イゼルローンの話   作:シロン茶

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本章 キャゼルヌの驚愕

「収容人口、五〇〇万人……」

 

アレックス・キャゼルヌは、手元の統計端末に表示された数字を凝視したまま、深くため息をついた。

帝国軍から無血開城によって接収したイゼルローン要塞。その諸元表には、宇宙港の収容艦艇数二万隻、病院のベッド数二十万床、一時間あたりの核融合ミサイル生産数七五〇〇本、穀物貯蔵庫の容量七〇〇万トン以上といった、帝国の威信を具現化したような数字が並んでいる。

しかし、兵站の専門家であるキャゼルヌの目が捉えたのは、軍事基地としての壮大さではなく、その裏に隠された歪な「都市」の構造だった。

 

公式記録によれば、イゼルローンに駐留していた帝国軍将兵は約一〇〇万人。

だが、ゼークト中将が要塞砲で吹き飛んだあとに敗走した帝国軍と、同盟が捕虜にした五十万人とは別に、この要塞には大量の「民間人」が取り残されていた。

 

キャゼルヌがデータを見て驚愕したのは、公式統計と、実際のエネルギー・水消費量とのおそろしいまでの矛盾だった。

 

帝国軍公式人口: 一〇二万人

配給登録者: 二八一万人

医療利用者: 四一七万人

水・酸素消費量換算: 五二三万人

 

この要塞には、帝国の公式統計に現れない「数えられていない人々」が何百万人もひしめき合っている。なぜここまでふざけた統計を出せるのか。

矛盾の正体は、メイドなど貴族の従属者だけで数万人、要塞を支えた技術者や、生活インフラサービスの従業員たち、そして歓楽街の住民だった。空気や水の循環システム、広大な食用植物製造プラントには、驚くほど膨大な人力が割かれていた。食糧工場と人工プラントの管理だけで実に三十万人。同盟の技術士官が首を傾げたその内訳は、監督官、補助官、記録官、点検官といった厳密な階層構造である。帝国は人力こそ身分のあかしと考え、身分秩序を維持するために、あえて「人を使うこと」自体を目的とすることは知っていたが、こういった生産システムにまで人力化が及んでいるとは。キャゼルヌは頭を抱えた。

 

かつて、最大歓楽街の有力な経営者であったベルナーという男が殺害された事件があった。ある貴族の横領を隠蔽するための、ありふれた口封じだった。しかし「市長」と呼ばれた彼の死により、下層社会は軋んだまま、違法賭場も麻薬取引もエスカレートするばかりの無法地帯と化していたのだ。

 

そして時代は流れ、ヤン・ウェンリーによる要塞奪取が起き、イゼルローンははじめて同盟のものになる。

 

奪取直後、要塞を一時的に預かった担当者の第一任務は、五十万人の帝国軍将兵捕虜を収容地へ送ることである。そして、イゼルローン全体の詳細な把握である。

 

ところがまず、各プラントの稼働が滞った。帝国様式は同盟よりもオートメーション化に消極であり、したがって各プラントも多くの部分は人力で動かしていた。

区画によっては数日間同盟軍に接収されたことを知らないまま稼働していたプラントすらあったのだが、こうした末端の作業者が手を止めると、イゼルローンの生活インフラは崩壊しはじめた。担当者は政府と協議の末、給与の支払いと配給を約束し、彼らに工場勤務やインフラ整備を続けさせた。同盟側は帝国の軍事設備構造についてかなり把握していた。だが、インフラ技術については帝国様式があまりにも違いすぎて、それを維持するためには、これまで底辺でそれを担ってきた「イゼルローン住民」たちの手を借りるしかなかったのだ。彼らに飯を食わせるためにも出したものを処理させるにも、設備は稼働させねばならなかった。

 

「待て、何だこの要請は」

要塞奪取直後、一時管理を任された同盟軍の暫定行政官は、差し出された電算端末を前に声を荒らげた。

「イゼルローンは要塞だろう。なぜ赤ん坊のミルクがこんなに必要なんだ」

「投降者の中には大量に無登録の住民がいるのです。子供もかなりいます。……それから、学校も再開していいかと要請が」

部下の士官が、おずおずと書類を差し出す。

「学校、だと? そんな馬鹿な。ここは最前線の超弩級兵器だぞ。出稼ぎの独身労働者か、軍人しかいないはずだ」

「いえ、高度技術者だけで数万人。要塞の複雑なシステムを熟知した専門職が軍属として、家族を伴ってイゼルローンに『定住』していました。建設当時から三十年、ここしか故郷を知らないケースもあるようで……」

同盟軍は困惑した。彼らが引き受けたのは、ただの鉄の塊ではなかった。

貴族の使用人など主家があって帝国へ帰る目途が立つ者は送還できたが、難民化した「イゼルローン住民」の半数は帰るところを持たなかった。出稼ぎの人間、同盟の捕虜崩れ、人身売買の末に流れ着いた者。

このとき、名もなき住民たちの対応に忙殺された担当者こそが、やがて起きる帝国領侵攻の泥沼化を最も早く、身を以て予感していたのかもしれない。

 

帝国領侵攻作戦では、キャゼルヌが作戦の補給責任者としてイゼルローンに降りたが、この時点では彼は「イゼルローン住民」については知らされていない。

帝国の焦土作戦に対応するため、食糧工場の最大稼働数値と備蓄倉庫の在庫を把握するだけで手一杯だったからである。

三千五百万人の将兵が帝国領侵攻にあたって派遣されてきていたのだから、イゼルローンの軍事施設の交通整理だけでも、後方担当者は寝る間もないほどだった。

インフラを支える「イゼルローン住民」のことは「問題が起きていないならそれで良し」とひとまず置いてしまった。

司令官ロボスは全てを部下に丸投げしたまま、豪華な帝国仕様の司令官用官舎で優雅に惰眠を貪った。

 

アムリッツァ会戦後のイゼルローン要塞は、文字通り「戦場の後始末」そのものだった。巨大な野戦病院、修理ドック、遺体安置所、そして臨時の捕虜収容所。宇宙空間から回収される膨大な身元不明の遺体と、規格の違う帝国式の医療設備で溢れかえる負傷兵。その敗戦の後始末の中て「イゼルローン住民」は治安維持の対象ではあったが、その生活の実態を見る余裕など、物理的に残されていなかった。

次に赴任したヤン・ウェンリーもまた、その気配には気づいていた。だが、都市としてのイゼルローンを管理する能力が自分にないことを自覚していた彼は、ひたすら後方主任キャゼルヌの着任を待った。

「イゼルローンには軍人より民間人のほうが多いのかもしれないな。だが残念ながら、私は市長として赴任したわけじゃないんだ」

ヤンの第十三艦隊に付いてきた家族の住宅には、かつて貴族士官たちが住んでいた高級宿舎街が当てられた。同盟の市民たちは、その豪華な住宅に必ず「メイド部屋」が存在することに一様に困惑したという。結局、メイド部屋は単なる物置あるいはハウスオートメーション機器設置場所に転じた。

 

──そして今、後発として着任し、人口統計の数字からこの都市の実相を「再発見」したアレックス・キャゼルヌの困惑と衝撃は、誰よりも大きかった。

「百万人以上が、亡命手続きの後に『現状維持』を希望しただと?」

書類を机に叩きつけ、キャゼルヌは絶句した。

「はい。ご存知のとおり、工場勤務や運搬実務等はすでに仕事に当たらせてます。帝国式はなんでも人力なので、オートマに変えるまではプラント稼働も掃除も配達も人力なんです。あとは……店を開けさせろという陳情が山積みです」

彼らが生きているのは思想や政治的忠誠のためではない。明日の仕事と、今日の食事だ。

 

「彼らを追い出す?」

キャゼルヌは、本国から届いた「帝国臣民の強制排斥案」を鼻で笑った。

キャゼルヌもまた、結論は一つだった。「イゼルローン住民」をそのまま残すほうが、コストが安い。帝国式を同盟式に入れ替えて稼働する時間も金も無いのだ。

キャゼルヌは思想ではなく、徹頭徹尾「数字」で判断した。そして、帝国時代の裏構造を、あえて「課税と公認」という手段によってそのまま存続させる道を選んだ。

昨日まで帝国軍人が飲んでいた酒場で、翌週には同盟軍人がグラスを傾ける。歴史上の占領地で幾度となく繰り返されてきた光景が、この人工の天体の中にも出現した。

歓楽街の片隅。かつて帝国の「双璧」とも対峙したであろうマダムは、冷ややかに、しかし力強く言った。

「あんたたち軍人は、ここを『不落の要塞』だの『戦略拠点』だの格好いい名前で呼ぶけれどね。あたしたちにとっちゃ、ここは宇宙の果てにぽつんと浮かんだ、ただの寒がりの街さ。帝国軍が飲みに来ようが、同盟軍が遊びに来ようが、あたしたちがやることは一つだよ。凍えた男たちに安酒を出して、温めて、明日の戦場へ送り出す。それだけさ」

 

しかし、この巨大都市の混迷を根本から解決する時間は、同盟軍には残されていなかった。

わずかニ年後、皇帝ラインハルトがフェザーンから同盟に侵攻したことにより、イゼルローン要塞の放棄が決定する。住民たちは再び、支配者の顔が帝国へと変わるのを静かに待つことになった。

 

撤退の混乱の最中、荷造りをするあのマダムが、通りかかったキャゼルヌに向けて自嘲気味に呟いた。

「結局、国がひっくり返ろうが何だろうが、何も変わらなかったねえ」

だが、キャゼルヌは静かに首を振った。

「いや、変わったさ」

キャゼルヌは手元の端末を閉じた。

「少なくとも、君たちは国家に数えられたんだ。」

マダムはふっと笑った。

「それで腹は膨れるのかい?」

「まったく膨れん」

キャゼルヌもまた、苦笑を返した。

「だが、名前がなければ、君たちが餓死しても統計にすら出てこない。私が本国へ送る配給の要求書に、君たちの分のパンを乗せることもできなかった。権利は、台帳の上にしか生まれないんだ」

「権利ねえ。同盟さんらしいね。私らにしてみたら、餓死よりもあんたたちの税金と徴兵のほうが怖いけどねえ」

マダムは皮肉げに笑う。

「君たちはもう同盟市民だ。私たちと一緒に退避できるぞ」

「よしてくれよ、事務官さん。あたしたちがその船に乗ってどこへ行くっていうんだい? 慣れない土地で、あんたたちの高い税金に追われながら、また同じように泥水を啜れってのかい。民にパンを配る者は、同時に首輪も握る……ずいぶん昔に、ハンサムな軍人さんが言ってたよ。あれは名言だね」

キャゼルヌはしばし黙っていた。それから痛みに耐えるような顔で言った。

「……やはり置いていくか」

キャゼルヌは、手にした統計端末の筐体を、愛おしそうに、しかし決別するように指先で撫でた。

「置いていく?」

「ああ。実は司令官と話したんだ。同盟軍の撤退と同時に、中央のマスターデータはすべて消去する。だが、ローカルデータだけは単独メモリーにして君たちに預けていくのはどうかってな」

キャゼルヌはマダムを真っ直ぐに見つめた。

「データを消せば君たちは安全だが、再び『存在しない者』に戻る。だが、覚えておいてほしい。権利は台帳の上にしか生まれない。正確な統計は自律の基本だ」

キャゼルヌは繰り返した。結局、それは住民にとっては国家という巨大な装置への強制的な組み込みでしかないことは,キャゼルヌが一番よくわかっていた。

マダムは降参したように両手を広げて笑った。

「あはは、同盟ってのは面白いねえ。私は名前なんて要らないよ」

キャゼルヌは帽子に手をかけ、マダムに近づくと一人の男の名を囁いた。

「彼にデータを渡しておく」

マダムは目を見開いた。

「お元気で、マダム」

有能な後方勤務官は、背を向けて歩き出した。

 

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