高校の頃から付き合ってる彼女が脈絡もなくそう言った
それでもいつか元カノが帰ってきたように好物を冷凍庫に仕込んで
ある日家に帰ってくると明かりのついてない部屋で
一人むしゃむしゃとアイスを食べながら彼女は言ったのだ
「私、もしかしたら死んじゃったのかもしれない」と
⚪︎
一人暮らしを始めてからずっと使っている小さい冷凍庫の中には、ハーゲンダッツのストロベリー味が常備されている。
他のアイスと比べて割高ではある。けれども自分が食べるようでは無いのだから、一回だけ買い揃えておけば問題はない。
そう、アイスには賞味期限がないのだ。だからそれは腐ることなく待ち人がいつか現れることを期待しながら冷凍庫の奥底に鎮座していた。
待ち人とはつまり、元カノの事である。
彼女は苺味のものには目がなく、ハーゲンダッツのそれもまたしかりであり、それを一人好んで食していた。もちろんそれを買うための金額は俺の財布から出ていたわけなのだけれども、その事をとやかく言うつもりは無かった。
彼女が幸せであればいい、それさえあれば機嫌が取れると言うのであれば安いもの。
ある種のラッキーアイテム扱いである。
だからきっと、彼女が帰ってきた時に真っ先に要求するのはきっとそれだろう、そんな気がした。
元カノがいつでも帰って来れるように。
そういう女々しい理由でそれを置いていたのだ。
本当に帰ってくることなんて、そんなのあり得ないとわかっているのに。誕生日にとっておきのプレゼントを渡して、そのカウンターとばかりにバッサリと振られたというのに、それでも微かな願望をアイスに託して。
でも、それがたとえありえない仮定だとしても、実際それが役に立つ時が来るのだから世の中わからないことだらけである。
ある日の夜半過ぎ、くたくたになって帰ってきた俺を出迎えたのは、勝手に冷凍庫を漁ってお宝を掘り出した元カノだった。
合鍵も突き返されたというのに、事前連絡もなしに家に入り込んでの狼藉である。まあでも、俺がそれを咎める事をできないというのを彼女はよく知っているのだろうけれども。
呆然と眺める俺を無視して、我が物顔でそれを頬張る彼女は開口一番、事も無げにこう言った。
「私、もしかしたら死んじゃったかもしれない」
突拍子もないセリフ、でも至って真面目な調子で彼女はそんな事を言うのだ。
「こう、合コン終わりにさ、道端を歩いてたらゴーっていうすごい物音がして、振り返ったら何かものすごく光っててさ」
語彙力が足りないなと思ったけれども、そう突っ込む事もなく、ぼんやりと立ち尽くしていた。
まずは事実を確認するべきだとわかっているのに、どうにも動けないまま。スマホで近隣の地名と交通事故、ついでに桃井 亜希と彼女の名前を打ち込むだけだというのに、それが本当だと確認するのが怖くて、俺はどうにも動けない。
彼女は冗談でそんな事を言うような奴ではないことぐらい、十分わかっているのだから。
「でね、気がついたら此処にいたんだ」
ほんと不思議だよね、と言われてもぎこちなく頷くことしか出来なくて、それで全部説明は済んだとばかりにアイスを口に放り込む作業を続けていた。
「幽霊なのに、アイスは食べれるんだ」
「まあね、不思議だよね」
食べれるということは実体があるということではないか、果たしてそれは幽霊というのだろうかと思ったけれども、彼女はその事実を一向に受け止めようとしないまま、代わりに「そういえば」と何かを思い出したように呟いた。
「私、しばらく此処にいていいかな」
「いや、それは繋がらないだろ」
「なんで?」
まさか疑問を呈されると思ってなかったのか、こてんと可愛く首を傾げる。それだけで容易く流されそうになるけれども、グッと堪えて反論をひとつまみ。
「だってお前と俺はもう他人なんだから」
「その言い方は酷くない? 少し前までは付き合ってたのに」
「俺のことを振ったくせによく言うよ」
彼女はただ別れるという目的だけを押し付けてきたのだ。他に好きな人ができたとか、こっちに愛想が尽きたとか、そういう理由は一切言わないまま。
だから反省することすらできず、あれから一生おれは宙ぶらりん。
「というか本当に死んじゃったのなら、お前にはもっと会わなきゃいけない奴がいるだろ。お前の両親にでも会いに行けよ、こんな場所でふらついてるなよ」
「でも、私が一番会いたかったのは君だから。他に最後の言葉を告げる相手もいないから」
そんな事はないだろう、所詮俺は昔の彼氏に過ぎないのだから。記憶の奥底に沈んでいって、いつかあんな相手と付き合った事もあったなとたまに思い出すぐらいの存在にすぎない。
そうでないというのなら、なんで別れたんだよ。
言いたい事はいくらでもあった、けれどもいつものように俺はその言葉を飲み込んで。
「……なら、仕方ないか」
「だから、仕方ないんだよ」
気がつけば彼女がすぐ隣に立っていた。
アイスのカップはテーブルの上に置かれたまま、昔と変わらず、その後片付けも押し付けてくるのだろう。
「ね、今日は一緒に寝る?」
そっと右手を寝室に向けて手を引っ張られる。そこには生気を感じられない、底抜けに体温を奪っていく死人の冷たさがあった。
「駄目だよ、俺たちは付き合ってないんだから」
「冷たいね、竜司君は。いいよ、私は一人で寝るから」
さも当然のように彼女は寝室へと入っていった。
お前はここで寝ろと言わんばかりにシンとしたリビングに一人きり、クッションを枕にしてソファーで寝るしか選択肢は残されていない。
冷たい、俺が冷たいって?
ゴミを片付けている途中、気がつけば呟きが漏れていた。
「関係を他人に戻したのは、お前だろうに」
⚪︎
「家にさ、ある日突然、自称幽霊が現れたらどうする?」
「はぁ?」
「幽霊だよ幽霊。1日3食計三つのハーゲンダッツのストロベリー味を要求してくる、そんな迷惑な幽霊が現れたらお前はどうする?」
居酒屋に呼び出した大学の友人は、何を言ってるのかわからないという表情をしていた。当然だ、けれども冗談ではなく事実の羅列でしかないのだから全くどうしようもない。
彼女はずっと家にいて、定期的にハーゲンダッツを要求してくる。積もり積もって馬鹿にならない出費、けれども代替品の提案すらできずにずっと言われるがまま。
「塩撒いときゃいいだろ、とりあえず塩を。それで万事解決だ」
「別にそいつに成仏して欲しいわけじゃないんだけど」
「じゃあ何を聞きたいんだよ」
モルモットのようにキャベツを喰みながら友人はそう言った。
俺は何を聞きたいんだろう、何を話すために呼び寄せたのか。アルコールで朧になった思考を必死に回す、ああそうだ、俺は道標が欲しかったのだ。
「結局、俺はどうすればいいのか教えて欲しいんだよな」
「しらねーよ、俺に聞くなよ」
「相談に乗るって報酬で今日は奢ってるんだけど」
「どう考えても相談内容をちゃんと決めてこないお前が悪いだろ、さっさと纏めろって」
つっけんどんに突き返されて、思わず苦笑が漏れる。こういう雑な距離感を保ってくれるのが今は有難い。
「そもそもさ、その自称幽霊?とやらは本物なのか」
「なんかこう……すっごい手が冷たかった」
「手が冷たいだけなら俺も幽霊になれるだろ、ほら触ってみ?」
「めちゃくちゃ熱いけど、酔いが回るのが早すぎるだろ」
握りしめられた手を振り払う。
すっかり酔いも回って顔も真っ赤。他人の金だと思って景気良くメガジョッキを次々に胃に流し込んでるから、それも当然のことだろう。
「まあでも、あいつが嘘をつく理由もないんだよな。ちゃんと合鍵は回収したはずだし、戸締りを怠ったという事もない。そうするともう既に幽霊だから部屋に入り込めたというなら納得もできる気がする」
「そういうところを深掘りしろよ。その自称幽霊とやらは合鍵を渡す関係性だった訳だ、それなら返した鍵の他に複製鍵を持ってたのかもしれないな?」
「俺は幽霊の真偽クイズをやりたい訳じゃないんだけど」
「じゃあ何を相談したいんだよ」
「相手が何を求めてると思う?」
考えるまでもない、彼は指をパチンと鳴らしていった。
「そんなの決まってる。古今東西幽霊が現れる理由なんて一つしかないだろ。未練の解消だ、そいつはお前に未練があるって訳だ」
「あいつがとっくの昔に別れた相手に、未練を抱えてると?」
その言葉を聞くなり友人はクソでかいため息を吐いた。
「んだよ、結局男女の痴話喧嘩オチかよ。ってか元カノって昔昼飯を一緒に食べたことがあるアレ?」
「そ、アレ以外に彼女ができたことは俺にはないよ」
声を大にして付き合っているとは周りに伝えた事は無かった。大学に入るより前からの付き合いであったし、わざわざ主張する必要もなかったから。
「不釣り合いだったよなぁ、そもそもお前がなんで付き合えたのかわからないぐらいに」
「俺もそう思う、本当の気まぐれだったんじゃないかな」
サイコロを振ってたまたま決定的成功を引いた、現実がTRPGならそんなログが残されているのかもしれない。
どうして付き合えたかなんて、答えはもう闇の中。
友人は俺の話なんてどうでも良さそうに唐揚げを食べている。人の惚気話は犬も食わない、少なくとも男ならその格言通りだろう。
レモンサワーを胃に流し込めば、視界がまた少し滲むような気がした。そう、確かに、今思えばなんで彼女は告白を了承してくれたのだろうか。
⚪︎
高校の時から桃井 亜希は人目を引く人物だった。
けれども誰と付き合う事もなく、誰から告白されようと了承する事もなく、彼女の周囲にはぽっかりと溝が開いているようだった。
彼女は誰とも馴れ合おうともしない、ただ自分がやりたいように我を通すだけ。それだけで周りは付き従う他なかった。
ただ彼女の行動に周りが自然と振り回されていく。
孤立しないぐらいの魅力があるからどうしようもないのだ、彼女は誰にも止められない。
そして俺もその魅力に当てられた大勢のうちの一人。
なんで告白したのかと言われれば、俺と彼女がたまたま同クラスで、さらにたまたま文化祭の実行委員にペアで振られたから。
その時の俺は、それを運命だと勘違いしていたのだ。
だからノリと勢いで告白する事もできて、どう言った理由でかその他大勢のように振られる事は無かった。
振られた理由を聞けなかったのと同じように、告白にOKをもらえた理由も結局聞けずじまい。
⚪︎
「私、お酒の匂いは嫌いって前に言わなかったっけ」
玄関先、天地逆になった元カノが、俺のことを見下ろしている。
物理的に、尚且つ心理的にも。
咄嗟に謝ろうとするけれども、それより先に胃から込み上げてくるものを感じて咄嗟にトイレへ駆け込んだ。
なぜか勿体無いなという気持ちを抱えて、胃が空っぽになるまで全部を吐き出して。
ふと気がつけば、ゆっくりと背中を撫でる感覚があった。
ああ、俺はちゃんと家まで帰って来れたのだ。
記憶は飛び飛びであったけれども、ここまでちゃんと帰ってこれた。そう、帰る途中にコンビニに寄って、トイレを借りようとして拒否されて俺は代わりにハーゲンダッツとお酒を買わなかったか?
「……お土産、酒とアイス買ってるから」
「アイスだけでいい、お酒はいらない」
お土産という言葉を聞くなり、背後にいた彼女の気配が遠ざかる。ほんの少しだけ便器を覗き込んで、これ以上は吐き気が戻って来ないことを確認してから壁を使ってゆっくりと立ち上がる。
「私、今日はソファで寝るから。竜司君はベッドで寝なよ」
照明のつけられていないリビングに入るなり、彼女の言葉が飛んでくる。
「俺はいいから」
「でも、生きてる方の体を労わることは当然じゃない?」
返す言葉もない。幽霊の冗談は冴え渡ってるなと思うけれども、そんな皮肉を飛ばす余裕もなく、すぐに彼女の隣へと腰掛けた。
「まだ、寝ない。ちょっと酔いが覚めるまで俺は起きてるよ」
「それじゃあ、お話ししよっか。眠くなるまで、ほんの少しの間だけ」
いつものように、彼女は一人アイスをゆっくりと食べている。
いらないと跳ね除けられた酒だけがテーブルに置かれていて、俺はそれになんとなく手を伸ばした。
プルタブを引けば景気のいい音がして、代わりに隣から少し好感度が下がったような気配がしたけれども、そんなの俺の知ったこっちゃない。
「まだ、竜司くんは石集めてるの?」
「まあ、俺が好きなことだしな」
ふうん、そう呟きながら彼女は胸に掛けられたアクセサリーを弄んでいた。外から差し込む月明かりで翡翠が濃緑色に輝やいている。
昔と変わらずに、自分が磨き上げた時と変わらないまま。
それは俺が彼女の誕生日におくった最後のプレゼント。
⚪︎
彼女の誕生日は5月、それに備えてわざわざ冬休みを使って新潟県まで遠出をした。
新潟県の糸魚川市にある、俗に言う翡翠海岸。
目的は当然翡翠である。彼女の生まれた月の誕生石、それに合わせて自家製のアクセサリーを作ろう。
あまりに安易な考えに囚われて、荒れやすい海の方が取りやすいという理由で寒さに震えていた。
寒い、当然だ。
冬の日本海で寒くないわけがないだろう。
それでも滞在中に運に恵まれて、アクセサリーにするのにちょうどいいぐらいの数個のヒスイを手に入れて。
家に帰るなり悩んだのは、どうやってアクセサリーにするかと言うこと。当初の案であるならば、翡翠を勾玉に加工するのがちょうど良いような気がしたけれども、無理だった。
穴あけが厳しいのだ、そもそもあまりに翡翠が硬すぎる。
だから当初の案を撤回して表面をなるべく研磨し、それをワイヤーでラッピングしてアクセサリーに落とし込むことにした。
妥協の産物である、慣れない針金細工は翡翠自体の品質に負けているのも合間って不恰好に見えた。
けれども、彼女ならきっと気に入ってくれると思ったのだ。
箱に綺麗にラッピングされたそれを受け取って、箱から取り出すなり彼女はそれをぼんやり眺めていた。
悪くない感触だった、調子に浮かれて彼女の隣で俺は翡翠の講釈をダラダラと垂れ流して。
「ねえ、竜司君」
ふと、俺が話している途中で彼女が口を挟んだのだ。
「私達、そろそろ別れよっか」
その時、彼女が何を考えてその結論に至ったのか、俺はまだ知らないまま。
⚪︎
まだそれを身につけてくれてたんだ。
なんとなく不思議な感覚だった、まさかそれを後生大事に身につけているものとは思いもよらなかった。
同じ高校から同じ大学へ上がって、けれども別れてからは距離感はトンと遠く、彼女が今どこで何をやってるのか何にも知らないまま。
きっと彼女は俺のことを避けていたのだろう、そんな気がした。そうでもなければここまで接点ないのはおかしい、でもそれを別れた相手に問い詰めることが出来るはずもなく、そもそも問い詰めるにしても会えないのだからどうしようもないのだけれども。
とにかく、その翡翠がどうなったのかわからないままだった。もし俺が愛想を尽かされたり、逆鱗に触れて嫌われていたのであればとっくに捨てているだろうし、そもそも別れた相手からの手製のアクセサリーなんて捨てないにしろ、身につけずそっと引き出しの奥底に封じ込められているもんだと思っていた。
ほんの少しの予想外、日常的に使ってくれるのは嬉しいけれどもその心持ちが俺にはよくわからない。
彼女にとって俺はなんだったのだろうか。
缶チューハイを少し口に含めば、ややこしい思考がどんどん紐解かれていくような気がした。
全部が全部、もうどうでもいいことなのだから。
「これ、私気に入ってるんだ」
「そ、まあでも今見ると不恰好だよなぁ」
その翡翠は表面を研磨して結晶型に綺麗に整えられることもなかった。行ったのはただ最低限の磨き上げだけ、それでも地の翡翠の品質が良かったからなんとか体裁は保てているけれども、それならそれに合わせて周りのラッピングなり加工なりを整えるべきだろう。
なんとなく、今なら昔よりもっと上手くやれるような気がした。
「ねえ竜司君、まさか私以外にこれを渡したりしてないよね」
「な訳、そもそも渡す相手がいないんだから」
「約束だからね、破ったら祟ってやるんだから」
付き合ってないくせに、もう他人のくせに何様だと思ったけれども、それを言葉にすることはない。
彼女との付き合い方はとっくのとうに心得ているのだから。
「で、亜希は俺になんか話したいことでもあったのかよ」
彼女は少し考えるそぶりを見せて、けれども首を横に振った。
「なんもない。私はそれを確認できれば、それだけで十分」
アルコールを飲めば沸点が下がる、その言葉に不意にカチンときたのはきっと全部酒のせい。
嘘だと思った。こいつは何かを隠してる、そんな気がした。
「なんもないなんて事はないだろ」
酒で喉を湿らせて言葉を続ける。
「それなら、なんで俺なんだよ。本当になんもないやつの場所に現れるなんてあり得るのかよ」
「でも、私だって分かんないよ」
言葉を遮ろうとして、動きが止まる。
涙が一筋頬を伝うのを見てしまったから。
「竜司君と会いたいなって思ったらここにいたんだから」
「……なんだそりゃ」
酔いに任せて酷い言葉を吐きそうになって必死に押し留める。わかってる、全部ぶちまけたところで自分が気持ちよくなるだけだって、後で後悔することになるだけなことぐらい、ちゃんとわかってる。
一度の深呼吸、酔いは覚める事はないけれども、少しは気持ちが落ち着いたような気がした。
「というか、俺じゃなくて彼氏に会いに行けよ。亜希なら、俺と別れた後にいくらでも彼氏を見つけられたろ。まさかあれからずっと一人だったってことないだろ」
「……そうだといったら」
「信じない……こともない」
テレビのリモコンを投げつけられそうになり、言葉を九十度転換。でも、そもそも一番初めに合コンに行ったとか言わなかったか? その帰りに轢かれたようなきがするとか、そういう話では無かったか。
合コンに参加するという事はつまり、新しく彼氏を見つけようとしてたって事じゃないのか?
俺の思考を読んだのか、鼻水を啜り上げて彼女は呟いた。
「ずっと一人だった、誰とも付き合わないまま。合コンに行ってもつまらないよ。寒い会話をして、相手に合わせようとみんな必死で、これだって目を見張るようなものはどこにも見つからないんだから」
「きっと亜希は高望みしすぎなんだよ」
彼女からしたらたまったもんじゃないかもしれないけれども頬が緩んで、それを誤魔化すように口を開いた。
「というか低いところで、つまりは俺で満足してたんだからどうにでもなるだろ。これ以上なんていくらでもいるだろ」
「そうだったら良かったのにね」
鼻で笑われるけれども、その意味がよくわからない。
「というか、なんで俺と付き合ってくれたんだ? そんなに選り好みするのになんで俺はオーケーだったわけ?」
ずっと気になってた質問、けれども答えを聞き出せなかったもの。その問いを聞いて、彼女はイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「それはね、君が草食系っぽかったから」
「馬面ってこと?」
「そうじゃなくてさ、君なら私の体に触れられないと思ったから」
ひどい言い草だ、でも事実。
触るなと言われたら触らない、そこに居てと言われたらそこに居る。彼女の命令に忠実に、自分のやりたいことを無理に押し通すことはなかった。
「君に告白された時、つまりは高校2年の頃、私の周りには鬱陶しいのがいっぱいいたんだ。それを一掃するための彼氏として君は選ばれたってこと」
「……要するに虫除けだったと?」
「そういうこと、もし体に迫られたとしても拒否すればあっさり引いてくれるだろうという見込みはあったし、それでも言い寄ろうとするのなら別れればいいと思った」
「俺がストーカーになるとか思わないのかよ」
「でも、実際ならなかったでしょ」
ならなかった。
彼女に執着して後をつけ回すこともなく、俺はただぼんやりと大学生活を送っていた。
きっと自分に悪いところがあるんだろうと思ってたから、振られるに相応しい理由があると思ってたから。
でも全部見当違いだったのか。
誤魔化すために酒を流し込めば、胃がキリキリと痛むような気がした。
そもそも付き合う理由が希薄だったのだ。目的のための人員でしかないというのであれば、俺が俺である必要はなかった。
彼女は俺の中に特別な何かを見出していない、たまたま都合がいい相手だから俺が選ばれた、ただそれだけのこと。
「そのうち、都合がいい時期が来たら捨てればいいと思ってたんだ。ヤドカリみたいに身の相応にあった新しい住処を転々としていくつもりだったんだ」
「つまり、俺もその時期が来たから捨てたってことか」
返事はなかった。ふと、彼女のさっきの言葉が脳裏を過ぎる。新しい彼氏はまだ居ない、彼女の新しい住処はどこにあったのだろうか?
「私はね、失敗しちゃったんだ。情が湧いちゃった。タイミングを見計らって捨てるなんてことはできなかった、その機会をとっくに見失ってたんだよ」
翡翠をぎゅっと握りしめて、彼女は懐かしい思い出を辿るようにどこか遠い目をした。
「竜司君はさ、あの時に翡翠の誕生石の意味を嬉しそうに教えてくれたよね」
「……幸福、長寿、繁栄だったか」
長寿ということは外れていたけれどね、笑えないジョークを飛ばしてこちらのリアクションがないことに気づいて彼女は一つ咳払い。
「あの説明をさ、君が嬉しそうにしてるのを見た時に気づいちゃったんだ。これ以上一緒にいたら手放せなくなるって、もしかしたら、とっくに手遅れに近いところまで来てるってことにね。」
だから、捨てることにした。
彼女はこともなげにそういった。
「……同じだよ、それは」
それの何が違うというのか。
都合が良い時だけ散々使い倒して捨てるのと、手遅れになると思ったから捨てるのと何が違うというのか。
それを言えば許されるとでも。
その言い訳で許されるとでも。
「そうかもね」
酷いやつだと思った。
酷いやつ、他人を好き勝手に傷つけて、最後まで痕跡を残そうとあがいている。
でも。
その言葉を聞いても、俺はまだ彼女のことを嫌いになれないままなのだから。
どうすれば救われるのだろうか。
それじゃあただ一つ、呪いを増やされただけじゃないか。
⚪︎
遠くでスマホが鳴っている。
早く起きて携帯を取れと喚いている。
寝ぼけ眼で慌てて身を起こそうとするも、吐き気と頭痛に襲われてすぐに枕に埋もれる。動けない、動く気力がない。
顔の向きを変えれば窓の外は快晴、絶好のお散歩日和。講義もなければバイトもない、二日酔いを除けば最高の休日。
スマホに視線を戻せば通知画面には昨日一緒に飲んだ友人の名前が表示されていた。
火急の要件ではないだろうと勝手に判断をしてまた夢に溺れようとすると、再度喚き始めて俺は仕方なく腕を伸ばした。
「はい、もしもし」
『さっさと出ろよ馬鹿! おい、お前が昨日言ってた幽霊って誰のことかもう一回教えろ!!』
スピーカーから漏れ出る爆音に思わず顔が顰める。
頭痛を感じながらも部屋を見渡すと彼女の姿は見えなかった。いつもなら四六時中、家にいる時は俺の周りにいるはずなのに、今日に限ってはそうではない。
「元カノだって昨日言ったろ」
『だからそいつが誰かを確認したのか!? 本当に幽霊なのかどうかを確認したのか!?』
テーブルの上に置かれた頭痛薬を片手で器用に取り出して、少しだけ悩んで酒ではなく水で流し込む。
「してないけど、それが」
確認はしていない、本当に死んでいることを確認するのが怖かった。
轢かれたような気がして、気がついたら俺の家にいた。彼女はそう証言をして、俺はその言葉を鵜呑みにしていた。
彼女が嘘をつかないとわかっているから、嘘をつくぐらいなら何も言わない、そんな奴だと俺は知っている。
『お前の元カノの名前は桃井 亜希、本当にあってるよな?』
「あってるよ、それがどうしたのか」
沈黙。何かを考え込むような、まるで答えを決めあぐねるようなそんな間。
『今、お前の周りに桃井はいるか?』
「それが先から探してるんだけど今に限っていないんだよな」
試しにおーいと呼びかけてみるけれども反応がない。
代わりに『五月蝿え!!』とスピーカー越しに返事が返ってきた。ぐわんぐわんと脳に響く声、どう考えてもお前の方がやってる事が酷いと思うけれども、俺はなんも言い返せない。
『いいかよく聞け、お前が本当に桃井 亜希と会っているとするなら、そいつは確かに幽霊だ』
「……」
事実の確定を俺が認めたくなくて調べなかったことを彼はあっさりと事実だと認めた。
幽霊じゃなければ良かったのに。自称幽霊のふりをした元カノという薄い線をあっさりとぶったぎって、友人は意気揚々と言葉を続けていた。
『昨日お前に話を聞いた後、少し気になって色々調べてみたんだ。最近物騒な話がなんかなかったかと探ってみたらビンゴ、同学年にいる桃井 亜希って奴が数日前に帰宅途中に事故にあったっていうじゃないか』
「合コン帰りの事故、か」
『そう、まさしくその通りだ』
俺の気分に反して、奴は上機嫌。
思わず電話を切りそうになるがその前に言葉が滑り込む。
『だけど、だけどな竜司。まだ何も終わってないんだ、そいつは幽霊かもしれないが俺たちが想定したそれとちょっとだけ種類が違うんだよ』
⚪︎
「あれだな、猫に巻きつけるあれ」
「……笑いに来たのなら、とっとと帰ってくれる?」
彼女は首をがっちりと固定されたまま、彼女はベッドの上で不服そうな表情を浮かべていた。その様は毛繕いを禁止するための道具をつけているようで、喉まで出かけたその答えを必死に手繰っている。
「そう。あれだよあれ、エリザベスカラー」
「話聞いてた? もしかして竜司君、私の言葉を全然聞いてなくない?」
一向に意に返さず、席へ腰掛ける。ため息をつくばかりで、彼女はこっちに目を向けようとしない。
出てもらおうにも実力行使できないのだから仕方がないのだろう。
「久しぶり、元気にしてた?」
「私、元気なように見える? この姿でさ」
思わず言葉を失うけれども、してやったりと彼女はすぐに笑い飛ばした。
「全然、幸いにして後遺症もなんもない」
そのおかげでようやくSCUから出された訳だけれども、彼女は事も無げにそう言った。
SCU、つまりは脳卒中集中治療室のこと。彼女は車に轢かれてからしばらく意識不明の状態だったらしい。面会謝絶の状況で生死の境を彷徨っていて、俺はそのことをなんも知らなかった。
「私、眠ってる間にたくさん夢に見たんだ」
「知ってるよ、なんとなくそんな気がした」
自称幽霊、確かに幽霊ではあった。
でもそれは生霊でしかないというのなら、なんとなく納得できるような気がした。きっと彼女がいなくなった日にあわせて、ようやく意識を取り戻したのだろう。
「夢の中でさ、毎日竜司君がせっせせっせとハーゲンダッツを運んできてくれるんだ。それを食べるたびに、ずっと遠回りしたけれど、ここが私の居場所だったんだろうなって思ってさ」
「俺のことを勝手に振ったくせに?」
「うん。もしかして、まだ怒ってる?」
さも許されて当然のように首を傾げて見せるのだから、全くどうして、彼女は最初から最後までずっと一貫してそうなのだろう。
彼女は変わらない、でも、きっとそれでいい。
俺も、怒ってなんかない。
きっと彼女が身勝手に俺のことを振り回しても、全部彼女だから仕方ない、そう許せるようになってるのだ。
そうなってしまったからには仕方がない、それが恋というものなのだから。
「俺はさ、ずっと待ってるよ。亜希がいつ帰ってきてもいいようにずっと待ってるから」
その言葉を聞いて、彼女はふにゃりと嬉しそうに顔を崩して。
「退院祝いはおっきなサイズのアレを買っておいてね」
最後に、そう注文を付けてきた。
ハーゲンダッツ パイントサイズ ストロベリー味
税込970円