始まりは、いつもの陰の実力者ごっこだった。
シャドウガーデンは新たな調査を続けている。
最近、妙な報告が増えていた。
「敵の魔力量が、昨日確認された個体の十倍に跳ね上がっています」
「前日に撃破した個体より、さらに強化された個体が出現しました」
「戦闘終了間際、敵はこう言い残しました。『次の形態へ移行する』と」
なるほど。最近の盗賊は進化するらしい。
まさか前世で見たような展開を出てくるなんて。
追い詰められ、敗北寸前になる。
そこで覚醒する形態変化。
悪くない。
いや、むしろ好きだ。
だけど、僕がそれをやる側ではないということ。
圧倒的な力を持つ存在が、余裕のまま全てを蹂躙する。
それこそが陰の実力者の美学だ。
陰の実力者は、最初から最強であるべきなのだ。
だが、敗北から這い上がって強くなるという展開も、演出として見れば非常に魅力的だ。
そんなことを考えていると、アルファが現れた。
「シャドウ。私は新たな境地へ到達したわ」
アルファは静かに微笑む。
「あなたに見てもらいたい」
「……ほう」
興味深い。
アルファが自分から成果を見せに来るなど珍しい。
僕は期待を込めて待つ。
すると——アルファの魔力が膨れ上がった。
空気が震える。
髪が逆立つ。
身体から黄金の光が溢れ出す。
……?
待て。
これは、まさか。
アルファが呟く。
「アイ・アム・アトミック——その技術をさらに発展させ、膨大なエネルギーを肉体へ循環させることで、攻撃力、防御力、魔力効率、その全てを極限まで高めた」
そして、堂々と言い放った。
「スーパーアトミック人よ」
……僕は、内心で絶句した。
ネーミングがドラゴンボールだ。
完全に前世のやつじゃないか。
あれ? 教えてたっけ?
いや、違う。
問題はそこではない。
確実に一段階上に進んでいる。
アルファは満足そうに笑う。
「やっぱり驚かないのね」
「……」
「開発者であるあなたなら、私がこの境地へ至ることなど、最初から想定していたのでしょうね」
違う。
違うぞ、アルファ。
僕は今、別の意味で驚いている。
まさか、僕の知らないところでインフレが始まっている……?
今までは違った。
圧倒的な力。
誰にも届かない存在。
全てを超越する唯一の存在。
それが、僕の求める陰の実力者だった。
だが。
もし、アルファたちがこのまま進化を続けたら?
もし、七陰が次々と新形態を手に入れたら?
もし、いつか僕が——
「シャドウ、気になることでもあるかしら?」
アルファが不思議そうにこちらを見る。
僕はゆっくりと立ち上がる。
「……いや、少し確認したいことがある」
「確認?」
「ああ」
陰の実力者とは。
いついかなる時も、全ての者の遥か上に立つ存在だ。
ならば、僕自身が置いていかれるなど、あってはならない。
ましてや、前世でいうところの。
ヤムチャ化。
それだけは絶対に避けなければならない。
「少し、鍛え直す」
「……!」
アルファが息を呑む。
彼女には、僕がさらなる高みを目指すために動き出したように見えているのだろう。
だが、違う。
僕はただ、陰の実力者の座を守るために。
自分の知らないインフレに追いつこうとしているだけだ。
……しばらくの間。
モブとして過ごす時間は、減りそうだ。
◆
その町に、二人の男が現れた。
一人は肥え太った男。
もう一人は、老人。
ただの変わった二人組だ。
しかし、その場にいた誰もが理解していた。
こいつらは、普通ではない。
町を守るために駆け付けた騎士団。
それを、わずかな時間で壊滅させた。
足元には、力を失った騎士たちが倒れている。
まるで生気そのものを吸い取られたように、顔は青白い。
老人が倒れた騎士を見下ろしながら呟いた。
「データ収集開始だ」
「対象は……シャドウガーデン」
肥えた男が続ける。
その言葉に、周囲の空気が変わった。
アルファたちは即座に警戒態勢へ入る。
「シャドウガーデンを狙っている……?」
「情報収集が目的なら、こちらの戦力を測るつもりでしょう」
冷静な分析。
完璧な判断。
流石だ。
だが、僕は別の意味で戦慄していた。
……いや、これはまずい。
あまりにも見覚えがある。
肥えた男。
老人。
前世の記憶にある、とある作品との符合。
まさか。
いや、まさかとは思う。
しかし、ここまで揃うと、もう認めるしかない。
二人の男は、ゆっくりと名乗った。
「我々は人造魔人19号、20号」
沈黙。
僕の中で、何かが崩れた。
始まった。
ドラゴンボール展開が。
いや、落ち着け。
ここは異世界だ。
前世の作品とは関係ない。
……だが。
この世界でも同じ流れが発生するなら。
この後に待っているものは?
さらに強い敵。
新たな形態。
圧倒的な力を持った存在。
そして、今の敵を遥かに超える敵。
僕は静かに息を吐く。
これは危険だ。
陰の実力者にとって、最も避けるべき展開。
敵が強くなること。
それ自体は問題ない。
むしろ歓迎する。
強大な敵を前に、最後に現れて全てを覆す。
それこそが陰の実力者の見せ場だ。
問題は、僕自身がインフレについていけなくなること。
アルファが声をかける。
「敵の能力について判明したわ」
僕は視線を向ける。
「魔力を吸収する能力よ……非常に危険な敵よ」
そう、危険だ。
ただし、僕が考えている危険とは少し違う。
エネルギー吸収。人工生命。
これは序盤の敵の特徴だ。
つまり、こいつらの後には必ずいる。
もっと強いやつが。
……まずい。
本格的に鍛え直す必要がある。
今までの僕は、圧倒的な力を持つ存在として振る舞ってきた。
もしこの先に。
僕の知らない「最終形態」とやらが待っているなら。
準備しておく必要がある。
「シャドウ?」
アルファが不思議そうに見る。
僕は静かに空を見上げた。
陰の実力者が敵のインフレに置いていかれるわけにはいかない。
……どこかに精神と時の部屋はないかな。
◆
人造魔人との戦いは、激化の一途を辿っていた。
敵を倒すたびに強い人造魔人が現れる。
新たな能力。
新たな形態。
今までの戦闘のあり方が一新したように。
そして、長い戦いが終わった後。
僕は——。
予想以上に疲れていた。
いや、正確には、疲れているように見せていた。
……そうであってほしい。
陰の実力者たる者、余裕を崩してはいけないのだ。
アルファが小さな袋を差し出す。
「これは?」
「イータが極東に伝わる神秘を解析し、再現したものよ」
アルファは少し誇らしげに言う。
「名前は『仙豆』」
僕は思考停止のまま返答する。
「食した者の肉体を完全回復させるものか」
「極秘で開発していたのに、もう効果を知ってるのね」
……まんまだ。
名前も効果も完全にまんまだ。
スーパーアトミック人や人造魔人は、まだ許容範囲だった。
元ネタを知っている僕だから分かる程度の微妙な違いはあった。
だが、これは駄目だ。
仙豆は仙豆だ。
もはや隠す気がない。
危うく手を伸ばしかける。
しかし、止めた。
「不要だ」
陰の実力者たる者、常に余裕を持つべきだ。
そう、都合の良い回復アイテムに頼るなど。
美しくない。
たとえ、それがどれほど魅力的な代物であったとしても。
アルファは微笑んだ。
「さすがね」
「……」
「私を含めた七陰ですら、変身しなければ対抗できなかった相手なのに」
アルファは僕を見る。
「あなたは未だに、素のままなのだから」
……そう。
七陰は進化していた。
戦いの中で、彼女たちは新たな力を手に入れていた。
スーパーアトミック人2。
スーパーアトミック人3。
次々と増えていく新形態。
デルタに至っては、なぜか「ビースト」という別方向の進化を遂げていた。
……あれはあれで、本人は非常に満足そうだった。
アルファが少し心配そうな表情になる。
「でも、シャドウ」
「何だ」
「今のままで、本当に大丈夫なの?」
……来た、恐れていた瞬間が。
僕の強さに疑問を持たれている。
これは陰の実力者として、最大級の危機だ。
「あなたは変身しないの?」
アルファが続ける。
「スーパーアトミック人程度なら、見せてもいいと思うのだけれど」
やめろ。
その流れは危険だ。
僕まで変身しなければならなくなる。
問題は、
未だに僕はスーパーアトミック人になれていない。
もちろん。
アルファに頭を下げて教えてもらえば、できる可能性はある。
だが、それは違う。
陰の実力者が仲間に力を教えてもらうなど。
美学に反する。
それに金髪、金色のオーラ。
叫び声と共に変化する。
……悪くない。
前世では好きだった。
だが、僕の求める陰の実力者像とは違う。
もっと静かで。
もっと圧倒的で。
誰にも理解されない孤高の存在。
周囲を見る。
七陰。
シャドウガーデンのメンバー。
全員が僕を見ている。
期待の眼差しを向けていた。
しまった。
完全に誤解されている。
「シャドウ様なら」
誰かが呟いた。
「我々の知らない、さらに上位の変身を隠しているはずです」
僕は隠しているんじゃない。
知らないだけだ。
しかし、今さら言えるはずもない。
ここで問題が発生する。
究極の陰の実力者問題。
変身する。
目立つ上に、美学に反する。
変身しない。
期待を裏切った上で、陰の実力者の力を疑われる。
僕のプライドが即座に答えを出した。
「必要ない——変身など、不要な領域にいる……!」
沈黙の後。
周囲から感嘆の声が漏れる。
「さすが……」
「変身すら必要ないほどの境地……」
「やはりシャドウ様は……」
……よし、乗り切った。
だが、問題は解決していない。
真面目に考えよう。
どうやって、このインフレについていくか。
陰の実力者が。
味方の変身についていけないなど。
絶対にあってはならない。
◆
暗黒の研究施設が崩壊した。
地下深く。
培養槽が次々と爆ぜる。
薬液が流れ落ち、その残骸の中から、一人の男が姿を現した。
歪に膨れ上がった肉体。
全身から噴き出す魔力。
そして、その目には憎悪だけが宿っている。
「シャドウ……!」
男は咆哮した。
「シャドウ!! どこにいるッ!!」
王都に怒号が響く。
建物が崩れる。
騎士団が駆け付ける。
その先頭には、アレクシアがいた。
「あなたは……ゼノン!」
かつてシャドウに倒されたはずの男。
怪物となって蘇っていた。
「シャドウォォォォ!!」
ゼノンは空を見上げ、叫ぶ。
「私は地獄の底から蘇ったぞ!!」
アレクシアは眉をひそめた。
「もはや私の声なんて聞こえてないわね」
剣を抜く。
相手はシャドウしか見えていない。
「シャドウが出るまでもないわ」
金髪を揺らし、一歩前へ出る。
「ミドガル王国第二王女、アレクシアが相手よ」
ゼノンの視線が、ゆっくりと動く。
初めて、アレクシアを認識した。
「……邪魔だ」
その瞬間だった。
轟音。
アレクシアの姿が消えた。
次の瞬間には。
王都の石畳を突き破り、岩盤までめり込んでいた。
ゼノンは無造作に片手を動かす。
岩盤へ。
岩盤へ、アレクシアを埋め込んでいく。
ゼノンは彼女に口を開く。
「なんなんだ、今のは……?」
アレクシアは睨みつけながら気絶した。
◆
「以上が、王都で起きた出来事です」
シャドウガーデンの報告を聞き終え、僕は静かに目を閉じた。
「アレクシア王女は重傷を負いましたが、一命は取り留めています」
「そうか」
短く答える。
表情は変えない。
内心では別のことを考えていた。
……まるで劇場版だな。
倒したはずの敵。
研究施設で強化されて復活。
執拗に狙う執念。
この流れは完全に劇場版だ。
しかも、ゼノン。
お前か。
死体どころか塵一つ残らないように消し飛ばしたはずだろう。
どうやって復活した。
……いや。
問題はそこじゃない。
もっと重大な問題がある。
アレクシア。
なんだ、そのやられ方は。
一撃で吹き飛ばされて、岩盤へ叩きつけられる。
さらに何度も岩盤に押し込まれる。
……どこのサイヤ人の王子なんだ。
脳裏に、前世の記憶が蘇る。
流し見しかしていないのに鮮明に思い出してしまった。
あれだ。
確か、何かのMADだった筈だ。
妙に人気だったのは覚えてる。
……なんでこんなところで思い出すんだ。
いや、落ち着け。
僕は静かに紅茶を飲む。
これは偶然だ。
たまたま展開が似ているだけだ。
ドラゴンボールが始まったわけじゃない。
しかし、まずいな。
インフレが止まらない。
僕はカップを置く。
「何か気づいたのかしら?」
「……ああ。想定より事態は深刻だ」
アルファたちの表情が引き締まる。
この世界が、どこまでドラゴンボールじみたインフレに付き合うつもりなのか。
ただ、それだけだった。
◆
最終決戦。
王都を飲み込んだゼノンは、まさしく怪物だった。
核の一撃を受けても死なない。
吹き飛んだ肉体は泥となって蠢き、周囲の建物も瓦礫さえも取り込み、さらに巨大になっていく。
まるで王都そのものが生き物へと変貌したかのようだった。
七陰も善戦した。
スーパーアトミック人。
スーパーアトミック人2。
スーパーアトミック人3。
それぞれが限界を超えて戦い続けた。
それでも届かない。
シャドウガーデン全員が戦闘不能になっていた。
最後に立っていたのは。
僕だけだった。
「アイ・アム……アトミック」
静かに唱える。
世界が白く染まる。
核の光。
泥の巨人の半身が吹き飛ぶ。
だが、消えない。
泥が集まり。
肉体を再生し、さらに巨大になる。
「……くっ」
思わず声が漏れた。
純粋に魔力が足りない。
アイ・アム・アトミックは完成された技だ。
問題は技ではない。
出力が足りない。
完全に敵を蒸発させるには、あと一歩届かない。
まずい。
このままでは陰の実力者たりえない。
負けるなどあってはならない。
なのに現実は無情だった。
世界のインフレに。
ついに。
追いつけなくなった。
……無念か。
そう思った、その時だった。
「みんな!」
アルファが叫ぶ。
「私たちのアトミックを、シャドウへ!!」
……ん?
アトミック?
魔力じゃなくて?
いや。
待て待て待て。
アルファ、それは駄目だ。
決戦で仲間の力を借りる主人公。
確かにそれはいいものだ。
だが、陰の実力者じゃない。
僕の主義に反する。
「シャドウなら束ねられる!」
アルファは迷いなく言った。
「私たち全員のアトミックを!」
「シャドウ様なら!」
「盟主なら!」
「お願いします!」
シャドウガーデン全員が叫ぶ。
その瞬間。
膨大な魔力が僕へ流れ込んできた。
……いや。
ちょっと待て。
多い。
多すぎる。
一つ一つが核だ。
暴走すれば、僕の身体ごと吹き飛ぶ。
まずい。
処理しろ。
圧縮しろ。
制御しろ。
思考を極限まで加速させる。
魔力の流れを読む。
重ねる。束ねる。絡める。
圧縮。圧縮。
さらに圧縮。
ぶっつけ本番。
理論などない。
経験もない。
だが、ここで失敗は許されない。
僕は陰の実力者なのだから。
「できないとは、誰にも思わせない」
元気玉だろうが。
集合アトミックだろうが。
やってやる。
僕なりの解釈で。
僕なりのやり方で。
全てを一点へ。
「ウィアァァァアアアア……」
圧縮された全魔力が震える。
空間が悲鳴を上げる。
世界が軋む。
「アトミィィィィック!!」
白。
ただ白だけが世界を満たした。
◆
光が消える。
そこには何もなかった。
泥の巨人も。
王都を覆っていた瘴気さえも。
跡形もなく消滅していた。
静寂。
そして、歓声。
「勝った……!」
「シャドウ様が!」
「やはり盟主は次元が違う……!」
七陰は感動に震えていた。
……危なかった。
本当に危なかった。
まさか陰の実力者をやっていて、元気玉みたいなことをする羽目になるとは。
しかも成功してしまった。
結果としては悪くない。
貴重な経験だ。
そう悪くないが。
これは一度きりだ。
次はない。
他人の力に頼る陰の実力者ではない。
やはり。
自力で世界のインフレについていけるようにならなければ。
そうでなければ。
いつか本当に陰の実力者ではなくなってしまう。
◆
僕は部屋へ戻る。
限界だった。
ここ最近、休む暇がない。
モブを演じる暇もない。
敵が強くなる。
七陰が強くなる。
敵が変身する。
七陰も変身する。
制服を脱ぐ気力もなく、そのままベッドへ倒れ込んだ。
「……疲れた」
ぽつりと漏れる。
静かな部屋に、自分の声だけが響いた。
陰の実力者は孤高でなければならない。
誰よりも強く。
誰よりも余裕を持ち。
誰よりも謎めいている。
だから、負けるわけにはいかない。
置いていかれるわけにもいかない。
世界がどれだけインフレしようと、その一歩先にいなければならない。
だが、もし。
本当に追い抜かれたら?
七陰が次々と新形態を会得して。
敵も神だの魔王だのを名乗り始めて。
僕だけが何も変わらなかったら。
その時、僕は——、
「ヤムチャになりたくない……っ」
それだけ呟くと、僕の意識は限界を迎える。
深い眠りへ落ちていった。
身体は力なく横たわり。
片腕を前へ伸ばし。足を投げ出し。
どこかで見たことのある、実に芸術的な寝相になっていた。
もちろん、本人は知る由もない。
◆
翌朝。
アルファは静かに部屋の扉を開けた。
「シド?」
返事はない。
規則正しい寝息だけが聞こえる。
「眠っているのね」
思わず微笑みがこぼれた。
普段は決して隙を見せない盟主。
その珍しい寝顔だった。
近づいてみる。
布団は半分ほど床へ落ちていた。
「もう……」
アルファは苦笑しながら布団を拾う。
そっと、シドへ掛けた。
「お疲れだったのね」
昨夜の激戦。
盟主として、誰よりも重い責務を背負い続けた。
その疲れが、ようやく出たのだろう。
アルファはそう解釈した。
実際にはシドが疲弊していた理由は少し違う。
(敵がインフレする……)
(七陰もインフレする……)
(次はどんな展開が来る……?)
(頼むから、もう新形態は増えないでくれ……)
そんな夢を見ながら。
シドは寝息を立てていた。
ちなみに、その寝相は。
シドの前世で一世を風靡した、あの有名な姿と寸分違わなかった。
もちろん、アルファがそれを知ることは、生涯なかった。