですか?」
「可能性はある」
「でも、どうして今になって?」
「分からない」
フリーレンは空を見る。
そして、少し目を細める。
「それか」
猫猫。
子翠。
フェルン。
三人がフリーレンを見る。
フリーレンは静かに言った。
「私達の世界と、こっちの世界が――どこかで繋がったってことかもしれないね」
「繋がった……?」
猫猫が聞き返す。
「うん」
フリーレンは考え込む。
自分達が転移しただけなら、女神の石碑が二人だけを飛ばした。
そう考えることもできた。
だが、今度は魔物が現れた。
しかも複数。
ならば、二つの世界の間に何らかの「道」のようなものができている可能性がある。
フリーレンが魔物が現れた方向をじっと見つめている。
「調べよう」
その声は静かだった。
「この魔物達が、どこから来たのか」
そして、もし世界同士が本当に繋がったのなら、それはフリーレンとフェルンが元の世界へ帰るための大きな手掛かりなのかもしれない。
だが同時に、それは、この平穏な世界にこれまで存在しなかった危険が流れ込んでくるということでもある。
二つの世界を隔てていた境界が、少しずつほころび始めているのかもしれなかった。