なんで自分が生きてるんだろうと惰性で過ごして
そんなある日、書店で俺は彼女に一目惚れをして連絡先の交換まで漕ぎ着けた
ただ一つの問題は、彼女が兄の恋人である事を俺だけが知らなかったということ
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たまにソシャゲで完全上位互換キャラを出すなと言う意見を見かけるが、所詮ゲームでしか無いし、PVPが無いのであれば人の好みによって使い分けすることもあるだろう。
問題は、現実において完全上位互換みたいな人間が現れてしまった時なのだ。大抵の場合ではそんなことありえないけれども、一卵性の双子であった俺に関しては少し話が違う。
遺伝子は同じはずなのに、双子の兄は俺よりずっとうまく人生を進めていた。学業は勿論よく、高校自体は男子校で同じ場所にギリギリ滑り込むことに成功したのだが学年順位を比べるとやはり別物であるし、運動神経もいい、全く同じ習い事をしていたはずなのに水泳では兄の方が圧倒的に昇級スピードも早く、子供の頃からやっていたサッカーも俺は中学校で見切りをつけるレベルなのに、兄は高校に入っても上級生と混じって遜色なくプレーできるレベルだった。
人受けに関しても彼女という概念は男子校にはないが、人の集まりが全然違う。とにかくコミュニケーションが上手い、人だかりの中心を除けば大抵兄がいるのだから全く、俺よりはるかにうまくやっていると言えるだろう。
この様に、俺に全く太刀打ちできない。
勝ちの目がないとはまさにこのこと。
同じ遺伝子なのに、どうしてこうも差が生まれるのだろう。
ぼんやりとそう考えて、なんとなく文句を口にしたら、兄である満は「翔は考えすぎなんだよ」と言ったのを、いまだによく覚えている。
だからと言って、別に、俺は兄のことを僻んでいた訳ではなかった。はっきり言って仕舞えばどうでもいい。
兄のことは兄で、自分とは全く他人だと切り離していたのだ。あいつが物事をうまく進めていくたびに、ああなるほど、そうやれば良いのかと関心していた。
最近だと、世界的に有名な配管工のゲームでお手本プレイが実装されて、こういうふうにやればクリアできますよと教えてくれるようになったけれど、まさしくそんな感じなのだ。
俺が掛けているメガネを除けば、それ以外全て瓜二つのあいつ。その後ろ姿がずっと眩しくて。
ずっと変わらないと思っていた。
ずっと前を引っ張ってくれてると思いこんでいた。
死んだ原因は、兄には一切の過失のない交通事故。
心筋梗塞を起こした車が歩道に突っ込んできて、躱す暇もなくそのまま跳ね飛ばされて。
それで、終わり。人が死ぬなんてそんなもの。
冗談のように簡単に兄は死んでしまった。
それらしい理由もなんもなく、例えば子供を庇って車に轢かれたとか、名無しの英雄みたいな死に様ですらないのだから、本当にらしくない終わり方。
そうして一人残されるのは出来損ないの方の弟だけ。
神様は連れていく方を間違えた。
まあ、でも、神様からしてみてもどっちがほしいと言われたら兄の方に決まってるから、本当はあっていたのかもしれないけれども、現実を生きる方からしたら全く堪らない。
直接、面と向かってお前が死ねば良かったのにとか、そんな罵声を飛ばされることはなかった。同じ男子校の奴らも、ああ可哀想に、ご愁傷様だと表面上は振る舞っている。
けれども、やっぱり、そこにいるのが俺ではなくて兄であればいいのにな。そういった色が瞳にチラつく時が見えて、その度に俺はやりきれない思いになるのだ。
ただ、その感情をひたすら見ないふりをする。
俺ですら、間違ってる方が生き残っていると思うのだから、みんながそう思うことを誰が咎められると言うのか。
ああ、でも、兄が生きていたら。
きっと俺のためにキレてくれたんだろうな。
俺じゃなくて翔を見ろと胸ぐら掴んで怒鳴ってくれるんだろうな。
そう思いながら、惰性で俺は生きながらえていた。
特に目的意識もなく、ダラダラと。
俺の存在理由がわかれば良いのにな、そう思いつつ。
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転換点はいつだったのか。
始まりを振り返りたくなる時が偶に来る。
何が変わったのか、果たしてそれがいつ変わったのか。
「ほら、翔君はもっと笑いなよ。そんな仏頂面してないでさ、もっと楽しそうにしてないと勿体無いよ」
無理やり口角を引っ張り上げる彼女の声が、脳裏にふっと浮かぶ。
そう、始まりは駅前にある書店で。
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高校から帰り道の途中、自分には毎回こなすルーティンがあった。
あまり大したものじゃない、心掛ければ誰でもできる簡単な事。つまりは駅ビルに入っている書店に寄り道をして、平積みされた本に目を通しながらざっと通り過ぎるだけなのだから。
その書店において本の入れ替えの頻度は多いとは言い難いけれども、それでも定期的に自分が目を通さないというのはなんとなく許せなかった。
たまたま来なかった時に入れ替えが起こって、さらに入れ替えが起こることにより本来だったら読むべき本を見落とすことがあるかも知れない。
その事すら気づけないというのは、なんとなく心がざわめくのだ。
半端強迫観念と化した感情に背中を押されて、俺はいつもの様にその日も書店へ足を運んで。
フラフラとした足取りで、ゆっくりと確実に目を通していく。
ふと、目が止まったのは素朴な木工オブジェが置かれてるだけの表紙。なんとなく、それに気を惹かれて俺は手を伸ばして、横から伸びてきた華奢な手にぶつかったのだ。
咄嗟に頭を下げようとして、俺の動きが止まる。
その時、一目惚れが実在するということを初めて実感した。彼女も俺の様子に訝しんでいるのが、二人仲良く硬直して。
「この作者の本……好きなんですか?」
沈黙を嫌ったのか、気まずさを逸らそうとしたのか、彼女はそう呟いた。俺は情けなくこくこくと首を縦に振った。何一つその作者のことを知らないけれども、この機会を逃してはならないと本能に背中を押されて。
「私も、実は私もそうなんですよ」
パッと笑顔を咲くのを見て、俺は。
ああ、彼女が常に笑ってくれたらいいのにな。
その役目が俺であったら、なお一層いいのにな。
恋の始まりなんて、そんなもの。
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連絡先の交換まで踏み込めたのは、我ながら大したものだった。次回以降に偶然会うことを期待して、その時に奇遇ですねとか話を繋げれるのであれば、ずっとスムーズにことが進むだろうけれども、自分の幸運に期待する余裕なんて俺にはなかった。
今を逃せば気を逸する。
たとえあまりのがっつきっぷりに、無理ですごめんなさいと拒絶されたとしても、それならそれで諦めが付く。
嘘だ、絶対執着するに決まっていた。
まあ結局、自分は犯罪に手を染めなかったのだけれども。それは彼女の気まぐれだったのか、果たしてどうなのか。
初めから最後まで俺の好意は見透かされていただろうし、それでも別に構わないと思っていた。
その日から男子校というモノクロな世界観でしか生きてなかった自分に、一つの色が差し込んだ。
好きあらば連絡をして、たわいもないやりとりに時間を費やして、土日になれば遊びに行こうと誘いを掛けて、服を買いに行ったり映画を見たり、内向的な趣向には変わりはなかったけれども、外に足を運ぶ時間は日に日に増えていって。
ある時、彼女はこう言った。
「翔君さぁ、そのだっさい眼鏡のままっていうのは勿体無くない? コンタクトにしようよ、コンタクト。今よりずっとかっこよくなると思うんだけどな」
二つ返事で、俺は眼鏡からコンタクトへ変更した。
彼女が俺にかっこよくあれというのであれば、それに従うのが道理というものだろう。
まあでも、ほんのちょっとだけ躊躇いがなかったかと言われたら、確かに心の片隅にそれはやめといた方がいいんじゃないかという感情はあったのだけれども。
眼鏡を外せば、今はもういない兄に似通りすぎるのだ。
鏡を覗き込んで話してみれば、姿形がぼやけた兄が目の前に蘇ったような気さえする。
まあでも、それは彼女には一切関係のないことだろう。
君は知らないけど、俺にはもう死んでしまった双子の兄が居て、眼鏡を外すとそれを思い出すから絶対にコンタクトは嫌なんだよ。そんなあまりに重い過去を語り始めて、場の空気をどんよりさせるほど俺は馬鹿ではない。
彼女がお勧めするものをどんどん飲み込んでいく日々。
「翔君、この作者の本読んだ事ある? 今まで食わず嫌いだったんだけど、読んでみたら結構面白かったんだよねぇ」
そんな事を言われれば、「ああ、俺も読もうとしてて忘れてたよ。思い出した手をつけてみようかな」と大嘘をついて、1日は無理だとしても一週間掛けてひたすらできる限りを頭に叩き込む。
「渡辺謙が出てた映画、あれ元になる映画があったんだねぇ。試しに見てみたけどなかなか面白かったなぁ」
そんなことを言われれば「へえ、知らなかったな。俺も見てみよっと」と呟いて、一昔前の西部劇をあまりに渋い趣味だな……と思いながらも、とりあえずは目を通す。モニターの向こうで、今よりずっと若いイーストウッドが暴れるのを見ながら、あのお爺ちゃんはいつ引退するんだろうとぼんやり考えていた。
それにしても、それにしてもである。
不思議と彼女が推薦するものは、自分に良く馴染むのだ。
唯一噛み合わなかったのはネット番組の恋愛リアリティーショーぐらい、それは余りのつまらなさに挫折したけれども。それこそ唐突に一人だけが生き残るデスゲーム展開がないのかなとぼんやり思ってたけれど、本当にそれぐらいだった。
自分と彼女の感性はよく似ているのだ!
その時の自分は何も知らずに能天気にはしゃいでいた。
それこそが自分達の相性がいい証拠だと、これから先もずっと仲良くやっていけるに違いない。
まあでも、嗜好の合致は当然のことだった。
彼女がそうなったのは誰かからの影響で、その誰かこそ俺に似通った人物であったのだから。
自分の写し身であり、今はもういない兄。
俺が知ろうとしなかったあいつのことを、彼女はよく知っていた。
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書店での出会いから暫くして、遊びに行った帰りに俺は彼女に告白をした。
相手には俺が好きだってことは初めからバレてただろうし、それでも誘いに乗ってくれるってことは脈ありだろうということは確かではあるけれども、ちゃんと形として残したくて、「付き合ってください」というシンプルなフレーズを口にしていたのだ。
発作的に口から飛び出した言葉。
けれどもこんな筈じゃなかったのにとかやってしまったとか、自分の行動に後悔はなかった。
遅かれ早かれ、きっといつかは言わなければならないことなのだから。むしろ、無駄に凝らして言い訳のしようがない失敗するよりはずっとマシ。
そんな予防線は無駄に終わって、彼女は首を縦に振り。
その日から俺と彼女が正式に付き合うようになって。
まあ、でも、何一つ変わらないのだ。
彼女が他の誰かに持ってかれないという保証を得た、たったそれだけのこと。今までデートとみなしていいことは数え切れないぐらい行っていたし、付き合う前も付き合った後も関係性以外は何一つ変わらない。
だとしても、俺は間違いなく前より幸せだった。
俺は彼女の恋人で、彼女は俺の恋人。そう言い切れるようになったことがどれだけ幸福だったか。
その幸せも、長くは続かなかったのだけれども。
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その日も、なんら変哲のない土日だった。
彼女がこの映画を見たいというお願いに押されて、映画館まで足を運んで。いつもと少し違うのは仕様が少しだけ違う映画を見るために、わざわざ遠出しなければいけなかったこと。
映画は特段悪くもなければ良くもなく、当たり障りのない感想を語りながら外に出ようとして。
ちょうど向かいからやってきた女子高生らしき三人グループが、俺の目の前でぴたりと足を止めたのだ。
まるであり得ない物を見たかのように、真昼間に幽霊が出たかのような顔。
揃いも揃って俺の顔を見てそんな顔をするのだから、思わず足も止まる。過去に出会ったことがあっただろうか?
いくら思い当たりを探したところで彼女らに見覚えは一切なかった。でも、予想はつく。
彼女らは勘違いをしているのだ、おそらく俺の兄を思い浮かべて足を止めたに違いない。
俺の関わらない部分で兄を知っているのであれば、弟の存在を聞いたことがなくてもおかしくないような気がした。
ぐいっと腕を引っ張る感触に目を向ければ、彼女が俺の服の袖を引いて道を急ごうとしていた。
抵抗する必要もなく、ぺこりと頭を下げて隣を通り過ぎようとして。
「――彼氏、生きてたんだ」
その時、確かに何かがズレたような気がした。
その言葉が何を指し示しているのか、俺がわからないはずがない。誰が誰の彼氏だったかなんて、容易に想像がついてしまった。
彼女に自分に双子の兄が居たことは何一つ伝えることはなかったし、彼女からは君には兄弟がいるかと聞かれたこともない。
今思えば、その話題から極端に逃げていたように思える。兄弟姉妹はいるかという鉄板の質問をしないということは、それをちゃんと知っているという証拠ではなかったか。
そして、知っているという事実が、彼女にとってあまりに都合が悪すぎた。だからそれまで、俺に対して何にも言わなかった。
そうだとすれば、全部筋道が通ってしまう。
つまりは、彼女は俺の兄の恋人だったという事実。
認めたくない事実を必死に咀嚼して、そうして暫くしてからようやく飲み込んで、彼女が行こうと腕を引くのを振り払った。
彼女が振り返る。
その顔が青ざめているのを見て、心がどんどん冷え込んでいく。
ああ、俺は。
「所詮俺は兄の代替品でしかなかったと。そういう事なんだよな」
「……ッ違う、それは違うよ」
「何が違うんだよ。だったらなんで俺の兄を知ってることを隠したのか教えてくれ。後ろめたいことがなんにもないっていうのなら素直に言えば良かったんじゃないのか? それとも何にも聞かれなかったから言わなかったとでも?」
俺がせせら笑うのを見て、彼女が唇を震わせる。
まともに言い訳も口に出来ない。果たしてどこからどこまでが狙いだったのだろうか。俺が毎日書店に足を運んでいたことも、兄から聞いていたのではなかろうか?
そうであれば、全て簡単にことを運べただろう。
偶然を装って手に触れれば、それだけでころっと落ちるぐらい自分はちょろいのだから。
「まあでも、もういいよ。騙された俺が悪かった、それで終わりでいいからさ」
彼女を問い詰めても、何にも得られやしないのだ。
だってもう、全部終わった話なのだから。
今更ほじくり返したところで何を次に生かすというのか。
一人で家に帰ろう、そうして何事もなかったかのように過ごせばいい。眼鏡だってまだ残ってるのだ、コンタクトを付けて無理に解像度の高い色鮮やかな世界に付き合う必要はない。
「……待ってよ、少しだけ話をさせて」
「なんの話をしろと、何の弁明をすると? それを聞いて俺が全部納得して、『ああそうですか、なら仕方ないですね。そういう事情なら全部許します』とでも言うとでも?」
振り返れば、彼女は必死に感情を押し殺そうと唇を噛み締めていた。
「俺はあいつじゃない、そしてお前の着せ替え人形でもない」
何で彼女は俺にコンタクトを勧めたのだろうか?
きっとその方が似合うと心の底から思っていたのだろうか。もしかしたら、同一視する為にそうして欲しかったのではないか。
その方が兄らしいから、そんな単純な理由。
きっと、彼女がオススメするものも兄から影響を受けたものが多いのだろう。俺が知らない兄の嗜好を押し付けて、何も知らないままそれを受け入れて。
「所詮、お前も俺の事を何も見ちゃいなかったんだな」
俺である必要はなかった。
このポジションにいるという条件はあれど、一番大事なのは双子の弟という要素なのだから、他の一切合切全てどうでもいい要素なのだから。
彼女も他と同じだ、俺じゃなくて兄の方が生き残れば良かったと思っているに違いない。
はんば被害妄想の様なそれがチラついて。
苛立ち混じりに、彼女の顔を見て一瞬で怒りが冷めた。
ただ一人、静かにポロポロと泣いていた。
なんだよ、それ。
困ったら泣けばいいのかよ。
でも、どう考えたって彼女一人が悪いわけではない。
身勝手に感情に身を任せて、何もかも取り返しのつかないほど全部ぐちゃぐちゃにぶっ壊して。
果たして、彼女を責められるほどに俺は高尚な奴だったか?
答えは考えるまでもない。
そう分かっていたのに、俺は一人で帰る事を選んだのだ。
⚪︎
いつもの生活に戻ってくる。
コンタクトからいつも通りの眼鏡に戻せば、いつものあの解像度の世界が戻ってくる。
たったそれだけのことなのだ、なんて事はない。
兄が死んでただ何となくぼんやり暮らしてた頃の生活に戻るだけなのだから。唯一変わったところといえば、書店に足を運ぶ事は無くなった。
彼女と顔を合わせたくなかった。
ふとした拍子で顔を合わせたところで、何を話せというのか。まあでも、きっと相手も気まずいだろうし、他人のふりをしてくれるだろうけれども。
「母さん、兄ちゃんに彼女が居たって知ってた?」
「ん、知らない。と言うか、あんた達が家に連れてくるの大体男だけじゃない」
煎餅をバリボリ齧りながら、テレビを見る片手間にそう返される。
言われてみればその通り。全くむさ苦しいったらありゃしないんだから、とついでの様に文句をつけられても肩をすくめる事しかできない。
そもそも、どういう接点だったのだろうか。
あまり想像がつかない、そもそも男子校であるからどういうふうに繋がりを持つというのか。
俺ですら書店という繋がりなのだから、他の何かきっかけがないと厳しいだろう。
リビングでぼんやりとスマホをいじる土日の時間。
こんな退屈な時間は久しぶり。いつもならば彼女との交流に時間を費やしていたから、それがなくなればぽっかりと穴が開くのは自然な道理。
「ああ、でも、お墓参りに行った時に見覚えのない花が添えられてた時はあったから、あの直前にすれ違った綺麗な子がもしかしたら彼女だったのかも知れないね」
「肩ぐらいの髪にウェーブを掛けてたり?」
「そうそう、というか心当たりがあるなら先に教えてよ」
というか、あんたも墓参りに行きなさいよ。
そう締められて、俺は返す言葉もない。
母さんは律儀に毎日墓参りに行ってるけれども、俺は納骨のタイミングでしか行っていなかった。
何で行かないのか、言ってしまえばちっぽけな理由。
行くたびにいなくなった事を刻まれる様な気がするというだけのこと、言ってしまえばそれはまさしく母さんと逆の行い。
この人は毎日それをする事で死んでしまった事を納得させようとしているのだ、その事実を必死に飲み込もうとしている。
だから、兄の部屋はまだ片付けられずに、あの時から時間が止まった部屋がずーっと残されている。
母がようやく納得できた時に毎日の墓参りも終わって部屋も片付けられる、そんな気がした。
「母さん、明日は俺が墓参りに行くよ」
気が付けば、そう口にしていた。
⚪︎
墓前に置かれたノンアルコールビールを見て、思わず鼻で笑う。これきっと母が供えたものではないだろう、きっと兄の友人に違いない。
兄が生きていれば、一緒に酒を飲む機会もあったのだろうか。そう出来たらどれだけ楽しかっただろうか。
傷んだ花がない事は確認すれども、どれが母が供えたもので、どれがそれ以外なのかもわからないまま。
「やっぱりさ、兄ちゃんが死ぬのは早すぎたよ」
冷たい風が吹いて、墓を磨いた手が思わず震える。
もうすぐ冬が来る。
冬が通り過ぎて春が帰ってくれば、一周忌。
みんな、忘れていくのだろう。
今はまだ彼の影を追っていたとしても、その穴も自然に埋まるに違いない。新しい誰かを見つけて、そうして自分を納得させていくのだ。
「双子で同じ人間に時間差で惚れるとか馬鹿だよなぁ、俺の方が先だったら全部丸くおさまったのに」
もしくは死ぬ方が逆なら良かったのに。
そしたら誰も悲しまなかった、彼女も俺に兄の面影を追わずに済んだのに。
なんで、俺は今日はここに来たんだろう。
線香の匂いをぼんやりと嗅ぎながら、そんな事を考えていた。こんな悲観的な考えに浸りたい訳ではなかったはずだ。
きっかけがあるとすれば、そう。
母さんが、ここで彼女とすれ違ったなんていうから。
その偶然が起こる事を望んで、俺は今日ここにやってきたのだ。でも、もう既に知っていた事だろう。
偶然を待ち望んでも、望んだ結果が起きるとは限らないということを。
そうわかっているのならば、行動しなければいけないということも、とっくに分かりきっているはずだった。
「俺、兄さんになら負けても仕方がないとずっと思ってた。でも、ようやく、これだけは負けたくないってものを見つけた気がするんだ」
俺がいるべき場所はここじゃない。
自分がどうしたいのか、ようやく気持ちが定まった様な気がした。
「またね、兄さん」
何も聞こえない、兄の声は幻聴すら届かない。
でも、あの時俺に向けて兄が言った、『翔は考えすぎなんだよ』という台詞がふっと脳裏をよぎったのだ。
ああ、俺は心の底から変わらず彼女のことを好きなのだ。
それだけは間違いなく真実で、何があっても揺るぎようはなかった。
例え彼女が俺を通して兄の面影を追っているだけだとしても、俺に対して好意なんて一ミリを持ってなかったとしても。
それが、俺の気持ちの支障になるだろうか?
なるわけが無い、結局は俺がやりたい様にやるだけだ。
ゆっくりとした足取りから、だんだんと早く、気が付けば全力で走り始めていた。
話さなければいけない。
彼女があの日、俺に求めてきた様に。たとえ遅すぎたとしても、彼女は俺の事を見ちゃいないという結末に落ち着こうとも。
きっと何処まで足掻いても、兄のような人間にはなれないだろう。俺ではなくて、今いるのが兄ならばこんな回り道をせずに、すんなり丸く話を納めていたのだろう。
例えそうだもしても、何かを変えられるのは生きているものだけなのだ。行動の選択権はあくまで俺に握られている、ならば行動しなければならない。
権利の放棄は選べない。
全部、ここから始めなければ。
⚪︎
彼女の家が何処にあるのか、俺はまだ知らない。
彼女は俺の家が何処にあるのか知ってるかも知れないけれども、俺たちは互いの家に行くまでの関係性には進まなかった。
連絡が取れればいい、連絡が取れて遊ぶ約束を取り付けられればそれで良い。そう思っていたけれども、その連絡先が不通となった今、取れる手段は総当たり。
もしくは彼女の高校までノコノコ顔を出せば良い。
だが、わざわざそんな手段を取る必要もない。
目的地へ一直線、何処へ向かうかはいうまでも無い。
彼女が俺と出会おうとしてくれるのであれば、分かりやすいやり方で線を残すだろうとは予想が付いていた。
俺が彼女と出会った場所。
スタート地点に戻るのマスを踏んで。
後ろ姿だけで彼女のことはすぐにわかった。彼女は誰かを探す様にフラフラと本棚の間と間を彷徨っている。
どうする、なんて言えば良い。
真っ先に謝るべきか、何から始めれば良い。
答えが出るより先に、俺は彼女の手を取った。
ぴくりと肩が揺れて、ゆっくりと振り返る。
彼女は泣きだしそうになるのを、必死に誤魔化そうとしているようで。
「初めまして……ですよね」
俺のすっとぼけたセリフに目を丸くして、すぐに相合を崩した。
「翔君、それは流石に無茶あるよ……」
「でも、俺にはこのやり方しか思いつかなかった」
全部一からやり直すというあまりに身勝手な解法。
知るべき事を知らないまま来たしっぺ返しを食らったというのならば、知った上で始めるしかないだろう。
「勝手にお前のことを傷つけて、話すことすら拒絶したのは俺だ」
どれだけ謝っても、誤り足りない。
彼女がいなければなにも始まらなかった。
「だから、ごめん。本当にごめん」
「何で翔君が謝るのさ。それは私が……君に何も言わなかったからなんだよ。話す機会はいくらでもあったのに、それでも話さなくて良いやって、ずっと嫌なことから逃げてたから」
「でも、最後は話そうとしてくれたんだろ? 何がどうしてこうなったのかを」
ふと、一つだけ気になって疑問を口にした。
「そう言えば、ここで一番初めに出会ったのは偶然? 必然?」
「……あれは、本当に偶然。たまたま本屋を覗いて、好きな作家の新しい本が出てる!ってウキウキで手を伸ばしただけだから」
だから、本当に驚いたんだ。
そう微笑むのを見て、本当に久しぶり彼女の笑顔を見た様な気がした。何も変わらない、あの時から、俺は何一つ変わっちゃいない。
きっとそれが俺の存在意義の一つなのだろう、それさえわかっていれば十分な気がした。
「まだ俺の事を見てなかったとしても、いつかは振り向かせてみるから。だから――」
そこから先の言葉を塞がれる。
思わず呆然とする俺に、してやったりとVサインを浮かべて彼女はいうのだ。
「私のことを信用してなくても別に良いけど、私は君の事をちゃんと見てるから、それだけはちゃんと覚えておいてよね」
こくこくと首を縦に振る俺に向けて、彼女はよろしいと呟いて言ったのだ。
「それじゃあ改めて。はじめまして、翔君」
ここが、本当のスタート地点。