ホグワーツは今日も非合理である   作:汐川

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今年一番気になったこと

 年度末試験が終わった翌朝、大広間は昨日までよりずいぶんのんびりしていた。

 

 教科書を開いている生徒はまだいたが、朝食を片手に年号を暗唱したり、友達へ問題を出したりしている姿は見かけない。机いっぱいに羊皮紙を広げている者もいなくなり、あちこちから聞こえてくる話も、試験とは関係のないものへ戻っていた。

 

 昨日までなら、朝食が終われば試験室へ向かっていた。今日はそれがない。

 

 真司はパンをちぎりながら、何となく大広間の向こうへ目をやった。

 

 レイブンクローの長机では、エイダがパンにたっぷりジャムを塗っていた。隣の生徒と何か話しては笑い、ずいぶん機嫌がいい。手元には教科書も羊皮紙もなく、昨夜の宣言どおり、本当に何もしないつもりらしい。

 

「楽しそうだな」

 

 向かいに座っていたマルコムが、真司の視線を追った。

 

「昨日から、あれしか考えてなかったからね」

 

「何もしないことを?」

 

「うん」

 

 少し離れたハッフルパフの長机では、ベアトリスも友達と話しながら朝食を取っていた。

 

 そのころ、一年生の席へ羊皮紙が配られ始めた。

 

 真司も一枚受け取った。何かの連絡だろうと思いながら開く。

 

 一年次年度自由研究

 

 一年間の授業や学校生活の中で興味を持ったことから、自分で一つ問いを選び、調べたことと考えたことをまとめること。教科は問わない。

 

 提出日まで読んだ、そのときだった。

 

「まだあるの?!」

 

 大広間の向こうから声が飛んできた。

 

 真司が顔を上げると、レイブンクローの長机で、エイダが羊皮紙を両手に持ったまま立ち上がりかけていた。近くの生徒が何人か振り返り、ハッフルパフの長机ではベアトリスが口元を押さえている。

 

 マルコムもそちらを一度見た。

 

「聞こえたね」

 

「聞こえたな」

 

 さっきまであれほどにこやかだったエイダは、もう笑っていなかった。

 

     *

 

 朝食を終えて玄関広間へ出ると、エイダはまだ例の羊皮紙を持っていた。

 

「昨日、何もしないって言ったばっかりなのに」

 

 少し遅れてやってきたベアトリスが、それを見て苦笑した。

 

「何もしない訳にはいかなくなっちゃったね」

 

「そうなんだよ。まだ朝なのに」

 

 エイダは羊皮紙を見下ろして、ため息をついた。

 

 真司はその横で、自分の案内をもう一度開いた。

 

 一年間で興味を持ったこと。

 

 題がなくて困ることは、たぶんなかった。

 

     *

 

 午後、四人は図書館にいた。

 

 エイダは朝の宣言を諦め、課題の羊皮紙を前に何やら題を書いては消している。マルコムは少し離れて本を読み、ベアトリスも何冊か棚から持ってきていた。

 

 真司は手帳を最初の方からめくった。

 

 九月のページには、今なら調べるほどでもないことまで残っている。羊皮紙のこと、動く階段のこと、写真の中の人間のこと。答えの分かったものには後から書き込みが増え、まだそのままのものもあった。

 

 先へ進むにつれ、疑問の書き方も少しずつ長くなっていた。

 

 最後の方で、真司の指が止まる。

 

 スリザリンは、本当に「純血の寮」なのか?

 

 数日前に書いた一行だった。

 

 向かいのベアトリスが手元を見た。

 

「シンジは、それにするの?」

 

「うん。たぶん」

 

 トーマスに訊かれたとき、真司は「そんなことない」と答えた。半年以上スリザリンで暮らしていて、純血ばかりだとは感じていなかったからだ。

 

 けれど、実際にどうなのかは知らないままだった。

 

「本で調べる?」

 

 エイダが椅子を少し寄せた。

 

「昔のことなら。でも、今のことが知りたいから」

 

 真司は開いたページを見た。

 

「寮の人に聞いてみる」

 

「それが早そう」

 

 エイダはすぐに頷いた。

 

 ベアトリスは少し首を傾けた。

 

「でも、家のことって、聞かれたくない人もいそうだね」

 

「血統のこと?」

 

「うん。シンジは普通に答えるけど、みんながそうとは限らないでしょ」

 

 真司は新しいページを開いた。

 

 少し離れたところから、マルコムの声がした。

 

「答えたくなければ、答えなきゃいいんじゃない?」

 

「じゃあ、それも入れる」

 

 最初の欄には、こう書いた。

 

 純血・半純血・マグル生まれ・答えたくない

 

 その下に、聞きたいことを三つ並べる。

 

 今のスリザリンでは、血統はあまり重要ではないと思いますか?

 

 マグル生まれでも、スリザリンで普通に過ごせると思いますか?

 

 「スリザリンは純血の寮」というのは、昔のイメージだと思いますか?

 

「何人に聞くの?」

 

 エイダが覗き込んだ。

 

「できるだけ」

 

「全員?」

 

 真司は少し考えた。

 

「できれば」

 

「スリザリン全部?」

 

「何人ならいいか分からないから」

 

「大変そうだね」

 

 ベアトリスが手帳と、まだ空白ばかりのページを見比べた。

 

「うん。でも、何人かだけ聞いて『スリザリンはこうです』って決めるのも変でしょ」

 

 何人なら十分なのかは分からない。なら、まず聞けるだけ聞くしかなかった。

 

「最初、誰に聞くの?」

 

 エイダが訊いた。

 

 真司の目が、自然と横へ動いた。

 

 マルコムが顔を上げる。

 

「僕?」

 

「うん。今いい?」

 

 手帳を見て、マルコムは本に栞を挟んだ。

 

「わかったよ」

 

 話はずっと聞いていたので、真司はそのまま質問を始めた。

 

「答えたくないのは、答えなくていいからね。まず、血統は?」

 

「純血」

 

「それは知ってるけど」

 

「じゃあ、何で聞いた?」

 

「みんなに同じこと聞くから」

 

「ああ」

 

 真司は純血と書いた。

 

「今のスリザリンでは、血統はあまり重要じゃないと思う?」

 

 マルコムは少し考えた。

 

「人によるんじゃない?」

 

「マルコムは?」

 

「僕は普段、誰の親が何かなんて気にしない」

 

 真司は、本人はあまり気にしないと短くした。

 

「マグル生まれでも、スリザリンで普通に過ごせると思う?」

 

「過ごしてるだろ」

 

「僕じゃなくて、普通に」

 

 マルコムが真司を見る。

 

「君は普通じゃないの?」

 

「そういう意味じゃなくて……ほかのマグル生まれでも」

 

「だったら、そう聞けば?」

 

 真司は質問の横へ小さく書き足した。

 

「じゃあ、ほかのマグル生まれでも、普通に過ごせると思う?」

 

「思うよ」

 

 最後の問いへ移った。

 

「『スリザリンは純血の寮』っていうのは、昔のイメージだと思う?」

 

「昔って、いつ?」

 

 真司の羽ペンが止まった。

 

「昔のスリザリン」

 

「十年前と百年前じゃ違うだろ」

 

「そこまで決めないと駄目?」

 

「何と比べてるのか分からないと、答えも変わるかもしれない」

 

 書いたときには気にならなかった昔という二文字が、急に曖昧に見えた。

 

「じゃあ……前より、血統を気にする人は減ってると思う?」

 

「たぶん。でも、家にも人にもよると思う」

 

 真司はそれも書いた。

 

「終わり」

 

「思ったよりかかったな」

 

「マルコムが聞き返すからでしょ」

 

「分からないまま答えるよりいいだろ」

 

「それはそうだけど」

 

 マルコムは本へ戻った。

 

 一人目だけで、質問には二か所書き込みが増えていた。

 

     *

 

 その日の夜、二人目は寝室にいた。

 

 真司が戻ると、同室のカラム・フレイザーがベッドの上へ鞄の中身をすっかり広げていた。教科書、丸めた羊皮紙、インク瓶、菓子の包み。何に使ったのか分からない短い紐まである。

 

「何してるの?」

 

「羽ペン探してる」

 

 真司は机を見た。

 

「そこにあるよ」

 

「どこ?」

 

「机」

 

 カラムが振り返り、端に置かれた羽ペンを見つけた。

 

「あった」

 

「ずっとそこにあったと思う」

 

「なくしてたわけじゃないよ。場所が分からなかっただけ」

 

「それ、なくしたって言わない?」

 

「言わない」

 

 カラムは何でもない顔で羽ペンを取った。

 

 真司は自分の荷物を置き、手帳を出した。

 

「カラム、ちょっと質問していい?」

 

「何の?」

 

「自由研究。答えたくないことは答えなくていいんだけど」

 

「テーマは?」

 

「スリザリンは、本当に『純血の寮』なのか」

 

 カラムは真司の顔を見た。

 

「シンジらしいな」

 

「どういう意味?」

 

「気になったんだろ?」

 

「うん」

 

「じゃあ、シンジらしい」

 

 それで説明したつもりらしい。

 

 カラムは散らかった荷物を端へ押して腰を下ろした。

 

「いいよ。聞いて」

 

「まず血統は?」

 

「半純血」

 

 真司は書き込んだ。

 

「今のスリザリンでは、血統はあまり重要じゃないと思う?」

 

「僕は気にしない」

 

「ほかのマグル生まれでも、普通に過ごせると思う?」

 

 カラムは真司を見た。

 

「過ごしてるじゃん」

 

「マルコムもそれ言った」

 

「じゃあ二票」

 

「そういう数え方じゃないよ」

 

 カラムが笑った。

 

「でも、普通に過ごせると思う。僕は気にしないし」

 

 最後の質問には、「昔のスリザリンは見たことがないから分からない」と答えた。それから少し考えて、今は自分も真司もいるのだから、少なくとも純血だけではない、と付け足した。

 

 真司はそれを一行にまとめた。

 

「終わり?」

 

「終わり」

 

 カラムは今度はベッドいっぱいの荷物を見回した。

 

「じゃあ、これどうしよう」

 

「鞄に入れれば?」

 

「入らない」

 

「さっきまで入ってたでしょ」

 

「出したら入らなくなった」

 

 向こうのベッドでは、マルコムがもう寝間着になっていた。枕にもたれて本を読んでいるが、さっきから同じページを開いたままだ。

 

 真司はカラムの鞄を見て、杖を抜いた。

 

「ちょっと貸して。パック!」

 

 ベッドに散らばっていた荷物がいっせいに跳ね上がった。教科書も羊皮紙も、菓子の包みも短い紐も、次々に鞄へ飛び込んでいく。

 

 最後の教科書だけが入口につかえたが、真司が杖を少し動かすと、ぐい、と中へ押し込まれた。

 

 鞄はぱんぱんに膨らんだ。

 

「やるじゃん。僕がやると、どうも駄目なんだ」

 

「何が?」

 

「靴下だけ外に残ったり、教科書が横向きに刺さったりする」

 

「それ、呪文の問題?」

 

「知らないよ。入ればいいんだから」

 

「僕のも、きれいではないけどね」

 

「でも入っただろ」

 

 向こうから大きな欠伸が聞こえた。

 

 マルコムが本を閉じ、枕元へ置いた。

 

「もう寝ない?」

 

 真司とカラムは顔を見合わせ、そのあとは少しだけ声を落とした。

 

     *

 

 次の日から、真司は談話室や食事のあとに顔を知っている寮生へ声をかけた。

 

 研究の題を先に伝え、答えたくないものには答えなくていいと言うことも、何人か聞くうちに慣れてきた。

 

 ある純血の同級生は、家では血統を大切にするよう言われるが、学校では別だと答えた。

 

「同じ寮なら同じ寮だろ」

 

 近くにいた別の生徒も、話を聞いて自分から答えてくれた。

 

 似た回答は続いた。

 

 けれど、まったく同じではなかった。

 

「純血の家が続くのは大事だと思う」

 

 そう答えた生徒に、真司は理由を訊いた。

 

「ずっとそうだったから、かな。父さんも母さんも、その前もずっと魔法使いだし。自分のところで途切れるのは嫌だと思う」

 

「じゃあ、マグル生まれがスリザリンにいるのは?」

 

 相手は不思議そうに真司を見た。

 

「それと何か関係ある?」

 

「純血を大事にするなら、あるのかと思って」

 

「僕の家が純血でいたいことと、君がここにいることは別だろ」

 

 真司は手帳へ目を落とした。

 

 純血の家が続くことは大切。自分の代で途切れるのは嫌。ただし、マグル生まれが同じ寮にいることとは別。

 

 別の生徒は、マグルの家で育った子と魔法使いの家で育った子は「違う」と言った。

 

「入学したときに知ってることが全然違うだろ。魔法使いの家なら、学校に来る前から箒も魔法の菓子も知ってるし」

 

「じゃあ、同じ寮にいるのは?」

 

「それは別だろ。組み分けされたならスリザリンなんだから」

 

 真司は、育った環境や入学時の知識は違う。同じ寮にいることとは別。と書いた。

 

 その数人あとには、こんな答えもあった。

 

「マグル生まれって大変だよね」

 

「何が?」

 

「十一歳まで、魔法界のことをほとんど知らないんだろ?」

 

「まあ……うん」

 

「僕だったら嫌だな。急に学校へ来て、みんなが知ってることを一から覚えろって言われるの」

 

 そこまでは真司にも分かった。

 

 実際、入学したころには知らないことばかりだった。

 

 相手は少し笑った。

 

「でも、シンジは頑張ってる方だと思うよ」

 

「……ありがとう」

 

 真司は手帳へ目を落としたまま、少しだけ羽ペンを止めた。

 

 それから、

 

 マグル生まれは入学時に知らないことが多くて大変。同じ寮にいることには反対していない。

 

 と書いた。

 

 また、家では結婚するなら純血がいいと言われていて、自分もたぶんそう思う、と答えた生徒もいた。

 

「じゃあ、僕みたいなマグル生まれがスリザリンにいるのは?」

 

「君はもうスリザリンだろ」

 

「それとは別?」

 

「別じゃない? 君と結婚する話をしてるわけじゃないし」

 

 真司は顔を上げた。

 

 相手は真面目だった。

 

「……それはそうだけど」

 

「だろ?」

 

 その回答は、少し書きにくかった。

 

 血統の欄だけ答えない生徒もいた。

 

「家のことは言いたくない」

 

「分かった」

 

 真司が回答なしと書くと、その生徒は残りの問いには普通に答えた。

 

     *

 

 昼食のあとに一人。夕食後に二人。談話室で話を聞いていた生徒から、向こうから声をかけられたこともあった。

 

 短い答えはその場で書き、長い答えは真司が短くまとめた。急いでいる相手には名前だけ先に書いておき、あとで思い出して補うこともあった。

 

 聞いた場所も同じではない。図書館、寝室、談話室、廊下。そばにほかの生徒がいるときもあった。

 

 手帳には、名前と血統と、真司がまとめた答えが順に増えていった。

 

 三日目の午後、図書館で数えると九人だった。

 

 エイダが手帳を覗いた。

 

「九人?」

 

「うん」

 

「もうまとめる?」

 

「まだ。もっと聞く」

 

「全員まで?」

 

「できるなら」

 

 真司は次の空欄を作った。

 

 九人で寮全体のことが分かるとは思っていない。

 

 ただ、ここまで集めた答えを眺めると、最初に自分が思っていたことから大きく外れてはいなかった。

 

 真司は別の羊皮紙を取り出して、回答をまとめ始めた。

 

 向かいのベアトリスが、その手元をしばらく見ていた。

 

「最初に思ってたのと、近かった?」

 

「うん。今のところは」

 

「そっか」

 

 ベアトリスは自分の本へ戻った。

 

 真司は羊皮紙の上に題を書いた。

 

 『スリザリンは本当に「純血の寮」なのか――寮生の血統意識とスリザリン像に関する調査』

 

 隣からエイダが覗いた。

 

「長い」

 

「論文っぽいでしょ」

 

「長いから?」

 

「それだけじゃないよ」

 

 エイダは笑って、自分の課題へ戻った。

 

 真司はその下へ一行書いた。

 

 今回聞いた生徒では、血統をあまり重視しないという回答が多かった。

 

 隣で紙の動く音がした。

 

 マルコムが手を伸ばし、最初に作った質問のページを自分の方へ引き寄せていた。

 

 二つ目を読み、三つ目へ進む。

 

 四つ目まで来ると、また二つ目へ戻った。

 

「何?」

 

 真司が訊いた。

 

 マルコムはすぐには答えなかった。

 

 もう一度、二つ目の質問を読んだ。

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