言峰綺礼が半額弁当争奪戦に参加する話   作:キグチ

1 / 1
続きはこちらになります。
http://novel.syosetu.org/40129/


言峰綺礼が半額弁当争奪戦に参加する話

 言峰綺礼は忙しい。

 当たり前の話だ。冬木市の教会に勤める身ならば、然るべき日々の業務がある。

 業務の中には出張が必要なこともあり、その日の言峰はそんなありふれた出張帰りの身だった。

 日もすっかり暮れた夜、人通りの少なくなった夜道を言峰は一人歩いていた。いつもの黒衣の姿だが、仕事道具を収めた小さめの鞄を持っているのが違いだろうか。

(さて、帰って来たはいいがこの時刻。食事はどうしたものか)

 規則正しい歩調で歩きながら、そんな有り触れたことについて、言峰は思いを巡らせていた。

 教会に帰って暖かい食事が待っている時間帯でもなく、さりとてこの周辺にはこれといった食事処も無い。

(泰山が開いていれば、今からでも向かう所だが・・・・・・)

 よく行く中華料理屋に想いを馳せるが、あいにくその店は本日定休日だ。

「私ともあろうものが、このような些末なことに悩むとは・・・・・・」

 苦笑と共に呟く。しかし、言峰も一応人間である以上、空腹を覚えないわけがない。ここは余り深く考えずにコンビニに寄るなり教会で自炊でもするのが賢明だろう。

 そう思ったとき、とある施設が目に入った。

 スーパーである。

 住宅地の中に静かに佇む建築物、100台程度の駐車場を持つ、ありふれた店舗だった。

 夜の闇を照らし出す看板の光と、やや寂れた駐車場を見たとき、言峰の脳裏に閃くものがあった。

「スーパーには、弁当が売っていたな・・・・・・」

 更に、言峰の知識によれば、閉店間際になればスーパーの弁当は割引されるはずだった。別に金銭に困っているわけではないが、食事が安く済むならそれに越したことはない。

「ふむ・・・売れ残りの弁当を食べるのも一興か・・・」

 一人、そう呟くと、言峰は規則正しい歩調を維持したまま、スーパーの入り口へと向かって歩みを進めた。

 

 興が乗った。

 普段口にすることはないスーパーの弁当を食べる、そんな自分の姿を想像するのが面白くての、思いつきからの行動。

 単なる気まぐれ。

 しかし、この選択が、言峰綺礼の日常に新たな一石を投じるものとなるのだった。

 

 弁当売り場はスーパーの出口近くの総菜売り場の隣にあった。

 近くの鮮魚コーナーからは大ヒット曲『お魚天国』が流れ、閉店間際で人のまばらなスーパーを賢明に盛り上げている。

「・・・・・・む」

 実にタイミングの良いことに、店員が弁当のパッケージに半額シールを貼っていた。

 ちょうど良い、半額になった弁当を適当に頂こう。

 そう考え、店員がゆっくりと丁寧にシールを貼る傍らで、言峰は売り場に残った弁当の品定めを始める。

 残っている弁当の中で特に目を引いたのは親子丼弁当だった。恐らくスーパーの調理場で手作りしたのであろう、肉とタマネギを包み込む卵が絶妙なとろみを持っている、そう見えた。

 不思議なことだ、一品500円のさほど珍しいものでもないのに、やけに美味そうに感じる。

 店員が全てのシールを貼り終えるのを待ち(仕事の邪魔をするのは本意ではない)、売り場から離れ、裏に消えたのを見てから、言峰は親子丼弁当に手を伸ばした。

 その瞬間だった。

 

 世界が真っ白になって、回転して、暗転した。

 

 言峰綺礼ともあろうものが感覚を取り戻すまでに数瞬を要した。一瞬、自身に何が起きたのか理解できなかったが、言峰はその冷静な思考をすぐに取り戻し、事態を把握する。

 何者かの襲撃を受け、はね飛ばされ、床に叩きつけられたのだ。

 そのことに気づくと同時、全身に激痛が走る。

「――がっ、なっ――!」

 あり得ないことだ、聖堂教会においては代行者にまで至り、歴戦というのも生ぬるい戦歴を持つ自分が、平和な日本のスーパーで襲撃を受け、知覚すら出来ぬ内に不覚を取るなど・・・・・・。

 身体を起こし、己が目で状況を確かめる。周囲に殺気はない、いや、先程のように知覚できない何かが起きているのであれば、どれだけ注意を払っても無駄かもしれないが。

「なんだ・・・・・・これは・・・・・・」

 全身の鈍い痛みと共に立ち上がった言峰が見たのは、想像を絶する光景だった。

 そこでは10名ほどの男女が、争っていた。

 年齢は様々、少年少女もいれば中年もいる。学生服やスーツ姿など、その装いは様々。

 まるで嵐のようだった。

 どう見ても武術を収めているように見えない肉体をしているその連中は、言峰の目から見ても「言語に絶する」というに相応しい、高度な戦闘を繰り広げているのだ。

 こんな場所に何の覚悟も準備もしていない人間が迷い込んだら、ミキサーに入れられた食材のように一撃で粉砕されてしまうだろう。

「こいつら・・・何をしている・・・・・・?」

 当然とも言える疑問を思わず声に出す言峰。彼にしては珍しく、驚きをはらんだ声音だった。

「何って、簡単なことよ。狼たちが狙う獲物は――半額弁当に他ならないでしょう?」

 答えの声が、隣から来た。

「!?」

 声のした方を見ると、いつの間にか、一人の女が言峰の極めて近くに立っていた。肩が触れそうな距離。髪の長い女が、そこに立っていた。

「狼・・・だと・・・?」

 目の前で繰り広げられる戦闘行為に目を釘付けにしながら、問いかける。

「そう、狼。――半額弁当を手に入れることに己を賭ける、誇り高き生き方を選んだ者達」

「まさか、この戦いは弁当を手に入れるためだと?」

 ナンセンスな話だ。売れ残って半額になったスーパーの弁当を、これほどまでの技術を駆使して奪い合うなど、無駄の極みだ。

 無駄の極み、口に出してそう笑おうとした。

 だが、どうしても長髪の女が言うところの狼たちの戦いから目を離せない。彼らの駆使する武芸から目が離せない。彼らの目は本気以上の輝きを見せている。一体、『おさかな天国』をBGMに戦う彼らの雄々しさはどこからくるのか。

「・・・・・・何故、彼らはこうまでする」

 言峰の口から出て来たのは彼らに対する侮辱の言葉でも、失笑でもなく、疑問だった。

 長髪の女は答える。

「知りたいのなら、教えてあげましょうか?」

 挑戦的な笑みを浮かべながら、女は言峰に向かって手を差し伸べた。

 女の手には、『どん兵衛』が乗っていた。

 

 

 住宅地故の事情か、スーパーの近くに公園があった。

 言峰と長髪の女はそれぞれの手に、湯を入れた『どん兵衛』を持ち、公園のベンチに腰掛けた。

「さて、話の前にこれをいただこうかな」

 ぱちん、と小気味よい音を立てて割り箸を割る女。

「む。これは5分待たねばならないのではないか? ここに書いてあるぞ」

「私はちょっと硬めのが好きなのよ。アルデンテってやつ?」

 それはパスタの美味しい食べ方だとか、まだ3分も経過していないので硬めという次元では無いだろうなどと思った言峰だったが、あえて口を挟まなかった。

 今宵の自分は、この女に教えを請う立場なのだ。『どん兵衛』と言う謝礼を用意したが、余計な発言は慎むべきだろう。

 言峰は心静かに自分の『どん兵衛』のパッケージを見つめる。横で女がばりぼりと、うどんにあるまじき咀嚼音をたてた。

「美味いか?」

「う、うまいわよ! すっげーうまい! やっぱ硬めがいいわよね!」

「・・・・・・そうか」

 少し声が上ずっていたが、余り追求しないのが、優しさであり、大人だ。

「そろそろ、説明をお願いしてもいいか?」

 言峰は程よい時間が経過した自身の『どん兵衛』を開けながら、女に言う。

「いいわ。かなり大ざっぱな説明になるかもだけど、後はあんたで上手く解釈しなさい」

 承知した、と頷く。あの理不尽な状況に対して思索を巡らせる手がかりが得られるだけで十分だ。

 『どん兵衛』のつゆを一気のみした後、女は厳かに言った。

「彼らは狼と呼ばれる者達よ・・・・・・」

 

 女の説明が終わった時、言峰は今日何度目かの驚愕の言葉を発した。

「――馬鹿な・・・! では、やはり彼らは半額弁当を賭けて戦っているというのかっ」

「そうよ、誇りを賭けてね」

「わからん・・・・・・」

 本音だった。世界は広い、まさか、この世にスーパーの半額弁当を争奪することに誇りを見出す者がいるとは。それも複数。

「つまり、私が攻撃されたのは、シールを貼り終わる前の弁当の前で待機していたからだというのか・・・・・・」

「豚の距離ってやつね。彼らは弁当に敬意を払わない者に容赦しない」

「何故、彼らはそうまでする」

「わからない?」

 言峰は首肯で返答する。わからない、半額弁当に何があるというのか、正々堂々と奪い合わないと言うだけで、あれほどまで激しく他者を排斥する理由とは何だ。何というか、わけがわからなすぎて、自身の信仰が揺らぎそうだった。

「おお・・・神よ・・・・・・」

「なんかアイデンティティが崩壊しかかっているようだけど、大丈夫?」

 声をかけられて、はっと立ち直る言峰。

「だ、大丈夫だ。危なかった、スーパーの弁当が原因で信仰に迷う所だった・・・・・・」

 いつの間にか手が震えていたらしい。持っている『どん兵衛』の容器が激しく震えている。つゆまで飲み干していなければ大惨事になっていただろう。

「そこまで思い悩むなら、貴方のやるべきことは一つね」

 何かを確信した口調で、長髪の女は言った。

「私のやるべきこと?」

「そう、わかっているんでしょう? わからないなら、実際に体験し、理解するしかない、と」

 わかっていた、理解できない集団を理解するためには、その中に入っていくしかない。

 つまり、自身も狼たちの戦いの輪に加わり、半額弁当を奪い合い、手に入れ、勝利し、食す。

「他に選択肢は無いか・・・・・・」

 胸元で十字を切り、立ち上がり、ゴミ箱に『どん兵衛』の容器を捨てながら言峰は厳かに呟いた。口調も表情も、これから一生に一度の儀式を行うかのような深刻さである。

「方針は決まったようね」

 女の方も『どん兵衛』の容器を捨てながら立ち上がる。

「それじゃ、貴方の武運を祈っておくわ」

 軽やかに手を振りながら背を向けて去っていく女。言峰はその背中に言葉を投げる。

「礼を言う。名を聞いても構わないか?」

 女は立ち止まり、顔だけを言峰に向けると、不適な笑みを浮かべながら、

「ただの元狼よ。『ブルー』という二つ名を聞くことがあれば、それが私」

 そう告げると、女は歩みを再開した。

「元、狼か・・・・・・」

 去りゆく女の背中を見つめながら、言峰綺礼は思った。

 出張帰りの夕食のつもりが、奇妙なことになったものだ、と。

 

 

 翌日、言峰綺礼は昨夜と同じ時間帯、同じスーパーの前にいた。

 目的は勿論、半額弁当だ。

 来てしまった。否、来なければならなかった。

 一晩経って尚、言峰の中で昨夜の出来事は強烈に脳に刻みつけられていた。何が彼らを駆り立てるのか、その答えを知ることができなければ、言峰綺礼は言峰綺礼でいられなくなってしまう。そんな確信が、言峰をこの場に足を運ばせたのだ。

 行くぞ、と心の中で力強く自身に言い聞かせ、店内に入る。目的地は弁当売り場だが、その少し前の商品棚で立ち止まる。

 狼には礼儀がある、と昨日の長髪の女は言っていた。狼たちの流儀に照らし合わせると、言峰の行った店員の側で半額シールが貼られるのを待つというのは礼儀を欠くとして、集中攻撃の対象になるらしい。

 戦場にルールがあるならば、それに従うまでだ。

 胸中でそう呟きつつ、商品棚の影から弁当売り場をそっと眺める。

「なっ・・・・・・これは・・・・・・!」

 思わず声が漏れた。

 本日、弁当売り場に残っているのは、親子丼弁当ただ一品のみだった。

(これは・・・・・・まずいな・・・・・・)

 半額弁当争奪戦素人の言峰にも容易に状況が理解できた。今宵、この場に獲物はたった一品。このスーパーにいる全ての狼が、それを奪い合うことになるのだ。

(狼と思われる気配は・・・・・・10名ほどか・・・・・・)

 慎重に周囲の気配を探り、狼と思われる人間に当たりをつけた。10人での乱戦、過酷な戦いになるだろう。

(相手の実力も素性も不明、だが、やるしかあるまい)

 棚にあった『干し芋』を真剣な眼差しで見つめながら、言峰は心を落ち着かせようとする。

 店内には今日も『おさかな天国』が鳴り響いている。その軽快なリズムと余りに対照的な緊張感が弁当売り場周辺に満ちているのを感じる。

 バタン、と扉の開く音がした、半額シールを貼る店員、通称『半額神』登場の音だ。

 場の緊張感が更に高まった。言峰も『干し芋』の袋を棚に戻し、その時を待つ。

 鋭い目つきの痩せた男の半額神は、きびきびとした動作で弁当の前に行き、たった一つの弁当に手早くシールを貼り、再び扉に向かう。まるで草原を渡る一陣の風のような自然な動きだ。

 

 そして、半額神は扉の前で一礼し、その向こうに消えた。

 

「おお――!」

 狼たちの叫びが響くと同時、弁当売り場の前の空間が、爆発した。

 勿論、本当に爆発したわけではない。しかし、それに近い現象を言峰は見た。狼たちが一斉に一つの弁当に殺到した結果、ぶつかりあった殺気が言峰にそのような錯覚を与えたのだ。

 そして、殺気の直後に、狼たちの本当の激突が始まった。場は完全な乱戦、学生や社会人が半額弁当目指し、その進路に立ちふさがる者と格闘を始める。

 そこに言峰も迷い無く飛び込んだ。今宵この時、様子見する理由は無いのだ。

「ぬぅん!」

 目の前にいた、次々と相手を変えて場をかき回そうとしていた学生服の少年に拳を打ち込む。八極拳の技と鍛え上げた肉体は、この戦いにも有効に機能してくれたようで、少年はたまらず吹き飛び、動かなくなる。

「神のご加護を――」

 少年に短く十字を切って、次の邪魔者を探す。理由はわからないが、全身に力が満ちていた。そういえば、スーパーに来るため必死に仕事を片付けたため、朝からロクに食べていない。まるで空腹で力が増しているようだ。

 細かく分析している暇はない、今目指すべきは半額弁当ただ一つ!

 黒衣をはためかせ、言峰綺礼は戦場の更に奥へと進軍する。

(状況は脱落3というところか。思ったより残ったな)

 周囲の状況を素早く的確に分析する。初めの激突で半数が脱落すると見ていたのだが、どうやらこのフィールドにはそれなりの強者が揃っていたようだ。

(さて、どうする)

 脱落者が少ないこの状況で、弁当に近づきすぎるのは危険だ。集中攻撃を受ける可能性がある。

(ここは弁当に気を配りながら、一人ずつ潰していくか・・・・・・)

 そう、方針を決定した時だった。

 状況は、戦場の方から動いた。

 言峰の前で争っていた2人の狼がいきなり吹き飛ばされたのだ。

「何だと!?」

 立ち止まり、身構える言峰。

 目の前に立ちはだかったのはスーツ姿の男だった。見た目は華奢だが、全身から恐るべき殺気が振りまかれている。

「ほう、昨日の豚が狼気取りか、面白い」

 男は不適に笑い、言う。

「ドイツ帰りでなまった体の慣らしには丁度いい」

 言うなり、一瞬で間合いを詰めて言峰に打撃を加えて来る。

「――むぅっ!」

 強い。男の攻撃をことごとく受け流しながら言峰は驚愕する。

 修練を積んだわけでも無さそうな単なる社会人が、半額弁当を前にしただけでこれほど卓越した戦闘能力を示すとは――!

 男と言峰は高速の攻防を繰り返しながら弁当売り場の前を縦横無尽に駆け抜ける。弁当に近づく狼や、二人の不意を狙った狼は巻き込まれる形で弾き飛ばされた。

 時間にして数分、打撃の回数にして無数の攻防を繰り返す。だが、双方、決定打となる一撃が出ない。

(さて、どうしたものか)

 状況を立て直すため、距離を取り、息を整える。このまま持久戦になっては、弁当の鮮度が落ちてしまう。ただでさえ閉店近くまで残っているだ。それだけは避けたい。

「謝罪しよう、黒衣の神父。あんたを見くびっていた」

 言峰と同じく息を整えていた男が真剣な表情で謝罪の言葉を口にした。

「どういうことだ?」

「昨日は単なる豚。今日はルールをかじっただけの犬だと思っていたが、たった一日で俺と張り合うなんて大した人だ」

 だから、と顔を歪め、凄絶な笑みを浮かべながら男は言う。

「取材先のドイツで学んだこの技を、使わせて貰う!」

 言峰の目の前で、男が高速回転を始めた。

 足を軸に、腕を広げた、独楽のような動き。

 早い、いや、早いなんてものではない、初速がかなりのものだった上、徐々に加速している。余りの速度に男が人間から竜巻へと変わったかのようだ。

「なんという技だ・・・・・・っ!」

 弁当売り場の前に誕生した竜巻を前に、言峰は絶句する。まさに絶技、下手に触れれば一瞬でなぎ倒されるのは必定。更に恐ろしいことに、竜巻は徐々に移動し、弁当との距離を着実に詰め始めているではないか。

「どうした、黒衣の神父。来ないのか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 言峰は攻めあぐねていた。様子を見ているだけでは弁当を取られて敗北を喫するのみ。しかし、下手に手を出せば脱落は間違いない。

 この疾風にして怒濤の技を前に、うかつに動くことは出来ない。

 挑発されて尚、動かない言峰。

 その時、人間竜巻に向かっていく二つの影が、言峰の後ろから飛び出した。

(生き残っていた狼か!?)

 飛び出したのは言峰と男の戦いの巻き添えにならずに済んだ生き残りの狼だった。素早く状況を判断したらしい二人は即座に共闘態勢に入り、連携して攻撃を仕掛けたようだ。

 狼の内、一人が人間の頭があるであろう部分に拳を、もう一人が足払いを繰り出した。どちらも気合いの乗った、素晴らしい一撃だ。

(見事な連携! だがっ!)

 頭と足下、言峰もこの技を見た瞬間、狙い所として見定めていた箇所だ。出張先で見たゲームで、似たような技がこんな感じで攻略されていた記憶もある。

「甘いな・・・っ!」

 声と同時、ふわっ、と竜巻が浮かび上がった。更に、微妙に傾いて見せる。

「!?」

 足払いと拳の双方は狙いを外され、それによって生じた隙に竜巻の回転が襲いかかった。

 肉が二つ、床に叩きつけられる音が弁当売り場に響いた。

「やはり・・・・・・動くことが出来たか・・・・・・」

 予想通りのことが起きた。言峰から見て、あまりにも分かり易い隙だったので、何かあると読み、それ故に動けなかったのだ。

「読んでいたか。だからといってすぐに対策できる技ではあるまい!」

 竜巻の中から男の声が木霊してきた。今や回転速度は最高潮に達し、男の顔が回転方向に合わせて複数の残像を生み出す始末だ。

「対策、か。ならば・・・・・・こうだ」

 言峰は落ち着き払った流麗な動作で、中段の構えを取った。最も基本的な突きを打つための、最も基本的な構えである。

「俺を迎え撃とうということか」

「いかにも」

 男の人間竜巻が動の技ならば、言峰の中段突きは静の技だ。竜巻が目の前にやってきた瞬間に、全力の拳を打ち込み、相手の戦闘不能を狙う。その一撃で相手の勢いを殺しきれなった場合、言峰は敗北するだろう。

 この一撃に全てを賭ける。そんな構えである。

「いいだろう、このフィールドに残った最後の狼。黒衣の神父を倒してから、ゆっくり半額弁当を頂くとしよう!」

「・・・・・・・・・・・・」

 さらに回転を上げながらゆっくりと近づいてくる男。対して、微動だにしない言峰。

 その様子は言うなれば、全てを引き裂く竜巻と、それすらも受け止めるかの如き巨木の激突。

 大自然の現象の縮図が、今この時、再現されようとしていた。

 目の前に竜巻が迫って来る中、言峰は息を整え、気を落ち着かせ、相手の回転にじっと目を凝らす。

 狙うべきは相手の水月、それをこちらとの接触の直前に叩き込む。そのためには回転を見切り、一瞬に全てを賭ける必要がある。

 規則正しい呼吸に合わせて徐々に集中力が高まり、周囲から無駄な情報が削られていく。『おさかな天国』をはじめとした周囲の音が意識の外に追いやられ、目の前の竜巻以外の風景が消える。更に、色彩も視界から失われ、極限まで高まった集中力によって生まれるモノクロの世界へと言峰は突入した。結果、体感時間が一気に引き延ばされる。

(あと少し、奴の攻撃範囲に入ったその瞬間を狙う)

 コマ送りのモノクロの世界の中、言峰は心静かに機会を待つ。しかし、男の回転はまだ速く見える。

 ――もう少し、ほんの少しで届くというのにっ。

 言峰は目の前の相手に致命打を与えるには更なる高みに至る必要があると判断した。何とかして、自身の集中力を更に高める必要がある。

 その時だった。

 言峰は、今宵の獲物に異常があることに気づいた。

 シールが貼られている。

 そして、そこには輝く『高級鶏卵使用』の六文字が印字されていた。

 言峰はそれを見逃さなかった。

 昨日の親子丼弁当には無かったシールだ。昨日と今日、たった一日に何が起こったのか。

(――賞味期限か!?)

 恐らく、高級鶏卵の賞味期限が迫り、担当者が弁当に流用したのではないだろうか。通常なら考えられない素材を使うなど、関係者の精妙なパワーバランスの調節が無ければ不可能だと容易に推測できる。

 つまり、目の前にある親子丼弁当はこのスーパー内の人間関係によって生み出された奇跡の産物と行っても過言ではない。

 そう思うと、全身から力が漲って来た。余った高級鶏卵が弁当に使用されるなど、次があるかすら見当も付かない事象だ。今日、この時にあの半額弁当を取れなければ、あの親子丼弁当の秘めたスペックを永遠に味わうことが出来ないかもしれないのだ。

(負けるわけにはいかん!)

 言峰の意識が更に加速した。そこは彼自身到達したことのない、神速の領域だ。

 言峰と、敵と、弁当の三位一体、完璧な世界が意識の中に形作られる。まるで時が止まったかのようだった。

 刹那の瞬間に、言峰は敵の繰り出す人間竜巻の射程内に入った。

 極限を越えた感覚の中で言峰はタイミングを見極め、精密機械のような正確さで拳を打ち出す。

「おおぉ――!」

 人間同士が接触したとは思えないほどの轟音が、弁当売り場に響いた。

 言峰綺麗は、この日初めて、打撃を受けて宙を舞った。

 

 床に叩きつけられ、無様に倒れた言峰だったが、かろうじて意識を繋いでいた。

 言峰の打撃は成功していた。だが、渾身の一撃を受けて尚、あの男の竜巻は止まらずに、言峰を巻き込んだのだ。

(止まらなかったが、勢いを削ぐことには成功したということか・・・・・・)

 全身が痛み、声が出せない中で分析する。多少なりとも打撃が効いたお陰で、気絶せずにすんだのだろう。

 そして、意識さえあれば、再び立ち上がれる。

「ぬうっ・・・・・・!」

 悲鳴を上げる全身の骨と筋肉を、鋼の精神で制御して、言峰綺礼はゆっくりと立ち上がる。『おさかな天国』の流れるスーパーの1フロアで、普段の彼からは想像もつかない姿を晒しながら、賢明に立ち上がる。震える足を手で無理矢理押さえつけ、未熟な自分を叱咤しながら、二足歩行をする人間の姿へと変わっていく。

 これ程の状況に陥って尚、言峰綺礼は今宵の半額弁当のために立ち上がろうとしているのだ。その誇り高き姿を、誰が無様と笑えるだろうか。

「状況は・・・・・・どうなった・・・・・・」

 喉から声を何とか絞り出し、かすんだ視界で確認する。やはり、あの男がこの日、唯一無二の弁当を持って行ったのだろうか。自分の手は届かなかったのか。

 敗北の予感に打ちのめされかけたその時、言峰はそれに気づいた。

「・・・・・・何と素晴らしい男だ・・・・・・」

 思わず、賞賛の言葉が漏れた。言峰にしては非常に珍しい、心の底からの本音だった。

 

 人間竜巻となって雌雄を決した男は、言峰の一撃を受けて、立ったまま気絶していた。

 

 この日、言峰綺礼は勝者となった。

 スーパーの近くにある公園。昨夜、『ブルー』と呼ばれる元狼から教えを受けたベンチに、言峰は一人座っていた。

 夕餉だ。手には死闘の末に手にした弁当と、ペットボトルのお茶がある。

 スーパーに備え付けられていた電子レンジで十分に温められた親子丼弁当の蓋を開くと、言峰は厳かに手を合わせ、言う。

「いただきます」

 神父であるにも関わらず、弁当に向かって両手を合わせたのは、何となくだ。それ以上の理由は無い。ただ、今この場合はこの形で食事を始めるのが適切に思えたのである。

 割り箸を割り、白い湯気を立ち上らせる弁当を食べる作業を開始する。

 まず、一口。ふんわりとした卵と、鶏肉、味の染みた玉葱にご飯、ミニ親子丼といってもいい一塊を口に運んだ。

「・・・・・・これはっ」

 美味い。それも、かつて無いほどに。

 驚愕である。たかがスーパーの、たかが半額弁当をこれほどまで美味く感じるなど。自分は発狂しているのだろうか。

 確かめるため、もう一口、口に運ぶ。

 レンジであつあつになったご飯と卵が鶏肉と渾然一体となり、舌の上で踊った。卵は外はふんわり、中身はとろり、完璧ではないが、美味い親子丼のそれが維持されている。しかも鶏肉に味が良く染みている。これは、売り場に長時間おかれていた副産物か、あるいは作り手の工夫によるものだろうか。

(・・・・・・いや、両方か)

 調理したのはわざわざ高級鶏卵を選んで使う人間だ。この親子丼の調理法も売り場に置かれる時間を計算して作られている可能性が高い。

 次なる一口では、言峰の中に春の爽やかな風のような香りが吹き抜けた。

 みつばだ。レンジで一緒に加熱したため、多少風味が飛んでしまっているはずだが、今日のこれは妙に薫り高く感じる。

(辛く・・・・・・激しい戦いの末に手に入れた、戦利品故か)

 いわば、この味わいは勝利のひと味といったところか。

 そう理解した言峰は、一心不乱に箸を動かした。たかが弁当、されど弁当。これほどまでに美味い食事が今までの人生の中で何度あっただろうか。

 夕餉の時間は、あっという間に終わった。全てを終え、ペットボトルのお茶を飲み干した言峰は、奇妙な充足感に満たされていた。

「さて、帰るか・・・・・・」

 ゴミを分別し、近くに設置されたゴミ箱にそっと投げ込みながら、そこでようやく、食べ終えた弁当を名残惜しいと感じている自分に気づいた。

 切に思った。――これほどに美味と感じる弁当ならば、是非また食べてみたいと。







※この小説はログインせずに感想を書き込むことが可能です。ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。