▽前回のあらすじ
ヒロの特製夕食とお風呂で温まり、穏やかな時間を過ごす花梨。その後、防音室からコナンへと連絡を入れる。幼児化した花梨との通話に驚愕する新一は、彼女を襲った薬の謎とジンの冷酷さを語るが――。
第239話
いいからその男を出せ!
『…………わけわかんねぇ……。けど、そうだな、お前、一条稀華にも“ちゃん”付けだしな』
「稀華ちゃん……? あ、うん、稀華ちゃんは、稀華ちゃんだね」
『そうそう、それ。普通、自分を殺そうとした相手に親しみを込めた呼び方なんてしねーよ。ったく、オメーの、そのお人好しっつーかズレてるとこ、ちっちゃくなっても変わってねーな……』
新一はスマホの向こうで呆れ果てたように盛大なため息をつく。だが、すぐに思い出したように、切実な心配の色を声ににじませた。
『っつーか、お前よく無事だったな。組織に捕まってたんだろ? ……で、まず確認だ。今どこにいる』
「うん。詳しくは今度会ったときにまとめて話すけど、いろいろあって、今は警察のお兄さんのところに置いてもらってるの」
『そっか。そこは、安全なんだな? 昼間見たとき、腕、骨折してたみたいだけど平気か?』
「うん……この前、私がお家でうっかり転んで折っちゃって……。毎日、お兄ちゃんが甘やかしてくれてね。お風呂も入れてもらってるから不便はないよ」
『そっか、よかったな…………――ん? ……風呂?』
安堵に染まりかけた新一の声が、ピキリと不自然に静止する。
「うん、お風呂。さっき入ったよ。新ちゃんも蘭ちゃんと入ってるでしょ?」
『ばっ!? オレのことはどうでもいい! って、一緒にいるの、警察のお兄さんなんだよな!?』
「う、ん? うん、そうだよ? ほら、前に新ちゃんに紹介するねって言ってたお兄ちゃんたちのうちの一人だよ~」
『……歳はいくつなんだ?』
「へ? なんで歳?」
『いいから正直に答えろ』
コナンの声が、昼間に事件の謎を解き明かす時よりもさらに一段、地を這うように低くなる。
「ん~? 歳は確か……二十九歳、かな?」
『――今すぐ電話代われ』
電話の向こうから、冷徹極まりないトーンのブチギレ声が飛んでくる。と同時に、カチカチカチ……と、阿笠博士特製の「蝶ネクタイ型変声機」のダイヤルを猛スピードで操作する、不穏な機械音が聞こえ始めた。
大人(工藤新一)の声で直接ヒロを問い詰める気満々だ。
「ちょっと、新ちゃん……! そんなことしたら、新ちゃんのことがバレちゃうよ?」
『電話なんだ。
「……新ちゃん……? どうしてキレてるの……」
中身は高校生とはいえ、現在の見た目は自分と同じ小学一年生。
それなのに、なぜか猛り狂う大型肉食獣のような威圧感を放ち始めた幼なじみに、花梨は完全に置いてけぼりを食らいながら、ただただ困惑するばかりだった。
『早く!』
「ん、もう……わかった。じゃあ、このままヒロお兄ちゃんのとこに移動するね……」
新一のあまりの剣幕と怒涛の勢いに、わけが分からない花梨は、防音室の重い扉を開けてリビングへと戻った。
ソファでくつろいでいたヒロが怪訝そうに、けれど優しく、スマホを耳に当てた花梨を迎え入れる。
「……ねえ、ヒロお兄ちゃん。新ちゃんが……あ、新ちゃんと今、電話が繋がっててね。わけを話したら私が小さくなったこと、納得してくれて……で、ね。なんか……電話、代わってほしいって……言ってて……」
耳から少し離した手元のスマホの向こうからは、『は・や・く・代・わ・れ!!』と怒気を孕んだ不機嫌な声が漏れ聞こえている。花梨は完全に困惑した様子で、おずおずとヒロに近づいた。
「そうなんだ? いいよ。代わろうか」
ヒロは花梨がそばにやってくるとそちらに目を向け、いつもと変わらない穏やかな笑顔で大きな手を差し出した。
「……あ、その。新ちゃんが失礼なこと言ったらごめんね?」
「失礼なこと……?」
電話の向こうで「誰が失礼だ、誰が!」と憤る新一の声がかすかに響く。花梨はヒロの隣にちょこんと腰掛け、緊張しながら二人の会話に耳を傾けた。
「……もしもし。工藤、新一君かい?」
『……どうも、初めまして。オレ、工藤新一といいます。花梨の幼なじみで、今はちょっと難事件を抱えてて、あんまり東京に戻って来れないんですけど』
電話の向こうから聞こえるのは、一転して極めて冷静で理知的な、非の打ち所がない“高校生探偵”としてのトーン。ヒロはふっと目元を緩めた。
「ああ、君のことは有名だから知っているよ。俺は諸伏景光。警察官をしていてね。花梨ちゃんとは四年前に知り合ったんだ」
『諸伏さん。失礼ですが、所属は……?』
探偵らしい、核心を突くような鋭い問いかけ。ヒロは一瞬の淀みもなく、偽装された肩書きを口にした。
「……交通課だよ。今は少し事情があって、現場には出ていないけどね」
その言葉に、隣で聞いていた花梨は「あ」と声を上げそうになり、慌てて両手で口元を塞いだ。
(公安警察は、別の部署を名乗ることもあるんだなぁ~)なんて、以前に知った裏の事情を思い出しながら感心してしまう。
『交通課……ですか?』
新一の声には、明らかに疑問を持ったような響きが混ざる。
ヒロのことは去年、「ヒロお兄ちゃんは入院中でね、後遺症があるから、退院したら休職するんだって」と、花梨から多少なりとも聞いていた。
確か、今彼は休職中だと記憶している。
その休職中の交通課の人間が、なぜ組織に追われていた花梨を匿い、高性能な防音室付きのセーフハウスを構えているのか――。
探偵の猜疑心が動いたのを、ヒロは見逃さなかった。
「今は、事故の後遺症で休職中なんだ」
ヒロは交通課で、組織に関する何かに巻き込まれ、怪我をしたのだろうか。
もし目撃者でもあるのなら、納得できる話だ。
(交通課で現場から外れてる……なるほど、それで休職か)
新一の脳内で、勝手にヒロの裏事情が組み立てられていく。
『そうですか……ところで、花梨なんですけど、腕の骨折はどういった経緯で?』
「ああ……それね、俺の不注意。家の中で、彼女が走って転んじゃったんだ。服が大きくて、足を取られてね。俺がもっと早く駆けつけていれば、骨折させずに済んだんだけど……申し訳なかったね」
ヒロの話に、新一は探るように数秒黙り込む。
『そうでしたか……』
(声の調子から嘘はなさそうだが……引っかかるな)
新一は、電話越しに聞き取れるヒロの声のトーンや呼吸の変化から、彼が花梨を心から案じていることを察し、ひとまず納得したように声を漏らした。
少なくとも敵ではない、と判断したのだろう。
「ところで、花梨ちゃんから話を聞いたみたいだけど、工藤君はいつ花梨ちゃんと会うのかな? オレもついて行って警護するから、予定を教えてもらえると助かる」
『え? あ、オレはちょっと遠くにいるんで、代わりにコナンに話しておいてもらえると助かります』
「ふむ……小学生に?」
『……あー……っと、そんなことより』
ヒロに必要以上に突っ込まれては自分の正体が危うい。これ以上の追及を逃れるため、理由もなく「そんなことより」と、無理やり話題を切り替える新一。
その様子に、隣の花梨は小さな違和感を覚えた。
(いや、新ちゃん、そんなことよりって……そっちが大事なんじゃ……?)
いつもなら、どんなに苦しい言い訳でも完璧な理由を付けて論破してしまう新一が、珍しく形勢不利に焦っているように思える。
それ以上に、彼には今、優先して白黒つけたい重要な「確認事項」があるのだろうか。
花梨は固唾をのんで、新一の次の言葉を待った。すると――。
『花梨を風呂に……入れてるって聞いたんですけど』
「ぶはっ!」
スピーカーから真面目なトーンで飛び出してきた、予想外すぎる単語に、花梨は思わず派手に噴き出した。
(ちょ、新ちゃん、大人の警察官に向かって何聞いてくれちゃってるの~!?)
『ボッ!』と音がしそうなほどの勢いで、花梨の顔が耳の付け根まで真っ赤に染まる。
対するヒロは、一瞬だけ驚いたように目を見張ったあと、すっと静かに沈黙した。
「…………」
『……花梨が本当は高校二年生だってこと、わかってますよね?』
「…………」
『今は小学一年生くらいですけど、それでもまずいんでは……?』
電話の向こうの高校生探偵からの、必死さを孕んだ正論の牽制。
しかし、ヒロはふっと小さく息を吐くと、大人の余裕と保護者としての確固たる意志を込めて、静かに言葉を返した。
「……俺もね、そこは思ったよ? けどね、骨折した花梨ちゃんをそのままにしておくわけにはいかないだろう? たとえば、君が今、俺の立場だったら、どうする?」
『…………、入れます』
少しの沈黙のあと、悔しそうに、けれどはっきりとした声が返ってきた。
「だろう? ただそれだけのことだよ。あ、ちゃんと目隠しはしているからね?」
『……当然ですよ』
新一は短く答えた。
(できたらオレが替わってやりてぇくらいだ……)
電話の向こうで、新一がそんな独占欲を滾らせていることなど、ピュアな花梨が気づくはずもない。彼女は「二人ともなんの話をしてるのよぅ……」と完全に恥ずかしさのキャパシティを超え、顔を両手で覆ってソファの隅で小さく縮こまっていた。
「わかってもらえたようで、安心したよ。君が理性的な子で助かった」
『……あの、花梨に代わってもらっていいですか?』
「ああ、じゃあ代わる。はい、花梨ちゃん」
「あ、うん」
恥ずかしさに俯いていた花梨だったが、ヒロから手渡されたスマホを、そっと両手で受け取って耳に当てた。
次の瞬間――。
『おーまーえーなー!! うっかり転んで骨折ってんじゃねーよ!! ってか風呂くらい自分で入れよな!!』
「ひっ……! だ、だって、転んじゃったんだもん……しょうがない……よね?」
久しぶりにいつもの調子で新一から怒鳴られ、花梨は恐縮しながらも、どこか懐かしい安心感に包まれる。
ヒロに小さく頭を下げると、恥ずかしさから逃げるようにトトトッと足早にリビングを出て、再び防音室へと向かった。
ヒロはそんな彼女の後ろ姿に、ひらひらと優しく手を振る。
(花梨ちゃんは、工藤君に頭が上がらない感じなのかな……?)
お姉さんぶる時もあるけれど、やっぱり根っこは幼なじみの前では等身大の女の子なんだなと、ヒロはくすりと声を立てて笑った。
微笑ましい余韻が残る、花梨のいなくなった静かなリビング。
――その時だった。
ジリリリリッ、ジリリリリッ……!
突如として、ソファのテーブルに置かれたヒロの仕事用の携帯電話が、重苦しい電子音を響かせて震え出した。
「ん……?」
ヒロの顔からさっきまでの穏やかな笑みが消え、一瞬にして現役の捜査官の鋭い目へと変わる。
画面に表示された着信元の名前を見て、ヒロの眉がぴくりと動いた――。